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時空渡りクロニクル余話 〜エステルちゃんの冒険①境界の洞穴のドラゴン

作者: 東杜 伊三技

 エステルちゃんは8歳の女の子だ。

 いつも元気いっぱい、里や周囲の森のあちこちを走り回っている。

 同じぐらいの年齢なら、男の子にだって足の速さでは負けないのが自慢だ。

 特別の目的はないが、だから今日も訓練のために走っている。



 この里には、老若男女200人ほどの人たちが暮らしている。

 人たちとは言っても、この里の者の全員が人族ではない。

 精霊族のファータ人と言う。

 エルフやドワーフなどの他の精霊族と、太古には同じルーツを持つとも言われるが真偽のほどは定かではなかった。


 エルフやドワーフとの大きな違いは、見た目がほとんど人族と変わりがないことだ。

 たとえばエルフは細くて尖った長い耳を持っているし、ドワーフはだいたいにおいて身長が低く、がっしりずんぐりした体格だ。

 そんな見てすぐ分かる人族との違いが、ファータにはない。


 しかし精霊族共通の特徴として、人族よりも寿命が長いのはファータも同様だ。

 ドワーフは人族の倍の200年。エルフは、500年から下手をすると1000年以上の寿命があるとされているが、ファータもその中間ぐらいで300年から500年の寿命があるのだ。


