講演
【クルシス神殿助祭 カナメ・モリモト】
「――以上が、私のクルシス神殿での一日です。もちろん宗派によって大きく異なることでしょうが、皆さんの参考になれば幸いです。
さて、長々とお話ししてしまいましたが、そろそろお時間のようですね。途中、口はばったいことも多少申しましたがご容赦ください。
それでは、皆さんが統督教の同胞となる日を楽しみにしています」
俺はそう結ぶと、一礼して演台から降りた。俺の挙動を見守っているのは後輩――つまり、神学校の在学生たちだ。
そもそもの発端は、神学校から「活躍している卒業生として講演してほしい」という依頼が来たことだった。俺が在学している間にもそんなイベントがあったのは覚えているが、まさか自分が演台で喋る側になるなんて思ってもみなかった。
個人的には断りたかったのだが、プロメト神殿長が「神学校がクルシス神殿の宣伝の場を設けてくれたようなものだ」と乗り気だったため、母校に赴くことになってしまったのだった。
ちなみに、今は国境付近で負傷者の治療に当たっているミュスカも、別日程で招かれているらしいが……彼女、こんなに大勢の人の前で話せるんだろうか。ちょっと心配だ。
そんなことを思い出しながら、礼儀正しい拍手の音に見送られて懐かしい大講堂の扉をくぐる。すると、そこには懐かしい友人の姿があった。
「ようカナメ、お疲れさん」
「コルネリオ、久しぶりだな。てっきり大講堂のどこかにいるものだと思ってた」
「それも面白そうやってんけどな。ちょっと外せへん商談が入ったからパスしたんや。どうせ神学校卒業に必要な単位は全部揃えたしな」
俺の記憶と寸分違わぬ陽気な笑みを浮かべて、かつての学友はそう弁解した。商売に没頭しすぎて神学校を一人だけ留年した男だが、それなりにやることはやっていたらしい。
俺がわざとらしく驚いた表情を浮かべると、コルネリオはおどけた口調で言葉を返してきた。
「へえへえ、転職の神子様に比べたら、そこらの有象無象でしかない俺の努力なんて塵に等しいもんやろうけど、それなりに頑張ったんやで?」
「そこらの有象無象は、商売に没頭して神学校を留年したりしないだろうけどな」
「そら間違いないわ」
俺たちは顔を見合わせると、同時に笑い声を上げた。冷静に考えればそう面白いやり取りでもないはずだが、久しぶりの再会でお互い昂揚しているのだろう。そのことがなんとなく嬉しかった。
「――それにしても、カナメがそないな特殊能力持っとるって知ってたら、絶対ボロい商売できたで……! 友人の誼で少しくらいバラしてくれてもええのに」
「お前と組んだら、絶対悪どい商売になってだろうからな……」
「俺だって加減は心得とるで。生かさず殺さず、やろ?」
「絞り取りすぎだろ!」
本日二度目の笑い声が上がる。そんな中、少しだけ真面目な表情に戻ったコルネリオが口を開いた。
「……とはいえ、カナメの能力は俺の手には余るやろうな。俺の実家ならともかく、片手間に商売をしてただけの若造に扱い切れるわけがあらへん」
コルネリオの評価は冷静だった。まあ、仮にも大商会の御曹司で、自分でも商売を手掛けている人間だ。転職能力を巡るいざこざくらいは想像がつくのだろう。
「けどまあ、これでカナメみたいな変わり種が、神学校に入学してきた理由は納得できたわ」
「そんなに浮いてたのか……」
俺たちが呑気にそんな話をしていると、聞き慣れた足音が聞こえてきた。
「あ、カナメお疲れさま! もう終わったの?」
「キュッ!」
「ああ、今終わったところだ」
そう答えると、キャロが応じるように肩に跳び乗ってきた。突然増えた重量でバランスを崩さないよう重心をコントロールしながら、俺はクルネに学友を紹介する。
「クルネ、こいつはコルネリオ。この神学校の学友で、留年生だ」
「クルネちゃん久しぶりやな! あいかわらず別嬪さんやで!」
俺がそう紹介すると、コルネリオは親しげにそう挨拶する。……あれ? そんな親しくなるほど面識あったっけ?
