闘技場
【クルシス神殿長代理 カナメ・モリモト】
自治都市セイヴェルンを統治する評議会。商業都市とも呼ばれる街だけあって、その議席を持つ者には大商人が多い。
だが、商人だけが評議会を牛耳っているのかと言えば、そんなことはない。例えば、セイヴェルンの治安維持部門を担うニューマン家がそうだ。彼らは自治都市の治安を担うと言う職責上、いずれの商会とも一定の距離を置いていた。
そんなニューマン家の当主トレアス・ニューマンは、鍛えられた身体つきであり、雰囲気も商人のそれとはかなり異なっていた。
「――あの帝国軍をも退けた猛者たちですからな! 『辺境の守護者』をはじめ、彼らが仲間に加わるとなれば、非常に心強いものがありますな!」
そして幸いなことに、彼は辺境の自治都市入りを歓迎している様子だった。治安維持を担当している彼からすれば、多くの固有職持ちを抱える辺境からの援軍が期待できる、ということの意義は大きい。
「警備隊長から、巨大な鳥型モンスターを従えて現れたとも聞きましたぞ! 聞けば魔獣使いまでいるとのこと。辺境は人材の宝庫ですな!」
彼は上機嫌で言葉を紡ぐ。だが、ふとその笑顔が曇った。
「……しかし、残念ですな。もし『辺境の守護者』がお出でであれば、ぜひお手合わせ願いたかったのですが」
あ、そこなんだ。見た目通りと言えばそれまでだが、彼は自ら前線に出るタイプの人間らしい。その声には衷心からの無念さが滲んでいた。
「今後はそういった機会もあることでしょう。『辺境の守護者』にもそのように伝えておきます」
もちろん、辺境が自治都市として認められればの話だけどね。そんな含みを持たせた言葉に、彼はニヤリと笑う。
「そのためには、なんとしても辺境を自治都市に迎える必要がありますな」
さすがはセイヴェルンの評議員、頭のほうも回るらしい。やはり力馬鹿では務まらないのだろう。
「ですので、そのためにも目に見える実績が欲しいところですな」
「はぁ……」
トレアスさんの言葉の意味が分からず、俺は曖昧に返事を返した。そして、探りを入れようと口を開きかけた瞬間、俺の後ろで風が動いた。
「うむ、さすがは転職の神子だ! よい護衛を連れている!」
「……試された、ということでしょうか?」
楽しそうに頷くトレアスさんに、俺は訝しさを混ぜ込んだ笑顔を向けた。
現在、俺の前にはクルネが、トレアスさんの前には彼の護衛の男が立っている。トレアスさんの後ろで控えていた護衛が殺気を放ったため、クルネが反応したのだ。
「魔法剣士を護衛に雇うとは、さすが自治都市セイヴェルンですね」
そんな緊張状態を打ち消すように、俺はにこやかに口を開いた。
あっさり固有職を見破られたためだろう、対面の二人は感心したようにこちらを見る。転職の神子の面目躍如といったところだろうか。今回は辺境を売り込むために来てるんだし、ここはアピールしておかないとな。
そして、もう一人俺の言葉に反応した人物がいた。俺の前に立っていたクルネだ。万が一に備えて、相手の固有職を伝えておこうと思ったのだが、ちゃんと受け取ってくれたようだ。
「彼は護衛だけでなく、現場でも活躍してくれている。有事の際の要だよ。さて……バイアラン君、どうだったかね?」
俺たちの様子を気にすることなく、彼はバイアランと呼んだ護衛に問いかける。剣の柄から手を離すと、バイアランは鷹揚に頷いた。
「悪くない。……俺たち以外では無理だろう」
「ほう! 五覇以外では歯が立たぬと!? それは面白いな!」
そんな会話に、俺とクルネは顔を見合わせる。リカルドに至っては完全に空気だ。
しばらく待っていると、トレアスさんはこちらを向いて豪快な笑い声を上げた。
「試してすまなかったな! 辺境の固有職持ちがどれほど優秀なのか、確認する必要があったのだ。神子様の護衛は優秀な剣士だと聞いていたから、丁度よいと思ってな!」
「そうでしたか……」
そこまであっさり言われてしまえば、それ以上食い下がるわけにもいかない。それが計算なのか天然なのかは悩むところだが……なんとなく後者な気がするな。
「さて、彼女の実力が期待できるものだということは分かった。ならば、やはり実績を作るのが一番の近道だろうな!」
話が再び見えなくなる。その実績と言うのはなんのことだろうか? 様々な可能性を頭の中で検討していると、トレアスさんは自ら答えを告げた。
