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転職の神殿を開きました  作者: 土鍋
転職の神殿を開きました
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転職の神殿を開きました

【クルシス神殿長代理 カナメ・モリモト】




 白さの中に淡い色のマーブル模様が入り混じった、つるりとした質感にまで磨き上げられた石壁。そんな、ともすれば冷たい印象を与えてしまいそうな風合いの壁を柔らかな光が照らしている。

 それは神殿内にあるフロアの大半に共通する光景であり、このルノール分神殿の特徴の一つとなっていた。


 そんな真新しい神殿の中心部に位置する神像の間で、俺は共に神殿を運営していく四人の神官と向き合っていた。


「――人によっては忌避しかねない、この辺境へ赴任してくれた皆さんには心から感謝しています。今日から正式に神殿を開くことになりますが、これからもよろしくお願いします」


 ルノール分神殿の開殿まで、あと一刻といったところだろうか。最後のミーティングをそんな言葉でしめると、俺は同僚四人の顔を見回した。その表情からすると、彼らは前向きな気持ちでこの日を迎えているようだった。


 下手をすれば「もう辺境は嫌だ。王都へ帰りたい」という神官の一人くらいは出るんじゃないかと心配していたのだが、どうやら杞憂に終わったようで何よりだ。


「カナメ神殿長代理、我々はクルシス神の教えを広めるため、そして人々の心の支えとなるためにこの辺境の地まで来たのです。そのように気遣ってもらう必要はありませんぞ」


 四人の神官の一人、最年長にして序列上では第二位となるオーギュスト副神殿長は、そう言うと一歩進み出た。彼の言葉を聞いて、他の三人がかすかに頷く。


「ありがとうございます。……我らにクルシス神のご加護があらんことを」


 そう言って聖印を切ると、俺はミーティングを解散した。それぞれが各自の持ち場の最終チェックをするために散っていく。


「……神殿長代理、少しよろしいですかな?」


「なんでしょうか?」


 そんな中、一人だけこの場に残った人物がいた。オーギュスト副神殿長だ。その表情を見て、俺は軽く身構えた。……これはアレだな。そんな、俺の嫌な予感は的中した。


「今までも何度か申し上げてきましたが、神殿長代理の聖印の切り方はいささか雑にすぎます。特に今日は、人々の前で開殿の挨拶をなさるのでしょう? お手本となるような聖印を切る必要がありますぞ……さあ、もう一度」


「あ、はい……」


 やっぱりか。クルシス本神殿でも有数のうるさ型として有名なオーギュスト副神殿長は、今日も神経質そうな表情で俺を注視していた。


 副神殿長の言葉に従って、俺は聖印を切ってみせる。簡単なようでいて意外と難しいのが聖印の切り方だ。自分では綺麗にやっているつもりなのだが、彼の目からすれば非常に歪に見えるらしい。


 そんなわけで、クルシス神殿に入って日の浅い俺とシュレッド侍祭は、旅の間もしょっちゅう聖印の切り方を練習させられていたのだった。

 なんせ、あまりにも頻繁にやっていたせいで、クルネたちがやり方を覚えてしまったくらいだ。信徒でもないのにいいんだろうか。


 そんなことを考えながら手を動かしていたせいか、オーギュスト副神殿長から鋭い声が飛んでくる。


「そこです! 今のところで腕が水平に動いていないのです! もう一度!」


 その後も筋トレかと思うほど聖印を切りまくった俺は、腕がだるくなってきた頃にようやく副神殿長から合格を出してもらえた。……これ、明日筋肉痛になるんじゃないだろうか。


「ところで神殿長代理、開殿の挨拶は考えていらっしゃるのでしょうな?」


 俺がくたびれた腕をストレッチしていると、オーギュスト副神殿長が話しかけてくる。開殿の挨拶とは、言うまでもなく神殿を開くときの挨拶だ。場合によっては大物を招いて長々と式典を行うものもあるそうだが、今回はそういった催しは考えていない。

 この辺境という風土を考えると、過度の宗教色は辺境の人々に警戒心を抱かせる可能性があるからだ。


「ええ、それなりに。と言っても非常に短いものですが」


「……よもやとは思いますが、『本日オープン記念につき大特価』ですとか、『先着百名様は固有職ジョブ資質の見料を無料に!』などといった、市井のお店が新規開店する時のような口上ではありませんな?」


