表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
転職の神殿を開きました  作者: 土鍋
転職の神殿を開きました
80/176

交渉

【クルシス神殿長代理 カナメ・モリモト】




「おお、なんと気高いお姿……!」


 王国軍が辺境に接近したとの報を受けて、バタバタと走り回っていた俺は、神殿の庭に集まっている人々を見て首を傾げた。


「なんだあれ……?」


「さあ……」


 俺の問いかけに、一緒に来ていたクルネが目をぱちくりさせながら答える。

 彼らは身をかがめたり膝をついたりして、何かを一心に見つめているようだが、何を見ているのだろうか。

 そんなことを考えながら彼らに近づくと、一際大きな声が聞こえてくる。


「聖獣様、どうか私たちをお助けください!」


「……キュッ?」


 ……ああ、なるほど。大体のところは分かった気がするぞ。


 俺は警戒を緩めると、なんとも言えない気分で相棒の妖精兎フェアリーラビットに視線をやった。


 神殿開きの日に鮮烈なデビューを果たして以来、キャロの名声……のようなものは日増しに高まっていた。


 聖獣として認定されていることもあってか、クルシス神殿の本堂には入らず、キャロだけを拝んで帰っていく人たちも一定数いるくらいで、キャロの『日向ぼっこオーラ』に包まれてくつろぐ集団は、ルノール分神殿の小さな名物となっていた。


 だが、今は違う。彼らはすがる様な目でキャロを拝んでいた。人間の神官よりも、神秘的な兎のほうが精神的な支柱になり得るということだろうか。……その気持ちはよく分かるけど、一応この神殿を預かる身としては複雑な気分だな。


 中には、キャロを見ているうちに自己解決したのか、穏やかな顔をして去っていく人すら見受けられる。どんな悟りを開いたのか気になるところだが、話しかけるのはやめておこう。


「……ねえカナメ、どうする?」


 同じくその光景を見ていたクルネが、困ったように尋ねてくる。


「どうすると言われてもなぁ……。これでみんなの心が楽になるなら、別に問題ないんじゃないか? キャロはクルシス神殿の聖獣なんだから、うちの神殿の株が上がることに変わりはないと思うし」


 相手が人でも兎でも、それで暗くなっていた気持ちが晴れるなら充分だろう。どうせ根本的な解決策はないんだし、一時的なものであれ、気を休めることのできる時間は大切だ。


「そうじゃなくて、キャロちゃんを連れて行くんでしょ?」


「そのつもりだったんだが……なんだか、あの人たちに恨まれそうな気がする」


 そう答えると、クルネは真剣な表情で俺の腕を掴んだ。


「だからって、連れて行かないなんて言わないよね? もしそうなら、なんとかして私も付いていくから」


「けどまあ、ラウルスさんもいるし――」


「だって王国軍に乗り込むんでしょ? いくらなんでも危険すぎるわよ」


 そう、俺が神殿の庭へ出てきたのは、なにも散策のためではない。辺境の代表たるラウルスさんと共に、王国軍と話し合いをする予定があるため、護衛を連れていこうと思ったのだ。


 護衛といえばクルネだが、下手に人数を連れて行くと無用の警戒を招きそうなことと、ラウルスさんの鷲獅子グリフォンは二人乗りであり、定員オーバーであることから、今回は断念した形だ。


 そんなやり取りをしていると、「キュ!」という元気な声が聞こえてきた。そっちへ意識をやると、人々に囲まれていたキャロが大きな跳躍を見せて、こちらへ跳んでくるのが目に入る。


 すると、キャロを囲んでいた人たちが、一斉にこちらへと視線を向けてきた。責めるような色はないが、みんな名残惜しそうな、寂しそうな雰囲気を漂わせている。……なんだか気まずいし、これは早々に退散したほうがよさそうだな。