「この街には闘技場があってな。年に一度開催されるものから、毎日行われる小規模なものまで、様々な大会が開かれている。世界でも有数の闘技場だろう」
そう述べるトレアスさんは誇らしげだった。……まあ、それは分かるんだけど、ひょっとしてこの流れは――。
「護衛殿には、ぜひその大会に出場してもらいたい! 都合がいいことに、明日は十日に一度の大会が行われる。出場登録はこちらでなんとかしておく」
「……え!? 私?」
まさか話の主役になるとは思っていなかったのだろう。クルネが戸惑った声を上げる。
「……つまり、その大会で優勝することができれば、辺境の固有職持ちの精強さをセイヴェルンの人々に証明できると?」
「その通りだ! 今回は五覇の一人が参加するゆえ、優勝しろとまでは言わぬ。だが、それに比肩する実力があることを示してもらいたい」
そう言われては断りにくいな。最終判断はクルネに任せるが……。
「安心せよ、身元は伏せておく。もし早期に敗退したとしても、辺境に悪い評判が立つことはない」
なかなかの気配りだな。その配慮に後押しされたのか、しばらく悩んでいたクルネは静かに進み出る。
「……分かりました。そのお話、お受けします」
そして、真剣な眼差しで頷いたのだった。
◆◆◆
セイヴェルンの闘技場は、街の統治者たる評議員が誇るに相応しいものだった。
非常に巨大な闘技場を目にして、最初に考えたのは「後ろの人間はロクに見えないんじゃないか」ということだったが、セイヴェルンの財力に物を言わせたと見られる数々の魔道具が、戦いの様子を映し出す仕組みであるようだった。
「ここは評議員しか使用を許されない観覧席だけあって、戦いの様子が一番よく見えますからな。クルネ殿の活躍を楽しみにしていようぞ」
そう説明するトレアスさんは、早くも心が浮き立っているようだった。そんな彼から視線を逸らすと、俺は周囲を見渡す。十日に一度行われる大会であれば、観客席もそう埋まるまいと思っていたのだが、その予想は大きく外れたようだ。
客席を埋め尽くす無数の人々の熱気は、辺境に慣れた俺には少し息苦しいくらいだった。
「この大会はトーナメント方式で、勝ち進めば最大で五回戦うことになる。決勝、準決勝以外の戦いには時間制限があるため、そこまで時間がかかることはないだろう」
周囲を観察している俺に向かって、トレアスさんが闘技場のあれこれを説明してくれる。
本来なら、この大会に出るためには選考会で実力を示す必要があること。専属の治癒師がいるため、死者が出るケースは稀であること。ここで名を上げた者は大商人に広告塔や護衛としてスカウトされる場合もあること。そして、『五覇』と呼ばれる五人の固有職持ちが頂点に君臨していること。
「お! そろそろ始まるようだな!」
そんな声を受けて、俺は中央の石舞台に目をやった。ただ丸い石床が敷いてあるだけの簡易な造りだ。日によっては障害物が存在することもあるそうだが、今回は至ってシンプルだった。
「皆様! 大変お待たせ致しました! ただ今より、十技大会を開催します! 今回は『五覇』の一人、アズライト選手が出場するということで、出場者も腕に覚えのある猛者ばかり! 果たして勝利の栄冠を掴むのは誰でしょうか!」
テンションの高い司会者の声が響き渡ると、観客席から地響きのような歓声が上がった。その声が少し静まってきたあたりで、彼は第一試合のカードを発表する。
「それでは、第一試合! 成長著しい期待の新星! トネル・ヤードン!」
その言葉に応じるように、闘技場の端から槍を担いだ青年が姿を現す。まだ少年らしさを残すその面影には、緊張と昂揚が見受けられた。
「対するは、大会初参加にして正体不明の剣士! ルノール選手!」
次いで、反対側から現れたのは……。
「カナメ? あの選手は、どう見てもクルネさんに見えるんだけど……」
「……だな」
リカルドの問いかけに、俺は言葉少なに答えた。肉眼で見るには距離があるものの、魔道具によって選手の映像を見ることはできる。
フルフェイスの兜に覆われていて素顔は見えないが、兜の後ろから見覚えのある綺麗な髪が流れている。恐らく兜に収まらなかったのだろう。
それ以外の装備は、速度に重点を置いた、革鎧をメインにして部分的に金属鎧を組み合わせたものだ。正体を隠すという目的と、彼女の戦闘スタイルを両立させようとした結果なのは分かるが……。
