無責任令嬢現る。
歴史において、事実が人々の都合のいいように捻じ曲げられて伝わる、ということはよくあることだ。
例えば女傑として名高いニコール・フォン・プランテッドの名言として伝わるものに、こんな言葉がある。
「お金がないなら、わたくしのところにくればいいじゃない」
これは、能ある人材を身分関係なく採用し、分け隔て無く接した彼女の懐の広さを表したものとして、今でも人々の口に上るものだ。
だが、実はこの言葉には続きがあり、決してそんな美談的使われ方をしていたわけではないことは、あまり知られていない。
例えば、当時はまだ伯爵だったプランテッド家の領地に、大きな洪水によって住んでいた村を捨てざるを得なかった難民たちが領都に流れて来た時のこと。
人々が行き交う正門から入ったばかりのところで今後の思案をしていた、男女合わせて十人ばかりの難民たちの前に颯爽と現れた彼女は、友好的な笑顔とともに先ほどの言葉を言ったそうだ。
何しろまだ雨も冷たい春の終わりに、濡れ鼠になりながら命からがら逃げだしてきて路銀も尽きかけようとしていた時だ、藁にも縋る思いだったことだろう。
しかもそれが、麦穂の実りを象徴したかのような輝く金髪を波打たせ、若干つり目ながら整った顔立ちに秋の青空を思わせる澄んだ青い目を輝かせ瞳の色に合わせた青いドレスを纏う、高位貴族らしい雰囲気を纏う少女からこう言われたのだから、難民たちはどれだけ喜んだことか。
しかし、その後に続きがあったのだ。
「わたくしもございませんが、心配しないでくださいまし。
大丈夫、そのうちなんとかなりますわ!」
……こうである。
言われた難民たちがぽかんと呆気に取られてしまうのも致し方ないところだろう。
だが、言った本人である彼女、ニコール・フォン・プランテッドは全く気にした様子もなく、笑顔のまま彼らに手を差し伸べた。
「遠路はるばる、ようこそ我がプランテッド領へ。さ、まずは腹ごしらえと参りましょう。お腹が空いていては気が滅入るばかりですわ?」
ニコールの言葉を聞いて、思い出したかのようにぐぅ、とお腹の鳴る音が響く。
難民たちの中にいる一人の女性が、顔を赤くしてお腹を押さえたのを見たニコールは、はにかむような笑みになり。
「あらお恥ずかしい。わたくしもお昼御飯がまだでして……ですので皆さん、ご一緒いたしませんか?」
そう言いながら、ニコールが自分のお腹を撫でて見せれば、途端、難民たちは思わず吹き出してしまった。
ただ一人、驚きの表情で固まってしまっている、先ほど顔を赤くした女性を除いて。
そんな彼女に気づかなかった難民たちはどこか砕けた表情で笑っていたが、リーダー格に見える男性が、おずおずと発言を求めるかのように手を上げた。
「あ、あの大変ありがたいお言葉なのですが……先ほどお嬢様ご自身が、お金はお持ちでないとおっしゃっていたような……」
言われて、他の難民たちも『あ、そういえば』という顔になる。
向けられた懸念の滲む顔を見て。
しかし、ニコールに動じた様子はなかった。
「大丈夫です。確かにわたくしは持っておりません。ですがしかし!
こちらにいるメイドのベルは、伯爵令嬢専属になるほどの有能メイド、すなわち高給取り!
彼女であれば、ちゃんと持っています!」
傍に控えていたメイドをばっと両手でもって示せば、難民たちの視線が一斉に、紹介されたメイドのベルへと向いた。
ニコールとは対照的な黒髪を首の後ろあたりで一つにしばっており、濃い茶色の目には感情の揺らぎが見えず、白と黒のクラシカルなメイド服に身を包んでいるその姿。
これだけの視線を向けられて怯んだ様子もないあたり肝が据わっており、確かに有能そうだと見て取れる。
そんなベルが静かに口を開き。
「出しませんよ、お嬢様」
ばっさりと、斬り捨てた。
その容赦のない言いざまに、思わずがくっと何人かの膝が落ちそうになってしまう。
「え~、なんでよぉ、いいじゃないベルゥ」
「甘えてもだめです。可愛い声で言ってもだめです。
こないだもそんなことを言って、私にたかってきたばかりじゃないですか」
すり寄って猫なで声を出すニコールに、しかしベルは取り付く島もない。
そんな二人のやり取りを見ている難民たちの頭に、疑問がよぎる。
こないだも? ということは前も、なんなら何回もこんなことをしている?