「ええと……」
あ、やっぱりクルネは覚えてないみたいだ。パレードの時とかに顔を合わせてるはずだけど、さすがにそれだけじゃ覚えられないだろう。
そういう意味ではコルネリオの記憶力って凄いなぁ。さすが商売人だ。……まあ、美人限定の記憶力かもしれないけどさ。
だが、コルネリオに残念そうな様子は見られなかった。何やら俺の友達アピールをして積極的に話題を展開しようと頑張っている。
「それで、クルネちゃんはどうしてここにおるん?」
「私はカナメの護衛だから……」
「ぬぁぁにぃぃぃぃ!」
と、クルネと話していたコルネリオの視線がこっちを向いた。……あー、懐かしいなこの感じ。
「カナメ、護衛っておかしいやろ! いや転職の神子やし護衛がおるんはおかしくないけどずるくないか!? なんでむさいおっさんやなくて女剣士やねん!」
「いや、そう言われても……」
俺がそう弁解を試みようとした時だった。
「賑やかだと思えば、やはり君たちでしたか」
そんな声と共に姿を現したのは、元特待生クラスの担任教員マーカス先生だった。蒼竜騒ぎの時にも会ったけど、相変わらず苦労を背負い込みそうな顔だ。
先生は俺たちのほうへ歩いて来ると、コホンとわざとらしく咳ばらいをした。
「久しぶりですね、カナメ君。いつぞやの騒動以来ですか」
「ご無沙汰していました。あの時は色々と押し付けてしまってすみませんでした」
「いえいえ、アレのおかげで助かりましたしね。彼も感謝していましたよ」
俺とマーカス先生が話しているのは、もちろんルコルの蒼竜が暴走した時の話だ。だが、そのことを詳しく知らないクルネとコルネリオは揃って不思議そうな表情を浮かべていた。
「……神学校内ではちょっと言いにくい話だ」
説明を待っているような二人に対して、俺は曖昧にそれだけを伝える。なんせ、この神学校に通っている生徒の話だからなぁ。どこにルコルの知り合いがいるか分からないし、迂闊なことは言わない方がいい気がする。マーカス先生も頷いているところからすると、おそらく同意見なんだろう。
「それよりもカナメ君、聞きましたよ。君が転職の神子だとは……。驚いたような納得したような、どうにも変な気分ですよ」
「恐縮です」
そう切り出したマーカス先生の言葉に、俺は苦笑交じりの笑みを浮かべた。転職能力の隠匿を責められる謂われはないが、どこか後ろめたいのは事実だ。そのため、どうしてもこんな顔になってしまうのだった。
「去年の特待生は『天才』エディ君や『聖女』ミュスカさん、『狂け……シュミット君といった、歴代でも屈指の個性溢れる生徒ばかりでしたが、気が付けばカナメ君が君たちの世代の代表のような扱いになっていますからねぇ。……そういえば、同じくクルシス神殿にいるセレーネさんはお元気ですか?」
「相変わらずですよ」
その返答は「相変わらず無駄に色気を振りまいていますよ」の略だったが、先生にはちゃんと伝わったようだ。彼は軽く笑い声を上げた。
「それはよかった。……ところでカナメ君、あの騒動の話を含め、学校外でいくつか話をしたいのですが、これからの予定はどうですか? もちろん無理にとは言いませんが」
「今からですか?」
まだ就業時間中だろうに、真面目なマーカス先生が珍しいな。そんな俺の思考を見抜いたのか、マーカス先生は笑いながら問いかけに答える。
「神学校が招いた講師をお送りするのは立派な仕事ですからね。今後のことを考えて、友好的な関係を築くことは大切ですよ」
本気とも冗談ともつかないことを言って、マーカス先生はこちらを見た。そして、さらに一言つけ加える。
「なんなら、コーヒーの一つくらいは奢りましょう」
「先生! ゴチになるわ!」
「コルネリオ君、君に言ったわけではないのですが……。まあいいでしょう」
「へ?」
