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転職の神殿を開きました  作者: 土鍋
転職の神殿を開きました
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戦後

【クルシス神殿長代理 カナメ・モリモト】




 帝国軍との戦いが終結してはや十日。辺境の村々は戦勝ムードで盛り上がっていた。


 これまでのじっとりと重苦しい空気は嘘のように鳴りを潜め、湧き上がる活力や連帯感、前を向いて進もうとする人々の意思といったものが辺境全体から感じられた。


 もちろん、辺境の義勇軍が無傷だったはずはなく、それなりの犠牲者は出ていたし、村々を守る固有職ジョブ持ちが不在にしていた間に被った被害も決して小さなものではない。


 だが、それを乗り越えようとする空気は、たしかに存在していた。


「あ、みこさまだー」


「だー!」


 クルネと村を歩いていると、子供連れの家族とすれ違う。まだ幼い姉弟は、俺を指さしてニコニコと笑顔を振りまいた。


「やあ、こんにちは」


 俺はしゃがみ込んで姉弟と視線を合わせると、にこやかに挨拶を交わす。


「こら、指を差さないの! ……神子様、すみません」


「お気になさらないでください。まさか、こんな小さな子に顔を覚えてもらっていたとは思いませんでした。賢いお子さんですね」


「それが、主人が色々と子供たちに吹き込んだみたいで……。神子様は合同慰霊式で目立っていましたし」


「みこさまがいなかったら、おとうさんがしんじゃったかもしれないんだって!」


「て!」


 母親の言葉を補足するように姉弟が言葉を挟む。どうやら、後ろで神妙な表情を浮かべている父親は先日の義勇軍に参加していたようだ。


 固有職ジョブ持ちの多さが勝敗の大きな決め手になっていたことは、辺境の誰もが知っている。

 そのためか、戦争が終結して以来、彼らの関係者から感謝の念と敬意を向けられることが多かった。好意なんだから素直に受け取っておけばいいんだろうけど、なんだか落ち着かない気分だった。


 ちなみに合同慰霊式とは、今回の戦争で犠牲者となった人々を弔うために、つい先日行ったものだ。クルシス神殿が主導するとややこしい話になりそうだったため、あくまで共催という形にしていたが、さすがに神殿長代理の俺が出ないわけにもいかず、そこで多くの人に顔が売れてしまったらしい。


 この辺では、黒目黒髪の人間なんて俺くらいしかいないから、もともと判別は容易なんだろうけど、それでも実際にそういった現場で認識されるというのは重要なことのようで、慰霊式後は人々に声をかけられることが増えていた。


「……カナメ、すっかり人気者になったわね。ちゃんと子供の相手をしてたし」


 去っていく子供たちに手を振りながら、クルネが面白そうに感想を呟いた。


「若い世代を取り込むことは、長期的な戦略を考える上で必須だからな」


「もう、素直じゃないんだから」


 そう言って笑うクルネに肩をすくめてみせる。そんな会話をしながら歩を進めると、やがて俺たちは目的の建造物へと到着した。

 穏やかな空気を振り払うように軽く頭を振ると、俺は扉に手をかける。


 この建物に集められているのは、身柄を拘束した帝国軍の将校たちだった。




 ◆◆◆




「やあ、カナメ、それにクルネさんも」


 建物に入った俺たちを待ち受けていたのは、村長補佐のリカルドだった。


 確実に帝国軍を撤退させるため、身柄を確保した帝国将校たちだったが、ただそれだけですませるわけにはいかない。最低でも、持っている情報は吐き出してもらう必要があった。


