袖すり合うも多生の縁。
「大丈夫? 飴ちゃん食べる?」
「あ、大丈夫です、いえ、その、飴なんてとんでもないというか申し訳ないというか」
乗合馬車に乗って三日目。
エイミーは隣に座る老婆から飴を勧められていた。
砂糖が大分出回るようになって、それなりの値段で買えるようにはなっているが、見知らぬ他人からホイホイともらえるものでもない。
遠慮が先に立って断るエイミーに、しかし老婆はグイグイと来た。
「申し訳ないとか考えないの、むしろこれで断られた方がおばちゃん悲しいわ?」
「えっ、そ、それは……ええと……わ、わかりました、ありがたくいただきます」
結局押し切られ、飴を受け取るエイミー。
ニコニコとした笑顔を向けられれば、まさか口にしないわけにもいかない。
思わず有り難く両手で持って拝み、それを口にした。
途端に広がるふんわりとした香りは白桃だろうか。
そして舌に広がるのは、優しい甘さ。
「……美味しい、です」
「そう、よかった。やっぱり美味しいものは正義だもの、美味しいものを食べてさえいれば、人生なんとかなるわ」
「そんな、ものでしょうか……」
老婆の微笑みに、エイミーはぎこちなく表情筋を動かした。
笑ったつもりだが、笑えているだろうか。
少なくとも、老婆が気分を害したような様子は見えないが。
「ええ、そんなものよ。人生なんてそんなもの、悪い日もあれば良い日もあるけど、食べないとだめだってことだけは変わりないわ。それも、出来れば美味しいものをね」
「美味しいもの……」
老婆の言葉を、そのまま口にする。
そういえば、美味しいと思ったことなど、どれくらいぶりだろうか。
少なくとも、あの働きづめだった一ヶ月の間、食べ物を美味しいと感じた記憶は無い。
あるいは、感じる余裕すらなかったのかも知れないが。
「ええ、美味しいものを。お嬢さん、終点の領都まで行くのかしら?」
「あ、えっと、はい」
問いかけに、反射的に答える。
実際は目的地などなく、なんとなく乗っていけばそこに着くだけのこと。
だから嘘は言っていないし、行けるところまで行こうかという気も少しだけはあった。
そんなエイミーの内心は知らず、答えを聞いた老婆は、うんうんと満足げに頷いて見せる。
「それはいいわ。領都には美味しいお店がたくさんあるから、美味しいものをたくさん食べられるはずよ」
そう言うと老婆は、あそこの店が美味しかった、あそこも中々、などと語り出す。
一度もプランテッド領の領都に行ったことがないエイミーからすれば、どこそこの通りのだとか言われてもよくはわからない。
普通ならば右から左へと流れていくような情報の奔流に、しかし一々相づちを打っていく。
どれか一つでも覚えていたら、行ってみようかな。そんなことを思いながら。
「……と、こんなところかしら。ああごめんなさい、しばらく行っていないから、お店がないこともあるかも知れないけれど」
「いえ、大丈夫です。色々と教えていただいて、ありがとうございます」
エイミーが頭を下げたタイミングで、少し身体が揺れた。
徐々に速度が落ちていくのを見るに、次の停車駅がもう近いのだろう。
「あら残念、もっとお話していたいのに、降りる駅に着いちゃったわ」
言葉通り残念そうにぼやくと、老婆は自分の荷物を纏め始める。
それから、エイミーの方を向いて。
「……ふふ、良かった、少し元気が出たみたいね」
「えっ、あ、えっと……そんなに、顔に出ていましたか……?」
慌てて、思わず自分の顔を撫でてしまう。
もちろん落ち込んでいる自覚は大いにあった。
だが、それが見知らぬ老婆に心配をさせる程とまでは思わなかった。
親切な彼女の気遣いに、何だか申し訳なくもなってしまう。
「そうね、割とあからさまに。この辺りでそんな顔してる人はそういないもの、悪目立ちしちゃうわ?」
「わ、悪目立ち……そんなに、酷かったですか……」
「酷いというか……うふふ、そうね、これはお嬢さんの目で確かめてらっしゃいな」
「はい? わ、私の目で……?」
どういうことだろうか、と思わず目を瞬かせる。
一体、この先に目で見てわかる程の何が待っているというのだろうか。
そんな彼女の疑問に、老婆は答えてはくれない。言葉通り、自分で確かめておいでと言わんばかりに。
「ええ、あなたの目で。さ、あたしはここで降りないと」
