潜伏
【剣士 クルネ・ロゼスタール】
「やっと着いた……」
アリエト村に到着すると、クルネは思わず声をもらした。移動にかかった時間は一日の三分の一程度だろうか。常人からすればあり得ない速度での行軍だったが、それでも彼女の表情は曇っていた。
クルネが最後にアリエト村を訪れたのは二、三年前のことだ。この村の救援依頼に応えて、迷い込んだ狂乱猪を討伐したのだが、その時の記憶とそこまで変わっていないように思えた。
固有職持ちが住んでいるわけではないため、移住希望者の数が少なめなのかもしれなかった。
「いい情報が手に入るといいのだけど……」
隣を歩いていたミルティがクルネの呟きに応える。
クルネは辺境に帰って来てからというもの、転職業務の受付や案内係として忙しい毎日を過ごしており、ミルティもまた、王立魔法研究所支部の運営を行う傍ら、父親であるフォレノ村長の仕事の補佐を務めていた。
そのため、二人がじっくり話をする機会は久しぶりのことだった。だが、その原因となった事態を考えると、あまり会話に華を咲かせるような心境にはなれない。
「あ、あそこに村の人がいますよ。話を聞いてみます?」
そう言われて、クルネはウォルフが指差したほうへ視線をやった。たしかに、そこには道端に腰を下ろした中年の男性の姿がある。足元に中身の詰まった籠が置かれていることからすると、道中で一休憩している、といったところだろうか。
「うん、私が行ってくる。全員で行くと不審がられちゃうし、みんなはこの辺りで待っててね」
クルネはそう言うと、足早に男性の下へ向かった。彼女の接近に気付いた男性が、不思議そうな表情を浮かべる。
「こんにちは! あの、少しお伺いしたいんですけど……」
「おや、この村では見かけない顔だね。どうしたんだい?」
人の良さそうな顔をした男性は、穏やかな声で言葉を返してきた。クルネは暗い表情にならないよう気をつけながら口を開く。
「何日か前に、この村から救援の狼煙が上がってましたよね? ひょっとして、『辺境の守護者』さんが来たんじゃないかと思って」
クルネがそう口にすると、男性は少し驚いた顔を見せた。だが、クルネの装備に目をやると、やがて納得したように笑顔を見せる。
「ああ、来たよ。……ひょっとしてお嬢さん、『辺境の守護者』に憧れているクチかな?」
「え? えっと、その……」
そう口籠ってみせると、男性は分かっているよ、というように頷いた。
「その装備を見れば分かるさ。お嬢さんのような子が剣に鎧まで身につけているとなれば、『辺境の守護者』に影響されたんだろう? ……ああ、別に非難しているつもりはないんだよ」
その言葉から、相手が狙い通りに勘違いしてくれたことを確信して、クルネはほっと息を吐いた。そして、照れくさそうな笑みを浮かべる。
「やっぱり分かりますか?」
「ああ、うちの村にも『辺境の守護者』のファンはいるからね。多くは若い男衆だけど、ちらほら女性ファンもいるんだよ。……けど残念だったね、『辺境の守護者』は忙しいから、モンスターを倒した後、何日もその村に留まることはないんだよ」
「そうなんですか……。ちなみに、今回はどんな感じの戦いだったんですか?」
そう尋ねると、男性は少し困ったような表情で頭を掻く。
「そう言われてもねぇ……。今回はモンスターの発生場所が森のほうだったから、あまり詳しいことは分からないんだよ。下手に付いていって、『辺境の守護者』の邪魔になるわけにはいかないからね。
まあ、村を狙っているモンスターを事前に発見することができたのは幸いだったよ」
どうやら、ラウルスが戦っていたのは村の近くではないようだった。その事実にクルネの不安が大きくなる。
「それで、『辺境の守護者』さんは無事だったんですか?」
「そりゃ無事だろうさ。この村が平和なことがなによりの証拠さ」
「戦いの後、『辺境の守護者』さんに怪我はなかったんですか?」
