脅迫
【クルシス神殿長代理 カナメ・モリモト】
「神子様のご賢察の通りです。本当に申し訳ありませんでした」
自治都市セイヴェルンの権力者十一人が座す評議場。まるでこうなることが分かっていたかのように、そこには十二個目の椅子が用意されていた。
俺がその椅子に腰かけるや否や、フレーゼが丁寧に頭を下げる。評議員はこの街の最高意思決定機関だ。その構成員があっさり頭を下げるのは意外だったが、他の評議員に驚きの色はない。
「……それは、なんについての謝罪でしょうか?」
今まさに、この場では辺境の自治都市連合入りの是非が話し合われていたはずだ。それを考えると、否定的な態度を見せることはあまり好ましくなかった。だが、それは従順なイエスマンになるという意味ではない。
「私たちが、あの黒飛竜が襲撃してくる可能性を認識していながら、神子様にお伝えしていなかったことです」
「私たち、とはここにいらっしゃる十一人の評議員の方々を指すと解釈してもよろしいでしょうか?」
「ええ、そう考えてくださって結構です」
「それでは、あの黒飛竜についてですが……先程、フレーゼ様は襲撃の可能性を認識していたと仰いましたね? 具体的にはどのような情報を掴んでいたのでしょうか」
俺がそう尋ねると、彼女は控えていた男に一枚の紙を渡した。やがて、男からその紙を恭しく渡された俺は、その内容に眉を顰めた。
「これはつまり……脅迫ということですか」
俺はそう結論付けた。渡された紙には長々と文章が綴られており、人間のあり方やセイヴェルンの統治体制にまで踏み込んだ内容だった。
だが、具体的な主張はと言えば、『こちらの要求する物品を提供しなければ、黒飛竜が街を襲うだろう』という強請でしかない。
「セイヴェルンを脅すとは、なかなかの自信家ですね」
俺はそう言うと肩をすくめる。セイヴェルンは一都市でしかないとは言え、その力は下手な小国に勝る。その有数の自治都市に対してなんの捻りもない脅迫を行うとは、なかなか無謀な話だった。
「あの黒飛竜には、その自信を通すだけの強さがありますもの。つい一月ほど前には、堅固な守りで有名だった街が滅ぼされました」
「この脅迫状が悪戯だとは思わなかったのですか?」
「その可能性も考えました。けれど、この脅迫状は少し変わった方法で届けられたのです。……前回の評議会の折に、突然この手紙が宙から舞い降りてきたのです。厳重な警備を潜り抜けて、議論中の私たちの誰にも気付かれずに」
なるほど、それで信憑性が増したということか。けど、それだけならトリックの可能性も否定できないような……。その情報だけで固有職持ちを二十人以上揃えるというのは、さすがに思い切りがよすぎる気がする。
例えば、もし俺が脅迫者側であれば、黒飛竜の次の襲撃先を指定しておいて、しばらく後に実行させる。それだけで信憑性はぐんと上がるはずだ。目的が物品の入手であるなら、脅しのネタを曖昧にしておく意味はない。
……いや、ひょっとすると、実際にそうだったのかもしれないな。さっき「街が一つ滅びた」って言っていたし。
ただ、俺は部外者であり、黒飛竜騒ぎに巻き込まれた格好だ。そんな人間に「襲撃があることを確信していた」などと言えば責任問題だ。だから、それ以上は言えないだけなのかもしれない。
万が一俺が巻き込まれて死んだ場合、「共に戦うことを要請した結果死んだ」と「たまたま自衛のために戦って死んだ」では後の展開が大きく変わってくるもんな。あくまで「可能性があったので備えていた」という形にする必要があったのだろう。
「ご納得いただけていないようですね」
俺が訝しんでいることを察したのだろう、フレーゼが微笑みを崩さず問いかけてくる。
「いえ、そのようなことはありません。何かしらの根拠があり、評議会はこの脅迫状を悪戯ではないと判断した。それが分かれば充分です」
それは嘘ではない。それに、俺には確認するべきことが幾つもあった。
「黒飛竜は、こちらでは有名な存在だったのですか?」
「ええ、昔からシュルト大森林を中心に様々な地方に出没していました。最近は帝国領の近辺が襲われることが多かったようですね。
小さな村を襲うことが多いのですが、最近では大きな街も襲うようになったため、被害が拡大しています」