「……だ、大丈夫です」


 その疑わしげな視線を浴びて、俺の背をつう、と汗が伝う。危ないところだった。変に商売っ気を出しておかなくてよかったなぁ。まあ、さすがの俺でもそんなこと言わないけどね。……ちょっと考えはしたけど。


 俺の様子から何かを感じ取ったのか、副神殿長はじっとこちらを見つめる。そしてしばらく沈黙した後、何かを思い切るように頭を振った。


「まあ、カナメ司祭が開殿の挨拶でそのようなことを口にするような人間であれば、プロメト神殿長も神殿長代理に任命することはないでしょうが……ですが、そもそも神殿長代理は、神殿の運営を商会の運営か何かと同一視している傾向が――」


 あ、やっぱり始まった。さすがはクルシス本神殿でも指折りの説教好きだな。本神殿では、多くの神官が彼にお叱りを受けていたものだ。

 だが、理不尽な八つ当たりをするようなことはないため、彼を苦手とする神官はいても、嫌っている神官はあまりいないのもまた事実だった。


 それに、なんと言っても彼は――。


「カナメ神殿長代理、聞いてらっしゃいますかな?」


 お叱りモードを流してそんなことを考えていた俺は、その言葉で慌てて我に返った。


「ええ、もちろんです!」


 慌てすぎたせいか、変なテンションで返事をしてしまう。当然ながら、この神殿の序列は俺が一位、オーギュスト副神殿長が二位なのだが、このお説教モードのこともあって、あんまり神殿のトップにいる気がしない俺だった。……まあ、気楽でいいんだけどね。


「そうですか……」


 俺の妙なテンションでの返事が幸いしたのか、副神殿長の勢いが弱まった。彼は咳払いをすると、その神経質そうな表情を少しだけ緩めた。


「とは言え、プロメト神殿長から話は聞いていますぞ。なんでも、『自分はクルシス神の教義や儀式、人々への説法といった本来業務については未熟者。ひいては口うるさい上級司祭を副神殿長に迎えたい』と上申したそうではありませんか」


 副神殿長の言葉は事実だった。転職ジョブチェンジ屋を営むのならともかく、俺が収まっているのはクルシス神殿だ。

 そう考えた時、一番気になったのは儀式や説法といった、神殿の本来業務のことだった。本神殿で受付部門と転職ジョブチェンジ部門しか経験したことのない俺にとっては、ほとんど未知の世界だからだ。


 となれば、そういった業務に精通している人間を連れて来るしかない。半年前に辺境へ帰って来て、そしてジークフリートとメリルから祝祷の儀式を依頼された時から、その思いはいっそう強くなっていた。


「……その若さで神殿長代理に任命されたとなれば、自分に親しい人間だけをルノール分神殿に集めて、神殿を意のままに運営したいと思うのも無理からぬこと。

 そこで自身を冷静に見つめて、苦手な人間を序列二位に迎えようとすることは、なかなかできることではありません」


「はぁ……」


 なんだろう、急に褒め始めたぞ。突然の流れの変化に対応しきれず、俺は目をぱちくりとさせた。そんな俺に向かって、オーギュスト副神殿長は珍しく笑顔を見せた。


「カナメ神殿長代理は口うるさいと思っているでしょうが、これでもあなたには期待しておるのですよ。……そして、だからこそ、私がおかしいと思ったことは遠慮なく指摘しましょうぞ。覚悟はよろしいか」


「ええ、望むところです」


 俺がそう答えると、オーギュスト副神殿長はさらに一歩近づいてくる。すぐ目の前に立った彼は、俺のほうへと手を伸ばした。

 それを不思議に思っていると、その手が俺の法服の肩口を引っ張る。どうやら変にシワになっている部分を直してくれたようだった。


 なるほど、これから重要な晴れ舞台だからな。身だしなみは重要だ。……って嫁か! そんな俺の心のツッコミが届くこともなく、彼は満足げに頷いた。


「ふむ、こんなものでしょう。……それではカナメ神殿長代理、頼みますぞ」


 彼は身を翻すと、コツコツと規則的な足音を響かせながら去って行った。……説教は多いけど、副神殿長なりに気を遣ってくれてるんだよなぁ。彼の後ろ姿を見ながら、俺はそんなことを考える。


