自治都市セイヴェルン
【クルシス神殿長代理 カナメ・モリモト】
「こら、ごっつい速さやな! 今までとは比較にならんで」
「でしょ? お兄ちゃんが本気を出せば、これくらいわけないわよ」
眼下の景色が物凄い速度で流れていく。目まぐるしく移り変わる地上を眺めながら、俺はコルネリオとアニスの会話を聞いていた。声しか聞こえないが、アニスが得意げな表情を浮かべているのが見えるようだ。
俺たちは今、自治都市加盟の口利きを依頼するために、商業都市とも呼ばれる自治都市セイヴェルンへ向かっていた。
巨大怪鳥便に乗り込んでいるのは、評議員から指名された俺と護衛のクルネ、顔繋ぎ役のコルネリオに、辺境の統治サイド代表であるリカルド、そしてクリストフとアニスのマデール兄妹だ。もちろんキャロも一緒のため、総勢では六人と一匹ということになる。
なお、マデール兄妹は自治都市の話自体には関係ないのだが、今回は巨大怪鳥便を最高速度で運行するために、魔獣使いのクリストフ自身が乗り込んでいた。そしてそれは、ひとえに俺の事情によるものだった。
辺境からセイヴェルンまでは、巨大怪鳥便を使っても往復で二十日ほどかかるのだが、神殿を二十日間も空けるのはさすがにまずい。
そこでクリストフに相談したところ、彼自身が巨大怪鳥便に乗り込んで『魔獣強化』をはじめとする強化特技を使えば、期間はかなり短縮できるとのことで、こうして同乗してもらったのだ。まあ、一緒にアニスが付いてきたのは予想外だったが。
「普通の巨大怪鳥便でも凄く速かったのに、信じられない速さよね」
同じ窓から外を眺めていたクルネが、目を輝かせながら話しかけてくる。相変わらず巨大怪鳥に乗るのが好きだな。
「まったくだ。これだけの大質量がこの速度で突貫したら、要塞の壁くらい余裕で木端微塵にできそうだな」
「なんでそういうことを考えるのよ……」
そんなやり取りを交わしてどれくらい経っただろうか。のんびり寝転んでいた俺は、クリストフに呼ばれて窓際へと連れていかれる。
「急にどうしたんだ?」
「この魔道具を使って、アレを確認してほしい」
クリストフが真剣な表情で差し出してきたのは、望遠鏡を思わせる懐かしいシルエットの魔道具だった。遠くを見る魔道具のはずだが、目的が共通であれば自然と似通ったデザインになるんだろうか。
そんなことを考えながら、俺は魔道具を目に当てる。そして――。
「なんだあれ……」
俺は思わず呻いた。肉眼ではただの黒い点にしか見えないが、こうやって見るとなんらかの生物であることが窺えた。……というかあれ、俺たちが乗ってる巨大怪鳥より遥かに大きくないか?
「巨大怪鳥が取り乱した思念を送ってきたから、どうしたのかと周囲を探してみればこれだよ」
「クルネ、ちょっとこっちへ来てくれ」
クリストフの話を聞いて、俺はクルネを手招きした。俺が見るよりも、固有職持ちが見たほうがよく分かるだろう。
不思議そうなクルネに状況を説明すると、彼女は納得したように魔道具を覗き込む。そして、焦った声を上げた。
「飛竜じゃない! でも、あんなに大きいのって……」
その言葉を聞いて、巨大怪鳥便の客席内はにわかに騒然とした。
「飛竜やて!?」
「あの黒い点のことかい? だとしたら、かなりの巨大さだね……」
「まさか上位竜!? ううん、でも飛竜の中には巨大な種もいたはずだし……」
「向こうはこちらを歯牙にもかけていないようだね。カナメ君、急いでいるところを悪いけど、迂回するよ」
「もちろんだ」
クリストフの指示を受けて、巨大怪鳥の進路が逸れる。幸いなことに、黒い点が追いかけてくる様子はなかった。
「あれ、なんだったんだろうね……」
「さあ……上位竜じゃないことを祈るだけだな」
そんな会話を交わしながら、俺たちは飛竜がいた方角を見つめるのだった。
◆◆◆
自治都市セイヴェルンは交易都市とも呼ばれており、その大きな理由の一つとしては、海に面した立地と、そこに設けられた大陸最大級の港が挙げられる。
海と繋がった巨大な都市は、圧倒的な存在感を持って俺たちを出迎えてくれた。
「これがセイヴェルンなんだ……」
「驚いたやろ? ……ようこそ、セイヴェルンヘ!」
クルネの呟きに対して、コルネリオがおどけてみせる。芝居がかった仕草で街を指し示すその顔には、どこか誇らしさのようなものが漂っていた。
「コルネリオ君、いつも巨大怪鳥をどの辺りに降下させているんだい?」
「ああ、街の右手にちょっと開けた場所があるやろ? 荷馬車とかが大量に止まってるとこや。そこらへんに頼めるか」
「分かったよ」
コルネリオの指示に従って、巨大怪鳥が進路を変更する。やがて、ゆったりと巨大怪鳥が着地すると、警備兵らしき集団が俺たちを取り囲んだ。……って、あれ?
