狩猟
【クルシス神殿長代理 カナメ・モリモト】
「あの、緊張しなくても大丈夫ですから、楽にしてください……」
王国教会が誇る『聖女』は、そう言いながら目の前の病人に手をかざす。一心に治癒魔法を行使する姿は、普段の彼女とは少し違って見えた。
ミュスカの手を中心にして発生した、柔らかい光が相手を包み込む。一般的な治癒魔法とは異なる雰囲気を持つその光は、ゆっくりと対象の身体に染み込んでいくようだった。
「姉さん……」
気遣わしげな呟きが聞こえてくる。視線を向けると、そこには真剣な眼差しで姉と『聖女』を見つめる盗賊ウォルフの姿がある。
そう、俺たちは今、かつてウォルフと交わした約束を果たすべく彼の家を訪れていた。
危険を冒して王国軍に潜入し、さらに貴重な帝国軍の情報をも持ち返ったウォルフが出した交換条件。それは、移住中モンスターに負わされた傷が元で発病し、長らく病床にあった姉の治療だった。
だが、負傷を癒せる治癒師はいても、病気を癒せる治癒師は非常に数が少ない。そのため、まずは術者の捜索をと、そう考えていたのだが……。
「まさか、ミュスカがそうだったなんてなぁ……」
懸命に力を行使するミュスカを見守りながら、思わず呟く。俺自身、ベルゼット元副神殿長との一件では彼女の大治癒で一命を取り留めた身だ。その実力を疑っていたわけではないのだが、それでもミュスカが病気を癒せる治癒師だとは思っていなかった。
「さすがはミュスカさんだね……!」
俺の呟きが聞こえたのか、傍にいたリカルドがとても嬉しそうに頷いた。「積極的に距離を詰めると怖がられるぞ」という俺の言葉が効いたのか、それとも実はシャイな奴だったのか、今のところミュスカに変なちょっかいを出す様子はない。だが、その心の内は非常に分かりやすかった。
「病気を癒せるのは、当代の『聖女』の中でもミュスカだけだからな。……本当に大したものだ」
俺たちの会話に小声で混ざってきたのは『聖騎士』メルティナだ。王都にいた頃からの知己であることに加え、ルノール村を案内したり人に紹介したりしていたせいか、最近はそれなりに打ち解けていた。
「ということは、メルティナにも治せないのか?」
「ミュスカにコツを教えてもらったのだが、どうにも上手くいかぬ」
メルティナは残念そうに呟いた。上級職でも向き不向きはあるということか。そんなことを考えながら、俺たちはミュスカの魔法を見つめ続けていた。
ミュスカが治療を終えたのは、半刻ほど経ってからのことだった。長時間にわたって魔法を行使したミュスカは、ほぅ、と小さく息を吐いた。さすがに疲れたのだろう。
「ミュスカ、お疲れさま」
そう呼びかけると、彼女はにっこりと微笑んだ。
「ありがとうございます……ちゃんと治せてよかったです」
ミュスカの視線の先には、ベッドで目を閉じている二十歳くらいの女性の姿があった。ウォルフの姉であるセフィラだ。かなりやつれているが、それでも半刻前までの病相は鳴りを潜めていた。
「……『聖女』様……私のために、わざわざお力を使って頂いて……」
「あ、あの、大丈夫ですから、そのまま横になっていてください」
うっすらと目を開けたセフィラが起き上がろうとするのを見て、慌ててミュスカが押しとどめる。
「そうだよ姉さん、病気ですり減った基礎体力まで元に戻ったわけじゃないんだからさ」
そこへウォルフも加勢したことによって、彼女は再びベッドへ横になる。……うーん、俺たちがここにいると、気を使って休めなさそうだな。
「あの、わたしたちがいると落ち着かないでしょうし、失礼しますね。セフィラさんはまだ病み上がりですから、ゆっくり休んでください」
どうやらミュスカも同じことを考えていたらしく、率先して椅子から立ち上がった。彼女がそう言う以上、外野の俺たちがとやかく言うことはない。
ウォルフの先導に従って、俺たちは彼らの自宅から外へ出る。
「『聖女』様、本当にありがとうございました!」
外へ出るなり、ウォルフは深々と頭を下げた。その後ろでは、いつの間にか出てきていた彼の両親も頭を下げている。
「そんな、当然のことをしただけです……」