了承されるとは思っていなかったのか、コルネリオが間抜けな声を上げる。その様を見て、俺は一人で噴き出した。
「マーカス先生、護衛のクルネ――彼女も同席させてもらって構いせんか?」
俺は笑いを堪えながらそう言うと、クルネを手で示した。すると、マーカス先生はにこやかに頷く。
「君が信頼しているのなら、私は構いません」
「それでは、ご馳走になります」
俺はそう言うと、近くの飲食店を頭に思い浮かべるのだった。
◆◆◆
「待たれよマーカス先生! そっちの青年はカナメ・モリモト特別司祭であるな!?」
俺たちにそんな声がかけられたのは、もうすぐ神学校の正門を出ようとしていた時だった。その懐かしい大音声に、俺はついつい笑みを浮かべる。……が、そんな余裕があるのは俺とマーカス先生だけのようだった。
「耳がキーンってなったわ……」
「キュゥ……」
「油断しとったわ……」
免疫のなかった二人と一匹が、顔をしかめてそんな呻き声を上げる。キャロに至っては耳をぺたんと倒して、全ての音をシャットアウトするつもりのようだった。
ドカッ、ドカッ、という重厚な音を響かせて、縦にも横にも厚みのある巨体がこちらへ迫ってくる。やがて、彼は俺の前で立ち止まった。
「……お久しぶりです、ガライオス先生」
「うむ! やはり貴公がカナメ特別司祭だったのだな! 戦闘訓練授業の時にはさっぱり気が付かなかったのである!」
そう言うと、『戦闘司教』ガライオス先生は豪快に笑い声を上げた。周囲の空気が震えて、聞こえてくる音にノイズが混じる。……この人、まさか発声にまで衝撃強化使ってたりしないよね? そんなことを考えながら俺は口を開く。
「ところで先生、それだけ息せき切ってお出でになったということは……」
そう切り出すと、ガライオス先生は我が意を得たり、とばかりに頷いた。
「カナメ司祭は察しがよいな! その通り、拙僧の固有職資質を確認してもらいたのだ!」
やっぱり。俺はそう心の中で呟いた。なんせ、ガライオス先生が俺を呼び止める必要なんて、他にないもんな。
彼は教会派の有名人だ。もしクルシス神殿の転職部門に姿を現そうものなら、問題が多発するのは目に見えている。まして、教会派には転職の『聖女』がいるのだから――って、あれ?
「けど先生、教会派には転職の『聖女』がいますよね? 視てもらわなかったんですか?」
いくらガライオス先生がバルナーク大司教の派閥だとは言え、彼は教会派全体にとっても重要な存在だ。転職させてくれないとは思えないのだが……
「もちろん、『聖女』アムリアにも確認してもらったのだが、格闘家の資質しかないと言われたのである」
問い掛けに対して、ガライオス先生は少し気落ちした様子でそう答えた。……いや、その見立てで合ってると思うんだけどな。そう思いながら、俺は久しぶりにガライオス先生の固有職資質を確認した。
「……私もそう思います」
相変わらず、ガライオス先生の中では格闘家の資質が燦然と輝いていた。今までに転職させてきたどの格闘家よりも強い力を感じる。……あれ、よく考えたら無料で資質判定しちゃったな。まあ、元々知ってたみたいだし、今回はなかったことにしよう。
「まだまだ拙僧の修行が足りぬということか……!」
だが、ガライオス先生は悔しそうに膝から崩れ落ちると、地面に手を突いてそう呟いた。その様子は、本気で残念がっているようにしか見えない。どうやら、格闘家以外の固有職資質を望んでいるみたいだが……。
「……あの、ガライオス先生? 参考までに教えて頂きたいのですが、先生が目指している固有職はどういったものでしょうか?」
俺がそう尋ねると、先生はよくぞ聞いてくれた、とばかりにガバッと立ち上がった。
「拙僧が目指している固有職は神官である! もちろん、最終的な目標は大神官になることであるが……」