 あとは分かりにくい特徴だが、ファータ人共通の能力として気配を消すのが上手い。

 訓練を重ねた者の中には、姿自体を見えなくすることさえ出来る者もいるという。

 また魔法適正にも優れていて、特に風魔法が得意だ。


 そんな種族の特徴や能力を備えているファータ人は、伝統的に人族の社会の中で探索を生業なりわいとしている。

 エステルちゃんが生まれ暮らす里も、探索者を育て送り出すファータの里のひとつだった。



 広い里のあちこちを走り回って、エステルちゃんはそんな探索者になるための訓練を行う広場に戻って来た。

 この里では5歳から訓練を始めるので、彼女はもう3年目だ。


「あ、エステルちゃん、お帰り」

「ハンナちゃん、ただいま」


 人型のまとに投擲ダガーを撃っていた女の子が、走り込んで来たエステルちゃんに気がついて声を掛けた。

 この女の子、ハンナちゃんは、エステルちゃんと同じ8歳で、仲の良いお友だち。

 ダガー撃ちが上手で、弓矢にも才能がある。

 里周辺の森でのウサギ狩り訓練では、エステルちゃんが2頭を仕留めている間に5頭以上も狩って来る。


「ホントにダガー撃ちじゃ、ハンナちゃんに敵わないよぅ」

「なに言ってるのよ。あんたは風魔法が得意でしょ」


 これはファータだけでなく人族でも同じなのだが、この世界では魔法を生まれて9年目の満8歳になった時から習い始める。

 だからふたりとも今年から魔法の訓練も始めているのだが、適正はエステルちゃんの方が高いようだ。



 走り込みから訓練場に戻ったエステルちゃんは、少しも休むことなく今度は、ハンナちゃんの隣の場所を確保してダガー撃ちを始めた。


「あんた、少しぐらい休んだら」

「だって、走る訓練もしたいけど、ダガー撃ちも上手になりたいもん」

「あんたって、ホント訓練バカよね」

「えへへへ」

「まぁいいわ。わたしも負けないわよ」


 それからどのくらい訓練を続けただろうか、やがて里を囲む森の背の高い木々の向うに陽が沈み始めた。


「今日の訓練は終わりにして、おまえたちもそろそろ帰れよ」

「はーい」


 訓練場を管理していて、彼女たちの教官で師匠でもあるユルヨ爺が、ふたりに声を掛けて来た。

 ユルヨ爺の年齢は幾つだろうか。見た目は人族の80歳ぐらいにも見えるが、400歳は軽く超えているだろうと思われる。

 だがその身体の動きや技は、働き盛りの探索者と同等か、もしかしたらまだ上かも知れない。底の知れない爺なのだ。



 途中でハンナちゃんと別れて、エステルちゃんは自分の家に帰って来た。


「ただいまー」

「エステルかい、お帰り」

「エステル、汗とホコリだらけじゃぞ」


 家の中に入ると、彼女のエーリッキ爺ちゃんとカーリ婆ちゃんが、広いリビングの中央に設えられた大きな囲炉裏を囲んで椅子に座っている。

 このお爺ちゃんとお婆ちゃんもユルヨ爺と同世代らしいが、同じく現役世代に負けない元気さだ。


「シャワーを浴びて汗を流しておいで」

「はーい、カーリ婆ちゃん」

「おまえの母さんが帰っておるぞ。いま夕食を作ってるわい」

「え、ユリアナ母さん、帰って来たんだ。エーリッキ爺ちゃん、エルメル父さんは?」

「エルメルは仕事が長引いているから、当分は無理じゃな」



 エステルちゃんがシャワーを浴びて着替えて戻ると、大囲炉裏の横のテーブルには夕食が並べられていた。


「母さん、お帰りなさい。お仕事終わったの?」

「はいただいま、エステル。うん、まだ途中なんだけど、ちょっと間が空いたから、いったん戻ったのよ」

「そうなんだ。そしたら、またすぐお仕事に行くんだよね」

「明日また行かないと、なのよね」

「えー」


 エステルちゃんの不満声に、ユリアナ母さんはちょっと困ったような表情をしてたが、その若く美しい顔が陰ることはなかった。


 見た目は20歳代だが、実際の年齢は秘密なのだそうだ。

 ファータの特に女性の大きな種族特性として、ある時期まで普通に年を重ねてそこで見た目年齢が止まる、というのがある。

 そのまま何年も経過するとまた経年変化が起き始め、何年かすると再び見た目が止まる、という人族にすれば不思議な年齢の重ね方をする。

 現在のユリアナ母さんは、25歳ぐらいの姿で止まっている状態なのだ。


「エステルはまだ甘えん坊さんなのねー」

「もう甘えん坊さんじゃないよ」

「はいはい。せっかくのユリアナが作った夕食、冷めないうちに食べよかね」

「はい、お婆ちゃん」



 エステルちゃんのお父さんとお母さんは、共に探索者の仕事に携わっている。

 それも、この里でも有数の腕利きだ。

 そしてそのふたりは現在も、この里で受けた別の仕事を行うために派遣されている途中なのだ。


 ファータは里の単位で仕事を受ける。

 仕事を受ける元締めは里長さとおさで、エステルちゃんの祖父のエーリッキ爺ちゃんがこの里の里長さとおさなのだった。