「そんなことはありません。姉の病気は、今回の戦争が元になったものではありません。本来なら『聖女』様に救済の対象外と見限られても仕方がないところ、特別に治療をしてもらえて助かりました」
「あの、ちゃんとお布施ももらいましたし……」
なおも頭を下げ続けるウォルフたちを見て、ミュスカは困惑しているようだった。
「そうそう、これはウォルフの働きに対する正当な対価でもあるんだぞ」
そこで、俺は少しだけ助け舟を出すことにした。実際、今回の病気治療についてはそれなりのお金が動いている。
今回、ミュスカたちが村を訪れたのは戦争被害者の救済のためだ。そのため、戦争と無関係に負った傷病については、いつも通りのお布施が必要だったのだ。
非常時だからとこの辺りの原則を緩めきってしまうと、ただの治癒魔法の大安売りとなってしまい、薬師や医師、治癒師などの生活基盤を奪うことにもなりかねないからね。
その点については、俺も教会を非難するつもりはなかった。
「そうですね……ありがとうございます」
俺の言葉にどこか面映ゆそうな表情を浮かべながら、ウォルフは出てきた家を振り返った。
◆◆◆
「カナメ君、クルシス神殿でお祭りをするんですか……?」
ウォルフたちに別れを告げ、神殿へと戻る道すがら。そう声をかけてきたのは、今回の功労者ミュスカだった。
「ああ、そのつもりだ。せっかく辺境のみんなが盛り上がってるんだから、いい機会だと思ってさ」
「……貴公は相変わらず現実的な男だな」
俺の言葉に反応したのは、ミュスカではなくもう一人の『聖女』のほうだった。不快に思ったのだろうかと様子を窺ってみたが、特に嫌悪感のようなものは見受けられない。むしろ、少し興味深そうな表情だった。
「なんであれ、人の心が明るくなることは悪いことじゃないだろう?」
「そうだな。……別宗派の私たちが手伝うわけにはいかぬが、成功するとよいな」
「ありがとう。……けど、もしよければ一つ頼まれてくれないか?」
そう切り出すと、彼女は意外そうな表情を浮かべた。まさか頼みごとをされるとは思ってもいなかったのだろう。
「祭りの数日前から、シュルト大森林へ狩りに行こうと思ってるんだ。その間はどうしても固有職持ちが減るから……」
「承知した。この村を守ればよいのだな。たしかに、それならば宗派間の問題はないな」
得心したようにメルティナが頷く。まあ、彼女の性格なら頼まれなくても村の危機に駆けつけるだろうけど、別の村に行って留守だったりすると、さすがにどうしようもないからなぁ。
『聖騎士』が村を守ってくれるとなれば、村の固有職持ちも心置きなく村を離れることができるだろう。……あ、まず狩りに行くメンバーを確定しなきゃな。クルネやエリン、ジークフリートあたりは確定だろうなぁ。
俺自身が同行する予定はないが、考えるべきことはいくらでもあった。
◆◆◆
「カナメ神殿長代理! どういうことですか!」
珍しい剣幕で神殿長室へやってきたのは、意外にもエンハンス助祭だった。彼は扉も閉めずに詰め寄ってくると、真剣な眼差しで俺を見据える。
「どういうこと、とは?」
まったく心当たりがない俺は首を傾げる。すると、助祭は信じられないと言わんばかりの表情で目を見開いた。
「もちろん、神殿長代理が竜殺しだと言うことですよ!」
「……ん?」
「竜退治と言えば英雄譚の定番ですよ!? そんな素晴らしい逸話を持ちながら秘密にしているなんて……どうして今まで教えてくれなかったんですか!?」
「えーと……」
そうだった。エンハンス助祭はこういう人だった。納得がいったようないかないような複雑な気分を抱きながら、俺は大きく深呼吸をする。
「事が大きくなるのを避けたかったというか、変に目立ちたくなかったというか……」
「神殿長代理は転職の神子として大陸中に名前が売れているのですよ? 今更でしょう」
「それに、なんだか自慢話みたいで言いにくかったし……」
「上位竜を倒したんですから、自慢して当然でしょう? カナメ神殿長代理が意外と奥ゆかしいのは分かりましたが、英雄譚は人類の宝です」
「あと、地竜を倒した方法については企業秘密というかなんというか……」
「分かりました、そこは何とかごまかします」
まるで人が変わったかのように、助祭が俺の弁解を棄却していく。……って、あれ?
