帰着
【クルシス神殿長代理 カナメ・モリモト】
「ここは……どこだ?」
空間転移を使い、帝国軍の包囲から脱出した俺は、目の前の建造物を見て呆然と呟いた。
白と灰色を主体とした、色あせた印象の建物群。数十メートルの高さを持つ建造物が整然と並び立っており、その間を縫うように舗装された通路が伸びている。
その通路はどこまでも奥へと続いており、この空間が途方もなく巨大であることを予感させた。
俺は無意識に一歩踏み出す。それは、どこか懐かしさを感じさせる光景だった。
……これはなんだ?
脳が混乱している。そんな自覚があった。それほどに異質な光景だったのだ。だが、これは――。
「その様子だと、カナメ君が意図的にここへ転移したわけじゃなさそうだね」
「キュゥ?」
一緒に空間転移したクリストフとキャロが、同じタイミングで声を上げた。彼らに頷きを返しながら、俺はただ眼前の光景を見つめ続ける。
実を言えば、心当たりはあった。さっき空間転移した時に、何かに引っ張られるような感覚を覚えたのだ。
だが、空間転移に干渉できるような魔導師はもういない。いったいなぜ……。
そう考え込んでいると、クリストフが再び口を開く。
「ところでカナメ君。君の目には、この光景はどう見えるんだい?」
「古代文明の遺跡と見て間違いないだろうな」
「……やっぱり」
それは疑いようのない事実だった。一見しただけで、この都市が現在の文明レベルを超越している存在だと分かる。
俺はつい、近くの建造物へと足を向けた。至近距離で見たそれは、やはり元の世界の建造物を想起させる。
ただ、やはり別の発展を遂げた世界だからか、違和感を覚える箇所も決して少なくなく、見慣れた光景だと言うには無理があった。
「カナメ君! 迂闊に近づくと危険だよ!」
俺が不用意に建物に近づいたことで、クリストフが警戒を促す。……そうだった。いくら元の世界に似ているとは言え、いつぞやの魔工巨人みたいな奴を配備しているような遺跡だからな。
自己転職してしばらく力が使えない俺と、魔獣使いの力をフル稼働させて疲弊しているクリストフはあまり戦力にならないだろう。しかし、魔工巨人はキャロだけに任せるには厳しいものがあった。
「ああ、すまない」
心配そうにこちらを眺める一人と一匹の下へ駆け寄ると、俺は改めて周囲を見渡す。広大な場所だが、人がいる気配はまったく感じられなかった。
「それにしても、ここはどこなんだろうね? ……もう少し休んだら、手近な鳥を使役して現在地を確認してみよう」
「そうだな。……まさか、別の大陸に飛ばされたなんてことはないだろうな」
俺はつい不吉な想像を口にする。なんせ、こんな高層ビルの立ち並ぶ都市だ。この世界で目立たないはずがないのだ。にもかかわらず、こんな遺跡の話なんて聞いたことがない。
この都市は、一般的な古代文明の遺跡とは一線を画しているように思われた。
「怖いことを言わないでほしいな……よし、ちょっと確認してみるよ」
言うなり、クリストフは魔獣使いの力を発動させたようだった。まだ疲労も抜けていないはずだが、それだけこの場所が落ち着かないのだろう。
「……よし、いたいた」
クリストフが嬉しそうな声を上げたのは、それからしばらくしてのことだった。だが、その表情はやがて困惑に変わる。
「え……?」
その様子に、俺の心臓がどくんと波打つ。まさか本当に、違う大陸に空間転移してしまったんだろうか。もしそうだとすれば、巻き込んでしまったクリストフやキャロにあまりにも申し訳ないし、クルネたちにも――。
「カナメ君! ここ、ルノール村の近くだよ!?」
「なんだって!?」
思い悩んでいた俺は、クリストフの言葉を聞いて声を上げた。
「近くと言っても、巨大怪鳥で二、三刻はかかるだろうけど……シュルト大森林の広大さから考えると、ルノール村の傍と言っても差し支えないと思う」
「そんな馬鹿な……」
巨大怪鳥で二、三刻かかる距離。危険なシュルト大森林のことだ。それだけの距離を踏破しようとした場合、大きな困難を伴うことは間違いない。最低でも、魔の森を熟知した人間と、複数の固有職持ちは必須だろうし、日程も一日や二日ではすまない。