なるほど、その辺りはクリストフの情報と一緒だな。
「この脅迫状の差出人は分かったのですか?」
「調査中です。この場でお話しできるほど確証のある情報は入手できていません」
その説明には含みがあった。これは後で個別に確認したほうがよさそうだな。そんなことを考えながら、次の質問へ移る。
「脅迫状で指定してきた物品ですが、バリスタと固有職持ちで迎え討ったということは、渡す気は最初からなかったと考えてよろしいでしょうか?」
「――渡す気もなにも、えらい入手困難なもんばっかり指定してきおったんですわ。いくら金を積んでも、モノがのうては話になりまへん。
せやから、評議会としては迎撃するっちゅう選択肢しかなかったんですわ。……や、もちろん黒飛竜が『万が一にも襲ってきたら』の話やで」
そう口を挟んできたのはアルティエロさんだった。
「ま、なんにしても、今回はたまたま神子様がいてくれたおかげで、えらい助かりましたわ。万が一に備えた固有職持ち部隊やったけど、まさか五覇込みでも歯が立たんとは思うてなかった」
どこか演技がかったアルティエロさんの口調だったが、最後の言葉だけは本音そのものであるように聞こえた。そして、彼は意味ありげな笑みを俺に向ける。
「その黒飛竜を倒すとは、辺境の固有職持ちは噂通り……いや、噂以上の強さを持っとると、認識を改めましたで」
「おお、そう言えば、直近の十技大会で優勝した話題の『ルノール選手』は神子様の護衛でしたな。あの黒飛竜を屠る剣士ともなれば、たしかに十技大会での優勝など造作もないことでしょう」
そこへ、わざとらしいトレアスさんの援護射撃が入る。どうやら、彼らはこのタイミングで辺境の自治都市化を認めさせてしまうつもりのようだった。
「もし、今日と言う日に神子様たちがいらっしゃらなければ、この街は大きな被害を受けていたでしょう」
さらにフレーゼも後押しをしてくれる。無理やりな話題転換だが、もともと辺境の自治都市入りは話題の一つだからか、異議を唱える評議員はいないようだった。
「たしかに、神子様たちには助けられた。……だが、それと引き換えに自治都市連合への加盟を認めると言うのはいかがなものかな?」
「うむ、此度の神子様たちの奮戦についての対価は、あくまで別の形で贖うべきだ」
だが、その賛否については話が別だ。辺境の自治都市加盟に反対の立場であろう評議員たちが口々に意見を述べる。
「そうだな。自治都市入りと引き換えに、神子様を危険な戦いに赴かせたと捉えられるかもしれん。しかも、神子様はれっきとした統督教の神官。政治的な取引に使われたとなれば、神子様も我々も立場が悪くなるかもしれませんからな」
「神子様もそのようなことはお望みではないでしょう?」
嫌な訊き方をしてくるな。さすがはセイヴェルンの評議員と言うべきか。中には、辺境の自治都市加入の是非そのものではなく、政敵アルティエロさんとの関係で提案を通したくないという人間もいるだろうし、満場一致での採決は元より期待していない。
「そうですね、たまたま街の危機を解決しただけですから、それを盾に『自治都市入りを認めろ』というつもりはありません。
ただ、『同盟都市の戦力が黒飛竜を撃退した』ほうが、『たまたま居合わせた他国の人間に黒飛竜を撃退してもらった』よりは面子を保ちやすいとは思いますが」
「む……」
俺の答えに、質問を投げた評議員が黙り込んだ。セイヴェルンの街は、自国への併合を虎視眈々と狙っている帝国が近くに存在していることもあり、その防衛戦力に疑問を抱かれることは非常に危険なはずだ。
「……ふむ。もしここで辺境の自治都市入りを却下した場合、後でセイヴェルンの人民に非難されるかもしれませんな。あのように強大な戦力をなぜ味方に引き込まなかったのか、と」
「左様。戦力としての有用性は見せてもらった。辺境の今後については未知数だが、まずは五年の期限付きということであれば、自治都市入りを賛成してもいいだろう」
そう発言したのは俺の知らない評議員たちだ。そして、それは辺境の自治都市入りに対する追い風となり、次第に肯定的な発言が相次ぎ始める。
そして、それから半刻後。自治都市セイヴェルンは、辺境を自治都市として推薦する旨の決議を採択したのだった。
