遠くて近い。
「わぁ……」
店内へと案内されたエイミーは、思わず感嘆の声を上げてしまった。
目に痛いような派手派手しさはない。
だが、店内に陳列された衣装達は、どれもこれもが確かな存在感を持ってそこに存在していた。
そんな物は不要だと言わんばかりに虚飾を捨て、王道とはこういうことだ、とその存在で示す男性用の夜会服や礼服の数々。
そのどれもが緻密な計算の元、これ以上緩めることも崩すことも出来ないバランスで、流麗さと威厳を併せ持っている。
対して女性用のドレスは、同じく派手さはないものの、じんわりと胸を打つような華やかさがあった。
使われている色合いは明るい物がほとんど。だというのに、主張は激しくない。
このドレスは、主役ではないのだ。
何故か直感的に、エイミーはそれを感じ取った。
「このドレス……人が着て、初めて完成する……?」
なんとなしに口を衝いた言葉。
口にしてしまったそれに気がついて、思わず口を手で抑え。
恐る恐るルーカスの方を窺えば、しかし見えたのは、穏やかな微笑みだった。
「ええ、その通りでございます。あくまでも主役はドレスを召されるお方ご自身。
ドレスはその彩り、装いでしかありませんから」
静かでありながらも、確かに感じる矜持。
人が衣服に着られてしまうのではない。あくまでも人の為に衣服があるのだ。
そしてここにある衣服の数々はそのために作られていて。
きっとルーカスが明確に誰かを思い描いて仕立てる衣服は、更に凄いのだろう、と察せられた。
「そのお方、というのは……ニコール様ですか?」
「ふふ、そうですね、ニコール様のために作っている物は多くございます。
もちろん伯爵様や奥方様のためにも作らせてはいただいているのですが……お二人からして、ニコール様を優先されておられますしねぇ」
言われるまでもなく、この場に飾られているドレスは、若い人向けの物が多いことにエイミーは気付いていた。
きっとニコールが着たら似合うだろう。
そんな感想が浮かぶドレスが大半であることを。
まあ、そもそもこの領都在住のこれだけ労力の注ぎ込まれたドレスを身に纏うことが出来る十代の少女、となると人は限られてしまうのだが。
「優先されるお気持ちもわかってしまいますけど、ね」
「おやおや、もしやあなた様もニコール様シンパでいらっしゃいますか」
『も』ということは、今こうして穏やかに佇んでいる老紳士もニコールシンパということだろうか。
いや、きっとそうなのだろう。
数ヶ月でエイミーもたらし込まれたのだ、プランテッド家御用達の仕立て屋が絆されないわけがない。
「シンパ、かはわかりませんけど、確かにかなりニコール様贔屓ではあります、ね」
とはいえ、流石に初対面の老紳士相手に認めるのは少々照れくさい。
ちょっと控えめに言いながら、エイミーはルーカスへと向き直る。
「何しろ、ニコール様に拾っていただいたおかげで、補佐官なんていう夢にも思わなかったお仕事に就けていますから」
「おや、ということはあなたが最近新しく補佐官になられたという……」
「はい、伯爵様の補佐官をさせていただいております、エイミー・モンティエンと申します」
答えると、エイミーは深めに頭を下げた。
平民相手に名字持ち、つまり下級貴族がするような下げ方ではないのだが……この人は敬意を払うべき相手だ、と何となく思ったのだ。
そんな挨拶を受けて、ルーカスは少しばかり驚いたように眉を上げ。
それから、またすぐに穏やかな笑みへと戻った。
「これはご丁寧にありがとうございます、モンティエン様。
私はこの仕立て屋のオーナーでルーカスと申します」
ゆっくりと頭を下げる滑らかな仕草。
やはり彼は貴族としての教育を受けているのだろうなぁ、と改めて思ってしまう。
エイミーがそんなことを考えていると、ルーカスは言葉を続けた。
「もしドレスをお考えでしたら、是非当店にて。伯爵様の補佐官であるモンティエン様でしたら、お勉強させていただきますよ」
「あ、いえ、私は……」
違うんです、と言いかけて、口籠もる。
確かにお洒落をしてみたいとは思った。
だが、まさかドレスは考えてもいなかった。
しかし。
ニコールを彩るドレスが生み出されるこの場でなら、いいかも知れない、なんてことも思ってしまう。
「……その、ニコール様向けのでなく、私くらいの歳でも着られるようなものは、あります……?」
おずおずとエイミーが聞けば、ルーカスは少しばかり笑みを深くしてゆっくりと頷く。
「もちろんですとも。こちらの方にございますよ」
そう言ってルーカスはエイミーを少し奥まった所へと案内した。
