救出戦
【クルシス神殿長代理 カナメ・モリモト】
「カナメ!」
アリエト村から少し離れた森の中で、俺はクルネたちと再会した。駆けてきたクルネに向かって、早速とばかりに問いかける。
「待たせたな。何か新しい動きはあったのか?」
「ううん、今のところ変わってないわ。……キャロちゃんも、来てくれてありがとう」
「キュッ!」
クルネの言葉に、キャロが元気よく答える。彼女の答えを聞いたことで、俺はようやく一息ついた。間に合わず逃げられた、なんてことにならなくてよかった。
「相手は固有職持ちの集団なんだよな?」
そう尋ねると、クルネは頷きを返した。
「霧猿の群れが例の小屋を襲ったんだけど、あっさり返り討ちに遭っていたわ。……あの人たち、結構いい腕をしてるわね」
霧猿は、全長一メートル半ほどの猿型モンスターだ。その名の通り霧のようなものを吐き出すことができ、それに紛れて襲いかかったり、個体によっては毒性を持った霧を吹きかけるものもいるという。
そんな特殊性と敏捷性、そしてそれなりの知能を兼ね備えていることから、撃退は容易ではない。それを退けたとなれば、たしかに油断はできなかった。
「それで、俺を呼んだということは……」
「うん。ラウルスさんが捕まってる可能性が高い以上、失敗はできないから。……カナメ、お願い」
クルネは顔を近づけると、他のメンバーに聞こえないように小声で囁く。彼女が村人転職を視野に入れていることは明らかだった。
「もちろん、そのつもりで来たんだ。……問題は、気付かれずにどこまで近づけるかだな」
「それが、相手にも察知能力の高い固有職持ちがいる上に、かなり警戒してるから、裏をかくのは難しそうなの。少し近づいただけで矢が飛んできたわ」
「やっぱりか……」
俺は無意識に頭をかいた。現状で、問題点は二つある。
一つは、どうやって転職能力の有効半径まで近づくかだ。全員が一丸となり、襲い来る矢や魔法を片っ端から迎撃しながら近づくという選択肢もあるが、密集形態は範囲攻撃の格好の的でもある。
いくらクルネやミルティがいるとは言え、あちらも固有職持ちの集団だ。破壊力の高い範囲攻撃特技を重ねられた場合、不覚をとる可能性は充分にあった。
そしてもう一つは、奇襲を受けたり、『村人』に転職させられた彼らが、混乱や自暴自棄からラウルスさんを殺害してしまう可能性だ。もし彼らの目的がラウルスさん自身にあるなら大丈夫だろうが、そう楽観的に構えているわけにはいかない。
固有職持ちたちを『村人』に転職させたとしても、それだけでラウルスさんの身の安全が図れるわけではない。
いくら『村人』と言っても、無抵抗な固有職持ちの喉笛を掻き切ることくらいはできるのだ。それだけは避ける必要があった。
「そうよね……」
俺の懸念を聞いたクルネが俯く。そんな彼女に向かって、俺は道中考えていたことを提案することにした。
「クルネ、一つ考えがあるんだ。みんなと協議したい」
俺の案が採用されたのは、それから半刻後のことだった。
◆◆◆
「これ以上進むと、矢が飛んでくるわ」
そんな物騒な説明を受けて、俺は足を止めた。近くにいるのは、今しがた口を開いたクルネだけ。俺とクルネは、二人で小屋に近付いていたのだった。
敵の人員よりも明らかに少ない人数で接近するなら、相手もそこまで警戒することはないだろう。まして、彼らが腕の立つ固有職持ちならなおのことだ。そう考えた結果だった。
……過度に警戒されて、転職能力の有効圏外でラウルスさんを盾にされると厳しいからなぁ。
小屋までの距離はあと七、八十メートルといったところだろうか。木々の隙間から見える建物は、非常に小さく見える。
この距離で矢が飛んでくるとは、やっぱり遠距離攻撃のできる固有職は鬼門だな。俺がそんなことを考えていると、クルネの言葉を裏付けるかのように一本の矢が飛来する。
だが、長距離を飛んで勢いが衰えた矢など、クルネにとっては脅威でもなんでもない。彼女が放った衝撃波に阻まれて、矢はあっさりと吹き飛んでいった。
剣で斬らずに衝撃波を使ったのは、余裕を持って迎撃するためだろう。同行している俺を気遣ってくれているのが分かった。
「じゃあ行こうか。……クルネ、頼む」
「まかせて!」