 そのため、外国の事情や貴族の慣習に詳しいリカルドが中心となって、情報収集に励んでいるのだ。


「それじゃ、リカルド、打ち合わせ通りに頼む」


 リカルドはにやっと笑顔を見せた。


「ああ、任せてくれ。今後のためにも必要なことだからね。……じゃあ、行こうか。ハロルド侯爵も待ちくたびれていることだろうし」


 促すリカルドに案内されて、俺はとある一室へ足を踏み入れた。身柄を拘束ということで、牢屋のようなものを想像していたのだが、意外にも普通の部屋だ。

 だが、俺たちのいる入口付近のスペースと、彼がいるスペースの間は格子で仕切られており、逃げ出すことはできない造りになっていた。


「――来たか」


 俺たちの姿を認めるなり、ぼそっと部屋の主が呟いた。まだ三十歳に届くかどうかの青年であることに驚いたが、彼が帝国軍の司令官ハロルド侯爵であることは間違いない。


 てっきり怒って喚き散らすかと思っていたのだが、案外冷静な様子に俺は驚いた。腐っても総司令官ということだろうか。


「私を尋問するのがたった二人だけとはな。拍子抜けしたぞ」


 そう言いながらも、侯爵の声はやや震えていた。とはいえ、戦争に敗北して捕われたのだ。これくらいの動揺ですんでいる辺りは、さすがと言うべきかもしれない。


 そこへ、リカルドが口を開く。


「……侯爵の期待を裏切って申し訳ないが、一人ですよ」


「なに?」


 侯爵の怪訝そうな視線が、俺とリカルドの間を行き来する。そしてすぐに、彼は得心のいった様子で口を開いた。


「その法服は……クルシス神殿の神官か。ということは、あの転職ジョブチェンジの神子の一派だな」


 その言葉に、俺は営業用の笑顔を浮かべてみせる。


「ご推察の通りです。……初めまして、私はこのルノール村のクルシス神殿にて、神殿長代理を務めておりますカナメ・モリモトと申します」


「そのクルシス神殿が何の用だ。……此度の戦争とて、お前たちが辺境に協力しなければ、我々の勝利で終わっていたはず。私を笑いに来たのか?」


 侯爵の反応は敵対的なものだった。……まあ、少し物事が見える人間であれば、そう考えるよねぇ。


「侯爵、そんなことを言っていいのですか? 笑うどころか、彼は()()()()()()()()ここに来たのですが」


 猜疑心に凝り固まっている侯爵に、リカルドは彼が驚くであろう情報を提供した。


「何を……?」


 俺は聖職者らしい微笑みを浮かべながら、一歩前へ出る。


「私は統督教の神官です。統督教では、戦争はもちろんのこと、その後の戦後処理において、過度の拷問や虐殺といった非人道的な行為がなされることを是としません」


「本当に私を保護すると……?」


 侯爵はまだ信じられない様子だった。次いで、俺は真摯な表情を演出する。


「まず誤解があるようですが、クルシス神殿は此度の戦争について、積極的な介入は行っていません」


「何を言うか! 一国に匹敵するだけの固有職ジョブ持ちを揃えておいて、何をぬけぬけと……!」


「もともと、クルシス神殿では転職ジョブチェンジの儀式を広く受け付けております。この辺境に存在しているという場所柄、この地の固有職ジョブ持ちが増えることは当然のことです」


「だが、戦争直前の転職ジョブチェンジは明らかな戦力増強だろう!」


「それを理由に転職ジョブチェンジの儀式を取り止めた場合、今度は帝国を過度に利することになってしまいますからね。

 それならば、いつも通り淡々と神殿の業務を果たすしかないでしょう?」


「その結果があの固有職ジョブ持ちの大軍だというのか!」


「当神殿が、無料で転職ジョブチェンジの儀式を行ったわけでもありませんしねぇ。そもそも、固有職ジョブ持ちの増加は今回の戦争のお話が出る以前から起きていたこと。そう仰られても困るのですが……」


