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やさしい雨の日曜日。  作者: おぐら あん
* *  やさしい雨の日曜日。  * *

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2

 きっと、そうに違いない。

 理には、そう聴こえた。

 最後の鍵盤を叩いて、城嶋は天を仰いだ。刹那、場内は完全な静寂に包まれた。城嶋の情熱が会場を支配していた。数瞬の後、弾かれたように割れんばかりの拍手が沸き起こった。城嶋は立ち上がると観客に向かって深く深く頭を下げる。そんな拍手の中、もう一度シンジがステージに現れた。

「ありがとうございました。ここで仁から皆様へメッセージです」

 シンジが軽く城嶋に頷いて見せた。城嶋は数回深呼吸した上で、ゆっくりと腕を動かし始めた。手話だった。シンジが通訳する。

『本日は僕のライブにお越しくださって、ありがとうございます。僕はライブのときはいつでも、全身全霊を込めてピアノに向かっています。僕の思いがピアノから皆様に伝わっていれば――それ以上の幸せはありません。少し休憩を挟んだあと、第二部がスタートします。引き続きお楽しみください』

 シンジが語り終えると、城嶋は再度一礼して、ステージを後にした。シンジもそれに続いて、休憩に入る。

 知らず理は、ふーっと深い息をついていた。彩弓もまた、息をついている。

「どうだった?」

 うん。

 それだけ。だけどそれだけで理には、彩弓の気持ちが伝わってきた気がした。それ以上の言葉にならないのだろう。少し時間を置いて冷静に振り返ってやっと、言葉になるのではないだろうか。

「なんか飲みに行こうか?」

 理が誘った。彩弓は頷くと、ゆっくりと立ち上がった。



 第二部は第一部とはうって変わって、歓声と熱狂の嵐に包まれた。とても同じ人物が作ったとは思えない、アップテンポで激しい曲が多かった。ドラムのレイジが刻むリズムに、会場全体が揺れているような錯覚に陥る。しかしシンジが歌う世界はどこか不安定で、その不安定さが心地よいような感じもする。理は普段『クラスタ=ルティア』を聴かないが、今度CDを買ってみようと思うくらい、心に響いてきた。

 MCでシンジがメンバーを紹介する。城嶋との関わりについても少し話をした。

「知ってる人も多いかもしれないけど、俺以外のメンバーはかつて仁と同じバンドのメンバーでした。仁がヴォーカルを諦めたとき、皆も音楽を諦めようとしたんだけど……情熱を捨てることが出来なかったんだよな」

 ギターのヒロがにやりと笑う。

「結局ヴォーカルを新しく募集して、俺が加入して新しく生まれ変わった。それから、長かったねぇ――」

 ベースのタツヤはシンジに頷いてみせる。

「でもこうしてヒカリの当たる場所にやってこれた。それから仁もまた音楽に戻ってきて、気がついたらいろんな曲を提供してくれるようになったのさ。仁に『オマエの歌声、結構気に入ってるんだ』って言われたときは、俺感激で舞い上がっちゃったもんな」

 どこか遠い瞳でシンジが言った。ギターのイントロが流れ出す。

「そんなわけで次は――『ヒカリの当たる場所へ』!」

 シンジの弾けるような歌声に、聴衆も総立ちになる。仁のピアノのときとはまた違った一体感が生まれ、眩暈がするようだった。


「 ヒカリを求めて もがいてあがいて

  みっともなくても 踏んづけられても


  ヒカリを求めて もがいてあがこう

  それだけが 生きるすべて」


 シンジが叫ぶ。聴衆が揺れる。最高潮に盛り上がったままで、演奏が終わった。そこで仁がステージの脇から現れる。

「ここからは仁のピアノとコラボで行きまーっす」

 シンジがノリよく叫ぶと、聴衆はそれに応えるように大歓声と拍手を送った。

 それから先は、何がなんだか解らないほどの盛り上がり方だった。ピアノとバンドのセッションなんてあまり聞いたことがなかった理だったが、そんなことはもう関係なかった。ドラムが刻むリズムに合わせて、ピアノが歌いギターが流れベースが支えヴォーカルが叫ぶ。それに合わせて聴衆も盛り上がる。すでにプログラムは完全に無視されている。冒頭でのシンジの言葉を信じるならば、城嶋を始めメンバーは全員がタガが外れたようにノリまくっているということになる。最高潮のさらに上を行くような盛り上がりの中で、ついに最後の曲になった。

 城嶋のピアノが静かな旋律を奏でた。短いインストゥルメンタルはちょっとしたクールダウンになった。その曲が終わると、城嶋はおもむろに立ち上がった。

「それじゃあ。仁のギターで最後の曲、といきましょうか」

 聴衆から一斉にため息が漏れた。最後――というのを残念に思っているのだ。

「昔仁はギターで作曲してました」

 シンジが喋る。スタッフが運んできたギターを、城嶋が遊ぶようにかき鳴らした。左右逆に構えているのが、不思議と似合っていた。

「腕前は、相当イイですー。ってかヒロより格段にイイよね」

 ヒロがふざけてシンジを睨みつける。シンジはそれに手で応じた。

「この曲も随分前にギターで作ったんだってさ。すんげぇイイ曲。これを俺が歌わせてもらっちゃってもいいのかな――って感じではあるけど、仁になりきって歌うからさ。聴いてください。『ミナト』」