クルネの返事を確認すると、俺は木々があまり密集していないポイントへ足を進める。木の隙間からしか確認できなかった小屋が、その全容を顕した。
そして、それだけ開けた場所に踏み込むということは……。
「……っ!」
俺たち目がけて飛んできた矢をクルネが再び切り払う。今度は速射に切り替えたのか、次々と襲い来る矢を、彼女は超人的な反応で迎撃し続けた。
すると、今度はやや速度の遅い矢が射かけられる。だが、破壊力は今までの比にならないだろう。そう思わせるだけの存在感を持った矢を、クルネは光剣で叩き落とす。
破壊力を秘めた矢とクルネの光剣が激突し、俺たちの前方十メートルの地点で爆発が巻き起こった。通常なら、その爆風を受けるだけで吹き飛ばされるようなレベルだ。
だが、俺は足に力を込めてその爆風を受け流した。続いて、音と光に隠れるように飛んできた矢の軌道を読むと、その射線上から身を逸らす。
「カナメ、私がいなくても大丈夫そうね」
クルネが視線を前に向けたまま、そんな言葉をよこしてくる。彼女が声をかけてきた理由の一つは、弓使いが攻撃の手を止めたおかげで、余裕ができたことにあった。むやみに撃ったところで、矢の無駄遣いにしかならないとでも考えたのだろう。
俺も相手の動きを注視しながら口を開く。
「そんなわけないだろ。いくら強化してもらったとはいえ、俺が戦いの素人でしかないのは自覚してるよ」
そう、俺は生身のまま、のこのこと矢の標的になりに来たわけではない。事前にミルティに身体能力強化と防護をかけてもらって、能力の底上げはすませている。
防護は専ら治癒師が使う魔法だが、魔術師と治癒師両方の資質を持つミルティがいれば、お手軽に重ね掛けが可能なのはとてもありがたかった。
前進しても矢が飛んで来ず、そして相手の弓使いがこちらの様子を窺っていることを確認すると、俺は大きく手を振った。もちろん、俺たちを注視している弓使いに向けたものだ。
弓使いの視力なら見えている可能性は高いので、ついでに営業スマイルを浮かべておくことも忘れない。
まさか、矢の雨をお見舞いされた人間が笑顔で手を振ってくるとは思っていなかったのか、弓使いは戸惑っている様子だった。まだ三十メートルほど離れているが、そんな雰囲気がありありと伝わってくる。
「すみませーん! 少しお伺いしたいことがあるのですが!」
そんな戸惑いを駄目押しをするように、俺は大声を上げる。その声が聞こえたのか、小屋の扉から新しい人影が二つ現れた。
「盗賊と戦士職よ」
その姿を見て、クルネが小声で教えてくれる。俺は軽く頷いてみせると、再び全力で手を振った。
「そこで止まれ!」
接近する俺たちを、大声で押し止める声が聞こえた。だが、俺はよく聞こえない、というように首を傾げると、耳に手を当てるジェスチャーをしながら前に進む。
すると、パシンッという鋭い音と共に、俺目がけて飛んできた矢が迎撃される。さすがはクルネ、これだけ近づけば迎撃の難易度も上がるだろうに、見事な反応速度だ。
そんなどさくさに紛れて、さらに五メートルは近付けただろうか。小屋の前に陣取る彼らを見れば、弓使い以外の二人も武器を構えているのが見える。……よし、ここまで近づけば大丈夫だ。
そう判断すると、俺は大袈裟に頷きながら両手を上に挙げた。これ以上は進みませんよ、というアピールだ。それが伝わったのか、剣を手にした男が大声で怒鳴った。
「お前たちは何者だ!」
友好成分は皆無だが、意思疎通をするつもりはあるようだった。お互いに得物を構えているものの、すぐに激突するような雰囲気ではない。
営業スマイルが役に立った……というよりは、隣の女剣士に任せっきりで、自分ではろくに防御もしようとしない変な男が気になっているのかもしれないな。現に、彼ら三人の視線はクルネではなく俺に向けられていた。
「……弓使い、盗賊、戦士だ」
隣のクルネに早口にそう伝えると、俺は彼らに向かって再び営業スマイルを浮かべる。
「すみませんでした! 実は探しものをしていたんです! その小屋が気になって調べようとしてたんですけど、矢が飛んでくるので、困って遠巻きに見ていたんです!」
身体能力強化は発声にも効果があるようで、俺の声は予想外に大きな音量となって彼らへ届いていた。
