第106話 本気
1対0で迎えた2回裏。先頭バッターとして打席に立った奏音は、既に10球以上のナックルをファールにしていた。狙ってファールを打っているというよりは、ファールを打たされているという状態で、必死の形相で食らいつく奏音に向かって湘東学園のベンチも必死に声を出す。
「打てる!打てるよー!」
一際大きな声を出す西野に苦笑いを返しながらも、奏音は15球目のナックルを打ちに行く。
しかし、バットの下を掠るだけのファールチップとなり、キャッチャーが落としたためにファールとなったが、奏音は冷や汗を掻いた。
「カノンさん、久しぶりに本気で野球をしているという感じですね」
「……良いんじゃない?甲子園出場が決まって、腑抜けていたなら丁度良い刺激になるよ」
春谷と梅村は、キャッチボールを中断して奏音の勝負の行方を見つめる。芳田も粘る奏音に鬱陶しさを感じ始めた16球目、今までで最大の変化をするナックルが投げられ、ワンバウンドする。奏音のバットは、止まらない。
一度ワンバウンドし、軌道が読みやすくなったボール球に奏音はバットを当て、打球を飛ばす。低い弾道となった打球は、センターがバックして追いかける。
(落ちて!)
奏音は落下することを祈って、1塁へ走る。ライナー性になった打球は、ギリギリセンターの頭を越え、ツーベースヒットとなった。ノーアウトランナー2塁となり、湘東学園は同点に追いつくチャンスを迎える。
なんとかツーベースヒットを打ったけど、最後の方は完全にナックル打ちの練習をしていた感じだな。打った球は、ワンバウンドするような球だったので比較的打ちやすかった。振らせて三振にするつもりだったのだろうけど、そう簡単に三振してたまるか。
さて。ナックルしか投げない芳田さんは、ランナーが出るとほぼフリーパス状態だ。ナックルしか投げない弊害でもあるのだけど、ヒットで出塁すればよほど足の遅い選手じゃない限り、3塁まで進むことが出来る。
もっとも、3塁まで進んだ後が大変なんだけど。次の打者は智賀ちゃんなので、その初球に盗塁をしてノーアウトランナー3塁。
この場面で、犠牲フライを打つのもスクイズをするのも難しい。ホームスチールは、ツーアウトになったら試してみようか。
智賀ちゃんは犠牲フライを打とうとして、ナックルに2球続けて空振り。その後セーフティスクイズをしようとしてバントの構えをするも、バットには当たらなかった。やっぱりあのナックルは、バントで当てるのも難しいのね。
ワンナウトランナー3塁に変わって、久美ちゃんが見せ球のスローカーブをファーストゴロにし、内野ゴロの間に私はホームへ還った。これで1対1と同点になったけど、良い試合だったのはここまでだ。
3回表にはレフトへ3回フライが飛び、3回とも水澤さんは捕ることが出来なかった。実戦だと、素直な打球が飛んで来ることなんてそんなに無いし、この回に湘東学園は3点を失う。その後も失点を積み重ねたけど、6回表にようやく水澤さんが初キャッチした時にはチーム全員がホッとしたというか、祝福ムードになった。
結局、試合は7対3で多久大光陵が勝利。湘東学園は、ベスト4ということになった。秋季関東大会で3位決定戦を行わないので、これで選抜甲子園まではシーズンオフに入る。もっとも、まだ選ばれてすらいないんだけどね。
明日の決勝戦は、和泉大川越と多久大光陵か。どちらも、エースが投げるのかな?それか、もう絶対に甲子園には出ることが出来るから、エースは温存させる?
大槻さんと芳田さんの投げ合いは見てみたいけど、どちらも3連投になるから先発は回避するかな。どちらが勝つかは分からないけど、明日の試合はテレビで見ようか。
「あー、もう。ヒットを打てなかったのは悔しいわね」
「今日の湘東学園のヒットは、3本だけだしね。というか、水澤さんは凄かったよ」
「まぐれでもあのナックルを打てたのは才能あるって。一緒に練習しよ?」
「無理です。死にます。きょうのせんぱんはわたしなのでころしてください」
真凡ちゃんを含め、今日は私と水澤さん以外ノーヒット。水澤さんが打てたのは、優紀ちゃんが言っちゃったけど完全にまぐれだ。一回だけ、水澤さんもピッチングマシンを打ったことがあったけど、その時はずっとボールの下を振っていた。
きっと、水澤さんに金属バットは重かったのだと思う。しかし、ナックルのお陰でそのズレがズレじゃなくなって、綺麗な流し打ちを披露してくれた。意外と力を抜いてバットを下げる感じで打つ方法は、ナックル打ちのコツになり得るかもしれない。
湘東学園が3点も取れたのは、芳田さんが私と3打席も勝負してくれたからだ。その結果は、ツーベースヒットが2本とレフトフライ。結果的に、関東大会でも打率10割を達成するには至らなかった。
今日までの試合を踏まえて、冬を越すことになる。冬休み期間中には合宿もするし、またチームの全体的な底上げをして甲子園に臨みたいな。