「お前たち、そこで止まれ! それ以上モンスターを街に近づけるようなことがあれば、容赦なく排除する!」
集団の中から、隊長格らしき人物が姿を現す。彼の後ろには、魔道具らしきものを構えた兵士の姿も見えた。
「……おい、コルネリオ?」
降下ポイントを指示したコルネリオに視線が集中する。ちょくちょく巨大怪鳥で買い付けに来ていたはずだが、今までどうしていたんだろうか。
「んー、いつもの隊長がおれへんなぁ。交代したんか?」
視線の集中砲火を浴びながらも、コルネリオに気にした様子はなかった。そして気負った様子もなく巨大怪鳥便の客室から外へ出る。
彼に続いて俺たちもぞろぞろと客室から出て行くと、隊長らしき人物が目を見張るのが見えた。
「まいど! 警備お疲れさんです!」
「あ、ああ……」
コルネリオの様子に毒気を抜かれたのか、隊長格の男は目を瞬かせながら応答する。
「コルネ商会のコルネリオ・ミルトン言います。警備隊長のリーベルトさんには、いつもこの巨大怪鳥のことでえらいお世話になっとりまして……ひょっとして、異動しはったんですか?」
「ミルトン……?」
話の内容ではなく、コルネリオの家名に男は反応する。そこへ警備兵の一人が走ってきて何事かを耳打ちすると、彼の目が見開かれた。
「……これは失礼した。ミルトン家のご子息でしたか」
男の態度が目に見えて変化する。自治都市の評議員は貴族レベルの地位と権力を持っていることを考えれば、それも当然なのかもしれない。
「確かにミルトン家やけど、ミルトン商会とは別やし気にせんといてください。……ところで、今の隊長はそちらさんですか?」
「いや、リーベルト氏は忙しくてな。しばらく私が代わりに指揮を執っている。私はオリバ・ニューマンという」
評議員とは少し距離があることを説明したせいか、オリバと名乗った隊長の顔に少し余裕の色が戻った。たしかに、巨大怪鳥で乗り付けてきたのが大貴族の放蕩息子だったりしたら最悪だもんな。
最悪の事態が避けられて一安心といったところだろうか。
「ニューマン? 同じ言葉を返すようやけど……」
「分家の一つでしかないがな」
「代理指揮を任されとるんやから、期待されてるんちゃいます? レイコフ商会の若頭かて……」
会話はどんどんローカルなものへと遷移していく。そんなよく分からない会話に首を傾げていると、いつの間にか隣にリカルドが立っていた。
「ニューマン家と言えば、コルネリオのミルトン家と同じく評議会に議席を持っている一族だね。それも、治安維持部門担当だ」
そして、いつの間に勉強したのか詳しい事情を教えてくれる。
「そうなのか? ……なら、あまり無様な姿を晒すわけにはいかないか」
「ああ。……この様子なら問題なさそうだけどね」
「そうだな」
と、俺たちがそんな会話をしている間に話はまとまったらしい。
警備隊の先導を受けて、俺たちは自治都市セイヴェルンへと足を踏み入れたのだった。
◆◆◆
活気。賑わい。喧騒。
初めて見るセイヴェルンの街は、そういった言葉がとてもよく似合う街だった。
「そこの兄ちゃ――神官様、舐め続けると声が綺麗になる特製のど飴はどうだい! 美声で説法すりゃ、たちまち信者が列をなすぜ!」
「お嬢さん、綺麗な髪をしてますね! この髪留めを付けてもらえませんか? とても似合うと思うんですよ!」
「お! 兄さんワケありだね? こんなところには似つかわしくない気品が漂ってるぜ。そんなアンタには、秘蔵の品を見せてやるよ!」
目的地へと向かう道すがら、店の前を通るたびに多種多様な声をかけられる。高級品を扱う店はその限りではないが、賑やかな店や露店のほうが圧倒的に多い印象だった。
そして何より、扱っている商品の幅が広い。辺境はもとより、王都と比べても遜色ない……いや、それ以上だろう。物珍しさも手伝って、ついつい散財してしまいそうだった。
「お兄ちゃん、ちょっとこれ持ってて! あのお店見てくる!」
「いいけど、あんまり買い込んじゃ駄目だよ」
「うん!」
そんな中、散財に精を出す仲間も存在していた。アニスは意外と買い物好きらしく、気になる店を見つけるたびに店内を覗き込んでいた。そして、そんな妹のはしゃぎっぷりをクリストフは穏やかに見守る。
色んな情報が集まる商業都市とは言え、そんな彼が有名な魔獣使いだと気付く人間はさすがにいないだろう。
そんなことを考えていると、何やら考え込んでいたクリストフが口を開いた。