だが、さすがに納得はしていないのだろう。彼らは一様に訝しげな視線を向けてきた。
「探しものだと?」
ありがたいことに、戦士の男は会話を続けるつもりがあるようだった。向こうもこちらが固有職持ちであることには気付いているだろうから、むやみに事を構えるのを避けたいのかもしれない。
だが、俺の次の言葉を聞いて、彼らの顔色は一瞬で変わった。
「私たちは『辺境の守護者』を捜しているんです」
「……!」
声は聞こえないが、彼らが一気に戦闘態勢に移行したことは分かった。やがて、戦士が口を開く。
「そんなやつは知らん。……だが、これ以上近づくのであれば、お前たちを敵とみなす」
そう返答する男を、俺はさらに追及する。
「そこにいる鷲獅子は『辺境の守護者』の乗騎ですよね? どこで見つけたんですか?」
俺は小屋の陰を指差した。ここからではあまり見えないが、そこに鷲獅子がいることはクルネたちが確認済みだ。
すると、返事の代わりとでも言うように、俺たちに向かって再度矢が放たれる。
「なぜ攻撃するんですか!」
その問いかけに対する答えはない。だが、その代わりに弓使い以外の二人がこちらへと迫ってくる。
いくらクルネでも、俺を弓使いの矢から守りながら二人を相手取ることは難しい。
と、接近する二人の足元に矢が突き立った。矢はその直後に軽い爆発を起こし、もうもうと土煙を舞い上げる。
そして一瞬遅れて、俺たちと相手との中間に巨大な氷の槍が突き刺さった。それを見た男たちの顔に驚きと焦りの色が浮かぶ。エメローナさんの加重撃とミルティの氷槍だ。
加重撃で巻き上げた煙がお互いの視界を遮る中、俺は再度口を開いた。
「どうやら、『辺境の守護者』について何かご存知の様子。……ご覧の通り、こちらには複数の固有職持ちが控えています。荒事は止めておいたほうが賢明だと思いますが」
俺は努めて慇懃な態度を取った。その態度が勘に触ったのか、三人の顔が不快そうに歪められる。やがて口を開いたのは、またしても戦士の男だった。
「なぜ『辺境の守護者』を捜している」
「この辺境に必要な存在だからですよ。『辺境の守護者』なくして辺境の安全は成り立ちませんからね」
「……ほう。つまり、お前たちは辺境の人間というわけだな。なるほど、『辺境の守護者』を血相変えて探してもおかしくはないか」
そう言うと、男はいやらしい笑みを浮かべた。見れば、後ろの二人も似たような顔をしている。
他にどんな可能性を想定していたのか気になるところだが、今はそんなことを追及している時ではなかった。
「むしろ辺境の人間だと思うのが普通でしょう。まあ、貴方がたは余所者のようですが。……そう言えば、その小屋に出入りしていたご老人も見かけない顔でしたしねぇ」
俺がそう応じると、明らかに三人の表情が変わった。半ばブラフで口にした言葉だったが、クルネとウォルフが出会ったという老人は、やはり彼らの仲間のようだった。
「ところで、質問の答えをまだ頂いてませんでしたね。結局、その鷲獅子はどういった経緯でそこに捕えられているのですか?」
「俺たちが討伐した。……と言ったらどうする?」
意地の悪い表情を浮かべて、戦士は薄く笑った。そんな男に対して、俺は負けじと冷笑を浮かべる。
「できの悪い冗談ですね。あの『辺境の守護者』の乗騎を、貴方がた程度でどうこうできるとは思いません。おおかた、弱っているところを捕まえただけでしょう?」
「……なに?」
まさか言い返されるとは思っていなかったのか、戦士の顔から表情が消えた。相手が何も言わないのをいいことに、俺はさらに言葉を続ける。
「おや、図星でしたか。……まあ、鷲獅子を実力で捕えたと、そう吹聴したいお気持ちは分かりますが、嘘はやめておいたほうがいいですよ?」
「てめえ……!」
俺がわざとらしく唇を吊り上げてみせると、盗賊が怒りの形相を浮かべた。
そして、黙って俺の様子を見ていた戦士は、やがて地の底から響くような声で仲間に指示を出す。
「……ゼルディン。エルロイにこの話を伝えろ。こいつらに無謀さの代償を教えてやるとしよう」
戦士は盗賊にそう告げると、目で小屋のほうを示した。盗賊はぎらついた笑みを浮かべると、身を翻して小屋へと向かう。それを確認して、戦士は再びこちらへ向き直った。
