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やさしい雨の日曜日。  作者: おぐら あん
* *  水曜日にはお喋りをして。  * *
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 水曜日の夜は必ず、『くろ』からのメールが来るようになっていた。着信を知らせる灯りは小さくて人工的なものに過ぎないのに、あたしのこころに大きな灯りを灯してくれて、水曜日が待ち遠しいくらい。大した意味のない、くだらないメールを送っても、『くろ』はマメに返事をくれた。あたしは何かにすがるように、携帯をしっかり握りしめて『くろ』とメールする。それが楽しかった。何よりも、何よりもずっと。

 『くろ』とは、ある映画ファンが集まるサイトで知り合った。あたしは物心ついたときから外国の映画が大好きだ。特定の俳優さんのファンということではなくて、広い意味で映画が好きなのだ。一年くらい前に自分専用のパソコンを手に入れ、ネットに接続できるようになると、映画関連のファンサイトを探しては見て回るようになった。いろんなサイトに出入りしてネット友達がたくさんできた。そんな中で一番親しくなったのが『くろ』。ある時チャットで「吹き替えで観るか字幕で観るか」という話になったとき、絶対字幕がいい、と譲らなかったのはあたしと『くろ』の二人だけ。それですっかり意気投合して、個人的なメールのやり取りが始まり、そのうちにケイタイでもメールするようになった。文字でのお喋りは薄っぺらくて味気ない――そう思う人もいるのかもしれないけれど、あたしには全然そんなことはない。文字だけでも、ちゃんと気持ちは伝わってる。『くろ』が送ってくるメッセージには、必ず絵文字がついていて、あたしも少しずつそれを覚えた。覚えてくるともっともっと『くろ』とのやりとりが身近に親密に感じられて、嬉しかった。

 毎週水曜日に『くろ』が連絡をくれるのは、火曜日の深夜にCSで字幕版洋画を放送しているから。あたしも『くろ』も必ずそれを観て、互いに感想を言い合い、ここがよかったとかあそこは納得いかないとか、あれこれ意見を交換する。ネットサーフィンも楽しいけれど、そうして『くろ』とメールするのは、何倍も何十倍も楽しいひと時だった。

 そのうちに、水曜日の夜はメールからチャットに変わった。理由は簡単。何度もメールのやり取りをするよりもリアルタイムで、本当に「お喋り」するみたいに意見を伝え合えるから。『くろ』は何度かケイタイ番号教えて、って言ってきた。実際に喋るほうが絶対楽しいから、って。だけどあたしはそれだけはごめん、って断った。詳しい理由を言わなくても、『くろ』は『見ず知らずのオトコに番号を教えるのが怖いから』だと解釈してくれたらしい。だから、チャットに落ち着いたのだった。

『ゆあ? 今大丈夫?』

 まず、確認のメールが来る。あたしはすぐに返事をする。

「大丈夫だよ」

 大丈夫じゃなかったことなんてない。楽しみに待ってるんだから。だけど『くろ』はその辺はとっても律儀だった。あたしの返事を待ってから、チャットを繋ぐ。

『昨日の『リアルボーイ』どうだった?』

「うん。最高。ダニエルがよかったよねー」

 あたしたちはそんなふうに、ひとしきり映画の話で盛り上がる。

 時には映画以外の話もした。学校のこと、トモダチのこと、将来の夢、それこそいろんなこと。そんな会話の切れ端から『くろ』が大学生でコンビニでバイトしてて、そして映画研究サークルに入っているらしいことを知った。あたしはあたしで、今高校生で進路に悩んでいる――っていう話をした。就職するか専門学校に進むかで、実際に悩んでいた。『くろ』のように将来どんな形でもいいから映画に関わる仕事がしたい――と思っているのと違って、あたしには強い希望も夢もなかったから、進路が決められないのだ。そんな情けないあたしに対して、『くろ』は限りなく優しかった。

 いつだったか、あたしは『くろ』と将来に関して話をしたとき、こんな返事を送ったことがあった。

「あたし、自分に自信がないんだ。自分なんかに出来ることがあるのか、って悩みだしたら、どんどんクラくなっちゃって」

 すると『くろ』は数分の間をおいて、こんな言葉を贈ってくれた。

『だれだってそういうとき、あるんじゃないかな。そんなときは焦らないで、じっくり考えてもいいと思うぞー。ゆあ、負けるな!』

 そのメールを見たとき、あたしは泣いた。

 どうしてだろう。泣けて泣けてケイタイを抱きしめて泣きじゃくって、『くろ』がいてくれてよかったと、こころから強く思ったのだった。



 そんな関係が半年近くも続いていた。

 水曜日の夜、携帯が軽やかな光を点す。同時に全身を使って泣く赤ちゃんみたいにぶるぶる揺れるバイブの感触が、心地よくてくすぐったい。

 今夜もあたしたちは『くろ』からの『大丈夫? メール』から始まるチャットを楽しんでいた。小一時間ほど映画の感想を言い合った後で、やや間を置いて『くろ』から新しいメッセージが届く。

