任命
【クルシス神殿助祭 カナメ・モリモト】
「ほう、アイゼン王子がそのようなことを言っていたか……」
アイゼン王子から、辺境行きを遅らせるよう警告を受けたことを報告すると、プロメト神殿長は興味深そうに呟いた。
「はい。アイゼン王子の性格からすると、大した根拠もなくそのようなことを言い出すとは思えないのですが」
そんな俺の言葉に、神殿長は分かっていると言うように頷く。
「我々クルシス神殿とアイゼン王子は極めて良好な関係を築いている。現時点で我々を陥れても王子に利益はあるまい。
それに、陥れられたとなれば我々も黙ってはいない。少なくともアイゼン王子の求心力が低下するのは必至だ。まさに勢力を拡大している最中の王子が、そのような愚を犯すとは思えんな」
そうなんだよなぁ。クルシス神殿が公にアイゼン王子との関係をアピールしているのは、なにも仲良しごっこをしたいだけではない。彼がクルシス神殿を陥れると、自身へもダメージが返ってくるような環境を作り上げているのだ。
神殿長がちょくちょく俺をアイゼン王子の館へ赴かせるのもその一環だろう。俺はそう判断していた。
「となると、余計に王子の言葉が気になりますね……」
「たしかに気にはなるが……現時点では特に心当たりがないな。親しくしているアイゼン王子ですら、そこまでしか情報を開示しなかったのだ、他のツテを当たっても成果は見込めまい」
「では、辺境の神殿建立は計画通りに……?」
「……うむ。気になるのは事実だが、不確かな情報で中断できるタイミングではない。今から計画を中断するとなれば、金銭的な損害だけではすまないだろうからな」
それはそうだろう。俺なんかに任せているせいで今一つピンと来ないが、これはクルシス神殿の威信を賭けた大勝負なのだ。どの宗派も失敗してきた、辺境への宗派施設の設置を成功させることは、統督教内部でのパワーバランスに大きな影響を与えるはずだ。
そしてそれは、この計画が頓挫するようなことがあればクルシス神殿の威信に傷がつくということでもあった。
「そうですね」
俺は素直に頷く。自分でも調子に乗っているとは思うが、辺境にはラウルスさんやジークフリートを始めとした信頼できる固有職持ちが揃っているからな。あまり苦労するイメージは浮かばなかった。
「カナメ助祭にはクルネ君と聖獣がついている上に、噂に聞く『辺境の守護者』との関係も良好と聞いた。心配はあるまい。万が一の事態が起きた場合には、クルシス神殿として組織立って対応する」
「ありがとうございます」
きっぱり言い切ってくれた神殿長に対して頭を下げる。王都と辺境の間には馬車で一月という距離の隔たりがあるが、それでもそう言ってくれるのは嬉しいものだ。
俺がそんなことを考えていると、プロメト神殿長はついでに、とばかりに口を開いた。
「……そうだった。カナメ助祭、何か差し迫った用事はあるかな?」
「いえ、明日の転職業務の準備はありますが、そう急ぐ話ではありません」
「そうか。……ならば、少し付き合ってもらおう」
その言葉と共に、プロメト神殿長は椅子から立ち上がった。それに合わせて立ち上がると、俺は素直に疑問を口にする。
「どちらへ行かれるのですか?」
すると神殿長は事もなげに口を開いた。
「神像の間だ。……カナメ助祭を昇階させねばならんからな」
◆◆◆
「……テイラー・マクダニル助祭」
「はい」
神殿長の厳かな言葉に応じて、一人の神官が彼の前に進み出る。それは、俺が神学校生としてこのクルシス神殿を訪れた時に、いろいろと案内してくれたテイラーさんだった。その姿を見て、俺は一人納得する。
業務が被ることはなかったため、直接一緒に仕事をしたことはないが、人伝手に聞いた話ではやはり優秀な人だったらしい。まだ二十代のはずだから、司祭への昇格は極めて早い部類に入る。
テイラーさんはベルゼット元副神殿長の一件以来、助祭ながらもかなりの働きを見せていたようで、そこが評価されての昇階だった。