「あ、は、はい、あの、飴とか、色々ありがとうございます!」
腰を上げた老婆に、エイミーも反射的に立ち上がり、タラップへと付き添う。
足下はしっかりしているが、念のため、手を貸して。
「うふふ、あなたみたいなお嬢さんにエスコートしてもらえるなんて、飴ちゃんをあげて良かったわ」
「そんな、飴のお礼みたいな……いえ、それもありますけど、お話ししてもらえて、私も嬉しかったですから」
どんよりと落ち込んでいた心が、少しばかり軽くなっている。
そのお礼としてならば、このくらいお安いご用。なんなら家まで送りたいくらいだが。
「そう言ってもらえると何よりだわ。……ああ、ここでもう大丈夫よ、迎えも来ているし、ね」
老婆がぱちりと片目をつぶったのが合図だったかのように、少し離れた場所にいた中年男性がやってくるのが見えた。
であれば、送る必要もないのだろう。それが、少しばかり寂しくもあるが。
「それは一安心です。……本当に、ありがとうございました」
「いいえ、どういたしまして。それではごきげんよう、お嬢さんの旅路が良いものであることを願っているわ」
「ありがとうございます。……どうか、お元気で」
ほんの少し言葉を交わしただけの相手に、それぞれ名残惜しいものを感じながら、互いに手を振る。
彼女達の感慨を置き去りに、馬車が動き出した。
それでもエイミーは、老婆が見えなくなるまで、手を振っていた。
そんなささやかな出会いもありながら、エイミーはついにプランテッド領の領都へと辿り着いた。
領都に入る正門からして感じる、以前行ったことのある王都にも負けない活気。
行き交う人々の顔は明るく、響く声も耳に煩くない。
「いい街、なのかな」
ぽつりと、呟く。
思い返してみれば、思わずこの馬車に飛び乗ったきっかけが、乗り込む人達の表情だった。
あの直感は、間違いではなかったのかも知れない。
僅かばかりの期待を胸に、エイミーは馬車を降りて、プランテッドの地へと足を付けた。
「……とは言え、どうしたものか」
馬車を降りた人達は、当然目的があってここまで来たのだろう、皆それぞれに散っていく。
後に残ったのは、何があるわけでもないエイミーただ一人。
街を見回して。
それから、空を見上げて。
中天を過ぎて傾き始めた太陽に、目を細める。
「……とりあえず、ご飯でも食べようかな……」
老婆と別れてから数時間、お昼時はとっくに過ぎているが、途中で食事が出来るような休憩時間もなくここまでやってきた。
ここまで凌げたのは、もしかしたらもらった飴の力もあったかも知れない。
加えて、まだ心が本調子でないのか、空腹をろくに感じていない、というのもあるのだが。
それでも。
あの時老婆に言われた言葉が、少しばかりエイミーの足を進める。
「美味しいもの、あるのかな……」
耳に残っていた言葉が、ぽつりと零れた。
すると。
「そこのあなた! 今、美味しいものとおっしゃいましたか!」
突然、横合いから声が掛かった。
「え、あ、はい……??」
思わぬ呼びかけに、反射的に返事をしながらエイミーは振り向く。
その視線の先には。
初夏の日差しを浴びてキラキラと輝く、ゆるくウェーブの掛かった金の髪。
若干気の強そうな印象のある深い青の瞳をした美しい少女がそこにいた。
着ているものはシンプルながらも彼女の可憐さを引き立てている淡い水色のサマードレス。
デザインも仕立ても、エイミーが知るどの令嬢のものより洗練されているように見える。
何よりも、その笑顔。
まさにこの青空のように眩しいそれに、エイミーは思わず目を細めた。
「はいとおっしゃいましたね、美味しいものをお探しなのですね!」
そんなエイミーの内心を知ってか知らずか、曖昧だった返事を強引に都合良く捉え、少女は我が意を得たりとばかりにうんうんうなずき、ずいずいとエイミーに近づいてくる。
その後ろに控えているメイドらしき女性が、小さく溜息を吐くのが見えた。
「ならばお任せください! このわたくし、この街のこと、特に美味しいものは誰よりも知っていると自負しておりますから!」
どーんと胸をはり、ぐいぐいずいずい、少女が距離を詰めてくる。
その勢いに、押されそうになりながら。
「え、えっと、じゃあ、お願い、します……?」
何となく。
流されてもいいかな、と思ったエイミーは、そう返事をしてしまっていた。