「あ、カナメ! 大変よ!」


 と、そんな俺に焦ったような声がかけられる。声の主に向き直ると、彼女――クルネは、困ったような表情を浮かべていた。


「どうしたんだ?」


 このタイミングで事件だろうか。だとしたら間が悪いにも程があるが……。


「それが、ラウルスさんが来れなくなりそうなの。さっき救援の狼煙が上がっているのを見たわ」


「なんだって!?」


 本当に間が悪い話だった。なぜなら、ラウルスさんはルノール村のフォレノ村長と一緒に開殿に立ち会ってくれることになっていたのだ。『辺境の守護者』との親密な関係をアピールすることは、イメージ戦略としても重要な意味合いを持っていただけに残念だ。


「狼煙の色からすると、緊急ではあるけれど、モンスターの規模は大きいものじゃなさそう。固有職ジョブ持ちがいない村だと思うわ」


 クルネの言葉に頷く。それなら、この村から救援を送る必要はなさそうだな。俺はすぅ、と深呼吸をしてから口を開く。


「仕方ないな。クルネ、悪いが他のみんなにも知らせておいてくれるか? ラウルスさんは抜きでやろう」


 俺はできるだけ落ち着いた口調で話しかけた。


 ここは辺境だ。突発的なモンスターの襲撃は珍しいことじゃないし、いちいちそれに振り回されるわけにはいかない。これからもここでやっていく以上、その心構えを持っておく必要があった。


 どのみち、ラウルスさんがいなくてもやることは変わらない。俺がほんの二言か三言、口上を述べるだけだ。そう伝えると、クルネは納得したように頷いて姿を消した。みんなに知らせに行ってくれたのだろう。


――さて、そろそろだな。


 俺は意識を切り替えると、神殿の正門へと足を向けた。




 ◆◆◆




「はじめまして、このクルシス神殿にて神殿長代理を務めているカナメ・モリモトと申します。この度、このルノール村に神殿を開き、そして皆様とのご縁ができましたことを、我ら神官一同心より嬉しく思っております。

 当神殿では、様々な祈祷や相談ごと、そして転職ジョブチェンジ業務など幅広く受け付けていますので、遠慮なくお越しくださいね。

 ……この神殿が、皆様が幸せに生きるための一助となることを願っております」


 俺はそう告げると、厳かに聖印を切った。オーギュスト副神殿長に鍛えられた右手は、しっかりと鍛練の成果を出してくれたことだろう。


 目の前には、俺たちの予想を超える人たちが集まっていた。もちろん、王都の本神殿で転職ジョブチェンジ業務を行った時に比べれば微々たるものだが、王都と辺境の人口比を考えれば、驚異的なレベルだろう。


 無数の視線を感じながら、俺は自らの顔に笑顔を貼り付けた。いつもの笑顔ではなく、もっと神官らしい、慈愛に満ちた笑顔を浮かべようと表情筋を駆使する。その甲斐あってか、居並ぶ人々の表情は比較的好意的であるように見えた。


「本殿のエントランスに受付を置いていますので、恐れ入りますが御用の方はまずそちらへお越しください。担当の部署へご案内します。

 また、本日は開殿初日ということで、本殿や庭を開放しております。もちろん立ち入り禁止の箇所はありますが、それ以外はご自由にご覧ください。その場合は受付を通さなくて結構です」


 必要事項を伝え終わると、正門の中央に立っていた俺は、待っていた人々を誘導しながら本殿へと戻る。受付はシュレッド侍祭が担当してくれる手はずになっていた。

 俺の後ろからついて来ていた人たちが、受付へと殺到する。


「すみません、一列に並んでもらえますか! 順番にお伺いしますからね!」


 本神殿でも受付部門にいたシュレッド侍祭は、慣れた様子で来殿者に対応していく。それを確認すると、俺は自分の持ち場へと急いだ。もちろん神殿長室ではなく、転職ジョブチェンジの儀式の間だ。


 確認のため儀式の間に入ると、宇宙を思わせるような光景が広がる。本神殿の『判定の間』に使われていた、ミレニア司祭お手製の魔道具の効果だ。辺境では、これを儀式の間として使うことにしたのだった。