そう、昇階の対象者は俺だけではなかったのだ。この場には、俺以外にも数人の神官……というか先輩たちが並んでいた。その割に、こんなイベントがあるなんて初めて聞いたんだが……あれかな、辺境から戻ってくるかどうか微妙だったから適当な扱いだったんだろうか。
俺がそんなことを考えていると、神殿長が一歩進み出た。
「本日をもって、司祭に昇階させる。今後もクルシス神への理解を深めるとともに、自己研鑽に励むことを期待する。汝の道程にクルシス神の加護があらんことを」
「謹んでお受け致します」
テイラーさんは聖印を切ると、一礼して元の位置に戻る。そうして、その場にいる面々が次々に名前を呼ばれていく。
「……カナメ・モリモト助祭」
「はい」
その言葉に応えて、俺はプロメト神殿長の下まで進み出た。
「本日をもって、司祭に昇階させる」
その言葉をきっかけとして、後ろにいた先輩たちから驚きの気配が伝わってきた。本来なら、助祭の俺がここにいる以上は、一つ上の位階である司祭に昇階するのは考えるまでもない。
だが、俺がクルシス神殿に入ったのはここ一、二年の話でしかない。そんな若造が、通常なら十年から二十年はかかる司祭位に昇階するとなれば、やはり驚きもするのだろう。
……そして、それは俺も同じことだった。たしかに転職の神子とかいう大層な二つ名があったり、転職能力でそれなりの収益を上げている自覚はあるけど、司祭はまだ早いんじゃないかなぁ……。なにより、人間関係的な意味で面倒くさい予感がする。
そんなことを考えた俺だったが、その思考がまだまだ甘いものだと知ったのは直後のことだった。
「併せて、ルノール分神殿の神殿長代理を命ずる」
「……はい?」
「今後もクルシス神への理解を深めるとともに、自己研鑽に励むことを期待する。汝の道程にクルシス神の加護があらんことを」
明らかに疑問符がついていた俺の声をさらっと無視して、神殿長はお決まりの文言を口にした。そして、「返事はどうした」と言わんばかりの視線が俺を射抜く。
「……謹んでお受け致します」
頭の中で色々な可能性を考えた俺は、とりあえず受諾の意を示すことにした。聖印を切ると、軽く頷いた神殿長に一礼して、元の場所へ戻るべく後ろを向く。すると、居並んでいる先輩たちの唖然とした表情が目に入った。……まあ、その気持ちはよく分かる。
みんな神官だし、誰もが出世欲に駆られているというわけではないだろうが、「ぽっと出の能力しか取り柄のない馬鹿が、優秀な俺様を差し置いて神殿長代理だと……!」みたいに思われる可能性は否定できない。
これはもう、「予想外のことで凄く動揺してますよ! 調子に乗ってなんかいませんよ!」的な表情を浮かべておくしかないな。内憂外患なんてごめんだ。
俺はそう判断すると、今まで鍛えに鍛え抜いた表情筋をフル稼働させた。
◆◆◆
「あの……プロメト神殿長? 先程のアレは本当のことなんですか?」
俺が神殿長室を訪ねたのは、神殿長代理という謎の役職を命じられた直後のことだった。
「アレとはなんのことだね」
「もちろん、神殿長代理に任じられたことです」
とぼけたように答える神殿長に対して、俺はきっぱりと言葉を返す。すると、神殿長はどこか面白がっている表情で口を開いた。
「ふむ……やはり神殿長代理ではなく、神殿長のほうがよかったか」
「どうしてそうなるんですか! ……ええと、私のようなキャリアの短い神官が就く役職ではないと思いますが」
思わず入れたツッコミは、意外に大きな声となって神殿長室に響いた。そんな俺に対して、プロメト神殿長はいつもの落ち着き払った声色で答えを返す。
「……理由は複数あるが、何より大きな理由として、ルノール分神殿の特殊性が挙げられる。当然ながら、分殿の業務や収益の大半は、カナメ司祭の転職能力に依存している。つまり、君抜きでは運営は成り立たない」
「それは理解できます」
俺の相槌を受けて、神殿長はゆっくり頷いた。
「その状況下で、君の上に立ちたいと思う人間などそうはいるまい。組織の長が逐一部下にお伺いを立てねばならない環境など、長からすれば苦労の種でしかないからな。