「なんというか、異様なビジュアルだな……」
「うん、僕もそう思うよ……」
俺はリカルドと顔を見合わせて苦笑を浮かべた。どう見てもスピード重視の軽鎧スタイルなのに、兜だけがやたら重厚な造りなのだ。しかも軽装であるため、『ルノール選手』が女性であることはすぐに分かる。そんな幾つかの要素が相まって、見事なアンバランスさを醸し出していた。
「それに、『ルノール選手』って?」
「ああ、リングネームは好きに決めていいらしい」
「なるほどね、だから村の名前を取ったのか」
俺の答えを聞いて、リカルドは納得したように頷く。
最初は闘技大会の話に驚いていたクルネだったが、自分が護衛としてだけではなく、彼女自身としても辺境の役に立てると聞いて、随分と張り切っているようだった。
『ルノール』というリングネーム一つ取っても、そんな彼女の思いが伝わってくる。
「女だ……珍しいな」
「女剣士か? 本戦に出てきている以上、実力はあるんだろうが……」
「いや、たまに評議員あたりが本戦に出場者をねじ込んでくるし、そっちの枠じゃないか?」
「ま、トネルは最近の若手じゃピカイチだからな。実力の伴わない推薦枠なら、あっさり倒しちまうだろうさ」
後ろの席からそんな声が聞こえてくる。特等席ということで、それなりに区切られている座席ではあるのだが、それでも完全な防音というわけではない。
だが、観客の生の反応を見られるという意味では、むしろ都合がよかった。
やがて、クルネは相手選手と向かい合う。なにやら観客にパフォーマンスを行っていたトネル選手は、クルネの姿を認めると槍を掲げた。
すると、それに応えるようにクルネも剣を掲げる。試合前の礼のようなものだろうか。
「――それでは、第一試合! トネル選手対ルノール選手! ……始め!」
審判の鋭い声が響き渡る。そして、両者は互いの得物を打ちつけ合う……。
――ということはなかった。
「そ……れまで……? ル、ルノール選手の勝利!?」
戸惑った様子ながらも、審判は忠実に職務を果たす。その一瞬の展開から分かったことはと言えば、トネルの槍が空高く弾き飛ばされて、なお滞空中だということと、本人の喉もとに剣が突き付けられているという結果だけだった。
呆気に取られたような沈黙の中、やがて上空へ弾き飛ばされていた槍が、回転しながら落ちてくる。
そして、槍が石床にぶつかってガラン、と音を立てた。まるでその音がきっかけであったかのように、観客たちの呪縛が解ける。
「早え……全然見えなかった」
「常人離れしたスピードだね……ひょっとして固有職持ちなのかな?」
「あのトネルが一瞬とは……」
「なんにせよ、本戦に出場するだけの実力はあるようだな」
そんなざわめきが聞こえていたわけではないだろうが、クルネは観客たちに向かって一礼すると、トネルの槍を取りに行こうとして……途中で進路を変えると、そのまま舞台から歩き去っていく。
「ん? なんで槍を拾わなかったんだ?」
てっきり槍を拾って、彼に渡してあげるつもりだと思ったんだが……。その様子に首を傾げていると、答えはすぐにもたらされる。
「あっさり負かされた上に、弾き飛ばされた自分の武器を拾われてしまっては、相手のプライドがズタズタだからな。……うむ、クルネ殿は実に立派な戦士であるな!」
トレアスさんはとても上機嫌だった。よく分からないが、彼の中でクルネの好感度が跳ね上がっていることは間違いない。
「この様子であれば、固有職持ち以外に後れを取る可能性は低いな!」
「固有職持ちは、『五覇』以外にもいるのですか?」
そう尋ねると、彼は嬉しそうに頷く。
「無論だ! 固有職持ちの中でも、特に優れた戦士たちが『五覇』なのである!」
ということは、他にも固有職持ちが出場しているということだ。そこらの固有職持ちにクルネが負けるとは思わないが、決勝戦より前のタイミングで固有職持ちと当たる可能性は充分ありそうだな。
そして、そんな俺の予感は的中し、クルネは三回戦で固有職持ちと対戦することになったのだった。
―――――――――――――――――
【剣士 クルネ・ロゼスタール】
「それでは次の試合です! 突如彗星のように現れ、颯爽と勝ち進んできた謎の剣士ルノール選手と、あらゆる武器を使いこなす百戦錬磨の達人、ダルケス選手!
