マデール商会
【クルシス神殿長代理 カナメ・モリモト】
「初めまして、マデール商会の代表を務めているクリストフ・マデールと申します」
王国唯一の魔獣使いは、思っていたよりもずいぶんと腰が低かった。
年齢も俺と同じくらいだろうし、穏やかで優しげな面立ちであることも手伝って、紹介されなければ新進気鋭の商会主だとはとても気が付かないくらいだ。
傲慢になりがちな先天的な固有職持ちとしては、非常に珍しいケースだと言えた。
「村長のフォレノ・フォアハルトと申します」
「この村のクルシス神殿で神殿長代理を務めているカナメ・モリモトと申します。よろしくお願いします」
フォレノさんに続いて名乗ると、俺はマデール商会の主と握手を交わした。
「転職の神子様ですね。ご高名はかねがね承っています。この度はご無理を申し上げてすみませんでした」
「いえいえ、こちらこそ噂に名高いマデール商会の代表とお会いできて光栄です」
彼の瞳に興味深そうな光が灯る。たぶん、俺も似たような表情を浮かべてるんだろうな。なんせ、国に一人しかいない魔獣使いである上に、その能力を商売に使っている変わり者だ。興味を抱かないはずがない。
「……それから、当商会の出納長です」
握手を終えると、クリストフは傍らに控えていた女性を視線で指し示す。
「マデール商会で出納管理をしているアニス・マデールです!」
そう自己紹介したのは、栗色の髪をサイドテールでまとめた少女だった。クルネと同じか、少し年下くらいに見えるが、その年齢で商会の出納長とは驚きだな。
元気そうというか勝気そうというか、そんな感じの雰囲気が漂っており、クリストフの穏やかな雰囲気とは対照的だった。
「おお、これは失礼しましたな。てっきり、秘書か護衛の方だとばかり」
フォレノさんが彼女に手を差し出すと、アニスは笑顔を浮かべて握手に応じた。親子ほど年齢が離れている二人だが、彼女に萎縮した様子がないのは性格的なものだろうか。
次に俺と握手を交わすと、彼女の視線はそのまま俺の後ろへと向かった。その意味を察して、俺は簡単に紹介を行う。
「護衛のクルネです」
その言葉に合わせて、彼女が黙って一礼する。商会の出納長という肩書を持つアニスとは違い、彼女はあくまでも護衛であるため、正式に名乗るのもおかしな話だからだ。
だが、アニスはクルネに興味を持ったようだった。
「護衛? ひょっとして、固有職持ちなんですか?」
「ええと……」
クルネは突然の質問に戸惑ったようだが、その答えを口にする必要はなかった。なぜなら、クリストフがアニスを嗜めたからだ。
「アニス、初対面の方に固有職を尋ねるのは失礼だよ」
「……ごめんなさい」
クリストフの口調はあくまで穏やかだったが、アニスには効果覿面のようだった。しゅんとした様子のアニスに代わって、フォレノ村長が口を開く。
「ところで、お二人ともマデール姓なのですな。ひょっとして……」
「ええ、アニスは私の妹です」
金髪で穏やかそうな容貌のクリストフと、栗色の髪を持つ勝気な少女。正直、あんまり似ていない。そして、そんな感想を抱いたのは俺だけではなかったらしい。
「おお、そうでしたか。てっきり奥方だと――」
「そ、そんなことありません!」
フォレノさんの言葉を遮るようにして、アニスが顔を真っ赤にして異を唱えた。なんというか、何かと元気な女の子だな。
一瞬目をぱちくりさせた村長だったが、さすがは年の功、さらっと別の話題に切り替える。
「それにしても、クリストフ殿は護衛を連れてきていないのですな。カナメく……神殿長代理にとってのクルネさんのように、誰かしらの護衛がついていると思ったのですが」
「今回の僕らはお願いをしに来た身ですから、護衛を堂々と連れて行くのも失礼かと思いまして」
クリストフはそう理由を説明した後、にこやかな笑顔を見せた。
「……と言いたいところですが、本当のことを言えば護衛は連れてきています」
「ほう?」
思わず聞き返したのはフォレノ村長だ。そんな彼に答えるように、クリストフは窓の外に目をやった。
「ご紹介します、護衛のレイです」
その言葉に合わせたかのように、体長一メートルほどの狼が窓から顔を出す。狼だけあって精悍な顔つきをしているが、嬉しそうに舌を出して尻尾をぶんぶんと振っているせいか、そこまでの圧迫感は感じられない。
だが、あのサイズの狼を魔獣使いが使役した場合、かなりの戦闘力を誇るであろうことは想像に難くなかった。
そんなレイに、クリストフはとても温かみのある視線を向けていた。それは、まるで家族を見るような目で、彼の動物に対する姿勢が分かろうというものだった。
「……なるほど、たしかに優秀な護衛がついているようですな」