なるほど、それで格闘家に転職しなかったのか。……しかし、あれだけ凄まじい肉体と特技を持っているのに、希望は魔法職っぽい神官なんだな。
それとも、神官は俺が思っているよりも戦士寄りなんだろうか。大昔の英雄譚では魔法職っぽい描かれ方をしてたんだけど、宗派によって特性が違う可能性もあるが……。
現状では、俺自身を含め、誰も神官の資質を持ってる人がいないからなぁ。英雄譚なんかにはそこそこ出てきてるんだけど、現代人は全般的に信仰が足りていないとかそういうことなんだろうか。
「つまり、我が肉体は神の僕になるには未熟だと言うことである! 神の恩寵は筋肉に宿る! もっと激しく鍛えるのである!」
俺がそんなことを考えている間に、ガライオス先生はなんらかの結論に達したようだった。先生は俺たちに別れの挨拶をすると、鍛練の一環なのか、両手の親指一本ずつで逆立ち歩きをしながら去って行く。
「……相変わらず嵐みたいな人だね……」
その強烈な存在感に誰もが言葉を失っていたが、ガライオス先生の後ろ姿が指の先ほどに小さくなった頃、クルネがぽつりと呟いた。
「その言葉には全面的に同意するが……。クルネ、あの先生がグラムのお師匠様だぞ」
「そう言えば……」
寡黙な元冒険者仲間を思い出したのだろう、クルネが複雑な表情を浮かべた。まあ、あの師匠だからこそああいう弟子なのかもしれないけど、そこらへんはなんとも言えないなぁ。
結局、俺たちはガライオス先生の姿がすっかり見えなくなるまで、その場に呆然と立ち尽くしていたのだった。
◆◆◆
「そうだったんですか!?」
「ええ、私はこれでも知識を貴ぶ大地神の神官ですからね。そして、この王国のグラシオス神殿の神官であれば、一度は研究してみたくなる分野。それが転職です」
コーヒーを奢ってくれるとの約束を果たすべく、マーカス先生が連れて行ってくれたのは、先生お気に入りの喫茶店だった。落ち着いた雰囲気がとても心地いい。
そんな大人びた空間で始まったのは、マーカス先生が昔転職について研究していたという話だった。
「とはいえ、私たちの求めに応じて教会が転職の『聖女』と面会させてくれるなんてことは、結局一度もありませんでしたけどね」
「せやけど先生、それやったらどうやって研究してたんや?」
「それはもちろん、文献や資料を当たってですよ。時には固有職持ちにインタビューすることもありますしね。そもそも、転職師が今の時代に存在していること自体が奇跡のようなもので、本来はそういった研究が主だったのですよ」
コルネリオの質問に対して、マーカス先生は苦笑を浮かべた。たしかに、転職能力持ちが二人もいる現状しか知らなければ、彼の疑問はもっともだった。
「……ああ、安心してください。今も顧問のような立場にあるとはいえ、私自身は研究から手を引いた身です。ただ、カナメ君、君はもうすぐグラシオス神殿の神官たちの訪問を受けますよね?」
「ええ、よくご存知ですね」
「彼らは転職の研究をしている神官でしてね。言ってみれば、君たちと同じ私の教え子のようなものなのですよ」
あ、そうなんだ。てっきり他の神殿の訪問団みたいに転職希望者を連れて来るんだと思ってたけど、そっちがメインだったのか。さすが知識を司る神に仕えているだけあって、優先順位がはっきりしてるなぁ。
「それで、カナメに根回ししとこう思ったんか。コーヒーどころか軽食やらケーキやら、えらい気前よく奢ってくれる思うたらそういうことか」
先生の言葉を聞いて、コルネリオは納得したように手元のクラブサンドイッチをつついた。ちなみに、今いるメンバーで一番高い品物を頼んだのはこいつだ。……一番この話題に関係ないのもコルネリオだと思うんだが……まあいいか。マーカス先生の財布だし。
「まあ、そういうことです。……もちろん、話はそれだけじゃないんですがね」
そう言うと、マーカス先生は少し表情を引き締めた。
