転機
【クルシス神殿助祭 カナメ・モリモト】
「カナメ助祭、昨日も襲われたそうだな。しかも襲撃者は『竜の顎』だと聞いたが」
「そうらしいですね」
俺がそう答えると、問いかけたプロメト神殿長は考え込む素振りを見せた。
神学校で卒業生として講演し、帰りに固有職持ち三人組に襲われたのは昨日のことだ。剣士、魔術師、そして盗賊の三人組は、裏の何でも屋『竜の顎』として、そっち方面ではかなり有名なチームだったらしく、アルバート司祭が彼らを見て驚いていた。
「国境線で発生した、帝国との戦争が終結して二か月余り。従軍していた貴族も王都や各領地に戻って一息ついた頃だろう」
「……そうですね」
俺は言葉少なに相槌を打つ。神殿長が言わんとすることはなんとなく分かった。
「そして、貴族たちが王国が敗戦した責任をなすりつけ合う頃合いでもある。大金を積んで『竜の顎』を送り込んできたからには、かなりの大物貴族が潜んでいると思っていい。彼らの後ろに誰が潜んでいるのかは知らないが……今回の黒幕には一役買ってもらうとしよう」
プロメト神殿長は、意味ありげにそう宣言した。その思惑は想像に難くない。
俺への襲撃が目立つようになってはや数か月。最初は戦争前ということもあって、下手に報復をすると国同士の戦争に影響を与えかねない、と報復を自重していた部分もあったのだが、もはやその戦争も終結している。
そのため、ここ数週間のクルシス神殿は忙しかった。報復活動の結果、自宅謹慎を命じられた貴族はまだマシな方で、僻地へと飛ばされた者、領地を削られた者もいれば、降格させられた者、引退を余儀なくされて、まだ成人していない継嗣に家督を継がせた貴族もいる。
中には、お家の取り潰しに遭った貴族もいるのだが、これは戦争前のパーティーで俺を襲ってきた奴らだ。もっとも、この報復はパーティーの主催者であり、その顔に泥を塗られたエメロン侯爵との共謀であったため、クルシス神殿単独での報復活動の成果というわけではないが。
「ということは、今回の黒幕の処分と同時に、クルシス神殿としての公式な声明を発表するつもりですかい?」
「そのつもりだ。……ああ、カナメ助祭、悪いが君にも一筆書いてもらいたい。公式声明の大半は私が書き上げるが、被害者である転職の神子の声明があった方が効果的だろう」
「え、私ですか?」
「……なに、記述内容は私が考えてもいい。転職の神子の直筆というところに意義があるからな」
驚きの声を上げる俺に、プロメト神殿長は事もなげに答えた。どうやら、神殿長の中ではもう公式声明の内容が出来上がっているらしい。
「それにしても、なんだってこうもカナメ助祭を狙うんですかね? 戦争に負けた腹いせにしては、リスクが大きすぎる気がするんですが」
「確証はありませんけれど、カナメ君を捕えて、『帝国と内通していた』と無理に自白させるつもりじゃないかしら。敗戦の原因の一つが、帝国軍所属の固有職持ちの増加にあることは巷でも有名ですもの。敗戦の責任をカナメ君に押し付けようとしているのでは?」
アルバート司祭の言葉に応えたのはミレニア司祭だった。その残念な内容に、俺は自然と渋面になる。
「となると、カナメ助祭を狙う奴らはけっこうな数がいそうだな。……まあ、固有職持ちを派遣できるような貴族はそう多くねえだろうが」
「そんな彼らへの警告のためにも、今回は確実に処理せねばな」
そう言うアルバート司祭に対して、プロメト神殿長が口を挟む。
「『竜の顎』を派遣するほど切羽詰まっていて、なおかつ彼らを動かすだけの財力を保持しているとなると、大方の見当は付く。軍の総司令官を務めていたロンバート第一王子はお飾りの側面が強く、人を襲撃するような胆力もない。となれば、ベリオット伯爵やヒョードル伯爵といった、今回の王国軍の副司令官クラスだろう」
「かなりの大物ですわね……」