「エステルは今日も走ってたみたいね」

「うん、毎日走ってるよ」

「境界の洞穴の方には行ってないじゃろうな」

「えと、行ってないよ」


 境界の洞穴は里を囲む森の中、陽が沈む西の方角にある。

 隠れ里になっているこの里の出入り口は東側、境界の洞穴はそのちょうど反対側だ。

 この洞穴には誰も入ってはいけないとされ、もし誰かが入ってしまうと大きな災厄を里に招いてしまうとも言われている。


 里の子供たちは、幼い頃からこの洞穴には決して入るなと、大人たちから繰り返し言われて育つ。

 行くな入るなと言われれば、余計に行きたくなるのが子どもだ。

 ましてや境界の洞穴という名称は、何との境界なのか、境界の向うには何があるのか、子どもの好奇心を掻き立てるものなのだった。


 エステルちゃんは、そんな里の子供たちのなかでも、飛びっきり好奇心が強い子だ。いや、好奇心の塊と言ってもいい。

 だからじつは、森の中を走る訓練をしている途中に、こっそりと行ってみたことがある。

 それも何回もだ。


 大きな口を開けた境界の洞穴の入口に近づいてみると、奥の方から入って来いと呼ばれている気がする。

 でも怖くて、いつも入る勇気が起きない。

 しばらくその入口の前で佇んで、里へと走って戻る。

 でも戻る時には、次は少し入ってみようという気持ちが湧いて来てしまうのだ。

 なのでまた行ってみる。




 翌日の朝、エステルちゃんが起き出して大囲炉裏のリビングに行くと、ユリアナ母さんはもう仕事で里を出た後だった。

 こういったことはエステルちゃんも慣れているので、元気にお爺ちゃんとお婆ちゃんに「おはよう」と挨拶すると、朝食をいただき、今日の訓練へと出かけて行った。


 訓練場に行くと、ハンナちゃんをはじめ何人かの子供たちがもう来ていた。

 ファータの里に子供たちはそれほど多くはない。

 種族の特性もあり、また夫婦で探索をしている家ばかりだから、子どもがいる家でも多くてふたり兄弟だ。

 そしてエステルちゃんは、今のところひとりっ子。

 それに子供たちは12歳になれば、もう探索の仕事に就くのが普通だ。


「ハンナちゃん、おはよう」

「おはよう、エステルちゃん。今日は遅かったじゃない」

「うん、昨日母さんが戻ってたから。お話に夢中になって、寝るのが遅くなっちゃった」

「そうなんだ、お母さん帰って来て良かったね」


「エステル、今日もまず走るのか?」

「はい、ユルヨ爺。走ってから戻って、それから魔法の稽古かな」

「よし、いいぞ。では走って来い」

「はい」



 軽く準備運動をして身体をほぐすと、エステルちゃんは走り始める。

 里の中を走り抜け、東端から森の中に入って里の周囲を周回するいつも通りのコースだ。

 だから必然的に里の西側も通る。

 そこから森の奥に入って行くと、境界の洞穴の入口があるのだ。


 秋から冬に移る季節。陽が差し込みにくい森の中はかなり冷えてきたが、慣れているエステルちゃんは軽快に走る。

 里の南側の森を駆け抜け、やがて西側のエリアへと入った。

 自然と駈ける足が、境界の洞穴の方へと向かってしまう。

 気がつくと、もう洞穴の入口の前に着いてしまっていた。


「えと、やっぱり怖いよね。でも、今日はなんだか凄く入ってみたい」


「むーん」と、しばらく考え躊躇っていたが、やがてエステルちゃんは「えいっ」と声を出し洞穴の中へと一歩踏み出した。

 その後は、するすると歩が進んでしまう。

 境界の洞穴の中は天井が高く、奥へ奥へと道が続いている。


 洞穴内の空気中や地面の土、壁や天井の岩石の中には、森よりももっとたくさんのキ素が充満しているようだ。

 それが壁に露出した或る種類の岩石に反応し、淡く光を発しているので、視界はそれなりに確保されている。


 キ素というのは、身体に取り込み循環させてキ素力に変換し、魔法を発動させるためのエネルギーになるものだ。

 魔法が得意なエステルちゃんは、このキ素やキ素力を感じ取る能力も高い。


「何もないよねぇ。キ素がやたら濃いけど、魔獣とか魔物の気配は感じないし」

 と思った途端、暗い天井が大きく揺れ動いた。


「きゃっ」

 思わず声を上げてしまったけど、天井にいたケーブバット、洞穴コウモリの大群が一斉にバサバサと飛び去ったのだ。



「魔獣さんも魔物さんもいないのかなぁ」

 相変わらず、魔物も魔獣の気配が何もしない。

「何でこの洞穴に入っちゃいけないって、なってるんだろ」


 いつも入口で感じていた恐怖がウソのようになくなり、エステルちゃんは軽い足取りでどんどん奥に入ってしまう。

 その気持ちの落差に油断をしてしまったのか、探索の訓練で身体に染み込ませている筈の、周囲や足元に注意を払いながら慎重に進むことを忘れてしまっていた。



「きゃー」


 突如、踏み出した足元の地面が崩れ、開いた穴に落ちた。