「む……」


 ハロルド侯爵は黙り込んだ。そこには、自分を守ってくれそうな統督教の神官と争うべきではない、という計算もあるのだろう。それはこちらも予想済みだ。


「……カナメ神殿長代理、その辺りでよろしいですか? そろそろ尋問を行いたいのですが」


「これは失礼しました。それでは、私は後ろに下がりましょう。……くれぐれも、神が貴方がたを見ていることをお忘れなく」


 そんなわざとらしいやり取りを終えると、俺はリカルドの斜め後ろに陣取った。


「さて……侯爵にお尋ねしたいことはたくさんあるのですが、まずどれからお伺いしましようか」


「……そう簡単に口を割るように見えるか?」


「へえ、統督教の神官がいるためか、やけに強気ですね。たしかに神官殿は『過度の』拷問や虐殺は好ましくないと、そう言っていましたが……」


「……!」


 リカルドが不敵に笑う。その言葉の意味するところを悟ったのだろう。侯爵は唇を引き結んだ。……いや、俺としてもあんまりえぐい光景は見たくないんだが……。


「時間はたっぷりありますからね。……そうですね、まずは雑談がてら、軽いことからお伺いしましょうか」


 そう言うと、リカルドは懐から地図を取り出して広げた。


「今となってはどうでもいい話ですが、シュルト大森林へ潜った貴方たちの行軍速度は、異常に遅いものでした。あれだけ大量の偵察隊を、ひっきりなしにあちこちへ派遣していたのですから当然でしょうが、一体何を探していたのですか?」


「シュルト大森林が危険な場所であることは赤子でも知っている。偵察隊を増やすのは当然だろう」


「その割に、後方には無関心でしたよね? 偵察隊は、常に新しい場所にしか向かっていませんでした。当然ですが、モンスターは移動します。モンスターを警戒しているのであれば、なぜ後方を完全に無視したのですか?

 大量の偵察隊を動員させる慎重さの割に、どうにもバランスが悪いと思いますが」


 そこまで自分たちの動向が筒抜けだとは思っていなかったのだろう。ハロルド侯爵の表情に驚愕の色が見えた。


「……あの森には貴重で有用な動植物も多い。魔法研究所の要請で、その採取も兼ねていたからな」


 その言葉に、俺はふと某爺さんのことを思い出す。案外、今の言葉は真実なのかもしれないな。そう思わせるくらいには、彼の言葉には真実味があった。


「ハロルド侯爵。聞いたところでは、貴方は帝国の中でも非常に権勢の強い古代技術派閥の代表格だそうですね。その若さで有力派閥の長とは驚きましたよ」


 と、唐突にリカルドが話題を切り替えた。侯爵の支持母体についての情報は、念話機を通じてミレニア司祭から教えてもらっていたものだ。

 話題を変えた意図が分からず、侯爵は探るような目つきでリカルドを睨む。


「そのような方が、わざわざこんな危険な行軍を引き受けるとは、不思議なこともあったものです。しかも今回は、軍閥貴族たちを押しのけての司令官就任だったそうではありませんか」


「……なんのことだ」


 侯爵の瞳に警戒の色が灯る。


「詳しくは知りませんが、古代技術の復元は難しいんですよね? 当時の文明水準を今の時代に取り返すと言いながらも、実際にやっていることは、古代遺跡の盗掘に毛が生えた程度。

 当時の技術を理解し、再現すると言っても、あの火炎球ファイアーボールの魔道具が精一杯でしょう。だが、もはや帝国領にある古代遺跡は掘り尽されている」


「……ほう」


「率直に言いましょう。シュルト大森林のどこかに、古代遺跡が存在していますね」


「……!」


 侯爵が目を見開く。まさか言い当てられるとは思っていなかったのだろう、彼は呆然としていた。


「貴方は辺境へ行軍する過程で、同時に森の奥深くの探索を行っていた。

 いくら有力派閥とはいえ、あるかどうかも分からない遺跡の捜索のためだけに、大量の人員や物資を投入することはできませんからね。いい機会だったのでしょう」


 そして、遺跡が見つからなかった場合には、そのまま辺境を占領し、辺境民を追い出して森林探索の拠点を作る。そんな予定だったのだろう。偶然の出来事から判明したこととはいえ、予想通りであることに内心で笑顔を浮かべる。


