空の旅・上
【クルシス神殿司祭 アルバート・マクスウェル】
王都ノルヴィスは起伏の少ない平地に囲まれている。そのため、王都の検問所を通り抜けて外へ出た商人や旅人が目にするのは、草木と大地の色で織りなされた穏やかな景色だった。
……そう、通常であれば。アルバート司祭は、誰にも聞こえないように溜息をついた。
「だから言ったじゃねえか……」
「まさか、こんなに巨大だったとは……」
「わぁ……! あの召喚事件の時は、遠くから見かけただけだったもんね」
「本当に大きいわね。途中の餌はどうするのかしら?」
「キュァッ!」
旅の同行者となる予定の三人と一匹が、アルバートに続いて口々に声を上げる。彼らは驚きを隠そうともせずに視線を上方に向けていた。
巨大怪鳥。巨大な飛行モンスターであり、場合によっては討伐軍が差し向けられかねない、れっきとしたBランクモンスターだ。体色は赤みがかった茶色で、その全長は二十メートル近い。そんな巨大な鳥が待機しているせいで、王都を出たはずの商人たちが、慌てて王都へ駆け戻るのが見えた。
「とりあえず、早いところ出発しちまおう。このままじゃ方々に迷惑がかかるのは目に見えてるからな。……カナメ助祭、操作はもう覚えたか?」
アルバートがそう問いかけると、カナメは少し自信なさげな表情を浮かべた。
「操作というほどのものではありませんからね……。ただ、曖昧すぎて不安ではありますが」
「おいおい、勘弁してくれよ。途中で空から放り出されるなんてごめんだぜ?」
「その時はなんとかしますよ。……主にミルティが」
カナメはそう答えると、今回の旅の同行者に視線を送った。その先には、柔らかい雰囲気と、理知的な雰囲気を併せ持った女性が立っている。
合同神殿祭の転職儀式や、モンスター召喚事件での活躍で有名になりつつある彼女は、元々の素材の良さも手伝って、王都で密かなファンを増やしているらしい。
そのため、神殿長から「ミルティ導師が同行する予定だ」と聞いた時には、アルバートも驚いたものだ。それどころか、彼女は辺境の村長の娘だというのだから、世間は狭い。
「まあ、それなら大丈夫か……」
そんな人気を抜きにしても、ミルティの評価は高い。魔法研究所の理論に裏打ちされた彼女の魔術師としての実力は高く、王都に住んでいる生まれながらの魔術師と比較しても優秀な部類に入るだろう。
さらに、使用できる魔法の多彩さにおいては、既に王国でも指折りの域にあり、新しく魔法職に転職した人間の中には、彼女に面会を求めようとする者も少なくない。
その事実は、飛行モンスターに乗って空を飛ぶという、ありえない体験に気後れしていたアルバートにとって、数少ない安心材料だった。
「えーと、この籠みたいなのに乗り込めばいいのよね?」
そんな中、ずっと瞳を輝かせていたクルネが、我先にと巨大怪鳥の足元へ向かう。彼女の言う通り、そこには巨大な籠のように見える物体が置かれていた。古代遺跡の出土品であり、万が一空中で落とされても安心だという触れ込みだったが、アルバートの目からはただの籠にしか見えなかった。
「しゃあねえな、覚悟を決めるか」
そう呟くと、アルバートはクルネの後に続いた。
「意外と広いな……」
「まあ、四人と一匹だけですからね。もし定員枠の八名を使い切ってしまっていたら、足を伸ばして寝転ぶなんてできなかったでしょうし」
客室という名の籠に乗り込んだアルバートは、思っていたよりも快適そうな造りに驚いた。広さは小さめの部屋一つ分といったところだろうか。内装は清潔な雰囲気を醸し出しており、手入れが行き届いている様子だった。
安全のためだろう、椅子は存在しておらず、また手すりが至る所に取り付けられている。ちなみに、質の良さそうな絨毯が敷いてあるのだが、これはサービスではなく、カナメの提案だった。
椅子がないことを聞いたカナメは、ふかふかの絨毯を敷いて、靴を脱いで床に座ろうと主張したのだ。アルバートからすれば驚きの提案だったが、実際にやってみると悪くない。少なくとも、乗合馬車で椅子にずっと座り続けるよりは上等な旅になりそうだった。
「キャロ、ちょっと足を拭くぞ……あ! クルネ、キャロがそっちに逃げた! 捕まえてくれ!」
「え?……きゃっ!」
「あ、こっちに来たわ!」