当然だという表情で答える男性に対して、クルネはいかにも心配している、といった口ぶりで質問を重ねる。その声色は演技ではなく、心からのものだった。
「うーん……。そう言えば、今回は討伐の後に姿を見ていないなぁ。慌ただしく帰って行ったんじゃないかな」
「そうですか……。あの、今回戦いの場になった森はどの辺りですか?」
そう尋ねると、男性は少し真面目な口調で口を開く。
「お嬢さん、気持ちは分かるが、森へ入るのはやめておいたほうがいいよ。迂闊にシュルト大森林に分け入ると命を落とすからね」
「そうですね、分かりました」
クルネは大人しく引き下がることにした。自分を心配してくれている様子の男性に向かって、それ以上場所を尋ねる気になれない。
場所を変えて、別の村人をあたってみよう。そう考えたクルネは、男性にお礼を言ってその場を離れた。
◆◆◆
「ここで間違いなさそうだな」
地面にしゃがみ込みながら、オネスティが誰にともなく呟いた。その言葉に、クルネたちは無言で頷く。
彼らの目の前には、大規模な戦闘の痕跡が広がっていた。
アリエト村の住人にそれとなく聞いて回った成果はあったようで、この場所を見つけるまでにそう時間はかからなかった。だが、予想を超える破壊跡に五人は息を呑む。
「こっちのは巨大蜂で、あれは巨大鼠よね。それにあれは……棘大蛇かな」
クルネは跡地を見て回ると、おそらくラウルスに倒されたのであろう、多数のモンスターの死骸を確認した。その多くは身体を叩き割られているが、中には鷲獅子のものであろう嘴や爪の痕が刻み込まれているものもあった。
だが、クルネが見た限りでは、そこまで強力なモンスターがいたとは思えない。仮に竜クラスが姿を現したのであれば、破壊跡はこれくらいではすまないはずだ。
そう考えた矢先だった。
「これは……『辺境の守護者』の特技かしら?」
そんなエメローナの呟きを聞いて、クルネは彼女の下へと向かう。すると、彼女の視界に焼け焦げた木が映った。
「うーん……ラウルスさんにそんな特技あったかな。あ、ひょっとして火矢でも使ったのかな?」
クルネがそう口にしたのは、地面に折れた矢が転がっていることに気付いたからだ。だが、その予想は彼女の幼馴染に否定される。
「これは炎でというより、雷で焼け焦げたように見えるわね」
焦げた木に手を当てながら、ミルティはそう言い切った。雷の魔術はミルティの得意分野だ。その彼女が断言する以上、おそらく原因は雷なのだろう。だが、そうなると――。
「……カナメの悪い予感が的中したね」
クルネは複雑な心境で呟いた。雷撃にせよ矢にせよ、ラウルスがモンスターと戦闘する際には不要なものだ。それがこのモンスターの墓場に転がっているということは、カナメの懸念通り『人間を相手にしていた』可能性を示唆していた。
だが、相手が人間であるということは、ラウルスが生存している確率も高い。少なくとも、モンスターを相手に単身敗れるよりはよほどマシな確率のはずだった。
「ウォルフ、エメローナさん、ここにいた人たちがどっちへ向かったか分かる?」
特に探知能力に優れている二人に声をかける。だが、二人は困ったように首を振った。
「さすがに五日も前の話になってしまうと厳しいわ。しかも、一昨日は雨だったし……」
エメローナは申し訳なさそうに首を横に振った。盗賊のウォルフへ視線を向けると、彼も同じように首を振る。
「クーちゃん、どうする? ここを起点にして捜索してみる?」
「そうね……」
そんなミルティの言葉に少し悩んだ後、クルネは一つの決断を下した。
「ミルティたちはここを拠点にして捜索をお願い。私とウォルフは、もう少しアリエト村で情報を集めてみるわ。モンスターが相手ならともかく、人間が相手なら村に手掛かりが残ってるかも」
犯人が生粋の辺境民であっても、シュルト大森林で自活することは難しい。となれば、なんらかの形で村と接触していた可能性は高い。