「たしかに、固有職持ちが揃っているようだな。お前たちと、少なくとも弓使いと魔術師の四人か。なかなかの顔ぶれだ」
戦士はニヤニヤと笑いながら口を開いた。俺を固有職持ちにカウントしているのは、ウォルフと間違えているのだろう。
「馬鹿が。余裕を見せつけて優越感に浸ろうとするから、落とし穴にハマる。……へっ、間抜けなやつだぜ」
戦士は表面上の穏やかさをかなぐり捨てると、嘲笑うようにこちらを見やる。どうやら、こちらが本性のようだった。
その言葉と同時に、小屋の扉がバンと開かれた。そちらへ目をやれば、そこには両手を後ろ手で縛られ、両足に鉄球のついた枷をはめられたラウルスさんと、彼の首筋に短剣を突きつけている盗賊の男が姿を現したところだった。
その狙い通りの展開に、俺はにやりと笑いそうになるのを必死で堪える。
そして、ラウルスさんと盗賊の登場に続いて、今まで顔を見せたことのなかった男が姿を現した。おそらく、ミルティが感知していた魔術師だろう。
「ラウルスさん!」
その姿を見てクルネが悲鳴を上げた。だが、それも無理はない。そのむき出しの顔や手足を見ただけでも、どす黒く変色した痣や腫れ、噴き出した血がそのまま固まったのであろう赤黒い血痕などが見てとれる。
その様は満身創痍どころかどうみても瀕死の体であり、常人であれば立つこともできないはずだった。
「……ってなわけだ。まさか、『辺境の守護者』様が捕まってるとは思わなかったか?」
クルネの悲鳴に気をよくしたのか、戦士の男は実に楽しそうな声を上げた。その言葉を耳にして、クルネがきっと男を睨みつける。
「おお怖え。……だが、その気の強い顔がいつまでもつかねぇ」
その言葉に応えるように、魔術師の男がラウルスさんを殴りつける。魔法職の殴打など、普段のラウルスさんであれば意にも介さないだろうが、男の拳は彼の傷口を着実に捉えていた。
次いで男が脇腹を蹴りつけると、ラウルスさんは堪りかねたように膝をついた。それを見て、俺は一歩進み出る。
「――おっと、動くなよ。コイツが大事なんだろう? 後ろに潜んでいる弓使いたちもだ。お前らが何か余計なことをした瞬間、コイツの首を掻き切る。いくら『辺境の守護者』でも、この状態ならガキにだって殺せるぜ」
そんな男の言葉を無視して、俺はラウルスさんを見た。すると、こちらを見ていたラウルスさんと視線が合う。その目に光が失われていないことを確認すると、俺はゆっくり頷いてみせた。
「……さて、投降してもらおうか? まずはお前らだ。二人とも武器を捨てろ。後ろに隠れているやつらも、武器を捨ててここまで来い。……あぁ、コイツの命がどうでもいいってんなら、もちろん話は別だぜ?」
その余裕たっぷりの声に合わせて、他の三人が愉快そうに笑う。それは、絶対的優位にあると確信している人間の笑みだった。
「――早くしろっ! ……女、まずはお前だ」
男は恫喝すると、まずクルネに視線を向ける。その表情には愉悦の色さえ浮かんでいた。
そんな男に向かって、俺は一歩進み出た。
「……いやぁ、こういう時ってその人の本性が出ますよねぇ。ほんと、期待通りでがっかりです」
「あぁ? ――動くなつってんだろうが!」
制止しようとした男に対して、俺はとぼけた表情を浮かべて見せた。
「はぁ。……えっと、動かないとどうなるんでしたっけ?」
「こうなるんだよボケ!」
戦士が答えるよりも早く、魔術師の男が、短剣を取り出すとラウルスさんの脇腹目がけて突き出した。だが――。
俺の仕事は、もう終わっていた。
「金剛!」
新しく誕生した守護戦士は、その目をかっと見開いた。同時に、ガキン、という甲高い音が響く。魔術師の短剣は、一ミリたりとも突き刺さっていなかった。
「なんだと!?」
魔術師は信じられない、という顔のまま固まっていた。他の三人も、人質になんらかの異変が起きたことを察知して驚愕の表情を浮かべる。
人質を盾に脅すというやり口は効果的な手段だが、今回に関してはその限りではない。俺の目の前でラウルスさんを人質に取った時点で、彼らの敗けは確定したと言ってよかった。
ラウルスさんの安全を確認した俺は、大声を張り上げる。
「今だ!」
そう合図した時には、クルネはすでに敵の目前に迫っていた。その彼女を迎撃しようと、固有職持ち四人が一斉に動く。剣やナイフ、そして弓矢が彼女に照準を定めた。