 そう結論付けると、俺は穏やかな笑みを顔に貼り付ける。


「……みなさん、こんにちは。聖獣様に大切な御用がありますので、本日はこれで失礼しますね」


 腕の中に収まったキャロを抱きかかえたまま一礼すると、俺はそそくさとその場を立ち去ったのだった。




 ◆◆◆




「ラウルスさん、カナメをよろしくお願いします」


「勿論だとも。守護戦士ガーディアンの名にかけて、クルネ君の代わりにカナメ殿を守ってみせるさ」


「キャロちゃんも、お願いね」


「キュッ!」


 物々しい雰囲気の中、キャロのいつもと変わらない鳴き声が響く。その様子に、張り詰めていた場の空気が少しだけ緩んだ。


「二人とも、気を付けてな」


「兄上はこれといって特徴のない人物だが、副司令官は二人とも個性的だからね。前にも言った通り、狙い目はウォーゼン子爵のほうだ。うまくやってくれ」


幻影雀ファントムスパロウのほうは任せてよ。あれだけの群れを制御するのは初めてだけど、なんとかしてみせるよ」


 フォレノ村長、リカルド、そしてクリストフが口々に声をかけてくる。それらの言葉に頷きを返すと、俺はキャロと共に鷲獅子グリフォンの背に乗り込んだ。


「カナメ、絶対に帰って来てね」


「ああ、もちろんだ」


 クルネの言葉に笑顔を返す。なんだか危険なフラグが立ちそうな言葉だが、彼女は本心から心配してくれているんだし、何も言うまい。


固有職ジョブ持ちが三人で、うち二人は上級職なんだからな。いくら向こうに暗黒騎士ダークナイトがいるとしても、離脱くらいはできるさ」


「うん……」


 もちろん、上級職のうちの一人は十秒間限定だが……使いどころを間違えなければ、そう危機に陥ることはないだろう。


「――カナメ殿、そろそろ行くぞ」


「ええ、お願いします」


 そう答えるや否や、鷲獅子グリフォンが空高く舞い上がり、俺の身体に圧力がかかる。キャロは大丈夫かと様子を窺えば、実に平然とした態度で耳をぴょこぴょこ動かしていた。


 そうして、眼下を流れる景色をなんとはなしに眺めていると、鞍の前に座っているラウルスさんが口を開く。


「カナメ殿、苦労をかけてすまぬな。その気になれば、君たちは王都へ避難することもできただろうに……」


「神官一人一人が自分で決めたことですから、気にしないでください。……それに、もしここで逃げ出したら、辺境での神殿の信頼は地に落ちますからね。

 かなりの資金を神殿建立に費やしたクルシス神殿としては、それは避けたいところですし、面目の問題もありますから」


 俺がそう答えると、ラウルスさんはおかしそうに笑い声を上げた。


「そうか。それでは、そういうことにしておこう」


 だが、と彼はさらに言葉を続ける。


「カナメ殿の身は必ず守ってみせるが、私に万が一の事態が起きた場合には、遠慮せず君だけでも脱出してくれ」


「そんな、縁起でもない……」


 半ば呟くように答えを返す。どうやら、クルネに続いてラウルスさんも危険なフラグを立てようとしているらしい。


「だが重要なことだ。方針の一つも決めておかなければ、緊急時に対処できぬからな」


「……分かりました」


 経験に裏打ちされた重みのある言葉に、俺は素直に頷いた。


 今回の訪問は、少数精鋭で潜入して敵将の首級を上げるだとか、そういう趣旨のものではない。辺境の代表と聖職者が、戦争を回避するよう王国軍に要請するだけのことだ。

 聞き入れられる可能性は低いが、それでも今回の遠征に関する王国軍の態度くらいは掴むことができるだろう。そう期待していた。


「……速度を上げる。カナメ殿もキャロ殿も気を付けてくれ」


 速度を増す鷲獅子グリフォンの上で、俺は王国軍について思いを巡らせていた。




 ◆◆◆




 辺境の北端には、多くの山々が連なっている。ゼニエル山脈と呼ばれるその山塊は、軽い気持ちで足を踏み入れられるような場所ではない。


 そんなゼニエル山脈の北部には、リビエールという比較的大きな街が存在しており、ゼニエル山脈に挑もうとする旅人たちは、必ずと言っていいほどその街に立ち寄る。

 

 そして、それは軍隊でも同じことのようだった。


「……あれが此度の遠征軍のようだな」


 リビエールの街の近くに陣取る集団に視線をやって、ラウルスさんは口を開いた。その人数はかなりの規模で、千や二千といった数ではない。王国の本気が窺えるというものだった。


