それは劇的な切り札、なんてものではなく。
「う~っし、今日の作業は終わりだ終わり! 全員手を止めろ~~!!!」
川縁で土に塗れて仕事をしていた男が、終業を告げる鐘の音を聞いて、声を上げる。
いまだ鐘の音が響く中、その音に負けず、彼……カシムの声は何故だかよく通り、聞き逃す者などいない。
全員が手を止め、それぞれに持っていた道具を片付け始める。
秋も深まった時分、日が暮れるのはかなり早くなってきた。
手元が怪しくならないうちに、身体が冷えないうちに、と片付けをする男達はどうにもせわしげだ。
いや、それ以上に急ぐ理由があるのだから、それはもうテキパキと手際よく片付けていく。
やがて全員の片付けが終わった後、作業をしていた男達は1カ所に集まった。
総勢千名にも及ぶ人足が一堂に会するその光景は、圧巻の一言。
その視線に曝されれば並みの人間など足が竦みそうなものだが、彼らの前に立つカシムは平然としたものである。
「皆、お疲れさん! 今日も無事故で怪我人なし、っと何よりなことだ!
そんじゃ、早速今日の表彰にいくぜ!」
カシムが声高に告げれば、どぉっと男達も声を上げる。
しばし叫びたいように叫ばせていたカシムは、落ち着け、と手で合図。
すると、まるでそれを待っていたかのように、するすると声が落ち着いていく。
やがて全員が静かになったところで、カシムは咳払いを一つ。
それからおもむろに、手にした紙を広げた。
「いつものように、皆が片付けてる間にダイクン親方が採点してくださった!
今日の栄えあるトップは……3班だ!!!」
カシムがそう宣言すれば、途端にまた、先程よりも大きな声が上がる。
両手を突き上げて喜んでいるのは、その3班のメンバーだろうか。
更にはその周囲にいる男達も3班の面々の肩や背中をバンバンと叩き、手荒い祝福をしていた。
「いつも通り、トップには小金貨二十枚を進呈! そんでもって2位も発表してくぞ!」
沸き立つ歓声、たまに混じる嫉妬の声。
何しろ小金貨は1枚で日本円にして大体1万円から2万円ほどであり、彼らの日当に等しい。
それが、二十人からなる班に二十枚、一人頭一枚配られたということは、つまり日当が倍になったというわけだから、それは盛り上がろうというもの。
さらに。
「2位の8班には小金貨15枚! 3位は12枚だ!」
と、景気の良いカシムの声が響く。
1位だけでなく、2位から下にも同様の報酬が出ていくのだから、興奮は冷めやらない。
先程彼らが規律正しくテキパキと片付けた理由が、これだ、
早く片付ければ、表彰され、ボーナスが出るこの瞬間に早く立ち会える。
そしてもらうものをもらったら後はお楽しみの時間となるのだから、下手にちんたら片付けでもしようものなら、周囲からドヤされることすらあるくらいだ。
動機は多少不純ではあれど、それもあって彼らの規律は実に高いレベルで保たれていた。
そうやって盛り上がっていた表彰だったのだが。
「そんで、技術賞は今日も10班! 速さはちょいとあれだが、流石としか言い様のない丁寧さだったぜ!
技術賞は、小金貨15枚な!」
カシムがそう告げれば、10班の面々は若干気まずそうな顔で小金貨を受け取る。
彼らの表情に浮かぶのは、困惑や戸惑い。そして、少しばかりの喜び。
明らかに、今まで表彰された男達と反応が違っていた。
同様の反応は、この場に居るおよそ半数からも見て取れる。
それもそのはず、彼らはプランテッド領から派遣された人足ではない。
元々パシフィカ侯爵の商会によって雇われ、彼の失脚により解雇され、プランテッド伯爵家により再雇用された人足達なのである。
そして、これこそがニコールの示した勝算だった。
つまり、別に絶対プランテッド領で人員を集め、連れていかねばならない、わけではなかったのである。
当たり前と言えば当たり前だが、工事をしていたのだから、それに従事する人足も最低限進めることが出来る程度には雇われていた。
彼らはパシフィカ侯爵とその商会の失態により不要となったわけだが、ニコールの読み通り、再就職先の斡旋も何もなく、見捨てられるように解雇。
路頭に迷いかけていたところでプランテッド伯爵家に再雇用され、今に至るのである。
明日の食事にも事欠きかねない状況だったのが、日当だけでも相場よりは良く、更に毎日がプチボーナスデー。
地獄から天国に来たかのような状況の変化に、彼らはいまだに慣れないでいた。
だが、そんな彼らを、容赦なくカシムは巻き込んでいく。
「よぉっし、全員もらうもんはもらったな!?
