王都帰還
【クルシス神殿助祭 カナメ・モリモト】
「ようやく着いたな……」
眼下に広がる王都の全容を一望しながら、俺は誰にともなく呟いた。
辺境から王都までの空中旅行は、行きのように事件が起きることもなく平和に過ぎていった。そのせいで行きよりも移動時間が長く感じられたが、平和に越したことはない。
さて、どの辺りに巨大怪鳥を降下させようか。少し進路を誤ってしまったせいで、俺たちは東側から王都に近付いているが、行きの発着に使った南の平原まで足を伸ばしたほうがいいかな。
そう考えて、巨大怪鳥に進路を指示した時だった。
「みんな、気をつけて!」
突然声を張り上げたのはミルティだ。俺たちの問いかけるような視線が集中するが、彼女がそれに答える様子はなかった。そしてその代わりに、ミルティから魔力が迸る。
「対魔法障壁!」
ミルティの魔法が発動した直後、ガクン、と俺たちの乗っていた籠が揺れる。独特の落下感覚にやられたのか、空旅があまり得意ではないアルバート司祭とミルティの顔色がみるみる青くなっていく。
「どうしたミルティ!? 襲撃か!?」
「私たちを標的にした魔法が、地上から飛んできたのよ……!」
顔色は真っ青になっていたが、それでもミルティは気丈に説明してくれる。その言葉と同時に、俺は巨大怪鳥の高度が不自然に下がっていることに気が付いた。まさか巨大怪鳥に何かあったのだろうか。
そう思って上を見上げると、巨大怪鳥が必死に翼を羽ばたかせているのが見えた。どうやら、巨大怪鳥に危害を加えられたわけではないらしい。となると、何が――。
と、再び俺たちの乗った籠が揺れた。新しい攻撃かと疑ったが、どうやらうまく飛べなくなった巨大怪鳥がパニックを起こしているようだった。当然ながら俺の指示を聞くような状態ではない。
「何がどうなってるんだ……!?」
このままでは巨大怪鳥ごと墜落する可能性は高い。ミルティの落下速度減衰の魔法はあるが、巨大怪鳥のような大質量は支えきれないだろう。この籠は対衝撃能力に優れているという触れ込みだったが、身をもって実証するつもりはなかった。
「不時着させるぞ!」
俺は短くそう叫ぶと、魔獣使いに転職した。十秒でどこまでできるか分からないが、最悪の事態だけは避けなければならない。魔獣使いの力が宿ると同時に、俺は固有特技『一体化』を発動する。
――身体が重い。半ば支配する形で巨大怪鳥と感覚を共有した俺は、羽ばたきながら自分の異変を確認する。それは、まるで大地に引っ張られているような感覚だった。
デタラメに羽ばたこうとする巨大怪鳥の意識を押さえつけると、俺は姿勢を維持し、落下速度を減速させた。地上まではまだ少し距離があるが……まずいな、そろそろ十秒経つぞ。
「籠を落とす!」
「グェェェェェッ!」
俺の意識に従って、俺の身体と巨大怪鳥の身体が同時に声を上げる。そしてその直後、俺は掴んでいた籠をそっと離した。籠の向きを維持できるよう、できるだけ水平に落とすよう心掛ける。
そして籠の落下先を確認すると、そこにいくつかの人影があることに気付いた。あれは……。
そこまでだった。不意に視界が黒く染まったことで、俺は魔獣使いの力が失われたことを悟った。
何も見えないのは、俺が目を閉じているからだ。魔獣使いの『一体化』はよくも悪くも感覚を共有してしまうため、俺自身が目を開いていると視界が重なって見えてしまう。そのため、自分の視界を閉ざしていたのだ。
巨大怪鳥との共有感覚を喪失した脳が混乱しているのを無視して、俺は無理やり閉じていた目を開く。
「カナメ!」
すると、すぐ近くにクルネの顔があった。どうやら、『一体化』して自分の身体の制御がおろそかになっていた俺を支えていてくれたようだ。
