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転職の神殿を開きました  作者: 土鍋
転職の神殿を開きました
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哨戒

【クルシス神殿助祭 カナメ・モリモト】」




「そうだ、カナメ兄ちゃん。ちょっと俺の家に寄って行ってよ」


 ジークフリートがそう言い出したのは、神殿建設予定地から宿屋へと帰っていた時だった。


「ん? 別にいいけど」


 俺の記憶が正しければ、ジークフリートの家は村の端にあったはずだ。村の中心部にある宿屋からはだいぶ距離があるが、まだ夜というほどの時間でもないし、問題はないだろう。


「そう言えば、メリルはどうしてるんだ?」


 ジークフリートの恋人メリルは、俺がルノール村で親しくしていた人間の一人だ。姉さん女房とか、世話焼きのお姉さんとか、そんな単語が似合う彼女だが……。


「昨日はめちゃくちゃ怒られた」


「……は?」


 思わぬ答えに、俺とクルネの目が点になる。別に夫婦喧嘩の報告なんて聞かされても困るんだが……。


「昨日、防衛者ディフェンダー転職ジョブチェンジしただろ? そしたら『ジークの治癒魔法を頼ってくる人たちをどうするのよ!』ってさ」


「あー……」


 メリルの言葉には一理あった。実は俺も少し気になっていたのだが、別の村にも治癒師ヒーラー転職ジョブチェンジさせた人がいたはずだし、ジークフリート自身も弱体化するとは言え、治癒魔法が使えなくなるわけではない。

 しかも、彼は治癒魔法強化の特技スキルを習得している。そのことを考えると、そう深刻な事態にはならないと判断したのだが……。


「せめて相談してほしかった、って怒られたよ」


「メリルの気持ちも分からないではないな……」


 戦闘に特化しているアデリーナと違って、ジークフリートの治癒魔法は日常でも使用する機会がちょくちょく存在する。それに加えて、モンスターの襲撃も多いこの辺境では、彼は引っ張りだこのはずだった。


「まあ、俺は治癒魔法で生計を立ててるからな。自警団の給料ももらってるけど」


 おお、夢の給料二重取りか。なんて羨ましい。そんなことを考えていると、ジークフリートが話を元に戻した。


「……いやまあ、それは別にいいんだけどさ。とにかく、メリルがカナメ兄ちゃんに挨拶したいって言ってて。けど、今はあんまり気軽に外に出られる状況じゃないから……」


「ああ、そういうことか」


 俺は納得したように頷く。……って、あれ?


「ねえ、ジーク。メリルに何かあったの? 気軽に外に出られないって……」


 俺が疑問を口にするより早く、クルネが訊きたかったことを尋ねる。そうなんだよな。彼女の性格なら、自宅に呼ぶよりは宿屋に顔を出すほうを選びそうなものだが……。何があったんだろうか。


 モンスターに襲われて重傷を負ったとか? ……いや、それならジークフリートが治癒魔法を使うだけの話だ。となると、病気のほうだろうか。ミルティに教わった話では、病気に効く治癒魔法は難易度が非常に高く、ほとんど使い手がいなかったはずだ。


 だが、そんな暗い想像はジークフリートの明るい声と共に打ち消された。


「心配するような話じゃないよ。単にアレックスの世話に追われてるだけだから」


「アレックス……?」


 俺とクルネは同時に首を捻った。そんな名前に心当たりはないが、犬でも飼ったのだろうか。辺境では番犬の存在は重要だしな。そう悩んでいた俺たちは、ジークフリートから衝撃的な事実を伝えられた。


「あれ、言ってなかったっけ? 俺たちの子供だよ」


「ああ、なるほ……」


「……」


「……」


「「ええええええええええっ!?」」


 妙な沈黙の後、村中に驚きの声が響き渡った。事情を知らないミルティは首を傾げているが、彼女に詳しく説明する余裕はない。


「も、もちろんメリルとの子供よね!?」


「あ、当たり前だろ!」


「一体いつ生まれたんだ?」


「半年くらい前かな」


 そう答えるジークフリートは、とても照れ臭そうだった。……あれ、こういう時ってなんて言うものだっけ。テンパって言葉が出て来ないぞ。


「ジーク、おめでとう!」


「うん、本当におめでとう」


 おお、それだ。クルネの言葉に追従して、俺も祝福の言葉を口にする。いやほんと、予想外すぎて頭の中が真っ白になったなぁ。


「へへっ、二人にそう言われると変な感じだな。……けど、ありがとう」


 そんな会話を交わしながら、俺たちはジークフリートの家へと向かう。メリルと面識のないミルティは遠慮して帰ったため、彼の家に向かうのは俺とクルネ、そしてキャロの二人と一匹だ。