そもそも靴を履いていない妖精兎の足を拭こうとして、カナメとクルネ、そしてミルティが悪戦苦闘する。
聖獣様は追いかけっこでもしてるつもりなのかねぇ。そんなことを考えながら、アルバートは彼らのやり取りを眺めるのだった。
◆◆◆
「本当に空を飛んでるんだな……」
やや高めの位置にある、客室の窓から外を覗きながらアルバートはそう呟いた。……といっても、あくまで視線は水平、もしくは上方固定だ。下を見るにはまだ勇気が足りない。彼はそう開き直っていた。
それでも慣れてきたのか、今では客室の中をおっかなびっくり歩くこともなくなった。独特の浮遊感は感じるものの、それだけだ。
「ね、気持ちいいよね!」
アルバートの呟きに反応したのはクルネだ。彼女は巨大怪鳥が飛び立った時から今に至るまで、ずっと瞳を輝かせてはしゃいでいた。
「どうせなら、巨大怪鳥の背中にも乗ってみたいな。……あ、そうだカナメ!」
「……ん?」
「よく考えたら、カナメが魔獣使いに自己転職すれば、いつでも飛行モンスターに乗れるんじゃない!?」
カナメに詰め寄らんばかりの勢いで、クルネはそう提案する。だが、カナメは曖昧な笑みを浮かべて答えを返した。
「十秒で空から放り出されてもいいのなら」
「……やっぱりやめとく」
そんなやり取りを耳にして、アルバートは笑い声を上げた。そして笑いながらも、彼は妙な気分になった。
本来なら、カナメの自己転職はクルシス神殿の重要機密だ。まして、その自己転職が十秒しかもたないということは、神殿内ではプロメト神殿長とミレニア筆頭司祭、そして警備部門の長であるアルバートの三人しか知らない最重要機密だった。
だが、ここにいるメンバーは全員がそのことを知っているため、こんな会話も可能なのだ。その事実にアルバートは不思議な感慨を抱いた。
「……ミルティ、大丈夫か?」
カナメがそう話しかけたのは、それからすぐのことだった。そう言えば、巨大怪鳥が飛び立ってからというもの、ほとんど彼女の声を聞いた記憶がない。アルバートは遅まきながらそのことに気付いた。
「ええ……心配をかけてごめんなさい……」
そう答えるミルティは、明らかに調子が悪そうだった。それが体調不良のせいではなく、飛行モンスターに運ばれていることに由来していることは間違いない。アルバートは彼女に心から同情した。
「無理せず横になっていてくれ」
「……ねえカナメさん、ちょっと、いいかしら……?」
彼女をいたわるカナメに対して、ミルティは弱々しい声で問いかける。
「ん?」
そう聞き返すカナメに対して、ミルティは何も答えなかった。その代わりに、彼女は膝立ちでよろよろとカナメに近寄ると、その肩にもたれかかった。
突然の行動にカナメは驚いたようだったが、ここで彼女を振り払うことなどできるはずがない。ミルティは彼にもたれかかってほっとしたのか、少し安心した表情で目を閉じた。その様子を見て、アルバートもほっと一息をつく。
「あっ……!」
だが、そうもいかない人物が一人だけいた。彼女はしばらく口をパクパクさせた後、おずおずと無言でカナメに近付いて行く。
「わ、私も少し疲れちゃったかな……」
そう言って、クルネはカナメの横に腰を下ろした。その位置はミルティの反対側で、ちょうど彼女たちでカナメを挟む格好になる。
あまりに分かりやすいクルネの意図に、アルバートは必死で笑いを堪える。もたれかかる言い訳が見つからないのか、彼女とカナメの間には微妙な距離があった。それでも、とてもゆっくりではあるが、少しずつ距離と角度を修正しているクルネに対して、アルバートは心の中で声援を送った。
若いっていいねぇ――そう冷やかしたいのは山々だが、片方は本当にぐったりしているし、もう片方は素手で衝撃波くらい飛ばしかねない。この件については、何も口にしないことを誓ったアルバートだった。
――――――――――――――――――
【クルシス神殿助祭 カナメ・モリモト】
「違う固有職の……特技を覚える?」
「ああ。固有職によって習得しやすい特技は違うだろ?」
巨大怪鳥とともに空を飛び始めてどれくらい経っただろうか。いくら絨毯を引いて寝転がれるようにしたとはいえ、手持無沙汰なことに変わりはない。そこで、俺は最近のクルネの悩み――彼女の戦闘力の強化について、じっくり話をすることにしたのだった。