「威圧!」
だが、そんな彼らの行動は、ラウルスさんの一声により中断させられた。威嚇の上位特技であろう威圧は、物理的とすら思わせるような凄まじい圧力をふり撒く。
その凄まじい圧力に屈したのか、魔術師が持っていた短剣を取り落とした。その目前に迫っていたクルネは魔術師を蹴り倒すと、ラウルスさんの後ろに回り込んで両手を縛っている鎖を断ち切った。
「くそっ! 何が起きた!?」
そう言いながら、戦士の男がクルネとラウルスさんから距離を取る。何が起きたのかは分からないだろうが、少なくとも自分たちが劣勢になったことは理解できたようだった。
戦士は懐から何かを取り出すと、それを口に当てる。あれは……笛か?
俺がそう訝しんでいると、男はその笛を吹き鳴らした。
「衝撃波!」
その動きを危険なものと判断したのだろう、クルネは戦士に向かって衝撃波を飛ばした。その不意打ちの一撃をなんとか回避しようとした戦士だったが、そこへ俺が余計なちょっかいをかける。
「!?」
突然、固有職の力を失った男はバランスを崩した。その際に手放した笛を、クルネの衝撃波が木端微塵にうち砕く。それを見て、男の顔が悔しそうに歪んだ。
あの笛はなんだったんだろうか。そんなことを気にしながら戦いの行方を見つめていると、背後にいるはずのウォルフから緊迫した声が上がった。
「モンスターの群れが来ます! およそ三十体!」
その報告を耳にして、俺は首を傾げた。いや、俺だけではない。おそらくここにいる全員が、この出来すぎているタイミングに疑問を抱いていた。
「気をつけろ! おそらく、あの笛は魔物寄せの効果を持つ魔道具だ!」
……やっぱりか。ラウルスさんの言葉は、俺の予想を裏付けるものだった。笛はもう破壊しているが、あの時点で既に力を発動していたのだろう。なんとも迷惑な魔道具だった。
「ミルティ! そっちを頼む!」
俺は視線を戦士たちに向けたまま、大声で叫んだ。その声で俺を司令官だとでも思ったのか、盗賊の男が俺目がけてナイフを投擲する。
「キュッ!」
だが、そのナイフは白い毛玉によっていとも簡単に叩き落とされた。ずっと野生動物のフリをして潜んでいたキャロの仕業だ。
もしもの時の備えとして潜伏してもらっていたのだが、もはやそうする意味もない。
「なんだ今の――がっ!」
予想外の展開に目を丸くしていた盗賊だったが、その身体に物凄い勢いで鉄球がめり込む。鈍い音を立てて吹き飛んだ盗賊は、それ以上動けるようには見えなかった。
その鉄球には鎖が繋がっており、その鎖のもう一方の端は、ラウルスさんの足枷へと繋がっていた。どうやら、足枷用の鉄球を武器として使用したらしい。さすが上級職と言うべきか、あり得ない脚力だった。
ちなみに、魔術師はすでに彼の足元で昏倒していた。その顔面が物凄いことになっているのは、正面から殴られたせいだろう。無手にも関わらず、まるで格闘家であるかのような破壊力だった。
そしてその隣では、ちょうどクルネが弓使いの弓を真っ二つに叩き割っていた。弓を失った弓使いは逃走を図るが、クルネの衝撃波が両足に直撃し、もんどりうってその場に崩れ落ちた。
「馬鹿な……!」
ばたばたと倒れていく仲間を目にして、戦士は目を見開いた。その視線の先にいる偉丈夫……ラウルスさんと視線が合い、彼は気丈にも剣を構える。
そんな彼を見て、少し悪戯心が芽生えた俺は、『村人』になっていた元戦士に固有職を戻した。それは、もちろん親切心ではない。
万全の状態で戦ったにも関わらず、あえなく敗北するという現実を味わわせて、心を折ってやろうと思ったのだ。
突然力が戻ったことに勇気づけられたのか、戦士は気合いの声と共にラウルスさんへ向かって突進していく。
だが、ラウルスさんは微動だにしなかった。いつの間にか魔術師から取り上げていた短剣で戦士の剣撃を弾くと、ガラ空きになった脇腹に左の拳を叩きこむ。それだけだった。
何かが砕けた音と同時に、戦士は白目を剥いてその場に崩れ落ちる。
「援護に行く!」
固有職持ち四人が戦闘能力を失ったことを確認すると、ラウルスさんは慌ただしくミルティたちとモンスターの群れとの戦場へ飛び込んでいった。……あれ? 一番の重傷者が何やってるの?