 まずは手前の判定の間――という名の談話室だが――で資質の有無を判定し、転職ジョブチェンジするようであれば奥の儀式の間へ通すという流れだ。本神殿でやっていた頃に比べれば、非常に単純化されたと言える。


 ちなみに、資質の判定については、転職ジョブチェンジ屋時代のような対面式を採用してみた。もはや転職ジョブチェンジの神子としての顔は割れているし、本神殿のように大量の人員がいるわけでもない。また、人口の関係で膨大な数のお客さんが訪れることもないだろう。

 そう考えると、対面式で充分だと思われた。一応、ミレニア司祭の魔道具で安全確保措置も講じてはいるしね。


 今日は何人くらいの転職ジョブチェンジ希望者がいて、そのうちの何人を転職ジョブチェンジさせることになるだろうか。そんなことを考えながら、俺は扉を注視する。


 ルノール分神殿の初日は、こうして幕を開けた。




 ◆◆◆




「次の方をお通しします!」


「ええ、お願いします」


 俺が返事をすると、それに応えるように二つの人影が扉から姿を現す。うち一人は転職ジョブチェンジ希望者、そしてもう一人はクルネだ。彼女はお客さんを椅子に座らせると、身を翻して転職ジョブチェンジ希望者の待合室へと戻っていく。


 護衛として雇用されているクルネではあったが、想定を超えるお客の多さに協力を申し出てくれたのだった。さすがは転職ジョブチェンジ屋の元店員だけあって、特に打ち合わせがなくても上手に来殿者を捌いてくれているようだった。


「ようこそ、クルシス神殿へ。転職ジョブチェンジをご希望ですね?」


「は、はい!」


 俺がそう声をかけると、机をはさんで向かい合っている男性は、緊張した様子で言葉を返してくる。おそらく、生粋の辺境民ではなく最近移住してきた人だろう。彼は背筋を伸ばして、俺をまっすぐに見つめる。


 そんな彼から視線を外すと、俺は手元の水晶球に意識を集中する……フリをした。実際にはただの小振りな水晶でしかないのだが、ミレニア司祭の技術のたまもので、たまに光が瞬く特別仕様だ。もちろんハッタリ以外の要素は皆無だが、やはり見料を取る以上、これくらいの演出は必要だろう。


「……残念ですが、現時点で貴方に発現している固有職ジョブ資質はありません」


「そうですか……」


 俺の言葉を聞いて、青年ががっくりと肩を落とす。俺のカウントが間違っていなければ、彼はちょうど二十人目の希望者ということになるが、今のところ資質持ちは一人だけだった。


固有職ジョブを得ることができれば、暮らしが上向くのではないかと思ったのですが……」


 青年は暗い顔のまま呟く。とは言え、俺が同情したところで固有職ジョブ資質の有無はどうすることもできない。


 今日は初日ということもあり、転職ジョブチェンジ希望者の多くはルノール村や近隣の村々に住む人々が多いはずだが、王都に比べると、固有職ジョブ資質がないことを知った時の落ち込みようが激しいように見えた。


「……何か悩み事があるようでしたら、相談していかれますか? 私は転職ジョブチェンジ業務がありますので、別の神官になりますが……」


「え、でも……」


 俺の提案を聞いて青年は戸惑った声を上げる。


「もちろん、無理にとは申しません。必ず悩みを解決できるとも言えませんしね。それでも聞いてほしい、誰かに相談したい、ということがあればまたお出でください」


「……はい、ありがとうございます」


 青年はぺこりと頭を下げると、椅子から立ち上がった。扉が開くのを察知したのだろう、外で待ち構えていたクルネが青年を誘導する。そして、すぐに新しい転職ジョブチェンジ希望者が部屋に入ってくる。


