人は掘。あるいは、人こそが。
カシムの仕切りもあってプランテッド組と旧パシフィカ組の融和は進み、あちこちで活発な指導、いわばOJT的なものも行われるようになって、更にそこへダイクン親方の指導も入ってと、人足達の技術はぐんぐんと向上していった。
褒めるカシムに叱るダイクンと、飴と鞭をバランス良く取り入れているから士気が下がるようなこともない。
結果として、工事はさらに順調に進んでいき。
「野郎共、完成はもう、目と鼻の先だ!!」
「うおぉぉぉぉぉ!!!」
仕事始めの朝礼でカシムが檄を飛ばせば、それに応えて地鳴りのような声が上がる。
見ればプランテッド組はもちろん、ほんの一月余り前は声を張り上げられていなかった旧パシフィカ組も、同じように声を、そして腕を上げていた。
日々寒さが厳しくなっていく中にあっても、彼らはまだまだ意気軒昂。
終わりが見えたとなれば、なおのことだ。
そして、それをさらに後押しする言葉が、カシムから告げられる。
「ってな報告を送ったら、プランテッド伯爵様が検分にいらっしゃることになった!!」
その言葉に、一気に場が静まり返る。
カシムが何を言ったのか、理解出来ない。いや、理解出来たから理解出来ない。
何故プランテッド伯爵が、領地から離れた冬の寒さ厳しい雪国にやってくるというのか。
特に旧パシフィカ組は理解出来ない。
彼らが手がけた現場に、侯爵はもちろん、その代官もろくに来たことはなく、代官のさらに使いの者がざっくりと確認することがほとんどであった。
当然その検分は通り一辺倒のもので、彼らが精魂込めた堤防だなんだは、きちんと評価されたことなどない。
「な、何かの間違いじゃないのか……?」
皆の思いを代表して、最前列にいた旧パシフィカ組の男が呟く。
周囲にいる他の旧パシフィカ組も、プランテッド伯爵であるジョウゼフの人柄を間接的に知っているプランテッド組も、うんうんと頷いてしまっていた。
ある意味当然とも言える反応に、しかしカシムは気を悪くした様子もなく笑って見せる。
「いんや、まったくもって間違いなく、いらっしゃる! お前等考えてみろよ、ニコールお嬢様のお父上だぞ?」
「ああ……なるほど?」
後半の言葉は、プランテッド組に対してのもの。
言われて見れば、とプランテッド組全員が、また揃ったように頷いていた。
「お、おい、ニコールお嬢様ってのは一体……?」
「あ~……まあ、とんでもないお方だよ。ここにいる連中の、大体の奴の恩人じゃねぇかな?」
そんなやり取りがあちこちで繰り広げられ。
それらが一段落ついたところで、改めてカシムは口を開いた。
「伯爵様のご到着予定は明後日! そして、ダイクン親方の見積もりじゃ、完成は四日後!
……お前等、言いたいことはわかるな?」
そう言ってカシムがにやりと笑えば。
一瞬だけ考えた彼らは、楽しげに悪だくみをする子供のような笑みを見せる。
「うぉっし、やってやろうじゃねぇか!! きちんと進んだら、今日明日は全員1位表彰だ!!!」
「うぉぉぉぉぉ!!!」
「やったらぁぁぁぁぁぁ!!!」
特別ボーナス宣言に、全員がそれはもう力一杯腕を突き上げて応じる。
ただでさえ纏まりが高まっていた彼らは、今まさにこの時に、完全に一丸となったのだった。
そんな彼らが余すところなく力を発揮した結果。
「……聞いていた話では、もうちょっとかかるんじゃなかったのかね、親方」
「いやまあ、若い衆が張り切りましてね? その結果がご覧の有様ですよ」
呆れたようなジョウゼフへと応じるダイクンの顔は、実に誇らしげである。
彼の鍛えた若い衆が、彼の予想を超える成果を挙げてくれた。
その結果が……。
「プランテッド伯爵様、こちらの確認は終わりました。……この治水工事、確かに完了しております……」
王家から派遣された監査官が、信じられないものを見たような顔でそう報告する。
何しろ予定の工期三ヶ月の半分……までは行かないが、二ヶ月すら使わずに工事を完了してしまったのだ、信じられないのも無理はない。
そもそも本来彼は、今日は途中経過の確認のつもりだったのだ。
事前にジョウゼフから大体の進行状況は聞いてはいたが、それは王家を安心させるための方便だと思っていたのもある。
そうやっていい顔を見せて誤魔化すのはよくあることだし、パシフィカ侯爵の携わる工事では当たり前のようにあったことだったのだから。
だが、今こうして彼が目にする光景は、どうだ。
「本当に、信じがたいことですが……品質も含めて全く問題ないと、私の名において陛下へとご報告させていただきます」
「ええ、監査業務、お疲れ様です。ああ、予定では数日滞在の予定でしたし、少しゆっくりされていかれては」
「いえ、それには及びません。何なら今すぐにでも帰ってしまいたいくらいですが……流石に、時間も時間ですので、一泊だけはさせていただこうかと」
気遣うジョウゼフに、監査官はキッパリと首を横に振る。
本当に、心から、今すぐ戻って報告をしたい。
この突然降って湧いた工事を、慣れぬ北国の地で、誰もが予想だにしなかった速さで完了させた男達がいるのだと、出来うる限りの速さで伝えねばならぬ。
燃えさかりそうな胸の熱を抑えるだけで一苦労。それだけの高揚感を、監査官は覚えていた。
そんな彼らのやり取りの中、カシムが人足達の前に立った。
ついに、最後の終礼が始まる。
「皆!! ほんっとうにお疲れさんだ!!