「あ、コルネリオ君。もしよかったら、僕とアニスは別行動を取ってもいいかな? この調子だと、一日中買い物に付き合うことになりそうだから」
その言葉は、妹の性格を熟知した兄ならではのものだった。このままではロクに進まないと判断したクリストフの言葉にコルネリオも同意を示す。
「んー……せやな、そのほうがアニスちゃんもゆっくり楽しめるわな」
もともと、彼ら兄妹は旅の同行者としては員数外だ。辺境へ帰るタイミングさえ合えば特に問題はなかった。
「じゃあ、僕たちは別行動させてもらうよ。……成功を祈っているからね」
そう言って手を振るクリストフに別れを告げると、俺たちは街の中心部へ向かった。
◆◆◆
「これが狂乱猪の毛皮ですか……なるほど、ただの猪とは格が違いますな」
「せやろ? 辺境の奥地にしかおらへん希少なモンスターやで。こいつを手に入れるんはごっつう苦労したで」
「惜しむらくは腹部に大きな切り傷がついていることですな。これさえなければ、言い値で買い上げてもいいくらいですが……」
「いやいや、腹部やで? どのみち加工の時に切り目つけるやん。それに、頭部は傷なし牙付きや。これを欲しがる好事家はごまんといるはずや」
「選択肢が狭まるという事実に変わりはありませんからね」
コルネリオと店員が丁々発止のやり取りを続ける。彼らから視線を外すと、俺は店内をぐるりと見回した。
歴史を感じさせる石造りの建物の中に、無数のカウンターが設けられている。そして、そのカウンターの多くでは、今のコルネリオたちと同じような会話が行われていることだろう。
ここは、様々な素材の買い取りを行っている老舗の大店だ。コルネリオの実家であるミルトン商会とも縁が深いらしい。
どうせセイヴェルンに出かけるなら、と品物を持ってきた俺たちは、ここでそれらを売り捌いてしまうつもりでいた。
と言っても、コルネリオのように本気で交渉をするつもりはないので、実態は小遣い稼ぎといったところだ。持て余しているモンスター素材をお金に換える機会なんて滅多にないからね。
そんな俺が素材を預けたのは、コルネリオの隣のカウンターだった。勝手がよく分からないので、困ったらあいつに助けてもらおうという魂胆だ。
さっそくとばかりに鑑定を始める店員を見守っていると、彼は少し汚れた麻袋を両手で掲げて、驚愕の表情を浮かべた。……ん? あんなの持ってきたっけな。
俺が首を傾げていると、彼は興奮した口調で問いかけてくる。
「これは『凍れる青草』ですよね!? 一体、どこでこれを!?」
「や、どこでというか、なんだったかな……」
店員の勢いに急かされて、俺はやや焦りながら記憶を検索する。だが、答えは思わぬ方向からもたらされた。
「キュゥッ!」
「キャロ? どうしたんだ?」
勢いよく鳴いたキャロを抱き上げようとすると、妖精兎はそれよりも早くカウンター台に飛び乗った。そして、置かれた麻袋に鼻先を突っ込む。
それを見て、ようやく俺は麻袋の正体に思い当たった。
「あ! ちょ、ちょっと君!」
「すみません、あれは売り物じゃありませんでした」
そう謝ると、キャロに手を伸ばす店員を押し留める。
「あの草は、この子のおやつでした。間違えて一緒にカウンターに出してしまいましたが……」
「おやつ!? 凍れる青草ですよ!?」
店員は目を白黒させて叫ぶ。その様子からすると、結構な希少品であるようだった。
技芸祭用の狩りに行った時に、キャロが気に入って延々と齧っていた草なのだが、あまりにも気に入った様子だったのでごっそり頂いてきたのだ。今回の長旅用にと袋に詰めて持ってきたのだが……。
「引く手数多の希少植物がおやつって……分かりました! あの麻袋に入っている凍れる青草全部で、一万五千セレル出しましょう!」
「高っ!」
予想外の高値がついたことで、思わず素の言葉が飛び出る。そんな俺の反応に気をよくしたのか、彼は満面の笑みを浮かべた。
「そうでしょう! これだけ大量の凍れる青草を集めたというお客さんに敬意を表して、少し高めにしておきました!」
そう語る表情からは、「まさか断ったりしないよね」という心の内がにじみ出ていたのだが……。
「すみません、この子の好物を取り上げるのは心苦しいので、またの機会に……」
「キュウ!」
俺の言葉を肯定するように、キャロが元気よく鳴き声を上げた。そして、店員の目の前で元気に凍れる青草とやらを齧り始める。