「……カナメ君、君は王国教会の序列第二位を失脚させましたね?」
「私が主導したわけではありませんが……」
「そして、その発端となった王都のモンスター召喚事件において、君はS級モンスターを討伐している」
「は!? カナメ、マジか!?」
その事実を知らなかったコルネリオが仰天した声を上げるが、マーカス先生は気にせず言葉を続ける。
「さらに、言うまでもありませんが、君は転職の神子としてクルシス神殿の勢力拡大に大きく貢献しています」
マーカス先生はそこまで言うと、気遣わしげな視線を俺に向けた。
「おかげで神殿派の勢力は拡大しましたし、教会派の勢力は縮小しています。それ自体は神殿派として喜ばしい、と言っていいことでしょう」
ですが、と先生は言葉を続ける。
「少し、クルシス神殿が一人勝ちしすぎているかもしれません。すでにクルシス神殿の勢力は二番手争いをしていたガレオン神殿、フェリネ神殿を大きく引き離しています。このままいけば、ダール神殿とトップ争いをしかねない。プロメト神殿長はそれほど権勢欲が強くないお方ですが、それでも……」
「今まで味方だったダール神殿が敵に回ると?」
俺がそう口にすると、先生は静かに頷いた。
「……あくまで可能性ですけれどね。もちろん、同じ神殿派の隆盛は望ましいことです。決して綺麗事だけではなく、同じ神話体系の宗派が盛り上がると、他の宗派にもそれが波及しますからね。
そのため、君を直接害するような真似はしないでしょうが、今後のクルシス神殿の活動に水を差してくる可能性はあります。特にカナメ君、君が絡むイベントでは特に」
うわー。まためんどくさい話になりそうだな。本当にそういうの勘弁してもらいたいんだが……
「けどカナメ、もし辺境に帰ったら関係ないんじゃない?」
と、今まで沈黙していたクルネが口を開いた。たしかに辺境には統督教の施設はなく、それはダール神殿も例外ではない。ちょっかいをだそうにも、わざわざ辺境まで人を送り込むのでは割に合わないだろう。そういう意味ではクルネの意見は正しい。……なんだけど。
「カナメ君、辺境へ帰るんですか?」
「ホンマか!?」
彼女の言葉に驚いて、二人が机に身を乗り出した。そんな二人を前にして、俺は平静を装って口を開く。
「……いえ、ちょっと里帰りするだけですけどね」
俺は話をごまかした。なんせ、クルシス神殿の辺境進出計画はまだ極秘だ。さっきのマーカス先生の話じゃないけど、こういうのは秘密裏に運んだ方が妨害が少ないからなぁ。
「そ、そうなんです! 久しぶりに辺境に帰るので、なんだか浮かれてしまって……」
クルネもそのことに思い至ったらしく、慌てた様子で口裏を合わせる。
「おや、そうなんですか。たしかに、辺境で転職の神殿を開くなら安全だと思ったのですけどね。話題の転職の神子が王都のクルシス本神殿からいなくなったと知れば、ダール神殿もほっとするでしょうし」
あ、バレバレだなこりゃ。マーカス先生とコルネリオに口止めしておいたほうがいいか。
「短期間であれ、転職能力者が王都を離れるという噂が流れると、色々と混乱が生じます。このことは、お二人の胸の内にしまっておいて頂ければと」
「もちろん、教え子を裏切るつもりはありませんよ。私はグラシオス神の神官ではありますが、この神学校で教鞭を取っている以上、そういった話に首を突っ込むつもりはありませんからね」
「貸し一つや……と言いたいところやけど、カナメには色々借りがあるからな。それに、一介の神学校生がクルシス神殿を敵に回して生きていけるわけあらへん」
秘密にしてほしいという俺の要請に応えて、二人はそれぞれに頷く。
「ありがとうございます。……ところで、今度うちに来る予定のグラシオス神殿の方って――」
露骨に話を変えながら、俺はマーカス先生の忠告を胸に刻み込むのだった。
◆◆◆