「ごまかすって、いったい何を?」
「もちろん詩の内容ですよ」
……やっぱり詩を作る気だった。頭を抱える俺を無視して、助祭はいい笑顔を見せた。
「幸いなことに、神殿長代理の転職能力をクルシス神の加護だと考えている人々は大勢います。それなら、肝心な部分は神の奇跡ということにして――」
エンハンス助祭の意識は、すでに詩の世界に入り込んでいるようだった。
「別に詩にしなくてもいいんじゃ……」
「何を言うんですか! 英雄譚は人々の希望です。後世まで歌い継がれるべきなのです」
助祭はきっぱり言い切った。俺の記憶が正しければ、最近の彼は『辺境の守護者』の英雄譚を作るべく、暇を見つけては村の人たちに話しかけていたはずなのだが……その時に誰かが喋ったんだろうなぁ。
それに、セレーネ経由で聞いた話では、助祭はもともと転職の神子の詩を作るつもりだったらしい。なんでも「クルシス神殿の長い歴史の中でも例を見ない特殊な存在が何を為すのか見届けたい」そうだ。
そんな助祭のことだ。自分で言うのもなんだけど、華々しいエピソードが増えて、詩人的には美味しい話なのだろう。
「ということで、竜退治の全容を教えてください! まず上位竜を倒しに行くことになったきっかけは何ですか?」
いつの間にか、助祭の手にはペンが握られていた。……うーん、せめて業務時間外にしてもらおうかなぁ。そう考えた時だった。開けっ放しだった扉から、新しい人影が飛び込んできた。
「カナメ神殿長代理、大変です! 急いで裏口へ!」
「……え?」
人影の正体はシュレッドだった。走って来たのだろう、最年少の神官はぜいぜいと息をしながらも俺の手を引っ張る。
「シュレッド侍祭、どうしたんだ?」
「お話は後です!」
何がなんだか分からないが、彼がここまで焦っているのだ。何かが起きているのだろう。俺は素直に立ち上がると、神殿の裏口へと向かう。
後ろからエンハンス助祭の声が聞こえたが、何を言っていたかまでは聞き取れなかった。神殿の裏口を抜けてもなお、シュレッドは立ち止まらない。一目散に森のほうへと駆けていく。あれ? この方角って……。
首を捻りながらも、俺は彼の後ろを付いていったのだった。
◆◆◆
シュルト大森林には無数の魔物が棲息している。それは誰でも知っていることだ。
だが、どこにどんな魔物がいて、どんな特性を持っているのか。そういった知識を持っているものはごく僅かだ。まして、どんな魔物が食用に適しているかとなると、知っている者は限られた人間だけだった。
「……この足跡は狂乱猪だね。肉質は固めだけど、味は悪くないよ」
「あの鳥は……なんて名前だったかな。ともかく、モンスターの中ではおススメの部類に入るね。意外と肉が柔らかいし」
「そっちの木の実はやめときな。まる一日笑い続けることになるよ。……あ、その蔓は食べられるよ。地面に埋まってる根のほうが美味しいけど、あんまり掘るのに時間はかけたくないね」
そして、その手の知識については第一人者であるエリンが、矢継ぎ早に周りに指示を出していく。その光景をなんとはなしに眺めていると、クルネがこちらへ歩いてくるのが見えた。
「カナメ、大丈夫?」
「ああ、体力的には問題ない。……ただ、自分の居場所がないなぁ」
「突然だったもんね。シュレッド君もオーギュスト副神殿長もどうしたんだろうね?」
「さあ……俺を追い出した隙に、何かを企むような二人じゃないんだけどなぁ」
俺は首を傾げた。
そう、シュレッドに急かされるまま森の外れへ向かった俺は、そこで準備をしていた狩猟チームと合流したのだ。
シュレッドは「神殿長代理も狩猟に参加してくださいとの副神殿長の伝言です」と言い残すと、慌ててまた神殿へ駆け戻っていった。
いまいち事情が飲みこめていない俺だったが、シュルト大森林での狩りには興味があったこともあって、素直に参加することにしたのだった。
「ところで、クルネはこっちにいていいのか?」