「ああああ……! 凍れる青草が……」
その光景を見た店員が呆然とした表情を浮かべる。彼からすれば、兎が宝石を飲み込んでいくように見えるのだろう。
キャロは、顔を青くしている店員を見て首を傾げると、ふんふんと匂いを嗅ぎながら彼に近づく。
「キュッ」
よく見れば、凍れる青草を一本だけ口にくわえている。その様子からすると……。
「えーと……一本だけ差し上げるそうです」
「え? だって兎……ええっ?」
戸惑いながらも、店員は差し出された凍れる青草に手を伸ばす。やがて店員が受け取ったことを確認すると、キャロは満足そうに残りの凍れる青草を齧る作業へと戻った。
懐かしいな。昔は俺にもよく草をくれたんだけど、俺が食べないことを悟ったのか、王都へ行った頃から草をくれることはなくなった気がする。別にいらないけど、ちょっと羨ましいな。
そんなことを思い出していた俺だったが、ふと、いつの間にか目の前の店員の様子が変わっていることに気付いた。彼は、穏やかな眼差しでキャロを眺めている。
「なんでしょう……もっと値を吊り上げようと思っていたのですが、なんだかどうでもいい気がしてきました。凍れる青草だろうがなんだろうが、美味しく食べるほうが幸せですよね」
あ、この人の雰囲気、神殿の庭でキャロを囲んでいる人と一緒だ。キャロさん、なんでこんな遠隔地に信徒を作っちゃったんですか。
「あの、ところで他の素材なんですが……」
「ああ、申し訳ありません。すぐ鑑定させていただきます。適正なものを適正な価格で。これこそ取引の基本ですよね」
どこか人が変わったような店員は、そう答えるとてきぱきと作業を始める。
変なふっかけや値切りが一切発生しなかったおかげか、俺の持ち込んだ素材は真っ先に買い取りが終了したのだった。
◆◆◆
「まさか、石蜥蜴の鱗があんな高値で売れるなんて……。もっと持って来ればよかったわ」
俺の隣を歩くクルネが残念そうに呟く。少し日が傾いてきたセイヴェルンの街を歩きながら、俺たちは先刻の買い取りの結果を報告し合っていた。
「ああ、蜥蜴系の鱗をお守りにするんが流行ってるらしいで」
機嫌よさそうに応じたのはコルネリオだ。持ち込み素材の買い取り価格が思いのほかよかったらしく、彼の表情は明るい……というか少しニヤけている。
「流行りか……。それを予想するのはなかなか難しそうだね」
そんなコルネリオとは対照的に、リカルドは緊張した面持ちを崩せないようだった。いつもの余裕のある物腰からすると意外だが、この後に控えるイベントのことが頭から離れないのだろう。その言葉は、どこか上の空のようにも聞こえた。
「それを予想してのけるのが商人っちゅうもんや。……ま、大商人にとっちゃ流行りは生み出すもんやけどな」
「そして、それを可能にする大商人の一人が君の父上ということか……」
評議員にしてミルトン商会の主であるアルティエロ・ミルトンは、押しも押されもせぬ大商人だ。実子であるコルネリオはともかく、俺やリカルドにとっては、ただただ恐ろしい人物でしかない。
特に、話が決裂してもなんとかなる俺と違って、リカルドのほうは今回の話に人生がかかっていると言っても過言ではないだけに、そう気楽には構えていられないのだろう。
「父上なんて大層なもんやあらへん。親父で充分や。……まあ、商人としてはそれなりに経験積んどるからな。あんまり迂闊なことは言わんほうがええけど」
コルネリオから当主にまつわる数々の武勇伝を聞きつつ、俺たちは街中を歩き続ける。
やがて辿り着いたのは、王都の上級貴族の屋敷と比べても遜色のない、巨大な敷地を持つ屋敷だった。
「コルネリオ様! お帰りなさいませ!」
屋敷に近づくと、コルネリオの姿を認めるなり、複数の門番が声を揃えて敬礼する。その扱いは、どう見ても大物貴族の子弟に対するものだ。
「うおお……コルネリオのイメージがちょっと変わった」
「本当に御曹司だったんだ……」
俺が小声で呟けば、クルネも小さな声で感想をもらす。なんだろう、どこか裏切られた気分だ。
「おお、お疲れさん。親父の客を連れてきたで」
「へ? ……し、失礼しました。どうぞお通りください」
俺たちをコルネリオの友人だと思っていたのだろう。一瞬ぽかんとした彼らだったが、すぐに真面目な顔を取り戻すと、丁寧に一礼する。
「ほな、行こか。ミルトン商会のボスとご対面や」
コルネリオの言葉に、俺たちは無言で頷いた。