評議員
【クルシス神殿長代理 カナメ・モリモト】
「お噂は聞いとります。まさか転職の神子様が、倅と仲良うしてくれてるとは思いもしませんでしたわ」
自治都市セイヴェルンでも有数の権力を誇るミルトン家の当主、アルティエロ・ミルトンは、思っていたよりもだいぶとっつきやすい人物だった。年齢は五十歳ほどだと聞いているが、息子と同じ人好きのする笑顔のおかげか、心理的な隔たりを感じさせない。
「こちらこそ、コルネリオ君には随分とよくしてもらいましたし、本当に感謝しています」
だが、そのことと、彼が油断できる存在かどうかは別問題だ。俺は聖職者として培ってきた穏やかな笑みを浮かべると、準備していた言葉を並べる。
「それにしても、神子様には驚かされますわ。まさかあの辺境が、大陸を賑わす大ニュースを発信することになるとは……。場所柄、このセイヴェルンは帝国に泣かされることも多いし、帝国軍敗退の報は痛快でしたわ」
「上級職持ちである『辺境の守護者』をはじめとして、辺境には優秀な固有職持ちが揃っていますからね。万が一の防衛戦力として、これほど心強いことはありません」
俺はあくまで微笑を絶やさず答える。それは事実であり、そしてセールストークでもあった。辺境が自治都市の一員になった場合、その優秀な防衛戦力が友軍として現れますよというメッセージだ。
「……なるほど、営業トークもお得意のようですな。神子や聖女の肩書を持つ方はどこか超越的な面をお持ちですが、転職の神子様からは私らと同じ匂いを感じますわ」
さすがにバレバレだったか。とは言え、嘘はついてないし問題ないだろう。
「ともかく、辺境の被害が少のうてよかった。このセイヴェルンでは、神子様こそが辺境の守り神や言うてる人間もおるくらいですわ」
「私自身が特に戦争の役に立った記憶はありませんが……辺境の人々の犠牲が少なくてすんだことは嬉しく思っています」
「またまた、ご謙遜を。辺境軍が帝国軍に勝利を収めることができたんは、神子様のおかげやと思いますで」
「辺境に固有職持ちが多いのは、たしかに転職業務の結果です。ですが、それだけです。もし帝国の方が転職を希望して来殿していたなら、やはり転職の儀式を行ったことでしょう。
個人的な心情はともかくとして、私も聖職者の端くれですからね。一方的に辺境に与するわけにもいきません」
直接的な関与をしたと取られないように、俺は模範的な回答を心掛ける。まさか音を保存する魔法球が仕掛けられているとは思えないが、警戒するに越したことはない。
だが、それこそがアルティエロさんの狙いだった。
「そう……問題はそこなんですわ」
「と、言いますと?」
親しげだった彼の気配に、少しずつ別の要素が混ざり始める。
「神子様たちの用件はコルネリオから聞いとります。王国に廃領宣言を出され、帝国軍を撃退した辺境。それが自治都市になる言うんは、流れとして分かります。建国ではなく自治都市となることを選択したとこにも、個人的には好感を持ちますわ」
「恐縮です」
言葉だけ聞けば、辺境の自治都市化に好意的な内容だ。だが、本能的な何かが、彼の言葉を楽観的に受け止めるべきではないと、そう警鐘を鳴らしていた。
「……せやけど、それはアルティエロ・ミルトン個人の感想や。自治都市セイヴェルンの評議員として言わせてもらうと、辺境を自治都市として受け入れるんには気掛かりな点があるんですわ。そして、そのうちの大きな一つが……」
と、そこで彼は言葉を切る。てっきり駄目出しをされるのだと身構えていた俺は、不思議な間の取り方に拍子抜けした。そして、その間が不自然に長くなってきた時、俺は彼の意図に気付く。
そして、そのことに気付いたのは俺だけではなかった。
「――つまり、辺境はカナメ……転職の神子に依存し過ぎだと?」
声を上げたのは、それまで沈黙を保っていたリカルドだった。アルティエロさんは満足そうな様子で視線を移すと、リカルドにその眼光をぶつける。
その様子を見た俺は、やはりそうかと密かに納得した。彼が口にした『問題点』とは何か。それを、俺たち自身で答えてみせろというのだ。
それくらいは自分たちで自覚しているべきだし、それも分からないようでは手を組む価値なしと、そう判断するつもりなのだろう。
「……ま、そういうことですわ」
次第に迫力を増しながら、アルティエロさんはリカルドの言葉に頷いた。