「だからこそ、警告たり得るというわけだ。エメロン侯爵やアイゼン王子も今回の件には協力的だ。特にアイゼン王子は、戦争で第二王子が戦死した関係で、その勢力を大幅に伸ばしている。彼は第二王子を支持していた貴族たちをうまく取り込んだようだな」
そう言って、神殿長はゆっくり立ち上がった。
「もちろん、相手は大物貴族だ。そう簡単に事は運ばないだろうが、少なくとも当代には退場してもらわねばな」
それから数週間後。ベリオット伯爵は急病により当主の座を下りることとなり、彼と反目し没落寸前であった傍系の貴族が、その家督を継ぐことになる。
そして、それと時期を同じくして、「クルシス神殿は神官を対象とした各種違法行為を非難するとともに、行為者については厳正に対処を行っていく」旨の公式声明がクルシス神殿長の名義で出された。
また、その声明には、「転職の神子がクルシス神殿やその神官を取り巻く現状について憂慮・憤慨していること、及び転職の神子の安全確保の必要性から、王都での定期的な転職業務を見合わせる」との内容も含まれていた。
王国軍の副司令官を務めていた実力者、ベリオット伯爵の突然の失脚とクルシス神殿の声明。この二つを結びつけることができない貴族はさすがにいなかったようで、その後、貴族絡みの襲撃はぴたりと収まったのだった。
◆◆◆
飾り気は一切ないが、お互いが落ち着いて話し合える。そんなコンセプトを感じる神殿の談話室は、ちょっとした熱気で溢れかえっていた。
「初めまして、私は大地神グラシオスに仕える司祭ネクターと申します! この度はカナメ司祭の貴重なお時間を私たちの研究に割いて頂けるとのことで、心より感謝しています!」
こちらに詰め寄らんばかりの勢いでそう挨拶してきたのは、大地神に仕える神官の一人だ。彼らは四人で来殿しているが、その全員が同じくらい熱い眼差しを俺に向けている。
「クルシス神殿で特別司祭を務めておりますカナメ・モリモトと申します。本日はよろしくお願いします」
俺はそう答えながら、目の前の彼らと、他神殿の神官の温度差に驚いていた。
本来この場は、各宗派に恩を売ることを目的として、それぞれの神殿が選出した神官について、無料かつ迅速に固有職資質を判定し、資質がある者に対して転職を行うことを目的としている。
例え転職希望者がいたとしても、別宗派の神官がわざわざクルシス神殿に並ぶのはあまりにも外聞が悪い。そんな人々の需要を汲んだ結果なのだが、マーカス先生の予告通り、彼らに転職しようという意思は皆無だった。
少しでも転職に対する情報を集めて研究に役立てたい。彼らからはそんな気迫が感じられた。その雰囲気は、魔法研究所の所長や副所長を連想させるものだ。
大地の神官は、知識の追及こそが神への奉仕であるとの教義に従って、何かしらの研究に没頭しているものが多い。雰囲気が似ているのも当たり前かもしれなかった。
一応、護衛としてクルネも同席しているのだが、彼らを見る限り身の危険は感じない。……まあ、別の意味で危険を感じなくもないけどね。
「まさかこうして、転職師の協力を得られる日が来るとは思ってもみませんでした。本当にありがとうございます!」
「「「ありがとうございます!」」」
ネクターと名乗った司祭の後ろで、三人が同時に唱和する。……なんだろう、研究職に近いはずなのに、ものすごく体育会系っぽいんだが。よく見たらみんな体格もいいし、なんだか部屋が狭い。
「それでは、早速ですがお伺いしてもよろしいですか? この貴重なお時間を無駄にしてしまっては、今回の訪問メンバーからもれた同胞たちに吊るし上げられてしまいます」
そんなことを考えていると、ネクター司祭が再び口を開いた。すると、一番端に座っていた若い神官がぼそっと呟く。
「あれは苦しいからなぁ……」
……あ、吊るし上げって物理的な意味だったんだ。大地の神官怖いな! マーカス先生が神学校に来たのって、ひょっとしてこの体育会っぷりが肌に合わなかったんじゃ……。
そんな失礼なことを考えながらも、それが表情に出ないよう俺はいつもの笑顔を浮かべて応じる。