「いきなり、総大将のところへ乗りつけるわけにはいかぬか」


 ラウルスさんはそう呟くと、軍勢の端のほうへ向かって鷲獅子グリフォンを降下させた。こちらの姿を認めたのか、王国軍の動きがざわついている。


「何者だ!」


 そして、鷲獅子グリフォンから降り立った俺とラウルスさんに向って、複数の兵士が槍を構えて誰何する。見れば、後ろには弓を構えた兵士たちも存在していた。


「初めまして。私は辺境のルノール村にて、クルシス神殿の神殿長代理を務めているカナメ・モリモトと申します。

 そして、こちらはラウルス・ゼムニノス氏です。辺境では『辺境の守護者』と呼ばれることも多いようですね」


 俺の言葉を聞いて、兵士たちの顔色がさっと変わった。特に『辺境の守護者』の名前を耳にした時の反応は劇的なものであり、ラウルスさんの異名が轟いていることを窺わせた。もしくは、王国軍が要注意人物として情報を流しているのかもしれないな。


「私は統督教の神官として、そして彼は辺境の代表として、皆さんとの対話を望んでいます。総司令官にお目通り願えませんか?」


 そんな前情報のおかげか、すぐに複数の兵士が後方へと駆けていく。鷲獅子グリフォンを見れば一目瞭然だからだろう、ラウルスさんが本物の『辺境の守護者』かどうかを問う声は一切上がらなかった。


「……副司令官がお会いになるそうです。どうぞこちらへ」


 それからどれだけの時間が経過しただろうか。いい加減待ちくたびれてきた頃に、ようやく案内の人間が現れた。その身なりからすると、一兵卒ではなく将校の類なのだろう。

 その面持ちが緊張一色である理由は、『辺境の守護者』の勇名によるものと思われた。


 そんな彼の案内に従って、俺たちは軍の中央へと向かった。




 ◆◆◆




「ふむ、貴公が名高い『辺境の守護者』か。……なるほど、噂に違わぬ偉丈夫だな。ぜひとも手合わせ願いたいものよ」


 まず口を開いたのは、王国軍副司令官の一人、ウォーゼン子爵だった。固そうな灰色の鬚がその輪郭を縁取っており、瞳に灯った炯炯とした光は、先程の言葉が本心からのものであることを窺わせた。


「ふん、いくら『辺境の守護者』などと謳ったところで、所詮は未開の地の住人であろう。……子爵、そのような者と手合わせをするなど、貴族の恥ですぞ」


 そう言って鼻を鳴らしたのは、もう一人の副指令官であるヴェスタ侯爵だ。いかにも武人といった風情のウォーゼン子爵とは対照的に、細身で神経質そうな雰囲気を醸し出している。


「……」


 その言葉を受けて、ウォーゼン子爵が沈黙する。てっきり反論するかと思ったのだが、子爵と侯爵では身分差があり過ぎるということだろうか。

 年齢は同じくらいに見える二人だが、あまり相性はよくないようだった。


「お初お目にかかる。ラウルス・ゼムニノスと申す」


 ラウルスさんは簡潔に自己紹介すると、俺のほうへ視線をやった。「化かし合いは得意ではないため、対話はカナメ殿に一任したい」という事前の申し出通り、多言しないようにしているのだろう。それを受けて、今度は俺が口を開く。