「うん、今はオネスティさんとエメローナさんが代わりに見てくれているから」
クルネはどこか楽しそうに頷く。今回の狩りには結構な数の参加者がいる。狩った獲物の処置や運搬、植物の採取などを目的として、固有職を持たない人々が参加しているせいだ。
もちろん、モンスターが固有職持ちしか襲わない、などということはないので、固有職持ちは交代でいくつかのグループに分かれた『村人』を護衛しながら狩りを進めているのだった。
「ねえ、キャロちゃん。その草って美味しいの?」
と、クルネは不意にかがみ込むと、俺の足下で熱心に草を食んでいるキャロに話しかけた。
「キュッ!!」
どうやら、かなりお気に召しているようだった。キャロが齧るたびに何かの魔力が弾けているあたり、普通の植物ではなさそうだが……。
「これ、俺たちも食えると思うか?」
「さあ……。けど、こんなに美味しそうに食べてるんだし……」
そんな会話をしていると、後ろから声をかけられる。
「その草は氷の魔力が詰まっているみたいだから、下手をすれば口の中が凍りつくんじゃないかしら」
「マジか……」
情報提供者はミルティだった。森の知識についてはエリンに軍配が上がるが、未知のものに対する分析力については彼女ほど頼れる存在もいない。
「その割にキャロは上機嫌だな。かき氷気分で食べてるのかなぁ……」
「かき氷って?」
俺の独り言に反応して、クルネが興味深そうな声を上げる。
「ん? ……ああ、氷をとても細かく砕いて、甘い蜜をかけて食べるものなんだが……」
その説明に二人が目を丸くした。
「初めて聞いたわ」
「そもそも、氷自体が貴重品だったものね。……ねえカナメさん、それって――」
「ああ、向こうの調理法だ」
「そうなんだ……。でも、それならこっちでも用意できそうね」
クルネはどこか嬉しそうに呟いた。俺がこの世界の出身じゃないという事実を知った当初は、気を使って元の世界の話題を避けていた彼女だったが、最近は方針を変えたのか、ちょくちょくそういった話をするようになっていた。
「ついでに言うと、屋台の定番でもあったな」
「砕いた氷さえあれば、後は蜜をかけるだけなのよね? たしかに屋台に向いていそうね」
「まあ、魔法職の協力が必須だけどな」
俺は笑って答える。この世界では、氷を作るにせよ維持するにせよ、魔法職の協力は欠かせない。貴重な固有職持ちの力をそんなことに使うなんて、と怒る人も出てきそうだ。
「ミルティ、ひょっとしてやってみるつもり?」
「試してみる価値はあると思うわ。……カナメさん、上手くいけば魔法研究所の屋台で出してもいいかしら? 氷をメインにした食べ物となれば、魔法研究所らしさも出ると思うのよ」
「ああ、その時は必ず食べに行くよ」
そんな会話を交わしていた時だった。ふと俺たちの周囲が暗くなる。何かの影に入ったのだろうか、と頭上を見上げると、そこには俺たちを狙って急降下してくる鳥型モンスターの姿があった。
俺たちの表情がさっと変わる。
「石槍!」
最初に仕掛けたのは、攻撃射程の長いミルティだった。石槍を避けきれず、魔物の胴体に槍が突き刺さる。
さらに、その身体にどこからともなく飛来した矢が突き立った。近くにいた弓使いの誰かだろう。思わぬ迎撃に混乱したのか、モンスターは体勢を崩し落下を始めた。
「任せて!」
そして、いつの間にか木を足場にしていたクルネが、墜落してきたモンスターの懐へ飛び込む。彼女の長剣がうっすらと輝いているのは、剣気の特技だろうか。
威嚇するモンスターに怯むことなく、彼女は巨大な鳥の首を切り裂いた。
モンスターの巨体が地面に叩きつけられ、ズゥン、という地揺れを引き起こす。もはや戦闘は終了していた。
「一閃でこんなに大きなモンスターを仕留めるなんて、さすがクーちゃんね」
魔物の状態を検分しながら、ミルティは感心したように呟く。
「ミルティと、援護してくれた弓使いさんのおかげよ。私一人だったらもう少し苦戦してたかも」