今日、国の監査官殿が確認して、工事の完了が認められた!
そして今、ここに、プランテッド伯爵様がいらっしゃる!!
俺達は、やったんだ!!!!」
これまでで一番の声をカシムが張り上げれば、それに応える声もまた、今までで一番。
そして、彼らが見せる笑顔もまた。
その光景に、胸にこみ上げてくるものを感じながら、必死にそれを飲み込み抑え込み、カシムは声を上げる。
「いつもならここで表彰なんだが! 今日は、伯爵様がお言葉をくださるそうだ!!
皆、心して聞け!!!」
意味が浸透するように1秒だけ待ってからのカシムの言葉に、全員の背筋が伸びる。
ニコールはともかく、伯爵家当主であるジョウゼフから直接言葉を掛けられたことがあるものなど、この中にはほとんどいない。
雲の上とも言えるお貴族様からのお言葉に、何を言われるのかと緊張して彼らが居住まいを正す中。
悠然と……人前に立つことに慣れた様子で、ジョウゼフが進み出てきた。
威圧されているわけではない。だというのに、何故か背筋が更に伸びる。
彼は上に立つ存在なのだと、理屈でなく思ってしまう。
だというのに彼は、プランテッド伯爵ジョウゼフは、穏やかな笑みを見せた。
「皆、楽にしてくれ。この突発的な工事を、こんな短期間で終えてくれたことに感謝する。本当にありがとう。そして、ご苦労様」
張り上げるようなカシムの声と違い、ゆったりとした声。
だというのに朗々と、この場に居る全員の耳へと確かにその声は届く。
もう、それだけで涙ぐむ者が何人もいた。
「本当ならば、色々と語るべきことがあるのだろうけど、今この光景を、君達が成し遂げた偉業と言って良い工事を見て、私の乏しい語彙では語るべきことが語れない。
これでも、家庭教師からは文才を褒められたこともあったんだが……あれは、お世辞だったのかもねぇ」
そう言って笑えば、釣られたようにダイクンが、それを皮切りにカシムが、と段々笑いの輪が広がっていく。
それがある程度広がったのを見て取ったジョウゼフは、うん、と満足げに一つ頷いて。
「それだけじゃ流石に情けないのでね、言葉にできない代わりを用意したんだ。ということで……」
ジョウゼフが口にしたのは、かつての10班班長、旧パシフィカ組リーダーの名前だった。
呼ばれた、と理解するのに、たっぷり五秒はかかっただろうか。
周囲から促されて我に返った彼が前に出てくれば、ジョウゼフはとても柔らかな笑みを見せて。
突如、その両手でもって一枚の紙を広げた。
「表彰状! 君は、本当に偉い!!!」
響き渡るジョウゼフの声。
呆気に取られ、班長も他の人足達も、カシムすら言葉を失う。
そんな中、一人平然としているジョウゼフは、さらに言葉を続ける。
「貴殿は、この突発的な工事において、突貫などと言われぬだけの質でもって本工事を完了させるにあたり、多大な功績があった事を工事責任者、ジョウゼフ・フォン・プランテッドがここに認め、表彰する!
君は、本当に、偉い!!!」
言葉を句切り、言い聞かせるように。
そして、その紙……表彰状が、彼の前へと差し出され。
訳もわからぬ彼はそれをおずおずと受け取り、彼の名前やジョウゼフのサインが記されたそれを呆然と見つめていると、突然誰かの手が差し出された。
「本当に、ありがとう。君達がいなければ、この工事はこんなに早く終わらなかった」
それは、握手を求めるジョウゼフの手。
上手く頭が動かない中、それでも半ば反射的に恐る恐る応じようとすれば、がしっとその手を掴まれる。
ぐ、ぐ、と力強く握られて、これが夢でないことを理解した彼は。
どばっと涙を溢れさせた。
「おいおい、気持ちはわかるけどよ、もうちょいがんばれ、な、な?」
そんな彼をカシムが支え、横へとはけさせる。
そう、表彰されるのは彼だけではない。
「本当は皆をきちんと表彰したいんだけど、流石に時間がかかりすぎるからね、後は以下同文とさせてもらうのは勘弁して欲しい。……それでも、称える気持ちは皆一緒だ。
君達は、私の誇りだよ!」
ジョウゼフの言葉に、何が起こっているのかやっと人足達は理解出来て。
これ以上ない程の声を、弾けさせた。