◆◆◆
「辺境の自治都市加盟、おめでとうございます」
評議会が終了した後、俺は別室でフレーゼと面会していた。理由はもちろん、評議場で訊けなかったことを確認するためだ。
「ありがとうございます。……ですが、まだ正式に決まったわけではありませんからね」
当然のことだが、自治都市連合への加盟はセイヴェルンだけが認めても意味がない。自治都市連合として、辺境の存在を認めてもらう必要があった。その点で言えば、まだ油断はできない。
だが、フレーゼは俺を安心させるように微笑んだ。
「神子様は慎重なお方なのですね。けれど、セイヴェルンが推薦する以上は安心してくださっていいと思います。自分たちで言うのはなんですが、セイヴェルンの自治都市連合に対する影響力は非常に大きいものがありますもの」
「そう仰って頂けると心強いですね。朗報を心待ちにしています」
彼女に合わせて俺も笑顔を返す。そして、前置きはこれまでとばかりに本題に入る。
「ところで、先程の脅迫状の件ですが……」
そう切り出すと、フレーゼの表情も真剣なものへと切り替わった。
「差出人は誰か、ということですね。……神子様、あくまで推測の域を出ないということを前提に聞いてください」
「もちろんです」
俺が頷きを返すと、彼女は脅迫状を机に広げながら口を開く。
「神子様もご覧になった通り、差出人の名はありません。そして、身代金目的の誘拐等であれば、金銭を受け渡す瞬間こそが相手を捉えるチャンスですが……」
「あの黒飛竜に要求の物品を引き渡せと言われては、それ以上どうにもできませんね……」
俺は脅迫状の文面を思い出す。たしかに、あんな凶悪な飛竜を受け渡し役に選ばれては、捕まえることもできないし追いかけることもできない。
「とは言っても、あの黒飛竜を意のままに動かせる存在となれば、だいぶ限られてくる気はしますが……」
「神子様の仰る通りです。ただ、これまでの活動を考慮すると、あの黒飛竜はそれなりの知性を持っていると推測できます。考えにくい話ですが、差出人となんらかの取引をしたのかもしれません」
「飛竜と取引、ですか……?」
「あのように強大な存在を支配できるとは考えにくいものですから。……竜を洗脳する古代魔道具を所持しているという噂がある帝国も怪しいのですが、彼らであれば、わざわざこんな回りくどいことをする必要はないはずです」
そう言われて、俺は地竜を操っていた魔道具を思い出す。あんなものが複数あるとは、さすがに考えたくないな。
それに、今回の黒飛竜には洗脳された様子はなかった。俺も確認しているし、魔獣使いのクリストフもそう証言しているのだから信憑性は高い。
「魔獣使いもこの街にお出でだったのですね」
その情報を提供したところ、フレーゼはほっとした様子だった。可能性が低いとは言え、帝国の関与は一番警戒すべきものなのだろう。
「ところで、相手が要求してきた物品はどんな用途に使うものなんですか?」
俺は少し話題を変えた。要求した品から、相手の正体を推測することができないかと思ったのだ。要求品の内容は見せてもらった脅迫状に書いてあったのだが、生憎と俺の知識では何に使うものかさっぱり分からなかった。
「あれらは魔術の触媒として使用されることが多いようです。ただ、ほとんど伝説級の品物まで含まれていましたから、相談した魔法学者も目を丸くしていました」
「触媒……ですか。どのような用途に使う触媒なのでしょう?」
「それが、皆目見当もつかないようなんです」
困った様子でフレーゼは溜息をついた。うーん、こっちから探るのは無理だったか。あんまり期待してなかったけど、魔術の触媒と言われると怪しさが倍増するな。
「それでは、八方塞がりのように思えますが、どうやって手掛かりを発見したのですか?」
俺は素直にそう尋ねた。評議場での発言と言い、先程と言い、彼女が何かしらの情報を持っているのは明らかだ。そして、彼女もその話をするためにこの場を設けたのだろうから。
「……神子様は、私がこのセイヴェルンの評議会でどのような物事を主に扱っているかご存知ですか?」
彼女の問いかけは、話にあまり関係なさそうなものだった。俺は事前に仕入れた知識を思い出しながら答える。