「本当にお見事でした。噂通りですね!」
二人の会話に入ってきたのは、最近弓使いになった男性だった。おそらく、先程の矢は彼が放ったものなのだろう。
今の戦いは目立っていたようで、彼以外にも何人かが姿を現していた。
「さっきの凄かったな!」
「こんな巨大な鳥を……!?」
彼らは口々にそう言いながら、注意深くモンスターに近づいていく。処置して運搬用の台車に乗せるつもりなのだろう。
「キュッ!」
と、その様子を眺めていると、不意にキャロが鳴いた。キャロが耳を向けている方向には……。
「花実羊の群れだ!」
そう叫んだのはウォルフだった。察知能力に優れた盗賊の言葉を受けて、散会していたメンバーが集結する。花実羊は羊型のモンスターであり、単独だとすぐに逃げ出すが、群れていると攻撃性が増すという特徴があった。
「広域防護!」
全員が集まったことを確認すると、ジークフリートが支援魔法で全体の能力を底上げする。よし、ここまでは計画通りだな。
この魔法があるからこそ、固有職持ちでない者をシュルト大森林へ同行させるという判断ができたのだ。相手にもよるが、これでそう簡単に死傷者が出ることはないはずだ。
「火炎帷」
ミルティの魔法が群れの先陣を切っていた十体ほどを炎のカーテンで焼き焦がす。食肉には向かなくなってしまうが、今は安全第一だ。
「風裂球!」
「氷蔦!」
ミルティの魔法に少し遅れて、数種の範囲魔法が群れの中に叩き込まれた。さらに、群れの中央に雨のように矢が降り注ぐ。エリンの特技、白雨だ。
それに合わせるように、今度は加重撃などの特技をのせた矢が群れの至る所で爆発を起こした。
「行くぞ!」
そうしてできた隙に、騎士や戦士など、防御力の高い固有職持ちが突撃する。モンスターが固有職を持たないメンバーを襲わないように、威嚇の特技で注意を引き付けながらの戦いだ。
そのため、威嚇が使えるクルネは先陣を切って群れと激突していた。
素早い動きで敵を切り伏せ、間合いの外にいる魔物は真空波や衝撃波で蹴散らす。燐光を纏わせた長剣を振るう姿は、固有職持ちの多いこの戦場でも目立っていた。
花実羊の主な攻撃手段は雷撃であり、至る所で閃光が見られたが、致命傷を受けた人間は今のところいないようだった。
「一体そっちへ行った! 逃げ出した奴だが気が立ってるぞ!」
と、警戒を促す叫び声が上がり、周囲のメンバーに緊張が走る。彼らは固有職持ちではない。たとえ逃げ出したモンスターとは言え、危険なことに変わりはなかった。
やがて、一匹の花実羊がこちらへ駆けてくるのが見えた。帯電しているのか、その羊毛がバチバチと音を立てて煌く。
そして、横手から花実羊に駆け寄る護衛役の槍使いの姿が見えるが――。
「キュッ!」
槍使いが辿り着くよりも早く、キャロの蹴りが花実羊に炸裂した。
帯電しているのに大丈夫かと心配になったが、よく見るとキャロの周囲を闘気が覆っている。闘気は攻撃力を高めるだけでなく、身を守る盾にもなるらしい。
「あれが噂の聖獣様か……」
「相変わらず凄い戦闘能力だぜ」
「本当に戦えるんだ……」
「かわいい……!」
そんな周囲の呟きも、もはやお約束だ。花実羊を一撃KOしたキャロは、得意げに頭を差し出してくる。その頭を撫でていると、ガサッと茂みをかき分ける音が聞こえた。
「なんというか、あんたを見てると気が抜けちまうね」
どこか呆れたように声をかけてきたのは、この狩りの主役の一人、エリンだった。
「エリン、ここにいていいのか?」
「大方片付いたよ。まだ数体残ってるけど、クルネたちなら大丈夫さ」
矢筒を確かめながら、エリンはニヤリと笑う。
「それにしても、まさかこんな大当たりを引くとはね。これがクルシス神の加護ってやつかい?」
「大当たりって?」
彼女の言葉の意味が分からず、俺は首を傾げた。すると、エリンはキャロにノックアウトされた花実羊を指差す。
