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過去の清算。

「ツケを払いに来ましたわ、ベティおばさまっ!」


 伯爵令嬢としてかなり情けないことを、堂々と言いながら食堂へと入ってくるニコール。

 だが、彼女へと向けられる視線はどれも温かい。

 果たしてそれがいいことなのかどうなのかはわからないが。


「おやおや、これはこれは、毎度と言うか何と言うか……ともあれ、確かに受け取りましたよ」


 奥から出てきたベティはニコールが差し出した革袋を受け取り、中身を確認する。

 ざっと見た程度の確認の仕方だが、いつもニコールはきちんと払ってくるので、その辺りの心配はしていない。

 ……まあ、こうも毎度ツケの払いをしにくることにお互い慣れてしまっているのは、それはそれでどうなんだろうと思わなくもないが。


「で、ついでに食べていかれるんです?」

「そうしたいのは山々なのですが、この後他にも払いにいかないといけないところがありまして」


 ベティに問われ、しかしニコールは残念そうにお断りする。

 一緒についてきていたエイミーなどはぎょっとするが、ベティやベルは驚いた風もない。

 いや、ベルは目を伏せながら小さく溜息などついているが。

 複数箇所でツケ払いをしている伯爵令嬢。

 もうこの一ヶ月で何度思ったかわからないのだが、大丈夫なのだろうか。

 実際に何とかなっているようではあるのだが。


 と、二人のやりとりを聞いてエイミーがもやもやしていると、横合いから声が掛かった。


「これはこれは、ニコールお嬢様じゃないですか!」

「あら、カシムに皆さんも。今日はいつもより早いのですね?」


 振り返ったニコールが見たのは、かつてダイクンに紹介した難民達。

 全員が日焼けの色を濃くしており、その表情は一様に明るかった。


「ええ、なんせ今日は給料日で、ダイクン親方も気を利かせて早上がりをさせてくれたもんで!

 どうですかお嬢様、折角なんでちょっといっぱいだけ!」

「あらまあ、仕方ないですわねぇ、これでお断りするのも申し訳ないですし、ちょっといっぱいくらいなら……いいわよね、ベル?」


 先程までしていた残念そうな顔が、少しばかり緩んでいる。

 そんなニコールの上目遣いでおねだりしてくる顔を見て。

 カシムをはじめとする難民達の、期待に満ちた顔を見て。


「……ちょっとだけなら、仕方ないかと」


 ベルは溜息と共にこくりと首を縦に振った。




 

 そして、ベルの懸念通り、もちろんちょっとでは終わらなかった。

 二杯三杯といきそうになったところで流石にレフェリーストップならぬメイドストップ。

 引きずるようにしながら他に払いがある店へと連れて行き……そこでもやはり同じように店の客に絡まれて、また『ちょっといっぱい』と誘われて。

 何度か繰り返して、ようやっと最後の店の払いが終わったところで、すっかり夜も深まってしまっていた。


「これでや~っと心置きなくゆっくり飲めますわ!」

「いえ、だめですよ? 流石にいくらなんでも遅すぎます」


 達成感を滲ませたニコールの声を、ベルが容赦なくずっぱりと断ち切る。

 ちなみに、遠慮してチビチビと舐めるようにしか飲んでなかったエイミーと違い、ニコールはそれなりに飲んでいたはずだが、顔が少々赤くなっているだけで全く普段と変わりが無い。


「え~、ちょっとくらいいいじゃないの~」

「その、ちょっとくらい、が積もり積もってこうなったわけですから。だめです」


 何しろあっちこっちでちょっとずつお付き合いをしてきたのだ、仮に1時間だけだったとしても繰り返せば数時間。

 それはもう、いい時間になろうというもの。

 しかし、その最大の原因であるニコールはまだ納得し切れていないようだ。


「でもでも、折角明日は、エイミーさんもお休みにしてもらってるのよ?」

「え、まさかこのためにお休みになってたんですか!?」


 この国では、まだまだ週休という概念が浸透していない。

 それでもどうやら休みの日というものが、労働効率においても重要らしい、ということは認識され始めていた。

 そのため雇用主は、労働者の疲労具合や都合などを鑑みて休みを出すのが通例である。

 ちなみに、エイミーは前の職場で休みを出された記憶は全く無く、疲れが限界を迎えそうな時に自分から申し出て『休ませてもらっていた』のだが。

 どうもそれは今のこの国ではおかしいことらしい、とプランテッド領で働くようになって初めて知った時には、また膝から崩れ落ちそうになったものである。


「と言いましても、もちろんわたくしの独断ではなく、雇用主であるお父様にお願いして許可をいただいて、と手順はきちんと踏んでおりますわ! ……でないと、ベルに怒られますしね!」