「ようこそ、クルシス神殿へ。転職ジョブチェンジをご希望ですね?」


 本日二十一回目となる定型文を口にしながら、俺は次の希望者の顔を見る。……あれ? 彼女、どこかで見たような……。


「神子様、ご無沙汰しております。ご挨拶が遅れて申し訳ありませんでした」


 そう言って彼女は丁寧に頭を下げた。……えーと、誰だったっけな。


「神子様からお借りした神具と、オネスティに授けてくださった固有職ジョブのおかげで、一人の脱落者も出さずに辺境まで辿り着くことができました」


 その言葉を聞いて、俺はようやく彼女のことを思い出した。半年前、巨大怪鳥ロックで辺境に向かっている途中で助けた人たちの一人だ。名前はエメローナさんだったか。


「お久しぶりですね。皆さんが無事で何よりです」


 そう言えば、この人の相棒を剣士ソードマン転職ジョブチェンジさせたんだよな。で、この人はたしか……。


「神子様にお言葉を頂いて以来、できるだけ弓の修練に努めてきました。……どうでしょうか?」


 そう、エメローナさんには弓使い(アーチャー)の資質が発現する兆候があったのだ。主に剣で戦っていた彼女に対して、弓の修練を積めば固有職ジョブ資質が発現するかもしれないと、そうアドバイスしたのは俺だった。


 同じく資質の兆候が見られたアルバート司祭が実際に破砕者クラッシャー転職ジョブチェンジしたことを考えると、あのアドバイスは間違っていないはずだが……。


 そんなことを思いながら、俺は彼女の資質を視る。以前に、素の状態で資質を視たり転職ジョブチェンジさせたりしたことがあったので、水晶球の小細工はなしだ。


 その結果に、俺は思わず笑顔を浮かべた。


「おめでとうございます、さぞ努力なさったのでしょうね」


「そ、それじゃ……!?」


 喜びを隠しきれない彼女に向かって、一通の契約書を差し出す。それは、半年前に彼女の相棒にも書いてもらったものだ。彼女は震える手で書類を受け取ると、躊躇いなく署名する。


「神子様、本当にありがとうございます! これであの人だけに危険な思いをさせずにすみます……っ!」


 感極まったのか、エメローナさんは瞳に涙を浮かべていた。そんな彼女を直視するのが照れくさくて、俺は早々に転職ジョブチェンジの力を行使する。


 辺境に新たな弓使い(アーチャー)が誕生したのは、その直後のことだった。




――――――――――――――




「なあ、本当だと思うか?」


「『辺境の守護者』がそう言ってるんだろ? なら本当だろ」


「それに、ジークフリート君だって公言してるしな」


「聞いたぜ、もう一度転職(ジョブチェンジ)したんだって?」


 耳を澄ませるまでもなく、そんな会話が聞こえて来る。おそらく、友人同士で誘い合って来たのだろう。


 後ろの和気藹々としている様子から、辺境の住民ソリストはそう判断していた。


 転職ジョブチェンジの神殿がこの地に開かれると聞いた時、それを特に歓迎したのは、ソリストのように辺境へ移住してきた移民たちだ。


 その中でも、仕事が未だに決まっていない者の転職ジョブチェンジにかける意気込みは強く、ここ数日はそれ以外の話題を聞いた記憶がないほどだ。

 固有職ジョブを得ることが叶えば、穀潰しから一転して英雄になることができるのだ。それに夢を見るなと言うほうが無理な話だった。


「しかし、長い行列だな……」


 ソリストはふと呟いた。開殿の時間に間に合わなかったとは言え、まだ朝と呼べる時間帯だ。それにもかかわらず、行列は本殿の玄関から溢れ、それどころか正門をも超えている。


 そして、それだけの人数が綺麗に行列を作っているのは、正門付近で列を形成している人物の影響が大きかった。


「みんな、ちゃんと並んでくれよ! 順番飛ばしはなしだからな!」


 それは、先程後ろで話題になっていた治癒師ヒーラーのジークフリートだ。いや、今では別の固有職ジョブ転職ジョブチェンジしたのだったか。

 彼はクルシス神殿の人間ではないはずだが、自発的に列の整理を買って出ているようだった。ただの列の整理に固有職ジョブ持ちを使うなど、本来ならあり得ない話だが、それも彼を転職ジョブチェンジさせた人物が神殿の主であるというのなら頷ける。


 そうして、列に並んでどれくらい経っただろうか。ソリストは本殿までもう少しのところに来ていた。そこから周囲を見回すと、石壁に囲まれた庭が目に映る。


 石壁のすぐ外はシュルト大森林ということもあり、一見するとなんの違いがあるのかと思ってしまうが、やはり天然の緑と人の手が入った緑は別物だ。配置を計算された木々や、綺麗に刈り込まれた下生えを見れば、それはおのずと理解できるだろう。