「昨今の辺境の成長は目覚ましい。それは疑いようのない事実や。せやけど、その陰には大抵神子様の存在がある」
……いや、そこまでじゃない気がするけどな。突然の買い被りに驚きつつも、俺は笑顔を崩さないよう顔の筋肉を操作する。
「過分な評価を頂いて恐縮ですが、私はそこまでの存在ではありません。辺境の人々が懸命に努力してきたからこそ、今の姿があるのだと考えています」
そんな俺の答えに、彼は首を横に振る。
「自分で言うのもなんやけど、ミルトン商会の情報網は大陸でも指折りの規模と精度を備えとります。その情報から判断するに、神子様抜きでは辺境の発展は心もとない。それが私の結論ですわ」
その言葉はきっぱりとした断言だった。たしかにまあ、固有職持ちの増加が根本にあることを考えると、俺の影響がないとは言えないが……。
「もちろん、それがアカンと言うつもりはありまへんで。……ただ、それだけ中核を担っている人間にもかかわらず、神子様は統督教の影響力下にある。それはつまり、なりふり構わず辺境を発展させる立場にはなられへんと言うことや」
それは正論だ。前回の戦争だって、過度に辺境に与したと見られないように、いろんな工作をしたからなぁ。
しかし、それならどうだと言うのか。統督教が政治に過干渉できないのは今に始まった話ではない。そう訝しんでいると、彼はその答えを口にした。
「神子様には、辺境の自治都市の評議員になってもらいます。それができるんやったら、この問題は解決したことにしますわ」
「……評議員、ですか?」
それは予想外の言葉だった。まさか、神官相手に評議員への就任を求めるとは思わなかったな。さっきの発言からすると統督教の教義は知っている様子だし、それを踏まえた上での提案ということか。……これは厄介な話だな。
「ですが、そうなると彼はクルシス神殿から……いえ、統督教から排斥されてしまいます。クルシス神殿の援助を失うことは、アルティエロ卿の仰る辺境の発展を阻害しかねません」
返す言葉を選んでいると、リカルドが先んじて口を開く。今回の話は、俺自身が抗弁するよりも他者が指摘したほうが話を持っていきやすい。彼もそう判断したのだろう。
俺にクルシス神殿を離れるつもりがないことは、リカルドならよく分かっている。それが今はありがたかった。
「たしかに、辺境のクルシス神殿がそれなりに人気なんは知っとります。けど、それも突き詰めれば神子様の功績や。
今や、神子様は大陸中に名前が知れとる有名人。もはや統督教の庇護がなくても、充分やっていけるんちゃいますかな。……なんなら、代わりにうちの商会がバックアップしてもええ」
どうやら、彼は俺が統督教に身を寄せている理由を正確に把握しているようだった。なんせ相手は大商人だ。俺が無信心だと察することができれば、その帰結は充分あり得る話だった。
「身に余る申し出を頂いて光栄ですが、今更クルシス神殿を裏切るわけにはいきません。商人の方々と同じく、この仕事も信用は大事ですから」
「たしかに信用は大切やけど、それを失ってでも得るべき利っちゅうんは存在しますで」
「神子は人気商売ですからね。クルシス神殿から破門されたとなれば、私に由来する経済効果も落ち込むことでしょう。あまり分のいいトレードだとは思えませんが」
そう答えると、アルティエロさんが小さく噴き出した。どうやら、神子が自身のことを人気商売と表現したのがツボに入ったようだ。
「それは人気だけで世渡りしとる場合ですわ。神子様の場合、転職能力いう希少かつ重要な能力をお持ちやし、そこまでの影響はないと見込んどります」
ああ言えばこう言う。さすがはミルトン商会の主と言うべきだろうか。評議員の話で俺を辺境から離れられなくして、あわよくば転職事業にも手を出そうというわけか。さすがとしか言いようがなかった。
だが、その提案を飲むつもりはない。統督教の保護下にあることで未然に防がれている企ては数えきれないだろうし、クルシス神殿を去ることで評判が低下したり、統督教が敵に回る可能性もある。
そして何より、クルシス神殿には今までの恩義がある。感情を優先させすぎるのは危険だと分かってはいるが、プロメト神殿長たちを裏切る気にはなれなかった。
