第209話 天才
4回裏。3対0と3点をリードされている大阪桐正はノーアウトランナー1塁3塁とこの試合初めてのチャンスを迎える。
打席に立つのは、4番の根岸。2年生ながら、周囲を黙らせるほどの実力がある彼女は、他の3年生を退けてレギュラーの座を奪取した。そんな彼女は西野を見つめて、既視感に駆られる。
(さっきの打席もそうだったけど、殺気を感じるわね。何処かで会ったことあったかしら?)
初球から、ストレートを使わずに変化球だけで攻める西野の球を、軽く合わせてカットしていく根岸。中学時代の根岸はマスコミにも持ち上げられ、天才野球少女として早くからテレビ局に持ち上げられていた。その影響は強く、彼女は増長して敵も多く作っていた。
(ナックルは、どうせ見せ球にしか使えない代物でしょ?……未完成の代物にすら頼らざるを得ないゴロPに、今のところ抑え込まれているのは、捕手の力が大きいわね)
マスコミが嫌いな奏音とは対照的に、自己顕示欲の強い根岸は同じ天才達が集まる大阪桐正を進学先に選択した。偶然にも1つ上の世代は黄金世代と言われるほどに中学時代の実績は高い人が多く、競争相手には事欠かなかった。
その中で2年生ながらレギュラーを獲得し、4番にも据えられる根岸の実力は本物である。
(まあ、その捕手の考えももう分かりますけど。どうせ今まで見せ球にしていたナックルを、ストライクゾーンに投げ込んで来る。下手すればただのスローボールだけど、意表は突ける。変化すれば、抑えられる算段かしらね)
カウント2-2の6球目。根岸の読み通り梅村はストライクゾーンにナックルを要求し、西野はナックルを投げる。未完成の西野のナックルは、甲子園特有の浜風の影響も受けてそれなりの角度で落ちた。
(この程度のナックル、打てないのなら全国制覇を掲げてないわよ)
その落ちたナックルを捉えた根岸は、遅い球を引っ張って一塁線へ打球を飛ばす。あらかじめ一塁線に寄っていた江渕は必死に追いかけるものの、打球は一塁線の僅かに内側、フェンスに当たって長打となる。3塁ランナーは余裕で生還し、捕手なのに足の速い森友もホームへ突っ込む。
江渕が全力で送球するも、結果はセーフになり大阪桐正は2点を返す。3対2となり、引き続きノーアウトランナー2塁というピンチを迎えた。
「打たせていくからねー!」
根岸さんにツーベースヒットを打たれ、気落ちするかと思った優紀ちゃんは後ろを振り返ってバックに声をかける。決めに行った球が上手く変化したのに捉えられたとか、普通は精神面に影響が出そうなものだけど、メンタル面の強さは優紀ちゃんの立派な武器だ。
2点を取られたものの、それでも気持ちを切り替えた優紀ちゃんは続く大村さんをファーストフライに打ち取る。2打席連続で抑えられた辺り、今日の大村さんの調子は良く無さそうだね。だからこそ、根岸さんが4番になっているんだと思うけど。
ワンナウトランナー2塁になって、6番バッターはセカンドゴロに打ち取るものの、進塁打にはなってしまう。続くバッターに四球を与え、ツーアウトランナー1塁3塁のピンチを迎えるも、ピッチャーゴロで切り抜けて優紀ちゃんは4回までに2失点という成績。
「ナイスピッチ!2点取られてノーアウト2塁の時は同点を覚悟したけど、よく抑えたよ。問題は、次の回だね。マウンドに登った藤波さんがエンジン全開だから、次の回には代打が出て来るはず」
「あ、そっか。次の回は、藤波さんからになるんだ。代打陣も、強いんでしょ?」
「まあ、打撃全振りの選手が何人かいるはずだよ」
5回表は6番の本城さんからで、もしも優紀ちゃんの打順がチャンスで回って来たら代打を出す予定だと御影監督からは言われた。だけど、藤波さんは残りのスタミナを全て吐き出すかの如く全力のストレートを投げ込んで来たので、3年生組のバットからは快音が響かなかった。
5回表は三者凡退で終わり、迎えた5回裏。引き続き優紀ちゃんがマウンドに登るけど、大阪桐正は藤波さんに代打を出す。確か、雑誌のインタビューで打撃だけはチームの誰にも負けないと言っていた人かな?
2回戦の時も代打で出て長打を打っているし、勝負強いんだと思う。しかしこの場面でも、未完成のナックルを投げられる優紀ちゃんの胆力は素直に凄いね。結果的に、ナックルを意識させられたのかツーシームを引っ掛けてサードゴロになる。
上位に戻って、1番バッターにはセーフティバントを決められ、ワンナウトランナー1塁。続く2番の東畑さんは、きっちりと送りバントを決める。ツーアウトランナー2塁で、森友さんか。
……森友さんを敬遠しても、続くバッターが今日2安打の根岸さんだから勝負せざるを得ない。そう思っていると、森友さんもセーフティバントを仕掛けて来て1塁はセーフになった。今回のセーフティバントは完全に意表を突かれたし、森友さんの足は話題になるぐらいには速い。
2塁ランナーが、上手く聖ちゃんの意識を逸らしたのも上手かった。ツーアウトランナー1塁2塁となって、バッターボックスには根岸さん。
ここで優紀ちゃんが、マウンドを降りる。今日は特段暑いし、既に消耗はしていたからね。5回裏という早い段階で私がマウンドに登り、センターには光月ちゃんが入った。




