飲んで飲まれて巻き込まれて。
それから、どれくらいの時間が経っただろうか。
「だからねぇ、言ってやったんですよ、ばかやろーって。……部屋に帰ってから、天井に向かってですけど」
「あらあら、エイミーさんは本当に奥ゆかしいのですねぇ」
もう、何杯グラスを空けたろうか。
すっかり酔いの回ったエイミーは、ニコール相手に愚痴っていた。
男爵家の彼女が、伯爵家のニコール相手に。
素面の時に端で見ていれば卒倒しそうな光景だが、もちろんニコールは咎めないし、周囲の人間も咎めない。ベルですら。
むしろ他の客はどこか労るような目を向けてくるし、普段余り表情の見えないベルに至っては、かなり同情の色が濃かった。
それくらい、酷かったのだ。
「それにしても、随分な扱いだったんですねぇ……在庫の確認に発注、届いたものをどの倉庫に入れるかまで含めた手配、納品先への輸送手段の確保に日時の調整まで……全部エイミーさんが一人でやってらしただなんて」
「そうなんですよ~……あいつら、書類にサインするのが仕事だと思ってるんですよ、責任者でございって偉そうな顔してぇ……。
そりゃね、最初の頃は確かに色々教えてもらったんですよ?
だけど、私が一人で出来るようになったらあれもこれもと投げ渡されて……でも、そういう下準備は全部手伝い、雑用扱い。
確かにGOサインを出す書類がなかったら動かないですし、サインする権限は私にはなかったですけどぉ……」
がっくりと俯いたエイミーは細長い揚げた芋を指でつまみ、ぱくりと口にする。
それから、またワインを一口。流石に、先程までのように勢いよくではなく、ちびちびと、だ。
一言で言えばエイミーは、クビになった商会における面倒で煩雑な業務を一手に担っていた。
当然本来は一人でこなすような業務量ではないのだが、一つ押しつけられたものを最適化して余裕が出来たと思えばもう一つ押しつけられ、を繰り返し、膨大な業務量を抱えながら、何とか破綻させずにいたというのだから、ニコールですらすぐには言葉が出ない。
「おまけに、ですねぇ……」
「ま、まだあるんですか……」
ニコールも認める有能メイドのベルが、たらりと冷や汗を垂らす。
ベルですら若干引いてしまう業務量に、更にまだ何かあるのか。
むしろよく生きていたな、とすら思うのだが。
「私が会計業務資格を持ってるからって、普段から帳簿付けを手伝わせて、決算の時は丸投げでぇ……」
「……は? え、いやいや、まってください、会計業務資格とは、国家資格のあれですか?」
「はい、それですぅ……えっとぉ……あ、あったあった……えへへ、これだけは、無くせないですから……次のお仕事探すのにぃ……」
思わずベルが問いただせば、お酒で緩んだ顔でエイミーは旅行鞄を漁る。
出てきたのは会計業務資格の免状。言ってしまえば会計士の免許だ。
当然取得には相当な勉強量が必要で、かつ、その倍率は百人に一人と言われる程恐ろしく高い。
だというのに、エイミーはこの年齢で、そしてまだまだ男尊女卑が強いこの社会で、取得してしまったのだ。
「な、なんてこと……エイミーさん、まずその資格を取得しただけで賞賛に値しますよ!?」
「そうですかぁ……? そうなんですかぁ……? でもでも、前の職場じゃそんなの何の役にも立たない、それが本物かわからないとか言われてぇ……」
ニコールも流石に声を上げてしまうが、驚きと賞賛を受けたエイミーは、まだどこか半信半疑だ。
いや、彼女とて理屈ではわかっているのだ、この資格が希少なものであることを。
ただ、それが実感として得られていないだけで。
「……少なくとも、私の目には偽造や何かの細工は認められません。私は本物だと思います」
「やっぱりそう? わたくしもお父様のや文官さんのを見たことがあるけれど、多分これ、本物ですわよねぇ……」
まじまじと眺めたベルが、ついでニコールが、それぞれに本物判定を下す。
この二人の目を欺ける偽造を、ここまで打ちひしがれる人間がするとも思えない。
であれば、やはりこれは本物で。
ということは、その能力も恐らく本物で。
「これは、もしかして……実務面でエイミーさんに劣る先輩達が、それを誤魔化す為に新人の内から出る杭を叩こうとした可能性が……」
「やっぱりベルもそう思う? となると、その杭が折れる前に手放してくれて、本当にありがたいことだわ」
彼らから見れば、自分達を脅かす生意気な後輩にしか見えなかったのだろう。
それでいてその彼女におんぶに抱っこ状態だったのだ、己の手一つでここまできたベルには、その矛盾がどうにも腹立たしい。
しかし同時に、その矛盾から解放されたことは喜ばしいことなのだろう。
「エイミーさん! よくぞこのプランテッド領にいらっしゃいました!