「生活、風俗に関することや、宗教に関わることが主だと聞き及んでいます」
「その通りです。本来なら、この件は治安維持を担う評議員が取り扱ってもおかしくない案件です」
まあ、普通はそうだよなぁ。それを敢えてフレーゼが取り扱うと言うことは――。
「まさか、犯人は統督教がらみだと?」
その答えに、フレーゼは首を横に振る。
「今の時点では、統督教の構成団体ではありません」
その引っ掛かる物言いに俺は首を傾げた。だが、すぐその答えに思い至る。
「つまり、統督教以外の宗教組織と言うことですか……」
千年前の終末戦争が終結した後、すべての宗教組織は統督教の名の下に一致団結した。それは国家の迫害に対抗するものであると同時に、宗教組織がお互いを監視し、再び世界を戦禍に巻き込むような行いを未然に防ぐためでもあった。
この世界の人々は、未だに終末戦争に対する恐怖と警戒心を受け継いでいるため、そんな彼らの心を開くためにも、この仕組みは必要だったのだ。
そのため、「統督教には加わらない」宗教組織が発生すると、その時点で有形無形の様々な排斥を受けるため、統督教外の宗教組織は早期に消滅してきたのだ。……まあ、そこに統督教の暗躍があったことは想像に難くないが。
だが、それは統督教外の宗教が存在しないことを意味しない。
「ここ十年ほどでしょうか。はっきりと姿を現したことはありませんが、継続的に活動を続けていると思われる宗教組織があります。
ほとんど痕跡を残さないため、その全貌は定かではありませんが、その教団は『黒い竜を探していた』ことがあるのです」
「……つまり、その教団が後ろにいると?」
興味深い話だが、少し性急すぎやしないだろうか。あの黒飛竜とイコールで結ぶには弱いような気がするな。
「根拠が薄いことは承知しています。ただ、国家や大規模組織のやり口にしてはストレートすぎますし、中小規模組織であればこのような大それたことはできないでしょう。
私たちが考えつくあらゆる組織の中で、このアンバランスな状態に最も説明をつけやすかったのがその教団だったのです」
そんな俺の懸念を読んだかのように、フレーゼは詳しい説明を続ける。
「ただ、そこは教義も不明ですし、目的も不明です。通常であれば、信徒の獲得に動いた時点で網に引っ掛かるものですが、どういうわけか発見できていないのです。先程申し上げた情報についても、偶然手に入ったものでしかありません」
「打つ手なし、と言うことですか……」
俺がそう呟くと、フレーゼは真剣な表情で俺の手を取った。
「そんなことはありません。神子様のおかげで、黒飛竜はうち滅ぼされました。その全貌は不明ですが、黒幕は最高のカードを失ったと言えるでしょう。
黒飛竜という規格外の存在さえなければ、このセイヴェルンはそう簡単には落ちません」
まあ、それはそうかもしれないな。なんせ、あの帝国の侵略を何度も退けている自治都市だし、そこまで深刻に考える必要はないか。
「神子様、私が把握している情報はこれですべてです。他に何か質問はございますか?」
「あまりに多くの情報を頂きましたからね。頭の中を整理するのに時間がかかりそうです。整理した上で気になる点があれば、また後日お伺いするという形でもよろしいでしょうか?」
それは本音そのままだった。考えることが多すぎて、時間が欲しいというのが正直なところだ。その言葉に対して、フレーゼは穏やかな微笑みを浮かべる。
「ええ、もちろんです。今回の件については、自治都市セイヴェルンの評議員としてだけではなく、私個人としても神子様に感謝しています。恩人のためですから、できる限りお時間を空けますわ。
……神子様、この度は本当にありがとうございました。評議場の玄関までお送りします」
立ち上がるフレーゼに続いて、俺もソファーから身を起こす。いろんな話を聞き過ぎたせいか、頭がざわざわして仕方がないな。今日は早く寝よう。
クルネたちは黒飛竜に追いついただろうか。そんなことを考えながら、俺は評議場を後にした。
◆◆◆
「セイヴェルンを救った神子様に!」
「そして『六覇』の紅一点に!」
「「乾杯!」」
場に居合わせた面々が一斉に盃を呷る。俺の記憶が正しければ、十度目の乾杯と言ったところだろう。