「初めまして。辺境のクルシス神殿にて、神殿長代理を務めているカナメ・モリモトと申します。この度は対話の機会を設けてくださり、真にありがとうございます」


「……統督教の神官が何用かね。君たちは政治への過干渉を禁じられているはずだが」


 俺の自己紹介を聞いた時の、二人の反応はこれまた対照的だった。ウォーゼン子爵はほとんど関心を示さなかったのに対して、ヴェスタ侯爵は露骨に警戒の色を浮かべたのだ。

 侯爵からすれば、『辺境の守護者』よりも統督教のほうが鬱陶しい存在だという認識なのだろうか。


 総司令官たる第一王子が出てこないのは予想通りだが、副司令官が二人とも出張ってきた理由の一つはそのあたりにあるのかもしれない。


「ええ、仰る通りです。こうしてお二人の貴重な時間を頂戴したのは、政治的な主張をするためではありません」


 俺がそう言うと、ヴェスタ侯爵の面持ちが少し緩んだように見えた。ひょっとして、過去に統督教絡みで痛い目にあったことでもあるのだろうか。


「それに、その兎はどういうつもりだ。我々を馬鹿にしているのかね」


「キュッ!」


 ……ええと、キャロさん。見事なタイミングで鳴くのやめてもらえませんか。


「申し訳ありません。この兎はクルシス神殿の聖獣でして、どうしても付いてくると聞かなかったものですから」


「ほほう、戦前に聖獣が本陣を訪れるとは、なかなか縁起のいいことだな」


 そう弁解すると、意外なことにウォーゼン子爵が好意的な反応を示した。他方、侯爵は鼻を鳴らすに留まる。そんな二人の反応を見ながら、俺は本題を切り出した。


「私がお伺いした理由はただ一つです。……このまま帝国との戦争になれば、兵士の皆さんや、辺境の人々に大きな被害が出ることは必須。そのため、戦争行為の中止をお願いに参った次第です」


 そんな俺の言葉を聞いて、ヴェスタ侯爵は冷笑を浮かべた。


「ほう……それでは何かね? 統督教は、辺境が帝国領になることを支持していると、そう捉えてもよろしいのかな」


「そのようなことはありません。つい最近まで、辺境は王国領でしたしね。ただ、辺境はもともと生活物資が不足しがちです。

 もし戦場になるようなことがあれば、食べるものも着るものもなく、雨露を凌ぐ場所さえ失って彷徨う人々が大量に発生してしまうことでしょう」


 侯爵の切り返しに、俺は内心で顔をしかめた。なかなか嫌なところを突いてくる。


「はっ、貴様はかなりの阿呆だな。もし我々がいなければ、辺境は帝国軍に襲われ、草木一本残らぬ焦土と化すのだぞ? 先の戦争では、帝国との国境沿いにあった村が幾つも全滅していたという報告もある。宗教屋の出る幕ではない」


「もちろん存じています。ですが、ひとたび辺境が戦場になってしまえば、どちらに転んでも同じことではありませんか? どの途、人が生きていける環境ではなくなるのですから」


「領土の維持は国としての務めだ。それに協力するのは平民の義務だろう。……本来ならば、辺境を挙げて我々を歓待するのが当然だというのに、逆に邪魔をしてこようとはな。ふん、辺境の程度の低さが知れるというものだ」


 先に廃領宣言を出したのはどちら様でしたかね、と言いたくなる気持ちを堪えて、俺はちらりとラウルスさんを見た。……ああ、やっぱり怒ってるなぁ。無表情を貫いているけど、雰囲気がいつもと全然違う。


 もともと、王国に対して不信感を持っているラウルスさんのことだ。こんな物言いをされてカチンとこないはずがなかった。それも含めて、俺に会話を任せることにしたんだろうな。

 そんな彼の期待に応えるべく、俺は会話を続ける。


「それは申し訳ありません。ただ、こんなお願いをしに上がるほどに、辺境は窮しているのです。

 例えば食糧ですが、先程も申し上げた通り、辺境にはほとんど余分な蓄えがありません。……侯爵様は、これだけの兵の食糧をどうやって賄われるおつもりでしょうか?」


「……つまり、辺境は食糧の供給に協力しないと、貴様はそう言いたいのか?」


「協力しないのではなく、ご協力できる余裕がないのです」


 そう答えると、ヴェスタ侯爵は激昂した様子で怒鳴り声を上げた。


「国土を守るために、わざわざこの地までやってきたのだぞ! 国の威信がかかっておらねば、このような貧相な土地など誰が守るものか! 蛮族が調子に乗るな!」


 そんな腹の立つ言い草を、俺は腹に力を入れてぐっと堪えた。


「辺境に入った後は、食糧を始め必要な物資は現地から徴収する。これは当初からの決定事項だ」


「なんと無慈悲な……辺境といえど、か弱い女性や幼子もいるのですよ?」


 俺は神官らしい言葉を紡ぎながら、頭の中で別のことを考える。


 やっぱり、王国軍は辺境内で戦争を行うつもりのようだ。廃領したとは言え、辺境は自分たちの命令に素直に応じると思っているのだろう。下手をすれば、徴兵される可能性だってあるかもしれない。