未確認ながら、ルノール選手は固有職持ちであると予想されています! それが本当なら、固有職持ち同士の対決という屈指の好カードです!」
「もう……大げさなんだから」
賑やかに囃し立てる司会の声を聞いて、クルネは小さく肩をすくめた。この大会に出場する意義は理解しているし、こういった戦いの場も嫌いではないが、この大仰な煽り文句はどうにかしてほしい。それがクルネの正直な感想だった。
フルフェイスによって狭くなった視界に、対戦相手であるダルケスの姿が映る。
司会の煽り文句からすると、彼の固有職は戦士だろう。武器種を限定されない固有職持ちだということは、その可能性が非常に高かった。
クルネの戦いをどう分析したのか、その手に握られているのは斧槍だ。となると、間合いを優先したのだろうか。クルネが戦い方を考えていると、相手の男から声をかけられる。
「おい女! 悪いことは言わねえ、降参したらどうだ!? そんな似合わねえフルフェイスを見てると調子が狂っちまう」
「私だって、もうちょっとマシなのがあればそっちを選んでたわよ」
クルネは憮然とした様子で言い返した。いくら正体を隠すためとは言え、彼女の美意識からしてもこの格好はひどい。いっそ全身鎧を身に着けようかとも思ったクルネだが、それで満足な動きができなくては本末転倒だと、不本意ながら今の格好に甘んじているのだ。
「お前も固有職持ちなんだろうが、若え女に負ける俺様じゃねえ。女の固有職持ちは人気だし、大人しく金持ちの護衛でもやってたらどうだ? ……ま、わざわざ面を隠してるくらいだ、素顔はろくなもんじゃねえだろうが」
ダルケスは豪快に笑い声を上げた。だが、当のクルネはどこ吹く風だ。闘技大会ではこういった前口上も客席に伝えられているため、そこに凝る人間も多い。そう教えられていたクルネは、さっと愛剣を掲げた。
「私の顔なんてどうでもいいじゃない……早く始めましょ」
「ふん、覇気のない女だ」
「それでは、ルノール選手対ダルケス選手、始め!」
ダルケスが得物を掲げると、審判が開始を宣言する。
開始と同時にクルネが距離を詰めると、ダルケスは少し下がりながら斧槍を振るう。その攻撃を牽制だと見切ったクルネは、半ば伏せるような前傾姿勢を取ると、斧槍の下を潜り抜けた。
「ちっ!」
舌打ちと共に、ダルケスが斧槍の石突をクルネに突き込む。その切り替えの早さはさすがと言うべきだろう。だが、乱れた体勢で放たれた突きなど怖くはない。迫る石突の軌道を左手で逸らすと、クルネは右手に持った剣を振り上げた。
身を捻り、なんとかクルネの斬撃をかわしたダルケスだったが、完全にバランスを崩した身体で次の攻撃は避けられない。
「衝撃波!」
ゼロ距離で放たれた衝撃波をまともにくらい、ダルケスははるか後方に吹き飛ばされていった。
「勝者! ルノール選手!」
打ち所が悪かったのか、ろくに動けない様子のダルケスを見て、審判がさっと腕を振り上げた。その判定に、観客からわっと歓声が上がる。
「なんと、ルノール選手がダルケス選手をあっさり撃破したあああ! これは思わぬ番狂わせです! まさか、彼女は『五覇』の高みに届き得るのか!?」
「あと、二回ね」
少しずつ耐性が付いてきた司会者の煽りを聞き流しながら、クルネは観客席に向かって一礼した。
◆◆◆
四回戦の相手は、固有職持ちではなかった。本来なら、その事実はクルネの有利を保証するものだった。だが……。
「おおっと! ルノール選手が初めて様子を窺っている! 三戦をすべて速攻で決めてきた彼女を警戒させるとは、さすがは『固有職キラー』ミダスと言ったところでしょうか!」
目の前の男は初老の域に達しているはずだが、その立ち姿には隙がない。それがクルネの正直な見立てだった。固有職持ちと『村人』には圧倒的な身体能力の差があるにもかかわらず、迂闊に動くとやられるような気がしたのだ。