 やがて、俺たちはジークフリートの家に辿り着いた。動物の毛は乳児にあまりよくないと聞いた気がするので、キャロには家の外でのんびりしてもらうことにする。


「メリル、ただいま! カナメ兄ちゃんたちを連れてきたぞ!」


 ジークフリートは家の扉を開けるなり、中に向かって元気に呼びかける。すると、少しバタバタする気配があった。


「お帰りなさい、ジーク。……カナメさん、クルネ、お久しぶりです」


 久し振りに会ったメリルは笑顔を浮かべると、俺たちを家の中へ招き入れてくれる。家に足を踏み入れながら、俺は子供の姿を探そうと周りを見回した。

 だが、結論から言えばそんな必要はなかった。なぜなら、ジークフリートがある一点を目指して駆けて行ったからだ。


「アレックス! 父ちゃんが帰ってきたぞ!」


「ちょっと、ジーク! カナメさんたちを放って何やってるのよ」


 そんなジークフリートを見て、メリルは呆れたように注意をする。……相変わらずのやり取りだなぁ。クルネも同じことを考えていたのか、俺たちは顔を見合わせると、軽く噴き出した。


「まあまあ、気持ちは分かるし、どうせ相手は俺たちなんだから気にしないでくれ」


「そう言ってもらえると助かります……」


 そう答えるメリルに、クルネが瞳を輝かせて近寄った。


「ねえねえ、私たちもアレックス君を見ていい?」


「ええ、もちろん」


 メリルの許可をもらうなり、クルネは赤子の寝ているベッドの脇へ移動する。「うわぁ!」とか「かわいい!」とか「小さい!」とか、なにやら歓声を上げている様子は、とても楽しそうだった。


「カナメ兄ちゃん、アレックスを抱っこしてみる?」


 俺が彼らの傍に近付くと、ジークフリートがそんな提案をしてきた。その言葉に俺はぶるりと身を震わせる。


「気持ちは嬉しいが、遠慮しておくよ。床に落とす気しかしない」


「クルネ姉ちゃんは?」


「……わ、私も遠慮しておくわ。力加減を間違えたら怖いもの」


 クルネは少し悩んだ後、俺と同じ結論を出したようだった。その割には未練がありそうだけど、何も言わないでおこう。


 俺はジークフリートの隣に立つと、ベッドに転がっているアレックス君の姿を見物した。起きていたのか起こされたのか、身長六十センチほどの赤ん坊はじっと俺たちを眺めていた。正直、まだどっちに似ているとかは分からないなぁ。


「――カナメさん」


 そんなことを考えていると、いつの間にかメリルが傍にやって来ていた。彼女が少し真面目な表情を浮かべていることに気付いて、俺は首を傾げる。


「ジークや村長さんから聞きました。この村に神殿を建てるんですよね?」


「ああ、その予定だ。早ければ半年くらいで出来上がると思う。……まあ、まずは最低限必要な部分だけを作っておいて、それ以外はおいおい整えたり増築したりするつもりだけど、神殿の業務を開始するのはそれくらいじゃないかな」


 俺がそう答えると、メリルは嬉しそうに顔を輝かせた。突然どうしたんだろう。


「……あの、神殿ができたら、この子に生誕の祝祷をお願いできませんか?」


「……えっ?」


 突然の依頼に俺は目を見開いた。生誕の祝祷って、生まれた子が健やかに育ちますように、っていう宗教儀式だよな……なんで俺に言うんだ?