 そんなことを考えていたソリストは、妙な音が近づいてきていることに気が付いた。まるで虫の羽音のようなその音は、石壁の向こうから聞こえてくるようだった。


「なんだありゃ!?」


 誰かがそう叫んだのと、ソリストがその存在に気付いたのは同時だった。彼の視界に移ったのは、全長二メートルは下らないであろう巨大な甲虫だ。その姿を見た行列の各所から、悲鳴やざわめきの声が上がる。


 虫系のモンスターは、身軽な代わりに個々の脅威度はそう高くない。毒針を持つ巨大蜂ジャイアント・ビーのように、特殊能力を持っているものを別にすれば、辺境に出現するモンスターとしては最下級だと言えた。


 だが、それはあくまで相対的に考えれば、という話だ。一般人が全長二メートルの甲虫に襲われた場合、命を失うことは決して珍しい話ではなかった。


「みんな下がってくれ!」


 と、誰か気の利く人間が連絡したのだろう。やがて、正門のほうからジークフリートが駆けつけてくるのが見えた。その姿を見て、周囲にほっとした空気が漂う。彼が級外モンスターに後れを取るとは誰も考えなかったからだ。


 すると現金なもので、モンスターから距離を取っていた行列は、一転してジークフリートの戦いを観戦する構えに移行していた。

 それなりの距離は取っているが、危険が及ぶ範囲なのは間違いない。それでも彼らがそこを離れないのは、ジークフリートが治癒魔法の使い手だと知っているからだろう。最悪、巻き添えを喰らっても治療してもらえるという気楽な考えだ。


 だが、ジークフリートと甲虫モンスターの戦いを期待していた観衆たちは、呆気にとられることになった。なぜなら――。


「キュッ!」


 突然現れた白い影が、モンスターを瞬く間に吹き飛ばしたからだ。全長三十センチほどの白い体躯、柔らかそうな毛並、そして愛らしい瞳と特徴的な長い耳を備えた存在。それが、その影の正体だった。


「え、あれ、兎……だよな?」


「ああ……かわいいな……」


「いやそうじゃなくて! 普通に考えておかしいだろ! どこの世界にモンスターを吹っ飛ばす兎がいるんだよ!?」


 そんな会話が後ろから聞こえてきたが、ソリストもまったくの同意見だった。幻覚でも見たのだろうかと、甲虫モンスターの飛んで行ったほうへ目をやれば、まるで爆散したかのような虫の残骸が石壁に叩きつけられていた。やはり、今見た光景は現実のものだったのだ。


 その一方で、信じられない力を見せつけた兎はと言えば、何事もなかったかのように草を食んでいた。そののんびりとした仕草を見ていると、とても先程と同一の存在には見えなかった。


「お! キャロちゃんがモンスターを倒してくれたんだな! ありがとな!」


「キュキュッ!」


 だが、ジークフリートはそんな兎と旧知の仲であるようだった。彼と兎のやり取りを聞いて、『ただ呆然と兎を眺める会』と化していた観衆たちは、ようやく我を取り戻したようだった。


「やっぱりあの兎がモンスターを……?」


「いや、でも聞いたことがあるぞ。転職ジョブチェンジの神子には、やたら強い聖獣が付いているとか……」


「聖獣……兎だぞ?」


「あれだけ強けりゃ、種族なんてどうでもいいだろ」


「俺たちの味方だってんなら、なんだって大歓迎だぜ!」


「撫でてみてえ……」


 彼らの話題に上っていることを知ってか知らずか、兎はただ悠然と日向ぼっこを続けるのだった。




「やはり固有職ジョブ資質はなかったか……」


 神殿を後にしたソリストは、誰にともなく呟いた。あわよくば、との思いで訪れた神殿だったが、そううまく事が運ぶわけはなかった。


 となれば、また仕事を探さなければならない。クルシス神殿の建設作業が行われていた時には、そこで日銭を稼ぐこともできたのだが、今やその神殿はこうして立派に完成している。


 神殿の建設は降って湧いたようなありがたい話だったが、それに代わる仕事などそうあるものではなかった。そんなことを考えながら歩いていると、仕事で忙しそうにしている村人たちが非常に妬ましく見えてくる。