 そしてもう一つ、俺がリカルドに頼んでいたことがあった。


「そうそう、地竜アースドラゴンを連れてきたのもその一環ですね?」


「なに……?」


 事もなげに確認するリカルドに、侯爵が怪訝な表情を浮かべた。……あれ? ひょっとして違ったのかな。そんな不安を抱きながら侯爵を観察していると、やがて彼ははっとした表情を見せた。


 そこへ、畳みかけるようにリカルドが言葉を続ける。


地竜アースドラゴンの出現によって、クローディア王国が辺境をお荷物だと感じるよう仕向け、同時に辺境に住まう人間を追い出す。ひどいことを考えますね。

 辺境の案内人にも早い段階から声をかけていたようですし、数年がかりの計画だったのでしょう?」


「それは……」


「戦後の領地割譲協議で、辺境が候補地に挙がった時はしてやったりという気分だったのでしょうね。それに、王国が辺境を『割譲』ではなく『廃領』するという条約に内容をすり替えた時も、むしろ都合がよかったのではありませんか?

 割譲によって自国民となった辺境民を一方的に追い出すのは外聞が悪いですが、廃領であれば、相手は敵国のようなものですからね。虐殺でもなんでもして追い出すことができる」


「……」


 侯爵は何も答えない。リカルドは、わざとらしく明るい口調で言葉を続けた。


「まあ、その地竜アースドラゴンは討伐され、辺境は事なきを得たのですが」


「あの上位竜を討伐しただと……洗脳が解けて逃亡したのではなかったのか……!?」


 ハロルド侯爵は呆然と呟く。彼は、自らの言葉が関与を認めていたことにも気付いていない様子だった。


地竜アースドラゴンには洗脳された形跡がありました。下位竜ならともかく、上位竜を洗脳できる技術なんて、現在の魔法技術で再現できるはずはない。おおかた、あれも古代文明の品だったのでしょう? そうでなければ、先の戦争でも使用していたはずだ」


「あれを指示したのは私では――」


 と、侯爵はようやく失言に気が付いたようだった。顔を青ざめさせると、ちらりと俺のほうを見る。上位竜を人の住む地に放ったという事実を知られたことにより、統督教の保護を受けられなくなるという心配だろうか。


「なるほど、よく分かりました。まさか、侯爵が関係者であったとは、非常に残念です。……となれば、その分は色をつけてもらう必要がありますね」


「……色? なんのことだ」


 怪訝な表情を浮かべる侯爵に、リカルドは場にそぐわぬ爽やかな笑みを返した。


「もちろん、戦後処理でよく言われるアレですよ。それもなしで解放されるとは思っていないでしょう?」


「ぐ……」


 ハロルド侯爵は渋い顔で応じる。アレが身代金であることは、すぐに伝わったようだった。悔しそうな侯爵に向かって、リカルドは冷たい口調で言い放つ。


「辺境にも大きな犠牲が出ていることを忘れてもらっては困りますね。いくらお金を払っても、亡くなった人たちは帰ってきません。ですが、逆に言えばお金くらいしかないのですよ。

 侯爵が額を地にこすりつけて詫びたところで、遺族の心が安らぐこともなければ、重傷者の傷が癒えることもありませんからね」


 そもそも、今さら捕虜を処刑したところで、辺境に大したメリットはない。それならば、多額の金銭等と引き換えに身柄を返したほうが、よほど合理的というものだろう。


 それに、辺境の開発は道半ばだ。食糧をはじめとして、お金で解決できる問題は多い。どうせ帰還しても失脚してろくな企みごとはできないだろうし、それなら彼らをお金に換えたほうがいい。それが俺たちの判断だった。


「だが、身代金を払うということであれば、身の安全は保証してもらえるのだろうな?」


「これはまた、お客様気分ですね。……帝国軍は、身代金を取る捕虜に対して、どんな扱いをしていましたっけ?」


 ハロルド侯爵の顔が青ざめる。やはり、安穏とした獄中生活を送らせているわけではないらしい。


「ところで金額ですが、やはりそれなりの額をもらう必要がありますからね。ひょっとすると、貴族としての体裁を整えられなくなるレベルになるかもしれませんが、皆さんの命には替えられませんよね?」