もちろん、彼らが早々に引き払ってしまって、この辺りにはもういない可能性もあるが、それを判断するためにも情報は必要だった。
「分かったわ。日が暮れる頃、またアリエト村の入り口で会いましょう。……クーちゃん、気をつけてね」
「ミルティこそ。……オネスティさん、エメローナさん、よろしくお願いします」
クルネはそう言うと、ウォルフと共にアリエト村へ引き返す。アリエト村までの道のりは、ひどく遠く感じられた。
◆◆◆
「大した収穫はなかったわね……」
「それどころかギスギスしてましたね。一言目に『お前は移住してきた人間か』って聞かれるとは思いませんでしたよ……」
「最初のおじさんが一番いい人だった気がするわ」
アリエト村で、怪しげな人の動きに焦点を絞って聞き込みを行っていたクルネたちは、人目がないことを確認すると、疲れたようにぼやいた。
疲労の原因は身体的なものではない。この村でも辺境民と移住民の対立構造は存在しているようで、その空気が二人を辟易とさせたのだった。
こうなれば、自分たちもシュルト大森林の捜索を開始しようか。クルネがそんなことを考えていた時だった。
「神で……じゃなかった、クルネさん。森から誰か来ますよ」
「え?」
そう告げるウォルフの視線を追うと、やがてその先から一人の男性が姿を現す。白髪をたくわえた初老の男性だ。背中に大きな籠を背負っているところからすると、森で何かを採取していたのだろうか。
男性が村の入り口に差し掛かったところで、クルネは愛想よく話しかけた。
「こんにちは! 森で採取ですか?」
「やあ、こんにちは。かわいいお嬢さんが私に何の用かな?」
クルネが話しかけると、初老の男性はにこやかに答えを返した。
「最近、この辺りに凄く強い人たちが住みついたって噂を聞いたんですけど、知りませんか?」
「ほう……? 残念ながら知らないな。お嬢さんは剣を身に付けているけど、弟子入りでもしたかったのかい?」
「いえ、その、ちょっと興味があって……」
クルネは照れたように少し視線を逸らした。アリエト村で、この展開になったのは何度目だろう。
大抵は生温かい視線を彼女に向けるか、真剣な表情で戦いの真似事はやめるよう諭してくるかのどちらかなのだが、この男性はおそらく前者だろう。
クルネがそう考えていると、会話は思いもしない方向へ流れて行った。
「こんな若い女性が剣を帯びるとは……よほど仕事に困っているんだね。お嬢さんも外からこの辺境へ移住してきたのだろう? 危険を顧みず、家族のために健気に頑張る姿は実に立派だよ」
「ええと……」
クルネが戸惑っているのを肯定と捉えたのか、男性は言葉を続ける。
「お嬢さんのような若くて綺麗な女性が、そんな悲壮な決意で森へ入らなければならないなど、どう考えてもおかしい。
……実は私は、移住してきた人間が幸せになれるよう、色々働きかけるグループを作っていてね。若い人もたくさん参加しているんだ。どうかな、もしよければお嬢さんも話を聞いてみないかい?」
――この人は何を言ってるんだろう。男の言葉に不穏なものを感じ取りながらも、クルネは表情を取り繕う。
「……あの、突然のお話でよく分かりません。少し考えてもいいですか?」
「おお、もちろんだよ。覚えておいてほしい、私たちは常にお嬢さんの味方だと」
そう言葉を残すと、男はクルネに笑顔を向けて再び歩き始めた。おそらく自宅へ戻るのだろう。
だが、すれ違った瞬間、クルネは男性の姿に疑問を覚えた。彼女は首を傾げながら、背中を見せた男に声をかける。
「あの……森に入っていたんですよね? どうして籠が空っぽなんですか?」
そうなのだ。辺境の人間が大きな籠を背負って森に入るということは、十中八九が採取目的だ。もしそれ以外の目的があったとしても、どうせ危険な森へ分け入るからには、籠を持って行って木の実の一つでも取ってくる。それが辺境での生き方だ。
そんな生き方が身に付いているクルネからすると、森から来た男性の籠が空であることは不思議なことだった。
