森に潜むもの
【治癒師 ジークフリート・セルラン】
森の奥から現れた男たち。その一人の顔を見た瞬間、ジークフリートは驚きすぎて言葉が出なかった。
偉そうに突っ立っている男の陰に隠れるようにして存在を消しているが、この短期間でその顔を忘れるわけがない。驚いた顔を取り繕うこともせず、ジークフリートは口を開いた。
「……あんた、なんでここにいるんだ? 急用があるってリビエールの町へ引き返したんじゃなかったのか?」
その言葉に、ジークフリート以外の全員が驚いた。それは相手方も同じらしく、先頭の男が後ろを振り返った。
「エモンド。貴様の知り合いか?」
「いえ、知りません。……君、誰かと間違えているんじゃないかね?」
エモンドと呼ばれたやや年かさの男は、落ち着いた声音でジークフリートの問いかけを否定した。だが、ジークフリートには確信があった。その顔も、その声も、覚えがあるものに間違いなかった。
「何言ってるんだ俺だよ! 一緒にゼニエル山脈を越えたじゃないか!」
ジークフリートの言葉を聞いて、エモンドの目が驚愕に見開かれた。だが、次の瞬間には何事もなかったかのように言葉を続ける。
「どうやら勘違いなさっているようですな」
エモンドは、あくまでシラを切り通すつもりのようだった。その行動の意味が分からず、ジークフリートは言葉に詰まる。固まった彼を見て、カナメが会話に割って入った。
「落ち着け、ジークフリート。どういうことか、俺たちにも説明してくれないか」
「……俺とメリルがこの森で死にかけたのは知ってるだろ。あの時、リビエールの町からゼニエル山脈を越えて、一緒にこの辺境に来た商隊の一人がこの人だ」
それはジークフリートにとって、思い出したくもない出来事だった。その時の惨状を知っているカナメの表情が渋いものに変わる。
「なあ、あんた以外の人たちは大丈夫だったか? ……あの後、俺とメリルはモンスターに襲われて、危うく死ぬところだったんだ」
「本当にすまないね、まったく心当たりがないんだ」
そう言うと、エモンドは話は終わりだ、とばかりに仲間の後ろへ下がる。そこへなお食い下がろうとするジークフリートを止めたのは、カナメでもラウルスでもなかった。
「ふん、他人の空似という奴だろう。それくらいにしておけ」
口を開いたのは、しばらく会話に参加していなかった重装備の男だった。よく見ると、男が身に着けている防具は、ほとんど継ぎ目のない全身鎧だ。
しかも、その背には巨大な大剣が留めてある。その装備重量がどれくらいになるのかは想像もつかないが、それを軽々と身に着けているあたり、男が固有職持ちである可能性は高かった。
「そんなことより重要な用事がある」
そう言うと、鎧の男は遠慮のない足取りで、ずかずかとカナメたちへ近づいてくる。カナメたちが構えるのも気にせず、彼は両手を広げた。
「お前たちは運がいい。どうだ、私の女になってもいいぞ」
男の発言に、ぴしっと場の空気が凍りついた。彼の視線の先にいるのは、もちろんクルネとアデリーナだった。
クルネは正統派の美少女であり、アデリーナのどこかエキゾチックな容貌もまた男の目を引くものだった。そんな二人に声をかけたくなる気持ちは、ジークフリートにも分かる。
だが、そこでエリンを無視するのはいかがなものか。ジークフリートは、エリンをちらりと見る。男の態度に気を悪くしていない様子に、彼は一人ほっとした。
特に根拠はないが、この調査隊のメンバーの中で、怒ると一番怖いのは彼女だとジークフリートは本能的に悟っていた。
「……ジーク、あんなのに話しかけられなかったくらいで、あたしが傷つくと思ったのかい? そう思われてる事実のほうがショックだよ」
どうやら、ジークフリートの心は読まれていたらしい。容姿が全てを裏切るものの、エリンの性格自体は非常に姉御肌だ。気にしていないというのも事実なのだろう。
「というか、クルネとアディだって『貧乏くじに当たった!』って思ってるさ」
やれやれ、とばかりにエリンが肩をすくめた。そんな彼女の言葉を証明するように、二人の言葉が聞こえてくる。
「お断りします」
「おととい来やがれ、ですわ」