そんじゃ今日はこれで業務終了、お疲れさん!! ってことで、ぶわっと繰り出そうぜ、ぶわっと!!」
「おお~~~!!!」
締めに入ったカシムが拳を突き上げれば、それに乗ってプランテッド領から来た人足達も拳と声を上げる。
それにつられたか、元パシフィカ組も控えめながらも手を挙げていた。
「おいおいなんだよ、しけた顔すんなって。楽しく飲んで、また明日も楽しくお仕事にいそしみましょうってな!」
「あ、お、おう……?」
表彰した10班の班長にカシムが絡めば、班長は戸惑った声しか返せない。
何しろ彼らは、工事を遅延させカシム達がここに来なければならなくなった元凶、と言われても否定が出来ない立場なのだから。
だというのに、カシム達はそんなことをまるで気にした様子もなく、現場仲間として普通に接してくる。
「明日は久々の休みだし、今日はとことんいこうぜ、とことん!
ああそうだ、休み明けからは班替えすっか。他の班に入ってもらって、あんたらの技術を教えてもらいたいしよ!」
「そりゃ構わんが……俺等でいいのか?」
「何言ってんだ、良いも悪いもあんたらの方が先輩だろ? だったら大人しく頭を下げて教えを請うのは当然さ。
ああいや、俺みたいなのが頭を下げても気持ち悪いかも知れないけどよ!」
「確かに気持ち悪いぞカシム!」
「うっせぇわ、俺が一番わかってるっての!」
班長と話していたところに横から茶々が入るが、その声も返すカシムも、底抜けに明るい。
釣られて、班長まで思わず笑ってしまう程に。
「まあ細かい話は後だ後! 今日はとことんいこうぜ、みんな!」
カシムが声を掛ければ、また声が上がる。
……先程よりも大きな声だったのは……もしかしたら、旧パシフィカ組の声が少しばかり大きくなったから、かも知れない。
そんな光景を少し離れたところで見ていたダイクンは、神妙な顔つきをしていた。
改めて、今日築かれた堤防を眺める。
その造りは彼の目にも充分合格点をやれるもの。
それだけであれば、彼とてこんな顔はしていない。
ゆっくりと視線を動かせば、長く連なる堤防。
その長さは、計画の倍近いものになっていた。
「ほんっとに、何て奴だ、カシムの野郎……」
思わず、そうぼやく。
ここまで早く進んでいるのは、カシムが提案した手法によるものが大きいとダイクンは感じていた。
その手法とは、人足達を20人ずつの班に分け、競争させる、というもの。
1位となれば日当が倍になる。おまけにそれは、皆が集まった前で表彰され、手渡される。
物欲と誇りを同時に刺激され、人足達はこれ以上ない程高い意欲でもって作業に従事していた。
その結果が、この進行速度である。
ついでに言えば、飲みに繰り出す近隣の村や町で迷惑行為をしたら罰金となるため酔って暴れる者もなく、気持ちよく金を使う連中として歓迎され、待遇も微妙によくなっていた。
気持ちよく飲み食いして、気持ちよく寝て、翌日は張り切って働く。
そんな好循環が、今この現場では生まれていた。
どうやってこんなことを考えついた、と聞けば『いや、ニコールお嬢様の真似みたいなもんですよ』とカシムは恥ずかしそうに言っていたが。
実際に、ニコール流のそれを感じるのも感じるが。
それでも、実際にここまで人々を動かしているのは、カシム自身の力量が大きいところ。
「お嬢様……こいつはとんでもない掘り出し物かも知れませんぜ……」
遠く離れたプランテッド領に居るニコールへと、届くわけもない呟きをダイクンは零す。
彼自身も一流の親方だが、どちらかと言えば職人であり、自分で何かをする方が得意だという自覚はある。
その彼の目からして、カシムのあの統率力は何にも代えがたい宝に思えた。
「こりゃ、ますます隠居が遠のいちまったなぁ」
ぼやきながら、町へと繰り出す連中の後を追うように歩いて行く。
彼の持つ知識、技術の全てをカシム達に叩き込まねばならぬ。
そう心に誓いながら。