だが、それならどうするか。アルティエロさんは、辺境の発展に俺が不可欠だと判断している。俺自身も辺境を離れるつもりはないが、それを幾ら説明したところで口約束でしかない。自治都市連合への推薦は得られないだろう。
思わぬ難題に、俺は心の中で溜息をつく。
そんな時だった。
「――アルティエロ卿」
口を開いたのはリカルドだった。その声にいつもと異なる響きを感じて、思わずその横顔を見る。
リカルドは目に強い光を灯して、アルティエロさんを見つめていた。彼は充分な間を取ると、しっかりした口調で言葉を紡ぐ。
「たしかに、彼が辺境に与えた影響は大きいでしょう。強力なモンスターが跋扈し、生きることに余裕のない生活を強いられていた土地。それが数年前までの辺境の姿です。
しかし、『辺境の守護者』をはじめとした、彼に固有職を与えられた者たちの活躍によって、辺境はかつてのギリギリの状況を脱しています。それは、人口が数倍に膨れ上がった辺境が、今もなおやっていけていることからも明らかです」
リカルドの言葉を聞いたアルティエロさんに反応はない。ただ、その目だけが続きを促していた。
「現状、辺境の固有職持ちは増加の一途を辿り、下手な小国よりもその数は多いでしょう。その時点で、辺境の保有戦力は自治都市の中でも有数のレベルだと推察します。
万が一彼が辺境を去ったとしても、転職した人間までもが辺境を去るわけではありません」
「つまり、神子様がいなくなったとしても、防衛戦力としてはすでに充分な数が揃っており、他の自治都市に対するメリットは大きいと?」
「仰る通りです」
リカルドの説明を聞き終えると、アルティエロさんは興味深そうな表情を浮かべた。
「神子様がいなくても大丈夫、か……。そっちの答えを返してくるとは、なかなかおもろい若人やで。
たしかに、自治都市連合としてのメリットは分かりましたわ。特に『辺境の守護者』が駆け付けるかもしれへん言うんは、抑止力としても優秀やろうし」
どうやら、リカルドの説得は功を奏したらしい。その事実にほっとしていると、彼は意味ありげに俺のほうを見る。
「けど、その答えは半分しか回答になってませんわ。自治都市へのメリットについてはええとします。けど、神子様を指導者として見た時に、彼がいなくなった辺境を誰が発展させるんですか?
今の辺境を引っ張っていくんは神子様しかおれへん。少なくとも、私はそう思うてます。けれど、その神子様は評議員への就任はしないと言う」
俺は口を閉ざして、ただ彼の言葉を待つ。ここで謙遜してみせたところでなんの意味もない。
「そして、『辺境の守護者』は政治には詳しゅうないって情報もある」
「辺境にはまともな指導者がいないと?」
「少なくとも、現時点で信用できる実績を示してる人物は見当たりませんな」
大商人はきっぱりと言い切る。だが、その顔にはお手並み拝見、とでもいうような表情が見て取れた。それは、つまり――。
「……私は、辺境の統治サイドを代表してこの場に参ったと、自己紹介の時に申し上げました」
曖昧な表情を浮かべながらも、リカルドの声には芯が通っていた。
「もちろん、覚えてますで」
それに対する反応は、あくまで飄々としたものだった。まるでリカルドを煽っているかのような態度に思うところはあったが、俺が口出しする場面ではなかった。
「それならば、もう一度申し上げましょう。私はルノール村の村長補佐として辺境の運営に携わってきました。
辺境の人々は、政治的な事柄を忌避する傾向にあります。そのような中にあって、彼らと折衝し、辺境の産業の発展や治安維持に務めてきましたし、その成果こそが現在の辺境であると自負しています」
「なるほど。……それで?」
「――万が一カナメがいなくなったとしても、私が辺境を発展させてみせます」
リカルドは落ち着いた、だが力のある声できっぱりと言い切った。そこには、なんの迷いも躊躇いもない。いつもとは異なる様子に、俺は思わず瞬きを繰り返す。
そこに俺を庇う意図があることは明白だったが、付け焼刃で発した言葉だとは思えなかった。
言葉を発したリカルドは、アルティエロさんの眼力に怯むことなく、それを正面から受け止める。彼の覚悟は疑いようのないものだった。
だが、相手も一筋縄でいく男ではない。
「……ま、そう言うやろうとは思ってましたわ。正直に言えば、リカルドはんも『あり』の部類や。集めた情報だけ見ると悩むところやけど、実物は案外悪くない」