「あれさ。花実羊は食べても美味いし、毛も上質だからね。特に毛は魔力を貯蔵する性質があるから、相手によっちゃ高値で売れると思うよ」
おお、そうだったのか。そんなのが群れでやって来るなんて、たしかに大当たりだな。
「これだけの数だし、今日の狩りは終わりにしてもいいかもね。むしろ、運ぶほうが骨が折れそうだし」
なるほど、花実羊がそんなに利用価値の高いモンスターなら、無理に森深くへ入る必要もないか。
台車やら何やら、狩った獲物を運ぶためのものは色々準備してきたけど、これだけの量となると足りるかどうかも怪しかった。
となると、ここは破砕者みたいな剛腕タイプの固有職に頑張ってもらおうかな。ミルティあたりが便利な魔法を知っていると嬉しいんだが……。
こうして、今日の狩りは予定よりも早く終了することになったのだった。
◆◆◆
「カナメ神殿長代理、随分とお早いお帰りでしたな。てっきり夜まで戻らないのかと思っていましたよ」
「幸いなことに獲物に恵まれまして……。これもクルシス神の加護でしょうか」
シュルト大森林の狩りから戻り、神殿へ帰投した俺を待っていたのは、なんとなく見覚えのあるクルシス神官だった。
だが、一体何の用だろうか。特にルノール分神殿の神官を増員するなんて話は聞いていないが……。
そう考えた瞬間、俺は重要なことを忘れていたことに気付いた。そうか、あれか。
「ノルマンド上級司祭がお出でになったのは、カナメ神殿長代理に教義違反の疑いがあるためとのことです」
「オーギュスト副神殿長が仰った通りです。カナメ神殿長代理が此度の戦争について特定の勢力に肩入れしていないかどうかを確認するため、クルシス本神殿より遣わされました。……捕縛部隊も連れていますからな。軽率な行動は慎んだほうがよいかと思いますぞ」
眼前の神官の名前を聞いて、俺は彼のことを思い出した。たしか、ベルゼット元副神殿長の派閥に属していた人だ。他の支持者に比べて彼だけ年齢が高かったため、なんとなく記憶に残っていたのだ。
そのため、俺と友好的な関係を結んでいるわけではない。もしこれがアルバート上級司祭あたりだったら楽だったんだが……さすがに、それじゃ公正さに欠けるもんな。ノルマンド司祭が調査役であれば、そういった批判もかわせるというプロメト神殿長の判断だったのかもしれない。
「カナメ神殿長代理がシュルト大森林へ出かけられたと聞いた時は驚きましたぞ。まさか、後ろめたいことがあって逃げ出したのではと、そう疑う者まで出る始末で」
ノルマンド司祭の言葉を聞いて、俺はシュレッドの行動の理由を理解した。そうか、それで俺を逃がそうとしたのか。……けど、完全に逆効果だよなぁ。シュレッドのほうへ視線をやると、顔が真っ青になっていた。
次にオーギュスト副神殿長を見ると、こちらはノルマンド司祭の意見に同調しているようだった。なぜ狩猟に付いていったのかと言わんばかりだ。……あれ? この反応からすると、俺の狩猟参加に副神殿長は関与してないんじゃ……。
「これは大変申し訳ありませんでした。クルシス神を祀る技芸祭の準備に手抜かりがあってはなりませんから、念のために視察をと思いまして」
「ほう、それは熱心なことですな」
そう言いながらも、彼は疑いの姿勢を崩していないようだった。プロメト神殿長からどんな指示を受けたのか知らないが、俺のやることに変わりはない。
「ところで、司祭は私に教義違反の疑いがあるため辺境へお出でになったとのこと。まったく心当たりがないものですから、正直困惑しております」
「ほう、それならばよいのですが。……神殿長代理。王国が辺境を廃領宣言してから今に至るまで、どこでどのような行動を取っていたか、ご報告願いたい。場合によっては、裏を取るために他の神官やこの村の人々に話を聞くこともありますから、虚偽申告は行わないことです。……おっと、分神殿の帳簿もお願いできますかな? 金銭の出入りは正直ですからな」