「……いやいや、実は森に入ってすぐに調子が悪くなってね。調子が悪い状態でシュルト大森林に入るのは自殺行為だから、こうして戻って来たのさ」
「そうですか、お大事にしてくださいね」
「ああ、ありがとう。……それでは」
柔和な笑みを浮かべると、初老の男性は今度こそ場を去っていった。その後ろ姿を見送りながら、クルネは訝しげな表情を浮かべる。
「クルネさん、どうでした?」
そんなクルネにウォルフが近づいて来る。クルネは去っていく男の背中を見つめながら首を傾げた。
「……あんな大きな籠を持って森に入る割には、身のこなしが今一つよね」
「そうですか? ……まあ、あの年齢の人が森に入るのは珍しい気もしますね」
「そうよね……」
クルネは考え込んだ。何か確証があるわけではないが、どうにも引っ掛かる。やがて、クルネは方針を定めた。
「ねえウォルフ、あの人の足跡を辿って、森へ入ることはできそう?」
「え? まあ、ついさっきの足跡ですし、できないことはないと思います。でもクルネさん、それって……」
「確証はないけどね。でも、私たちもそろそろ森の探索に向かうべきだし、ちょうどいいわ。森へ入る道標にしようよ」
「分かりました」
ウォルフはそう答えると、男性が姿を現した場所付近を確認してまわる。盗賊の固有職補正がある彼なら、つけられたばかりの足跡を辿るのは決して難しい話ではない。
地面や周囲の木々を確認しながら進むウォルフを先頭に、二人はシュルト大森林の中へ分け入った。
◆◆◆
シュルト大森林にはほとんど建造物が存在しない。小屋を建てようにも、物音や人の気配を感じ取ったモンスターが立て続けに襲撃してくるのだから、当然と言えば当然だ。
だが、幸運にも建築に成功し、森の中に佇む建物がないわけではない。そういった小屋の位置は建築した村に代々伝わっており、緊急時の避難場所として森へ入る者たちの頭の地図に書き込まれているのだった。
「ク、クルネさん! あんなところに小屋がありますよ! 一体なんで!?」
そのことを知っているクルネは、発見者たるウォルフほど驚きを露わにすることはなかった。そもそも、強化されているとはいえ、剣士であるクルネの視力では小屋などどこにも見当たらないのだ。
「たまにあるのよ。森の中に緊急避難所を作りたいという思いは、どの村にも共通だから」
そんな話をしながらウォルフの先導に従って歩いていると、ようやくクルネにも小屋の姿が見えてくる。夕日に照らされた建物はだいぶ年季が入っているように見えるが、朽ちるにはまだ早い。そんな雰囲気の小屋だった。
そして、足場が悪そうな場所を避けるため、クルネ達が小屋を迂回するように回り込んだ時だった。死角になっていた小屋の陰で、魔獣が蹲っている様子が見えた。その姿を見て、クルネははっと息を呑んだ。
「鷲獅子だ!」
「ラウルスさんの……!?」
二人に鷲獅子の顔の見分けなどつくはずがないが、騎乗用の鞍や鐙がついている鷲獅子など、そうそういるはずがなかった。
鷲獅子は何かで拘束されているようだが、同時に深い傷を負っているようで、遠目からでも羽が片方折れているのが分かる。
つまり、ラウルスがあの小屋にいる可能性は高い。それも、あまり好ましくない状態で。頭に血が上るのを堪えて、クルネは大きく深呼吸した。何も分からないまま突撃してもろくなことがない。それは人間相手でもモンスター相手でも同じことだ。
「……ウォルフ、どこまで近づけると思う?」
「相手次第です。ですが、もし相手に盗賊や弓使いがいる場合は、充分視認できる距離です。僕に見えている以上、相手に見えないはずはありませんから。それに、もっと近づけば音や気配で気付かれるかもしれません」
「そうよね……」
クルネとウォルフは気配隠しの特技を使えるが、それでも限界はある。
