伐採
【クルシス神殿助祭 カナメ・モリモト】
「いっただきまーす!」
ジークフリートの元気な声を皮切りに、めいめいが出された料理に手を付ける。クルネとミルティに続いてエリンも帰ってしまったため、テーブルについているのは、俺、アルバート司祭、ラウルスさん、ジークフリート、それにアデリーナの五人だった。
俺は、目の前で湯気を立てている鳥と根菜の煮物に匙を伸ばす。肉と野菜のごった煮は、辺境でもっともスタンダードな調理方法だ。それは、以前と変わらない辺境らしい味で……あれ?
俺はもう一度、今度は煮汁を主体としてその味を確かめた。……うん、やっぱり気のせいじゃないな。俺がそんな結論を出した時、テーブルに近付く人影があった。
「カナメ君、うちの料理を食べるのは久しぶりだと思うけど、どうかしら?」
それはボーザムさんの奥さんで、この宿屋の料理担当を兼ねるマルチアさんだった。料理をしている時はあまり厨房から出て来ない人なのだが、こうしてわざわざテーブルまで来たということは、やっぱり……。
「個人的には、前よりも好きです。この料理、今までは使ってなかった香辛料を使ってますよね? ちょっと驚きました」
そう答えると、マルチアさんは嬉しそうな、それでいてどこか寂しそうな表情を浮かべた。
「……やっぱりねぇ。カナメ君は長い間王都に住んでいたんでしょう? 辺境の外ではこういった味付けのほうが人気なのね」
「なんだよ、俺やメリルだってそう言っただろ?」
そんな彼女の呟きに合わせて、ジークフリートがそう口を挟む。……一体なんの話だろうか。そんな思いを込めてマルチアさんを見ると、彼女は苦笑いを浮かべながら説明してくれる。
「ほら、最近は外からのお客さんや移住者が増えたでしょ? そんな人たちからすると、うちの料理はあまりにも味気ないらしいのよ」
「あー……」
すみません、その言葉には全面的に同意します。そんな心を読まれたのか、マルチアさんは小さく溜息をついた。
「そう言われても、私たちはずっとこれで生きてきたからね。そう簡単に新しい料理に切り替えられるわけもないし」
「だけど、今までの料理を好む人もいるんじゃありませんか?」
とりあえず、俺は精一杯フォローしてみることにした。味についてはともかく、宿屋夫婦には何かとお世話になったからなぁ。
「たしかに、そう言ってくれる人もいるけどねぇ。……もちろん、私も主人も新しい料理には興味があるのよ。今までは、食事を楽しむなんてあまり考えたことがなかったもの」
「だからさ、メリルが向こうの料理をいくつかマルチアさんに教えたりもしてるんだぜ。……今までは、俺たちしか食いもんにこだわってなかったからなぁ」
ジークフリートが得意げに呟く。そう言えば、ジークフリートも恋人のメリルも、リビエールの街の出身だったな。辺境に近い街とは言え、食文化にはだいぶ開きがあった記憶がある。
「やっぱり、私たちと移住してきた人たちの間には溝ができてしまうのよ……文化が違うんだから、仕方ないことだと思うけど」
「そうなんですか……」
その言葉は、料理のことだけを差しているようには思えなかった。フォレノさんもそんなことを言ってたし、これは少し気に留めておいたほうがよさそうだな。
そんなことを考えながら、俺は久しぶりの辺境料理を味わうのだった。
◆◆◆
「ここが、昨日話をした神殿建立の候補地だよ。ほら、森がすぐ近くにあるだろう? あれを切り開くというのであれば、好きにしてもらって構わないさ」
辺境に到着して、いろいろと密度の濃い一日を過ごした翌朝。俺は朝早くから一仕事するべく、フォレノ村長に建設予定地を見せてもらっていた。
クルネやミルティは積もる話もあるだろうし、朝は姿を見せないかもしれないと思っていたのだが、二人とも職務熱心なのか、朝一番で宿屋へ姿を現していた。
だが、そこにアデリーナとラウルスさんの姿はない。なんせ、二人とも辺境の重要な防衛戦力だ。戦力過剰な感のあるルノール村に長逗留するのは、辺境全体の防衛と言う観点からすると、あまり好ましくなかった。
そのため、ラウルスさんは鷲獅子でアデリーナを南端の村まで運び、そのままとって返して、自分の住処たるトールス村へと帰還したのだった。……いや、本当に大変だなぁ。
そんなことを思い出しながら、俺は目の前の地形を観察する。
「イメージ通りですね。特に傾斜があるようにも見えませんし……」
「ああ、日当たりも悪くないしな。これで森が近くになければ申し分のない立地だが……こればっかりはな」
そう言ってわざとらしく肩をすくめるフォレノさんに向かって、俺はもう一度確認をする。