「もちろんですとも。……シュレッド侍祭。セレーネ侍祭に帳簿を持ってくるよう伝えてもらえるかな?」
「わ、分かりました!」
駆けて行くシュレッドの背中を見送ると、俺はノルマンド司祭に向き直った。俺が本神殿にいた頃から、表立った敵意を向けてくることはなかった人物だ。俺を冤罪で陥れるようなことはないと思うが……。
真に隠し通すべきことはただ一点。戦争の最中にマクシミリアンの固有職を剥奪したことだけだ。
俺はいつもの笑顔を貼りつけて、司祭の質問に答え続けた。
◆◆◆
「――それでは、この膨大な量の食糧備蓄はなんですかな?」
「戦争により辺境が食糧不足に陥ると予想されましたので、私たち神官や、逃げ込んできた人々への食糧を確保するべきだと考えました」
「それにしても多すぎませんかな」
「飢えるのはルノール村だけではありません。辺境全体のことを考慮に入れると、これでも足りないくらいです」
「辺境義勇軍の兵糧に化けてはいないでしょうな?」
「当然です。ご希望とあらば貯蔵している食糧をご覧に入れますよ? 帳簿通りの数があるはずですから、お好きなだけご確認ください」
「ミレニア筆頭司祭が提供したという魔道具だが……」
「すべてこの神殿を守るために使用しています。個人レベルの装備についても、関係者以外に渡すようなことはありません」
「『辺境の守護者』と共に王国軍へ乗り込んだと聞きましたぞ」
「戦争行為の中止を求めるためです。統督教としては、むしろ当然の行いかと」
「廃領宣言を機に、転職部門の儀式件数と収益が大幅に上昇していますな」
「状況が状況ですからね。かと言って、転職を希望する方をお断りしてしまっては、それも政治的干渉となってしまいます。
それぞれの国が、国内に所在する神殿に対して戦勝祈願等を行うのは統督教も否定していませんよね? それと同じことかと思いますが」
「ここの期間……辺境義勇軍と帝国軍が衝突する少し前ですな。三日ほど転職業務を行っていなかったようですが、一体何をなさっていたのですかな?」
「戦争ができるだけ被害なく終結するよう、クルシス神に祈りを捧げていました」
「……まさか、そう言いながら辺境義勇軍に従軍していたということはありませんかな?」
「ありません。それどころか、私の護衛が義勇軍に参加したがっていたのを止めたくらいです。義勇軍の誰に聞いても、私や彼女の姿を見たという証言は得られないでしょう。
しかも、司祭が仰った通り、その期間は辺境軍と帝国軍が衝突する少し前です。そのタイミングで辺境軍に合流したところで、なんの意味もないと思いますが」
「それでは、此度の技芸祭についてはいかがお考えかな? まるで戦勝祝賀会のように思えますが、あくまでクルシス神殿の祭事であると言えますかな?」
「クルシス神殿の技芸祭がこの時期にあることは、ノルマンド司祭のほうがよくご存知ですよね? そして、戦争で心が疲弊した人々に希望を与えることは、我々の使命だと考えています。なんらクルシス神の御心に背くようなことはありません」
「……なるほど」
「分かって頂けましたか。誤解が解けて嬉しく思います」
「私が納得したのは、カナメ神殿長代理の人となりです」
二、三刻に及ぶ質疑の末、ノルマンド司祭は大きく息を吐いた。その顔はなんだかげっそり痩せたように見えるが、俺も似たような顔をしているんだろうか。
だが、息を吐き終わった彼は、なぜか清々しい表情を浮かべていた。
「能力だけの若造……とはもはや言いますまい。どうやら、カナメ神殿長代理もクルシス神殿の逸材であり、傑物であるようですな」
「……恐縮です」
唐突にどうしたんだろう。分かり合えたんだろうか? むしろ舌戦で虚実の探り合いをしていた記憶しかないんだが……。
「神殿長代理は辺境のご出身と伺いましたが、この先、辺境の外へ出ることはお考えですかな?」