「っ……!」


 彼らは軍の幹部として、大陸でも最強クラスの帝国軍を率いていた。それが連戦とは言え、格下の力しか持たない王国と、国としての体裁すら持たない辺境の義勇軍に敗北したのだ。その政治的生命は潰えたと言っても過言ではない。


 さらに、そこへ財産の喪失だ。二度と帝国の表舞台に浮かび上がることはできないだろう。もちろん、家の繁栄を最優先して、自ら解放されることを拒むという選択肢もあるが、それとて「身代金を渋って当主を見殺しにした家」という悪名を被ることは避けられない。実質的に、彼らは詰んでいた。


 侯爵は顔面を蒼白にしながらも、奥歯をぎりっと噛み締めて耐えているようだった。しばらくの間、場に沈黙が訪れる。


と、扉がコンコンとノックされた。


「なんだい?」


「村長補佐にお客様です。お急ぎのようですけど、いかがなさいますか?」


 扉の向こうから女性の声が聞こえてくる。……まあ、女性の声というか、クルネの声なんだけどね。彼女の言葉を聞いて、リカルドは少し考え込む素振りを見せた。


「分かったよ、今行く」


 そう答えてから、彼は侯爵に声をかける。


「失礼。少し外します。……神殿長代理も構いませんか?」


「ええ、構いませんよ」


「まさかとは思いますが、ハロルド侯爵を逃がしたりしないでくださいね」


 そう念押しをしながら、リカルドは部屋を出て行った。後には、俺と侯爵だけが残される。


 しばらくの沈黙の後、俺は聖職者の微笑を浮かべて侯爵に話しかけた。


「……ハロルド侯爵。ここでの生活はいかがですか?」


 リカルド抜きで話しかけられたことが予想外だったのか、侯爵はしばらく固まったあと、どこか自嘲気味に答えをよこした。


「どうと言われてもな……。そもそも、生きて帝国へ帰ることができたとしても、その後の人生などタカが知れている。それとも何か融通でもしてくれるのか?」


「ええ、内容によっては」


「なんだと!?」


 俺の言葉を聞いて、投げやりだった侯爵の態度が変わった。彼は疑いの眼差しを向けつつも、俺たちを隔てる格子を掴まんばかりに身を乗り出していた。


「ここでの扱い云々はともかくとして、ハロルド侯爵の今後の立場については、多少ご協力できるかもしれません」


「ほ、本当か……?」


 すがるような眼差しで、侯爵が俺を見つめる。俺が聖職者であることと、リカルドという辺境サイドの人物がいなくなったこととで、彼の警戒心が少し弱まったようだった。


「だが、無償でそのような便宜を図ってくれるわけではないだろう?」


 その言葉に、俺は静かに頷いた。


「話が早くて助かります。……ハロルド侯爵。貴方にはしかるべき時期に、しかるべき人物を辺境へ斡旋してもらいたいのです」


「しかるべき……?」


 曖昧な内容に、侯爵が怪訝な表情を浮かべた。


「この辺境には、クローディア王国の王族がいます。辺境の実権を握っているわけではありませんが、王国から()()()()()()この辺境で、それなりの立場を得ることになるでしょう」


「なんだと!?」


 侯爵は目を見開いた。だが、その目はやがて細められ、何事かを思考し始めたようだった。そこへ俺は言葉を重ねる。


「現在、この辺境は特殊な状態にあります。今回は難を逃れましたが、いつ同じような事態が発生するとも限りません。

『辺境の守護者』を始めとした固有職ジョブ持ちが揃っている以上、簡単に敗北することはないでしょうが、そもそも、そんな無駄なところに労力を回すべきではありません。そんな余力があるのなら、すべて辺境の開発に費やすべきです」