「この森を切り開けば、その部分を神殿やその敷地に充てていいんでしたよね?」
「もちろんだよ。ただ、この森はモンスターのみならず、植物も頑強だからね。こう言ってはなんだが、木を一本切り倒すだけでも、かなりの労力がかかると思うよ。……どうするね? 木こりを紹介しようか?」
「いえ、大丈夫です」
親身にそう提案してくれるフォレノさんに向かって、俺は首を横に振った。すると、ほぼ同じタイミングでクルネが一本の剣を渡してくれる。
彼女が調達してくれた重量のある剣を受け取ると、俺は切り開くべき森の入り口に向き合った。
「みんな、下がってくれ……あ、ミルティとジークフリートは俺の後ろに。悪いが、打ち合わせ通り手を貸してくれ」
「ええ、任せて」
「仕方ねえな」
二人から了承の言葉を得ると、俺は神々の遊戯以来となる上級職、剣匠に転職した。
次いで、魔力変換の特技を使用して、ミルティとジークフリートの魔力を取り入れる。思っていたよりも魔力を吸収できたことに驚いたが、これは二人が協力的だったからだろうか。また実験してみよう。
頭の片隅でそんなことを考えながら、俺は力を蓄える。吸収したエネルギーの半分は『剣気』として手元の剣に注ぎ、そして残り半分は身体に留めている。右手に持つ剣の刀身が、昼でも分かるほどに青く輝き始めた。
そして、心の中で数えていたカウントが残り一秒になった瞬間。俺は全力で剣を振り切った。
「次元斬」
青白い残像を引き連れて、巨大な剣閃が森の一角を薙ぐ。そして直後に、俺の身体を急激な脱力感が襲った。正確に言えば、脱力したのではなく固有職の能力補正がなくなっただけなのだが、ほとんど重さを感じなかった手元の剣がやけに重く感じられる。
出番の終わった抜身の剣を鞘に納めると、まるでそれが合図だったかのように周囲の木々がズゥン、と重い音を立てて倒れ始めた。
もちろん、一本や二本の話ではない。威力より射程を重視して放った次元斬は、期待を遥かに上回る成果を上げていた。見た感じからすると、有効射程は半径七、八十メートルの半円といったところだろうか。物凄い地響きと共に、急速に視界が開けていく。
「あーあ、カナメ兄ちゃんは相変わらずだな」
「なんだか慣れちゃったわね」
「……二人とも冷静ね。私は三頭獣戦で一度見ただけだから、信じられない光景だとしか思えないわ」
「いや、俺なんか初めて見たんだが……これが上級職への転職か。話は聞いてたが、無茶苦茶だな」
すると、後ろからそんな言葉が聞こえてくる。そうか、そう言えばアルバート司祭は初見だっけか。その様子は、驚くと言うよりも呆れているように見えた。
「な……なんだ、今のは……!?」
だが、一人だけ素直に驚いた人物がいた。フォレノ村長だ。彼は目を見開いたまま、俺と森だった場所とをせわしなく見比べる。
「あれ? フォレノさん、カナメが地竜を倒したって知ってたよね?」
そんな様子を見て、クルネが不思議そうに問いかける。すると、フォレノさんは弁解するように腕を振った。
「いや、カナメ君が討伐隊に参加していたのはもちろん知っていたが……。てっきりラウルスさんが中心となって倒したものとばかり思っていたよ」
「……まあ、普通はそう考えるわよね」
そんなクルネの呟きに、ミルティとジークフリートが賛同の声を上げる。たしかに、俺だって第三者の立場だったらそう思うだろうなぁ。
「まあ、それならこの光景にも納得できるが……ところでカナメ君」
「はい?」
俺がフォレノさんのほうを振り向くと、彼はなんとも言えない微妙な表情を浮かべていた。……なんだろう、嫌な予感がする。
「君が切り倒したこの大量の木々は、どう処理するつもりなのかな? このままでは神殿を建てるどころではないだろう。住居は不足しているし、これらの木を建材にするのは大歓迎だが……」
「……あ」
ほんとだ。伐採した木の撤去には、かなり時間がかかりそうだな。とりあえずここは……。
「ジークフリート、後は任せた。俺たちは神殿を建てるための打ち合わせをしなければならない」
俺はジークフリートの両肩をがっしりと掴んだ。
「ええ!? 俺!?」
「いいじゃないか、防衛者の身体能力を確かめるチャンスだぞ」
「それは、まあ、なくもないけどさ……」
「ひょっとしたら、こういった力仕事で特技が身につくかもしれない」
「う……」
「さらに、次回の神殿利用料が五パーセントオフに!」
「お前な……」
俺がつい調子に乗っていると、後ろにいたアルバート司祭が俺の頭を小突いた。店ならともかく、神殿がお布施を値引きするというのはイメージがよくない。さすがに許してはくれないようだった。……まあ、当たり前だけど。