クルネは真面目だからなぁ。この前の一件もあったし、下手をすると自分の身を犠牲にして誰かを助けるような行動をとりかねない。それならば、せめて彼女を強くすることで最悪の可能性を少しでも減らしたい。それが俺の考えだった。
「それって、別の固有職に転職するってことよね?」
「クルネが剣士に誇りを持っているのは分かっているつもりだ。だから、一時的に特技を覚えるまで、と割り切って転職してみないか?」
クルネに、新たな固有職資質があることに気付いたのはちょっと前のことだ。その固有職とは、騎士と盗賊の二つ。だが、どちらも一般職でしかないため、それなら慣れ親しんでいて、自らも誇りを持っている剣士のままがいい。それがクルネの判断だった。
ちなみに、なぜその二つの固有職資質が発現したのかは謎だが、ここ数か月の間、彼女がずっと俺の護衛をしていたことや、スピード重視の戦闘スタイルであることが関係しているのだろうか、と考えている。
ただ分からないのは、クルネにばかり固有職資質が発現するというバランスの悪い事実だった。ミルティも魔術師に転職した後で治癒師の資質を発現していたし、ひょっとして、固有職持ちは他の固有職資質が発現しやすい傾向でもあるんだろうか。
と、脱線していた俺の思考は、クルネの言葉によって現実に引き戻された。
「ねえカナメ、今覚えてる特技って、転職したら消えたりしないの?」
クルネは心配そうにそう尋ねてくる。彼女は特技を多用する戦闘スタイルであるため、そこは重要な問題だろう。……なるほど、この世界では転職が一般的じゃないから、そういったことの実証はほとんどされていないわけか。となると、身近な例で考えるしかないが……。
「少なくとも、俺の魔力変換の特技は何に転職しても残ったままだぞ」
「カナメはいろいろ特殊だもん。あんまり参考にならないわよ」
たしかに、それはそうかもしれないなぁ。けど、他の人って誰かいたっけな……あ、そうだ。
「そう言えば、ラウルスさんは威嚇の特技を元から持ってたけど、戦士に転職した後も使ってたはずだよな?」
転職した場合には、直後に何かしらの特技を習得していることが多い。例えば、剣士の衝撃波や、騎士の威嚇などだ。
だが、ラウルスさんの固有職は戦士であり、転職直後に威嚇が使えるようになる可能性は低い。となれば、威嚇の特技が引き継がれた、と言えるのではないだろうか。
……あ、でも『村人』だからこそ特技を引き継げたとか、そういった可能性もあるのかな。なんだか不安になってきたぞ。
そんなことを考えている時だった。考え込む俺たちの会話に割って入る声があった。
「ねえ二人とも、お話し中にごめんなさい。ちょっといいかしら?」
「ミルティ?」
声の主、ミルティは俺たちに頷いてみせると、横になっていた身体を起こした。
「調子はどうだ?」
「相変わらずね……。ところで、その関係でカナメさんにお願いがあるのだけど……」
言葉通り、ミルティは未だに調子を取り戻せていないようだった。そんな彼女に俺は頷く。すると、彼女は予想外の言葉を口にした。
「私を治癒師に転職させてもらえない?」
「え?」
「自分に治癒魔法をかければ、少しはマシになるんじゃないかと思ったのよ」
思わず聞き返した俺に対して、ミルティはそう説明する。……治癒魔法が効く類の体調不良じゃない気がするけど、彼女の気が紛れるならそれでもいいかな。
そう結論付けた俺は、ミルティを治癒師に転職させた。
「カナメさん、ありがとう」
ミルティはそう言って微笑むと、懐から何かを取り出した。……あれ? 自分に治癒魔法を使うんじゃないのか?
彼女の行動を不思議に思った俺に気付いたのか、ミルティはこちらへ向かって一枚のカードを差し出す。それは、彼女のステータスプレートだった。ミルティはそのプレートのある箇所を指差す。
「実はね、少し前にこんな特技が増えたの」
「ん?」
そう言われてステータスプレートをよく見ると、彼女の特技欄には『魔力感知』という文字が記載されていた。魔力感知か。魔法職なら誰でも魔力を感じることができるはずだが、わざわざ特技になっているということは、感知距離や精度が段違いなのだろうか。
……あれ? そこまで考えてから、俺は違和感に気付いた。ミルティはなぜこのタイミングでステータスプレートを取り出したんだ? どうして治癒魔法を自分に使わないんだ?
