第6章 リラの咲く頃
明けましておめでとうございます。
連載がどんどん遅れて申し訳ないですが
今年も宜しくお願いいたします。 岡野裕憩
ドアを閉めた後、部屋を守る門番に、儀式が終わって女王が出てきたら教えてくれといって、二人は庭園へと足を進めた。
「しっかし、この通路、まるで非常口みたいやなー。せまっ!!」
「陛下が昔、前国王に教えていただいた、庭で遊ぶための隠れ通路だそうで…」
「お、ほんまに庭に通じとるんや。きれいやなー。」
「ほんと。…何よ?」
「お前、髪が埃まみれやで。」
「上田だって顔が煤まみれ。」
そういった後、お互い顔を見合わせ、思わず笑ってしまった。
今頃女王エレノアは粛々と任命の儀を行っているだろう。
そんなに時間はかからないと言っていたが。
この庭園は、今のご時世の割には手入れが行き届いていている。
昔気質の職人が代々庭を守っているからだろうか。
今は特にライラックが実に見事で、この時期は宮廷のどこもかもに咲いていて、
部屋の窓を開けると外から甘美な香りが微かにするのだ。
上田が噴水の縁に腰掛けると、アラリスも続いて腰を掛けた。
春の暖かな日差しが水面に反射して、上田の背中をちろちろと照らす。
(まだ、ここは穏やかやな。いつまでこの状況が続くか。)
上田はそう思いながら欠伸をした。
「…」
「ねぇ。」
「何や?」
「…後悔してない?」
「…」
「ねぇ。」
「…またその話かー、しつこいなーお前。」
「だって」
「『この世界でいつ死ぬか分からん仕事することになって後悔してるかー?』」
「…」
「って言いたいんやろ?何回も言わすなや、しとらん。」
「ほんと?」
「ほんま。」
「ほんとにほんと?」
「ほんまにほんま。」
「ならいいけど…」
そう言ったきり、アラリスは傍にあったライラックの茂みから、花のついている部分を無理矢理引き寄せて、一輪一輪、花の数を数え始めた。少し強引だったようで、花びらがが何枚か落ちてしまった。それを見て「おい、おてんば娘。なにしとんねん。」と言ったが、返事もせずに黙っているので、「そないなことしてると、庭師のおっちゃんに怒られるで」とだけ付け加えておいて、あまり干渉しないことに決めた。
最近の彼女はどうも様子が変である。上田に会う度にそんなことを聞いてくる。
心配しているらしいのは嬉しいのだが、正直、鬱陶しいと言えば鬱陶しい。
(そういえばあの人も、こんなこと俺に言ってくれたな…)
突然、昔のことを思い出して驚いた。
(何思い出してんねん自分?もう終わった事や。)
忘れようと、おもいきり顔をごしごしして、ふと隣を見た。
(よかった、気ぃついて無いわ。)
彼女にはまだ知られて欲しくないことがあった。
自分もまだ完全に気づいていないことなのだけれども。
昔、自分がこの国に生涯携わっていこうと決心した時。
あの人がいて、あいつがいて、皆がいて。
あのとき、何もかも足りなかったけど、誰もが揃っていた。
だけど、あのときから。
そう、あの時からだ。
ぼろぼろと、一人ずつ欠けていったのは。
今も何もかも足りないままなのに。
そして皆、俺の前からいなくなってしまった。
「…ちかちゃんかー、なんか珍しい苗字ですねぇ。今幾つですか?」
「確かもうすぐ1歳になるとか。」
「…。」
あっけにとられる上田を見て今度は二人が訝しげな顔をした。
「それがどうかしたの?」
「…『戦士』ってそんな子供の時から、決められていくものなんですか?」
「何言っているの。普通、大役に任命される者や重要な職務に就く者、特別な国事に携わる者って言ったら、幼少時からそれ相当の特別な訓練をして育っていくものでしょ。あなたの国ではそんなことないの?」
「…そういう国なんですか、ここは」
やっぱりこの国は文治国家ちゅーより武断国家やな、と上田は改めて痛感させられた。
「ところで、上田。明日その子に会ってみない?」
「え?ここにいてはるんですか?」
「ええ、明日『任命の儀』を行おうと思って…、もちろん内密に、ね。」
近年、王族や特別任務に就く者に対する警備が厳重になっている。
だからこういう儀式は特に、関係者だけで行うのが普通になっていた。
「立ち会ってええんですか俺も?」
「一部始終は無理だけど…、先生なんだからお弟子さんの式は見とかなきゃ。」
「はぁ…。」
扉を開くと、その子は安らかに眠っていた。『戦士として選ばれた』子供としては恐ろしく不釣合いであった。この部屋にベビーベッドがおいてある時点で合わないと言えば合わないのだが。今まで幼いといっても幼女ぐらいだろうと勝手に思っていたのだが、幼女というよりも赤子と言ったほうが適切だろう。上田自身、こんな幼子が、一国の争乱の渦中に巻き込まれるのかと思うと、いささかこの国の伝統に疑問を感じてしまう。
その子はこちらを見てきょとんとしていた。将来、この子が今自分の身に起こっていることを理解する時が来るのは一体いつのことなのであろうか。しかし気づいてももう遅い。その頃にはすでに、訳のわからないものに飲み込まれてしまった後なのだから。
「あら、かわいい。」
アラリスが器用に赤ん坊を抱っこした。前に子守でもしたことがあったのだろう。
「この子が、ちかちゃん?」
上田がちかの頭を撫でると、ちかは少し困惑したような顔をした。
「この子アホちゃうわ。ちゃあーんと「この兄ちゃん誰?」って顔しとるで。自分の親と区別できとるー。」
「あんよが可愛い〜」
ひとしきり赤ん坊と触れ合ったあと、エレノアは上田に言った。
「そろそろ…。」
「は、はい。」
女王に赤ん坊を渡すと女王はあぶなっかしく抱いた。
「アラリス、儀式の間、上田を庭にでも案内してあげて。確かこの近くに、あの小さい庭にでる通路があったでしょう?」
「はい、あそこですね。」
「え、お前、陛下についてなくてええんか?」
「上田。この儀式は女王と戦士の一対一でやるものよ。」
「は?」
「そういえば上田、“緑の戦士”の儀式の時にはいなかったわよね。」
「あ、そっか。」
「この儀式では、女王である私がある特別な術をこの子にかけるの。その術は誰にも見せてはいけないのよ。」
「へぇ…。」
「ほら、早く出なさい。」
女王にせかされ、二人は部屋をあとにした。
(こいつも、…そして、あの子も。)
上田は頬づえをついた。
(今、出会っても、いつか俺の前からいなくなる日が来るんやろな…。)
突然、目の前がピンク色に染まった。
「じゃん。」
「うわっ。なにすんねん。」
アラリスはえへへと笑って、ライラックの花びらを上田の手の平に置いた。
「見て。」
「…何?」
「知らないの?」
「だから何を?」
「ライラックの花びらは普通4枚なんだけど稀に5枚のがあるのね、それを見つけた人は幸せになるんだよ。」
「へー、四つ葉のクローバーとおんなじやん。」
「もー、そんなこと言う。」
上田は静かに笑う。
「良かったな、見つかって。」
「…うん。」
アラリスも笑う。
(今は…、今だけを見ていよう)
ライラックの花言葉は「若者の無邪気さ」と「初恋」。
ライラックはフランス語で“リラ”というそうです。
題名の『リラの咲く頃』とはフランスで“一番良い季節”のことを言うそうですよ。