その光景を見て、フォレノさんが納得したように口を開いた。
「恐れ入ります。……あの、聞いたお話では、神子様にも護衛の聖獣がいらっしゃるとのこと。もしよろしければ、会わせてもらうことはできませんか?」
「え? キャロにですか?」
意外な言葉を聞いて、俺は目を丸くした。だが、彼は真剣な眼差しで頷く。
「これでも魔獣使いの端くれですので、竜と張り合ったという聖獣様にはとても興味があるのです」
「それは構いませんが……もう会っていると思いますよ?」
「え?」
今度はクリストフが驚く番だった。俺は先程の彼と同じように、窓の外へと視線をやる。そこには、庭でぬくぬくと日向ぼっこをしている白い兎の姿があった。なんだか、見ているとこっちまで眠くなってくるな。
そんなキャロを見て、クリストフは目をぱちくりさせた。
「まさか、あの兎のことですか? たしかに、この村長さんの屋敷に入る時に見かけましたが……」
「ええ。名前はキャロで、クルシス神殿の聖獣として認定されています」
「道理で……。レイが近くにいるのに、まったく脅えた素振りも見せなかったので気になっていたんです」
クリストフは納得したように答えた。だが、その表情はやがて不思議そうなそれへと変わる。
どうしたんだろうと思ったその時、彼は意を決したように口を開いた。
「実を言いますと、神子様にお目にかかりたいと思っていた理由はそこなんです」
「と、言いますと?」
「ひょっとして、噂の聖獣様は魔獣使いの能力によって強化された動物なのではないかと、そう推測していたのです」
ですが、と彼は言葉を続ける。
「あの聖獣様からは、魔獣使いの力を感じ取ることができませんでした。大変失礼な勘違いをしましたことをお許しください」
まあ、本来ならあり得ない力が与えられている、という点では正しいんだけどね。その原因が魔獣強化ではなくて転職だということは分かるはずもないし。
「いえ、お気になさらず。……クリストフさんは魔獣使いですものね。キャロの噂を聞けば、そう考えるのは当然だと思います」
そう言うと、クリストフはなぜか首を横に振った。
「それだけではないのです。……神子様、貴方は半年前に巨大怪鳥便を利用なさいましたよね?」
「ええ、おかげで旅程が一気に短縮できました」
彼が突然話題を変えたことに戸惑いつつも、俺は素直に頷きを返す。……うぇ、やっぱり巨大怪鳥が怪我してたから賠償金払え、みたいな話が始まるんだろうか。
「クルシス神殿にお貸しした巨大怪鳥が帰って来た時のことです。巨大怪鳥を見て私は驚きました。なぜなら、その巨大怪鳥には私以外の魔獣使いが力を使った痕跡があったからです」
「……あ」
そう言えば、パニック状態になった巨大怪鳥を魔獣使いに転職して鎮めたことがあったっけ。ということは、ひょっとして……。
「巨大怪鳥の支配が解けてしまったから、違約金を払えということでしょうか?」
「え?」
そう尋ねると、クリストフはきょとんとした表情を浮かべた。そして、やがて笑いながら手を振る。
「巨大怪鳥便で貸し出している鳥たちは、魔獣支配の特技を使って支配しているわけではありませんからね。
たまにいる人懐っこい個体を、時間をかけてうちの子にしていくだけです」
あ、そうなんだ。魔獣使いとは言っても、意外と地味な作業なんだな。魔獣に気に入られやすくなるとか、そんな固有職補正はあるんだろうけど、それにしても気が長いな。
「そんなこともあって、転職の神子様が魔獣使いの能力を持っているのではないかと、そう思ったんです」
「そうでしたか。……たしかに、魔獣使いが他にもいた場合は、色々と経営方針を考え直す必要があるでしょうからね」
俺はしみじみと頷いた。独占と寡占ではまったく話が違うからなぁ。情報収集は大切だ。
「あ、いえ、そういうわけではないんです」
……と思ったら違ったようだ。
「僕と同じ固有職を持っている人がいたら、魔獣使いならではの話なんかをしたいなって、そう思っていただけなんです」
クリストフはそう言って微笑む。その表情からすると、さっきの言葉は嘘ではなさそうだった。とは言え、信頼関係も何も構築されていない段階で能力をぺらぺらと話すわけにもいかないしなぁ。
まずは様子を見てからだろう。……と、そう思っていたのだが。
「少なくとも、神子様の関係者に魔獣使いがいることは間違いなさそうですし、それが分かっただけでも嬉しいです」
「え?」
だが、クリストフは自分以外の魔獣使いが俺の近辺にいることを疑っていない様子だった。なぜだろう、と先程の会話を振り返って、俺はその理由に気付く。
「神子様は僕以外の魔獣使いの痕跡が残っていた、と言われても驚いていませんでしたし、『支配が解けてしまったから違約金を』とも仰いました。
