埋めがたいギャップ。
たったの一週間でエイミーの潔白や身元が確認できたのは、ある意味幸運ではあったのだろう。
その一週間は職場に慣れてもらうためのお試し期間として使い、エルドバルから大丈夫との報告がもたらされた後は、全力で働いてもらうことが出来たのだから。
これで調査に一ヶ月でも掛かってしまっていれば、3週間もお試し程度の仕事しか振れないところだった。
そしてそれは、恐らく大いなる損失となっただろう。主にジョウゼフの体調管理の面で。
「いやぁ、今日もまた夕方で仕事が終われたねぇ……ありがたいことだよ」
そう言いながら、ジョウゼフは執務室の机についたまま、う~んと言わんばかりに大きく伸びをした。
その顔色は、以前のような疲労感が溜まったものではなくなっている。
「それもこれもエイミーくんのおかげだねぇ」
「いえ、そんな……少しでもお役に立てているならば幸いです」
ジョウゼフがそう話を振れば、書類などをまとめていたエイミーが照れたような笑みを見せた。
彼女が採用されてから、一ヶ月。
そのたった一ヶ月で、ジョウゼフの執務負担は大幅に軽減されていた。
上がって来た報告だなんだの書類をエイミーがチェック、優先度ごとに振り分ける。
優先度の高いものからジョウゼフが片付けている間に、その他の案件処理に必要な情報の下調べ、間違いのチェックや内容の要約などをエイミーがしていく。
これだけといえばこれだけなのだが、その正確さと速さ、必要な情報の用意が人並み外れており、雑事から解放された結果としてジョウゼフは今までに無いパフォーマンスを発揮できていた。
おかげでこの2週間ばかりは根を詰めて仕事をする必要もなくなり、家族一緒の夕食を楽しみ、夜もゆっくりと寝ることが出来ている。
以前は疲労感に満ちていた顔もすっかり元気になり、なんなら5歳ばかり若返ったようにすら見えるくらいだ。
「少しでも、だなんてとんでもない。本当にとても助かっているよ、ありがとう」
「えっ、あの、伯爵様、そんな、頭をお上げください!?」
伯爵であるジョウゼフが、男爵家の娘でしかないエイミーに頭を下げたのを見て、エイミーは大いに慌ててしまう。
貴族であっても下の者に礼を言うことはあるが、頭を下げることはほとんどない。
それはとても希有で、場合によっては奇特で、誰かに見られでもしたら、あらぬ噂を立てられることすらありえるもの。
だというのにジョウゼフも、そしてニコールも、割と平気かつカジュアルに頭を下げるのだから、貴族としての習慣がある程度まだ残っているエイミーには、何とも心臓に悪い。
もっとも、敵対する貴族のスパイに見られることは多分ないのではないか、とエイミーは思い始めていたりもするのだが。
どう考えても普通のメイドとは思えないベルは、当然知覚能力も高いためニコールの身辺に不審者を寄せ付けることがない。
マシューもああ見えて周囲をよく見ており、ニコールの馬車は色々な意味で安全性を保たれている。
そしてもう一人。
エイミーの脳裏に、庭師のワンが楽しそうに『ワンさん虫退治得意よ~』と笑っていたところが浮かんだ。
彼の言う虫退治は、庭師としてのそれとはまた別にあるのではないだろうか。
そんな荒唐無稽なことを考えるくらいに、庭師のワン・チャンヤンはつかみ所の無い人物である。
混乱の余りあれこれとエイミーが考えてしまっていた間に、ジョウゼフは気が済んだのか顔を上げていた。
「いやまあ、本当に私の頭一つですむならいくらでも下げるくらいに感謝しているんだがね。
まあ君の性格だとこれ以上は重圧になってしまうか。
そうなると、私としてはもう、給料で報いるしかないんだけどね」
「はい? お給料、ですか? ……あ、そういうえば今日は……」
ジョウゼフの言葉に、エイミーははたと気がつく。
彼女が働き始めてから、約一ヶ月。今日は彼女の初給料日だったのだ。
「うん、この一ヶ月お疲れ様。充分とは言えないかも知れないけれど、君の働きぶりを出来る限り評価したつもりだよ」
そう言いながら、ジョウゼフが机の引き出しから取り出した革袋をエイミーへと差し出す。
一瞬恥じらうようにためらったエイミーだが、やはり受け取らないわけにはいかない。
そっと両手を差し出して、給料の入った革袋を受け取った。
「あ、ありがとうございます、そんな風にお考えいただけるだけで……って、重っ!? え、これ重っ!?」
殊勝な態度で受け取ったエイミーだが、両手にそのずっしりとした重みを感じて、狼狽えた声を上げてしまう。
