頭の痛い朝。
「う、う~ん……?」
小さく呻くような声を上げながら、エイミーは目を開けた。
すると飛び込んでくる、見知らぬ天井。
あの、「バカヤロー!」と叫んだそれとは比べものにならない程にしっかりとした仕事の為された、落ち着いた風合い。
一目で、いいとこのお家だとわかってしまう造り。
ぼんやりと眺めている内に、蘇ってくる昨日の記憶。
プランテッド伯爵令嬢であるニコールに出会い、食堂に連れ込まれご飯とお酒をご馳走になって、その内愚痴りだして……。
ニコールだけでなくメイドのベルまで加わって更に酒が進んで、それから……。
そこまで考えが巡り、エイミーはぴしりと硬直する。
何があったかを思い出せば、ここがどこかは、直ぐに思い至った。
視界の端が捉えるのは、派手さはないのに質が良いとわかる品の良い家具のあれこれ。
よくよく考えれば、今自分が寝ているベッドは今まで味わったこともない程にふっかふか。
これらの情報を総合すれば、つまり。
「ひ、ひぃぃぃぃ!? んぁっ!? あ、あたたたぁ……」
自分の状況を理解したエイミーは悲鳴のような声を上げながら勢いよく身体を起こし。
それから猛烈な頭痛に襲われ、呻き声を上げながら頭を抱え込んだ。
その視界に飛び込んでくる掛け布団は、明らかに高級なもの。例えば、伯爵家が使うような。
再び硬直したエイミーへと、更なる追い打ちが掛かる。
「んぅ……もう、何ですの、大きな声を上げて……」
もぞりと近くで誰かが動く気配。
その声には、思い切り聞き覚えがあった。
ギギギ、と油の切れた蝶番のような動きで横を見れば、薄い夜着だけを身に付けて寝そべるニコール。
寝ぼけ眼でエイミーを見上げるその仕草はあどけなく、それでいてしどけなく横たわるその姿には幼さと成熟の中間にある儚げな色香があって。
「うひゃぁぁぁぁぁぁ!?」
色々と振り切れてしまったエイミーは、また悲鳴を上げてしまう。
と、ぐしぐしと目をこすったニコールが、ゆっくりと目を開けた。
エイミーの姿を認めれば、数秒ほどまじまじと、確認するように見つめて。
「ああ、エイミーさん、おはようございます。昨夜はよく眠れましたか?」
ほにゃ、という擬音が付きそうなほど無防備で柔らかな、むしろ緩んだ笑みを見せる。
「あふぅぅぅぅぅ!?」
その直撃を至近距離で受けたエイミーは大混乱で、更なる悲鳴が迸るのを止めることが出来ない。
一体何が、と思わず周囲を確認し、自分の服装を確かめて。
これまた見慣れぬ夜着を纏っていることに気がついて、また動きを止める。
すると、まるでタイミングを計っていたかのように部屋の扉が開いて。
「おや、お目覚めでしたかエイミーさん。それからお嬢様も。おはようございます」
ティーセットを乗せたワゴンを押して、ベルが入ってきた。
ちなみに、彼女は昨日と同じくきちっと手入れの行き届いたメイド服である。
そういえば昨日はどれだけ飲んでも全く崩れてなかったなぁ、と不意に思い出したりしつつ。
エイミーは慌てて居住まいを正し、深々と頭を下げた。
「も、申し訳ございません! その、酔い潰れた挙げ句にこんなご迷惑をおかけするなんて!」
ぶんっと地面に額を打ち付けるように頭を下げたというのに、ふかっとしたベッドに受け止められる。
そのことが、さらに一層申し訳なさを加速するのだが……当のニコール、ベル、共に全く気にした様子がなかった。
「いえいえとんでもない。それより、こちらこそ申し訳ございません、半ば強引に連れ込んでしまいまして」
「連れ込っ……い、いえ、そもそも私、宿を取ってなかったですし……」
「あの時、着いたばかりのエイミーさんを、お嬢様が強引に連れて行きましたからね」
殊勝にも頭を下げるニコールへと、恐縮しきりなエイミー。
そこにベルの、主への忖度が一切無い一言が入る。
どうやら、すっかりいつもの調子を取り戻したらしい。
「強引だなんて人聞きの悪い。ちゃんとエイミーさんの承諾は得ていたわよ?」
「あの状況で断れる人なんてそうそういないでしょう。おまけに酔い潰して、その勢いで連れ込んで」
「それに関しては、止めなかったベルも悪いと思うわ?」
「止めようとしたら『まあまあ』とか言って押し切ったのはお嬢様でしたよね?」
にこにこ、にこにこ。
お互いに笑っているのに、何故かバチバチと火花が散っているような幻影を、エイミーは見た気がした。
「ちょっ、あ、あのっ! わ、私は大丈夫ですから、その、ケンカはしないでいただければっ!」
自分が原因でケンカをしている。
おこがましいとは思うが、そう判断せざるを得ない状況は、あまりにいたたまれない。
そして、エイミーの必死な声に二人の言い合いが止まるのだから、尚更。
しばしニコールとベルはニコニコと睨み合うという何ともおかしな状況で膠着し。
「……仕方ありませんわね、エイミーさんがそこまでおっしゃるのならば」
「そうですね、あまりご心配をおかけしてもいけませんし」
一旦矛を収めることで同意した二人は、こっくりと頷き合う。
相変わらず、笑っているはずなのに笑い合っているような空気ではないが。
それでも、一旦は収まった、とほっとエイミーは安堵したのだが。
「あ、いたたたたっ!?」
気が緩んだからか、先程まで忘れていた頭痛に突如襲われ、また頭を抱え込んだ。
それを見てニコールはオロオロと慌て、ベルはワゴンに載せていたティーセットへと向き直った。
「昨日は、相当に飲まれてましたからね、二日酔いになるのも仕方ないかと。
ワンさんが二日酔いによく効く薬湯を作ってくださいましたから、お飲みください」
「あうぅ……ありがとう、ございますぅ……」
頭痛のせいで涙目になりながら、エイミーはカップを受け取った。
こくんと一口飲み下せば、お茶の温かさが身体の緊張を解し、思わず「ほぉ」と吐息が零れる。
更にもう一口、二口と飲めば、胃の違和感や頭痛が和らいでいくような気がした。
そうして落ち着いてくると、当然のように湧き上がってくる疑問。
「あの、昨日は本当に色々とありがとうございました。
でも……あの、流石に泊めていただいたのは過分かと……どこかのお宿に放り込んでくだされば良かったのに、どうしてこんなことに……?」
男爵家の末娘であり、半ばその身分を捨てて市井で働いていたエイミーは、本来こうして伯爵家で遇される立場にない。
だというのに伯爵邸に連れて来られ、あまつさえ、どうやらニコールの私室と思しき部屋で、更には枕を並べて寝てしまっていた。
もうこの時点で、エイミーとしては死んでお詫びをしたいレベルの非礼、非常識なのだが。
「ああそれは、父と引き合わせるのに都合が良かったからでして」
唐突かつあっけらかんと放り込まれた爆弾に、エイミーはうっかり、お茶を吹き出してしまった。
「ニ、ニコール様のお父様!? それって、もしかしなくても……」
そう、それは、今更言うまでも無く。
そしてニコールにとっては当たり前のように接する人であり。
エイミーにとっては恐れ多いにも程がある存在。
「ええ、この地を治めるプランテッド伯爵家当主ですわ!」
「ひぃぃぃぃぃ!!!」
きっぱりと言い切るニコール。
もはやエイミーは何度目かもわからぬ悲鳴を上げるしか出来なかった。