二人の表情に浮かんでいる表情は共通していた。それも当たり前だろう、突然知らない男に『俺の女になれ』と言われて喜ぶ女性などそうそういない。メリルが聞いたら顔を真っ赤にして怒るはずだ。
ジークフリートは、怒る恋人の顔を想像して一人苦笑した。
「なんだと……! 辺境の女ごときが、この騎士たるアレリウ――」
「その辺にしておきましょう」
鎧の男が名乗りを上げようとした瞬間。後ろに控えていた商人風の男が語りを遮ったことで、鎧の男ははっと我に返る。
「……ふん、貴様らに名乗る名などないわ」
男は苦々しげに口を開いた。その時、ジークフリートの耳に、かすかな笑い声が聞こえてきた。カナメだ。おそらく相手には聞こえていないだろうが、どうしたというのだろうか。
彼はクルネとアデリーナの肩にぽんと手を置くと、二人に告げた。
「選手交代だ」
――――――――――――――
【転職屋店主 カナメ・モリモト】
俺は笑いを堪えるのに必死だった。こんなテンプレ通りの悪役キャラが存在するとは思ってもみなかったのだ。
しかも、あまり頭が回るタイプにも見えない。これは、情報を引き出すチャンスかもしれない。そう思うと、俺は騎士に向かって営業スマイルを浮かべた。
「騎士様をご不快にさせてしまったようで、申し訳ありませんでした」
正直、まったく悪いと思っていないが、形ばかりの謝罪を口にしておく。さも当然だ、と言わんばかりの騎士の態度はアレだったが、ここは呑みこんでおこう。俺は話を続けた。
「ところで騎士様。貴方様の見識を見込んで、一つご意見を頂戴したいのですがよろしいでしょうか?」
「……ほう? まあ、暇つぶし程度には聞いてやろう」
仏頂面だった騎士の表情が、満更でもないものに変わった。よしよし、こういうタイプはおだてるに限るな。
「実は最近、この森のモンスターが異常発生しておりまして、私共もほとほと困り果てているのです。
――この原因にお心あたりはございませんか?」
「な、なんだと!?」
これは当たりかもしれないな。そんな事を考えながら、俺は騎士の様子を窺った。
質問を耳にしてから、騎士の挙動が明らかにおかしくなっている。表情もどこか引きつっているし、落ち着きなく足先をトントンと地面に叩きつけていた。
「貴様、何が言いたいのだ!」
「いえ、騎士様のご見識なら、こういった事件が発生する理由についてもお分かりではないかと思った次第です」
俺はごますりモード全開で、本当に困っているような表情を浮かべた。
「……なんだ、そういうことか。たしかに私には『村人』にはできない様々な経験があるからな」
騎士は再び満足そうな表情を浮かべた。そこへ、さらに質問を重ねる。
「そういえば、騎士様は森の奥からいらっしゃったようにお見受けしまし――」
「君、そのように矢継ぎ早に問いかけるのは騎士様に対して失礼というものだよ。」
俺が質問の核心に入ろうとした瞬間、外部から声が飛んできた。いいところだったのに残念だ。
視線を向けると、そこには商人らしき男が立っていた。ただ、商人にしては何か偉そうな雰囲気がにじみ出すぎているような気がする。
「それは失礼致しました。森の異変は村の安全に直結しますから、つい気が急いてしまったようです」
「ふむ、その気持ちは分からなくもない。よければ、私が代わりにお答えしよう」
商人の言葉は、俺としてはありがたくなかった。少なくとも、この商人の方があの騎士より頭脳的には優秀だろう。それは、情報が引き出しにくくなることと同義だった。
「それでは、お言葉に甘えてお伺いします。ここは辺境の地でも特に危険とされるシュルト大森林です。
皆様は商隊のようにお見受けしますが、いったいなぜこんな森の奥までいらっしゃったのですか?」
「君たちこそ、どうしてこんな危険な森にいるのかな? 辺境の住人であればこそ、この辺りの危険さは理解しているだろうに」
商人は答えずに質問を返してきた。やっぱりこの商人はやりにくいな。そう思いながらも、俺は適当に嘘八百を並べる。
「私たちはこの辺りでしか手に入らない薬草を採りに来たのですよ。もちろん危険は承知していますから、そのために彼らという護衛を連れているわけです」