そう考えるうち、俺は一つの結論に至った。
「ミルティ、ひょっとして実験台になってくれたのか……?」
「ねえミルティ、ひょっとして私の代わりに……」
俺たちが口を開いたのは、ほぼ同時だった。どうやらクルネも同じ結論に達していたらしい。
おそらく、ミルティは転職しても特技が引き継がれるかどうかの実験台を引き受けてくれたのだ。
もしミルティが、「私が実験台になる」と正直に提案してきた場合、俺もクルネも転職をためらったに違いない。だからこそ、「治癒魔法を自分にかける」などと一芝居うったのだろう。
「クーちゃんと違って、私は特技が生死の分かれ目になるわけじゃないもの。魔法の研究に役立つかどうかも微妙な特技だったし、気にしないで」
ミルティは微笑むと、それに、と付け加えた。
「もし特技が消えちゃったとしても、それは私個人にとっては損失だけど、世界全体としては有用なデータを入手したことになるもの。研究者としては充分納得できる話よ」
なるほど、彼女ならではの視点だな。その言葉がどこまで本音か分からないが、今となっては感謝の一言だ。
「ミルティ、ありがとう」
クルネはミルティの手をとって感謝の意を伝える。さすがに照れたのか、ミルティが視線を逸らした。
そんな微笑ましい光景を見ていると、アルバート司祭が近寄ってくる。彼はどっかりと近くに腰を下ろすと、どこか愉快そうな表情で口を開いた。
「しっかし、お前さんといると、固有職に関する常識がガラガラと音を立てて崩れていくぜ。特技を覚えるために転職を繰り返すなんざ、この世界の誰も考えなかったんじゃねえか?」
まあ、この世界では転職自体が激レアイベントなんだし、転職を繰り返すという発想は生まれにくいだろうなぁ。
俺は元の世界のRPGなんかで慣れていたせいで、むしろそれが当たり前だと思ってたんだが……。なんだかゲーム感覚なのが申し訳ないくらいだ。
「そもそも、カナメがいなければあり得ない話だもんね」
「クーちゃんだからいいけれど、普通の人がそれをやろうとしたら、凄くお金がかかりそうね……」
アルバート司祭との会話に、クルネとミルティが入ってくる。……まあ、そうだよなぁ。クルネやミルティからお金をとるつもりはないけど、そうじゃない人の場合は複数回分のお布施がいるわけだもんな。
「クルネの強さは俺の安全に直結するからな。いくらでも転職してくれ」
「素直じゃないねえ……」
そんな司祭のニヤニヤ顔を受け流して、俺はクルネに特技習得プランを提示するのだった。
◆◆◆
俺たちを運んでいる巨大怪鳥は全長二十メートル近い。そんな巨大な飛行モンスターが村の外れに降り立った場合、ロクなことにならないのは目に見えていた。
となれば、泊まる予定の村の人たちを驚かせないためには、村から少し離れたところで巨大怪鳥から降りる必要があった。
「……あー、やっと着いたぜ……」
宿泊予定の村に着いた瞬間、アルバート司祭が疲れたようにぼやいた。それは、村まで歩いてきた距離に対するぼやきというよりは、空の旅に対するぼやきなのだろう。
目敏く宿屋の看板を見つけ出した司祭は、迷いなくそちらへ足を向けた。
「いらっしゃい、四名かな?」
取り立てて立派なわけではないが、ちゃんと手入れが行き届いていることが分かる建物に入ると、宿屋の主人らしき中年の男性が声をかけてきた。
「ええ、二人部屋を二つお願いします」
「はいよ。夕食はどうするかね?」
「それもお願いします。それに、可能なら明日の朝食も」
そう言いながら、俺は差し出された名簿に記帳する。すると、その様子を見ていた宿屋の主人が俺の後ろに視線をやった。
「……そこの兎も部屋に上がるのかい?」
どうやら、彼が見ていたのはキャロのようだった。俺は笑顔を浮かべて頷いてみせる。
「そのつもりです。……この子が部屋を汚すようなことはありませんし、もしそうなれば損害賠償を請求して頂いて結構です」
そう答えると、宿屋の主人は少し悩んだようだった。……まあ、どれだけ行儀がよくても、キャロの毛が部屋の至るところに付着するのは避けられないもんなぁ。