「もちろんです。私がお答えできることでしたら」
すると、彼らはばっとノートらしきものを取り出した。その動きの素早さは、まるで何かの競技を見ているようだった。……うん、大地神の方向性がさっぱり分からないぞ。
「まず、カナメ司祭が転職能力を持っていることに気が付いたのはいつですか?」
「気付いたのは二、三年前です」
「そのきっかけのようなものはありますか?」
「私は辺境の出身なのですが、シュルト大森林に迷い込んだ時に、モンスターに襲われまして……。その時に彼女を転職させたことで、なんとか窮地を脱したのが始まりですね」
俺はそう言うと、隣のクルネを指し示した。突然話を振られて、クルネが慌てたように目を大きくする。その顔が「また適当なこと言って……」と語っているのは明白だったが、気にしないことにする。
なんせ本当のことを言えば、「異世界から召喚されて、召喚者と喧嘩した挙句シュルト大森林に飛ばされました。最初に転職させたのはそこらへんにいた兎です。その兎がモンスターを撃退してくれたおかげで、辺境の村に辿り着きました」となるわけだけど、さすがにそのまま伝えるわけにはいかないからなぁ。
「そ、それでは、貴方はカナメ司祭によって転職した固有職持ちなのですね!? 『村人』から固有職持ちへと転職した方への取材というものは過去に例がありません! 是非とも後でお話をお伺いさせてください!」
「え? は、はい……」
突然クルネに向き直ると、ネクター司祭はそう頼み込んだ。その勢いに押されたのか、クルネは目を白黒させながら頷く。彼女に謝意を述べてから、司祭は再び俺に視線を戻した。
「それでは次の質問ですが、固有職資質というものは、カナメ司祭にはどのように見えているのですか?」
「資質がある方の場合、身体の中に光が視えます。固有職持ちの場合は、その光が全身を覆っているように見えますね。
その光からは『戦士職のイメージ』『刃物のイメージ』というような印象が伝わってきますので、そのイメージでその資質がどの固有職のものかを判断しています」
「ということは、カナメ司祭もなんの固有職であるか分からないことがあるのですか?」
「始めはまったく予想がつきませんでした。色々な人を転職させて、ステータスプレートで固有職名を確認させてもらっているうちに、大体は判断できるようになりました」
俺はすらすらと用意していた答えを口にする。正確に言えば、自己転職して自分のステータスプレートを見る、という流れで把握した固有職が多いんだけどね。とは言え嘘はついてないし、彼らの研究を阻害するようなものでもないだろう。
俺が心の中で謝っている間にも、ネクター司祭は質問を発展させる。
「それで、転職させる時にはどういった動作を行うのでしょうか?」
「……抽象的な表現になりますが、身体の中にある固有職資質の光を全身に広げるような感覚ですね」
「なるほど……! それでは次ですが、今までカナメ司祭は多くの人々を転職させてきたと思いますが、転職できる人に何か共通点のようなものはありますか?」
「私見ですが、その方が今までに経験してきたことが反映されているように感じます。例えば、ずっと剣の鍛錬を欠かさない人は剣士の、日々拳を鍛えていた人は格闘家の資質を持っている傾向が高いと思います」
「ということは、真面目に鍛練を積んでいれば、ある程度希望する固有職資質を得られる可能性があるということでしょうか?」
「あくまで可能性、ですけどね。槍の名手として名高い人物だったにも関わらず、魔術師の資質しか見いだせなかった方も過去にはいましたし、鍛練が全てというわけではなさそうですが」
「なるほど、先天的なもの……才能もやはり存在するのですね」
「だからこそ、生まれつきの固有職持ちが存在するのだと思います」
「たしかに……! それでは次の質問ですが――」
研究熱心な大地の神官は、矢継ぎ早に質問を重ねてくる。……あの、ちょっと疲れてきたんですけど、休憩入れちゃ駄目でしょうか……?
