死門閉じ
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
ふーむ、古今東西の死神のあり方ねえ。また妙なものを調べているんだな、君は。
日本において、人格を持った死神が知られるようになったのは、意外と新しいことらしい。西洋において形を成した死神が普及したのは、戦後に入ったあたりといわれているから、100年も経っていないな。
その間に、様々なサブカルチャーで姿を現すほど浸透するあたり、日本人のキャパシティーと応用力には恐れ入るね。
日本でよく知られるエンマ様だけど、死神と一緒に視れるかというと、微妙なところだ。
仏教では、人に取り付いて自殺を促す存在を「死魔」と呼び、それを死神と認める説もあるらしい。
あくまで人を死へ引き寄せる「吹き込み」をするだけで、命を絶つかどうかは本人次第。たたりなど外部から影響を与えて死に至らしめても、それは怨霊や悪霊の業で、結果的に死んでしまったもの。これを「死神」とは呼べないらしい。
江戸時代まで来ても、近松門左衛門などは、「死神がいるかどうかわからない……」ような文句を使っているし、このあたりまで死神が人格を持つのは、メジャーな考えじゃなかったんだろう。
しかし、マイナーはいつの時代もあるものだ。
俺の地元に伝わる、妙な話なんだが、聞いてみないか?
現代でこそ、出産は病院以外に、自宅などの選択肢がある。
しかし歴史をたどると、住み慣れた場所で子を産める機会が、なかなか得られなかった時期が長い。
平安時代には、お産そのものに「けがれ」が付きまとうとされ、産屋や離れで出産を行うことがしばしばあった。これは江戸時代あたりまで、ほとんど同じだったという。
現代でも母子ともに危険を伴う、出産という行為。それが時代をさかのぼったときの危険度の高さは、想像に難くない。
先に話した、俺の地元で行う妙な儀式も、もとはお産の無事を願うものだったらしい。
臨月を迎えたと判断すると、その妊娠した女性の家族は毎日。そこより半径3軒以内の家は3日に一度、それより遠くなら一週間に一度。自らの家の神棚に、供え物をする必要があった。
八足台を設けた後、まずはカマを一本、台の上へ乗せる。このとき、神棚へ向かってカマの刃の部分が向くようにする。
そのカマの刃に包まれるような形で、巻いたこんぶを三本。脱穀前の米を椀によそって備えるんだ。
最後に家の玄関の引き戸を、連続で30回開け閉めする。
勢いよく行ってはいけない。ゆっくり限界まで開き、また静かに閉じる。これを時間をかけて行う必要があるんだ。
これは「死の門を閉ざす」方法と伝わっている。
戸の開閉は、死へと続く道を一時的に絶つ、神を呼び込むために行うらしい。30は呼び寄せる神様の数らしいが、どのような神なのかのいわれは、残念ながら失伝しちまっている。
ただ死へ通ずる道は30あって、これがいわば樹木の幹。そこから伸びる枝葉はたくさんあって、俺たち生けとし生けるもんは、全部そこのどこかに片足を乗せちまってんだと。
いくら光を浴び、栄養を蓄えても、やがては中心部分へ還元される……そのつながりを一時的に遮って、生きられるようにするんだってよ。
カマはそのための得物。こんぶと米は腹ごしらえに用いる。
そうして実際に繰り返された結果、母子ともに生まれるまでの間で、死に至ることはなかったらしいのさ。産んじまった後は、効果が出ないらしいがな。
だが、この方法はもう使うことができねえ。
昔にな、こいつを使って死なない身になろうと考えた女がいたらしいのさ。
彼女は幼くして、目の前で母親を亡くしちまったのが心にこたえたそうでな。自分は決して死にたくはないと思ったのだとか。
その強い願いがあってか、彼女は9つのときに子供を宿すことになる。父親が誰なのか、彼女は頑として口を割らなかったが、村は新たな命のために件の儀式を行った。
そして彼女は10年も生きないうちに母親となったが、それからも毎年のように、彼女はそのお腹の中へ命を宿したんだ。
当時の村としては、働き手はいるに越したことはない。彼女のお産は当初、喜ばしいこととして受け入れられ、彼女を死なせないために儀式は続いた。
家を手伝わせ、養子にも出させ、彼女が30前になるころには、合わせて20人以上が産まれていたそうだ。
ときには双子、三つ子と彼女の腹を膨らませ、彼ら彼女らは人に買われていったという。
口減らしという側面もあるが、この家に関しては毎年の小遣い稼ぎのような感覚だったらしい。母親となった彼女の意向が、子供たちにまで染みついてしまっている。
そのうち彼女は50を超え、60を超えても、変わらずに子を産み続けていた。他の女の中には、もう産めない者が出てくるような歳にもかかわらずだ。
しかし、やはり還暦を迎えて以降の彼女の腹から生まれてくる赤子は、具合がおかしかった。
へその緒を切り、取り上げるまでは確かに人間の赤子の姿をしている。
だが三日も経つと、その小さな足はまるで干した海藻のようにしなびたものになり、骨がすっかり抜けて皮だけになってしまう。
時が重なるにつれ、それは腹におよび、胸におよび、すっかり湿った布生地に変わってしまうまで、10日とかからなかった。
それでも彼女は生を願った。死ななくなるために、ひたすらお腹へ子を宿し続けたんだ。
しかし88歳を迎えた、彼女のお産のおり。
赤子が産まれるや、横になっていた彼女のそばにいた産婆は目を見開いた。
股から赤子が離れるや、彼女の足がいままでの赤子と同じように、一気にしなびてしまったんだ。
瞬く間に肉と骨を失ったかと思うと、変化は止まらなかった。あれよあれよという間に、それは彼女の全身へ回り、そこに長い皮と襦袢のみが残されるまで、30を数える間もなかったという。
そして生まれた女の子は、ここ数十年の兄や姉とは違い、人の形を保ちながら育つことができたらしいんだ。
ついに押さえ続けていた、命の道がつながった。それが彼女を一気に、中心へ押し戻したのだろうと、人々はうわさしたんだ。
以降、同様の儀式を行っても、母子の安全が約束されることはなくなる。おそらく道を閉ざすものが、壊れてしまったんだろう。
それから、彼女が亡くなった88の歳を超えるものが現れると、この儀式の名残として「米寿」と称するようになったとか。