その様子を呆然と見送っていると、いつの間にか隣にクルネがやって来ていた。
「……ねえ、大丈夫かな?」
「大丈夫なんじゃないか……?」
そんな会話をしながら、俺たちは一緒に四人を縛ってまわる。どうやら、群れには様々なモンスターがいるようだが、ここから見る限り、これ以上の援軍が必要だとは思えなかった。
遠目で見た感じでも、ラウルスさんが殴る、ミルティの雷が迸る、ラウルスさんが蹴る、オネスティさんが斬り裂く、ラウルスさんが鉄球で薙ぎ払う、エメローナさんの矢が突き立つ、ラウルスさんが注意を引き付ける、ウォルフが死角から一撃を入れる――。
「ええと、あの瀕死の守護者は何をやってるんだろうな……」
「誰よりも活躍してるよね……他のみんなとラウルスさんで、ようやく撃破数が同じくらいじゃないかしら……」
俺の呟きに、クルネは半ば呆れた口調で答える。
「満身創痍で、なんの装備もなくて、恐らく食事もろくに食べていない状態でこれなのか……」
そう呟いている間にも、虫型モンスターが守護戦士の手刀を受けて爆散する。級外モンスターとは言え、手刀で木端微塵に打ち砕くとか凄いな。よく見ると、オネスティさんがその光景を引き攣った顔で眺めているのが見えた。……うん、その気持ちはよく分かる。
一方的な掃討戦が終了したのは、それからすぐのことだった。
◆◆◆
「救援かたじけない。皆さんに心から感謝している」
ラウルスさんが口を開いたのは、襲い来るモンスターを全滅させた直後のことだった。だが、彼は頭を下げようとして、そのままぐらりと地面に倒れこむ。
「ラウルスさん!」
その様子を見て、俺は慌ててミルティに視線をやった。心得ている、とばかりに彼女が頷くのを確認すると、俺は転職能力を行使する。
「大治癒」
治癒師に転職したミルティが、ラウルスさんに強力な治癒魔法をかけた。
ミルティの話では、治癒魔法は魔術師の魔法ほど得意ではないとのことだったが、それでもラウルスさんの傷がみるみるうちに癒えていく。
いつの間にか、瀕死の重傷だったラウルスさんの身体は、いくつかの傷と打撲の痕を残すだけになっていた。
「ごめんなさい、先程の戦いで少し魔力を使いすぎたみたいで……」
だが、治癒魔法はここで品切れのようだった。巨大な氷の槍に始まって、モンスター戦でもミルティは大活躍だったもんなぁ。無理もない。
「なんの、あの負傷をここまで癒してくれたのだ。謝るようなことは何もないさ。……本当にありがとう」
今度はしっかり頭を下げて、ラウルスさんは感謝の意を示した。そして、頭を上げたラウルスさんと俺の視線が交錯する。
「カナメ殿、本当に助かった。またしても大きな恩義を受けてしまったな」
「いえ、俺は最後にちょっと顔を出しただけですよ。下調べや準備はみんながやってくれましたし」
その言葉は本音だった。功労者は誰かと言えば、ルノール村まで走って俺を呼びに来たウォルフか、俺を矢の雨から守ってくれたクルネのどちらかだろう。
「だが、今は神殿を開いたばかりの大事な時期のはずだ。そんな時に真に申し訳ない」
その言葉を聞いて、俺は首を横に振った。
「むしろ謝るのは俺のほうです。そもそも、半年前の時点でラウルスさんを転職させていれば、こんな事態にならずに済んだはずです」
それは、俺がずっと気にしていたことだった。辞退されたとはいえ、彼が信頼に値する人物であることも、そして上級職の力を必要としていることも、俺には分かっていた話だ。
ラウルスさんが転職代金を踏み倒すことはないし、クルシス神殿が彼を「上級職には不適格」と判断するはずもない。転職させてから条件を詰めてもよかったはずだ。
それを躊躇ったのは、新たな上級職持ちをこの世界に誕生させることについて、自分一人で責任を持ちたくなかったから。それだけだ。