そのことを認識した次の瞬間、俺たちの乗った籠の落下速度がゆるやかになる。ミルティの落下速度減衰の効果だろう。巨大怪鳥はともかく、籠だけなら充分な効果を発揮するはずだ。
巨大怪鳥はどうなったのか、と周囲を見渡したところ、バサバサと羽ばたいて減速している姿が目に入った。どうやら、俺の軟着陸方針を継続することにしたようだ。
……よかった。ここで巨大怪鳥に何かあったら、どれだけ賠償金をとられるか分かったものじゃないからな。
「キャロちゃん、カナメをお願い! 私が出るから、ミルティは援護して」
「キュッ!」
「分かったわ」
一人と一匹の返事を聞くと、クルネは客室の扉に手を掛けた。また飛び降りるつもりなのだろう。だが、俺は彼女を引き止めた。
「クルネ、大丈夫だ。敵じゃない。ミルティ、立て続けですまないが、俺に拡声の魔法をかけてくれ」
「……え?」
「拡声の魔法を……?」
二人がきょとんとした顔をする。だが、不思議そうな表情を浮かべながらも、ミルティは俺に拡声魔法をかけてくれた。
俺は大きく息を吸い込んで、そして全力で叫ぶ。強化された俺の大声が、空気をびりびりと振るわせて辺り一帯に響き渡った。
「アルミード! 籠にも巨大怪鳥にも手を出すな! 賠償金が高いんだからな!」
◆◆◆
「本当にすみませんでした!」
開口一番、全力で謝ってきたのは、俺が以前に転職させた地術師、サフィーネだった。彼女が勢いよく頭を下げると、肩まである栗色の髪が揺れる。
「まあ、結果的には無事だったけどよ……」
「まさか、自分が組んでたパーティーに襲われるとは思ってなかったわよ……」
「すみません……!」
二人の台詞にいっそう身を縮こまらせたサフィーネは、さらに深々と頭を下げる。ようやく顔を上げた彼女は、うっすら涙目になっていた。
……そう、俺たちに魔法を仕掛けてきたのは、かつてクルネが所属していたパーティーの新メンバー、サフィーネだったのだ。彼女の重力魔法は、地術師の術相性も相まって非常に強力だ。それはミルティの対魔法障壁を貫いて作用してきたことからも分かる。
もしミルティが対魔法障壁を展開していなければ、もっと強烈な重力を受けて、体勢を立て直す暇もなく地上に叩き落されていた可能性は充分あった。
彼女は、転職前は王都の商会に勤めており、その真面目な仕事ぶりから評判もよかったらしいのだが、それだけに今回の行動は意外だった。
「……ところで、どうしてあんなことをしたのかしら?」
「それは……」
ミルティがそう尋ねると、サフィーネは姿勢を正した。多少話は聞いていたが、どうやら二人の間には師弟関係のようなものがあるようだ。二人はほぼ同じ年齢であるため、傍から見るとなんだか不思議な光景ではあるが。
「……飛行モンスターは、殲滅します」
しばらく沈黙した後、彼女はきっぱりと言い放った。その目には何やら危険な光が宿っている。……って怖いな! この人決定事項みたいに言い切ったよ! サフィーネは理性的な女性だと思ってたけど、新しい一面を見てしまった気がする。
だが、ミルティはその言葉を予想していたようで、特に驚いた様子はなかった。
「まあ、本来なら責められるようなことではないのでしょうけれど……」
彼女は困ったように頬に手を当てた。……たしかになぁ。傍からすれば、単にモンスターを討伐しようとしただけだ。実力が伴わず、相手モンスターを激昂させて被害を拡大したのであれば非難もされるだろうが、彼女たちには実際に巨大怪鳥を倒した実績がある。
普通に考えれば、巨大怪鳥に乗ってる俺たちのほうがおかしい……のか?