『ゆあ。今度の日曜って、ヒマ?』

「……なんで?」

 内心では慌てながら、あたしはわざと素っ気無く言葉を返す。『くろ』の次のメッセージは解っていた。一緒に映画でも行かない? だ。

『先週から始まった『星を砕く舟』観に行かねぇ?』

「――」

 あたしは返事を躊躇った。携帯を握った掌に、いっぱい汗をかいている。

『――ダメ?』

 あたしの返事を待たずに、もう一度『くろ』からのメッセージが入る。ここ何回か、チャットでお喋りする度に『くろ』は同じことを言っていた。だけどあたしはそれをのらりくらりとかわしてばかりだった。

「どうしようかな」

『行こうよ~。ゆあだって観たいって言ってたじゃんか。一人で行くより二人の方が楽しいと思うんだけどな』

 『くろ』はそんなふうに言う。だけど、あたしには『くろ』と会えない理由があるのだ。あたしは『くろ』にいっぱい嘘をついた。ううん、正確には――ほんとよりも嘘がうんと多かった。『くろ』はそんなこと知るはずもないけれど、あたしの返事には嘘が踊り続けていた。ずっとずっと。携帯っていうフィルターを通して、あたしは顔も本名も知らない『くろ』とトモダチになった。絶対に会うことがない相手だと思ったから、嘘ばっか並べても平気だった。そして『ゆあ』を作り上げた。嘘を並べて塗りたてて、さらにきっちり塗り固めて、頑丈な壁を築き上げた。『くろ』とトモダチの『ゆあ』は、あたしの理想。決してほんとのあたしじゃないってこと、『くろ』は知らない。

『いいじゃん。行こうよ、映画 』

 『くろ』は懲りずに何度か同じメッセージを繰り返した。あたしは急に泣きたくなった。『ゆあ』なんていう、作り上げられたあたしに、『くろ』は真っ直ぐに向かっている。『ゆあ』がツクリモノだって知ったら、『くろ』、どう思う? あたしはそんなことを考えていた。

「――ごめんね、くろ。あたしね……すっごい嘘つきなの」

『おお。嘘ならおれもついた。学年トップクラスの成績なんて、大嘘ー』

 『くろ』は気軽な調子でメッセージを返してくる。そうじゃなくて。あたしは必死になって言葉を探す。

「違うの、そういう意味じゃなくて」

『うん?』

「嘘しか言ってないもん。会えないよ」

『何で?』

 何で、って。あたしは次に伝えるべき言葉を見つけられずに、固まってしまった。『くろ』はあたしを見放したりしないで、またメッセージを送ってきてくれた。

『ほんとのことって、何? 今どこに住んでるとか、トモダチがどうとか、ガッコがどうとか、そういうこと?』

 そう言われると、確かにそうかもしれない、って気がした。『くろ』とあたしの間にある「ほんとのこと」って、なんだろう?

『そんなの、おれとゆあには関係ないじゃん。だから、会お?』

「――なんで会いたいと思うの?」

 あたしは聞いてみた。あたしだって、今までに何度も『くろ』に会ってみたいと思った。けど、会ったらそれでオシマイになりそうな気がして、そんなこと言えなかった。『くろ』はどうして、会うことにそんなにこだわるんだろう?

『ん――。なんでかな。会って喋った方が、いろんなことが解る気がするから、かな。単純にゆあに会ってみたい、ってだけ……な気もするし』

 よく解んねぇや――最後にそう添えてある。会って喋る。その文字があたしの瞳に引っかかるように焼きついた。会って喋る。『くろ』と。あたしが。――そんなこと、考えただけで全身が硬くなる。どんなふうに返事をすればいいのか、あたしは解らなくなった。どうしたらいい? どうしたらいいんだろう?

『ダメ??? 無理なら諦めるけどさ』

 『くろ』がどんな顔してるのかなんて知らないけれど、脳裏にふっと困ったような泣き出しそうな表情の男の子が浮かんだ。それは初恋のシュウくんに似ていた。

「ダメっていうか……なんて説明したらいいのかな?」

 あたしはとりあえずそう返してみた。すかさず『くろ』からのメッセージ。

『あ。もしかして警戒してる? 大学生ってヤバそうな感じ? だいじょーぶだよ、女子高生相手に無茶なことはしないしー』

 思わず笑ってしまった。そんなこと、ちっとも考えたことはなかった。あたしが『くろ』に会えないと思ってる理由は、そんなところにはないから。

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