あのお言葉は、魔獣使いが力を使った痕跡がある、という僕の言葉だけで導き出せるものではありませんよね?」
やっぱりそこだったか。……まあ、自己転職については『神の奇跡』みたいな位置づけで、少しずつ明かしていく予定だし、別にいいと言えばいいんだけどね。
「今まで存在を知られていなかったということは、おそらく理由があって固有職を隠しているのでしょうし、今はこれ以上尋ねるつもりはありません。ただ、できればその方に、僕が話をしたがっていると伝えてくださったら嬉しいです」
変わらない穏やかな口調で、クリストフがそう伝言を託してくる。……強弁すれば突っぱねることもできるけど、そこまでする必要はないかなぁ。真実からは少しズレてることだし。
「分かりました」
俺はそう答えると、この話題を終わらせるべく、彼にここへ来た本題を振ることにした。
「ところで、今回ルノール村へいらしたのは、移住を希望しているから、ということでしたよね?」
「……ええ、その通りです」
「もしよろしければ、移転する理由と、移転先にこの地を選んだ理由を教えて頂いてもよろしいでしょうか? ああ、もちろん差し支えない範囲で結構です」
「分かりました」
そう答えると、クリストフは落ち着いた眼差しで語り始めた。
◆◆◆
「――少し前に起きた王国と帝国の戦争はご存知かと思います。そして、マデール商会が本拠を置いている村は王国と帝国の国境近くにありまして……」
「うわぁ……」
クリストフの言葉を聞いて、俺は思わず顔を引き攣らせた。そんな俺を見て、クリストフも苦笑を浮かべる。
「ご想像の通り、見事に戦争に巻き込まれました。帝国は、侵略地の村々をただの補給庫としか見ていません。それは食糧であり、金であり、女であり……僕たちの村はともかく、近隣の村々は悲惨な有様でした。」
そう語るクリストフの隣で、アニスが沈痛な表情を浮かべている。彼らの村はうまく切り抜けたようだが、交流のある近隣の村々はそうもいかなかったのだろう。
「僕たちの村も何度か襲われましたが、魔獣使いの能力を使ってモンスターや強化した家畜を戦力にすることで、なんとか凌ぐことができました。
村は戦場になった地域よりも少し北に位置していましたから、戦略的に重要ではなかったのでしょうね。それも幸いしました」
ですが、とクリストフは溜息をついた。
「僕たちの村を襲った部隊は帝国の大貴族の直属だったのです。小さな村一つ落とせなかった弱兵の集団として面子を潰された彼らは、戦争で国境が曖昧になっていることをいいことに、戦後も居残って僕らに様々な嫌がらせをしてきました。
それでも暴力に訴えようとする輩は魔獣たちに排除させていたのですが、業を煮やしたやつらは、敗戦で言いなりになっている王国を動かしたんです。
王国政府は、僕が飛行モンスターを操って王都を襲おうとした疑いがあるから、王都へ来るようにと……。とんでもない言いがかりです。彼らの目的が、僕を村から引き離すことにあるのは明白でした」
「それで、どうなさったんですか?」
そう尋ねると、クリストフは苦笑いを浮かべた。
「幸い、王国法は固有職持ちに甘く作られています。それを盾にしたことと、後はまあ……」
「――あの人たちには、ちょっと痛い目に遭ってもらいました。おかげで、今はなんとか小康状態を保っているんです」
口を濁した兄の代わりに、ずっと沈黙していたアニスが説明を続けた。なんとなくだけど、その『痛い目』の発案者は彼女のような気がするな。バランスのとれた兄妹と言うべきだろうか。
「それで移住を決意なさったわけですな」
納得した様子でフォレノさんが頷いた。たしかに、それは夜逃げしたほうがよさそうだな。『痛い目』に遭わせたのは追いつめられた結果なんだろうけど、帝国貴族を刺激したことは間違いないからなぁ。
次は、もっと強大な戦力で攻めて来る可能性が高い。
「ええ、今の状態が長く続くとは思えませんから」
それはクリストフも同意見のようだった。……なるほど、移住の理由は大体把握できたかな。大掛かりな話だし、たぶん嘘ということはないだろう。そもそも、ここで俺たちを騙してもあまりメリットがないしね。
「なんといっても、この地は帝国から遠いという利点があります。いくら帝国貴族といえ、王国の最南端まで進軍してくることはないでしょう。
それに、辺境は王国政府もあまり手を出せない場所ですし、規模を急速に拡大していて将来性もあります。他の国へ亡命することも考えましたが、魔獣使いの僕だけならともかく、村のみんなまで受け入れてくれる国があるとも思えませんし……」
それはたしかになぁ。……って、あれ?