そして、そのような組織は意思決定の速度が遅くなる。それは突発的な事態への対応が遅くなることと同義だ。つまり、予想だにしない問題が噴出するであろう新神殿の運営組織としては不適当だ」
その言葉に異論はなかった。……どうやらプロメト神殿長の中では、予想だにしない問題の噴出は確定事項のようだ。いや、俺もそんな気はしてたけど、そう断言されるとさすがに悲しいものがあるな。
「もちろん、そういった状況でも調整役として活躍できる人材はいるが、そういった気遣いのできる人間は、その辺りにまで考えが及ぶからな。胃が痛くなりそうだと全員に断られてしまったよ」
「私が言うのもなんですが、その人たちの気持ちは分かる気がします……」
俺はしみじみと呟いた。かと言って、神殿長の椅子にふんぞり返って楽をしたいだけの人間なんて絶対にごめんだが。
「それにだ。カナメ司祭以外の神官が突然現れて、神殿長だと名乗りを上げたところで、辺境の人々が素直に受け入れてくれるとも思えん」
まあ、それは確かになぁ……。一緒に辺境へ行ったアルバート司祭ですら、顔を覚えられているかは微妙なところだろうし。
そんなことを考えていると、ふと新しい疑問が浮かぶ。
「ところで、あくまで私は神殿長代理なのですよね? 誰の代理なのですか?」
冷静に考えれば当たり前の話だった。主役もいないのに代理を立てるわけにはいかないだろう。すると、神殿長は間髪を入れずに答える。
「私だ」
「プロメト神殿長ですか!?」
「カナメ司祭も自分で言っていたように、君のキャリアは非常に浅い。そのため、対外的な面を考慮して、私がルノール分神殿の神殿長を兼任することとした。下手な者に神殿長を任せて、分殿を引っ掻き回されても困るからな」
なるほどなぁ。名目だけの神殿長が急にやって来て、ああしろこうしろと言い始められるのは迷惑だしな。他のクルシス神殿の幹部クラスとは面識がないけど、プロメト神殿長の口ぶりからするとギラギラした人もいるのだろう。
「司祭に昇階させたのも同様の理由だ。今は対外的に特別司祭を名乗っているが、クルシス神殿内部での序列が助祭のままでは何かと不都合が出るからな。
幸い、このクルシス神殿には功績を上げた者を早めに昇階させる風土がある。それでも過去に例のない昇階ではあるが、カナメ司祭の実績も過去に例のないものだ。なんとでも説明はつくだろう。
……それに、いつまでもベルゼット元副神殿長が最短昇階記録保持者では格好がつくまい」
最後の一言はプロメト神殿長なりのジョークだろうか。今一つ判断がつかなかった俺は、曖昧な笑みを浮かべることにした。そしてその代わりに別の疑問をぶつける。
「私が独裁体制を敷いて、好き勝手するとは思われないのですか?」
「君がそのような人間であれば、ルノール分神殿の人選にあのような条件はつけるまい」
神殿長の回答に俺はおし黙った。そんな俺を見て神殿長は言葉を続ける。
「なに、そう気負う必要はない。あくまで最高責任者は私だ。それに、ルノール分神殿は神殿としての格を低めに設定してあるからな」
その言葉に俺は頷いた。このクルシス本神殿は、分殿である他のクルシス神殿よりも格が高い。そのため、そこに勤める神官たちの階位にもズレが生じてくるのだ。例えば、クルシス本神殿の助祭は他のクルシス神殿での司祭級に相当する。
つまり、クルシス神殿の幹部職に就くことが可能なのは、クルシス本神殿の上級司祭以上の人物であり、司祭の俺がいくら背伸びをしたところで、他のクルシス神殿では上級司祭止まりだった。
そんな俺が、代理とは言え神殿長格に据えられているのだ。格を釣り合わせるためには神殿のほうの格を下げるしかなかったというわけだ。……俺の階位をこれ以上上げるわけにはいかないしな。
「とは言え、一般の人々には神殿の格付けなど関係ない。この本神殿も、ルノール分神殿もクルシス神殿として見られる。言うまでもないだろうが、立ち居振る舞いには気を遣ってもらいたい」
「もちろんです」