「いえ、皆さんが巨大怪鳥便で辺境へ向かったとというお話は聞いていたのですから、巨大怪鳥が籠を持っている時点で気付くべきでした。ただ、巨大怪鳥を目にしたら頭に血が上ってしまって……」
再度、申し訳なさそうにサフィーネが頭を下げる。その姿を見ているうち、俺はふと彼女を転職させた時のことを思い出した。
たしかあの時も、大地系の魔法では飛行モンスターが倒せないとか言ってたよな。それで魔法研究所を紹介したんだっけか。おそらく、何か根が深い事情があるんだろうなぁ……。
「……サフィーネは、飛行モンスターを見るとすぐ襲いかかるからね。あたしたちが止める間もなく重力魔法を使っちゃったんだ」
そう口を挟んだのは弓使いのカーナだ。サフィーネ、どれだけ好戦的なんだ。
「みんな、彼女だけを責めないでくれ。止められなかった僕らも同罪だ」
さらに、そこへアルミードが割って入る。メンバーをフォローしようとするその態度は、いかにもリーダーといった感じだな。
「実は、僕らは王都に現れた飛行モンスターの群れを調査していたんだ。群れのリーダー格を発見したのかと思って、彼女が攻撃を仕掛けるのを見過ごしてしまった」
「……王都に飛行モンスターの群れが?」
クルネがそう聞き返すと、アルミードは深刻そうに頷いた。
「数日前に、数十匹の飛行モンスターが王都の空に現れたんだ。と言っても、特に被害を受けるようなこともなかったし、王都の上空をしばらく旋回したあと飛び去って行ったらしいんだが……」
「それで、私たちにも調査依頼が来たのですよ。もちろん王国軍も調査を進めているのですが、厄介なことに飛行モンスターが飛び去ったのは東の方角でして」
アルミードの言葉を引き継いで、参謀役のマイセンがそう説明する。その言葉の意味が分からず、俺はなんとなく東の方角へ目をやった。東に何かあったっけな。
「……つまり、帝国に遠慮して東の方面には軍を動かしにくいと言うわけかい?」
答えを示してくれたのはアルバート司祭だった。そうか、王都の東には帝国があったっけ。最近は辺境のことしか考えていなかったから、すっかり存在を忘れていた。
「そのようですね。迂闊に軍を動かせば、今進められているであろう戦後賠償の算定がさらに厳しいものになるでしょうから」
「それで、何か手がかりは掴めたの?」
そう尋ねた元パーティーメンバーの問いに、マイセンは首を横に振って答える。
「さっぱりです。……ただ、王都に飛来した飛行モンスターは、単一の種で構成されていたわけではありませんでした。そのため、魔獣使いが関与しているのではないかとの噂が流れていまして」
「ん? その魔獣使いって……」
俺は振り返ると、後ろにいる巨大怪鳥に視線をやった。他のみんなも同じことを考えたらしく、十人の視線が巨大怪鳥に注がれる。
「……この国にいる魔獣使いは彼一人だけですからね。しかも、彼が本拠地にしている村は帝国との国境近く。つまり、ここから東の方角です」
マイセンの返答は、俺の予想を裏付けるものだった。……しかしなぁ。巨大怪鳥便をやっているマデール商会の魔獣使いって、あんまり悪いイメージがないんだよなぁ。
聞いた話では、モンスターの力を生活に役立てるとか、そっち方面に特化して軍事利用は断っているらしいし。
「まあ、さすがに国境沿いまで調査に行くわけにはいきませんからね。近くの森を調査して王都へ戻ってくる途中だったのです」
「そうだったのか……」
俺は再び巨大怪鳥のほうを振り返った。巨大怪鳥便の利用後は、客室内に設置されている金庫に利用料金を放り込んで、魔獣使いの村に戻るよう指示を出すということになっている。
わざわざ国境近くの村まで大金を送るのは大変だし、巨大怪鳥を襲って金銭を奪い取ろうとする命知らずもそうはいないだろう。