それに、クルネの記憶が正しければ、彼は三回戦で盗賊の固有職持ちを倒している。それは驚嘆するべき事実だった。
「来んのか? ……なら、儂から行かせてもらおうかの」
その言葉にクルネは構える。その直後、彼の手から何かが放たれたかと思うと、それは広がって彼女を捕らえようとする。
「網!?」
それは、細かな金属で編まれた投網のようなものだった。咄嗟に剣で斬り払おうとしたクルネだったが、その金属網から火花が散っていることに気付き、大きく後ろへ下がる。
「ほう……いい判断じゃ」
クルネが気を取られている隙に接近したのだろう。すぐ横にミダスの姿を捉えたクルネは、半ば反射的に剣を振るった。
だが、固有職持ちの腕力で繰り出された一撃を、ミダスは巧みに受け流す。それは、剣の軌道を完全に読んでいたとしか思えない動きだった。
受け流された剣が石床を叩き、クルネの腕に衝撃が伝わってくる。そしてそれは、彼女に隙ができたことを意味していた。
「ほっ!」
そこを狙ってミダスの剣が迫る。当然、その剣速はクルネに遠く及ばない。だが、その正確な軌道はクルネを以ってしても回避不可能だろう。
そこで、クルネは覚悟を決めた。
「剛鉄」
クルネは特技を発動させると、そのまま左手を剣の軌道に割り込ませた。左手に重い衝撃を感じながらも、右手の剣を使ってこれまでで最速の突きを繰り出す。
だが、その剣突は、ミダスがいつの間にか左手に持っていた短剣によって、見事に止められていた。が――。
「……ほっほっほっ。降参じゃ」
ミダスが楽しそうに笑い声を上げる。突然の敗北宣言に、観客席がどよめいた。
「まだ若いじゃろうに、いい腕をしておる。……年寄りだからと、あやつらのように持久戦を仕掛けてこないのも嬉しかったのぅ」
その言葉と同時に、彼が持っていた短剣が砕け散り、その首にうっすら血がにじむ。それを見たクルネは、自分が本能的に剣気の特技を発動していたことに気付いた。
「さすがに余裕がのうて、短剣の腹で受けてしもうたからの」
そう言いながら、彼は興味深げな視線をクルネに送る。
「それにしても、てっきり剣士じゃと踏んでいたのじゃが、剛鉄を使うとはのぅ。騎士だったか……?」
それは、クルネが剣を革製の手甲で受け止めたことを指しているのだろう。クルネ自身、あれは賭けだった。ミダスの正確性を重視した剣の威力と、剛鉄を使用した剣士の防御力の勝負だ。
結果としてクルネは勝利を収めたが、左手は痺れて満足に動きそうもない。この大会で初めて、治癒師の世話になる必要がありそうだった。
「えっと、その……」
クルネは言葉に詰まる。ミダスの剣技が達人の域にあることは間違いなく、彼女は固有職の有無を超えて彼に尊敬の念すら抱いていた。
だが、だからと言って自分の固有職をぺらぺら話すことは躊躇われたし、騎士以外が習得した例のない剛鉄の特技を習得している理由が、カナメの協力のおかげだと言うことも、同様に言うべきではなかった。
「おお、これはすまなかったの。こんな衆人環視下で固有職を尋ねるとは、儂も耄碌したものじゃ。
……それでは、儂はこれで失礼しようぞ。お主なら、決勝のアズライトにも勝てるじゃろうて」
そう告げると、ミダスはくるりと向きを変えた。そのまま場を去ろうとする彼を、クルネは咄嗟に呼び止める。
「あの……!」
訝しげに振り返ったミダスに、クルネは意を決して用件を告げる。
「もしよかったら、後で少しだけでも剣の稽古をつけてもらえませんか……?」
「なんと……?」
ミダスの目が見開かれる。自分を負かした相手が「剣の稽古をつけてほしい」と言うのだ。驚いて当然だろう。
だが、クルネからすれば、ミダスは教えを乞うべき剣の達人だ。彼の剣技は遥かな高みにある。せっかく縁を得た以上、有効活用しない手はなかった。