見れば、先程の十代向けなドレスに比べれば数は少ないが、確かにエイミーが着ても気後れしなさそうなドレスが並んでいた。
フリルやレースも少なくおとなしめ、色合いも明るすぎず抑えたもの。
ただ、よく見れば型は最新のものを取り入れているのがわかる。
その中でも目に留まったのは、少し深めの緑をメインカラーにしたドレスだった。
「おや、それがお気に召しましたか?」
「ええ、なんとなく、なんですけど……」
「そうですね、そのお色でしたらモンティエン様の髪の色ともよく調和しそうです」
納得したように頷くルーカスへとエイミーは振り返り。
「私、地味ですから……こういうのがいいのかなって」
あは、とどこか諦めのようなものを滲ませる笑みを見せた。
ニコールのような華やかさはなく、おまけに仕事柄目も良くなく眼鏡は手放せないとあって、エイミーはかなり自身への評価が低い。
それに対してもちろんルーカスは頷いて返しはしなかった。
ゆるり、首を横に振って。
「それは違いますよ、モンティエン様」
「はい?」
「モンティエン様のような方は、地味ではなく清楚、と言うのです」
そう言うとルーカスは、ぱちりと茶目っ気たっぷりに片目をつぶって見せる。
予想外の反応に、エイミーは思わずぱちくりと幾度も瞬きをして。
「も、もう、何言ってるんですか、ルーカスさん……」
思わず頬を赤くしながら、顔を逸らした。
きっとプランテッド領には人たらししかいないに違いない。いや、これが人たらし一家がお抱えにする仕立て屋の人たらし力。
そんな謎なことを思いながら、パタパタとエイミーは冬だというのに顔を扇いでなんとか熱を逃がす。
「いえいえ、本当のことですよ。あなたのような方を彩ることが出来るなら、きっとこのドレスも喜ぶことでしょう」
「またまたそんなこと言って……ふふ、でも、そうだったら嬉しいですね。
……ちなみにこちら、おいくらなんでしょうか」
問いかけるエイミーへと、ルーカスは不思議そうな顔を……見せない。
肩のあたりで切りそろえられた髪、補佐官という立場。
普通の貴族令嬢であれば婚約者や配偶者から送られたり、家族から買ってもらったりするのだろう。
だが彼女は、自分の稼ぎで生き抜いている女性。
そんな彼女へと、自分で払うのか、などと問いかけるような失態を、このルーカスは犯さない。
「そうですね、こちらですと大体……」
と、はっきり金額を告げた。もちろん、ニコールの知り合い特価にて。
しかしそれでもエイミーは、思いっきり目を見開いてしまった。
「そ、それって私のお給金の三ヶ月分!?
……あれ? 三ヶ月分??」
あまりの金額に驚き、そして、はて? と首を傾げる。
とんでもない金額ではあるのだが、今の給金を考えると、どう足掻いても手が届かない、なんてこともない。
何より、このドレスにはそれだけの価値があることも見て取れた。
「ふふ、なるほど、伯爵様の覚えもめでたい、という噂は本当だったようですね。
当店のドレスは貴族の方ですとか富裕商人の方にご贔屓いただいている関係もありまして、どうしてもこれくらいにはなってしまうのです。
もちろん、生地もデザインも仕立てもそれに恥じないものであると自負しておりますが」
「そうですね、そうですよね……確かに、そうだと思いますし」
改めて、そのドレスを見る。
もしも自分がこのドレスを着たら、夜会などでニコールの隣に立つくらいなら許されるだろうか。
……少なくとも、その勇気は出るような気がした。
「すみませんルーカスさん、今すぐには手が出ませんけど、お金を貯めたら何とかなりそうですから……その時にまた伺ってもいいですか?」
「ええ、是非とも。モンティエン様を彩るお手伝いが出来る日を楽しみにしております」
決意の籠もった目でルーカスを見れば、彼は満足そうな顔で何度も頷き、それから恭しく頭を下げる。
きっと彼女であれば遠からず貯めてしまうことだろう、と確信めいたものを感じながら。
それから、他愛もない話をいくつかして、エイミーは仕立て屋を出た。
何か購入したわけでもないエイミーを外まで見送り頭を下げているルーカスへと、何度もぺこぺこ頭を下げて。
やがてその姿が見えなくなったところで、ぐっと前を向く。
「あの金額なら、仕送りしつつでも、多分一年でいけるっ。頑張るぞ~!」
自分に言い聞かせ、気合いを入れる。
なんだか、張り合いも出てきたような。
心が張り切れば、身体にもまた活力が湧いてくるものらしい。
エイミーは力強い足取りで、他の買い物のために街中へと向かって歩いて行った。