そんな質問攻めの地獄は、クルネを生贄として差し出すまで、延々と続いたのだった。
◆◆◆
「――なるほど、ありがとうございます! 転職された方にお話をお伺いするのは初めてですが、非常に参考になりました!」
「それならよかったです……」
ネクター司祭たちの質問を浴び続けたクルネは、少しぐったりした様子だった。よくも生贄にしたわね、と言わんばかりの彼女の視線に、俺は心の中で手を合わせた。
ちなみに、俺たちよりも長時間喋り続けていたはずのネクター司祭は、なぜか顔がつやつやしていた。そんな司祭は、再び力の籠った視線を俺に向ける。
「ところでカナメ司祭、今までに、複合職や上級職へ転職された方はいらっしゃいましたか?」
「ん……?」
司祭の問いかけを受けて、俺は首を傾げた。聞き慣れない単語だな。
「……すみません、複合職ってなんですか?」
そう確認すると、彼は嬉しそうに目を輝かせて説明を開始した。
「複合職は、複数の固有職の特性を持っている固有職です。それぞれの分野では一般の固有職に一歩譲りますが、総合的な能力は一般的な固有職より上と言われることが多いですね。有名なところでは魔法剣士や錬金術師あたりでしょうか。
また、複合職とよく間違えられますが、上級職ではないが比較的希少な固有職を総称して『特殊職』と呼ぶ場合もあります。魔獣使いや炎術師、鍛冶師のような生産職もこっちに分類されますね。特殊な能力や性質を持っている固有職が多いとされています」
俺の問いかけに対して、ネクター司祭は楽しそうに知識を披露してくれた。……なるほどなぁ。ということは、地術師のサフィーネや魔法剣士だったベルゼット元副神殿長はやっぱりレアな方だったんだな。
俺も神学校でそこそこ勉強したつもりだったけど、どうしても文献が神話とかばっかりになっちゃって、そういう学術的な考察を目にした記憶がほとんどないんだよねー。
「なるほど、勉強になります。……そうですね、今のところ上級職に転職した方は一人もいません。複合職と特殊職はそれぞれ数名ずつ、といったところでしょうか」
俺がそう答えると、また四人が一斉にメモを取り始める。すると、ほぼ同じタイミングで昼の鐘の音が聞こえてきた。そしてそれは、約束していた面会時間の終了を意味していた。
鐘の音にぴくりと耳を動かしたネクター司祭は、静かに立ち上がると一礼する。
「……カナメ司祭、本日は本当にありがとうございました。叶うことなら、このまま一晩でも二晩でもお話をお伺いしたいところですが、司祭のお時間を不当に長く頂戴するわけにはいきません。今回はこれで失礼させていただこうと思います」
それは意外なほど潔い引き際だった。今後の関係を見据えて、ということだろうか。司祭の辞去の挨拶に対して、俺は一点だけ訊きたいのですが、と逆に問いかける。
「……ネクター司祭。私が言うのもなんですが、固有職とはなんなのでしょうか」
それは今まで、誰にもしたことのない質問だった。他の人間に聞いたところで、「お前が一番よく知っているだろう」と返される気しかしなかったからだ。
だが、自分が飯のタネにしている力の話だ。気にならないはずがない。
「固有職とは何か、ですか……」
俺の問いかけを聞いたネクター司祭は深く考え込み始めた。見れば他の三人も同じような顔をしている。その様子は、固有職がまだまだ解明されていないものであることを物語っていた。
「正直に申し上げれば、不明です。もちろん様々な説はありますが、いずれも検証することが困難であるため、諸説が乱立しているのが現状なのです」
やがて口を開いたネクター司祭は、申し訳なさそうにそう説明してくれた。
「ちなみに、神話や伝承の類いでは、固有職とは太古の勇者たちの魂が普遍化したものだと言われることが多いようです。いくら神話とはいえ、まったくの荒唐無稽な与太話ではないと思うのですが……」