「あ、ひょっとして、転職ジョブチェンジ業務だけを取り扱う予定なんですか……?」


 俺が驚いていると、メリルが心配そうに訊いてくる。


「いや、そんなことはないが……あ」


 なるほど、そういうことか。忘れがちになるけど、ここに建てるのはちゃんとした神殿なんだよな。生誕の祝祷とか完全にメイン業務じゃないか。

 ルノール村に帰ってきたからか、なんだか転職ジョブチェンジ屋の開業準備をしているつもりになってしまっていた。反省。


「大丈夫だ、ちゃんと本来の神殿としての機能もある。任せてくれ」


「……」


 俺の言葉を聞いて、クルネが半眼で俺を見つめてくる。どうやら、彼女には心の内がバレてしまっていたようだ。だが、幸いメリルたちがそのことに気付いた様子はなかった。


「本当ですか!? じゃあ、よろしくお願いします!」


「ああ、二人がいいなら歓迎するが……けど、いいのか? ジークフリートもメリルもクルシス神を信仰しているわけじゃないだろう?」


 この二人は生粋の辺境育ちではない。あくまでリビエールの街で生まれ育ち、そして辺境へやってきた人間だ。となれば、元々信仰している宗派の一つもありそうなものだが……。


「実家はオルファス神を信仰してたし、それなりに教会には通ってたけど、別に熱心な信徒ってわけじゃないからなぁ。

 生誕の祝祷なんかはやらないと落ち着かないけど、教会じゃなきゃダメってわけじゃないし。そもそも、アレックスを連れてゼニエル山脈を越えるなんて危険すぎる」


「私の実家はダール神でしたけど、ジークと似たようなものです」


 なるほど、辺境が近いせい……ではないだろうが、宗教観については結構自由な感じだなぁ。なんだか日本を思い出す。


「それに、カナメさんがいなければ、私もジークもあの時に死んでいましたから。……そうなれば、当然この子だって生まれてくることはなかったでしょう」


「だからよ、カナメ兄ちゃんがクルシス神殿で神官をやるんなら、そこで祝祷をしてもらおうってメリルと話をしてたんだ」


 メリルの言葉に続けて、ジークフリートがそう説明してくれる。……なんだろう、嬉しいと言うか恥ずかしいと言うか……。俺がどんな表情を浮かべるかを決めかねていると、突然クルネが笑い出した。


「あ、カナメが照れてる」


 俺は明後日の方向を見て誤魔化すと、露骨に話題を換えた。


「それにしても、本当にお布施を五パーセントオフにしなきゃな」


「え? なんのことですか?」


 不思議そうに尋ねるメリルに対して、俺は今朝の出来事を説明する。すると、彼女は納得したように頷いた。


 けどまあ、こう言ってしまうのはなんだけど、ジークフリートはこの村では有名人だし、人気もある。その彼がクルシス神殿を転職ジョブチェンジ以外の用務で利用することの意味は大きい。値引きどころか、宣伝料を払うレベルかもしれなかった。


「そうだったんですね、ありがとうございます。……もう少し神殿の建立が早ければ、私たちの婚姻の儀式をお願いしたかったくらいです」


 メリルがそう言って笑うと、クルネが納得したように相槌を打つ。


「辺境の基準だと、長老かフォレノさんが立会人になって、宣誓して終わりだもんね。私も辺境から出るまで知らなかったけど、だいぶ違うわよね……」


 なるほど、つまり辺境の外から移住してきた人間にとっては、婚姻の儀式を行う宗派施設も必要だと。……これは商機だな。


「あ、カナメ兄ちゃんが悪い顔してる」


「何を言ってるんだ、俺は真面目に神殿の今後を見据えてだな」


 ジークフリートの指摘を受けて、俺は顔の表情筋を揉みほぐした。


「カナメの場合、神殿の今後の経営を見据えてるように見えるのよね」


「いや、それは――」


 クルネの言葉に異議を唱えようとした時だった。ふえぇぇ、というかわいい声が聞こえてきた。……と思ったら、その声がどんどん大きくなっていく。それを受けて、メリルが慌ててアレックス君を抱き上げる。


「……しかし、ジークフリートが人の親になるとはなぁ」


 そんなメリルの姿を見ながら、俺はしみじみと呟いた。辺境を出てからの二、三年の間に、俺の周りでは本当にいろんなことが起きた。それを考えれば、彼が子を持つことだって当たり前なのだろうが……。