「……うむ? クリストフ殿、今のお言葉ですと、村の全住民がこの辺境へ移住してくるように聞こえたのですが……?」
俺よりも早くフォレノさんが口を開いた。あ、やっぱりそう聞こえたんだ。クリストフの村がどれくらいの人口か分からないけど、さすがに不安になるな。
「ええ、そのつもりです。村単位で目をつけられていますから、誰かが残れば、移住した僕らの分まで酷い目に遭わされることでしょう」
彼はきっぱり言い切った。それどころか、近隣の村の希望者も連れてきたいのだと言う。あまりにスケールの大きな移住計画に、俺とフォレノさんは顔を見合わせた。
「問題はなによりも……」
「食糧をどうするか、ですね。……クリストフさん、村の方々は全部で何人ほどでしょうか?」
「そうですね、ええと……」
「二百十四人です。それに、近くの村で一緒に移住したがっている人が四十二人。合わせて二百五十六人が予定人数です」
意外と細かいことは苦手なのか、困った表情を浮かべるクリストフとは対照的に、妹のアニスがすらすらと詳細を説明してくれる。だが……。
「凄い人数ですね……」
そんな俺の呟きを聞いて、アニスが不安そうな表情を浮かべるのが見えた。
少しずつだが固有職持ちが増えているおかげで、シュルト大森林での狩猟や採集の成果は上向いている。
だが、森の浅い場所では動物も植物も数が減っており、固有職を持たない人々にとっては、むしろ実入りが悪くなっていると聞く。
そこへ二、三百人分の食い扶持が増えるとなればさすがに厳しい。そんなことを考えていると、クリストフが口を開いた。
「こちらの食糧事情については、それなりに下調べを行ったつもりです。そこで、今考えているのは、巨大怪鳥を使った食糧の遠距離輸送です。
巨大怪鳥便のほうが高い収益を上げられますが、背に腹は代えられませんからね。
シュルト大森林を東へ横断して、自治都市セイヴェルンまで行けば、数百人分の食糧くらい簡単に手配できるでしょう」
自治都市セイヴェルンって、帝国のさらに東にある自治都市だったよな。商業都市として有名なところだし、たしかに食糧の確保は容易だろう。
とは言え、シュルト大森林には飛竜なんかも棲みついているし、巨大怪鳥が安全に飛行できる保証はない。それとも、魔獣強化を使えば逃げ切ることくらいはできるんだろうか?