だが、それは不可能という意味ではない。長い歴史を鑑みれば、それに成功した人間が一人や二人いてもおかしくはないはずだ。
まして、相手はこんなに巨大な建造物群なのだ。今まで見つかっていないのは不自然だった。
「ということは、何かしらの結界でも張っているのか……?」
「その可能性はありそうだね。実は、さっき鳥と一体化していた時に、この都市を見つけるのにとても苦労したんだよ。……なんせ、鳥の視界にこの遺跡は見えていなかったから」
「そうなのか!?」
クリストフの情報は、さらなる驚きをもたらすものだった。
「魔獣探知能力で、僕と鳥の位置関係は分かっていたからね。後は、太陽の位置や遠くの地形でなんとか判断したんだけれど、鳥にはただの森に見えていたよ。
しかも、方向感覚を狂わされたのか、いくら飛んでもこの遺跡に辿り着けなくてね。鳥と僕との位置関係だけを頼りにして、ようやくここに到着したんだ」
遺跡に入れば、鳥にも見えるようになったんだけどね、と結んで、クリストフはぺたんと地面に座り込んだ。さすがに疲れたのだろう。
そんな魔獣使いに労いの言葉をかけながらも、俺は脳裏で別のことを考えていた。ということは、奴らの奇行は――。
「つまり、これを探していたのか……?」
思考が口から飛び出す。その呟きが聞こえたのか、クリストフが問いかけるような視線を向けてきた。
「帝国軍だよ。あんなにひっきりなしに偵察隊を出していたのは、この遺跡を探していたからじゃないのか?」
「……たしかに、そう考えれば納得がいくね。帝国は古代文明の遺跡をとても重要視していると聞くし」
クリストフが同意する。帝国の無理矢理な森中行軍も、異常に気合の入った偵察行動も、すべてはそのためだったのだろうか。
辺境の村々を欲したのではなく、この遺跡を欲しがっていた? だから元王国民である辺境の人間は排除したかったのか? 王国が落としどころの一つとして用意していたこの辺境を、帝国はもともと狙っていた?
様々な推測が頭の中を飛び交う。帝国は国内の目ぼしい遺跡を掘り尽くしたと、そう言っていたのは誰だったか。
再び、俺は眼前の建物群に目を向けた。この遺跡には、帝国が戦争を仕掛けるほどの価値がある。そう言われても納得できるだけの存在感があった。
俺たちが回復したら、もう少し調べてみたいな……。そう考えた俺の脳裏に、ルノール村のみんなの姿が浮かぶ。
そうだ、今はそんなことをしている場合じゃない。俺ははっと我に返った。
「なあ、クリストフ」
「……うん、早くルノール村へ戻ろう」
言葉を最後まで聞くことなく、クリストフは神妙な顔で頷いた。彼にも、アニスを始めとして、一緒に移住してきた村の人たちがいる。ルノール村に残してきた人たちが気になるのは同様だろう。
かつて、帝国軍を相手に苦い思いをしているだけに、その表情は真剣そのものだった。
俺たちが隠された古代遺跡を後にしたのは、それから数刻後のことだった。
◆◆◆
「数日ぶりなのに、なんだか懐かしいな……」
クルシス神殿を見上げた俺は、誰にともなく呟いた。夜もだいぶ更けており、光源は月明かりしか存在しない。
クルシス本神殿では、当番制で神官が夜の番をしているが、このルノール分神殿にそんな決まりはない。そのため、神殿には明かり一つ灯っていなかった。
その暗闇を幸いと、俺は周囲を窺いながら神殿の庭へ侵入する。関係者専用の小道へ逸れると、やがてクルシス神官の宿舎がその姿を現した。
俺以外の四人の神官は今もこの建物にいるはずだが、どの部屋もひっそりとしており、明かりが灯っている様子もなかった。さすがに寝ているのだろう。
誰にも気づかれないように、こっそり帰還するという任務を無事果たせて、俺はほっとしていた。……まあ、ここはもう神殿の敷地内だから、今さら誰かに見つかったところで、言い繕いようはいくらでもあるんだけどね。
そんなことを考えていた時だった。
「カナメ……?」
突然かけられた声に、俺は身をすくませた。だが、それが聞き慣れた声であることに気付き、俺は笑顔を浮かべる。
「クルネ! どうしてこんな所に?」
答えが返ってくるとは思わなかったのか、クルネは驚いたように息を呑んだ。月光に照らされて、彼女の髪がぼうっと光っている。