「ねえ、ジークって何歳だっけ?」


 すると、クルネがそんな質問を口にする。その顔にはなんとも言えない表情が浮かんでいた。


「ん? 十八歳だよ。もうすぐ十九歳になるけど。……っていうか、クルネ姉ちゃんの一つ下じゃん」


「やっぱりそうよね……。ということは、メリルは二十歳……」


「姉ちゃんの一つ上だからな」


 おお、ジークフリートのところはメリルのほうが二歳年上だったっけか。イメージ通りと言えばイメージ通りだけど。


「十八歳で子持ちか……凄いな」


 俺が十八歳の時は、子供を持つなんて考えたこともなかったからなぁ。社会的にそういうものだったと言えばそれまでだが、なんだかジークフリートが輝いて見える。


「え? そんなに珍しくないだろ? みんな二十歳すぎで結婚して子供を作ってるじゃん」


「私たちの場合は、カナメさんのおかげでジークの収入が安定していましたから、少し早めに踏み切ることができたんです。……私のほうは平均よりわずかに早いくらいでしょうけど」


 メリルの説明は非常に説得力があった。……やっぱり経済力は大切だ。


「あれ? そう言えば、カナメ兄ちゃんって何歳だっけ? 若作りだって記憶はあるんだけど」


「……たぶん二十七歳」


 暦が微妙に違うので厳密には分からないが、大体そんなところだろう。すると、予想通り二人が目を丸くした。


「いや、先に言っておくけどな。俺のせか――国では、三十歳くらいが普通だったからな?」


 自分でもよく分からないながらに、俺は言い訳を口にする。その言葉の意味を正確に理解できるのは、この場ではクルネだけだろう。だが、当の彼女はなんとも言えない微妙な表情を浮かべていた。


「カナメ兄ちゃんの国って……」


「まあ、こういうのは土地柄によるし……王都もだいぶ遅いって聞いたものね」


 ジークフリートの言葉に続けて、子供を抱いて戻ってきたメリルも反応を見せる。すると、俺より先にクルネが口を開いた。


「そ、そうよね! 王都はもっと遅かったもの……!」


 どこか言い聞かせるような雰囲気で彼女は一人頷く。すると、今度はジークフリートが陽気な声を上げた。


「それに、カナメ兄ちゃんは若く見えるからな! 別に気にすることないと思うぜ!」


 そう言って俺の肩をばんばん叩いてくる。防衛者ディフェンダー固有職ジョブ補正の効果か知らないが、結構痛い。


「ひょっとして俺、励まされているのか……?」


「励ますと言うかなんというか……」


 俺の呟きに対して、今度はメリルまで複雑な表情を浮かべる。


 その理由を尋ねようとした俺だったが、彼女に抱かれていたアレックス君が再び泣き出した。どうやらお腹が空いたらしい。これはそろそろ潮時かな?


「じゃあ、私たちはそろそろ失礼するね」


 俺と同じことを考えたのだろう、クルネが慌てたように立ち上がった。


「またな、クルネ姉ちゃん、カナメ兄ちゃん」


「また来てくださいね」


「ああ、また来るよ」


 俺も立ち上がると、ジークフリートたちに別れの挨拶をする。赤子の泣き声に送られて、俺たちは彼の家を出た。




――――――――――――――――――――




 移住が相次ぐ辺境の村々の中でも、ルノール村への移住を希望する人間は非常に多い。


 彼らの多くは、モンスターに襲われて荒廃した村から逃げ出したという経緯を持っている。そのため、弓使い(アーチャー)治癒師ヒーラーという、二人の固有職ジョブ持ちを擁するルノール村に人気が集中するのは当然のことだった。


 だが、誰もがルノール村に移り住み、そして職を得られるわけではない。


 例えば住居だ。辺境の建物は基本的に木造だが、いくら森林資源が豊富な辺境とは言え、他の地域よりも頑丈な木々をそう簡単に切り出せるわけがない。

 さらに、切り出すのも大変なら、それを住居用に加工するのも一朝一夕にとはいかない。木の皮を剥ぎ、大まかな形を整え、そして乾燥させる。切り出した木が建材となるには、かなりの期間が必要となるのだ。


 そんな事情から、移住民の中には一つの家で複数の世帯が生活している者も珍しくない。少し大きめの家を建てて、それを分割して使うのだ。心から落ち着ける環境ではないが、それでも安心して住める家があるだけで随分マシというものだ。