「ありがとうございます」
実に上から目線の評価だったが、リカルドが気にした様子はない。そんな彼に、アルティエロさんは強い視線を当てた。
「……けど、神子様と同じく、リカルドはんにも制約があるはずや」
「それは……」
「場合によっては、神子様よりもややこしい立場にあるんちゃいますか? ……ねえ、リカルド・ゼノ・クローディア殿下?」
その言葉にリカルドは沈黙する。意図的な敬称に込められた意味は明らかだった。生まれの事情で不本意な人生を歩み続けた彼にとって、王族扱いされるということはあまり楽しいことではないはずだ。
「自治都市を併呑しようと企む国家は多い。そして、それは隣接する国家である場合がほとんどや。
せやから、その独立性を担保するため、他国……特に隣国の人間を街の重要ポストに就けるべきやない」
「……それは理解できます」
不承不承ながらも、リカルドは頷きを返す。
「まして、リカルドはんは辺境と接するクローディア王国の王族や。どこまで独立性や公平性を保てるんかは疑問ですわ」
それは言い返しようのない正論だった。リカルドがどう思っているにせよ、傍から見れば彼はクローディア王国の王族だ。自治都市化した辺境を再び王国に併合するため、差し向けられた人員だと見なされる可能性は高い。
実際、生かさず殺さずではあっても、リカルドが今まで生きてこれたのは、王国政府から供給される資金のおかげだ。辺境へ来てからはその必要もなくなっているが、そんなことは他者には分からない。
現実はともかくとして、自治都市連合がそう判断してしまう時点で、すでにアウトなのだ。
「しかも、リカルドはんが別の国や自治都市の重鎮になった場合、暗殺されかねへんはずや」
……え? その言葉を聞いた俺は、内心で眉根を寄せた。暗殺とはずいぶんと物騒な話だが、わざわざそこまでするものだろうか。
「継承権の低い王子が謀反を起こさんよう、王国は王子の動向に目を光らせとるはずや。その王子が有力な国や組織を味方に得たとなると、王国の平和のためと嘯いて刺客を送り込まれる可能性は充分あるで」
「その程度の覚悟なくして、ここに来るような真似はしません」
リカルドはきっぱりと答えた後、少しだけ遠い目をした。
「……私たち下位の王子は、王国政府に快く思われていません。まっとうな職にはつけないし、アルティエロ卿が仰った通り、謀反の兆しがあれば嬉々として軍を出される可能性すらある」
それは王国でも有名な話だ。アルティエロさんは黙ってリカルドに視線を注ぐ。
「けれど、他に生きる術がないからと、その生き方を無理やり肯定して命をつなぐ。そうしているうちに、今度は心が死んでいく。それが私たちの在り方でした」
そう言って、リカルドはちらりと俺のほうを見る。
「ですが、私は多くの人と出会い、彼らの助けを得ることが叶いました。私が今ここに立っているのはそのおかげです。
そうして手に入れたものを、我が身かわいさに投げ出してしまうような、そんな生き方をするつもりはありません」
決して短くない沈黙を経て、リカルドは背筋を伸ばす。その目はまっすぐにアルティエロさんを射貫くようだった。
「――私には、王位継承権を放棄する用意があります」
「ほう……!?」
その言葉には、さすがの大商人も驚きを隠せないようだった。というか、俺も初めて聞く話だが、この場面でブラフを口にするとは思えない。これはリカルドの本気だ。
「仰る通り、王国と辺境の関係性は非常にややこしいものがあります。王族が評議員となれば、後々火種となることは明らか。ならば、王位継承権を放棄するのが妥当でしょう」
「……本気でっか? もし辺境が立ち行かなくなった場合、リカルドはんが逃げ戻る先はなくなるんやで?」
信じられない様子でアルティエロさんが問いかける。
「逃げ戻る先がある人間を、本気で信じてはくれないでしょう?」
リカルドの言葉は、アルティエロさんだけに向けた言葉ではない。辺境民の中には、王国に対して強い不信感を持っている者も多いため、なにかとリカルドに突っかかっていく一派と言うものは存在していた。
その辺りまで考慮に入れた末の結論なのだろう。
「私は不本意と言いながらも、長きにわたり王子の肩書や禄に頼っていました。そういう意味では、アルティエロ卿の懸念はごもっともです」