だが、小屋の中にラウルスがいるかどうか、そして敵はどんな陣容か。それだけは確かめておきたかった。日没前にはミルティたちと合流する予定だが、それまでになんとか情報を集めておきたい。
「ウォルフ、危険だと思ったらすぐに引き返していいから、できるだけ近付いてくれる? もちろん私も一緒に行くわ」
「分かりました!」
ウォルフは緊張した面持ちで答えると、中腰で移動を開始する。そんな彼に倣って、クルネも姿勢を低くしたまま木陰から木陰へとその身を移動させた。
そうして、着実に小屋までの距離を詰めていた時、不意に小屋の扉が開いた。人影を確認するなり身を伏せた二人だが、その視線はクルネたちが潜んでいる方向へ向けられていた。見つかったことを想定して、クルネは愛剣の柄に手を添える。
だが、それは取り越し苦労だったのか、その人影は再び小屋の中へと戻っていく。その事実にほっとしたクルネだったが、彼女の腕をウォルフが軽く叩いた。
「……クルネさん、なんだかヤバい予感がします。離れましょう」
その言葉にクルネは悩んだ。今の段階では、あまりにも情報が少なすぎる。鷲獅子が囚われていることと、男が小屋にいること。それらも重要な情報であることは間違いないが、まだ足りない。
「うん、一度離れよっか」
だが、恐怖を堪えてここまで協力してくれたであろうウォルフに、さらなる心的負担をかけたくない。それに、盗賊の予感というものは馬鹿にできない気がした。
クルネの言葉を聞くなり、ウォルフはじりじりと潜んでいた場所から後退を始めた。そして、そんな彼に続いてクルネがその場を後にした時――。
つい先刻まで、クルネたちが潜んでいた場所が爆発した。
「……!?」
二人は咄嗟に地に伏せた。最初は魔法かと思ったクルネだったが、二度目の爆発が起きた時、彼女は見た。その直前、近くの木に物凄い勢いで矢が突き立ったのだ。
貫通よりも破壊を目的とした弓の特技がある。クルネは、エリンからそんな話を聞いたことがある。たしか加重撃という特技だ。エリンは肉や素材が傷むからあまり使わないと言っていたが……。
矢を放った男は、先程こちらを見ていた男とは別人であるようだった。戦いの跡地に折れた矢があったことから、敵に弓を扱う人間がいるとは思っていたが、どうやら弓使いの固有職持ちで間違いなさそうだ。
そして、弓使いが三度目の加重撃を放つ。その軌道は、運悪くクルネを真正面から捉えていた。
「……っ!」
クルネは覚悟を決めると、剣を鞘から引き抜いた。そして、抜剣した勢いに任せて光剣を発動、下から上へと斬り上げる。
狙い違わず加重撃を迎撃すると、クルネはウォルフの手を引いた。
「逃げるわよ!」
「はい!」
クルネとウォルフは、脱兎のごとくその場を逃げ去る。姿の一つも見られただろうが、そんなことを気にしている場合ではなかった。それに、場合によってはこちらの戦力を低く見積もってくれる可能性もある。
だが、そう距離を進まないうちに、二人はその足を止めることになった。なぜなら――。
「あら、クーちゃんもここにいたのね。ひょっとして、さっきの爆音は……」
ミルティたちが、その行く手に姿を現したからだった。
◆◆◆
「そう……たしかに『辺境の守護者』が小屋に捕えられている可能性は高そうね」
手近な倒木に腰を下ろしたクルネとミルティ、そしてオネスティはお互いの情報を交換していた。ウォルフとエメローナも、今頃敵を警戒しながら話をしているはずだ。
「うん……あの二人が、ここまで追いかけて来てくれたらいいんだけど」
「そうね、そうすれば人質交換ができるものね」
「まあ、やつらの仲間意識にもよるがな」
もしあの弓使いたち二人がクルネを追ってきたとしても、現在、こちらには固有職持ちが五人いる。もう一人が上級職でもない限り、まず負ける要素はなかった。
もちろん、クルネとウォルフであの二人を倒すことも考えたのだが、もし他にも仲間がいて、ラウルスを人質に取られてしまった場合に身動きが取れなくなる。それを懸念してあの場を去ったのだった。