 その言葉で、侯爵はピンときたようだった。


「それで、しかるべき人物か……。だが、それが私の今後に関わるというところが分からないな……」


「そもそも、侯爵はなぜ辺境へお出でになったのでしたか?」


 そう問いかけられて、ハロルド侯爵は一瞬固まった。


「たしかにそうだが、確実に存在するとまでは……」


「もちろん、これは発見された場合の話です。ですが、侯爵が司令官となり、行軍しながら探索を行う程度には、存在が見込まれているのですよね?」


 俺の言葉に侯爵は黙って頷いた。この仮定は、すでに遺跡を発見している俺からすれば意味のないものだ。だが、今の段階で、古代遺跡が発見されたという情報を彼に持ち帰らせるつもりはなかった。


「不幸なことですが、()()なってしまった以上、辺境と帝国との仲は良好とは言いがたいものになるでしょう。そんな中で古代遺跡が発見され、唯一辺境とのパイプを持つ存在がいるとすればどうでしょうね?」


「む……」


 その言葉に、侯爵は明らかに乗り気な様子を見せた。もともと、普通にやっていては二度と表舞台に浮かび上がることのできない身の上だ。まして、今回の話は侯爵にとってほとんどデメリットがない。乗ってこない可能性は非常に低かった。


「なるほどな。神官殿、その話に乗ろう。……いや、乗らせてほしい」


 ハロルド侯爵は居住まいを正すと、真摯な瞳で頭を下げた。提示された可能性が唯一の道だと、腹を括ったのだろう。


「分かりました。それでは、辺境民に話を通してみましょう」


 そう答えると、侯爵はほっとした表情を浮かべた。だが、その顔はすぐに不思議そうなそれに変わる。


「しかし、統督教の神官である貴公が、なぜそこまで考える? 辺境の特性を考えれば、クルシス神殿の発言力が強いことは想像に難くないが、下手をすれば政治干渉ではないのか? ……あ、いや、別に責めているつもりはないのだが」


 最後の言葉は、せっかくまとまった取引を潰したくないが故だろうか。だが、彼のように考える人間は多いはずだった。


「私はただ、任された神殿をしっかり運営していきたいだけですよ。そのために必要であれば、環境改善のために提案の一つもします。もちろん、決定権を持っているわけではありませんので、絶対に提案が通るというお約束はできませんが」


 そもそも、政治云々以前に今の辺境は国じゃないからな。ある意味では干渉するべき政治が存在していないとすら言える。

 クルシス神殿の発言力が強いのは侯爵の指摘の通りだが、この辺りは上手いことやらないとなぁ……。


 そんなことを考えながら、俺は()()()()席を外したリカルドが戻ってくるのを待つのだった。




 ◆◆◆




「カナメ、お疲れさま」


「そっちこそ、ずっと喋りっぱなしで大変だったな」


 尋問を終えたリカルドと俺は、建物の外へ出るなり口を開いた。


「それよりも、カナメは一体どんな説得を試みたんだい? 僕が席を外している間に、あの侯爵がすっかり懐いていたじゃないか」


「うーん……まあ、唯一の希望ともなればそうなるだろうさ」


 肩をすくめながら答えると、リカルドは軽く笑い声を上げた。


「それで、侯爵は信用できそうかい? ……まあ、彼が約束を反故にしたところで、没落した身で辺境へちょっかいをかける余力はないだろうし、脅威ではないけれどね」


 その言葉に、俺はニヤリと笑って見せる。


「お互いに利益のある話だからな。侯爵の人間性はよく知らないが、損得勘定くらいはできる人物だろう。それなら問題ないさ」


「それならよかったよ。……まあ、あの様子だと、帝国に帰ってからもカナメのことを恩人だと思っていそうだけど」


 その言葉に、俺は苦笑を浮かべるしかなかった。


「最初は敗戦の元凶みたいな言われ方をしてたのにな。……だが、本当によかったのか?」


「よかったのかとは、何についての話だい?」


「いや、このままだとクルシス神殿ばかりがいいところを持っていくというか……」


 そんな懸念を口にすると、リカルドは笑い声を上げた。


「彼が無事に帰還できたとしても、失脚の原因となった辺境に対しては悪感情しか抱かないだろうからね。それなら、そこから分離できるクルシス神殿……というか、カナメが懐柔しておいてくれたほうがマシというものさ」