俺たちは今、黒飛竜撃退の祝賀会に招かれていた。
会場はアルティエロさんの屋敷……というか、コルネリオの実家だ。彼が俺たちを招致していなければ、セイヴェルンの首脳部は壊滅していた可能性が高い。そんな理由もあって、祝賀会はアルティエロさんの屋敷で行われていた。
功労者なのにホスト役をやらなきゃならないなんて、損な役回りだ。俺はそう気の毒に思っていたのだが、コルネリオの話では、むしろ祝賀会を自分の屋敷でやることに意味があるらしい。
「どうして、みんな私を五覇に加えたがるのかしら……」
「ここでは、強い人間を讃える言葉が『五覇』だったからじゃないか? それに、六覇としてクルネがちょくちょくセイヴェルンに顔を出してくれれば心強いって心理もあるかもしれない」
小さな声で囁くクルネに、俺は笑いながら答える。俺の護衛という形でセイヴェルンにやってきた彼女だが、この祝賀会ではれっきとした主役であり、ひっきりなしに人がやって来ていた。
「――なんせ、あの黒飛竜は見つかってないんだからな」
「そうよね……」
俺の言葉を聞いて、彼女の表情が少し沈んだものになる。黒飛竜を一撃で絶命させられなかったことを悔んでいるのだろう。
あんな凄まじい怪物を一太刀で切り伏せたのだから、何も反省することはないと思うのだが、真面目なクルネはそれを気にしているようだった。
「本当に、どこへ消えたのかしら。……あの巨体が見つからないなんて、そんなはずないのに」
クルネが憂鬱そうに呟く。彼女の話では、滑空して逃れた黒飛竜は森に着地したらしい。らしいというのは、背の高い木々が生い茂っていた上に、黒飛竜の速度が速かったため、着陸現場を見てはいないからだ。
そして、黒飛竜が着地したと思われる跡地を見つけたクルネだったが、途中で追跡の目印にしていた血痕がぷっつりと消えてしまっていたらしい。
あれだけの深手であれば、そう簡単に血が止まるとは思えなかったのだが……。
風切鷲と一体化したクリストフも空から捜索活動にあたってくれたが、なんの成果も得られなかったと嘆いていた。
こういう流れって、また復活して襲ってくるのがお約束な気がするんだけど、大丈夫かなぁ。
「――クルネさん、大丈夫ですよ。あれだけの深手です。もし黒飛竜が逃げ延びていたとしても、力の回復には数年単位の時間がかかるでしょう。
それだけあれば、セイヴェルンは必ず黒幕を見つけ出してみせます」
と、そんな会話に割って入る声があった。共に戦った五覇の一人、アズライトだ。この祝賀会の初めから、ちょくちょく俺たち……というかクルネに話しかけてくるんだよな。なんというか、アルミードに似ていると思ったのは色んな意味で正解だったようだ。
「それにしても、本当に辺境へ帰ってしまわれるのですか? せっかく貴女という好敵手と巡り合えたのに、もう別れの時が迫っているとは残念です」
「ありがとうございます。五覇のアズライトさんにそう言われるなんて、とても光栄です」
「クルネさん、どうか僕のことはアズライトと呼んでください」
なんだか面倒くさい会話が始まったぞ。とは言え、この場面で俺が逃げるとクルネが辛いよなぁ。その程度のことはさすがに分かる。
そんなことを思いながら美形剣士のトークを聞いていると、彼は不意にこちらを向いた。
「神子様、セルリアンから聞きました。黒飛竜の翼を射貫いたあの強烈な光線は、貴方が発したものだと。もしよければ闘技大会に参加してみませんか? ひょっとすると、五覇は六覇どころか七覇になるかもしれません」
おお、そう来たか。クルネのおまけ感が物凄いが、俺に闘技大会に出るよう勧めてきた人は初めてだな。
「過分なお誘いを頂いて恐縮ですが、あの光はクルシス神の起こしたもうた奇跡です。私が窮地に陥った時に、あのような形でご加護をくださるのです」
だが、慌てることはない。俺は用意していた台詞を口にすると、わざとらしく聖印を切った。さすがに、神の奇跡を闘技場で振るえなどという罰当たりなことは言わないだろう。
なんせ、彼はセイヴェルンの実力者だからなぁ。今後の辺境の立ち位置を考えると、関係をこじらせるわけにはいかないし、穏便に済ませるに限る。
「そうですか、それは失礼を申し上げました」