「それにしても、どうしてあんな危険な場所に留まっているのかしら」
そう疑問を提出したのはミルティだった。たしかに、いくら小屋があると言っても、ここは危険なシュルト大森林だ。弓使いと魔術師がいたとしても、落ち着ける環境には程遠いはずだ。
「相手は『辺境の守護者』だ。やつらが何者であれ、無傷で勝利できたとは思えない。森の中を行軍するのは厳しいんじゃないか? まして、『辺境の守護者』や鷲獅子を捕縛しているなら尚のことだ」
オネスティの言葉には説得力があった。
「それなら、もうしばらくはあの小屋に留まると思っていいかしら……」
「あくまで推論だからな……何が起こるか分からないし、早く踏み込むに越したことはない」
オネスティはカルシャ村で自警団のような役回りをしていた関係で、こういった荒事についても経験があるらしい。そんな彼の言葉には説得力があった。
クルネの目の前で、ミルティとオネスティが考え込む。相手にどれだけの戦力があるか分からないことと、そして何よりもラウルスが人質となっている可能性が、彼らを慎重にさせていた。
たとえ戦力的に上回っていたとしても、ラウルスを人質にされてしまえば一気に形成は逆転する。かと言って、忍び込んで救出しようにも、相手には察知能力に優れた固有職持ちがいる。非常に難しい状況だった。
「カナメ、どうしよう……」
そんなクルネの呟きは、誰の耳に入ることもなく夜の森に消えていった。
――――――――――――――――――
【クルシス神殿長代理 カナメ・モリモト】
「ラウルスさんが見つかった!?」
「『辺境の守護者』の姿は見ていませんが、たぶんいると思います」
俺がウォルフの訪問を受けたのは、彼らを見送った翌日の朝だった。聞けば、彼は夜明けから走り通してこの神殿に辿り着いたらしい。
全力を振り絞ったのだろう、肩で荒く息をしているウォルフに水を入れたコップを手渡す。
一気に水を飲みほしたウォルフは、少しだけ息を調えるとこれまでの経緯を説明してくれる。その内容に一喜一憂しながら、俺は彼の言葉に耳を傾けた。
「そうか、それで睨み合いを続けているわけか……」
「はい、向こうも俺たちが監視していることに気付いているはずです。あまり近づくと『辺境の守護者』を人質に取られる可能性がありますので、遠巻きに見るのが限界ですが……」
どこか申し訳なさそうにウォルフが答える。どうやら、少なくとも向こうには固有職持ちが四人はいるらしい。
ウォルフの話では、小屋にモンスターが襲いかかった際、三人の人間が迎撃にあたったという。一人は弓使いで、もう一人はおそらく盗賊。そして、最後の一人は近接戦闘型の固有職持ちとのことだ。
そして、ミルティが魔力感知の特技を使ったところ、魔術師のものらしき魔力が小屋の中に一人分感じられたという。これで、少なくとも四人の固有職持ちが敵戦力として存在していることになる。はっきり言って、異常な戦力だ。
「それで俺を呼んだのか……」
「はい。どこかのタイミングで強行突入するつもりですが、確実に勝つためには神子様が必要だと……」
そう言いながらも、ウォルフは不思議そうな面持ちだった。それも無理はない。村人転職のことを知っているのは、クルネとミルティだけだからだ。対モンスター戦では役に立たない俺だが、固有職持ちが相手となれば事態は逆転する。
あまり乱用したくない村人転職だが、ここで出し惜しみするつもりはなかった。
「それから、これを預かっています」
そう言ってウォルフが差し出したのは、二つの魔法球だった。たしか、ラウルスさんを見つけた時用に、と回復魔法を封じ込めていたはずだが……。
「中に封じ込められている魔法は、身体能力強化です」
その説明を聞いて、俺は彼らのメッセージを理解した。どうやら、アリエト村までひたすら走り続ける必要がありそうだ。
「失礼ですが、その、魔法が切れたところからは、神子様を担いでアリエト村まで走ってくるよう言われています」