何かの間違いではないかと慌てて中身を確認すれば、ぎっしりと入った小金貨。
「君の働きぶりを評価して、一般的な相場の3倍を出させてもらったよ」
「これ、前のお給料の5倍はありますよ!?」
慌てている様子を見て説明が必要と思ったジョウゼフの声とエイミーの声が被る。
え。とお互いに顔を見合わせて。
「エイミーくん、君、そんな安い給料で働かされてたの?」
「こちらではそんなにもらえてるんですか!?」
また、ハモった。
そしてまた互いに顔を見合わせる。
ジョウゼフの顔にはこれ以上無い哀れみが浮かんでおり、エイミーの顔は驚愕のまま固まっている。
同じ金額が、プランテッド領の給料では3倍、エイミーのかつての給料の5倍。
つまりエイミーは、このプランテッド領の一般的な給料の、五分の三しかもらえていなかったことになる。
それは生きていくのにいっぱいいっぱいで、新しい服だなんだが買えるわけもなかったわけだ。
「あは、あははは……」
そう思い至れば、呆然とした顔で虚ろな笑い声を響かせてもしまうだろう。
これはまずい、なんとかしなければ、とジョウゼフが思ったその時だった。
コンコン、と執務室の扉がノックされ。
「エイミーさんの給料日と聞いてやって参りました!」
バーンと扉を開いて、ニコールがずずいと入ってくる。
その勢いに思わずエイミーは我に返ってニコールの方を見た。
そしてジョウゼフは、エイミーが正気を取り戻したらしいと見て安堵に胸をなで下ろす。
流石のタイミングの良さ、と思いつつも顔には出さず、ニコールへと顔を向け。
「こらこらニコール、まだ部屋に入る許可は出してなかったよ?」
「申し訳ございませんお父様、ついつい居ても立っても居られず……失礼致しました」
窘められて、頭を下げるニコールの仕草は優美なもの。
お嬢様技能の無駄遣い、という言葉がエイミーの脳裏に浮かぶが、もちろんそれを口にすることはない。
気安く接してはもらっているが、越えてはいけないラインがあるのだ、と生真面目な彼女は自分を律しているのだ。
まあ、そんなエイミーの思いを知ってか知らずか、ニコールはずかずかと踏み込んでくるのだが。
「さあエイミーさん、記念すべきプランテッド領での初給料です、今日はぶわ~っと参りましょう、ぶわ~っと!」
「あ、え、いえ、その、確かにぶわ~っとはいけるだけいただいたのですけど……えっと……これ、何かの間違いでは……?」
そう言いながらエイミーが両手で持った革袋をおずおずと見せれば、ニコールはしばしそれを見つめ。
それから、ジョウゼフへと向き直る。
「お父様、もう少し出すべきでは?」
「はい?」
「うん、出したかったんだけど、ちょっとやりくり出来なくてね。来月にはもうちょっと出せる目処が立ったんだけど」
「はいいぃぃぃぃ!?」
突然始まった理解出来ないやりとりに、エイミーは溜まらず悲鳴を上げた。
だが、ニコールにもジョウゼフにも、揶揄っているような様子はない。
「あ、あのっ! こ、これでももらいすぎだと思うのですけどもっ、こ、これ以上ですか!?」
「あら、もらい過ぎだなんてとんでもない。エイミーさんの働きぶりはまさに百人力、あるいは一騎当千。
その貢献度は計り知れません!」
悲鳴のようなエイミーの声に、答えるニコールは実に快活そのもの。
そして困ったことに、最高責任者であるジョウゼフまでもがうんうんと頷いている。
「まあ百人は言い過ぎにしても、間違いなく三人分以上、あるいはもっと、と評価しているよ。
だから、三人分しか出せないのが申し訳無くてねぇ」
「多分『しか』の使い方が間違ってると思われます!?」
前の職場との、天と地ほども違う待遇に、エイミーは大混乱。
だがしかし、実際にそれくらい助かっているのだ、ジョウゼフは。
まあ、家族との時間を多く取れるようになったお礼、もあるかも知れないが。
「まあ確かに、急に捻出するのが難しいのもわかりますし……こうなったら、憂さ晴らしに飲んでいただくしかありませんね!」
「晴らすような憂いがないんですけども!?」
がしっと腕を掴まれ、エイミーはぶんぶんと首を振る。
そして、ニコールの傍に控えるベルへと視線で助けを求めるが。
残念そうに、力無くその首は横に振られた。
「さあさあ行きましょう飲みましょう! ぶわ~っと、ぶわ~っと!」
「ひぃぃぃぃぃ!!」
エイミーの悲鳴が虚しく響く。
そしてそのまま、エイミーは夜の街へと連行されたのだった。