彼はそう一礼すると、再びクルネに話しかける。
「ところでクルネさん、折れてしまった剣の代わりをお探しですよね? 僕がいつも利用している鍛冶屋があるのですが、よければご一緒しませんか? 彼はセイヴェルンで一番の鍛冶師ですし、クルネさんの腕前に相応しい剣がきっと見つかるはずです」
今度はそう来たか。同じ剣士ならではの話題だな。そう感心しながらトークを眺めていると、俺のほうへ近づく人影に気付いた。評議員のフレーゼだ。
「神子様、少しよろしいですか?」
「ええ、もちろんです」
俺がそう答えると、フレーゼは近くにいた少女に目配せをする。なんだろう、誰かを引き合わせるつもりだろうか。辺境の自治都市入りがほぼ確実だということで、この祝賀会を俺たち辺境組との顔合わせに利用している人間は多いが……。
「あれ? ジュネさんじゃありませんか」
俺の前に姿を現したのは、セイヴェルンのクルシス神殿で司祭を務めるジュネだった。
「……こんにちは」
「こんなところでお会いするとは思いませんでした。その節はお世話になりました」
今日の彼女は、どこか歯切れが悪かった。どうしたのかと訝しんでいると、フレーゼが口を挟む。
「カストル神殿長から、ジュネ司祭を神子様に会わせてほしいと頼まれたものですから……」
「カストル神殿長から?」
意外な名前に俺は驚く。だが、俺の驚きはそれだけではすまなかった。視線を彷徨わせていたジュネが、意を決した様子で俺に視線を合わせる。
「あのね……カストル神殿長が、しばらく神子様の神殿で修行させてもらえって」
「……え?」
俺は何度も目を瞬かせた後、恐る恐る内容を確認する。
「ジュネ司祭がルノール分神殿にいらっしゃると?」
「だ、駄目なら駄目でいいのよ! たぶん、お爺ちゃんの気紛れだと思うわ」
「そういう方には見えませんでしたが……」
カストル神殿長の顔を思い浮かべながら、俺は首を捻った。彼の真意がよく分からない。交流を閉ざしてきた神殿が、なぜ人を派遣すると言い出したのか。しかも、ジュネはクロシア家の直系だ。重要人物であることは想像に難くない。
「私がどうこう言う前に、本神殿のプロメト神殿長に判断を仰ぐ必要がありますね」
こういう時は、責任を丸投げするに限る。普段の神殿長なら受け入れを拒むことはないだろうが、相手がセイヴェルンのクルシス神官となると、さすがに予測がつかない。
「うん。カストル神殿長が今、本神殿あてに手紙を書いてるわ。大急ぎで届けるつもりみたい」
どうやら本気らしいな。孫娘を辺境に派遣するとは、思い切ったことをするものだ。そして、それがただの人事交流だと思うほど俺は素直な性格ではない。
さすがに、ルノール分神殿を内部から破壊するとか、そんな物騒な使命を帯びてはいないと思うんだけど、もし辺境に来るなら警戒しておくべきかもしれないな。
そんなことを考えながら、俺はフレーゼを交えて雑談を行う。セイヴェルンにおける統督教の立ち位置や辺境の今後の展望など、話の種は尽きない。
やがて、フレーゼたちに別れを告げてクルネのほうを見ると、今度は大商人然とした人物から、熱心に何事かを話しかけられていた。闘技場のスカウトか、ひょっとすると護衛の引き抜きかもしれないな。段々クルネも慣れてきたようで、最初の頃のように俺に助けを求める視線を送ってくる気配はなかった。
ちなみに、祝賀会には他の辺境メンバーも呼ばれており、コルネリオとリカルドは精力的に人脈を作っていたし、意外なところではクリストフとアニスのマデール商会も少なからず商談をしていたようだ。
なお、キャロも参加できると言ってくれていたんだけど、妖精兎だと見破る商人が複数いそうだったので、屋敷の庭でのんびりさせてもらっている。
「――おお、初めまして神子様、鍛冶ギルドの長をしているグラハムと申します。神子様と一度お話ができればと思っていたのですよ」
「神子様、この街で転職の儀式をなさるご予定はございませんか? もしよろしければ、私が全面的に協力をさせて頂こうかと――」
少し余裕ができたと思えば、すぐに誰かに話しかけられる。しかも、ちょくちょくなんらかの言質を取ろうとする商人なんかもいるおかげで、さっぱり気が抜けない。