 彼らが辺境のどこに拠点を構えるつもりかは分からないが、ろくな結果が待っていないのは明らかだった。


「国の一大事に全てを差し出すのは当然の義務だ。まったく、蛮族とはそんなことも分からないほど愚かしいのかね」


 侯爵は俺たちをせせら笑うと、そう吐き捨てた。……くそ、本当に腹が立つな。俺は頭の中で何度も侯爵を殴りつけながら、それでも笑顔を浮かべる。


 だが、それだけではすまない人物がいた。


「ラウルスさん……?」


 隣の人物から尋常ではないプレッシャーを感じて、俺は思わず声をかけた。その顔は未だ無表情だが、特技スキル威嚇メネス』や『威圧オーバーロウ』を使ったのではないかと思えるような、凄まじい圧力が場を支配する。


「……なんのつもりだ」


 十人ほどいた護衛の固有職ジョブ持ちすら動けない中、厳しい声で問いかけてきたのはウォーゼン子爵だった。リカルドから得た前情報の通り、歴戦の将に相応しい胆力を持ち合わせていると見える。


「何もした覚えはないが」


 ラウルスさんは淡々と問いかけに応じる。その言葉に嘘はない。


「きき、貴様、どどどういうつもりだ! お前たち! 奴を拘束せよ!」


 二人のやり取りで我に返ったのか、今度はヴェスタ侯爵が口を開いた。強大なプレッシャーを前に狼狽していることが丸分かりだが、それでも命令は命令だ。

 固有職ジョブ持ちの数人が、気後れした様子ながらも武器を構える。


「侯爵! この段階で手を出しては――」


「いいからやれ! 殺しても構わん!」


 子爵の制止を振り切って、ヴェスタ侯爵が命令を下す。それと同時に、七人の固有職ジョブ持ちが剣や槍、戦槌ウォーハンマーを持って襲い掛かった。だが――。


「……守護領域テリトリー


 彼らの攻撃は、どれ一つとして届かない。ラウルスさんを中心として発生した、直径三メートルほどの半球が俺たちを覆ったのだ。

 青白く光る半球に阻まれて、七つの武器はあっさりと弾き返される。それどころか、甲高い音を立てて、粉々に砕け散った武器すらあった。


 殺到した固有職ジョブ持ちが呆然とした表情を浮かべる中、カン、という音と共に矢が地面へ落ちる。後ろの弓使い(アーチャー)が放った矢だ。だが、それも守護領域テリトリーを貫くには至らない。


 同様に、魔術師マジシャンが放った風裂球ゲイルオーブも半球によって弾き返され、近くの天幕を盛大に切り裂く。


「馬鹿な……固有職ジョブ持ちが総がかりだぞ……!? まさか、『辺境の守護者』は上級職持ちだとでも言うのか……?」


 信じられない、という面持ちで、ヴェスタ侯爵は呆然と呟いた。その呟きを聞いて、護衛たちの間にも動揺が広がっていく。


「まさか、あの騎士団長と同じ……」


「辺境に上級職なんているはずが……」


「――皆さん、どうか落ち着いてくださいねー」


 そんな中、俺は場にそぐわない朗らかな声を上げた。異質な声を上げたことで、場の視線が俺に集まる。


「まだお話の最中ですからね。侯爵も子爵も、どうぞお掛けになってください」


 そんな俺の言葉を聞いて、侯爵が不快げに顔を歪める。


「このような狼藉を働いておいて、よくも図々しいことを言う……!」


「はぁ。狼藉とはなんのことでしょうか?」


 俺がとぼけてそう訊き返すと、侯爵は再び怒鳴り声を上げた。


「決まっている!そこの男が――」


 が、その声はすぐに途切れる。


「私たちは、ずっと椅子にかけていただけです。狼藉を働いた覚えはないのですが……」


 それは真実だった。なんせ、俺にせよラウルスさんにせよ、椅子から立ち上がることさえしていないのだ。それで狼藉を働いたと言われてもなぁ。

 侯爵もその事実に気が付いたのだろう。口をパクパクさせるだけで、言葉が出てくる様子はなかった。


「それよりも、お話が途中でしたよね? ……ええと、どこまで話しましたっけ」


 あくまで普通に振る舞う俺に毒気を抜かれたのか、やがて侯爵と子爵は椅子に腰を下ろした。それを確認して、俺は言葉を続ける。


「たしか、辺境が戦場になってしまえば、後に残るのは人がろくに住めない環境だけだと、そう申し上げたのでしたよね?」


「……ふん」


 不機嫌そうに侯爵が声を上げるのを肯定と捉えて、俺は再び口を開く。


「そして、領土の維持は国の責務であり、国民はそのために全てを差し出すべきであると。そう仰いましたね?