「ほ、本当にカナメ……よね……? 幻じゃないわよね?」
まるで俺が偽物であるかのように、クルネが念を押してくる。こんな夜更けだしな。幽霊の類と間違えられても仕方ないかもしれない。しかも、俺は髪を赤く染めたままだから、余計に分かりにくいのだろう。
「ああ、自分では本物のつもりだ。……ただいま、クルネ」
「っ……!」
しばらく固まっていたクルネは、どこか覚束ない足取りで、ゆっくりとこちらへ近づいてくる。少し顔を伏せているせいで、前髪に隠れた表情は窺い知れない。
やがて、目の前で立ち止まった彼女は、俺の胸にこつんと額を当てた。次いで、その顔全体を胸に押し当てると、俺の服の裾をきゅっと握りしめる。
「クルネ……?」
声をかけるが、彼女が顔を上げる気配はなかった。だが、クルネが俺の身を案じてくれていたことは間違いない。
帝国軍へ潜入する直前に見せた、彼女の泣き出しそうな顔を思い出すと、それ以上何も言えなかった。
無音のまま時が過ぎる。クルネが離れようとするまで、俺は彼女を支え続けていた。
◆◆◆
それからどれくらい経っただろうか。我に返ったのか、わたわたと身を離すクルネに、俺は気になっていたことを尋ねた。
「ところで、こっちでは何か変わったことはなかったか?」
「えっと、そ、そうね、ラウルスさんを中心にして、辺境の義勇軍がシュルト大森林へ向かったわ」
慌てたようにクルネが答える。……そうか、もう出発しちゃったのか。
「それで、カナメ……どうだったの?」
クルネは気掛かりな様子で口を開く。具体性のない問いかけだったが、その内容は考えるまでもなかった。
「成功だ。ラウルスさんたちに隕石が降り注ぐことはないよ」
そう答えると、クルネの顔にぱっと笑みが広がった。
「よかった……! 早くラウルスさんたちに伝えなきゃ」
「そうだな。クリストフが追いかける手はずになっているから、時間の問題だろう」
「クリストフさんも大変ね……」
「まったくだな」
戦いに参加してはならない俺はともかく、クリストフのほうは一晩休んでから、義勇軍を追いかけることになるだろう。
かなりの強行軍になるが、クリストフ自身がそれを望んでいた。彼の能力が戦争において非常に強力であることは明らかだし、義勇軍に合流すれば戦力は跳ね上がるはずだ。
「そう言えばアニスは?」
「もしもの時の防衛戦力として、この村に残ることになったわ」
「そうか……」
やっぱりな、というのが俺の感想だった。クリストフは妹を前線で戦わせることを渋っていた。自身が参戦する代わりに、アニスを村に残すという裏取引くらいはしていたのだろう。
兄と一緒に戦えないと知ったアニスは憤慨しているだろうが、クリストフの気持ちはよく分かった。……それに、この村を守ることのできる戦力が、クルシス神殿の面子だけだというのはさすがに心もとない。彼女が残ってくれることは、正直ありがたい話だった。
「万が一の時は、みんなクルシス神殿に避難してくるんだよな……準備は大丈夫そうか? コルネリオは来たか?」
「うん。コルネリオ君が手配した食糧は、神殿の地下室に入れてもらったわ。入らなかった分は、倉庫を持っている人のところに分けて運び込んでもらったはずよ」
「そうか……」
その言葉を聞いて、俺はほっと一息ついた。他国まで食糧の買い付けを頼んでいたコルネリオは、無事依頼を達成してくれたらしい。
神殿としての状況も確認しておきたいところだが、そもそもクルネはクルシス神官じゃないしな。オーギュスト副神殿長あたりに訊いたほうがいいだろうし、残りは明日だな。さすがに今日は疲れたし、もう寝よう。
そう考えた時、俺はふと目の前のクルネに疑問を抱いた。
「そう言えば、クルネはどうしてここにいたんだ? 神殿が忙しいのは分かるけど、クルネがこんな夜更けまでいるような案件があったのか?」
あくまで護衛のクルネに、そんな仕事があるとは思えないけどなぁ……。そう思って首を傾げていると、彼女は慌てたように手を振った。
「ち、違うわよ! 偶然通りがかったのよ! ……ほ、ほら、帝国軍もすぐ近くまで来てるし、見回りが必要でしょ?」
なぜか、クルネがムキになってそう主張する。けどたしかに、備えるに越したことはないもんな。
「たしかにそうだな。助かるよ、ありがとう」