真面目な話が終わり、脱線した話も終了した俺たちは、店を出て通りを歩いていた。まだ夕方と言うには早い時間帯ということもあり、大通りから少し離れたこの通りにはあまり人気がない。
そして、そんな俺たちの行く手を阻むように、三つの人影が立ちはだかっていた。
「……なあクルネ、最近この展開が増えてる気がするんだが……」
「うん、一昨日も撃退したばっかりだもんね」
俺とクルネは顔を見合わせると、同時に溜息をついた。帝国との戦争が終結してもう二か月は経っているのだが、俺への襲撃は増加傾向にあった。
そんな俺たちの様子を見て、コルネリオがなんとも言えない表情を浮かべる。
「……あの三人がカナメを狙うとるのは分かったけど、二人とも緊張感ないなあ」
そんなコルネリオの声を聞き流しながら、俺は前に立つ三人に意識を向けた。一人一人の固有職資質を確認して……俺は眉を顰めた。
「左から剣士、魔術師、盗賊だ」
「全員固有職持ち!?」
「なんやて……!」
クルネとコルネリオが驚きの声を上げる。すると、二人の様子で何かを察したのか、三人組が動き始めた。――まずい、行動が早い。
その中でも最速の動きを見せたのは、やはり盗賊の男だった。奴が盗賊だとあらかじめ分かっていなければ、おそらく対応することはできなかっただろう。
スピード特化型の固有職は、俺にとって一番相性が悪い。なぜなら、『村人』に転職させる前に一撃をくらってしまうからだ。だが、最初から心得ていれば、対応できないほどではない。
村人転職はできるだけ使いたくなかったが、この場面で出し惜しみしている余裕はない。俺は、目の前の盗賊を『村人』に変える。
「うぉっ!?」
俺の目の前で、盗賊が突然つんのめって路上に顔面を打ちつける。突然盗賊の能力を失って、バランスがとれなくなったのだろう。盗賊の速さをもって地面に激突したとなれば、それだけで大ダメージを受けたのは確実だった。
しかし、その陰で着実に準備をしていた者がいた。
「……拡散暗黒球」
「……っ!」
気が付いた時には、複数の闇色の球が俺たちに迫っていた。俺は即座に魔術師を『村人』に転職させたが、魔法は完全に出来上がっていたらしく、そのまま俺たちを直撃しようとする。
「カナメ!」
そんな声と共に、剣士と剣を交えていたはずのクルネが俺の前に立ち塞がる。彼女が闇球目がけて光剣を振るうと、その軌道上にあった数個の闇球が消失した。だが……
「避けろ!」
俺の視界に映ったのは、コルネリオとマーカス先生、そして彼らに迫る複数の闇球だった。二人はあくまで一般人だ。適切な回避行動をとることができるとは思えなかった。
「あ……」
クルネが呆然とした声を上げる。だが、闇球が二人に直撃することはなかった。なぜなら、直前で青白い光の壁に阻まれていたからだ。その光壁の根元にいたのは、体長三十センチほどの白い兎だ。
「キュッ!」
一体いつの間にそんな特技を身に付けていたのだろうか。キャロは得意げに鳴き声を上げた。
「またキャロちゃんに助けられたで! ほんまありがとうな!」
そんなキャロを拝まんばかりの勢いで、コルネリオが話しかけている。いやいや、今はまだそんなことをしてる場合じゃないからな。
そう言おうとした俺だったが、既に戦闘は終了していることに気が付いた。
いつの間にか、クルネが残る二人を気絶させていたのだ。さすがクルネ、仕事が早い。俺は三人を縛り上げようとしていた彼女に近付く。
「クルネ、お疲れさま。……大丈夫だったか?」
いつも通りに声をかけようとした俺は、クルネの表情を見て少し言葉に詰まった。彼女はまるで泣き出しそうな顔をしていたのだ。
「……うん、私は大丈夫。でも……」
「でも?」
縛り上げるのを手伝いながらそう問いかける。すると、クルネは視線を手元に落としてぽつりと呟いた。