「だから継承権を放棄する、と?」
「ええ、その通りです。今後は辺境と共にあり、万が一の時には共に路頭に迷いましょう」
生きていればの話ですが、と肯定するリカルドの口調は、決して激しいものではなかった。だが、それでも彼の気迫が、覚悟が伝わってくる。それは、知り合った数年間の間、一度も見たことがないものだった。
「……なるほど、リカルド殿下の心意気は分かりましたわ。下位の王子は人生を諦めている人間ばかりと聞いてましたが、殿下のようなお人もいるんですな」
そして、その無形の何かは、アルティエロさんにも伝わった様子だった。彼は今までよりも好意的な口調で話を続ける。
「リカルド殿下が継承権を放棄して、評議員として腕を振るうと。それは分かりましたわ。
ただ、王国のほうはそれで綺麗に諦めてくれるんですか? さっきは暗殺や言うたけど、逆に殿下を辺境併呑の足掛かりやと考える王族貴族や高官かているはずやし」
「もちろん、そういった輩も存在するでしょう。ですが、完全にシャットアウトするよりは、窓口の一つもあったほうが制御もしやすいかと。
辺境とのパイプ役となれば、迂闊に暗殺するわけにもいかないでしょうしね」
リカルドの回答を聞いて、大商人は愉快そうに頷いた。
「自ら王国の窓口となって、手の平の上で踊らせるつもりでっか。なかなか面白い話や。……せやけど、なんと言っても王国は隣国。人の出入りも避けられへん。制御できる範囲を超える可能性は低くないんちゃいますか?」
「そこはそれです。王国が調子に乗らないよう、牽制する仕組みを考えています」
「ほう?」
アルティエロさんは興味深そうに身を乗り出した。それを受けて、リカルドは俺と話し合った新しい辺境の体制の説明を行う。
「具体的には、帝国の人間に評議会の席を用意するつもりです」
「なんやて……!?」
さすがにこの回答には驚いたのか、大商人はまじまじとリカルドを見つめた。
「辺境に対して最も影響を持つ国は、隣国である王国ですが、その王国は帝国に対して非常に及び腰です。そこで、王国と帝国で牽制し合ってもらおうかと思っています。
本来なら地の利から王国が有利ですが、国同士の力関係で言えば帝国のほうが上。なかなかいい綱引きをするんじゃないかと考えています」
リカルドの説明に、アルティエロさんは納得した表情を浮かべる。
「王国であれ帝国であれ、相手国と、他の評議員をすべて出し抜くのはえらい難しいやろうしなぁ。辺境の性質上、出入りを完全に管理できるとは思えんし、そっちのほうがマシか。なかなか面白いことを考えますなあ。
……けど、今の話やと帝国サイドの人間を辺境の評議員にするわけで……そんな人間に心当たりが?」
「帝国との戦争時には、色々な縁を結びましたからね」
そう言ってリカルドは意味ありげな笑顔を浮かべた。商人顔負けのその表情に、今度はアルティエロさんがニヤリと笑う。
「なるほど、それでええことにしときましょ……この件については」
その一言で、俺たちは再び身構えた。彼は問題点が一つだけだとは言っていない。だが、彼が求める答えに心当たりはあったし、そっちについてはリカルドと打ち合わせ済みだ。
彼が包みを取り出すのを、俺は黙って眺める。
「これは?」
突然取り出された包みを見て、アルティエロさんが興味深そうな表情を浮かべた。
「辺境の特産品です。よろしければお納めください」
「……中身を拝見してもよろしいですかな?」
「もちろんです」
普通に考えれば、このタイミングで贈答品を渡すなど考えにくい。となれば、今の話の流れに関係するものだと思うのが普通だろう。彼は躊躇いなく包みに手を伸ばした。
包みを開き、簡易な包装から中身を取り出した彼が目を細める。中から出てきたのは、羊毛で編まれたストールだ。精緻な模様が編み込まれたストールは、商業都市セイヴェルンの高級品市場に並んでいてもまったく見劣りするものではないだろう。
だが、これがセイヴェルンの評議員への贈答品になるレベルかと言えば、それは微妙なところだった。上には上がいる。そして、セイヴェルンにはその上の上が集まってくるのだ。目が肥えていないはずはない。
「女性もので恐縮ですが、羽織って頂けませんか?」
「……」
リカルドに探るような眼差しを向けながらも、彼は大人しくストールを首にかける。その仕草に躊躇いがないのは、俺たちが実子の友人であるからだろうか。