そう言って、俺はラウルスさんとエリンを手で示した。ラウルスさんの巨体は言うまでもないし、エリンの狩人然とした姿にも(小さいが)説得力がある。
それでも、普通ならこんな森の奥まで来る者はいないだろうが、相手は辺境の出身ではない。そのあたりまで分かるはずがなかった。
「ほう、薬草採りか。……私たちは見ての通り商人だよ。今回は強い護衛もついていることだし、この森で儲け話を探さないかという話になったものでね」
「なるほど、そうでしたか。それにしても、このような森の深部まで来られるとは、さぞかしあの護衛の騎士様はお強いのでしょうね。ぜひともお名前をお伺いしたいものです」
「たしかに、騎士様と面識があるとなれば栄誉なことになるでしょうな。ですが、かの騎士様は慎み深いお方で、できるだけ旅先でも名を売るような事はしたくないと常日頃から仰っているのだよ」
嘘つけ。あんな絵に描いたような俗物が、そんな事を言う訳がない。だがそう答えられてしまっては、それ以上追及するわけにはいかなかった。
「おっと、すまない。これでも私たちは忙しい身でね。そろそろ出発しなければ商談に遅れてしまう。……すまないがこれで失礼するよ、君たちの安全を祈っている」
しかも商人は、そう言うと早々に商隊をまとめて立ち去ってしまった。逃げられた感が物凄いが、ここで引き留めるわけにもいかないだろう。そう判断して、俺は笑顔で彼らを見送った。
せめてもの抵抗として、彼らの顔をできるだけ詳細に記憶しておく。そして、商隊がやってきた方向を、地図に書き加えると、俺は気を取り直して口を開いた。
「行こう。目的地まではそう遠くない」
◆◆◆
「この辺り、変な魔力が漂っていますわね」
アデリーナがそう言いだしたのは、目的地付近に到着した時だった。
「あ、俺もなんとなく分かるぜ」
アデリーナの言葉を受けて、ジークフリートも手を上げた。魔法職である二人が揃って同じ意見ということは、これは当たりかもしれない。俺はそう期待した。
変な魔力には方向性があるとのことだったので、俺は二人についていくことにした。魔力の方向性というのが何かと聞いてみたら、「空気の流れのようなものですわ」と返ってきた。魔術師になるとそういうものが知覚できるんだなぁ。
そうして二人についていくこと数十分、木々しか見えなかった俺たちの視界が一気に開けた。小さな空地に出たのだ。
「ここだぜ」
「ここですわね」
魔法職二人は同時に口を開いた。だが……。
「……何もないように見えるんだが」
どう見ても、ただの空き地だった。怪しげな祭壇があるわけでもなければ、魔力を垂れ流す結晶体が鎮座ましましているわけでもない。本当に、ただの空き地だ。
「カナメ、ここに地面を掘り返した跡があるよ」
「え?」
エリンの下へ駆けよった俺は、彼女が指差している地面を見つめた。たしかに、ここだけ地面を掘り返して、また埋め直したような跡があった。
「よし、掘り返してみよう」
そう言って、俺たちは総出で一帯を掘り返した。しかし、出てきたものは土と瓦礫ばかりで、怪しげなものなどさっぱり見つからなかった。
「なにもなかったね……」
少し疲れた声でクルネが呟いた。肉体的疲労というよりは、精神的な疲労だろう。
「少なくとも、何かがあったんだと思うんだけどな」
「どういうこと?」
可能性の話になるが、例えば一度埋めた何かを、最近また掘り返して回収した、というようなことなら、何もないのに魔力の流れがここを中心として濃くなっている理由にも説明はつく。
「なるほどね」
「……カナメ殿。あまり考えたくはないのだが、先程の商隊がその何かを回収した、とは考えられないだろうか」
疑問を投げかけてきたのはラウルスさんだった。その言葉に、俺ではなくジークフリートが動揺する。
「え、おっちゃん何言ってるんだ? それじゃまるで――」
途中まで言いかけて、ジークフリートははっと息を呑んだ。
「私は、あの商隊が今回の異変に関わっているように感じた。根拠はないが、どうにも彼らは信用できない」