せめてもの参考にと考えたのか、司祭はそんな情報を追加で教えてくれる。乱立している学説よりは、まだ神話の方が参考になるという判断だろうか。……けど、魂の普遍化とか、余計に意味が分からないんだが。
「そうなのですか。貴重な情報をありがとうございます。……そしてもう一つ、お伺いしたいというよりは確認なのですが……」
そして。帰り支度を始めていたネクター司祭に向かって、俺は会ってからずっと言いたかったことを口にした。
「……あの、ネクター司祭には魔術師の資質がありますが、転職していかれますか?」
「……えっ?」
彼らがクルシス神殿を去るまでには、もう少し時間がかかりそうだった。
◆◆◆
「カナメ助祭、クルネ君。君たちに辺境へ行ってもらいたい」
それは、唐突でもなんでもない話だった。俺とクルネが二人して呼ばれた時点で、そう言われることを予想していたからだ。
クルネを横目でちらりと見ると、ちょうど彼女もこちらに視線を向けたところだった。クルネがかすかに頷くのを確認すると、俺は口を開いた。
「分かりました。そのお言葉は、辺境にクルシス神殿を建立するための下準備と解釈しても?」
「無論だ。それから、辺境へはアルバート司祭が同行する。できることなら、私が直接辺境へ赴くのが一番望ましいだろうが、さすがに神殿を長期間空けるわけにはいかんのでな」
「分かりました。アルバート司祭、よろしくお願いします」
「こっちこそよろしくな」
俺の言葉に応えて、アルバート司祭は軽く手を挙げてみせた。そしてクルネを見てニヤリと笑う。
「二人っきりの旅を邪魔して悪いな。ま、俺はいないもんだと思って好きにしてくれや」
「なな、なに言ってるのよ!」
からかってくるアルバート司祭を蹴飛ばそうとしたのか、クルネの右足が少し浮く。だが、神殿長の前だということを思い出したようで、彼女は顔を赤くしたまま黙り込んだ。恨めしそうに司祭を睨んでいるが、あんまり怖くはない。
「さすがに今回は、カナメ助祭一人に任せるわけにはいくまい」
同行者が必要だという神殿長の言葉は納得できるものだった。俺は辺境に住んでいた経験もあるし、転職能力だって持っている。だけど、俺はしょせん助祭でしかない。
仮にも神殿を建立しようというのに、下っ端しか現地の折衝に来ないとあっては、現地住民の協力を得ることは難しいだろう。アルバート司祭は上級司祭だが、本来なら神殿長とは言わずとも、副神殿長か筆頭司祭クラスが足を運んでもおかしくはない話だ。
「……ごめんなさいね、本当なら私が行くべきなのでしょうけれど、道中に自信がないの」
そんなことを考えていると、ミレニア司祭がそう声をかけてきた。その言葉にどこか引っ掛かるものを覚えて、俺はおうむ返しに呟く。
「道中……?」
俺がそう繰り返すと、ミレニア司祭は一度気まずそうに視線を逸らした。そして、少し居心地の悪そうな表情で口を開く。
「ほら、いくら転職事業を不定期にしたとはいえ、カナメ君が長期間ここを留守にするわけにはいかないでしょう?」
「たしかにそうですが……」
とは言っても、王都から辺境まではかなりの距離がある。俺が王都に来る時に使った乗合馬車は、実に一か月もの時間をかけて、ようやく俺を王都へと運んでくれたのだから。もちろん、まっすぐ進めば一か月はかからないだろうが、それでも片道二十日は確実だろう。
「今の段階で、あまりカナメ助祭に神殿を空けられると不便なのでな。特別な乗り物を用意した」
「乗り物ですか?」
その言葉に、思わず俺は身を乗り出した。この世界の特別な乗り物。その響きだけで、なんだかテンションが上がる気がするな。
だが、その言葉を聞いて少し顔を引き攣らせた人物がいた。アルバート司祭だ。
「神殿長、それってひょっとして……」
「多少値は張ったがな。アルバート司祭、快適な空の旅を楽しんでくれ」
「マジか……」
神殿長の言葉を聞いて、アルバート司祭が天を仰いだ。……えーと。司祭の反応が怖いんだけど、乗り物って一体なんなんだ……? さっき「空の旅」って言ってたよね?