ウォルフがそんな情報を追加してくるが、余計に気が重くなる。まあ、それくらいでラウルスさんが助かるなら安いものだが。
「副神殿長に話をしてくる。ウォルフはソファーで横になっていてくれ。疲れただろう」
恐縮するウォルフを無理やり寝かせると、俺は神殿長室を後にした。
◆◆◆
「理解できませんな」
しばらくルノール分神殿を留守にすると告げると、オーギュスト副神殿長はまったく表情を動かさずにそう言い切った。
「カナメ神殿長代理が固有職持ち同士の争いに乗り込んで、なんの役に立つのですか? むしろ足を引っ張る可能性が高いと思いますが」
「私の能力については、以前にご説明したかと思いますが……」
「もちろん覚えています。一時的に固有職持ちの力を宿すことができるのでしたな? ですが、複数の固有職持ち同士の戦いなど、下手な戦争より危険な場所です。そのような場所に赴くなど、副神殿長として断固反対しますぞ」
副神殿長の言葉は実に正しかった。村人転職の話は伏せているが、それでも彼が言っていることは事実だ。特に、今回は弓使いや魔術師といった遠距離攻撃可能な固有職持ちが存在しており、しかも厳戒態勢を取っている。
詳しく測ったことはないが、俺の転職能力は無限の射程を持っているわけではない。少なくとも、その個人を認識できるレベルまで近づく必要があった。
そのため、遠距離から俺を攻撃できる固有職が相手の場合には、かなりの危険を伴うことになる。
「それに、その間の神殿の業務はどうなさるのです。神殿長代理としての仕事も、転職の神子としての仕事もあるのですぞ。わざわざこの神殿までお越しになった来殿者にどう申し開きするおつもりですか?」
「申し訳ありませんが、急病だということにしてもらえませんか? 神官が病に伏せるというのはあまり好ましい話ではありませんが、事態が事態です。それに、早ければ一日空けるだけで戻って来られると思います」
「ですが、危険なことに変わりはないでしょう」
副神殿長は引かなかった。彼が嫌がらせで言っているのではなく、本当に俺の身を案じてくれていることは分かる。だが、ここで引き下がるわけにはいかない。
「副神殿長が仰る通り、救出戦は命の危険を伴います。ですが、ここで『辺境の守護者』を失ってしまえば辺境全体が危険な状態に陥ります。そうなれば、このルノール村に住む私たちが危難に見舞われるのも時間の問題でしょう。
それに、今回の話は辺境の人々の幸福に直結した問題です。クルシス神殿の神官として、人々に降りかかる災厄を見過ごすわけにはいきません」
俺がそう主張すると、オーギュスト副神殿長は沈黙する。そこへ畳みかけるように俺は言葉を続けた。
「……そしてなにより、ここでラウルスさんを見捨てるようなことがあれば、俺は自分を一生許せません」
クルシス神殿の神官として。辺境全体の危機だから。結局のところ、それが結論から逆算した方便だということは自覚している。
ただ俺は、俺自身の願いとしてラウルスさんを助けに行きたいだけなのだ。
そんな意思を込めてオーギュスト副神殿長を見つめると、彼は小さく溜息をついた。
「どうせ止めても行くのでしょうな。……たしかに、我が身かわいさに他者の命を見捨てるような行いは、クルシス神も喜ばれないことでしょう」
「オーギュスト副神殿長、では……」
俺がそう口を開くと、副神殿長は真面目な表情を浮かべたまま頷きを返す。
「しばらくルノール分神殿を預かります。早く戻って来なければ、書類の重みで神殿長室の床が抜けるかもしれませんからな。……お気をつけください」
彼の最後の言葉は、神殿長室の床を心配したものなのか、それとも救出戦での俺の身の安全を心配してくれたものなのか。それは分からなかったが、俺は去っていくオーギュスト副神殿長の後ろ姿に頭を下げた。
そして、ウォルフの待つ神殿長室へと戻ると、俺は法服を脱いで旅支度を始めるのだった。