 彼らに非はないのだと自分に言い聞かせながら、共同住宅に帰る足取りは非常に重いものだった。


「……おや、そこの方。そんなに浮かない顔をしてどうかしましたか?」


 と、歩くソリストに声がかけられる。声の主に視線をやるが、どうにも見覚えのない顔だった。訝しげな表情を浮かべたソリストに対して、中年の男は少し声を落として言葉を続ける。


「いえね、あなたが辛そうなお顔をしているのが気になったものですから。……ひょっとして、あなたも仕事がなくて困っているクチではありませんか?」


「ぬ……」


 図星をつかれたソリストは動揺した。仕事が嫌で逃げ回っているわけではないが、無職であり肩身の狭い思いをしているのは事実だ。そんな彼に男は畳み掛ける。


「実は、いいお話があるのですよ。誰にでもと言うわけではありませんが、あなたなら大丈夫でしょう」


「それは、仕事を紹介してくれるということか?」


 男の言葉に対して、ソリストは間髪入れずそう訊き返した。すると、男は曖昧な笑みを浮かべて口を開く。


「そうですね……。直接的にお仕事を紹介する、というわけではありませんが、結果的にはそういうことになります」


「話が見えにくいのだが……」


 はぐらかすような物言いに引っ掛かりを感じたソリストは、相手に気付かれないように警戒レベルを引き上げた。以前に住んでいた村で、この手の話し方をする人間に痛い目に遭わされた記憶があったのだ。その時の相手は、言を左右して不良品を掴ませた悪徳商人だったが……。


「実はですね、生まれつきの辺境民が独占している仕事を、我々移住民にも広く開放するべきだと、私たちはそう考えているのです。

 こうして話していても、あなたが優れた人物であることは分かります。それにも関わらず、なぜ仕事に就けないのか? それは、辺境民が不当に仕事を独占しているからにほかなりません」


「それは……」


 ソリストは口籠った。彼と同じ村から来た移住民の中には、目の前の男と同じような主張をする人間も増えてきている。それを、仕事が見つからない焦りや憤りの転嫁にすぎないと、そう言い切れるほどソリストは恵まれた環境にいるわけではなかった。


「あなただって、前に暮らしていた村では立派にお仕事をしていたのでしょう? なのに、場所を変えただけで無能扱いされて職にも就けない。おかしいとは思いませんか?」


 その言葉は、ソリストの胸に染み込んでいった。険しい雇用市場の中で荒み、自己嫌悪や自己否定と戦いながら生きている彼にとって、それはまさに甘露とでもいうべきものだった。


 そんな彼に男は囁く。


「あなたのように能力のある方が、今のような不遇に甘んじていいはずがありません。……私たちは、あなたの助けになりたいのです」


「……少し、考えさせてくれ」


 男に抗うように、ソリストは声を絞り出した。今すぐ彼に賛同したいという心と、この男は危険だという直感がせめぎ合う。


「……分かりました。決心がつきましたら、また私にお声掛けくださいね。いつでもお力になりましょう」


 男は意外なほどあっさり引くと、そう言って踵を返した。その背に声をかけたい気持ちを押さえつけて、彼はその場に立ち尽くす。


 彼が再び歩き出すまでには、実に一刻もの時が必要だった。




――――――――――――――――




【クルシス神殿長代理 カナメ・モリモト】




 ルノール分神殿の会議室。そう広くない造りの部屋には、六名の人物が腰掛けていた。それはもちろん、クルシス神殿の神官五人と、そして護衛のクルネだ。

 開殿初日の業務を終えた俺たちは、こうして情報の共有を行っていたのだった。


「――それでは、想定以上に転職ジョブチェンジ希望者が多かったということですな?」


「ええ、そうですね。とは言え、開殿当初の来殿者はこのルノール村か、近隣の村々に住む人々が大半でしょう。正直に言ってしまえば、長期的な数字の予測には役立ちません」


「ねえ、少しいいかしら」


 俺がそう発言すると、次いでセレーネが口を開いた。彼女の役割は、基本的に施設の維持管理や物品管理といった総務っぽい部分なのだが、今日は来殿者でごった返していたせいで、色々なところに応援に行ってくれていたようだった。


「来殿者なのだけど、移住民の割合が相当に多かったように思えたのよね……カナメ君はどう?」


「セレーネ侍祭。『カナメ神殿長代理』だ」


「あら、ごめんなさい。カナメ神殿長代理」


 すかさず訂正を入れるオーギュスト副神殿長とセレーネのやり取りを聞き流しながら、俺は今日の出来事を思い返していた。


「たしかに、移住民のほうが多かった気がするな。そもそもこの辺りの人は、俺が転職ジョブチェンジ屋をやっていた時代からいる人だし、興味のある人はその時に来ているだろう」