「もしキャロちゃんがいなかったら、あの二人がどうなっていたか……」
どうやらクルネは、俺を守ることを優先したために、コルネリオとマーカス先生を見捨てるような形になったことを気にしているようだった。
クルネの動きはいつも通りだった。いつもと違っていたのは、あの二人が一緒にいたということと、魔術師が彼らを巻き込むつもりで魔法を放ったということだ。
だが、クルネの職務が俺の護衛であることを考えると、彼女の行動が間違っていたとは言えない。なんせ結構な数の闇球だったし、あのタイミングで全員を守ることはできなかっただろう。
しかし、そう伝えてもクルネの心は晴れないようだった。彼女は、コルネリオとマーカス先生がキャロに話しかけている光景を見ながら口を開く。
「私にとって一番大切なことは、カナメを守ること。だけど、他の人をどうでもいいと思ってるわけじゃないもの。できるだけ多くの人を守りたい」
最後の一人を縛り上げると、クルネは空を見上げた。
「……私、もっと強くならないと」
「クルネ……」
これまでの固有職持ちとのやり取りから判断すると、クルネの技量は一般的な固有職持ちと比べて、かなり高い水準にあるはずだ。今回だって、俺が固有職を剥奪した二人はともかく、剣士については彼女が自力であっさり倒したのだ。
そんなこともあって、逆にこれ以上の劇的な強化は望めないんじゃないかと思うが、さすがにそれを言い出す気にはなれなかった。
「カナメ君、クルネさん、お疲れさまでした。怪我はありませんね?」
そんな俺たちの間に入ってきたのはマーカス先生だった。先生は縛り上げられている三人組を見ると、少し眉根を寄せた。
「……彼らには見覚えがあります。お金さえもらえば、どんな依頼でも受けることで有名な三人組ですね。依頼主の大半は貴族であることからも分かる通り、凄まじい額の報酬を要求するそうですが……」
「一体誰に狙われたら、そんなヤバい奴らが出てくるんや……」
先生の解説を聞いて、コルネリオが引き攣った顔で呟く。
「今までは、俺とクルネ二人しかいない時を狙った襲撃ばかりだったから、油断してた。巻き込んで悪かったな」
「何言うてるんや、きっちり返り討ちにしてくれたし、むしろすっきりしたで!」
「コルネリオ君の言う通りです。そもそも私たちが勝手について来たんですから、気にしないでいいですよ」
俺が謝ると、二人が口々に好意的な言葉を返してくれた。そんな二人の好意に報いるためにも、この件はしっかり落とし前をつけてもらわないとな。
「よし、こいつらもきっちり締め上げて、依頼主を吐かせてやろう」
「ねえカナメ、最近その悪人みたいな顔をするのが流行りなの……?」
少し調子を取り戻したのか、クルネが控えめながらもツッコミを入れてくる。そんな彼女に対して、俺は肩をすくめてみせた。
「だって他に言い様がないしなぁ」
と、そんな会話を交わしていると、マーカス先生が納得したようにぽん、と手を叩いた。
「ああ、最近やけに貴族の更迭や爵位継承が目立つと思っていましたが、クルシス神殿が暗躍していたんですね。戦争絡みにしては少し違和感があると思っていたんですよ」
あ、バレた。マーカス先生にはバレても問題ないと思うけど、なんだか気まずいな。ちなみに、貴族じゃなくて商会なんかが黒幕の時もあるんだけど、そっちもきっちり報復はさせてもらっている。
とはいえ、プロメト神殿長曰く「これからが本番だ」そうな。自分の神殿のことながら、ちょっと怖い。
「なんやカナメ、自分もすっかり一人前の神官なんやな」
そんな俺を見て、今度はコルネリオがからかうように口を挟んできた。
「俺が言うのもアレだが、コルネリオは神官をなんだと思ってるんだ……」
そう答えると、皆が笑い声を上げる。俺たちが固有職持ち三人組を連行したのは、もう少し経ってからのことだった。