ストールを羽織ったアルティエロさんは、やがて目を見張った。
「なんやこのストールは……?」
そう呟きながら、彼は突然立ち上がった。そして腕を振り回したり軽く跳ねてみたりと、来客中とは思えない動作を披露する。傍から見れば失礼極まりない話だ。
だが、そうするだけの理由があのストールにはあった。
「身体能力強化の効果があるストールです。魔術師のそれと比較すると効果は薄くなりますが、それでも充分な機能を持っていると思います」
そう種明かしをするリカルドに対して、アルティエロさんは肩をすくめてみせた。
「……たしかに、これは素晴らしい品ですわ。人によっては、万金を積んで手に入れようとしてもおかしない逸品や。けど、この魔法衣がなんの答えに――」
と、そこまで呟いたところで、アルティエロさんは動きを止めた。
「……これを作ったんは誰か訊いても?」
その言葉に、リカルドはにっこり微笑む。
「アルティエロ卿のご慧眼には感服いたします。製作者は辺境に住む縫製師の固有職持ちです。さらに言うなら、そのストールに使われている羊毛は花実羊から採れたもの。魔力を貯蔵する性質がある花実羊の毛は、縫製師と相性がいいようですね」
縫製師は、その名の通り縫製品に特殊な効果を込めることができる生産系の固有職だ。細工師と比べると、及ぼすことのできる魔法効果が小さい傾向にあるが、魔力の燃費がよく材料費が比較的安価なこともあって、その用途は様々だった。
「その作品を作った縫製師の転職代金は、ルノール村から出ています。彼女専用の工房も貸与しました。
その代わり、この先十年間は辺境の外へ居を移さない。それが縫製師と交わした約定です」
そう説明するリカルドに続けて、俺も援護の言葉を放つ。
「さらに言うなら、他にも生産系の固有職持ちには心当たりがあります。もし魔法武具や魔法衣、魔道具が同じ場所で入手できるとなればどうでしょう」
「ほほう……」
「辺境には主産業がありません。敢えて言うなら、クルシス神殿の転職事業と、マデール商会の魔物使役事業が挙げられますが、それも産業というには決め手に欠けます。
ここで、外から辺境へ来る人たちの層を分析しますと、戦闘職への転職を望む人や、シュルト大森林での狩猟採集を目的とする人が多いようです。ならば、そういった人々をメインターゲットとして、産業を発展させていくのも一つの手でしょう」
もちろん一次産業の規模拡大は大前提ですが、とリカルドは付け加える。
「アルティエロ卿が心配している事柄の一つは、辺境の経済規模が小さいことであると推察します。……たしかに、現段階では吹けば飛ぶような経済規模かもしれません。ですが、将来性においては、大きな可能性を秘めていると考えます」
俺がそう補足すると、アルティエロさんは楽しそうに頷いた。
「たしかに、辺境は注目の地や。転職の神子もおるし、最近では辺境産のモンスター素材に注目する商会も多い。ここに生産系固有職持ちの拠点ちゅう要素が加われば、戦いを生業とする人間にとっては聖地になるかもしれませんな」
そして、一度そうなってしまえば、そういった人間を相手に商売をしようと考える人たちが他の地域から集まってくる。そうなれば、今度はそれを目的として人が集まって……という循環も期待できた。
「ただ、神子様にせよ生産系の固有職持ちにせよ、あくまで個人の属性によるものや。辺境の経済的な発展を保証するものとしては、少しギャンブル的な要素が強い気がしますわ」
そう言いながらも、アルティエロさんは心が動いている様子だった。あと一押し。あと一押しが必要だ。少し逡巡した末、俺はトップシークレットを切る覚悟を固めた。
「他にも、辺境を発展させる要素はあります。……戦争の折に、帝国軍が妙な動きをしていたことはご存知でしょうか?」
「そら、知っとる」
「詳しくはまだ言えませんが、その動きの背景には理由がありまして……」
俺はそこで言葉を止める。これだけの情報で気付くかどうか。それは、ミルトン商会の情報網の精度の確認でもあった。
そして、彼のはっとした表情からすると、やはり優秀な情報網を持っていたようだった。
「まさか、古代遺跡はほんまにあったんか……?」