 城嶋はしばらく、ギターを抱えて天井を見上げていた。それからやっと思い出したようにギターを鳴らし始める。やはり静かで儚げな曲だった。


「 何が起こっても いきていける

  そこに 休むべき場所があるから


  君が そこにいてくれなければ

  僕は もうここにはいなかった


  何が起こっても いきていける

  やっと 休むべき場所をみつけたから


  君のなかで ゆっくり休んで

  僕はまた 世界へ泳ぎだす


  まだ知らぬ 広い世界へと」


 そこで急に曲調が変わった。メロディラインはそのままに、テンポが速まりシンジの歌声が高くなる。


「 君を 見つけられなければ

  僕は 存在していないかった


  君のすべてで 僕を拾い上げて

  僕を 強くしてくれた


  ねぇ ミナト


  君が いるから

  僕が ここに」


 最後のフレーズを繰り返して、曲は終わった。わっと強い拍手が起こって、聴衆が立ち上がった。城嶋もメンバー全員も深く頭を下げ、一度ステージから消えた。すぐにアンコールがかかって、再び全員が登場する。アンコールは二曲演奏され、興奮のうちにライブは幕を下ろした。理はしばらく動けなかった。全身がライブの余韻に侵されていた。身体が熱かった。実際に「熱がある」と言われても否定できないくらいに。

 くろ? だいじょうぶ?

 彩弓が理の瞳を覗き込んでいた。そういう彩弓の瞳も、どこか熱を帯びたように潤んでいた。

「いや――なんていうか――」

 理は何とか自分の状態を説明しようと思ったが、諦めた。

「とにかく、出ようか」

 理は立ち上がり、彩弓の手をとった。彩弓の手はひやりと冷たかった。それで少しだけ現実に返れた気がした。人波に揉まれるように会場を後にして、混雑しているバス亭を避けて遊歩道に逃れた。少し歩くとベンチが空いていたので、とりあえずそこで少し休むことにした。理はポケットからケイタイを取り出した。彩弓もケイタイを入れるとすぐに理にメッセージを送ってきた。

『なんか――すごかったね。夢見てるみたいだった。曲はどんなのかはっきりは解らなかったけど、空気とかリズムとか感じて、一緒になれた、って感じだったよ』

「おれもそんな感じだった。なんかこう――うまく説明できないや」

 そのまましばらく二人は、黙ってベンチに座っていた。夕方が近づいて、さらに雲は雨を孕んで重く頭上に圧し掛かるようだったが、気分は晴れ晴れとしていた。まだ全身が彼らのリズムに支配されているようだった。

『できるなら、また来たいね』

 彩弓の言葉に、理は苦笑しながら返事をする。

「だけどよっぽど運がよくなくちゃ、な」

 それから理は、快くチケットを譲ってくれたメル友を思い浮かべていた。今度もっとちゃんとお礼をしなくちゃなぁ――チケット代くらいじゃ、申し訳ない。――そんなことを思っていた。

『雨が降り出す前に、駅まで戻ろっか』

 彩弓が言った。理は頷いて、立ち上がる。あれだけ溢れていた人々も、かなりの数が帰路についたらしく、大分まばらになっている。それでもバス亭まで行くと、まだバスを待つ人が大勢いた。

「込みそうだけど、平気?」

 うん、と彩弓が頷くのを確かめて、二人は人に押されるようにバスに乗り込んだ。バスに揺られること十数分、見慣れた駅が目の前に迫って来る。どうやらまだ雨は降っていないようだった。

「『喫茶房』でお茶してく?」

 理が尋ねると、彩弓はうんうんと何度も頷いた。

「マスターたちにもライブの話、したいよね」

 そうして二人は駅前から『喫茶房』へと向かった。ドアを開けるとふわりとコーヒーの香りが二人を包んで、遠慮がちなボリュウムのBGMが耳に入ってきた。今まさに二人が聴いてきた城嶋の曲だった。

「やあ、いらっしゃい」

 店主は笑顔で二人を出迎える。客はカウンターの一番奥に座る倫子だけだった。理は彩弓と窓際のテーブル席についてから倫子にも軽く頭を下げて、声をかけた。

「珍しいですね、日曜にいるなんて」

「デートの帰りなの。楽しかったなぁ、動物園」

 ふふふ、と意味深に笑う。理は倫子の言葉に一瞬ぎょっとしてちらりと店主を見た。彼は普段と変わらぬ様子でグラスを磨いていた。倫子が理に目配せしている。それに気がついて、理は困ったように笑った。

「全く。肝心なところでオトコってダメね」

 倫子はため息交じりにそういうと、店主に向かって「ごちそうさま」と声をかけ、出て行ってしまった。

「どうだった? ライブ。やっぱりすごかったかい?」

 店主は先に倫子の会計を済ませてから二人に水を運んできた。

「もう最高でしたよ。マスターも機会があったら――ああ、それと運よくチケットが取れたら、絶対に行くべきですよ。倫子さんと」

「何で倫子さんと、なんだい?」

 カウンターに戻った店主はとぼけたように笑う。理も笑った。彩弓一人がきょとん、としている。それからいつもの通り、理にはマンデリンを、彩弓にはカフェオレを運んできた。彩弓はカフェオレを一口味わうと、ほうっと深いため息をついた。

『なんて表現したらいいのか解らないくらい、素敵だったね』

 彩弓はまだ興奮しているようだった。理も同じくらい興奮していたけれど。

「うん。すごいアーティストだよね、城嶋仁って」

 理が言った。それから店主を交えた三人で城嶋の話になる。特に今日のライブの感想を聞いて、店主はしきりに「羨ましいなあ」と繰り返した。特に第二部後半の、城嶋のピアノとバンドのセッションに話が及ぶと、あの熱狂と興奮がぶり返し、ついつい理の声は大きくなるのだった。他に客がいないからいいようなものの、店主が「まあまあ」と何度も宥めるほどだった。三人が話に熱中していると、入口の鐘がかららんと、軽快な音を立てた。店主と理が振り返ると、小さな黄色の花束を持った女性が佇んでいた。

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