 ……たしかに、そうかもしれません。ただ、大量の資源を投入し、せっかく獲得した領土が人の住めない地となっていては、侯爵様の名声に傷がつくかもしれませんね」


 たしかに領土の維持は重要だろうが、その中身が不良債権と化していては、あまりに実利が少なすぎる。

 そうなれば、内政を担当する人間を中心に不満が噴出する可能性は充分あった。


「貴様……儂を脅すつもりか? 統督教の神官だからと、あまり調子に乗らないことだ。貴様を潰すやり方など、いくらでもあるのだからな」


 侯爵が俺をギロリと睨みつけてくる。さっきからラウルスさんには怯えたような視線を送っているくせに、俺に対しては偉そうな態度のままなんだな。これが貴族の矜持ってやつなんだろうか。

 そんな皮肉を考えつつも、俺は動揺した風を装って謝罪を口にする。


「おお、これは失礼なことを申し上げました。ただ、戦後の諸々を考えますと、その点を嬉々として突いてくる政敵の一人や二人はいらっしゃるのではないかと、僭越ながらそうご心配申し上げたまでのことです。

 侯爵様のお怒りを買うつもりは毛頭なかったのですが、上手くお伝えできなかったようですね。申し訳ありませんでした」


 そう言って丁寧に頭を下げると、言葉を続ける。


「お詫びと申してはなんですが、『辺境の守護者』から一つ手土産があるようでして……」


「ほう?」


 少し興味を惹かれた様子の侯爵に向かって、口を開いたのはラウルスさんだった。


帝国軍の(・・・・)現在位置だ(・・・・・)


「なんだと!?」


 予想外だったのだろう、侯爵が思わず、といった様子で腰を浮かせる。見れば、隣のウォーゼン子爵も似たようなものだった。


「辺境を目指しているはずの帝国軍の姿は、杳として知れん。シュルト大森林を突っ切ろうとしているとしか思えんが、かの魔の森を偵察するなど不可能だ」


 そう言いながらも、侯爵は心を動かされているようだった。そんな彼を観察していると、今まで黙っていたウォーゼン子爵が口を開いた。


「その情報をどうやって得た」


 彼の射貫くような目が俺たちを見据えた。


「我々が何に騎乗していたか、知らぬわけではないだろう」


「む……」


 ラウルスさんの端的な回答で察したのだろう。子爵はラウルスさんの顔をじっと見つめる。


 正確に言えば、帝国軍を見つけたのはラウルスさんや鷲獅子グリフォンじゃなくて、魔獣使い(ビーストマスター)のクリストフが使役していた魔物なんだけど、そこまで内情を詳しく説明する義理はない。


「それで、奴らはどこにいる」


 性急に情報を求めるウォーゼン子爵に、ラウルスさんは落ち着いた声で答えを返す。


「地図をお借りしたい」


「……いいだろう。おい!」


 子爵の声に応えて、兵士が一抱えある地図を卓上に広げた。


「ここだ」


 言葉少なに、ラウルスさんが地図上の一点を指し示す。冷静に対応するラウルスさんを見て、俺はこっそり安堵した。


 この情報は戦略的に大きな価値を持っているため、統督教の神官である俺が口にするわけにはいかない。そのせいで、ラウルスさんに任せるしかなかったのだ。

 まあ、それにしたって、同席者が王国を利する情報を眼前で提供したという時点で、グレーゾーンに入ってしまっているわけだけれども。


 なので、もし政治への過干渉だと誰かに指摘された時には、「辺境民が自分の判断で情報を提供したものであり、それを止めることこそ過干渉である」とかなんとか言ってごまかすつもりだった。