そんなわけで、こっそり客室の中に忍び込んで巨大怪鳥を村に帰せば、労せずして魔獣使いのいる村へ辿り着けるわけだが……どうも気が進まないなぁ。騙し討ちするみたいだし、タダ乗りだ。
それに、魔獣使いの本拠地へ乗り込んで、モンスターの集団に襲われでもしたらそれこそ危険だろう。うん、やっぱり黙っておこう。
俺はそう結論付けると、黙ってアルミードたちと王都へ帰還したのだった。
◆◆◆
「アルバート司祭、カナメ助祭、ご苦労だったな」
王都のクルシス本神殿へと帰り着いた俺たちは、帰参の報告をするなり神殿長室へと呼び出された。王都を離れてからまだ半月と経っていないはずだが、プロメト神殿長の顔が随分と懐かしく感じられる。
俺とアルバート司祭が辺境での活動を報告し終えると、プロメト神殿長はふむ、と頷いた。
「計画は順調に進んでいるようだな。辺境での建設作業については、打ち合わせ通りマルロー司祭に監督を頼むとしよう。彼や宮大工と詳細な打ち合わせをしておいてくれ」
「分かりました」
マルロー司祭はクルシス神殿の司祭の一人で、こと建築に関して非常に情熱的な人物だ。ミレニア司祭の日曜大工版、とでも言えばいいだろうか。
さすがはクルシス神に仕えるだけあって、いろいろと多芸な人物が揃っているクルシス神官だった。
「辺境の分殿へ赴任する神官の人選については、まだ調整中だ。こればかりは無理強いするわけにもいかんからな」
「それはもちろんです」
プロメト神殿長の言葉に素直に頷く。なんだかんだいって、王都では辺境のイメージが悪いからなぁ。そうそう希望者がいるとは思えない。とは言え、最低限の人数は確保しておきたいところだ。
「……それから、いくつか断りにくいところから転職儀式の依頼が来ている。助祭に旅の疲れが出ていないなら、早めに対応してしまいたいのだが……」
「大丈夫です。いつでも可能です」
仕事はさっさと片付けるに限る。俺が二つ返事でそう答えると、神殿長は思い出したように付け加える。
「そう言えば、転職業務とは関係ないが、カナメ助祭を訪ねてきた人物がいたな」
「はぁ……どなたでしょうか?」
転職業務と無関係となると、交友関係の狭い俺にはあまり心当たりがないのだが……。
「リカルド王子だ」
「リカルドが?」
神殿長の答えを聞いて、俺は思わず声を上げた。……そうか、あいつ生きてたんだな。よかった。先の戦争で行方不明になっていたリカルドの無事を確認することができて、俺はほっと胸をなで下ろした。
「あと二、三か月でリビエールの街へ帰るそうだが、それまではアイゼン王子の館に逗留するとのことだ。
……さて、今日は疲れもあるだろう。報告はこれくらいにして休んでくれ。明日からまたよろしく頼む」
「分かりました、ありがとうございます」
俺は立ち上がって一礼すると、神殿長室を後にした。
◆◆◆
クローディア王国の第四王子――いや、今は第三王子だったか――アイゼン・ラムト・クローディアの館は、以前よりも多くの人で溢れていた。
その原因が第二王子の戦死による派閥の変化であることは明白であり、今や王侯貴族の注目の的となっているそこへ足を踏み入れた俺とクルネは、多くの人から好奇の視線を向けられていた。
そんな居心地の悪い空間を通り抜けて、ようやく目的であるリカルドの居室に辿り着く。
「やあ、カナメ。それにクルネさんも。元気そうで何よりだよ」
再会したリカルドの顔は、俺の記憶のそれよりも幾分か痩せていた。その容貌は、彼が政治的な理由で姿を眩ませていたのではないことを物語っていた。
「リカルドこそ無事で何よりだ。……行方不明なら行方不明で、自分の安否くらい知らせてほしいもんだ」
「無茶を言うね……まあ、それだけ心配してくれたということかな?」