「あ、はい、なるほど……?」


 どう返事をしたものか迷ったエイミーは、曖昧に頷いておくにとどめておいた。

 一ヶ月ほど経つが、未だにこの主従の力関係がわからない。

 普段はニコールに押し切られることが多いベルだが、今のように止める時はきっぱり止める。

 そして、その時ばかりはニコールも、文句は言いながらも従うことが多い。

 あるいは、二人だけがわかる呼吸のようなものがあるのだろうか。

 ……そう思うと、若干胸がもやりともしてしまう。


「あ、あの、でしたら。……でしたら、もしニコール様とベルさんさえよければ、ですけれども。

 私がお借りしている部屋で、というのはいかがですか?」


 だからだろうか。今までのエイミーであれば考えることもしなかった言葉が、不意に飛び出した。


 それを聞いて、思わずニコールとベルは顔を見合わせる。

 実は、エイミーが言う『お借りしている部屋』とは、プランテッド邸の客室。

 何しろエイミーの仕事はジョウゼフの補佐官。

 時に朝早く、あるいは夜遅くに仕事があるケースも少なくないとあって、彼女が住み込み状態で働くことには多大なメリットがあり、そのため未だ客室に居候している状態である。

 エイミーとしては、申し訳なさがどうしてもあるため、早く出て行きたいのだが……この一ヶ月ほどは中々まとまった時間もなく、住み心地もよく、働くに都合がいいとあって、中々腰が上げられていなかったのだ。


 しかし、申し訳無くはあるのだが、今日ばかりは都合がいい。


「なるほど、それならばお屋敷に帰ってはいますから、私としても文句がつけにくいですね……。

 エイミーさんが明日お休み、ということであればご迷惑もそこまでおかけしませんし」


 お目付役のベルも、納得したように頷く。

 貴族のお嬢様の振るまいとしてどうか、という疑念はあるが、それを今更ニコールに言ったところで仕方もあるまい。

 

「でしたら時間を気にすることなく、ベルも一緒に飲めますものね!」

「それは……まあ、その条件で、お嬢様とエイミーさんのお誘いとなれば、断れませんけども」


 にっこりとした笑顔を向けられ、ベルは少し困ったように眉を寄せた。

 ただ、本当に困っているわけではない、どうやら嬉しいのをかみ殺しているようだ、というのは付き合いが短いエイミーでもわかるくらい。

 まあ、これだけニコールが楽しそうに飲んでいるところを見せられてきたのだ、彼女自身の食欲が大いに刺激されていたとしても仕方のないところである。


「そうと決まれば! おやじさん、持ち帰りを色々お願いいたしますわ!」

「へい、かしこまりぃっ!」


 ニコールのオーダーに、店の親父が持ち帰りしやすいつまみの類いをあれこれと、ワインの瓶を数本用意していく。

 当然それは、中々の荷物になるわけで。


「カモン、マシュー!」

「はい、お嬢様」


 ニコールが指をパチンと鳴らせば、やはり即座に、バーンと扉を開いてマシューが入ってくる。

 夜だというのに疲れた顔一つせず、頭を下げるその仕草も流麗そのもの。


 ただ、その彼に下されるニコールの指示は鬼畜そのものだが。


「この荷物を馬車に積んでちょうだいな。あ、これからエイミーさんのお部屋で飲みますけど、マシューは参加禁止ですからね?」

「んもうっ、だめとわかっちゃいますけどもっ! ひどい、ひどすぎるっ!」


 わかっちゃいるけど、クネクネと身もだえしてしまうマシュー。

 未婚女性三人が部屋飲みをする場に、未婚男性である彼が同席など許されるわけがない。

 それは当然だけれども。

 それでも、酷いと嘆くくらいの権利は彼にもあるだろう。

 

「はいはい、わたくし達をお家に運んだら、今日はもうお仕事終わりですからね、終わったらこれで飲んでらっしゃいな」


 そう言ってマシューの手に小金貨を握らせるニコール。

 ちなみに、日本円にして大体1万円から2万円ほどの価値である。


「お、お嬢様……」

「ですから、荷物をお願いね?」

「はいっ、ガッテン承知っ!」


 思わず涙ぐみそうになるマシューへと、とどめににっこりと笑いかけるニコール。

 それはもう良い笑顔で荷物を馬車へと運ぶマシューを見ながら、エイミーは心の中で呟く。


 ちょろいな、マシューさん。


 若干心配になりながらも、力仕事は得意でない彼女には、見送ることしか出来なかった。

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― 新着の感想 ―
[一言] ツケというより 掛け売りという気がします。
[良い点] そもそもツケというシステムが「借金」として扱われるようになったのって割と近代で、本来はある種の信用関係の構築に一役買ってたそうですからね…古きよき絆の形!流石に複数あるのはちょっと心配にな…
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