親の目。
「はい、採用」
「えええええ!?」
プランテッド伯爵邸執務室。
執務机で穏やかに微笑む当主のジョウゼフがあっさりと言えば、その対面に立つエイミーの悲鳴が響く。
あれから薬湯のおかげで二日酔いが収まったエイミーは、遅めの朝食をいただき、お風呂も使わせてもらって身だしなみを整え、旅行鞄から出来るだけ上等な服を引っ張り出して着替えていた。
朝食をニコールと摂ることになって恐縮しきり、お風呂などとんでもないと遠慮しようとしたのだが、伯爵のような身分の高い人間に会うのだからと説得されて、それ以上抵抗できずに、今に至る。
ここまでトントン拍子に思いも寄らなかった扱いを受けて困惑と恐縮の極地にあったエイミーが、とどめとばかりにジョウゼフから会うなり採用を告げられたのだから、悲鳴を上げるのも無理はない。
「流石お父様、人を見る目がございますわね!」
混乱しているのはエイミーばかりで、ニコールなどさも当然とばかりにご満悦。
その後ろに控えるベルも、表情は動いていないが異論はないらしい。
「いやいやいや、お待ちください伯爵様! そんな軽々にお決めになって良いことではないかと!
何と言いますか、聞き取りですとか試験ですとか、そういったものが必要なのでは!」
「珍しいねぇ、就職先を探してるのに、採用に待ったをかけるだなんて。
だがまあ、君が言うことももっともだ。ではいくつか質問をさせてもらおうかな」
慌てふためくエイミーへと、ジョウゼフは鷹揚に頷いて見せた。
ゆったりとした動きで椅子に座り直すと、ジョウゼフはエイミーへ視線をひたりと定める。
途端に圧力のようなものを感じたエイミーは、自分を落ち着かせる意味もあって、居住まいを正した。
「ニコールの話によると、君は以前というかつい先日まで、パシフィカ侯爵領の商会に勤めていたそうだね?」
「は、はい、侯爵様が携わっておられる公共事業で使われる資材を扱っている商会でして」
「なるほど、侯爵閣下はこのクリィヌック王国における公共事業の過半数を扱っておられるからね、仕事量も多かったんじゃないかい?」
「ええ、それはもう……大変でした」
若干遠い目になったエイミーが具体的な業務内容を告げれば、ジョウゼフの眉が少しばかり寄って、またすぐに離れて穏やかな表情に戻る。
それから、執務机の上にある書類に手を伸ばし、それをエイミーに向けて差し出した。
「そんな経歴がある君なら、この書類は読めるかな? 後、問題があるなら指摘して欲しいのだけれど。
ああ、これは部外者が読んでも問題無いものだから、気にしなくていいよ」
「え、あ、はい、それでは失礼しまして……」
書類を両手で受け取ると、エイミーはそれに目を走らせていく。
一枚、二枚、と手早くめくり、あっという間に最後までめくったと思えば、また最初に戻り。
二回書類をめくったところで、顔を上げた。
「ここの部分の計算がおかしいかと。単価が、こことここで食い違っていますので、どちらかが間違っているのではと思われます。
それから、ここの処理が法で定められたものと違っています。確かに誤解されやすい内容の法律ではあるのですが……」
「ふむ、なるほど。それは確認しておかないとだね。
ならこちらはどうだい?」
エイミーの指摘に、ジョウゼフは納得した顔で頷いて。
それから、新たな書類を差し出した。
同じようにエイミーは目を通して、指摘して。
それを数回繰り返したところで、ジョウゼフはうん、と一つ頷いた。
「うん、やっぱり採用で」
「あ、ありがとうございます! ……でも、よろしいのですか? こう、時間を掛けてじっくり吟味とかされた方が……」
「考えるまでもない、ということだよ。むしろ明日からでも働いてもらわなければ、我が領にとって損失ですらある」
喜びの顔で頭を下げた後、おずおずと伺うように顔を上げるエイミー。
そんな彼女へと、ジョウゼフはあっさりと、気取らない笑みを見せる
どこかその表情はニコールを思わせ、やっぱり親子なのだと場違いなことが頭をよぎった。
「あの、私は明日からでも働けます!」
「その気持ちはありがたいね。私の補佐官をやってもらうつもりだけど、何しろ仕事が山積みでねぇ」
ジョウゼフの言葉に、勢い込んでいたエイミーがぴたりと止まる。
貴族家の補佐官とは、当主のスケジュール管理に加え各執務の補助、なんなら代行まですることがある多忙な職務。
そして、当然当主の代行までするとなれば、重要かつ責任重大な職務でもある。
伯爵家のそれとなれば、子爵家の跡継ぎが修行のために任されたり、家を継げなかった伯爵家の次男が能力や家柄でもって任されることも多い。
だというのに、そんな職務を流れてきたばかりの、それも男爵家の娘であるエイミーに任せようというのだ、固まってしまうのも無理はない。
「まあまあ、素晴らしいですわね! 確かに先程見せていただいた能力であれば、補佐官として充分に働けるかと!」
「だよね? いやぁいい人材を拾ってきてくれたよニコール」
硬直しているエイミーをよそに、伯爵家の親子はよかったよかったと暢気なもの。
ベルも口を挟まないので、エイミーの味方は誰も居ない。いや、味方しかいないのだが。
上手くいきすぎて頭がついていかないエイミーの肩を、ぽん、とベルが叩く。