俺の返事を聞くと、プロメト神殿長はいくつかの書類を俺に差し出す。一番上の書類にざっと目を通すと、ルノール分神殿開設のための申請書であることが分かった。
「それでは、カナメ神殿長代理に最初の仕事だ。正式に任命した以上、今後のルノール分神殿に係る業務については、君の名前で書類を作成する必要があるからな。よろしく頼む」
統督教や王国への届出はギリギリに出してすぐ通るようなものではない。神殿長代理だけを先に任命したのはそのためだ、とプロメト神殿長が追加で説明してくれるのを聞きながら、俺は手に持った書類を読み込んでいった。
◆◆◆
クルシス神殿筆頭司祭ミレニア・ノクトフォール。彼女の執務室は、足の踏み場もないほど怪しげな道具で溢れていた。
「あら、カナメ君じゃない。……ソファーへかけてくれるかしら」
「失礼します」
ミレニア司祭に挨拶を返すと、俺は進路を阻んでいる大きめの箱を跨いでソファーへと向かう。乱雑に道具が積み上げられているせいで、数メートル先のソファーまでの道のりがとても長く感じられた。
「ひょっとして、これって……」
「ええ、カナメ君に頼まれていた、ルノール分神殿を防衛するための魔道具よ」
俺の呟きに答えながら、ミレニア司祭が向かいに腰を下ろした。
「辺境の神殿の防衛設備を作ると言ったら、神殿長が業務時間中の魔道具製作を許可してくれたのよ」
司祭の嬉しそうな言葉を聞いて、俺は改めて周囲を見回した。転がっている魔道具らしき物体の数は二十は下らないだろう。これが全部魔道具だとすれば、その金銭的価値は計り知れない。
俺が本格的に魔道具の作成を依頼したのは、ルノール分神殿の神殿長代理を拝命した直後のことだ。それから二か月以上経つとはいえ、まさかこんなに作ってくれているとは思わなかった。
「あれが一定以上の魔力を持った存在を知らせてくれる結界発生器ね」
そう言って彼女が指し示したのは、一抱えほどの四角い塊だった。うっすら装飾がなされているのはミレニア司祭の趣味だろうか。細工師のすることだから、装飾自体が機能を増幅している可能性も充分あるな。
「早速ありがとうございます。……ちなみに、その結界発生器と攻撃系の魔道具で自動迎撃システムを作れませんか?」
「作ることは可能だけど……あくまで魔力の流れを感知するものだから、魔力を操作できる人間も攻撃対象になるのよ? カナメ君だって特技で魔力を扱えるんだから、たぶん狙われるわね」
「……やめておきます」
神殿に足を踏み入れるなり、火炎球が飛んでくる。そんな光景を想像して俺はげんなりした。自分の職場の迎撃システムに狙われるとか悲しすぎる。
「そっちは壁に防護壁を重ね掛けする魔道具よ。常時展開すると長くもたないから気をつけて。
それから、あっちの筒状の魔道具は攻撃用ね。電撃を放つタイプと粘性の高い網を放つタイプがあるけれど、どちらも殺傷能力は二の次で拿捕に主眼を置いているわ。その隣は……」
執務室に転がっている魔道具を一つ一つ指差しながら、ミレニア司祭は楽しそうに説明してくれる。もちろん同じ魔道具を複数個作っていることが多いので、種類としては七、八種類といったところか。中には防衛用ではない用途のものも混ざっていたが、全部ありがたく頂戴することにする。
そしてすべての魔道具について説明が終わったタイミングで、俺は気になっていた魔道具の開発状況を尋ねた。
「これができたばかりの試作品よ」
そう言って彼女が持って来たのは、俺が入室時に跨いだ大きな箱二つだった。五十センチ四方はあるだろうか。ミレニア司祭が立方体の一面に手を掛けると、ぱかっとその内部が露わになる。
その開いた面を俺に向けると、ミレニア司祭はもう一つの箱を開いて、自分の前に置いた。
「カナメ君、準備はいいかしら?」
「大丈夫ですが……この距離じゃ声が混ざりませんか? どうせなら、もっと離れたところで声が届くかの検証をしたいのですが」
そう、俺がミレニア司祭に依頼していたのは、電話の役目を果たす魔道具の作成だった。なんせ辺境は遠い。手紙のやり取り一つにしても、往復で二か月ほどかかる勘定だ。