おまかせください、あなたのために最高の仕事と環境を整えてみせます!
ええもう、全力でそうさせていただきます、あなたと、このプランテッド領のために!」
先程まで対面に座っていたニコールが、いつの間にか隣に座り込み、がしっとエイミーの右肩を掴んでいた。
逃してなるものか、という強い意志と、何よりこの有能な人材に報われて欲しいという願い。
それらが込められた瞳に射貫かれて、エイミーは思わずドキンとする。
「ええ、残念なことはありましたが、きっとそれも今日この日の為。
このプランテッド領での労働環境は長く働く私が保証します。
だからもう、ご自分を卑下しないでください。いえ、すぐには難しいかも知れませんが……」
いつの間にか、左側にはベルが座っていた。
そっと左手を握られれば、ほんのりと伝わってくる暖かさ。
先程ニコールの手からも感じたそれは、何かが緩くなってきていたエイミーの心には、随分と染みた。
「あの、あのあの、私、いいんですか? こちらで働き口を探しても、いいんですか?」
「むしろこちらからご紹介させていただきます! ええもう、あなたの能力に見合った報酬で、環境でお迎えさせていただきます!
ど~んと任せてください、ど~んと!」
このプランテッド領の令嬢、ニコールが太鼓判を押す。
その意味は、アルコールでぼんやりした頭であっても、すぐに理解出来た。
少なくともここプランテッド領で、プランテッド伯爵令嬢である彼女が言うからには、大丈夫なのだろう、きっと。
まだ実感はわかないが、それでもエイミーの目にはじんわりと涙が滲んでくる。
「飲みましょう、エイミーさん。飲んで泣いて、全部吐き出して、そして、明日笑いましょう。
大丈夫です、ここで働く者の先輩として、私が保証します」
「あらベルったら、私の口癖を取らないでくれないかしら」
「……知りません。別にこの言葉はお嬢様だけのものではないですし」
エイミーを励ますベルをからかえば、ぷいっとベルはそっぽを向いた。
それでも、本気で拗ねているわけではないとわかるのは、長い付き合いのおかげ。
しかし、これ以上混ぜっ返すのも野暮というものだろう。
ならば。
「カモン、マシュー!」
「はい、お嬢様」
ニコールが指をパチンと鳴らせば、やはり即座に、バーンと扉を開いてマシューが入ってくる。
舞台俳優のように気取った足取りでニコールの前に立てば、恭しく頭を下げ。
一連の動作は、憎たらしいほどに洗練されていた。ここまでは。
「今からベルも飲みますので、護衛をお願いします。あ、流石に時間が時間だからご飯は食べていいですけど、お酒はだめよ?」
「……はい? えっと、そろそろ日も傾いて夜の客も入ってこようっていうこの時間に、お嬢様とベルさんと、そちらのお嬢さんが飲み直す様子を眺めながら?」
「だって仕方ないじゃない。それとも何、この流れで、ベルに飲むなって言うの? この人でなし!」
「お嬢様にだけは言われたくないですよ!?」
出されたのは、ある意味護衛としてはまっとうな仕事であり、しかし一人の人間としては辛い仕事。
救いの手はないのかとベルに目を向けるが、残念ながら今この流れで慈悲はない。いや、普段からだが。
そもそも、御者である彼は、ニコールを色々な意味で安全に送り届けるまでが仕事であり、彼女が帰宅するまで飲むことなど出来るわけもない。
「さあ、ぶわ~っといきますわよ、ぶわ~っと!」
「も~いやっこんな生活っ!!」
店の常連からすれば最早風物詩となった叫びが響いた。
ちなみに、なんだかんだ言いながらマシューはきちんと仕事を果たした。
色々アレだが、プランテッド伯爵が愛娘を預けるに足る男なのである。
少々色々報われないだけで。