「大丈夫ですよ、ちゃんと何かにかこつけますから」
「堂々と言うなよ……」
俺たちがそんなやり取りをしていると、ジークフリートが口を開く。
「……分かったよ。俺たちにとってもいい話だし」
「え、本当にいいのか? ……よし、頼む!」
おお、言ってみるもんだ。俺は少し意外に思いながらも、全権をジークフリートに委ねた。彼にとってそんなにいい話だとは思えないが……まあいいや。本人が納得してくれてるしね。
◆◆◆
「お! カナメ兄ちゃん、今日はもう終わりか!?」
二日目の打ち合わせを終えて、森の伐採現場に足を運んだ俺は、思いのほか元気そうなジークフリートの姿に驚いた。まだ夕方にも差し掛かっていない時分とは言え、木材運びなんてハードな仕事で弱っているかと心配していたのだが……。
「ジークフリートさん! 後ろ通ります!」
「おう!」
そんな声と共に、大きな木がジークフリートの後ろを通過する。彼の後ろに目をやると、十人ほどの男性が大木を取り囲んでいた。彼らは、似たような直径の木の枝をコロにして、大木を運んでいるようだった。
十代の少年もいれば、そろそろ初老の域に差しかかりそうな人もいる。さっぱり顔に見覚えがないことからすると、ルノール村に移住してきた人たちだろうか。
「なあ、ジークフリート。あの人たちは……?」
木を運んで去っていく彼らの後ろ姿を見送りながら、そう問いかける。すると、ジークフリートはどこか得意げに口を開いた。
「最近この村に移住してきた人だよ。まだ働き口が決まってない人の中で、力仕事ができそうな人を連れてきたんだ。どうせ暇だって言うしさ」
なるほど、それはありがたいな。ただ、力仕事ができそうな人という割には、あまり強そうには見えないが……そうか、そういう人はもう仕事が決まっているからか。俺は一人で納得すると、もう一つの疑問を口にする。
「それはありがたいが……暇だとは言え、わざわざこんな大変な作業をしたがるものか?」
「何もしてないよりはいいんだってさ。何もすることがないと、働いている人たちの視線が辛いって言うんだけど……」
その気持ちは分からなくもない。たとえ、元々の辺境民がそう思っていなかったとしても、移住してきた彼ら自身が負い目を感じてしまうのだろう。
それに、辺境民の大まかな性格からすれば、実際にそう考えている人がいないとは言えない。もちろん、それは辺境に限った話ではなくて、人間社会ならどこでもある話だとは思うけどね。
「そうか……。まだ本格的に工事に着手しているわけじゃないから、日当を出すのは厳しいが……」
俺にできることと言えば、本格的に神殿の建設作業が始まった時に、彼らを優先的に雇用することくらいだろう。それだって、うまくやらないと問題になりそうだしな。
「うーん、そこまでは期待してないと思うけどなぁ……」
「――ジークフリートさん、次の木いけます! どれを運びますか?」
そんなことを話していると、気合いの入った声が聞こえてきた。いつの間にか、周囲に人が集まっている。
俺は周りの人々を見回した。大変な作業のはずなのに、みんな意外といい顔をしている。あれ、ひょっとしてジークフリートって人を統率するのに向いてるのか? あんまりカリスマ系には思えないんだが……。
「あの、ジークフリートさん? この方たちは誰ですか?」
俺がそんなことを考えている間に、彼らも俺たちを観察していたらしい。さっき元気に話しかけてきた二十歳くらいの青年が、興味深そうに俺たちを見ている。視線の大半がクルネやミルティのほうに吸い寄せられているのは……気付かなかったことにしよう、うん。
「話せば長くなるんだけど、簡単に言えば、カナメ兄ちゃんは恩人で今は神官なんだ」
「短くまとめすぎだろ……」
あまりに端的な説明を聞いて、俺は思わずツッコミを入れた。だが、その説明を聞かされた彼らは素直に頷く。
「なるほど、大切な方なのですね」
……えーと。なんだろうこの違和感。そんな感想を抱きながら彼らを見ているうち、俺は一つのことに気付いた。
「……ひょっとして、ジークフリートって人気者なのか?」
俺は思わずそう呟く。彼らがジークフリートを見る眼差しには、尊敬の念や好意、そして感謝の念などが多分に混じっているような気がしたのだ。
「だって、ジークフリートさんは固有職持ちですからね! ……しかも、元々がリビエールの街の出身だからか、僕ら移住民の気持ちも分かってくれますし、本当に助けられているんです!