いっそのこと、会場の片隅で浮きながらも騒いでいる、防衛部隊の輪に混ぜてもらいたいくらいだ。どんな言い訳があれば彼らの輪に逃げ込めるだろうか。
そんなことを考えながら、俺は笑顔を浮かべ続けるのだった。
◆◆◆
遅くまで行われていた祝賀会もお開きとなり、辺境組は宿屋の一室でぐったりしていた。その中でも、特に疲れた様子だったのがマデール兄妹だ。
「いやぁ、疲れたね……」
「うん……あんなに人と話したのは初めてだわ」
「けど、景気のよさそうな話をしとったみたいやな。ちょっと聞こえてきたんやけど、巨大怪鳥便の定期運航やて?」
そんな二人に、コルネリオが興味深そうな視線を送る。さすがと言うか、自分の商談で大忙しに見えたのに、仲間の商談までチェックしていたようだった。
「うん、巨大怪鳥便を辺境-セイヴェルンで定期運航しないかという話が幾つかあったよ」
「けど、クリストフはんのとこ、巨大怪鳥って二体しかおらへんかったやんな? 足りるんか?」
「ここから辺境までは遠いからね……ずっと一体をそっちに取られるのは辛いね。それに、巨大怪鳥で運べる荷物の量に限界があるから、ちょっと難しいかもしれない。もう少し飛行速度が遅くてもいいから、大きくて力の強い飛行モンスターがいればいいんだけど……それこそ飛竜クラスじゃないと無理かもしれない」
「飛竜なんて飼い慣らすことができるのか?」
俺がつい口を挟むと、クリストフは残念そうに首を振った。
「どうかな……巨大怪鳥と同じようにはいかないだろうね」
「それなら、いっそ水棲モンスターに船でも曳かせるか? ……って、よく考えたら辺境には港がないのか」
言ってから、辺境の海沿いは断崖絶壁だったことを思い出す。自殺の名所になりそうな感じだったもんな。
「いっぺん辺境の南端を見に行ったけど、あそこに船を停めるんは無理やな。セイヴェルンには港があるんやし、船が出せたら言うことないんやけどな……」
「まあ、なんにしても、辺境が取引に値する相手だと判断される必要があるからね……。彼らの期待を裏切りたくはないものだけど」
「せやな、大前提はそこやからな。そもそも、自治都市連合への加盟かて、五年以内に辺境を発展させなお終いやし、気張るしかないで」
リカルドの呟きにコルネリオが同意する。
「黒飛竜との戦いはクルネさんたちに頼りっきりだったけど、今後は僕たちが頑張る番だね。」
「お、リカルドやる気やな」
「君の父上にも大見得を切ってしまったし、もう退路はないからね」
コルネリオの茶化しに、リカルドは笑いながら応答する。辺境に戻るとすぐに王位継承権の放棄の手続きをすると言っていたリカルドだが、もはやその表情に迷いはない。
「頑張ってくれ。クルシス神殿の陰から応援してる」
と、それは心からの応援の言葉だったのだが、リカルドは半眼で俺を見つめた。
「……どうしてだろう、カナメがまるで他人事のような口ぶりだ」
「ほんまにな。まるで、自分はクルシス神殿に籠もるような言い方やったで」
二人が口をそろえてこちらを見る。お前ら、いつの間にそんなに仲良くなったんだ。
「……まあまあ、二人とも。カナメ君はなんだかんだ言って、絶対に首を突っ込んでくるから大丈夫だよ」
「うん、カナメだもんね」
「そうよね、カナメ君だもんね」
次いで、クリストフの台詞にクルネとアニスが揃って同意を示す。これは信頼……なんだろうか。もちろん、俺にできることはやるつもりだけどさ。
「なんにせよ、これからは忙しくなるだろうね。ここから辺境へ帰るまでの数日間の空旅が、僕らにとって最後の骨休めになるかも」
「うぇ……リカルド、過労死するなよ」
「カナメ、大丈夫や。リカルドが働き過ぎで死にかけたら、ミュスカちゃん連れて来たら一発や。治癒魔法かけるまでもあらへん」
「いや、それ本当に突然死する流れだろ……」
「ミュスカさんの治癒魔法なら、たとえ死後の世界からでも舞い戻ってみせるとも」
みんなはベッドに座ったり横たわったりしながら、そんな会話を続ける。まるで修学旅行のような雰囲気だ。明日には辺境という日常へ向かって出立することもあって、似たような心理状況にあるのかもしれない。
俺たちが眠りについたのは、それからだいぶ後の話だった。