そう言って楽しそうに笑うリカルドに対して、俺は無言で肩をすくめてみせた。クルネが隣でくすくすと笑っているが、気にしないことにしよう。
「それにしても……一体どこに雲隠れしていたんだ?」
俺が一番気になっていたことを尋ねると、リカルドは壁に張られている地図を指差した。
「戦争のあった国境付近には、小さな村がたくさんあってね。戦争に敗けて逃亡した僕は、そのうちの一つ、とても小さな山間の村に身を潜めていたんだ」
「それは大変だったな」
リカルドの話は、おおかた予想できる範疇のものだった。だが、それにしても帰還が遅かったのではないだろうか。同じように落ち延びた貴族たちは大勢いたが、彼らはもっと前に王都へ帰ってきている。
「途中で、運悪く帝国兵の集団と出くわしてね」
そんな俺の疑問に答えるように、リカルドは言葉を続ける。
「まあ、頑張ってその場は切り抜けたんだけど、僕は重傷を負ったし、頼りの馬も戦いの最中に失ってしまってね。たまたま通りがかった木こりが僕を助けてくれなかったら、僕は今頃ここにはいなかっただろう」
だが、その木こりが連れて行ってくれた村は、本当に小さな村だったらしい。人の出入りもほぼなく、逃亡中のリカルドが身を潜めるのには最適だった。だが――。
「さっきも言った通り、僕は重傷を負っていたからね。正直なところ、もう助からないかな、と思っていたよ。けど、迂闊に行商人や旅人に助けを求めて、それが帝国側の人間だったら目も当てられない。
それでも、その村に伝わる薬のおかげか、僕はなんとか生きていた。ただ、回復の見込みはなかったからね。なかなか辛い精神状態だった」
その言葉を聞いて、俺は顔を歪めた。おそらく、今の俺は渋い表情を浮かべているだろう。ちらっと隣を見れば、クルネも似たような顔をしていた。
「だけどそんな時、奇跡が舞い降りたんだよ」
と、さっきまで辛そうだったリカルドの顔が、一気に明るく輝く。……大丈夫かこいつ。極限状態で変な宗教にハマったりしてないだろうな。自分が神官であることも忘れて、俺は心の中でツッコミを入れた。
「カナメ、教会の『聖女』のことは知っているだろう?」
「もちろんだ」
「帝国との戦争が終結した後、彼女たちは戦争で傷を負った人間のために、救済活動を行っていたんだ」
当然ながら、その話は俺も知っている。クルシス神殿だって人やらお金やらを捻出してたわけだし、知らない神官はいないだろう。
「その『聖女』の一人が、僕のいた村まで足を伸ばしてくれてね。女性の足では厳しい道中だっただろうに、『もし負傷者がいては大変だから』と担当エリアの全ての村を回っていたらしい。……おかげで、半ば死にかけていた僕は九死に一生を得たというわけさ」
「そうか……それはよかった」
そう言いながら、俺は該当する『聖女』三人のうちの誰だろう、と相手を推測する。普通に考えれば、険しい山道を簡単に踏破しそうなのは『聖騎士』メルティナだが……。
「山道なんて似つかわしくない可憐な少女だったけど、『わたし、田舎育ちですから体力はあるんです』って僕を気遣ってくれてね。
可憐だけどちゃんとしっかりした芯があって、さすがは『聖女』だと思ったよ」
……ん? 可憐? メルティナは目の覚めるような美人ではあるが、彼女を見て可憐と評する人間はあまりいないだろう。それは女好きのリカルドであろうと同じことだ。となると……。
「綺麗な金髪の巻き毛には木の葉や土がついていたし、着ている法服も村々を回る過程でだいぶ傷んでいたけど、まるで女神そのものだった」
「……」
俺は思わず沈黙した。『聖女』の治癒師二人のうち、ファメラという名前の『聖女』の髪色は薄緑色だったはずだ。となると、リカルドの命の恩人とはミュスカのこと……だよな。