それに、ここにいるメンバーの中には、ジークフリートさんの治癒魔法で命を繋ぎ止めた者もいますし」
ああ、なるほどなぁ。そもそも固有職持ちがいるから、という理由で辺境にやって来た人たちが多いため、固有職持ちに対して強い敬意を持つ人が多いのは道理だった。まして、ジークフリートに命を助けられたとあってはなおのことだ。
「……カナメ兄ちゃん、もうその話はいいだろ? それじゃみんな、次はあの奥のほうにある枝だらけの木を運ぼうぜ! まずは枝を切らなきゃな」
照れているのか、ジークフリートは俺たちの会話に割り込んでくると、そのまま彼らに指示を出す。
「分かりました!」
ジークフリートの指示を受けて、彼らは近くに置いてあった鉈を手に取って目的の木へと近づく。そして、彼らの一人が鉈を振り上げた瞬間だった。
「うわぁぁぁ!」
「巨大鼠だ!」
男たちから悲鳴が上がる。見れば、森の奥から結構な数の巨大鼠がこちらを見つめていた。そして、なんだか興奮しているように見えるんだが……あ。ひょっとして、俺が切り倒した森の中に棲息地があったとか……?
そうして睨み合っていたのも束の間、最低でも三十匹は下らない巨大鼠の群れが俺たちへ襲いかかってきた。
「威嚇!」
咄嗟に特技を発動して、巨大鼠たちの注意を引き付けたクルネの反応はさすがだった。彼女はいつの間にか抜いていた剣を構えると、作業をしていた村人たちの前に出る。
「広域防護!」
クルネが稼いだ貴重な時間を使って、ジークフリートが補助魔法を唱える。……おお、初めて見る魔法だな。おそらく複数を同時に強化できる補助魔法なのだろうが、俺も対象に含まれていたらしく、少し身体が軽くなった気がする。
ただ、範囲魔法のせいなのか、元々そういう魔法なのかは知らないが、魔術師が使う身体能力強化ほどの効果はないようだった。
「うわぁぁぁ!」
と、突然横手にいた人間から悲鳴が上がった。いつの間に近寄っていたのか、横合いから現れた巨大鼠に噛みつかれたのだ。近くにいた俺は、慌てて剣を抜いて彼に近付く。
以前に巨大鼠の群れと戦った時は、こいつに食いつかれて肩を砕かれた人がいたからな。放っておくわけにはいかないだろう。
「ぁぁぁぁ……あれ?」
だが、悲鳴を上げていた男は、やがて間の抜けた声を上げた。そして、まじまじと自分に噛みついている巨大鼠を眺める。その光景を見て俺は驚いた。
巨大鼠はたしかに男性に噛みついている。だが、その歯が彼に与えたダメージは、致命的なものには見えなかったのだ。
もちろん血は出ているし、軽傷だとはとても言えないが、その様子からすると傷は骨までは達していないように思える。さっきの補助魔法のおかげだろう。
どうやら、ジークフリートは防衛者の力をうまく使いこなしているようだった。
「光剣!」
戦場となった森の跡地にクルネの声が響く。彼女が手にしているのは、もはや見慣れた光の剣だ。巨大鼠が最も密集しているポイントに、エネルギーの奔流が直撃する。
「クーちゃん避けて! 追撃するわ!」
その声を聞いたクルネが横に跳び退いた直後、今度はミルティの魔法が巨大鼠を襲う。
「雷撃帷!」