伝書鳩のような方法を使えばもっと早くなるが、それでも迅速な連絡など望むべくもないため、何かしらの連絡手段を構築したかったのだが……。
「使ってみれば分かるわ。……カナメ君、真ん中のスイッチを押してくれる?」
その言葉に従って、俺は中央部分にあるスイッチを押した。すると頭に不思議な感覚が生まれる。なんだこれ。電話をイメージしていた俺は、不思議な感覚に戸惑った。
『電話……って何かしら? カナメ君って不思議なイメージを持っているのね』
そんなことを考えていると、ミレニア司祭の声が聞こえてくる。だが、それは不思議な聞こえ方だった。まるで頭に直接響くような……。
そこまで考えてから、俺はおかしなことに気付いた。俺は電話なんて一言も口にしていない。だが、この世界に電話がないのもまた事実。それなら、一体ミレニア司祭はどこからその単語を……そうか。
答えに辿り着いた瞬間、頭に広がる変な感覚が消失した。それを不思議に思っていると、ミレニア司祭が興味深そうにこちらを見ていた。
「この世界って……カナメ君は変わったものの見方をするのね。そして、貴方が今考えていたことが正解よ」
その言葉は、いつも通り耳から入ってきた。なるほど、そっちに切り替えたのか。
「音を伝えるのではなく、念話を行うことができる魔道具ですか」
俺の答えを聞いて、ミレニア司祭は楽しそうに頷いた。
「ええ、その通りよ。カナメ君が最初に言っていた、音を伝える魔道具は作成が困難だったのよね。拡声魔道具の作りを応用してみたけれど、遥か先まで聞こえるように音を拡大して、なおかつ周囲に対しては音を隠蔽する、というのはあまりにも難しくて非効率だったわ」
なるほど、そりゃそうだよな。その考え方で行くと、まず馬車で一月もかかるような辺境まで聞こえるような大声を出して、さらにそれを他の人には聞こえないように押さえこむということで、凄まじい力技と言うほかなかった。
とは言え、元の世界のように音を電波に変えて飛ばすなんて芸当はできないだろうし、電話線を辺境まで引くというのも現実味がない。
ミレニア司祭に話しても意味が通じない上に、俺だって詳しいことは何も知らないため行き詰まっていたのだが、ミレニア司祭は念話の魔法を基礎にした魔道具を作ってくれたようだった。元の世界の概念に縛られていた俺には、さっぱり思いつかなかった手法だ。
「自信作だったのに、こうして使ってみると弊害があるわね」
と、俺は心から感心していたのだが、ミレニア司祭は眉根を寄せて何事かを悩んでいるようだった。どうしたんですか、と彼女に聞こうとして、俺はすでにその弊害を体験していたことに気付く。
「伝えるつもりのない事柄まで伝わってしまいましたからね」
電話という単語、そしてこの世界という概念。どちらも、さっきは心の中で思い浮かべただけで、相手に伝えようとは思っていなかった。だが、ミレニア司祭にはしっかり届いていた。となれば、つまりはそういうことだろう。
「長距離用に出力を強化した弊害かしらね……」
再びミレニア司祭が難しい表情を浮かべる。たしかに、思ったことがなんでも伝わる電話とか危険極まりないな。特に俺は、色々と余計なことを考えている自覚があるし。あ、でもこれって逆に使えば……。
「無理やり相手の心を読むことができるんじゃ……?」
すると、ミレニア司祭は首を横に振った。
「さっき、急に念話が終了したでしょう? あれは、カナメ君が念話を拒否したからなの。つまり、両者が念話に積極的でないと使えないのよ」
……残念。それを使えば、転職させるべきじゃない危険人物を見つけやすくなると思ったんだけどなぁ。
「それにもう一点。……現状では圧倒的に出力が足りないわ。かなり大きな魔晶石を割って使ったのだけど、それでもここから王城までは届かないでしょうね」
「そうですか……」
この神殿から王城までの距離は、王都の直径の二分の一にも満たない。王都すらカバーできないような有効距離では、辺境へ念話を届かせるなど夢のまた夢だ。俺はがっくりと肩を落とした。