「私抜きでもルノール分神殿の収支が成り立つようになれば、考えるかもしれません。ですが、それは先の話でしょうね」
質問の意図が読めず、俺は当たり障りのない答えを返した。そんな俺の様子に構わず、ノルマンド司祭は言葉を続ける。
「カナメ神殿長代理は……クルシス本神殿をご存知ですかな?」
「……ええ、司祭もご存知の通り、私はこの神殿に赴任するまでは本神殿にいましたから」
だが、次の質問も意味が分からない。しかし、彼にそれ以上説明する気はないようだった。
「そうでしたな。……変な質問をして申し訳ない」
そう言うと、丁寧に頭を下げる。その仕草に嘘はないように感じられた。
「カナメ神殿長代理、本日はお会いできてよかった。プロメト神殿長には教義違反の事実は認められなかったと伝えておこう」
「ありがとうございます」
その言葉は、俺が待ち望んでいたものだった。その割にすっきりしないのは気に入らないが……どうせ、聞き出そうとしても無駄だろうなぁ。それに、悪い話ってわけじゃない気がするし。
俺はあっさり追及を諦めると、椅子から立ち上がった。
「それでは、神殿の正門までご一緒しましょう。王都からはるばるお疲れ様でした」
「こちらこそ、ありがとうございました」
会議室を後にした俺は、ノルマンド司祭を案内しながら神殿内を進む。そして、もうすぐ建物内を出ようとした時に、意外な人物と遭遇した。
「む、カナメ殿か」
ちょうど、『聖騎士』メルティナが神殿へ入ってくるところだったのだ。彼女は、俺の隣にいるノルマンド司祭を見て首を傾げる。
「この村のクルシス神官にはすべて挨拶をしたつもりだったが……」
「ああ、それで間違いない。この人はクルシス本神殿の所属だから」
「なるほど、そうだったか。……しかし、どうして本神殿の神官がこの辺境に……と、申し訳ない。他宗派のあれこれを詮索するのはマナー違反だな」
メルティナは自己解決したようだった。だが、そんな彼女を見ているうちに、俺は軽い意趣返しを思いついた。
「こちらはノルマンド司祭だ。今度の技芸祭を手伝ってくれるらしい」
「……は?」
俺の言葉を聞いて、司祭から変な声がもれる。だが、メルティナはそれに気付かないようだった。
「それは素晴らしいな! 祭りの規模に比して神官の数が少ないのではと危惧していたが、さすがはクルシス神殿、迅速に応援の人員を派遣していたのだな」
そう言ってうんうん、と得心顔で頷く。そんな彼女を見て、ノルマンド司祭は訝しげな表情を浮かべた。
「……カナメ神殿長代理、こちらの方は……?」
「彼女は王国教会の『聖女』メルティナです。『聖騎士』と言ったほうが分かりやすいかもしれませんね。戦争被害者の救済のために、しばらく前から逗留しているのです」
「『聖騎士』……!?」
司祭が目を丸くして驚く。そんな様子に構わず、メルティナは彼に話しかけた。
「わざわざ辺境まで同胞の応援に駆け付けるとは、クルシス神殿には素晴らしい神官がいるものだ。ノルマンド司祭、私もしばらくの間はこの村にいる予定だ。もし協力できることがあれば、遠慮せず言ってほしい」
「はぁ、それは……ええっ!?」
さすがは『聖騎士』効果。彼女が手放しで称賛してきた事柄を否定することもできず、司祭はしどろもどろになった。そんな彼に、俺は小さな声で耳打ちをする。
「事が事ですから、旅程は余裕を持って作られていますよね?」
「それはそうだが……」
「お連れの方々にも、裏方作業なんかを手伝って頂けるとなお助かります」
「ぬ……」
ノルマンド司祭がどこか恨めしそうな顔でこちらを見ているが、さっきの件のモヤモヤ感を考えれば、これくらいは妥当だろう。実際、人員不足なのは間違いなかったしね。
「あ、住居はクルシス神殿の宿舎が空いていますから、言ってくださいね。宿屋がよければ紹介もしますし。それでは、改めてよろしくお願いします」
「……」
こうして、俺は小さな意趣返しと技芸祭の人員確保を達成したのだった。