 ベルニア地方の寒村で暮らしていた青年、ウォルフが住んでいるのはそんな家の一つだった。


「ウォルフ! ジークフリートさんが呼んでるよ!」


 同居している他の二家族と一緒に朝食を取っていたウォルフは、母親の声に思わず飛び上がった。


 このルノール村で、ジークフリートの名前を知らない人間はいない。彼こそはこの村の安全を支える固有職ジョブ持ちの一人であり、その明るく人懐っこい性格と、自身も辺境の外から来たという来歴から、移住民の中では特に人気が高かった。彼に子供が生まれた半年前などは、移住民たちで独自にお祝いをしたくらいだ。


 そんな人物が呼んでいるとあれば、待たせるわけにはいかない。彼は皿の上に残っている食べ物をまとめて口に詰め込むと、玄関口へと向かった。


「ウォルフ、おはよう! ……って、朝飯食ってたのか? 悪かったな」


「いいえ、そんなことはありません! ……うちの朝食が遅いだけです」


 ウォルフはそう言うと姿勢を正した。


 彼の家の朝食が遅いのには理由がある。三世帯合同で居を共にしているだけあって、その家族全員が一斉に食事をとることは難しい。そのため、まず朝食をとるのは、すでに仕事が決まっている人間と決まっていた。


 すると、必然的にウォルフのように仕事の口がない人間は彼らの後での食事ということになってしまい、通常よりも遅めの朝食が常となっているのだった。


「ちょっとウォルフに話があるんだ。時間は大丈夫か?」


「もちろんです。すぐに出かける準備をしますから、ほんの少しだけ待っていてください」


 のんびりでいいぜ、というジークフリートの声を背中に受けながら、ウォルフは大急ぎで階段を駆け上がった。そして家族の部屋に入ると、自分の上着を引っ掴んで外に出ようとする。


「あら? ……ウォルフ、どこかに行くの?」


 すると、そんな彼に投げかけられる声があった。気が急いているウォルフだったが、その儚げな声を無視することはできなかった。


「ジークフリートさんに呼ばれてるんだ。行ってくるよ、姉さん」


 ウォルフはそう言いながら姉の顔を観察した。移住前は村一番の器量だと言われていた姉だったが、辺境への旅中にモンスターに傷を負わされて以来、体調は優れず、その容貌もどこか病的なものに変わっていた。


 辺境へ辿り着いた時、瀕死の状態だった姉を救ってくれたのは治癒師ヒーラーのジークフリートだったが、その彼でも、傷を介して発症した病気までは治せなかったのだ。

 そのため、彼女は一人だけリビングに下りずに、こうして部屋で食事をとっているのだった。


 養生すれば時間と共に治っていくという話だが、それは栄養をしっかり取って、ちゃんと安静にしていれば、という話だ。辺境に移住してきたばかりのウォルフたち一家にそんな余裕はない。

 その事実は、未だに職を得ることのできていないウォルフを責め続けていた。


「そう、気を付けてね。ジークフリートさんによろしく」


「うん、行ってくる!」


 だが、そんな不安を姉に伝えても彼女を追いこむだけだ。ウォルフは努めて明るく返事をすると、急いで階段を駆け下りた。




 ◆◆◆




「ウォルフ、急がせたみたいで悪いな」


「いえ、ジークフリートさんに声をかけられたんですから当然です!」


 その言葉を聞いて、ジークフリートが複雑な表情を浮かべた。そんなに畏まらないでくれ、とは何度も言われているのだが、ウォルフからすれば固有職ジョブ持ちにして姉の命の恩人だ。そう簡単に態度を改めることができなかった。


「ま、立ち話もなんだし、昨日のとこに行こうぜ」


 そう行ってジークフリートは歩き出す。昨日のところ、と言われてウォルフは一瞬戸惑ったが、やがて、前日切り倒された木を運んでいた現場だということに思い当たる。

 誰があんなに大量の木を切って回ったのか不明だが、あれだけの木材があれば、今複数の世帯で同居している家族も個別で住めるようになるだろう。


 給金は出ないという話だったが、それだけでもあの現場で働く意味はあるというものだ。そうすれば、姉が安静にするための個室だって確保できる。そんな思いを胸に、ウォルフはジークフリートの後を追った。


「よっし、着いたな」


「はい! ……あれ?」


 ジークフリートと共に伐採現場に辿り着いたウォルフは、不思議そうに声を上げた。なぜなら、そこには誰もいなかったからだ。てっきりみんなで丸太運びを再開するのかと思っていたが……。