「ところで、なんで魔晶石を割ったんですか? 割れば出力は半分になるのではありませんか?」
俺がふと疑問に思ったことを尋ねると、ミレニア司祭は困ったように口を開く。
「同じ性質を持った魔力の結晶が必要なのよ。それをお互いの魔道具の核にすることで、ようやく念話が繋がるようになるの。けれど、魔晶石なんて同じ産地でも質はバラバラだから、結局大きなものを半分に割って使うしかないのよ」
そう説明するミレニア司祭の姿は、心底残念そうだった。そして、しばらく念話の魔道具をいじっていたかと思うと、ふと話題を切り替える。
「それにしても、本当にカナメ君は辺境に行っちゃうのね……。ここ最近の事件はほとんどカナメ君絡みだったから、貴方がいないクルシス神殿というものがピンと来ないわ」
そう言いながら、彼女は周囲に積み上げられている魔道具を見渡した。
「本当にお世話になりました」
「それは私の台詞よ。どうせなら私も、様々な素材が手に入ると評判の辺境に行ってみたいところだけれど……さすがに厳しいわね」
それはそうだろう。今のクルシス神殿からミレニア司祭を抜いてしまうと、またプロメト神殿長が一人になってしまう。というか、いい加減副神殿長を据えてもよさそうなものだが……。
俺がそんな疑問を口にすると、彼女はまだ公にはしていないけれど、と声を小さくして最新情報を教えてくれる。
「近いうちに、副神殿長が選出されると思うわ。ベルゼット元副神殿長の事件から一年以上経つし、その後に色々な出来事があって人々の記憶も上塗りされた頃でしょうしね。そろそろ副神殿長を選出しても大丈夫なはずよ」
「それは、ミレニア司祭が昇階するということですか?」
そう尋ねると、彼女は微笑みを浮かべたまま首を横に振った。
「まさか。ただ、格のことを考えると、他のクルシス神殿で神殿長を務めている人の誰かになるでしょうね」
その言葉に俺は頷いた。ちなみに、本神殿の筆頭司祭であるミレニア司祭が他の神殿に行く場合、もはや就けるポストは神殿長しか存在しない。
しかし、彼女の見た目や年齢からすると早すぎるため、このまま本神殿で筆頭司祭を務め、副神殿長を経て神殿長になるのでは、という見方が大勢だったのだが……そうか、別の神殿から副神殿長が来るのか。辺境へ行く俺とはほとんど接点がないだろうが、二人の負担が減るといいな。
「それなら、ミレニア司祭がルノール分神殿の神殿長になりませんか?」
俺は駄目もとでそう提案してみた。ミレニア司祭は有能だし、転職業務についてもよく知っている。辺境神殿の長としても適任だと思うのだが……。
「残念なことに、ルノール分神殿の格だと、私が神殿長として赴任することはできないのよ。プロメト神殿長のように名前を貸すだけなら問題ないのだけれど」
「はぁ……」
どうやら、意外と面倒くさい事情があるようだった。それでもダール神殿あたりに比べれば遥かに緩い人事運用らしいのだが……ダール神殿に入らなくて本当によかった。
「本音を言えば、引退して細工師として活動したい気持ちもあるけれど、こうして細工師の固有職を与えられたのもクルシス神のお導きだと思うと、後足で砂をかけるような真似はできないし……」
頬に手を当てて、ミレニア司祭は小さく溜息をもらした。……いやいや、それを俺に言っちゃうのはどうなんだろう。そう言うと、司祭は悪戯っぽく笑う。
「カナメ君なら秘密にしてくれるでしょう? 『転職者の個人情報をみだりにもらさない』はずよね?」
「今のは転職業務とあまり関係ない話だと思いますが……」
俺がそう答えると、ミレニア司祭は再び笑い声を上げた。
そして、ふと筆頭司祭としての真面目な表情を浮かべる。雰囲気が切り換わったことに気付いた俺は、反射的に姿勢を正した。
「司祭位とはいえ、一つの分神殿の神殿長代理を認められた貴方は、れっきとしたクルシス神殿の幹部よ。……これからもよろしくお願いします」
辺境へ赴任するまでの期間は、あと四か月を切っていた。