俺は曖昧な笑顔を浮かべると、それ以上の追及をシャットアウトする。情報の出し惜しみをしているわけではなく、実際に不充分な情報しか得られていないからなのだが、そこまで正直に答える必要はない。
「帝国には、優秀な古代文明の研究者が揃っているんでしょうね」
あまりに遠回しな肯定だが、それに気付かないアルティエロさんではないだろう。
古代文明の遺跡には、現在の魔法技術では再現できない貴重な品が山のように埋もれている。そして、そういった古代の魔道具を目的として、研究機関や一攫千金を夢見る者たちが押し寄せるのは確実だ。
そのため、遺跡が実際にあった場合、近くの街や村が受ける恩恵が大きいことは歴史を見ても明らかだった。
「……それが本当なら、たしかに辺境の将来性には大きな見込みがありますわな」
「では……?」
希望をこめて続きを促すと、彼は慌てるな、とでも言うように手を振った。
「ただ、遺跡の運営はなかなか難しい面を持っとるし、厄介の種になることも珍しゅうない。賑やかになるんは間違いないでしょうが、その方向性を制御できるかどうかは……」
そう言うと、彼は何事かを考えこむ。その顔は商人のものであり、そして自治都市の評議員のものでもあった。
やがて、俺たちが見守る中、アルティエロさんは五指を広げてみせた。
「……五年ですな」
五年とはなんのことだろうか。そう訝しむ俺たちに、アルティエロさんは詳しい説明を始める。
「まずは五年の期限付きで、自治都市連合への加盟を推薦しますわ。ほんで、その間に『辺境の将来性』を見せてもらいます。そこで充分な発展を遂げていれば正式に自治都市へ加盟、もし今と同じ状況が続いているようなら、五年で自治都市連合から抜けてもらいます」
その意味を理解した俺とリカルドは、同時に頭を下げた。
「ありがとうございます!」
五年の期限付きと言うのは落ち着かないが、現状を鑑みれば、辺境の発展が今で頭打ちになる可能性は非常に低いだろうし、かなり分のいい条件に思えた。
「なに、こちらこそ色々意地の悪いことを言うてすんませんでしたな。さすがに事が事なだけに、試させてもろうたわ。気ぃ悪うしたかもしれんけど、堪忍したってや」
さっきまでの威圧感が嘘のように、アルティエロさんは陽気な笑みを見せた。その辺のバランスはさすがと言うべきだろうか。
もともと、彼を恨みつらみの対象にするつもりはないが、かすかにあった毒気まで抜かれた気分だった。
「倅の友人とは言え、公私混同するわけにもいきまへんからな」
「いえいえ、卿のお立場を考えれば当然です」
こちらもほっとした様子で言葉を返す。そして、辺境にかかる細かな事項をいくつか確認した後、アルティエロさんは話題を切り替えた。
「ところで、辺境を推薦することは約束したけど、私が一人で推薦したところで、セイヴェルンの評議会で承認されるかどうかは未知数や。それは先に言うときます」
「そうですか……」
これだけやって、まだ未知数なのか。盛り上がっているところに水を差された気分だが、それを見せないよう淡々と答える。だが、彼の話はそこで終わりではなかった。
「そこで、ですわ。実は、一緒に辺境を推薦してくれそうな評議員に二人ほど心当たりがありましてな。
もしよかったら、そっちにも顔出しまへんか?」
その提案は渡りに船だった。ここまで来たら、やれることは全部やるしかない。そんな気持ちで俺たちは深く頷いた。
それにしても、辺境を推薦してくれそうな評議員って誰のことだろうか。
「考えとるんは、治安維持部門を担当するニューマン家と、企画なんかを担当するエチレア家ですな」
「ニューマン家は分かりますが、エチレア家ですか? たしかにお名前は存じていますが……」
リカルドが不思議そうに首を捻る。それに対して、アルティエロさんは気軽な様子で答えを口にした。
「ああ、エチレア家はごっつう『信心が篤い』家やからな。統督教全般に対して理解が深い。神子様なら、セイヴェルンのクルシス神殿を頼れば簡単に動かせるでしょう」
それはつまり、裏で統督教と繋がっている評議員ということだろうか。まあ、俺も思い当たることはあるし、何も言うまい。
それにしても、まさかプロメト神殿長から警告を受けた、この街のクルシス神殿へ行くことになるとはなぁ。ややこしいことにならなければいいが……。
そんな事情を口にするわけにもいかず、俺は笑顔で頷きを返すのだった。