第53話 因縁
8回表に、大きなチャンスを湘東学園は迎えた。ワンナウトランナー1塁2塁で、打席には今大会の打撃成績が好調な大野先輩だ。大槻さんは、やっぱり少し疲れが出て来ている。3年生の森さんも決して悪い投手じゃないんだけど……ここは、エースと心中するみたいだ。
まだ2年生という者の意識と、3年生の意識は全然違うし、監督の考え方も違う。この大会の悔しさや経験を糧にして、大槻さんはまだまだ成長する可能性がある。その成長する機会を奪わないために、継投しないという選択肢が出るほどに大槻さんは良い投手だ。
2塁ベース上で、大槻さんの様子を確認する。その際にふと握りが見えてしまったけど、ボールの持ち方はチェンジアップだった。私が一度習得しようとして、抜くという感覚が分からずに挫折した球だ。
……あれこれ走れるのでは?
流石に細かな球種をバッターへ伝えるのは立派なルール違反だけど、自分自身への情報として扱うならば問題は無い。大槻さんが足をあげた瞬間、私は2回目の盗塁を強行する。
今回はサインすら出していないし、完全な単独スチールだ。相手側だけでは無く、味方も大勢驚いている。完全に意表を突いた三盗は予想通り、大槻さんがチェンジアップを投げてくれたお陰で、何とかセーフだった。延長戦の1点を争う時に、盗塁するのは楽しいな。このドキドキ感は、癖になりそうだ。
大野先輩に対して大槻さんが2球目を投げた時に、小山先輩も盗塁を決める。流石にワンナウトランナー1塁3塁の状況で、キャッチャーは2塁への送球をしなかったみたいだ。
カウントは1-1で、ワンナウトランナー2塁3塁。何となく、次の1球が勝負を分けるような気がするかな。
3球目に大槻さんは、ストレートを投げる。スクイズを警戒したのか、その球は大きく外れるボール球になった。カウントは2-1になり、打者有利のカウントになる。
……今、私達のチームはスクイズなんて頭に無かったけど、向こうは警戒してカウントを悪くした。大野先輩は、バッティングカウントからの打率が凄く良い。そして4球目、大野先輩は大槻さんのシュートを捉えてライト前へと運んだ。私がホームを踏んで、小山先輩も3塁を回る。
ライトからの送球は少し右側に逸れて、本塁でのタッチプレイはセーフになったので、湘東学園は2点を追加。その後、久美ちゃんと詩野ちゃんは抑えられたけど、試合は5対3で8回裏を迎えた。
あと、アウト3つだ。そのマウンドに立つのは、1番を背負っている大野先輩になる。
……全力投球だと、私は2回、久美ちゃんは3回までしか持たないからね。ここで大野先輩という監督の選択は正しかったと思うし、大野先輩なら抑えられると私も思った。
だけど9番から始まる和泉大川越の打撃陣に捕まって、ワンナウト満塁のピンチを迎える。バッターボックスには4番の戸田さんが入り、ネクストバッターズサークルには5番の大槻さんが入る。
2点差だから、犠牲フライで1点差に詰め寄られるまでならセーフだけど……出来ればネクストバッターズサークルでオーラみたいなものを漂わせている大槻さんには回したくはない。ファーストの守備位置からでも感じられる気迫は、凄いものだった。
併殺か、外野フライで本塁刺殺が出来れば最高。次点は三振という状況で、大野先輩はライト線に飛ぶ打球を打たれる。ライトを守るのは、智賀ちゃんだ。
「4つ中継!」
「4つ中継!!」
捕手の詩野ちゃんが指示を出す。その指示を、私が連呼した。外野フライの場合の指示は3つだ。「カット」と言えば中継の人が途中で送球をカットして次の指示を待つ。「スルー」と言えば、中継は要らないという意味。「中継」の場合は、中継を挟んで投げろということだ。
「1つ」「2つ」「3つ」はそれぞれ1塁、2塁、3塁の意味で「4つ」は本塁のことだから、今回の指示は本塁まで中継を挟んで投げろという意味になる。この指示が「カット」だけなら、今回の場合は中継に入った奈織先輩でボールは止まる。「4つスルー」なら、直接ホームへ投げろという意味だ。
智賀ちゃんは、送球がよく逸れる方だ。そして今回、ファースト側に逸れそうな予感がしたので身構えると本当に智賀ちゃんは暴投をしてしまった。それを見て、2塁ランナーもホームへと突っ込む。暴走気味だけど、良い判断だと敵を褒めたくなる。
こうなれば、私のバックアップが速いか2塁ランナーの足が速いかの勝負だ。智賀ちゃんの送球が逸れたのを確認した瞬間、1塁ベースから全速力で智賀ちゃんの送球を追いかけてホームに待つ詩野ちゃんへ投げる。
本塁での攻防は、詩野ちゃんに軍配が上がった。タッチが、間に合ったのか。
和泉大川越は1点を返し、2点目は返せなかった。2点差だったのだから、私達の勝ちだ。
5対4。延長戦にまでもつれ込んだ戦いは、湘東学園の勝利で終わった。