俺もラウルスさんの意見に賛成だった。だが、エリンの言葉が俺たちの予想を否定した。
「違うね。この地面が掘り返されてから、少なくとも十日くらいは経っているはずだよ」
エリンは狩人だ。こういった判断については、俺たちの中で誰よりも優れているだろう。その彼女が断言する以上、あの商隊が犯人ではない、ということだろう。
「掘り返してから十日くらい、このあたりに泊まってたとか?」
「こんな危険なエリアで寝泊まりするなど、一日でも困難だぞ」
クルネの仮説をラウルスさんが否定する。
「たしかに、こんなに魔力が濃ければモンスターも増加・狂暴化するでしょうし、ここで寝泊まりするのは無謀を通り越して自殺行為ですわ」
アデリーナもラウルスさんを支持し、あの商隊が犯人だという説は諦めざるを得なかった。うーん、ちょっと自信があったんだけどなぁ。
「……にしてもよ、その原因がなくなってるんなら、モンスターの異常発生はじきに解決するってことか?」
「……あ」
ジークフリートの意見には一理あった。おそらく魔力を発していただろう何かはもうない。たしかに、後は待つだけと言えなくもなかった。だが、それではこの先も当分の間モンスターの襲来に脅えなければならない。
「これ、どうやって魔力を消せばいいんだ?」
魔力の話と言えばアデリーナだろう。俺の問いかけで、皆の視線がアデリーナに集中する。
「わたくしにも分かりませんわ……。」
まあ、アデリーナはまだ魔術師になって間がないもんな。知らなくても仕方がないか。
「アディ姉ちゃんが派手な魔法をばんばん使えばいいんじゃないのか?」
「いくら魔法を使っても、消費するのは自分自身の魔力だけですわよ」
ジークフリートの提案をアデリーナが一蹴する。というか、ジークフリートも魔法職なんだから、その辺りの感覚は分かるだろうに……。
「一度村へ帰って、滞留している魔力を除去する方法を探すしかないか……」
ラウルスさんが残念そうに呟く。たしかに、俺も今回で決めたかったんだけどなぁ。
「じゃあカナメ、今回は一旦引き上げる?」
クルネもラウルスさんに同意しているようだ。だが、俺にはもう一つ気になることがあった。
「……いや、できればここも調べておきたい」
俺は地図を開くと、あの商隊がやって来た方向を指し示した。
◆◆◆
地図で見ると、あの商隊がやって来た方向を遡ることは難しくなさそうだった。というのも、俺たちが歩いてきたルートからそんなに外れていなかったのだ。
おそらく、魔力の発生源だった空き地から十キロほど歩けば合流できるはずだった。
俺たちは遭遇するモンスターを返り討ちにしながら、第二の目的地へと向かっていた。
「なあラウルスのおっちゃん、特技ってどうやって覚えるんだ?」
ジークフリートが特技の話題を口にしたのは、十度目のモンスター襲撃を返り討ちにした時だった。
「特技か……。いきなりどうした?」
「俺、治癒しか使えるものがないからさ。もっと他の魔法が使えたら活躍できると思って」
十度の戦いで、彼は一度も出番がなかったのだ。いくら治癒師は出番がない方がいいとはいえ、本人としては切ないものがあるのだろう。
「おっちゃんは、戦士になる前から特技が使えたんだろ? 転職してからは衝撃波とかも使えるみたいだし、どうしたら覚えられるのかな、って」
そう、ラウルスさんは珍しい特技持ちの『村人』だったのだ。固有職持ちに比べれば効果は小さいとはいえ、特技持ちはそれなりに重宝される。
ラウルスさんが若いころから自警団長に抜擢されていた理由の一つはそこにあったらしい。
「そう言われてもな……。威嚇は、モンスターが負傷した仲間を襲おうとしたのを止めようとした時、急に使えるようになったのだ。衝撃波は、転職したと同時に習得できたな」
なるほど。つまり、必要に応じて開花するタイプと、固有職に元々備わっているタイプがあるわけか。自分にもまだ可能性があると分かって、ジークフリートの顔が明るくなった。
「……ジークフリートさん、わたくし達は魔法職ですから、特技といっても『多重詠唱』や『拡大効果』のようなサポート的なものが大半ですわよ」
「え……」
