備えあれば。
「ということなんだが、……どう見るかね、親方」
会議後、各種資料を抱えて自領へと戻ってきたジョウゼフは、早速ダイクンを執務室に呼んで相談していた。
渡された工事計画書などに目を通していたダイクンは、呼びかけられたのもあって顔を上げ。
「話を伺って、どんだけとんでもない案件なのかと身構えてましたがね。
こんだけしっかりとした計画書に図面がありゃぁ、三ヶ月もかからねぇくらいですなぁ」
あっさりと、そう言い切る。
それに対して、ジョウゼフも驚いた様子もなく頷いて返した。
「……やっぱりそう思うかね? 何しろ素人の私でさえ、こんな長い工期がいるか? と疑問に思ったくらいだったからねぇ」
「いや、伯爵様が素人ってなぁ、ちょいと同意しかねますがね?
ともあれ、これなら問題はねぇですな。……計画自体には」
ダイクンの言葉に、ジョウゼフも悩ましげに眉を寄せ息を吐き出す。
そう、計画自体には全く問題はなく、図面だなんだ各種資料も、流石に長く土木工事に携わっていた人間が用意しただけのものはあった。
ただ、問題なのが。
「人足と資材が充分にあれば、ということだよね?」
「ええ、おっしゃる通りで。こればっかりはあっしにはどうにも」
そう言いながらダイクンは視線を移す。
その先に佇むのは、補佐官としてこの場に同席しているエイミーだった。
視線を受けて、エイミーはこくんと一つ頷いて見せる。
「資材に関しては、何とかできる、かも知れません。
実はこちらに来てから、挨拶もろくに出来ていなかったので、前の職場の取引先にお詫びの手紙を出したのですが、そこから細々とやり取りが続いていまして……」
「なるほど、そちらから資材の調達が出来るかも知れない、ということだね。流石だよエイミーくん」
「そんな、とんでもないです!」
ジョウゼフの賞賛にエイミーは恐縮するが、実際の所これは大きかった。
現代日本においても、「どんな取引か」よりも「誰との取引か」を重視する企業はそれなりに存在する。
信頼している相手からであれば、同条件どころか競合相手がより良い条件で持ってきたとしても撥ね除け、馴染みの方を優先するのだ。
これがまた、アフターフォローまで含めて考えればその方が良い、ということも往々にしてある。
だから、論理的に考えられず情に流された結果、と断じることも出来なかったりするのだ。
そしてこの国では更にその傾向が強く、おまけに事前連絡や根回し、配送指示から納入後に至るまで細やかに対応していたエイミーが相手とくれば、なおのこと。
仕入れ先が、長年の付き合いがあったパシフィカ侯爵領の商会ではなく、長年窓口として付き合いがあったエイミーを優先することは充分に考えられる。
であれば、後は資金さえあれば資材の目処は立つだろう。
「予備費もあるし、陛下も無理を言っているからと臨時予算を組んでくださるそうだから、資金の問題も恐らく大丈夫。そうなると、だ」
「後は頭数、ということですなぁ……」
ダイクンの相づちに、ジョウゼフはゆっくりと頷く。
確かに今、プランテッド領は人が流れ込んで来ており、人足の数も他の領に比べれば多い。
また、その質も士気も高い、のだが。
それでも流石に、新たに舞い込んだ大規模な土木工事への対応となると、充分に足りているとは言いがたい。
「今、建設現場などで優先順位をつけて、工期を延ばしてもいいところから人員を出せないか算出しています。
それでも充分な数が集まるかは不透明で……」
「エイミーの嬢ちゃん、悪いが何とか頼むよ。数さえ揃えりゃ、後は何とかする。
カシム達が育ってきてるから、現場の仕切りは問題なく回せるはずだからよ」
既に手を打っていたエイミーへと、ダイクンは頭を下げた。
娘か孫かという歳の彼女へと、まるで頓着することもなく頭を下げるその姿に『ここは上から下までこうなの!?』と内心で慌てながらも、エイミーは静かに頷いて返す。
「ええ、なんとかギリギリ出せるところまで出してもらえるよう、交渉してみます」