「あの、どうしても駄目ですか?」
「おじさま、この子も大切な仲間なんです」
すると、俺の横からクルネとミルティが顔を出して、口々にそう懇願する。さすが、二人とも分かってらっしゃる。見れば、宿屋の主人の顔はかなり緩んでいた。
美人二人の『お願い』は非常に効果的だったようで、宿屋の親父はあっさり同室許可を出してくれたのだった。
◆◆◆
「……すっかり忘れてたけど、辺境にいる間はあんまり美味しいものを食べられないのよね」
クルネがそう呟いたのは、宿屋の食堂で夕食を食べている時だった。少し固めに焼かれたパンをちぎると、まじまじとその欠片を見つめる。
「あ……。久しぶりの帰郷だから忘れていたわ。そういえばそうだったわね」
「私、クロシュリの果実がこの世で一番美味しい食べ物だと思ってたもの」
「私もよ。それが、王都じゃありふれた果物の一つだものね」
クルネの呟きに反応して、ミルティも少し残念そうな表情を浮かべた。そんな彼女たちを見て、アルバート司祭が不安そうに耳打ちしてくる。
「なあカナメ助祭、辺境ってそんなに食いもんが不味いのか?」
「いえ、不味いわけじゃありませんよ。ただ、あまり味に気を遣わない風土というか……」
俺がそう答えると、司祭は明らかに気落ちした様子だった。司祭、何気に食い意地はってるからなぁ。けどまあ、そこは諦めてもらおう。
「辺境でも、こんな煮込み料理が食べられたらいいのに」
王都ですっかり美味しいもの好きになってしまったクルネは、切ない表情で目の前の皿を見つめた。クルネもミルティも、辺境に愛着があるのは間違いないのに、こと食べ物に関しては全然擁護しないよなぁ。そう考えた俺は、つい笑い声をもらした。
「もう、真剣に悩んでるのに……」
その笑い声を聞いて、クルネが拗ねるように頬を膨らませた。悪かった、と言いながら、俺はお詫びとばかりに情報を提供する。
「この煮込み料理なら、辺境でも再現できるぞ」
「え?」
ちぎったパンを掴んだまま、クルネは声を上げて驚いた。
「この肉、辺境でも食べたことがある。骨や肉を煮出したスープと、ミーメの実をベースにして塩や香辛料で味付けすれば、似たような味は出せると思う。特殊な香辛料はないから、辺境でも作れるんじゃないかな」
「え?……カナメって、ひょっとして料理できたの?」
「まあ、それなりには」
信じられないような表情で呟くクルネに、俺は苦笑しながら答えを返した。
なんせ、長年にわたって外食業に従事していたからな。家でも節約のため料理はしていたし、経験はそこそこあるつもりだ。
かつて辺境に住んでいた頃は、住居に豪快なかまどが一つあるだけで、火をつけることすらままならず料理を断念したものだが、王都に行ってからは、台所で不自由することもなかったため、けっこう頻繁に料理をしていたのだった。
と、そんな会話をしている俺たちに向かって、宿屋の主人が近寄ってきた。彼は水の入った瓶を俺たちのテーブルに置くと、興味深そうな表情で口を開く。
「お客さんたちも、ベルニア地方から逃げてきたクチかい?」
どこだそれ。ベルニア、ベルニア……。
「ベルニア地方と言うと、ここよりもう少し南の地域ですよね?……そう言えば、最近モンスターの被害が増えていると聞いたような」
そう答えたのはミルティだった。あ、俺も聞いたことがあるな。たしか、王国が帝国と戦争をするために、固有職持ちや優秀な騎士団をベルニア地方から引き抜いた結果、防衛戦力が激減して大変だとか、そんな話だったはずだ。
「そうなんだよ。……その様子じゃ違ったようだね」
そう言った後、宿屋の主人は邪魔して悪かったね、と付け加えて去って行った。彼の後ろ姿を見送りながら、俺はぼそっと呟く。
「南って、これから向かう方向だよなぁ……」
「まあ、巨大怪鳥に乗ってる限り関係ない話だろうけどな」
「だといいのですが……」
アルバート司祭の言葉に答えた俺は、今後の道程について思いを巡らせるのだった。