ジークフリートの顔が今度は暗くなる。明るくなったり暗くなったり忙しいな。
「アデリーナさん、ちなみに魔法はどうやって覚えたの?」
「火炎槍は転職した瞬間に使えるようになりましたけれど、雷撃槍は魔法書とにらめっこしてようやく習得したものですわ」
おお、魔法書とかあるのか。ちょっと見てみたい気がするな。
「……ということは、まず治癒魔法の魔法書を探すところからなのか……」
ジークフリートは残念そうな表情だった。まあ、俺としても防御の魔法とかを覚えてくれると嬉しかったんだけど、そこらへんの仕組みがよく分からないから、何も言えなかったんだよね。
と、そんな話をしながら歩いていた時だった。ふと、先頭を歩いていたエリンの動きが止まった。よそ見をしながら歩いていたクルネが、彼女にぶつかりそうになる。
「あ、ごめんねエリン。大丈夫だった?」
だが、エリンは答えなかった。返事の代わりに返ってきたのは、今まで聞いたことのない緊迫した声だった。
「やばいのがいる……。たぶん、ドラゴン級だ」
◆◆◆
ドラゴン。日本でも最強の生物として非常に有名な存在だが、それはこの世界でも同じことらしい。
下位の竜でも固有職持ちを多く含んだ軍隊が出動し、上位の竜に至っては国の方が滅ぼされかねない。そんな存在だ。
「地竜のようだな……。なぜこのような場所にいるのだ……?」
竜の姿を確認し、ラウルスさんは渋い表情で呟いた。残念なことに、地竜は上位竜に分類されるらしい。もはや天災クラスだ。
「どうする? 戦うの?」
クルネが心配そうに聞いてくる。いくら固有職持ちとはいえ、無敵という訳ではない。たとえ下級のドラゴンといえど、それに命を奪われた固有職持ちは数知れない。彼女が心配するのは当然だった。
「……いや、いくらなんでも無謀だろ」
そう答えた俺は、内心頭を抱えていた。おそらく、モンスター異常発生の原因は一つではない。あの空地の魔力と、このドラゴンの出現の両方が引き金になっているはずだ。
生態系の頂点たるドラゴンが現れてしまっては、いくら強力なモンスターの巣窟たるシュルト大森林といえど、そこから逃れて森の浅いところへ移動する個体も多いだろう。
それが空地の魔力によるモンスターの増加・狂暴化と相まって、村近辺でのモンスター異常発生に繋がった。そんな気がした。
「……ふむ、大いにあり得る話だな」
俺の話に、ラウルスさんが大きく頷いた。他の皆も異論はないようだ。
「……で、あれどうしよう」
結局、話が元に戻った。
「国の固有職持ちを総動員すれば……」
「誰も戦いたがらないだろうな。むしろ、辺境を見捨てる可能性の方が高い」
ラウルスさんの言葉には信憑性があった。しかし、ならばどうしろというのか。
そんな沈んだ雰囲気の中、エリンから悲鳴のような声が上がった。
「気付かれた! こんな距離で!? 嘘だろ……!?」
◆◆◆
地竜は巨大だった。全長は三十メートルほどか。一般的にイメージするドラゴンと違い、翼が非常に小さいのは地竜ならではの特性だろうか。おそらく飛ぶことはできないはずだ。
土色の鱗はまるで鉱物のように輝き、その顎は家屋をたやすく丸飲みできそうな大きさと強靭さをうかがわせた。
爪は大木のような太さを持ち、鋭利さはないものの凶悪な鈍器として振るわれれば人間などひとたまりもないことは想像に難くなかった。
「なんだあの目……?」
地竜を観察していた俺は、その眼に違和感を感じた。視力がおかしいとかそう意味ではなく、精神的に変質しているような印象を受けたのだ。
そんな観察をする間にも、地竜がこちらへ向かって突撃してきた。その巨体からは信じられないスピードだ。
だが、ありがたいことに少し角度を誤っていたらしく、少し離れたところの木々をなぎ倒していった。
その破壊の跡を見て、俺たちの顔から血の気が引いた。
「無理だろあんなの!」
泣きそうな声で叫んだのはジークフリートだ。俺だって泣きたい。何を好き好んで、大木を百本単位でなぎ倒すような怪物と戦わなきゃならないんだ。
だが、逃げようとして逃げられる相手じゃない。先程の突撃を見て思い知らされたが、地竜のほうが圧倒的に足が速い。