「諦めてください、エイミーさん。ニコール様があまりにあれなので目立ちませんが、旦那様も思い切りはいいのです」
「だ、だからって良すぎますよ!?」
「困ったことに、大体その思い切りの良さが間違っていないので、お止めできないんですよ」
「そ、そんなぁ」
止める人がいない、と理解してエイミーはぷるぷると震える。
何でもやろうとは思っていたのはいたが、それはもっと下っ端の文官だとかのつもりだった。
それがまさかの補佐官である、ガクガクブルブルしてもおかしくないところだろう。
だが、そんなエイミーへとかけられた言葉は。
「じゃあ、住んでもらうところが決まるまでは客間で過ごしてもらおうか。
ニコール、ベルと一緒に案内しておいで。ついでに、エルドを見かけたら執務室に来るよう伝えてくれるかい?」
「こちらに控えてございます、旦那様」
ジョウゼフの声に、背後から答えが返ってくる。
いつの間にかそこには、真っ白になった髪をオールバックに固めた一人の老紳士が立っていた。
先程まで確かに、ジョウゼフ、ニコール、ベル、そしてエイミーの四人しかいなかったというのに。
それに気付いたエイミーがびくっと身を竦めるのだが、他の三人は全く動じた様子がない。
「やあ、流石だね、エルド」
「ありがたきお言葉にございます。このエルドバル・ストーンブリッジ、お嬢様のお手を煩わせるわけには参りませんので」
そういうレベルの話じゃない、と一人エイミーは思うが、口には出せない。
あまりにも当たり前のようにニコール達がこの状況を受け入れているのだから。
そんな彼女の混乱をよそに、硬直しているエイミーを、ジョウゼフはすっと手で指し示し。
「彼女はエイミー・モンティエン嬢。以前世話になったモンティエン家のお嬢さん。
明日から補佐官として働いてもらうから、よろしく」
「なるほど、顔合わせと通達ということでございますね。
はじめまして、モンティエン様。私はエルドバル・ストーンブリッジ、このプランテッド家で執事を任されております」
自己紹介をすると、エルドバルは胸に手を当て恭しく頭を下げる。
その仕草は実に洗練されており、彼もまた貴族として教育を受けていることが伺えた。
この国では子爵家と男爵家は尊称であるフォンを付けられないため、恐らくどちらかの出身なのだろう。
そこまで頭で考えながら、エイミーは慌てて、しかし出来る限り丁寧に頭を下げ返す。
「エ、エイミー・モンティエンでございます、ご丁寧にありがとうございます。
その、急なことで申し訳ございませんが、何卒よろしくお願いいたします」
本当に補佐官として働くのであれば、執事であるエルドバルとはやり取りが多いはず。
無作法と見られれば色々と軋轢も生まれてしまうだろう、と心配もしたが……顔を上げた時に見えたエルドバルの表情からすると、どうやら大丈夫なようだ。
「じゃあ、改めてエイミーさんを客間に案内してくれるかい、ニコール」
「ええ、かしこまりましたお父様。さ、エイミーさん参りましょう」
「あ、え、はい、それでは失礼致します、伯爵様、ストーンブリッジ様」
腕を引っ張られたエイミーは頭を再び下げ、それからニコールに連れられるままに出て行く。
それに付き従うようにベルも出て行って、執務室にはジョウゼフとエルドバルだけが残った。
やがて三人の気配が遠ざかり。しばしの沈黙の後、ジョウゼフが口を開く。
「大丈夫だと思うけど、念のためエイミー嬢の身元を洗っておいてもらえるかな」
「かしこまりました。まあ恐らく大丈夫かとは思いますが」
「だねぇ、免状も本物だったし……即採用になっても、食いつかなかったし。
余程の手練れな間者、という可能性もないわけじゃないけど、その上であの処理能力を身に付けるのは、流石に人間業じゃないしねぇ」
平和な世の中であっても、貴族間でのゴタゴタはそれなりにある。
特に主要街道が通っており発展もしているプランテッド領は、色々な意味で狙われることがあるためスパイの類いが潜り込もうとすることがそれなりにある。
もっとも、ニコールの嗅覚はそういった人間を敏感に嗅ぎ分けるので、大きな問題にはならないのだが。
「旦那様がそこまでおっしゃるとは相当ですね」
「うん、純粋に人材として見た場合、得がたいの一言だね。多分ワンさん以来の掘り出し物じゃないかなぁ」
「ワンさん並み、ですか。それはそれは……」
ジョウゼフの人物評に、エルドバルは二の句が継げない。
そんな彼を振り返りながら、ジョウゼフは楽しげに語る。
「美味しい話に飛びつかない慎重さ、段取りを踏もうとする真面目な性格。
それでいて書類読みは要所を押さえて流し読みするだとかの対応力、柔軟性も持っている。
その速度と正確さもとんでもないし、法律もきっちり頭に入ってるしで、あの若さで相当な実務経験もあるらしいとくれば、逃すわけにはいかないよねぇ」
「なるほど。……そこまでおっしゃられますと、何故そんな人物が解雇されたのか不思議にも思いますね」
「まあ、だから念のために、ね。よっぽどのアホでも無い限り、彼女を手放すなんてしないだろうし」
ジョウゼフの説明に、納得した顔で頷くエルドバル。
それからいくつか打ち合わせをして、彼は調査の手配のため執務室を辞した。
一週間も経たないうちに「よっぽどのアホでした」との報告をする羽目になるのだが、如何に彼といえど、そんなことは夢にも思わずに。




