熱狂の裏方。
そうして、ジョウゼフが百人組み手ならぬ千人握手に挑んでいたその頃。
「は~……疲れましたわ~……」
ジョウゼフの執務机についているニコールが、らしくなく肩をコキコキと慣らしていた。
はふ~と大きく息を吐き出すニコールの前に、そっと湯気の立つカップが置かれ。
「普段あちこちほっつき歩いてるんですから、たまには机仕事もしてください」
「なによう、ベルったら。別に遊び歩いてるわけじゃないんだからね?」
「ええまあ、それはよくわかっておりますけれども」
ベルがちくりと言えば、ニコールは唇を尖らせてぶぅぶぅと言い返す。
もちろんベルとて、ニコールが遊び歩いているわけではないことは、よくわかっている。
何しろ、彼女もまた、ニコールに拾われた過去があるのだから。
わかってはいるけれども、一言釘を刺すのも自分の仕事、とベルは自分に言い聞かせ。
ニコールも拗ねては居るけれども機嫌を損ねたわけではないようだ。
……そんな二人のやりとりを見て、そのすぐ傍で仕事をしているエイミーの胸にはもやもやしたものが生まれてしまっているのだが、社会人としてそれなりに年数を重ねている彼女は、それを顔には出さない。
「まあまあ、お二人とも。それにほら、ニコール様が代行なさっているから、伯爵様も安心して視察に行くことが出来たのですし……」
「くっ、そう言われますと、引き下がらざるを得ないですね……」
色々複雑なのを飲み込んだエイミーが取りなせば、ニコールも大人しく矛を収める。
ちょっとばかり嬉しそうにしているあたり、なんだかんだ彼女も父親であるジョウゼフに頼られたことが嬉しいのだろう。
ちなみに、伯爵夫人であるイザベルは、また別のところに出張中である。
「でもほんと、ニコール様がこうして処理してくださってるから、徴税関係も年内に終わりそうですし」
「そこは、わたくしというよりもエイミーさんの下準備とお父様のおかげだと思うのですが」
ほっと安堵の息を吐くエイミーへと、ニコールは賞賛と労い半々の声を掛ける。
あれこれと考えて行っていたエイミーの事前準備は大半が当たりであり、残りもジョウゼフや執事のエルドバルが微調整を入れる程度で機能した。
そのため、突然降って湧いた治水工事と同時並行でも徴税は順調に進み、ジョウゼフが視察に出ることも可能になった、というわけだ。
本来ならば重要な生産地はジョウゼフの視察が必要なのだが、その代理はイザベルが行っており、それも順調に終わりそうだとの連絡も来ている。
「あはは……大したことはしてないですけど、私もこうしてお役に立てたのなら幸いです」
殊勝な顔でエイミーは言う。
だが。
少しばかり、嘘がある。
彼女は、割とかなりギリギリ限界まで頑張っていた。
ジョウゼフが視察に出ることが出来るように。
補佐官であり資材発注担当も兼ねているエイミーは、当然工事や徴税の進捗状況の全体を把握している。
そして、この工事完成間近のタイミングでジョウゼフが直接視察に行けば、こうしてニコールと机を並べて仕事をすることになることもわかっていた。
だから彼女は、頑張り、それはこうして報われている。あまりにもささやかな形で。
それで彼女が満足しているのならば、他の誰が何かを言うこともないのだが。
「大したことは、で思い出したのですが、マシューさんのあのアイディアも一見大したことはなかったですが、よくよく考えれば理に適ってましたよね」
「そうねぇ、こう言ってはなんだけれど、マシューは比較的現場労働者に近い立ち位置だから」
ベルがぽつりと呟けば、ニコールもうんうんと頷いて見せる。
そう、ジョウゼフが人足達に送った表彰状、あれはマシューのアイディアだったのだ。
子だくさんなスモルパイン男爵家の五男として生まれた彼は、騎士候補としての訓練も受けており、その気になれば騎士爵を受け取ることも可能だったりする。
そんなある種叩き上げと言ってもいい経歴を持つ彼だからこそ、今回の表彰状というアイディアが浮かんだのは間違いない。
「単純に工事貢献者としての表彰で人心を掴む、だけでなく、伯爵様直筆サインが入った、いわば感状としても使える表彰状、ですもんねぇ……」
呆れ半分、感心半分の口調でエイミーが呟く。
感状とは、主に兵士や騎士などが軍事面で上げた功績を、上位者が書状に記したものである。
いわば貴族お墨付きの職務経歴書であり、再就職において絶大な効果を発揮するのは間違いない。