「ジークフリート、待たせたな」


 ウォルフがそう思ったのと、後ろから声を掛けられたのとは同時だった。その声に振り向くと、そこには見覚えのある姿が立っていた。この地域では珍しい黒目黒髪の青年。

 それは、昨日ジークフリートが恩人だと紹介していた神官に間違いなかった。なんだか親近感を覚えるのは、昨日一緒に巨大鼠ギガントラットを倒したからだろうか。


 ウォルフがそんなことを考えていると、ジークフリートが口を開いた。


「カナメ兄ちゃん、こいつがウォルフだ。……間違いないか?」


「……ああ、間違いない。ありがとう、ジークフリート」


 そんなやり取りの意味が分からず、ウォルフは首を傾げる。だが、衝撃的な言葉と共に、その疑問は解消された。


「なんでも、ウォルフには固有職ジョブ資質があるんだってさ。それで、こんな朝早くにこっそり呼び出したんだよ」


「……へ?」


 ウォルフの口から出て来たのは、そんな間の抜けた声だった。彼の頭にその言葉が浸透するまでには、しばらく時間がかかった。


「ウォルフさん、貴方には盗賊シーフ固有職ジョブ資質があります。その上で提案したいのですが、私たちクルシス神殿と契約しませんか?」


「ぼ、僕に、固有職ジョブ資質? 本当に……?」


「カナメ兄ちゃんの見立てなんだから、まず間違いはないぜ」


 ウォルフの呟きを耳にして、ジークフリートが明るい声でそれを肯定する。その言葉を聞いて、ウォルフはようやく話が現実のものだと実感した。


「本当に僕を転職ジョブチェンジさせてくれるんですか!?」


 つい詰め寄ったウォルフに頷きを返すと、彼は懐から一枚の紙を取り出す。それは、神官が言う通り契約書のようだった。


「本来、転職ジョブチェンジの儀式には三万セレルが必要です」


「三万セレル……」


 神官の言葉を理解すると、ウォルフの声は自然と暗くなった。辺境までの旅費と、移住に掛かる初期費用で、家の蓄えはほとんど底を突いている。昨日、分割払いも可能だという話を聞いた記憶があるが、それでも最初にある程度お金を払う必要はあるだろう。


 ウォルフは俯いたまま地面を見つめる。希望が一転して絶望に叩き落された気分だった。


「――ですが」


 言葉の続きに、ウォルフは顔を上げる。


「私たちは人材を必要としています。昨日、巨大鼠ギガントラットと戦った貴方ならお分かりの通り、ここにはモンスターが出現します。この辺りはつい昨日までシュルト大森林の一部だったのですから、それも当然でしょう」


 ウォルフはその言葉に黙って頷くと、静かに言葉の続きを待った。


「そのため、この神殿建設予定地で作業する人たちを護衛する人材が必要です」


 そう言われて、ウォルフの瞳に理解の色が灯り始める。


「契約期間は半年。それだけあれば神殿は完成します。その間、この現場を守ってほしいのです。その代わり、転職ジョブチェンジについては頭金と半年の奉仕分を相殺します。具体的な返済は……そうですね、一年後からで結構ですよ」


 それは願ってもない話だった。どのみちウォルフはこの現場に毎日足を運ぶつもりだったし、まして自分を転職ジョブチェンジさせてくれるというのだ。

 一年後からの返済については多少気になるが、村のすぐ近くに存在しているシュルト大森林は、モンスターを退けられる実力者にとっては宝の山だ。ウォルフの首が回らなくなるようなことにはならないだろう。


「……その契約、お受けします」


 ウォルフは差し出された契約書を受け取ると、手近な切り株の上で署名する。完成した契約書を受け取った神官は、その内容を確認するとにこやかな表情で頷いた。


「それでは、転職ジョブチェンジの儀式を行います」


「はい……あれ? たしか、転職ジョブチェンジの儀式って……」


 ウォルフは一つの疑問に行き当たった。たしか昨日、神殿がないため転職ジョブチェンジの儀式はできないと言っていたはずだが、あれは聞き間違いだったのだろうか。


 そう尋ねると、神官は一つ咳払いをしてから口を開いた。


「あれだけの人数を相手に儀式をすることは不可能ですが、資質の強い方を一人転職(ジョブチェンジ)させるくらいなら、神殿がなくても何とかなるのですよ」


 その言葉はどこか説明じみているように思えたが、特に疑うようなものでもない。ウォルフにとって重要なことは、目の前の神官が自分を転職ジョブチェンジさせてくれるということだけだった。