 そう答えながらクルネを見ると、彼女は俺の言葉に頷きを返してくれた。辺境歴半年の俺の目はともかく、彼女がそうだと言うからには、やはり移住民の割合が多かったのだろう。


「で、それがどうかしたのか?」


「ううん、明確にどうというわけじゃないのよ……」


 俺の問いかけに、セレーネは言葉を濁す。すると、その言葉を継ぐようにオーギュスト副神殿長が口を開いた。


「……ふむ。セレーネ侍祭が言いたいことはこういうことではないかな? 『元々の辺境の民と、移住してきた人間の間には感情的対立がある』と。……実は、私も気になっていたのでね」


「え……」


 副神殿長の言葉を聞いて、クルネがショックを受けた表情を浮かべた。ここにいるメンバーの中で、生粋の辺境民はクルネだけだ。それだけに、一人でその言葉を受け止めてしまったのかもしれない。


「クルネ。あくまで推論の範疇だし、もしそれが事実だとしても、クルネが一人で背負いこむようなことじゃないからな」


 俺は慌ててフォローを入れるが、彼女の表情は晴れないようだった。


「相談業務を通じて気付いたことだが、仕事や慣習、食文化、そして生についての考え方など、両者の間に横たわっている溝は想像以上に深く広いようだ。

 今は元々の住人である辺境民のほうが圧倒的に力を持っていることもあり、特に表面化していないようだが、このままでは……」


「両者が衝突する可能性もあると?」


「異なる文化が接触しているのですからな。多少の軋轢は当然でしょう。ですが、ボタンを掛け違え続けた結果、大惨事という可能性もあります。注意しておくに越したことはないでしょう」


 その言葉に俺たちは頷いた。そう言えば、以前にフォレノ村長も似たようなことを言っていた気がするな。少なくとも、問題意識を持ってくれているということで、それはありがたいことだった。


「ただし、我々が口を出すのはいささか困難な状況ですな」


「ええ、私たちも移住民派だと思われているでしょうからね。この神殿で、生粋の辺境民はクルネだけです。しかも、彼女はあくまで護衛。

 となれば、彼らに私たちの言葉が届きにくい可能性は充分考えられます」


 クルネが俯くのが見えたが、これは認識しておくべき現実だった。自分の立ち位置を把握していないと、思わぬところで足をすくわれる可能性が高いからな。


「理想は、辺境民でも移住民でもない、密接な第三者として両者に関わることでしょうが、今の段階では難しいと思います」


「じゃあ、どうするの?」


 俺の言葉に対して、セレーネが言葉を投げてくる。まだ若いシュレッド侍祭や、政治的な話にはあまり興味がないエンハンス助祭と違って、彼女は学友ならではの気安さで声をかけてくれる。

 オーギュスト副神殿長からすると「序列をわきまえるべきだ」ということなのだが、俺としてはありがたい話だった。


「さすがに、俺たちの出身地をどうこうするわけにはいかないからな。言動の中立性を保つのは当然としても、まずはラウルスさんやフォレノ村長といった、辺境民の有力者との親密さのアピールかな。あと、辺境民を神殿スタッフとして雇ってみようと思うんだが……」


 厳密に言えば神官ではないが、神殿のスタッフは場合によっては階位を授かって神官になることもある。クルシス神殿の構成員と言って差し支えないはずだった。


「ただ、その場合には『辺境民が仕事を独占している』という認識に拍車をかける可能性がありますぞ」


「そうなんですよねぇ……」


 オーギュスト副神殿長の指摘を受けて、俺は素直に苦笑を浮かべた。ただでさえ仕事が少ない辺境だ。クルシス神殿の雇用枠は、それなりに注目されている可能性があった。


「同数を雇うのが穏当でしょうか」


 何も、一人をべったり長時間拘束する必要はないのだ。一人分の仕事を二人分に分けてもいい。大人はともかく、若い人間ならそういった働き方にも需要はあるだろう。


 様々なことに頭を悩ませながら、開殿初日の夜は更けていった。


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