「もしゴネるとこがあったら言ってくんな、俺が頭の一つや二つ下げりゃ、大体の現場は言うこと聞くだろうからさ」
「はい、って、ええええ!? ちょっ、親方にそんなことまでさせられませんよ!?」
頷きかけて、エイミーは慌てて手を振りながら言葉を打ち消す。
それこそ様々な現場に顔が利くような親方に、頭を下げて回らせるなど恐れ多いというか何と言うか。
慌てふためくエイミーの横で、ジョウゼフが同意するように頷く。
「そうだよ親方、あなたがそこまでする必要はない」
「そ、そうですよね、伯爵様……」
「頭を下げるのは私の仕事だしね」
「そっちなんですか!?」
安心しかけたのもつかの間、さらなる爆弾発言にエイミーは声を上げずにいられない。
何しろこのプランテッド領を治める、言わば最高権力者。
その彼が頭を下げて回るなどとんでもないことである。
だが、ジョウゼフはいつもの穏やかな笑みを見せて。
「そりゃそうだよ、親方が頭を下げてももちろん効果は絶大だろうけど……私が頭を下げて、言うことを聞かない人はこの領内にいないだろう?」
「結構腹黒い計算してた!? いや確かに断れる人はいないでしょうけども!? でもやっぱり色々問題かと!」
思わぬ発言に、最早エイミーの声は悲鳴染みていた。
穏やかな顔でなんてことを。それともこれこそがプランテッド家の人間、というものなのだろうか。
混乱するエイミーの耳へと、まさにその、プランテッド家というものを体現している人間の声が響いた。
「確かにお父様が頭を下げれば言うことを聞く者が大半でしょうけども。流石にそれは最終手段、最後の切り札とすべきではないでしょうか」
口を挟んだのは、誰あろう、ニコール・フォン・プランテッド。
プランテッド伯爵であるジョウゼフの愛娘にして、この領内で様々な人材を発掘・獲得してきた少女である。
それだけの実績がある彼女へと……しかし、ジョウゼフが向ける視線は、やや懐疑的だった。
「確かに最終手段、下手に使えば民衆の心が離れる切り札ではあるけども。だからこそ今切るべきじゃないかい?」
いきなり予定を変更しての徴用、更に離れた領への派遣となれば徴用される側の反発は必至。
その矢面に、いかに人心掌握に長けていようとも、流石にニコールを立たせるわけにはいかない。
そう心配する親心を、子供であるニコールは知ってか知らずか、平気な顔でニコニコしている。
「大丈夫です、まだ、今は切らなくても大丈夫です。恐らく何とかなりますから!」
恐らく、などと言いながら、妙に自信たっぷりにきっぱりと。
それを受けたダイクンなどは納得したようにうんうんと頷き、エイミーは頬が赤くなりかけたのに気付いてパタパタと手で顔を扇ぐ。
ただ、流石に父親であるジョウゼフは耐性があり、それだけでは納得してくれないようだ。
「ニコール、君の人材発掘能力は私ももちろん認めているのだけれど、流石に今回は、恐らくで進めるわけにはいかない話なのだから、せめて何か根拠が欲しいな」
何しろニコールのそれは、悪く言えば運頼み。
その豪運で人材を一人一人と引き当てるため質は高いが、彼女一人で探してくるのだから数はどうしても限界がある。
そして、今回必要なのは、質よりも数。
であれば、ニコールには不向き、かと思われたのだが。
「ご安心くださいお父様、わたくし、今回ばかりは勝算がございますから!」
堂々と胸を張って宣言するニコール。
……今まで本当に勝算なしで渡り歩いてきたのか、などとエイミーは思ったりしつつ。
ニコールの説明を聞く内に、これなら行けるかも知れない、とその場に居た全員が考えを改めた。
「なるほど、それならば確かに何とかなるかも知れないね。……よし、ならば、それでいこう。皆、いいね?」
「ええ、ようござんす」
「はい、よろしいかと!」
ジョウゼフの問いに、ダイクンもエイミーも即座に応じる。
こうして、プランテッド家によるヌーガットゥ地方の治水工事が幕を開けたのだった。