「あの、よろしくお願いします」


「分かりました。それでは、儀式を始めます」


 そう言うと、神官は厳かに祝詞を唱え始める。朝の森林に響く祝詞は、そこに神秘的な空間を作り上げていた。


「――っ!?」


 そんな祝詞に聞き入っていたウォルフは、ふと自分の身体が置き換わっていくような感覚に襲われた。その不思議な感覚に戸惑ったのも束の間、ふと気が付いた時には、彼はすでに盗賊シーフ固有職ジョブを宿していた。


「これは……!」


 ウォルフは、自分が固有職ジョブを得たことを疑っていなかった。身体の奥から湧き上がってくる力、異常なまでの身体の軽さ、そして研ぎ澄まされた五感から伝わってくる森の気配。


――これが固有職ジョブの力なのか。


 そう納得していると、彼に近付く影があった。ジークフリートだ。彼はどこか嬉しそうにウォルフの肩を叩いた。


「これで、ウォルフも固有職ジョブ仲間だな。あらためてよろしくな!」


「は、はい……!」


 ウォルフはそう答えると、次いで神官に向き直る。


「神官様、本当にありがとうございました! ご恩は一生忘れません! この場所は私が命に代えても守ってみせます!」


 そう言って勢いよく頭を下げる。だが、そんな彼にかけられたのは予想外の言葉だった。


「ええと……そう喜んでくださるのは嬉しいのですが、命に代えて守る必要まではありませんからね?」


「え?」


 ウォルフは虚をつかれて、きょとんとした表情を浮かべた。


盗賊シーフ固有職ジョブを得た貴方は、そこらのモンスターにやられることはないでしょう。ですが、忘れないでください。盗賊シーフは純粋な戦闘職ではありませんし、その戦闘力は戦士職に比べて劣ります。

 例えば、昨日の狂乱猪マッドボアを一人で仕留めることは難しい。非常に高度な立ち回りが必要です」


 はっきりと自らの火力不足を指摘されて、ウォルフは複雑な表情を浮かべた。だが、その言葉に反発するほど彼は子供ではなかった。


「私が貴方に願うことは、命を張って盾になることではなく、その能力を活かして周囲を警戒することです。モンスターが現れる兆候を察知したら、まず現場の作業員を退避させてください。

 そして、安全を確保してから援軍を呼ぶこと。今の貴方の素早さなら、ジークフリートを呼びに行くのにそう時間はかからないでしょう」


「分かりました」


 神官の言葉を聞いて、ウォルフは素直に頷いた。彼がウォルフの固有職ジョブの特性を最大限に活かそうと考えていることが分かったからだ。


『辺境の守護者』のような戦士ウォリアーにも憧れるが、自分には自分の道がある。そう教えられた気がして、彼は静かに頭を下げた。


「ま、防衛者ディフェンダーの俺と盗賊シーフのウォルフが組めば、大抵のモンスターは倒せるだろうけどな!」


 と、そんな余韻をかき消すかのようにジークフリートの声が響く。


「お前、俺の気遣いを台無しにするなよ……」


「だってさ! 男たるもの最前線に立ちたいじゃん?」


「その気持ちを否定するつもりはないが、せめて自分の強みを理解してからだな……」


 そんな仲の良さそうなやり取りを見て、ウォルフは思わず笑い声を上げた。そして、そんな自分の状態にふと気付く。


 最後に心から笑ったのはいつだっただろう。


 前に住んでいた村を追われてからというもの、辺境への旅、姉の負傷と発病、自らの求職活動の不振と、気を暗くする話には事欠かなかった。そのため、自分の笑顔がどこか薄っぺらいものになっていく自覚はあった。


 その自分が、こうして自然に笑えている。固有職ジョブを得た安心感で、心に余裕ができたのだろう。我ながら現金なものだとは思うが、人の心とはそんなものだろう。


 そんなことを考えながら、彼は笑い続けた。


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