彼女の言葉に応えて、雷のカーテンが巨大鼠を一網打尽にする。範囲攻撃を重視したのか、まだ息のある個体もそれなりにいるようだが、もはや大した脅威ではない。
「うおおおおお!」
そんな範囲攻撃が乱れ飛ぶ中を、一人だけ剣を片手に駆け抜ける人影があった。もちろんジークフリートだ。
治癒師と防衛者の能力補正の差だろうか、その動きは俺の記憶の中のジークフリートとは比べものにならなかった。彼は凄い勢いで巨大鼠を斬り捨てていく。
さすがに一太刀とはいかないようだが、それでもその殲滅速度には目を見張るものがあった。
「皆さんは今のうちに避難してください!」
そんな戦いを見ていた俺は、ふと大声を張り上げた。なぜなら、村人たちが鉈を振り上げてジークフリートに加勢しようとしていたからだ。補助魔法のかかっている今なら致命傷を受けることはないだろうが、万が一ということもある。だが。
「駄目だ! ジークフリートさんや女の子だけに戦わせるわけにはいかない!」
そう応じたのは誰だっただろうか。むしろ邪魔になる可能性が高いのだが、俺の発言力ではそう言ったところで反感を買うだけだろう。そう考えた俺は、早々に妥協すると大声で叫ぶ。
「それなら最低でも三人以上でチームを組んでください! 絶対にです!」
「わ、わかった!」
俺が鬼気迫っていたからか、ジークフリートの恩人だという言葉が効力を発揮していたのか、ともかく彼らは三、三、四人の三つのグループに分かれる。その直後、横合いからさらに数匹の巨大鼠がなだれ込んできた。
「キャロ! 頼む!」
「キュァッ!」
村人のグループに襲いかかろうとしていた巨大鼠の横っ腹を、キャロが物凄い勢いで蹴り飛ばす。何かの特技を使用したのか、普段とは比べものにならない轟音とともに、巨大鼠が後ろの二体ごと吹き飛んだ。……あれ? 今のって衝撃強化っぽくなかったか……?
「たたた助かった! ありが……って兎!?」
キャロに救われた村人の一人が、恩人の姿を見てあんぐりと口を開けた。……まあ気持ちは分かるんだけど、それは後にしたほうがいいんじゃないかな。驚いている彼目がけて飛びかかろうとしている巨大鼠に向かって、俺は持っていた剣を振り下ろす。
狙いは過たず、巨大鼠の肩口を深く切り裂いた。身体能力強化ほどではないが、広域防護によって多少は筋力も強化されているようで、思いのほか簡単に巨大鼠を討ち取ることができたのは嬉しい誤算だった。
クルネたちのほうに目をやると、巨大鼠の大半はすでに蹴散らされており、もはや掃討戦の様相を呈している。
この分なら、巨大鼠の全滅は時間の問題だった。俺は襲ってくる巨大鼠をキャロと一緒に撃退しながら、村人たちのフォローに専念する。
「おお! モンスターが逃げたぞ!」
すると、ようやく自分たちの敗勢を悟ったのか、巨大鼠が一目散に逃げ始める。その様子を見て、村人たちが歓声を上げた。気分が高揚しているのだろう、彼らは鉈を掲げると、お互いの健闘を讃え合う。だが――。
「みんな逃げて!」
勝利に沸いていた彼らは、だからこそクルネの警告に反応することができなかった。そんな彼らの前に姿を現したのは、全長四メートルはありそうな巨大な猪だった。……ひょっとして巨大鼠が逃げ出したのって、敗勢を悟ったからじゃなくて、こっちが原因だったのか……?