だが、彼女と知り合いだとか、神学校の同級生だとか、そんなことを言う気にはなれなかった。なぜなら――。
「なんとしても、もう一度会ってお礼を言いたいものだよ。……けど、教会へ行っても門前払いされてしまってね。どうにかお礼を伝えたいと言っても『その御心だけで結構です』と突っぱねられてしまうんだ……!」
そう語るリカルドの表情から、一般的な好意以上のものが読み取れたからだ。……『聖女』に懸想するって、なかなか根性があるなぁ。
まあ、一応リカルドも王族ではあるし、どこの馬の骨というわけじゃないけど、その出自で苦労してるのもまた事実だしな。
人の恋路を邪魔するつもりはないが、あんまり積極的に関わるつもりもない。この件については聞かれない限り沈黙を守ろう。
隣のクルネの様子を窺えば、彼女も俺のほうを見ていた。そのなんとも言えない表情からすると、俺と似たようなことを考えているのかもしれない。少なくとも、俺たちとの関係を暴露するつもりはなさそうなので一安心だ。
「あと二、三か月で僕はリビエールの街へ帰るけど、なんとかそれまでにもう一度会いたいものだな……」
そう呟くリカルドを、俺は複雑な気持ちで眺めていた。
◆◆◆
「カナメ司祭、久しいな」
「殿下、ご無沙汰しておりました」
俺は接客モードを召喚すると、いつもの笑顔を貼り付けた。リカルドの部屋で近況の交換をしていたところ、アイゼン王子に呼び出されたのだ。
「なに、そなたが来ていると小耳に挟んだのでな。急に呼び立ててすまんな」
「いえ、お気になさらず。それに、殿下がなんの用事もなく私をお呼びとは思えません」
そう答えると、アイゼン王子は少し楽しそうな表情を浮かべたが、やがてその表情は真面目なそれへと戻る。
何かあったかな、と俺が考える間もなく王子は口を開いた。
「カナメ司祭、率直に言おう。クルシス神殿は辺境に神殿を建てるつもりだな? それも、そなたを中心人物に据えて」
「それは……」
その言葉に俺は驚いた。もはや重要機密というわけじゃないけど、こんなに早くバレるとは思ってなかったな。
「どうして、というような顔をしているな。なに、たまたま手に入った情報と、いくつかの推理を繋ぎ合わせただけだ。……それよりも、だ」
ふとアイゼン王子の眼光が鋭くなる。何か嫌な予感がして、俺は無意識に身構えた。
「カナメ司祭、辺境へ行くのはやめておいたほうがいい」
「……理由をお伺いしてもよろしいでしょうか?」
そう尋ねると、王子は思案顔で顎に手をやった。悩むということは、機密情報なのだろうか。もしくは、表に出せない入手経路で取得した情報か。
彼が口を開くまで、俺は王子を見つめ続ける。
「……詳しい事情は言えぬ。だが、転職の神子が失われるようなことになっては、王国のみならず世界の損失と言えよう」
その言葉を聞いて、俺の背筋が冷える。一体アイゼン王子は何を伝えようとしているのだろうか。
俺の辺境行きを知って、転職能力者が王都から離れるのを警戒した? いや、それなら詳細を伏せるようなことをせず、もっともらしい口上を並べるだろう。
そんな俺の疑念を感じ取ったのか、王子は言葉を続ける。
「もちろん永久に、などとは言わぬ。あと一年待て」
「一年待てば危機が去ると?」
「そうではないが……いや、広義ではそうとも言えるな」
まるで答えにならない答えに、俺は戸惑いを覚えた。アイゼン王子がここまで歯切れの悪い話し方をするということは、彼が掴んでいる情報はそれだけ重いということだ。
「その件につきましては、戻って神殿長と相談させて頂ければ、と」
とは言え、神殿の建立はなんの根拠もない言葉一つで、計画を中止できるような段階にはない。
もやもやした気持ちを抱えたまま、俺はアイゼン王子の居室を退室した。