「それはまた、思い切ったことを考えますな……」
その大胆な提案にフォレノさんも驚いたようだった。
「でも、この方法はとても不経済です。マデール商会や村の人たちの財産を全てそれに充てたとしても、続けられるのは五年くらいだと思います。もちろん、辺境の特産品をセイヴェルンで売って、その代わりに食糧を買いこむ、というやり方ならもっと持ちますけど……」
そう口を挟んできたのはアニスだった。そんな彼女の言葉に同調するように、クリストフがぼそっと呟く。
「実は僕たち、普通の商売は苦手なんですよね……。カナメ神殿長代理が仰っていた通り、他に魔獣使いがいないから商会が成り立っているだけなんです」
「買い叩かれる気しかしないもんね……」
アニスが兄の言葉に悲しげに同意する。兄のほうはともかく、妹も苦手なのか。数字には強いけど搦め手には弱いとか、そんなところなのかな。
「ただ、三年あれば、新しい地での生活もなんとか軌道に乗るだろうと判断しています」
「なるほど……カナメ神殿長代理、どう思うかな?」
「そうですね、時限つきとは言え、食糧問題をご自身で解決してくれたのはありがたいお話です。また、帝国兵を退けたクリストフさんの魔獣使いの能力は、辺境でも十二分に発揮できると思いますし……」
個人的には、巨大怪鳥便が身近にあるというのも魅力的だな。まあ、料金が物凄く高いから、よっぽどの緊急事態じゃないと使えないけどさ。
「では……!?」
俺の言葉を聞いてクリストフが身を乗り出した。だが、そんな彼に向かって、俺は一つだけ質問をする。
「その前に一つだけ確認させてください。……クリストフさん、貴方は非常に優しい方であるように思えます。
先程のレイ君に対する態度もそうですし、なにより、自分だけでなく村の人々と一緒に移住できる場所を探すような方ですからね」
俺がそう告げると、なぜか兄よりも妹のほうが嬉しそうに頷く。
「そんなクリストフさんだからこそお伺いしたいのですが……」
「なんでしょう? なんでも訊いてください」
彼は穏やかな表情で俺の言葉を待ち受ける。彼のような気性の人物にはあまり言いたくないのだが、どうしても一つ、念押ししておかなければならない問題があった。
やがて、俺は意を決して口を開く。
「それでは、失礼を承知で申し上げます。……貴方は自分の魔獣が暴走した時、その命を奪うことはできますか?」
「え――」
その質問は予想外だったらしい。終始穏やかだった彼の表情に翳が差した。
「クリストフさんの魔獣使いとしての能力を疑っているつもりはありません。ですが、私たちは最悪の可能性を考える必要があります」
なんせ、巨大怪鳥一羽とってもB級モンスターだからなぁ。もし村の中で暴れるようなことがあれば、一瞬にして大惨事が起きてしまう。
固有職持ちが多いルノール村とは言え、クリストフが魔獣を庇ったり抵抗するようなことがあれば、その被害は甚大なものになるだろう。そのためにも、確約をとっておく必要があった。
だが、答えは意外なところから返ってきた。
「――なんてこと言うのよ! お兄ちゃんがどれだけ辛い目に遭ったかも知らないくせに!」
声の主はもちろんアニスだ。だが、激しい言葉であったにもかかわらず、彼女の瞳に怒りの色はない。そこに浮かんでいたのは、悲しいだとか、気遣わしいだとか、そんな類の感情だ。
「アニス。僕らはなんのためにここに来たんだい?」
「……ごめんなさい」
だが、兄の声で我に返ったのだろう、アニスは静かな声でぽつりと呟いた。その後に訪れた沈黙を破ったのは、今度こそクリストフだった。
「妹が大変失礼しました。ところで、うちの魔獣たちが暴走したらどうするか、というお話ですが――。
……もちろん、人に被害が出る前に処分します。まずは無力化を考えますが、手遅れになる前に処分することはお約束します」
そう言い切るクリストフは、ごまかしを口にしているようには見えなかった。彼の表情の翳りやアニスの反応からすると、関係する何かしらの事件があったのだろうが、それをこの場で聞き出すわけにはいかない。
俺は神妙な顔で口を開いた。
「クリストフさんのご覚悟の程はよく分かりました。クルシス神殿は貴方がたを歓迎します。……不快な質問をして申し訳ありませんでした」
「いえ、私がそちらの立場であれば、やはり同じことを訊いたでしょう。お気になさらないでください」
俺たちのやり取りを経て、場に穏やかな空気が戻ってくる。その空気を逃すまいと、俺は別の話を振った。
「ところで、敷地についてはどうお考えですか? 魔獣を擁する商会ともなれば、広大な敷地が必要ですよね?」
「ええ、巨大怪鳥だけでも二羽いますからね。場所が確保できない場合は、シュルト大森林で放し飼いのような形をとろうかと思っています」