「やべ、あれ狂乱猪じゃん……!」
ジークフリートの焦った呟きが聞こえて来る。……聞いたことがあるな。たしか、激昂すると相手を死ぬまで追いかけ続けるという、最悪な習性を持ったモンスターだ。しかもその突進攻撃を始めとした破壊力は尋常ではなく、家の一軒や二軒は簡単に破壊してのける。
「う、うわぁぁぁぁ!」
狂乱猪の近くにいた三人組が絶叫する。だが、彼らに逃げようとする動きは見られなかった。軽いパニック状態になっているのだろう。それは非常にまずい事態だった。
いくら広域防護がかかっているとは言え、相手の破壊力は尋常ではない。先程の巨大鼠と違って、襲われれば命を失う可能性は非常に高かった。
「落ち着いてください! 狂乱猪を刺激するのが一番危険です!」
俺は焦って叫ぶが、その声が彼らに届いた様子はない。やがて、彼らの一人が鉈を振り上げて――。
「何してるんだ! 早く逃げろ!」
そんな村人を突き飛ばしたのはジークフリートだった。だが、恐慌状態に陥った彼らはそう簡単には復活しない。そんな彼らを見て、ジークフリートは魔法を練り始めた。
「鼓舞!」
彼が魔法を発動した瞬間、俺の精神が研ぎ澄まされた。心が高揚し、集中力が高められる。そしてその一方で、冷静な自分というものも存在している。当然、これも範囲魔法なのだろう。
これは凄い魔法だな。そう思ってジークフリートを見ると、彼は少し疲弊しているようだった。効果が大きい分、やはり魔力消費も多いのだろう。
だが、それだけの魔力を消費した甲斐はあったようで、パニックを起こしていた村人たちは、我を取り戻すとじりじりと狂乱猪から距離を取る。
そして、ジークフリートと対峙していた狂乱猪が、そんな村人たちに注意を向けたその時。狂乱猪の後ろ脚が付け根から切り飛ばされた。
「ジーク! みんなを連れて離れて!」
いつの間にか狂乱猪の後ろに回り込んでいたのはクルネだった。おそらく気配隠しの特技を使っていたのだろうが、さっぱり気付かなかったな。
それは他のみんなも同じようで、突然現れたクルネの姿に、誰もが驚いた表情を浮かべていた。
「わ、分かった!」
前線に残りたがるかと思ったのだが、ジークフリートは素直に頷くと、村人たちを連れてこの場を離脱する。
だが、結論から言えば、彼らが避難する必要はなかった。なぜなら、狂乱猪の怒りは余すところなくクルネに向けられていたからだ。とは言え、後脚の一本を失った狂乱猪の攻撃には精彩がなく、スピードが身上のクルネに当たるとは思えなかった。
攻撃をかわすため、クルネが大きく跳び退ったのに合わせて、狂乱猪の真下の地面から稲妻が立ち昇った。ミルティの魔法だ。
轟音と共に突き立った稲妻が、狂乱猪を容赦なく攻め立てる。しかし、さすがの生命力と言うべきだろうか、稲妻が消滅した後も狂乱猪はまだ生きていた。
だが、もはや満身創痍の狂乱猪など戦士職の敵ではない。クルネがとどめの一撃を見舞うと、四メートルの巨体はズゥン、という振動と共に地に倒れた。
「うわぁ……そっちの姉ちゃんも凄いんだな」
「や、やりましたね!」
と、俺たちが地面に座り込んで休憩していると、いつの間に戻ってきていたのか、ジークフリートたちの声が聞こえてきた。彼らは俺たちの傍までやって来ると、口々にクルネやミルティを褒めたたえる。ほんと固有職持ちの人気が半端ないな。
そんなことを考えていると、村人の一人がこちらへやって来た。
「神官様だって言うからどんななよっちいやつかと思えば、兄ちゃんも結構やるじゃねえか! 気に入ったぜ!」
そう言って俺の肩を叩いたのは、四十歳くらいのおっちゃんだ。その顔には陽気な笑みが浮かんでいる。一人だけぽつん、と取り残されている俺を不憫に思ったのだろうか。
「ありがとうございます」
俺も彼に合わせて陽気な笑顔を浮かべる。すると、そんな俺を見てジークフリートが口を開いた。
「みんな、俺たちの固有職は全部、カナメ兄ちゃんが転職させてくれたんだからな。お礼を言うなら兄ちゃんに言ってくれよ」
それは、一人だけぽつんと取り残された俺を見て、不憫に思ったジークフリートの気遣いなのだろう。だが、俺からすれば……。
「「なんですって!?」」