「……カナメ君、巨大怪鳥は知っているわね?」
そんな疑問符だらけの俺に答えを教えてくれようとしたのだろう。ミレニア司祭が口を開いた。
「あっ……!」
すると、俺よりも早くクルネが声を上げる。そちらを振り向けば、彼女は驚きと喜びの入り混じった表情を浮かべていた。
「ひょっとして、あの『巨大怪鳥便』ですか!?」
「ええ、正解よ」
「やっぱり!」
ミレニア司祭に肯定されると、クルネは飛び上がらんばかりに喜んだ。……ええと。巨大怪鳥便なんてネーミングと、アルバート司祭やミレニア司祭の嫌がりようから察するに……。
「まさか、巨大怪鳥に乗って辺境まで飛んで行くんですか?」
巨大怪鳥は非常に大きな鳥型モンスターだ。人間を載せて空を飛ぶなど朝飯前だろう。そういう意味では、納得できる面もあった。だが――。
「モンスターですよ!?」
「カナメ助祭、君は真実に一番近いところにいると思うのだがね」
俺がツッコミ気味にそう言うと、プロメト神殿長が少し楽しそうに答えた。……あ、神殿長のレアな表情見っけ。……ってそうじゃなくて。
俺が真実に一番近いというくらいだし、たぶん固有職に関した話なんだろうなぁ。ということは――。
「ひょっとして、魔獣使いが絡んでいるのですか?」
「正解だ。魔獣使いの能力だけではなく、古代遺跡から出土した魔道具も絡んでいるようだがな」
その言葉を聞いて俺は納得した。いくら魔獣使いとはいえ、その支配力の強さは距離と反比例する。巨大怪鳥の速度で飛び立ってしまおうものなら、すぐに支配可能範囲を越えてしまうことは明白だったからだ。
もちろん、強固な信頼関係をモンスターと結ぶこともあるだろうが、それでも他者の言うことを聞かせることは難しいはずだ。
「ねえカナメ、巨大怪鳥便って物凄く速いらしいわよ! しかも空高く飛べるんだって!」
と、そんな俺の考えをよそに、クルネは嬉しそうに頬を紅潮させて俺の腕を掴んできた。
『竜の顎』の襲撃以来、少し思いつめている感があるクルネだったが、今の彼女から負の感情は読み取れなかった。そういう意味では、巨大怪鳥便に感謝だな。
「……クルネの嬢ちゃんは怖いもの知らずだな」
「だって、巨大怪鳥便ってお金が物凄くかかるし、社会的信用がある人しか相手にしてくれないんでしょ? こんな機会二度とないもの」
アルバート司祭の言葉を聞いて、クルネは当然とばかりに答えた。
「その魔獣使いが代表を務めているのは、マデール商会だっけか? 巨大怪鳥便以外にも、モンスターをレンタルして手広くやってると聞いたが」
「ええ、そのマデール商会ですわ。王族や貴族の誘いを断って、王国の東端でお店を立ち上げた時には話題になりましたもの」
へえ、魔獣使いの能力で事業をしているのか。ミレニア司祭の言葉を聞いて、俺はその魔獣使いに少し興味を持った。興味というよりは親近感だろうか。
もし、俺が転職能力じゃなくて魔獣使いの能力を持っていたら、似たようなことを考えていたはずだ。そんなことを考えていると、アルバート司祭が肩をすくめて口を開いた。
「なんにせよ、進んでモンスターに乗りたいとは思わねえがな……。カナメ助祭、お前さんはどうなんだ? 空を飛ぶんだぞ?」
アルバート司祭にそう言われて、俺は自分の心と相談した。……まあ、元の世界では飛行機にだって乗ってたし、空を飛ぶことに対する忌避感はないかな。ただ、飛行機に乗るのと飛行モンスターに乗るのでは全然違いそうだけど。
「飛ぶのは構いませんが、振動と安全措置が気になりますね」
「意外と冷静だな……仲間だと思ったのによ」
アルバート司祭が恨めしそうな目で俺を見る。いや、そんなこと言われても……。
「その辺りについては問題ないだろう。今まで一度もそういった事態は起きていないし、安全措置も何かしら設けられていたはずだ」
すると、プロメト神殿長がいつもの落ち着いた声色で俺の疑問に答えてくれる。なるほど、それなら安心かな。いざとなったら自己転職でなんとかしてもいいんだし。俺はそう結論付けると、神殿長に頷いてみせた。
「神殿長、何事にも初めてってことはあるんですぜ……」
そんなアルバート司祭の呟きは、誰に拾われることもなく消えていったのだった。