 自然の穴なのか、落とし穴のトラップなのか。エステルちゃんの身体は、下へ下へと急角度の斜面になっている深い穴の中を滑って行った。


 いつも装備しているダガーを出して、穴の壁に突き刺して止まろうとするが、周囲は凄くつるつるした固い岩石でダガーを突き刺すことができない。

 それでも繰り返し試みもがいているうちに、どれだけ落ちて行っただろうか。

 斜面が徐々に緩くなって、滑るスピードが無くなって行き、ついにどさんと底に着いてしまった。




「やっちゃったー。えーと、どうしよう」


 穴の底に着き、とりあえず怪我をしていないのを確認しながら、心には大きな不安と後悔が襲って来た。

 それでも気持ちをなんとか落ち着かせて、辺りを見回す。

 なんだかとても広い空間に滑り落ちて来たみたいだ。


 天井はもの凄く高い。そしてこの空間の左右の岩の壁はやはり淡く光っている。

 前方はかなり奥が深いようで、暗く何も見えない。

 この先で、地下水が流れ出ている音が聞こえてくるようだ。

 エステルちゃんは、とりあえずそっちに行ってみようと、立ち上がって慎重に歩き出した。


「このお水、とっても美味しい」


 喉が乾いていたので思い切ってひと口含んでみたが、それはこれまでに飲んだことのない美味しい水だった。

 なんだか不思議に力が湧いて来るような気もする。

 それで夢中になって喉を潤していたその時、何かが近づいて来ることに気がついた。



 全身が感じる大きな圧力。

 壁の淡い光が作る視界のなかに、それは入って来た。

 黒くとても巨大なその姿。強靭そうな胴体の背中には翼が畳まれている。身体の後ろには長くて太い尾が揺れているのが見える。

 太く逞しい二本の足は、その巨体をゆっくりとエステルちゃんがいる方向に運んで来る。

 だが不思議と、地面を揺るがす筈の足音がほとんどしない。


 そしてそれは、トカゲのようでまるで違う大きくて恐ろしい顔をエステルちゃんの方に向け、彼女をじっと見つめた。



「ドラゴンさん?」


 腰が抜けて、地面にぺたんと座ったエステルちゃんがそうつぶやく。


「ほほう。お客さんか、何十年、それとも何百年振りじゃ。こりゃ、おぬし、ちびってはおるまいな」

「ちびってないですぅ」

「そこの水は、貴重な甘露のチカラ水じゃからな。おぬしにちびられると、汚れてちと困る」

「だから、ちびってませんよぅ」


「それで、おぬしはどこから来た。あぁ、向うの穴から滑り落ちて来たか」

「は、はい」

「そうかそうか、それは難儀じゃったな。ご苦労さん」

「ここは、あの、どこなんですか?」


「ここか、ん? おぬしはファータじゃな。ファータの里の娘か」

「え、あ、はい。境界の洞穴に入って、奥に向かって歩いていたら穴に落ちて」

「おぬしの里では、境界の洞穴には入ってはならぬとしていた筈じゃがな」

「えと、よくご存知ですね。でも、なんだか入って来いって誘われたみたいな気がして」


「ほぉー、そうかそうか。では、誘ったのは、わしじゃったのかもだの」

「えー、ドラゴンさんが、ですか?」

「アルノガータじゃ」

「え?」

「わしの名じゃ。アルノガータ。ブラックドラゴンのアルノガータじゃ。そう呼ぶがよい」

「それじゃ、アルノガータさん」

「アルさんでもいいぞ」


 それは、姿は恐ろしいが、とっても気さくなブラックドラゴンだった。

 ドラゴン族は太古からこの世界に棲む住人だが、人族もほかの種族も滅多に遭ったことのある者がいない。

 この世界の各地にその棲みかがあるらしいが、呼ばれた者か偶然に辿り着いた者のほかは、ほとんど出遭うことがないと伝えられている。



「どうして、わたしを?」

「うん、おぬしとは分からんかったがの。なんだか気になる存在の感じが、身近にあると気がついての、それでときどき呼んでみたのじゃった」

「それが、わたしですか」

「どうやらそのようじゃの」


 エステルちゃんは、アルさんの大きな姿をあらためて眺めた。

 初めはとても怖かったけど、徐々に恐ろしくなくなってきて、なんだか里の爺たちと話をしているような気分になる。


「おぬしは、こうして眼の前で会って見ると、そうじゃのお」

「えと、会ってみると、どうですか」

「そうじゃの……凄く小さいの」

「だってまだ、8歳の女の子ですぅ」


「そうかそうか、それは仕方ないのお。だが、魂は、もう少し上じゃな」

「魂が上??」

「何かを継承しているみたいだ、ということじゃ」

「けいしょう? 継承って、受け継いでるって意味ですよね」


「そうじゃそうじゃ、おぬしは賢いのう」

「エステル」

「ん?」

「わたしの名前は、エステルです」

「エステルちゃんか。よろしくじゃ」



 ブラックドラゴンのアルさんの言っている言葉の意味を、あまり良く理解できなかったエステルちゃんだが、どうやら魂の具合がちょっと普通と違うみたいらしい、というのはなんとなく分かった。

