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第1話 なんてことはない、いつもの日常

「今日も有意義な一日だったわ」


 自室にある一人で座るには大きいソファに座って静かにそう呟いた女性――エリス・ハーティは、徹夜明けの眠たさを飛ばすためにコーヒーの香りを楽しみながら一口飲んだ。

 眠たさと窓を通して輝く朝日で、エリスは僅かに目を細める。その悩まし気な姿も、エリスがすると何処かの著名な画家が描いた絵のような妖艶さを醸し出していた。さらにその艶やかな黒色の長髪も、朝日を反射して輝いているように見えて、幻想的であった。


「ふぅ……」


 エリスは小さく溜息をつき、手に持っていたカップを無音でソーサーに乗せた。基本的にエリスは自分がしたいことしかしない性質だが、所作の節々に名家のお嬢様のような育ちの良さが窺える。

 そして気怠そうに立ち上がり、むぅ~と唸りながら体を伸ばす。その時、女性すら羨みそうな豊かな胸が強調される。


「……そろそろ、お風呂に入って一眠りしようかしらね」


 眠気により無意識の内にベッドを目指していた足の方向を無理やり変えて、床に散乱する書類や道具を端へと寄せながら、エリスは浴室へと向かう。

 ふらふらとした足取りで廊下を進みながら服を脱いで、脱衣所に入る頃には既に全裸となっていた。裸になったことで露わになった肌は、左腕の前腕に既に薄くなった傷痕があるのが気になるものの、ずっと見ていたくなる程に瑞々しく柔らかそうだ。


 脱衣所の棚からシャンプーとボディーソープを手に取り、浴室の扉を開ける。浴室に入ったエリスは、まず始めに隅に置いてある椅子をスラリとした足で近くへと寄せて座った。

 そしてすぐに、新たに設置した自作の魔法陣に魔力を通し、起動させてお湯を出した。

 エリスは寝ぼけた頭で、自作の魔法陣がちゃんと動いたことを確認すると満足そうにしてシャワーを浴びる。

 シャワーから出るお湯が、目を瞑ってやや上を向いたエリスの顔を伝い、その美しい肢体を流れていく。ただシャワーを浴びているだけなのに、その様子はまさしく水も滴る良い女と表現するのに相応しい色気がある。


 しばらくの間、顔にお湯を浴びていたことにより、意識が鮮明になる。髪の毛がある程度の水気を帯びたところでエリスは下を向き、そして長い髪をひとまとめにして右肩の前から胸の前へと持っていく。それが彼女の癖だった。

 シャンプーを手に取り、束ねた髪の毛に染み込ませる様に洗っていく。毛先から両手を交互に、徐々に頭頂部へと上がっていく様に髪の毛を洗う。頭頂部へと来ると今度は両手の指で頭部をマッサージしながら丁寧に洗った。

 王宮お抱え魔法使いという仕事柄、埃の多い部屋で過ごす時間が長い。そのためエリスは特に髪の手入れをしっかりとしていた。さらに親友である少女が褒めてくれた髪を、エリスはとても大事にしている。


 洗髪はエリスが魔法以外で真面目に取り組む、数少ないことの一つであった。


 髪の手入れを一通り終えれば、髪以外にあまり関心のないエリスは、身体を一通り洗うと浴室から出た


 脱衣所でエリスは自分が替えの服を持ってくることを忘れていたことに気が付いた。

 一瞬お風呂に入る前に来ていた服に目をやるが、さすがに……といった感じに苦笑しながら首を振りバスタオルを巻いて脱衣所を出る。

 羞恥心から足早になりつつ廊下を進み、自室の扉を開けた。

 誰もいないだろうと思っていたためにタオル一枚などというあられもない格好で着替えを取りに来たのだが、どうやら入浴中に誰かが来ていたらしい。ソファから少しだけ、青い髪の頭が出ている。

 そしてエリスは髪色と、自身の自室を訪ねる人間が親友である少女――ヘラ・アドラスただ一人しかいないとわかっているので、エリスはすぐにソファから出ているのがヘラの頭であると察した。

 また、ヘラが朝早くにエリスの自室を訪ねるのは、エリスの仕事の進歩状況の確認をするためだと相場が決まっており、エリスは月一で書いて提出しなければならない報告書を未だ書いていなかった。真っ白である。すぐにエリスは自分が怒られる事も察した。


 エリスはこの時に何故か、怒りは健康に悪いということを思い出していた。


 そのためエリスは逃げるため、ではなくヘラの健康を気遣って扉を閉めようとする。

――が。


「……おい、エリス」


 ソファの方から聞こえるヘラの威圧感を出そうとする子供っぽい声に、エリスは肩をビクッとさせて、扉を閉めようとしている手を止めた。


「私の前に来て座れ。正座で、だぞ?」


「……私まだ裸なんだけど」


「なら早急に服を着ろ。くれぐれも私にその不愉快な肉塊を見せるなよ」


「……貧乳」


 エリスが呟くとソファの方からぐぎぎ、といううめき声とバキィ、と何かが圧し折られる音が響いた。エリスは何事かと慌ててソファへと駆け寄る。


「ちょ、ちょっとヘラ! 何を折ったの!?」


 バスタオルが落ちたことも気にせず、エリスはソファに座るヘラの前へと飛び出た。ヘラは平時であれば凛々しく整っている顔を、怒りと親友のあられもない姿を見て、耳まで真っ赤にして怒鳴る。