俺の意図を察したのか、クリストフは迅速に言葉を返してきた。
巨大怪鳥が二羽か……。あのやたら大きなモンスターが二体いるだけで、凄まじいスペースを必要とするんじゃないだろうか。
「シュルト大森林を切り開く許可を頂けるなら、魔獣やうちの村人たちを総動員して、なんとかスペースを確保していきたいと思っています。もちろん時間はかかるでしょうが……」
「……となると、クルシス神殿は村の北寄りに位置していますから、マデール商会は村の南部から、シュルト大森林を切り開いてもらいましょうかな」
そう提案するフォレノさんの意図は明白だった。クルシス神殿とマデール商会という防衛能力の高そうな施設を、森と接している東側の北部と南部に分けて配置する。もしモンスターが森から襲撃してきたとしても、ワンクッションおけるという判断だろう。
そしてそれは、村長が移住を認めたということだった。
「ありがとうございます! ……とりあえず、最低限のスペースは早いうちに確保しておく必要がありますよね。フォレノ村長、差し支えなければ腕のいい木こりを紹介してもらえませんか? 最低限の居住スペースと、魔獣が落ち着くスペースだけでも先に作っておきたいんです」
それは重要な話だった。一気に全員というわけにはいかないだろうが、それでも移住希望者と魔獣の落ち着き先を用意するためには、かなりの広さの土地が必要になる。おそらく小さな村レベルになるだろう。
一刻も早く辺境へ移住したいクリストフたちからすれば、土地の確保は喫緊の課題だった。……食料や衣類はなんとか持って来られても、土地ばっかりはどうしようもないからなぁ。
クリストフの願いを聞いて、フォレノさんは意味ありげに俺を見た。
「それは構わないが……急ぐのでしょう? それならカナメ神殿長代理に依頼した方が早いのではありませんかな」
「神子様に……ですか……?」
すると、兄妹が揃って不思議そうな視線を向けてくる。フォレノさん……。
まあ、かなり急ぐ話なのは間違いないし、普通に木こりが仕事をしていては間に合わないだろう。拡張部分は本職に任せるとしても、最低限の部分は俺が次元斬で斬り払ってしまうか。
ここで恩を売っておけば、いざという時に巨大怪鳥便を都合してくれるかもしれないしね。
そんなことを考えながら口を開く。
「クルシス神のご加護がありますから」
「はぁ……」
俺の答えに納得していないのだろう、二人が少し不審げな表情を浮かべた。自分で言うのもなんだけど、その気持ちは分かる。
「とりあえず、先にどの辺りをどう切り開いていくか決めましょう」
実際に現地を見た方が早いでしょうな、というフォレノさんの提案に従って、俺たちは現場を視察に行くのだった。
◆◆◆
「これは……」
「うそ、何これ……! 昨日と全然違うじゃない……!」
マデール商会と会談を行った翌朝。木々が倒壊し見晴らしがよくなった現場を見て、二人は呆然と立ち尽くしていた。
もちろん、やったのは俺だ。昨晩、射程重視の次元斬を放ったところ、なかなかいい感じに仕上がったのだ。まだまだ村単位の移住には足りないが、この調子でいけば、なんとか最低限の土地は確保できるはずだった。
「神子様、ありがとうございます……! 一晩でこれだけのスペースを確保できるとは、まさに神の奇跡ですね」
クリストフが晴れやかな笑顔でそう言えば、
「あの……昨日は怒鳴ってごめんなさい。……あと、ありがとう」
アニスがどこかきまり悪そうにそう告げてくる。よほど土地のことを心配していたのか、兄妹揃ってほっとした顔をしていた。
「皆さんが本格的にいらっしゃる頃には、必要最低限の広さは確保できていると思います」
俺がそう断言すると、クリストフは嬉しそうに笑顔を見せた。
「本当に助かります。お布施は、本当に巨大怪鳥便の一回無料使用権でいいのですね?」
「ええ、すぐに使う予定があるわけではありませんが、いつか必要になった時のためにと思いまして」
「分かりました。私たちとしても、今すぐお金が出て行かなくていいのは助かります」
そんな会話をしながら、俺たちはシュルト大森林の伐採箇所を確認して回る。辺り一帯を切り倒した後の土壁やら何やらについては、魔術師のミルティに任せるつもりだった。
「さすが、噂通り固有職持ちの宝庫ですね……」
そう説明すると、クリストフが呆然としていた。……自分だってレアな固有職持ちなのに、なかなか信じられないらしい。彼の隣を見れば、アニスも似たような表情を浮かべていた。
そうして一通り予定地を見て回ると、俺たちは村長邸へ戻り再び移住の話を詰めていく。
彼らが故郷の村へと戻ったのは、それからしばらくしてのことだった。