「それだけの強さを持っていながら、物好きなことじゃのう……ま、お主が望むと言うのであれば、儂は大歓迎じゃ。門下生にもよい刺激になるじゃろうしな」
そう言うと、今度こそミダスは去っていった。その後ろ姿を見送りながら、クルネは昂揚している自分を感じていた。
◆◆◆
「さあ、ついにやって参りました! 十技大会の決勝戦です! まずは、本日初参加ながらも、破竹の快進撃を見せて決勝へと勝ち進んだ謎の女剣士! ルノール選手!」
「そして、対するは闘技場に君臨する五人の覇王の一角、剣士アズライト・ゼフィーロ!」
その口上をきっかけとして、闘技場は今日一番の盛り上がりを見せていた。五覇はセイヴェルンにおけるスターであり、その人気は他の剣闘士とは較べ物にならない。
中でも最強と目されているのは魔法剣士バイアランだが、人気という点においては、彼をも凌駕する人物がいる。それがアズライトだと、クルネは事前に教えてもらっていた。
なぜそんなに人気なのかは教えてもらえなかったが、眼前に立つ本人を見て、クルネは理由の一端を察した。
細面で秀麗な顔立ちに、王族だと言われても納得できそうな品のある振る舞い。……そう、彼は非の打ち所がない美丈夫だった。
なんだかアルミードを思い出すわね、とクルネは元パーティー仲間を思い出す。そう言えば、彼も女の子にモテていたっけ。黄色い声援が多いのも無理はない。
最高潮に盛り上がり、物理的な圧力すら感じさせる声援を受けて、その『五覇』アズライトは悠然と剣を掲げた。
「……なかなか面白い戦いを見せてもらったよ。あのミダス老を正面から打ち破るとは、私も油断できないな」
「ふふっ、よろしくね」
喋り方までアルミードと似通っていたせいか、クルネはつい笑い声を上げてしまう。
なんだか「まあ! わたくしのアズライト様に図々しい!」だとか「アズライト様! その男女に天誅を!」だとか、怨念のこもった叫びが聞こえた気もするが、クルネは気にしないことにした。
そして、気を引き締めて愛剣を掲げる。
「決勝戦! ルノール選手対アズライト選手、始め!」
その声と同時にアズライトの剣が光り輝き、長さ八メートルほどの巨大な光の剣を生み出す。油断しないと言ったのは本当だったのだろう。
彼はその巨大な光剣を素早く横に薙いだ。長さもさることながら、三メートルほどの厚みを持つ光剣だ。それを地上すれすれの高さで振るわれては、上空にしか逃げ場がない。
だが、上空に跳ぶのは悪手だった。空中では次の攻撃を避ける余裕がないし、着地時にも隙ができてしまう。下手をすれば、そのまま光剣が軌道を変えてクルネを襲うかもしれない。
人によっては、すでに勝負はついたと、そう捉えた人間もいたことだろう。
「光剣!」
クルネは自らも光剣を生み出すと、自分に迫りくる光に向かって叩きつけた。光剣同士の激突で、辺り一帯が真っ白に輝く。
「おおっと! 光剣同士の激突です! バイアラン選手でさえ正面衝突を避ける光剣を止めたぁぁっ!」
司会者の声を聞き流しながら、クルネは相手との距離を詰めた。アズライトも距離をとるつもりはないようで、受けて立つとばかりに腰を落とす。
「真空波!」
接近戦に入ると見せかけて、クルネは間合いの直前で真空波を放つ。さすがにその程度では驚かないのか、アズライトは身を捻って攻撃を避けると、カウンター気味に小振りの光剣を振るった。
「……っ!」
クルネは、左側から襲い来る光剣をなんとか回避してみせる。……だがその瞬間、嫌な予感に襲われた彼女は、本能的に剣を立てた。その直後だった。
右側で何かが輝いたと思うと、クルネは数メートル吹き飛ばされていた。
「く……」
クルネは追撃を警戒し、転がりながら立ち上がった。咄嗟に構えた剣のおかげで、直撃は免れたらしい。剣気を発動していたのも幸いしたのだろう。多少ダメージは負ったが、動きが鈍るほどではなかった。