「……うん」
感謝の言葉を口にすると、クルネはほっとしたように頷いた。
「さすがに疲れたから、今日は早々に寝るよ。クルネ、また明日な」
「うん! また明日ね」
俺の言葉に、彼女が眩しい笑顔で答えてくれる。手を振ってもう一度別れの挨拶を交わすと、俺は自宅へと足を踏み出した。
クルネの顔を見て緊張が緩んだのか、一気に眠気が押し寄せてくる。俺は半ば夢うつつで自宅へ帰りつくと、ベッドに倒れ込んだ。
◆◆◆
「カナメ神殿長代理、数日ぶりですな。クルシス神への祈祷はいかがですかな」
翌朝。クルシス神殿の朝のミーティングに顔を出すと、誰よりも先に、オーギュスト副神殿長が声をかけてきた。
「皆さんのおかげで、一心に祈りを捧げることができました。ありがとうございます」
俺は笑顔を作ると、ぺこりと頭を下げた。
「……それならばよろしいのですが」
そうは言うものの、副神殿長の心中は複雑なようだった。俺が帝国軍に潜入することについて、彼には何も伝えていない。真実を知っているのは、神殿関係者ではクルネとプロメト神殿長だけだ。
それは、万が一俺の潜入が発覚した場合に、オーギュスト副神殿長が処罰の対象にならないよう考えた結果でもあるのだが……。そもそも、同じ建物で生活していて、勤め先も一緒なのだ。俺が不在であることに気付かないとは思えなかった。
そこへさっきの言葉だ。おそらく、大体のところは勘付いているのだろう。ひょっとすると、プロメト神殿長が念話機で伝えたのかもしれない。
だが幸い、副神殿長は俺の問題行動を容認……ではないが、気付かないフリをしてくれるつもりのようだった。
「帝国軍と辺境の義勇軍が衝突するまで、あと数日だと聞きました。避難民等を受け入れる準備はどんな感じですか?」
そう問いかけると、エンハンス助祭が手を上げた。相変わらずの透き通った声が部屋に響く。
「神殿長代理のご指示通り、この神殿で未使用の区画に軽く手を入れて、ある程度の人数を収容できるようにしました。ただ……」
「ただ?」
「ルノール村の人口が急激に膨れ上がっています。この様子では、当初想定していた避難民の数を大きく上回る可能性が高いかと」
「このタイミングで人口が増えた……?」
助祭の意外な言葉に首を傾げる。戦争を直前に控えたこの時期に、人が逃げ出すなら分かる話なのだが……。
「辺境の村の中でも、小規模、中規模の村の住民がこのルノール村へ避難してきているんです。この村の固有職持ちもほとんどは戦いで出払ってしまいますが、クルネさんや聖獣様がいらっしゃいますからね。中には、なぜか神殿長代理を戦力として数えている方もいるようですが……。
ともかく、戦力的な観点でも、統督教の保護下という観点でも、このクルシス神殿があるルノール村が一番安全だという判断のようです」
「なるほど……。ミレニア司祭の魔道具の設置はどうなっていますか?」
「全部設置済みです! 起動実験でも問題はありませんでした!」
元気な声で答えたのはシュレッド侍祭だ。神官の中で最年少ということもあり、戦争のプレッシャーで心を病まないか心配していたのだが、どうやら杞憂だったようで一安心だ。
「食糧はどうですか?」
「カナメく……神殿長代理の指示通り、食糧は神殿の地下室へ運び込んだわ。……ただ、不思議なモンスターの素材が邪魔をして、全てを収めることはできなかったけれど」
今度は、維持管理業務を担当しているセレーネが口を開く。
不思議なモンスターの素材と言うと……あ。そう言えば、地竜の素材を入れっぱなしだったっけ。
それを思い出した瞬間、オーギュスト副神殿長の目が光った。……ような気がした。
「ふむ、神殿長代理に確認せねばならないと思っていたのですよ。あの地下室の素材はいったいなんですかな? 神殿長代理の私物だとお聞きしましたが……」
「ええと……たしかに私物ですね……」
「使用していなかった地下室とは言え、神殿の設備を私物置き場に使うのはいかがなものですかな。そもそも神殿長代理は――」
唐突に副神殿長が説教モードへと移行する。うわぁ始まった、という思いと、本当に神殿に帰って来たんだなぁ、という実感が入り混じって、俺は実に複雑な気分で叱られるのだった。