「おい、止めろ! その不愉快な塊を私の視界に入れるな! 貴様は少し恥じらいという物を持て!」


「なんだ、ただのペンなのね。よかったわ」


 エリスはヘラが手に持っているのが帝国から支給される普通のペンであることを見てホッ、と息をつく。


「なんだとは何だ!? 貴様のせいで私がどれだけ恥ずかしい思いをしていると思ってるんだ! あの道具管理局の守銭奴に『またなのか?』とネチネチ文句を言われる私の身にもなれ!」


「知らないわよ。あなたの馬鹿力のせいでしょ」


「ぬがぁぁ! 貴様ぁ! 今、馬鹿と言ったな! そこに直れぇ! その無駄乳ごと成敗してくれるわぁ!」


「ちょ待っ、痛っ、離れなさい!」


「ぬがぁぁあ!」


・・・

・・


「で、だ。貴様、数日前から書いておけと言っていた報告書が未だに真っ白というのはどういうことだ。今回は何をしていた?」


 取り敢えずエリスに服を着せ、先ほどまでの暴走を一切なかったことにして――それでもヘラは恨めしそうにエリスの一部を睨み付けている――ヘラは一枚の白紙の紙を見せつけるように、右隣に座っているエリスの顔に近付けた。

 エリスはその紙を「おほほ」と笑いながらどかしつつ、数日間を掛けて作った新魔法について書かれた紙を机の上から探す。


「……おっと、ありましたわ。これが私の数日間の努力の結晶ですわ!」


 まさしく魔法の新境地ですわ!、とエリスが自慢気にしながら、紙の束をヘラに渡した。ヘラは胡散臭げにエリスを見やった後、白紙の報告書を机に置き、エリスから紙の束を受け取り目を通す。

 その傍らでエリスは意気揚々と自分語りと新魔法についての解説をし始めた。


「私が世の人達のために役立つ魔法を開発したくて魔法局長官になって早三年、ついに、念願の温水のシャワーが完成しましたの! これでお風呂がもっと気持ちよくなりますわよ!」


 この世界ではお湯というのは湯脈を除けば、魔法乃至は井戸で汲んだ水を火を使って沸騰させることでしか手に入れることができなかった。

 さらに、お風呂は布で体を拭くことが主流で、水を流し続けて体を洗うというのは、お湯ではないただの水を使うにしても余程のお金持ちか、魔力に余裕のある魔法使いのみにしか出来ないことだった。

 以上のことを考えると、お湯を出す魔法はそれなりに凄い魔法なのだが、魔法使いでもなく、お風呂も最低限で済ませるヘラにはいまいち凄さが伝わらない。


 まだ説明を続けているエリスの言葉を聞き流しながら、ヘラは渡された紙を斜め読みして顔を上げた。


「ふーん、それで魔力効率はどうなんだ? お湯をすぐに出せるのはいいことだろう、冬場は特に助かるな。だが余りにも魔力を消費するなら、そもそも使えんだろう」 


「うっ、そこは……これから改善していきますわ……」


 そんなエリスの言葉に、ヘラは呆れた様に溜息をついた。

 なぜなら、エリスは人並み外れた魔力を持っているため、少量の魔力を運用するのがとても苦手であった。そしてエリスの作った魔法は、他の魔法使いでは魔力が足りなかったり、複雑あるいは高度すぎて理解できないなどの理由で再現できなかった。

 そのため、エリスは過去にいくつも新魔法を作っているが、その大半が魔力効率を改善する所で頓挫していることを、ヘラは知っているからだった。


 呆れながらも、肩を落とすエリスをどうやって慰めようかと、ヘラは口下手ながらに考える。ヘラはエリスの部屋に来た当初の理由――報告書について完全に忘れていた。


「……新しい物を作ってるんだ、そんな物だろう。次は上手くいくかも知れんしな。……コーヒーでも飲むか? 今入れてきてやる」


 ヘラは手に持っていた紙の束を机に置いた。

 その時に、ヘラの視界に先ほど机に置いた白紙の報告書が入る。それを見た瞬間にヘラはわなわなと震えだし、立ち上がりながら叫んだ。


「……って違うわぁあ! ほ・う・こ・く・しょ・だ! 今すぐ書けぇ! 貴様ぁ!」


 そんなエリスの世間での評価はだいたい二分される。

 大半の人による、使えない魔法を作っている変人という評価と、ごく一部の人間、エリスの魔法を理解出来た魔法使いによる稀代の天才という評価である。


 ヘラは親友であるエリスがもっと世間で認められることを願いつつも、仕事はキッチリとやって欲しいとも願った。


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