「そうか、それならいいが」


 そんな会話をしながら、俺たちは建物を後にした。




 ◆◆◆




「カナメ! 大ニュースだ!」


 とある朝。神殿長室の扉がバンッと大きな音を立てた。おそらく、この神殿ができてからの数カ月の中でも、一番強い勢いで開かれたことだろう。


 そんな現実逃避気味な思考を追いやって、俺は声の主を眺めた。普段とは明らかに異なったその様子に、驚きよりも疑念を覚える。


「リカルドがそんなにはしゃぐとは、珍しいこともあるものだな」


「なんとでも言ってくれ。感情を抑圧し続けているのは身体によくないからね。たまには素直に感情を表現するのさ」


「その意見には賛成だが、なぜ俺の執務室で実行するんだ……」


 そんな俺の言葉をものともせず、リカルドは口を開く。


「優秀な治癒師ヒーラーの当てができたんだよ」


治癒師ヒーラーの?」


 俺はオウム返しに尋ねる。固有職ジョブ持ちの比率が高いのはこの辺境の特徴だが、それでも治癒師ヒーラーの確保は喫緊の課題だった。その理由は、先の戦争にある。


 義勇軍へ参加した者の治療については、治癒師ヒーラー固有職ジョブを持つ人間が総掛かりで治癒魔法を使用しているが、負傷者の数は多く、彼らの魔力にも限界がある。

 しかも、重傷者のような優先順位の高い者から順に治療していく必要があるため、消費魔力との兼ね合いから一日で治せる人間の数は意外と少なかった。


「それはありがたいが……一体どんなツテを使ったんだ?」


 そう尋ねると、リカルドは首を横に振った。その意味が分からず訝しんでいると、彼は懐から手紙を取り出した。どこか見覚えのあるあの印章は……え?