そこまで考えれば、浮かぶ疑問はただ一つ。
大丈夫なのかこのお嬢様は、である。
だが、そんな彼らの疑問、なんなら疑惑と言っていいそれを見透かしたかのようにニコールが笑顔で振り返る。
「大丈夫ですわっ! 何しろこんなにも容赦のないベルが、まだ辞めていないのです。つまり、ちゃんとお給料は払っているということですから!」
あまりにも身もふたもない言い方に、難民たちは笑っていいやらどうしていいやら。
困惑する彼らを前に、ニコールはえへんと胸を張ってみせた。
「振り返れば、彼女がわたくし専属になったのは六年前、わたくしが十歳になった時!
当然彼女は今よりも若いピッチピチの十代でしたのに、その能力を認められたわけです!
さらにそこから六年間外されることなく、つまりずっとミスなく不祥事なく勤めてきてくれている、有能かつ勤勉なメイドなのです」
そこで一旦言葉を切ったニコールは、令嬢が浮かべるには少々下品な笑みを見せながら若干前のめりな姿勢に。
釣られたように難民たちも前のめりになれば、お互い顔を寄せ合いひそひそ話をしているかのような格好だ。
「そして無駄遣いもしていませんから、かなり蓄えているはずなのです!」
「お嬢様、仮に蓄えていたとしても、使いませんからね?」
「え~、そんなこと言わないでよぉ~」
再びバッサリと斬り捨てるベルに、またニコールは纏わり付く。
貴族令嬢の威厳もへったくれもないその姿は、しかしなんだか子猫がじゃれているかのようでもあり、愛らしさもなくはない。
実際に、思わずクスクスと笑い出す者が何人もいるくらいなのだから、恐らく愛らしいと捉える方が多数なのだろう。
「言いたくもなります。そもそも、本来はお嬢様のお小遣いの方が、私のお給料よりも多いんですよ?」
「う~……それはそうなんだけど、わたくしだって色々と物入りなのよ?」
「それもわかってはおりますが。もう少し自重してください」
二人のやり取りを聞いていた難民のリーダーである男性は、首を傾げた。
これだけ口さがなく、どうやら自身はしっかり節約と貯金をしているらしいメイドのベルが、自重しろという言い方をしている。
無駄遣いをやめろ、ではなく。
ということは、どういうことなのか。
その答えが出る間もなく、立ち直ったらしいニコールが彼らへと向き直った。
「仕方ありません、どうやらこの石頭メイドは折れてくれないようです!」
「お嬢様、後でお話があります」
「ごめんなさいベル! 石頭は言い過ぎたわ!」
意気揚々と言った直後に漂ったお説教の気配に、即座に謝り倒すニコール。
その姿は恐ろしく自然で、恐らくベルに対して頭を下げ慣れているのだろうなぁ、としみじみと感じ取れてしまう。
だというのに、何故だかその姿が下卑たものには見えないのだが。
「そ、それはともかく。ここでこうしているのもなんですし、お店へと移動しましょう。
大丈夫です、なんとかなります。ちゃんと何とかなる心当たりはありますから!」
再び笑顔を見せたニコールに対して、しかし疑惑や疑念の声は上がらない。
何しろ、彼女は言ったのだ、『ようこそ我がプランテッド領へ』と。
それが意味するところはつまり。
「そういえば、自己紹介をしておりませんでしたわね?
わたくし、この地を治めるプラテッド伯爵家の娘、ニコール・フォン・プランテッドと申します」
穏やかな声で名乗りながら、淑やかに頭を下げるニコール。
先程までメイドと漫才を繰り広げていたとはとても思えないほどに、その仕草は洗練されていた。
そう、彼女がこの地を治める伯爵家の令嬢である以上、なんとかできないわけがない。
だから、彼女が何とかなると言っている以上、なんとかなるはず。
ただ。
そんな理屈だけでない安堵感が何故かあったのだが……今の彼らは、それに気付くことはなかった。