 だから興味が湧いて呼んでみたらしいけど、それ以上はアルさんにもはっきりしないのだと言う。


「こんなところに来て、ちびらん子じゃというのが分かっただけでも収穫じゃ」

「だから、ちびりませんよぅ」


 エステルちゃんは勇気を出して、トコトコとアルさんの足元まで行くと、「えいっ」とアルさんの太い足を蹴りつけた。


「何度もちびるとか言わないで」

「ほっほっほ、痛い痛い。元気な子じゃの」

「もぅ」



「まぁええわいな。怖くないならまた遊びにおいで」

「はいっ、また遊びに来ます。うー、でもわたしって、ここから帰れるんですかぁ?」

「ふぉっほっほ。ここからあっちに、おぬしの里へは直接は帰れん。なにせ境界のこっち側じゃからの」

「えー、それじゃぁ……」


 直接は帰れないと聞いて、エステルちゃんの大きな両目には少し涙が溜まってきた。


「ここからあっちに、直接はじゃ。わしの側から外に出て、空を超えて行けば帰れるぞい」

「お空を超えるんですか?」

「そうじゃ、お空じゃ。ほれ、わしの背中に乗るが良い。その前に、甘露のチカラ水をもっと飲んでもええぞ」


 エステルちゃんは、その水の美味しさを思い出して、再び手で掬ってごくごくと飲んだ。

 それから跳躍の体術を使いながら、なんとかその巨大なドラゴンの背中に乗る。


「ほれ、わしの首の後ろに、しっかり掴まれよ。行くぞい」

「はいっ」


 アルさんはくるりと反対方向に身体を向けると、音も立てずに走って行く。

 どうしてこんなに大きな身体なのに、走る音がしないのかなぁと、エステルちゃんには不思議だったが、きっとアルさんも探索の訓練をしたんだわ、と勝手に納得した。

 彼女も音を立てずに、歩いたり走ったりする訓練をしているからだ。


 どれだけ進んだだろうか。やがて正面に明るい光が見えて来る。

 洞穴のこちら側の入口らしい。


「ほれ出るぞ。すぐに飛ぶので、ちゃんと掴まっておれ」


 とても大きな口を開けている洞穴の入口を出ると、そこは峡谷の絶壁に開いた穴だった。

 猛烈な風が当たる。


「きゃっ」

「ちょっと待っちょれ。ほい、もう大丈夫」


 アルさんの全身を柔らかなキ素力が包み込んで、その強くて冷たい風を防いだ。

 身体に当たる風は緩やかになり、それほど寒くもない。


「では、送って行くかの」


 アルさんは峡谷の上空に高く高く舞い上がり、やがて水平飛行に移る。

 それにしても凄いスピードだ。どれだけ遠くに行くの? エステルちゃんはちょっと心配になるが、もうこのドラゴンさんに任せるしかないわ、と思い直す。


 それから、どのくらいの時間を飛んだのだろうか。おそらく途轍もない距離だ。

 身近にわたしの存在を感じたって言ってたけど、どんな距離の身近なの。エステルちゃんは、そのことも不思議だった。




「もう着くぞ。おぬしが住むファータの里の近くの森じゃ。ほれ、誰かに見られないうちに着陸するぞい」


 アルさんの巨体がふんわりと森の中の開けた場所に着地すると、すぐに通り抜けられる木々の間を見つけながら、音も無く地上を進んで行く。

 里からはだいぶ離れて着地したようだ。

 そして不意に歩みを止め、身体を低くする。


「着いた着いた。ここからはおぬしが走って行くのじゃ。この先が、あの境界の洞穴の入口じゃからの」

「え、着いたんですね。ありがとうございます」

「ええてええて」


「あの、またアルさんのところに行けますか?」

「来られるぞい。おぬしが落ちた穴から滑って来い」

「えー、あの穴ですかぁ。はい、でもまた行きますっ」

「よしよし、また来い」


 それからエステルちゃんは、何度も後ろを振り返っては手を振り、走って行く。

 大きな大きな黒いドラゴンが、森の中に蹲ってずっと走り去る彼女を見送っていた。




「エステルちゃん、もうすぐお昼よ。あんた、ずいぶん長く走ってたわね」

「えー、そうかなぁ」


 ハンナちゃんが、ダガーをまとに向けて撃ちながら、そう声を掛けて来た。

 まだお昼前なのね。

 エステルちゃんは時間と距離が狂ったような、不思議な感覚を覚えたが、そういうものなんだとも思う。


 さて、お昼ご飯を食べたら、わたしもダガー撃ちをしようかな。それとも風魔法の訓練かしら。

 それから何日か経ったら、また境界の洞穴に行ってみよう。

 もし見つかっちゃうと凄く叱られそうだから、日にちを置かないとだよね。

 そうだ、次はあの美味しいお水、甘露のチカラ水を汲んで持ち帰れるように、水袋を持って行きましょ。うん、そうしよう。


 そう考えながら、エステルちゃんは顔も気持ちもニコニコしてくるのだった。



お読みいただき、ありがとうございました。

この短編は、現在連載中の「時空渡りクロニクル 〜 過去から異世界へ二度転生した俺は、今回は早死にしない人生を歩みたい」の余話、番外編になります。


もしまだ「時空渡りクロニクル」本編をお読みいただいていませんでしたら、ぜひそちらも。

この短編の主人公エステルちゃんは第22話あたりから登場しています。


本編は下段のリンクからどうぞ。

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