あんな大質量にぶつかられたら、それだけで即死は確定だ。三十メートルの巨体では避けるのも至難の業だろう。
「戦うしかないのか……!」
接近して戦ったほうが、あの恐怖の突撃を受ける可能性は少ない。他にどんな攻撃をしてくるのか分からないが、あの突進を正確に繰り出されたら負けだ。
「生き残るためには戦うしかない!!」
ほぼ同じタイミングで、ラウルスさんが声を張り上げた。長年自警団長を務めてきただけあって、その言葉はこんな状況でも力強かった。
「戦うぞ!」
俺も声を張り上げると、キャロが近くで唸っているのを引っさらって、両腕に抱いた。防御のためというよりは、攻撃するタイミングをキャロに指示するためだ。
俺たちの言葉に反応した他のメンバーも、戦いを決意した顔をしていた。アデリーナは詠唱をはじめ、クルネとジークフリートは剣を抜いた。
エリンは見当たらないが、間違いなく近くの樹上に陣取って、地竜に狙いをつけているはずだ。
「グロアアァァァァッ!!」
接近していたクルネに向かって、地竜が太い前脚を振り下ろす。しかし、そこへラウルスさんが妨害を仕掛けた。
「威嚇!」
どうやら、竜にも特技は有効だったらしい。地竜は前脚の振り下し先を、咄嗟にクルネからラウルスへ変更する。だが、中途半端に標的を変更した前脚の攻撃であれば、戦士職たる二人は充分回避することができた。
地竜の攻撃を避けた二人は、同時に衝撃波を放った。二人の攻撃は、地竜の鱗をなんとか切り裂き、浅い傷をつける。
「衝撃波であの程度のダメージか……!」
俺は唸った。迂闊に近づけない以上、戦士職の攻撃手段は衝撃波に頼るしかない。だが、その攻撃では浅い傷がやっとだ。
たとえ衝撃波を何千回浴びせようと、地竜に致命的なダメージを与えることはできないだろう。
何度も二人は地竜の攻撃をかわしてカウンターを入れているが、その鱗に阻まれて、あまり効果的なダメージは通っていなかった。
「火炎槍!」
立て続けに放たれた三本の炎の槍が、地竜の喉元に直撃する。しかし、炎に対する耐性でもあるのか、その鱗には焦げ目一つなかった。
そして、アデリーナの魔法とほぼ同時に、エリンの放った矢が地竜を襲う。狙った場所は目だ。だが、ドラゴンが首を振ると、矢はその頬に当たり弾かれた。巨体の割に、首の動きは俊敏だった。
「キュゥゥゥゥ!」
ドラゴンが矢に気を取られた瞬間を狙って、俺はキャロに指示を出す。キャロは勢いよく地面を蹴ると、地竜の前脚に強力な蹴りを浴びせる。
すると、蹴りの衝撃で前脚が少しだけ揺れた。だが、それだけだ。その前脚に、ダメージらしいダメージは見受けられなかった。
キャロが申し訳なさそうに戻ってくるのを回収すると、俺は慌てて地竜から離れた。竜の尻尾に力が入ったように見えたからだ。
予想は当たった。あり得ない質量が目の前を通過していく。物理的な接触はしていなかったというのに、衝撃でかなりの距離を吹っ飛ばされた。
俺は慌てて起き上がり、地竜の様子を確認する。
その瞬間、俺は心臓が握り潰された思いだった。地竜の周囲には、誰も立っていなかったのだ。
「クルネ! ラウルスさん!」
必死で彼らの姿を探すと、数十メートル離れたところで二人が倒れているのが見つかった。固有職を得てどれくらい防御力が上がっているのか知らないが、普通に考えれば即死だ。現に、二人とも血まみれで動く気配がなかった。
「嘘だろ……よくも……この野郎……!!」
親しい人の死を予見して、俺は頭に血がのぼった。まるで視界が赤く染まったかのように錯覚する。
この蜥蜴をぶち殺してやる。
もごり、と湧き起こった狂的な攻撃性が、俺に切り札を使わせようとする。今すぐ最大の攻撃を地竜にぶつけてやれと、本能が怒り狂うのを感じた。
「――まだだ!」
俺は自分を制御するために、大声で叫んだ。今切り札をきっても勝てる保証はない。そのために今まで手を出さずにきたんだ。
俺は、俺のできることを確実に遂行する。そう自分に言い聞かせて、俺はアデリーナの下へ走った。
「アデリーナ! 槍を貸してくれ!」
「カナメさん!? いったいどうし――」