それが、国王陛下の信を受けて急な工事を完遂させたプランテッド伯爵のものとあれば、なおのこと。
ちなみに、言い出しっぺであるマシューが表彰状の文面を版に起こし、更には千枚近くぺったんぺったんと押したのだが……その全てに直筆サインを入れたジョウゼフの方が重労働であったため、あまり顧みられていない。
もちろん、彼のアイディアや献身は評価されてはいるのだけれども。
「あの表彰状さえあれば、以前パシフィカ領で雇われていた人達も次の仕事は見つかりやすいでしょうし……そうでなくとも今回の収入でしばらくは大丈夫でしょうから、一安心ですわね」
我が事のように喜び、ニコニコとしているニコール。
そんな彼女の笑顔を見て、思わずエイミーは、なんならベルまで、頬が緩みそうになってしまう。
付き合いの長いベルは、何とか持ち直したが。
そして、まだプランテッド領に来て数ヶ月のエイミーは。
珍しくニコールの意見に頷かず、思案下な顔で少しばかり眉を寄せた。
「ん~……あれがあれば、次のお仕事を探すのに役立つのは間違いないんですけど……。
使われるかが、疑問ですねぇ」
ぽつりとつぶやくエイミーに、ニコールは不思議そうに小首を傾げ、ベルは小さく頷く。
「あらエイミーさん、役立つのに使われないって、どういうことですの?」
ニコールは問いかける。
それはもう、心底不思議そうな顔で。
ああ、やっぱりわかってない。
エイミーは、そしてベルも、思わず手で額を押さえてしまう。
「……ニコール様、もしも今回働いてくれた人達が、プランテッド領で働かせてくれ、と来たら、どうします?」
「はい? それはもちろん、大歓迎ウェルカムですわよ?」
何を当たり前のことを? と、きょとんとした顔でニコールは返す。
そんな表情もまた可愛い、と思わずエイミーは顔を押さえて色々と耐えることしばし。
「でしたら、恐らく八割から九割は使われないままでしょうね……」
「え、一体どういうことですのそれは。待って、ベルまで一人で納得してないで??」
エイミーの言葉にうんうんと頷くベルを見て、一人よくわかっていないらしいニコールが二人の顔を交互に見やる。
実際の所、家族の都合などがあってどうしてもパシフィカ領へと戻らねばならなかった一割ばかりを除いて、大半の人足達がそのままプランテッド領へと移籍することにはなるのだが、流石のニコールも神ではないのだから、そこまではわからない。
なのに、ベルもエイミーも詳しくは教えないつもりらしい、とあれば、むぅ、と唇を尖らせるくらいしか出来ない。
まあ、そんな表情もそれはそれで、エイミーにもベルにもぐっさりと刺さっているのだが。
「はぁ……教えてくれないのなら、もういいです。
仕事の方も粗方片付きましたし……ベル、戻ってくる人足の皆さんのお迎え準備も出来ているのよね?」
「はい、お嬢様。ベティさんをはじめ、飲食店の皆様が手ぐすね引いて待ってらっしゃいます」
「あらあら、それはそれは……そうね、寒い中頑張ってもらったのだもの、たっぷりの暖かいご馳走でお迎えしないとね」
ベティは言うまでもなく、その他の飲食店もニコールやベルも認める美味い店。
この迎撃態勢であれば、力を出し切ったカシムやダイクン達に報いることが出来るだろう。
「ともあれ、丁度きりもいいところですし、今日はこれまでとしましょう。エイミーさんもお疲れ様でした」
「あ、はい、いえ、ありがとうございます。ニコール様も、領主代行業務お疲れ様でございました」
ニコールの労いに、慌ててエイミーは頭を下げ、言葉を返す。
今日も一日無事に終わった。
明日もそうであればいい、と思いながら顔を上げれば。
「そうだ、エイミーさんもここのところ働きづめでしょう?
気晴らしに、少し街を歩いてらしたら?」
「はい? ……ああ、でも、そうですねぇ……」
言われてなんとなしに外を見れば、低い冬の日差しはまだ赤くなりきっていない。
今からならば、それなりに歩いて多少はあれこれ見てくる時間もあるだろう。
そういえば冬物を買い足したいな、とか、今更ながらに思う。
かつては元手がなかったから考えられなかったこと。
今は時間がなかったので考えられなかったが。こうして時間が出来たのならば。
「では、お言葉に甘えて、お先に失礼いたします」
エイミーは、素直に頭を下げた。
この機会に、ちょっとばかりお洒落をしてみたいな、なんてことを思いながら。