「やはりか……」


 ラウルスさんが示したポイントを見つめて、ウォーゼン子爵が興味深そうに呟く。対して、ヴェスタ侯爵はまだ疑いの色が濃いようだった。


「貴様らが真実を伝えているという保証はない。……狙いは分かっているぞ。貴様らは、辺境の外で戦争をさせたいのだろう? このポイントであれば、辺境に入ることなく帝国軍と激突させることができるからな」


 その推測は当たっていた。ラウルスさんが示したポイントは、ゼニエル山脈よりもだいぶ北東に位置している。もし王国軍がまっすぐ帝国軍を目指せば、遭遇地点は辺境の外になるはずだった。


「……ご慧眼恐れ入ります。ですが、それが何か問題でしょうか?」


「なに?」


 ヴェスタ侯爵がそう訊き返した直後だった。今度はウォーゼン子爵が口を開く。


「――なるほどな。お主たちの目論見がなんであれ、シュルト大森林を行軍し疲弊している帝国軍を強襲するというのはいい手だ。

 あの帝国の魔道具も、森林戦では使い勝手が悪いことだろうしな」


 子爵が言っているのは、あの火炎球ファイアーボールを放つ魔道具のことだろう。たしかに、森は遮蔽物が多いし、下手に多用すれば自分たちまで火の海だ。平地と同じようにはいくまい。


「帝国は魔道具に頼っているせいで、兵士の練度は高くない。魔道具もさして使えないとなれば、固有職ジョブ持ちが多く、個々の戦闘能力も高い我が軍に有利か……」


「ぬ……」


 子爵の言葉を受けて、ヴェスタ侯爵が鼻白む。歴戦の将として名高いだけあって、爵位は格下でも戦略面では当てにされているのだろう。


「それに、ゼニエル山脈には障害が立ち塞がっていたからな。ちょうどいい」


 俺はその子爵の呟きを聞き逃さなかった。心の内が顔に出ないよう気を付けながら口を開く。


「ああ、もうご存じなのですね」


 すると、ウォーゼン子爵は少し驚いた様子を見せた。それなりの機密事項だったのだろう。

 だが、彼は思い直したように俺たちに視線を向ける。


「……そうか、お主たちは辺境から来たのだったな。いったい、あの飛竜(・・・・)をどう退けたのだ?」


「あのように巨大な飛竜ワイバーンを退けるなど、素手で天災に抗うようなもの。私たちにできることは、台風の目をうまく抜けることだけです」


 問いかけに対して、俺はにこやかに答える。


 ……そう、現在、王国南部と辺境を隔てるゼニエル山脈の周辺には、巨大な飛竜ワイバーンが棲みついているのだ。それも、その巨大さから上位竜ではないかと囁かれているほどの存在が。


 不思議なことに(・・・・・・・)、その飛竜ワイバーンが人里を襲ったという話はさっぱり聞かない。

 だが、王国軍はその存在を無視するわけにはいかない。ただでさえ山越えは兵士を消耗させるのだ。いくら固有職ジョブ持ちを多く含む大軍とは言え、帝国軍との戦争前に上位竜に襲われる可能性など、考えたくもないはずだ。

 ここ数日、王国軍がリビエールの街から動こうとしない理由は、恐らくそこにある。


 ……というか、本当に上位竜だったら軍のほうが全滅するだろうからなぁ。呑気に国家戦争やってる場合じゃないはずなんだが、この辺は残念な方向に期待通りだ。


「……子爵、この者たちの言葉を信じるのかね?」


「帝国軍の位置情報については、別口でも情報提供がある。眉唾ものだと疑っていたが、一考の価値はあるな……」


 考え込むウォーゼン子爵を見て、俺はほっと胸を撫で下ろした。どうやら俺のミッションは無事終了したようだ。


 帝国軍の位置情報は本物だし、王国軍が勝つならそれはそれで構わない。まずは、王国と帝国が辺境で戦争するという事態を回避することが重要だ。

 王国軍がゼニエル山脈を越えようとした場合は別の対処が必要だろうが、今の反応からするとその可能性は低いように思えた。


 俺たちが王国軍の本陣から去ったのは、それから半刻後のことだった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