血相を変えて走ってくる俺に驚いたのか、アデリーナが目を丸くしている。だが、詳しく説明している暇はない。俺は半ば奪い取るように彼女の愛槍を手に入れると、地竜に向かって駆け出す。
そして、どこにいるかも分からない仲間に向かって大声を上げた。
「ジークフリート! クルネとラウルスさんを頼む! アデリーナとエリンは俺の援護だ!」
いつ切り札を使うか。それは、今回の戦いでもっともシビアな判断だった。早すぎても遅すぎても俺は死ぬだろう。そんな思いを抱きながら、俺は地竜までの距離を詰めた。
地竜が巨大な顎を開いて、俺を下の地面ごと呑みこもうと襲いかかった。――まだだ。もう少し近づけ。
地竜はその顎を使って襲いかかる時、まず首をもたげる予備動作がある。その情報は、クルネやラウルスさんが戦っている時に得たものだ。
地竜が予備動作を終え、俺に殺到する瞬間。
――俺は、自分に転職の力を使った。
それはまさに奥の手だった。なぜなら、この転職で得られる力は十秒程度しか保たないのだ。その限られた時間で、俺は最高の攻撃を叩きこむ必要があった。
格段に向上した知覚が、地竜の顎の接近を知らせてくれる。俺はその軌道を読むと、地竜の頭とすれ違うようにして跳び上がった。
だが、地竜も伊達に上位種に分類されているわけではない。俺の動きに気付くと、僅かな間に自らの軌道を修正してくる。だが――。
エリンの矢が飛び、地竜の目を再び狙う。
アデリーナの雷撃槍が俺をかすめて地竜に突き刺さる。
それらの攻撃に対応するため、地竜の照準が少しずれた。だがまだ足りない。僅かながら、地竜の攻撃は俺をかすめるだろう。
そうなってしまえば終わりだ。たとえ俺にダメージがなくても、もう次はない。
「キュゥゥゥゥゥゥ!」
「キャロ!?」
いつの間にか接近していたキャロが、地竜に渾身の一撃を決める。その衝撃で、竜の身体が僅かに揺れた。
結果、俺はすんでのところで地竜の攻撃を避けることに成功する。三十メートルほど跳び上がっていた俺は、そのまま下を向いている地竜の頭目がけて、特技を放とうとした。だが……。
――駄目だ。これだけじゃ倒せない。もっと、もっと力を集めろ。
今宿している固有職の力なのか、俺の中に不思議な感覚が広がった。その感覚が命じるままに、俺は力を集める。
それは、まるで世界と繋がるような感覚だった。空から、森から、大地から、俺は何かのエネルギーを吸収しているのが分かった。
だが、いつまでもそうしている訳にはいかない。俺にはタイムリミットが迫っていた。心の中で数えていたカウントが残り一秒になった瞬間、俺は特技を発動した。
「竜砕き!!」
突き出した槍から放たれた力の奔流が、一条の太い光柱となって地竜に激突した。竜は怒りの咆哮を轟かせ、その光に抗おうと暴れる。
「ガァァァァ……ッ!」
やがて、その光に押し潰されるように地竜の頭部が爆散した事を確認して俺は快哉を上げた。
だが、その余波で周りの木々がなぎ倒される光景を目にして、その破壊力にぞっとする。みんなが巻き込まれていない事を祈るしかない。
しかし、そもそも俺には人の事を心配している余裕はなかった。
俺は三十メートル上空まで跳び上がっていたのだ。当然、跳んだ後には落下が待っているわけで。
「うわああああああああ!」
地竜を倒すことしか考えていなかったせいで、その辺りは一切考えていなかった。今や宿していた固有職の力も存在しない。冗談抜きで墜落死の危機だった。だが。
「――ナメ!」
重力に引かれて落下している俺を、誰かが抱き留めてくれた。ふわりと柔らかい感触、とはいかなかったが、革鎧の感触と甘い香りが俺を現実に引き戻した。顔にかかった髪がくすぐったい。
「カナメ、よかった……!」
俺を抱きかかえたまま着地すると、クルネは俺の胸に顔をうずめて泣き始めた。……って、何かおかしくないか、この展開。
男がお姫様抱っこされた状態で女の子に胸を貸すって、あまりにも様にならないと思うんだが。
結局、クルネが顔を真っ赤にして俺から手を放すまでには、実に十分近くかかった。
……最後は少し締まらなかったものの、俺たちは地竜を倒すことに成功したのだった。