だが、ラウルスさんに咎める意思はないようだった。
「そんなことはない。実際に転職してみてよく分かったが、この力は確かに通常の固有職とは一線を画するものだ。転職に慎重になるのも頷ける。それに、冗談交じりの会話とは言え、あの時転職を見送ったのは私のほうだからな。
それよりも、カナメ殿に戦士の力を与えられていながら、不甲斐なく捕われた私こそ責められるべきだ」
「いえ、お互い様ですし、そう気にしないでください。それより――」
このままでは、ラウルスさんがいつまでもお礼と謝罪を言い続けそうな雰囲気だったので、俺は話題を変えることにした。
「守護戦士の固有職はどんな感じですか? 違和感はありませんか?」
「もちろん違和感はあるが、懐かしい違和感だな。かつて、戦士に転職した時のことを思い出す。……それにしても、まさか上級職をこの身に宿す日が来るとはな」
俺の質問にそう答えると、ラウルスさんは朗らかに笑い声を上げた。
「ガ、守護戦士!?」
「うそ……?」
そんな会話を聞いて、ウォルフとエメローナさんが唖然とした表情を浮かべた。そんな中、オネスティさんだけはどこかほっとした様子を見せる。
「あれだけの重傷で、あんな凄まじい活躍をしたのですから、それも当然かもしれませんね。もし、『辺境の守護者』殿が一般職であれだけの動きを見せたというのであれば、私は修業を一から見直す必要が出てきてしまいます」
オネスティさんはそう言って笑った。たしかに、上級職の身体能力補正は凄まじいからなぁ。とは言え、ラウルスさん以外の人間が守護戦士の固有職を宿したとしても、あれだけの戦闘力を発揮できたかは怪しいけどね。
……ん? ひょっとして、守護戦士になったラウルスさんって、この大陸で最強なんじゃないのか……?
そんなことを考えていると、ラウルスさんがふと思い出したように口を開く。
「おっと、忘れるところだった。守護戦士へ転職させてもらった分の料金を支払わねばな。……カナメ殿、結局相場はいくらになったのだ? これだけの力だ、どんな金額を提示されようと納得できる」
「ええとですね、これは公には秘密ですが……今回の転職は無料です」
「なに!?」
クルシス神殿の決定に、ラウルスさんは心底驚いたようだった。彼はその話を聞いて、ただ小躍りして喜ぶような人間ではない。不思議そうな表情を浮かべるラウルスさんに、俺は言葉を続ける。
「クルシス神殿上層部は、辺境で最も影響力を持っている『辺境の守護者』に恩を売っておいたほうがいいと、そう判断したようです」
それは、神殿がモンスターに襲われた時に駆け付けてくれるだとか、そういう意味だけではない。イメージ戦略として、ちょくちょく利用させてもらおうという魂胆もあるのだ。
上級職への転職については、最低でも三十万セレルのお布施をもらうということが決まったのだが、それを上回る見返りがあると判断したのだろう。
「それはまた、過大な評価をされたものだな……」
ラウルスさんは苦笑いを浮かべる。ただより高いものはないと、身に染みて知っているのだろう。
「気にせず、『無料で転職できた』程度に思ってもらえばいいと思いますよ。別に契約書を書いたわけでもありませんしね」
せいぜい、何かのイベント時に参加をお願いするくらいです、と伝えると、ラウルスさんはしばらく考え込んだ後、ゆっくり頷いた。
「それでは、好意に甘えさせてもらおう。……私で役に立つようなことがあれば、いつでも言ってくれ」
そう言ってラウルスさんは手を差し出す。
「ありがとうございます、その時はぜひお願いしますね」
かつての戦士は守護戦士に、そして転職屋の店主は神殿長代理に。
不思議な変遷があったものだとしみじみ思いながら、俺は握手を交わしたのだった。