そんな声と共に、村人たちが一斉にこっちを見る。……いや、あの、皆さんあまりにも鬼気迫っていて怖いんですが。彼らがじりじりとこちらへにじり寄ってくるのを、俺は冷や汗と共に待ち受ける。
「ぜ、ぜひ僕も転職させてください!」
「あ! お前抜け駆けすんなよ! 俺もお願いします!」
「お前たち、少し落ち着け! ……ところで神官様、なにとぞ私を転職させてくださらんか!?」
……やっぱりこうなったか。俺がちらっとジークフリートに視線をやると、彼が謝るように手を合わせているのが見えた。隣でクルネとミルティが面白そうにこっちを眺めているけど……あれは助けてくれそうにないな。
「……皆さん、実はですね。今、こうやって木をどけてもらっていたのは、ここに転職の神殿を建てるためなんです。神殿がなくては儀式ができませんからね」
「そ、それは本当ですか!? それじゃ、神殿が出来上がれば……!」
この状態から逃れようとして、苦し紛れに言い訳をしたわけなのだが、どうやら彼らは盛り上がっているようだった。ちょっと心苦しい気もするが……まあ、別に嘘は言ってないからいいよね。
「もちろん、固有職資質がないとどうしようもありませんし、分割での支払が可能だとは言え、相応のお布施を頂くことにはなりますけどね」
「もちろんですとも! ……そうですか、それでこんなに広大な森を切り開いていらっしゃったのですね。分かりました! 神殿が一日でも早く開けるように、私も手伝います!」
「あ! 一人だけズルいぞ! 俺もです!」
「僕もやります!」
「いや、あの……正式な建設工事は始まってませんから、今の段階で給金は出ませんよ?」
「「構いません!」」
俺の水を差すような言葉に対して、返ってきたのは元気な返事だった。彼らは早速、とばかりに俺に指示を求める。ジークフリートに視線を向ければ、なにやらニヤニヤと笑っている。あいつ、覚えてろよ。
「それでは、引き続きジークフリートの指示に従って、木をどけてもらえますか? ……ただ、今日は危険な目にも遭いましたし、ここまでにしておきましょう。
後で簡単な安全措置をしておきますので、明日以降、またジークフリートと一緒に作業をお願いします」
「え!? ちょ、俺はもう……」
「「分かりました!」」
ジークフリートの抗議の声をかき消して、村人たちの声が唱和する。俺が解散を告げると、彼らはどこか嬉しそうに一人、また一人とこの場を去っていく。
「さてと……」
それを見送ると、俺は目の前の伐採地に向き直った。たしかに木は切り倒したし、運び手も確保できた。だが、まだやるべきことは残っていた。
「カナメ、どうしたの? 今日は終わりなんでしょ?」
「今のうちにやっておくことがあるんだ」
クルネにそう答えると、俺は自分の感覚をチェックした。……よし、もう回復してるな。
俺は一人頷くと、本日二度目となる自己転職を行った。選んだ固有職は精霊使いだ。深呼吸をすると、精神を集中して大地の精霊に働きかける。今回、精霊に依頼することは二つだ。
一つは、さっきのようなモンスターが易々と侵入しないよう、ここに土壁を築くこと。
そしてもう一つは、切り株及びその根の排出だ。これがだいぶ複雑な作業になりそうだったため、ある程度自律的に動いてくれる精霊術を選んだのだった。
俺の呼び掛けに応じて、精霊が地響きと共に大地を揺り動かす。だが、その結果を見て俺は苦笑いを浮かべた。頼んだ処理が広範囲で、しかも複雑だったからか、大地の精霊は切り株やその根を地表まで排出すると、そのまま動きを止めてしまったのだ。
「しまったな……」
木の根の掘り返しができていないところもあるようだし、土壁に至っては数メートル分しか築けていない。……さすがに無理なお願いだったかな。しかも、次に自己転職ができるのは明日の朝だ。
と、俺が眉間に皺を寄せてそう反省していると、ミルティが近くにやって来た。
「ねえ、カナメさんのやりたいことは分かったわ。木の根はともかく、土壁は私に任せて。……ただ、私もさっきの戦いで魔力を使っちゃったし、また明日にしましょ?」
「そうだな……ありがとう、ミルティ」
今回の帰郷は一時的なものだから、王都に戻るまでにどれくらい環境が整えられるかは分からないが、できるだけのことをしていこう。
俺はそんなことを考えながら、宿屋への帰路に着いた。……開拓って大変だなぁ。