今の攻撃は何だろう。突然何かが光ったようだけど……。相手の動きを警戒しながら、クルネはいくつもの可能性を考えたが、これと言った答えは見つからない。だが……。
「あ、そうだ」
クルネは自らの兜に手をかけた。
「ああーーっとぉぉぉ! ここでルノール選手が兜を外したぁぁぁ! ……え、ええっ!? し、しかもフルフェイスの下の素顔は掛け値なしの美人だぁぁぁ!」
「うん、やっぱり視界が全然違うわね」
クルネは満足そうに頭を振った。視界を大幅に遮るフルフェイスは、彼女にとって非常に不便なものであり、先程の攻撃も、フルフェイスでなければもっと早く気付けたかもしれない。そう判断した結果だ。
しかも、よく考えてみれば、これは目的の決勝戦だ。すでに「自治都市に辺境の固有職持ちの強さを見せつける」という目的は達成しており、今更「ルノール選手」がクルネだとバレたところで、なんの問題もないことに気付いたのだ。
「なんということでしょう! 未だかつて、こんなに美しい女戦士が決勝の舞台に立ったことがあったでしょうか!? いや、ない!」
なんだか勝手に盛り上がっている司会者を意識から締め出すと、クルネは愛剣を構える。アズライトが攻め寄せてきたのだ。
さすがに光剣を連発するつもりはないのか、通常の剣を使った連撃がクルネを襲う。だが、先程ミダスの達人級の剣技を見た後では、それほどの脅威を感じない。クルネはそんな感想を抱きながら、襲い来る剣撃を弾き返す。
そして、一向に剣が届かないことに焦れたのか、再びアズライトの剣が光り輝いた。光剣の予備動作だ。
クルネは気を引き締めると、自らの認識が光剣に集中し過ぎないよう制御する。そして同時に、襲い来る光剣ではなく、光剣の根元にある彼の腕を掌で打ち抜いた。これで光剣には対処済みだ。だが――。
そんなクルネの予想を裏付けるように、彼女の右側で光が生まれる。
――ああ、そうだったんだ。
今度はフルフェイスがないためか、何が起きているかは簡単に認識できた。そして、彼女を目がけて振るわれた二本目の光剣を、自らの光剣で迎撃する。
光剣って、二刀流ができたんだ……。そんな驚きとともに、クルネは小さな懐剣を見やる。それはアズライトの左手に握られており、刀身が僅かに姿を覗かせていた。
だが、もはやその攻撃力は失われている。アズライトが新たな光剣を生み出す前にと、クルネは空いている左手を彼の喉元に突き出す。
「ぐはっ!」
予想外の衝撃だったのだろう、アズライトは苦悶の叫びとともにのけ反った。剛鉄を発動した貫き手だ。ただの打撃とは一線を画しているはずだった。
「光剣!」
そして、隙を見せたアズライトに、今度はクルネが光剣を叩き込んだ。技の出の速さを優先し、威力を絞った光剣だったが、至近距離での威力はかなりものであったらしく、彼は天高く吹き飛ばされる。
やがて、重い衝突音とともに、アズライトが地上へ戻ってくる。ぴくりとも動かない彼を見て、まだ戦闘続行が可能だと判断する人間はいなかった。
「……し、勝者、ルノール選手!」
そんな中、アズライトに駆け寄った審判が宣言する。どうやら、彼は完全に気絶しているようだった。その宣言に一拍遅れて、凄まじい歓声が闘技場を震わせた。
「な、なんとおおおおお! 本日の十技大会を制したのは、初出場にして『五覇』アズライト選手を打ち破ったルノール選手だああああ! 私たちは今、新しい英雄の誕生を目の当たりにしたのかもしれません!!」
「最初から最後まで大げさね……」
そう呟きながらも、クルネは観客席に向かって何度もお辞儀をして、手を振り返す。せっかくセイヴェルンの人たちが好意的に受け止めてくれているのだ。自治都市入りの話を少しでも後押しできるように、愛想よくしておくに越したことはない。
なんだかカナメの考え方がうつってきちゃったわね。そんなことを考えながら、クルネは歓声に応え続けた。