「今回の戦争被害者の救済のために、教会の『聖女』が辺境に派遣されるらしいんだ!」


 やっぱり。俺は心の中でそう呟いた。そう言えば、王国‐帝国戦争でも教会は『聖女』を派遣していたんだっけな。そう言えば、リカルドはその時に――。


 思考がそこまで追いついた時、俺はリカルドのテンションが高い理由に思い至った。まさか……。


 リカルドは手紙を机に広げると、そこに記載されている名前を指さす。


「今回訪れる『聖女』は二名。聖騎士パラディン治癒師ヒーラーらしいんだけど……」


「そうなのか」


「そうなんだよ! そして、その治癒師ヒーラーの『聖女』こそ、あの時僕を助けてくれた子に間違いない!」


「おお、よかったな……。けど、治癒師ヒーラーの『聖女』って二人いたと思うんだが……」


 そう尋ねると、リカルドは分かっている、というように頷いた。


「あれから色々調べたからね。彼女の名前くらいは把握したよ。……そして、その彼女の名前こそが、ここに記されているミュ――」


「カナメ! 大ニュースや!」


 と、そんなリカルドの声に被せるようにして、別の声が扉のほうから飛んできた。


「どうしたんだ、コルネリオ。リビエールの街に行ってたんじゃないのか?」


 さっきのリカルドと同じような登場の仕方だな。そんなことを考えながら友人に問いかける。すると、コルネリオは先程にも増して賑やかな声を上げた。


「ミュスカちゃんがルノール村に来るらしいで! 久しぶりやな!」


「――え?」


 その声に反応したのは、俺ではなくリカルドだ。……しまった。俺は頭を抱えた。


「リビエールの街で買い出ししてたら、えらい別嬪な女騎士と道を歩いてるミュスカちゃんを見かけたんや。……あ、もちろんミュスカちゃんも相変わらずかわいかったで」


 そんな俺の心の内も知らず、コルネリオは言葉を続ける。


「そんで話しかけたら、辺境に来るって話やってん。びっくりしたわ」


「驚きだな」


 そう言って俺は引きつった笑みを浮かべた。背中をつう、と汗が流れる。そこへ、リカルドが口を開いた。


「……コルネリオ君、一つ訊きたいんだけど、君は『聖女』と知り合いなのかい?」


「ん? ミュスカちゃんのことか? 俺もカナメも、神学校の同じ教室で授業を受けた仲やで。いわゆる学友っちゅうやつか」


「へえ……じゃあ、仲が良かったんだね」


「そらもう、ミュスカちゃんは特にカナメとは仲良うしとったからな。他の男連中とはあんまり喋らへんかったのに、ほんま不公平やで……」


 コルネリオがぶつくさとぼやく。だが、もはや問題はそこにはなかった。


「……カナメ?」


 ギギギ、と擬音が聞こえてきそうな動きで、リカルドがこちらを振り向いた。不自然なほどの無表情の中、唇の端だけがかすかに吊り上がっている。……ヤバい。リカルドに対して恐怖を感じたのは、これが初めてかもしれない。


「なんだ?」


 そう答える自分の声は、少し上ずっているような気がした。


「ひょっとして、君は僕の恩人がミュスカさんだって、気付いていたんじゃ……」


 なぜ黙っていた、と言わんばかりの眼光が俺を射貫く。……くっ、せめてクルネがいれば共犯にできるのに……!


「ほ、ほら、俺たちは今じゃクルシス神殿の神殿長代理と教会の『聖女』だし、気軽に人を紹介し合える立場じゃなくてだな……」


 面倒なことになりそうだったから、という一番の理由を意識の端へ追いやって、俺は咄嗟に考えた出まかせを並べた。


「たしかにそれは……」


 意外なことに、リカルドは納得してくれたようだった。苦しい言い訳だったが、生まれのせいで立場の制約を当然のものと考えるリカルドからは理解を得られたようだ。

 その事実にほっとした俺は、コルネリオのほうにちらりと視線を送る。どうやら事情を把握したらしく、「すまん!」というジェスチャーが目に入ってきた。……いやまあ、別にコルネリオは悪くないんだけどね。


「なんにせよ、『聖騎士』とミュスカなら道中の心配もないし、治癒魔法の腕も申し分ない。これを機に、教会派が何かちょっかいをかけてくる可能性はあるけど、今はありがたく厚意を受け取っておこう」


 迂闊に断るようなことがあれば、それはそれでクルシス神殿の立場が悪くなるだろうしな。短慮は禁物だ。

 それに、あの二人なら変なことはしないだろう。そんな信頼もあった。


「そうと決まれば、歓迎の準備をしなくちゃね」


 再び、リカルドが朗らかな声を上げる。


「二人とも真面目な性格だから、派手にやらないほうがいいぞ」


「ん? ……そうか、カナメは『聖騎士』とも面識があったんやな」


 『聖女』たちの性格についてコメントしたせいか、コルネリオが思い出したように呟く。


「ああ。たぶん、コルネリオが見た『えらい別嬪な女騎士』が『聖騎士』だ。白金髪プラチナブロンドで、凛とした雰囲気の女性だろ?」


「おお、そんな感じやったわ! ……しかし、なんというか、相変わらずこの世は不条理やで……なんでカナメばっかり綺麗どころと縁を結んどるんや……」


「コルネリオ君の気持ちは分かるよ……」


 リカルドがその言葉に同意して、なんだか神殿長室に妙な空気が流れる。


「――カナメ、お疲れさま! ……って、この変な雰囲気はなんなの……?」


 そこへクルネも加わって、神殿長室はさらに混沌とした空間へ変貌するのだった。


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