解析
【クルシス神殿助祭 カナメ・モリモト】
「カナメ助祭、昨夜はご苦労だったな。……今日は転職儀式の日ではない。なんなら昼まで休んでいても構わないが」
王都を襲ったモンスター召喚事件の発生翌日。俺は早々に神殿長室へと呼び出されていた。昨晩、事件に関する色々なことをアルバート司祭に報告していたので、ほぼ確実にその話だろう。
「お気遣いありがとうございます。私なら大丈夫です」
神殿長の魅力的な提案を、俺は苦渋の思いで断る。普段であれば、その言葉に甘えて半日ダラダラ過ごすところなのだが、今の俺にはやらなければならないことが山積していた。
「そうか……。では、昨夜の助祭の行動について軽く確認させてもらおう。
助祭は、エネロープ神殿長が入手した情報を元に、貴族街の公園に潜入。帝国と教会が密会する現場を押さえるはずだったが、姿を現した者たちは囮だった。
さらに、同じく偽情報に踊らされたと思われる『聖女』たちと衝突するが、その途中でモンスター召喚の気配を察知し停戦。『聖女』と共闘し王都に出現したモンスターを討伐するとともに、ラムバーク侯爵邸に潜伏していた事件の首謀者、ワイデン子爵を捕えた」
「間違いありません」
俺がそう答えると、プロメト神殿長は思案顔で言葉を続ける。
「そして現在、首謀者ワイデン子爵は教会に留置されており、事件の重要物件だと思われる謎の宝珠と魔道具はこのクルシス神殿にて保管されている。
……となると、現在我々が考えるべきは、教会に留置されているワイデン子爵の監視・尋問時の立会人の手配と、重要物件二つについての分析調査の二点だな」
「これだけ大きな事件ですし、衛兵に任せる訳にはいきませんの?」
神殿長の言葉に対して、疑問を提出したのはミレニア司祭だ。だが、神殿長は首を横に振って答える。
「帝国との戦争を控えて、王国の治安部門は大わらわだ。その隙をついて、ラムバーク侯爵が暗躍する可能性は高い。事態がここまで動いた以上、侯爵の非を暴かなければ、このクルシス神殿が逆に侯爵に復讐される可能性もあるからな」
「う……すみません」
「気にする必要はない。うまくやれば、大きなアドバンテージを得られるだろうからな」
謝る俺に対して、神殿長は鷹揚に頷く。その言葉は慰めでもなんでもなく、本音のように思えた。
「そのためにも、子爵の尋問と、重要物件に対する調査をしっかり行う必要があるな。……カナメ助祭、君はその点についてどう考えている?」
そんな問いかけに対して、俺は昨晩から考えていた案を説明する。
「子爵の監視・尋問については、クルシス神殿の神官に加えて、現在契約している冒険者を引き続き雇うことで対応するべきだと考えます。子爵は教会内に留置されていますが、教会が全面的に信用できるとは思えません。万が一の事態が起きても、対処できる人選が必要です」
「ふむ。宝珠と魔道具の調査についてはどうだね?」
「宝珠については王立魔法研究所へ。魔道具については、どうやら古代遺跡の発掘品のようですので、エリザ博士とミレニア司祭に調査して頂くのが最良だと思います。召喚魔術が絡んでいると思われますので、場合によっては魔法研究所に協力を依頼する必要があるでしょうが」
「なるほど……」
神殿長は俺の意見を吟味するように目を閉じた。ひょっとして、やっぱり内心では「面倒事を持ってきやがって」とか思ってたりしないかな。なんだか不安になってきたぞ。
そんなことを考えていると、やがて神殿長が目を開いた。
「妥当な判断だと思われる。……カナメ助祭、詳しい事情を知っているのは君だけだ。手配は任せる」
「分かりました。ただ、宝珠については、クルシス神殿長名での正式な依頼という形をとってもよろしいでしょうか?」
「もちろんだ」
俺の申し出を受けて、神殿長はあっさり頷いた。俺の目的は、宝珠の調査を公式依頼とすることで、あの宝珠の存在を隠蔽できないようにすることにあったのだが、どうやら神殿長も同じことを考えていたようだった。
「……さて、私は昨夜の事件の関係で少し神殿を空けるが、君たちは必要ならこのまま話を詰めてくれたまえ」
神殿長はそう言うと、重要な決め事は終わったとばかりに立ち上がった。……たしかに昨日の今日だもんなぁ。王都内でモンスターが大量に暴れ回ったのだ、人々の不安は尋常ではないだろう。
ただでさえ帝国との戦争を前にして不安が高まっている時に、よくもやってくれたものだ。……いや、むしろそれが狙いか。
おそらくプロメト神殿長は、王都に居を構える各神殿の長と今後の対応について協議するのだろう。
クルシス神殿では、既に一般的な治療や心のケアから金銭の貸付まで、色々な救済策を講じているようだけど、こういったものは足並みを揃えたほうが効率がいいからなぁ。
その分、クルシス神殿の信徒獲得には結びつきにくくなるわけだけど、さすがにそれをどうこう言っている場合じゃないしね。
「ありがとうございます。神殿長、お気をつけて」
ミレニア司祭が代表してそう言うと、神殿長は頷いて部屋を出て行った。途端に、神殿長室に弛緩した空気が流れる。
「と、言うわけでだ。カナメ助祭、各方面への依頼なんだが……」
そんな中で、最初に口を開いたのはアルバート司祭だった。その顔には、軽い苦笑が浮かんでいた。
「魔道具の解析の件だが、エリザ博士にはもう依頼済だ。……つうか、もう地下の空き部屋で研究してる。そりゃもう大喜びだったぜ。……ありゃ、当分部屋に篭もりっきりだな」
あ、そうなんだ。まあ、迂闊にエリザ博士に話しかけると延々と古代文明の話を聞かされるしなぁ。会いに行かずにすむのは嬉しいかもしれない。俺はそんな失礼なことを頭の中で考えた。
「そう言えば聞きそびれていたんですが、クルシス神殿はモンスターの被害は大丈夫だったんですか?」
場に沈黙が流れたところで、俺は話を切り替えた。昨日は疲れ切っていたせいで、報告だけしてそのまま寝ちゃったから、その辺りがさっぱり不明なんだよね。
「ん? まあ、大した被害はなかったな。クルシス神殿の警備担当には、ミレニア司祭お手製の防護用魔道具が配られたからな。
それに、ありがたいことに、固有職持ちが何人か駆けつけてくれた」
「固有職持ち?」
「みんなここで転職した奴だとよ。お前さんに恩義を感じて、神殿を守りに来たのかね?……ま、肝心のお前さんは貴族街でもっとヤバい奴と対峙してたわけだが」
そう言うと、アルバート司祭は豪快な笑い声を上げた。
「でよ、せっかくだからってんで、神殿の防衛に一人だけ残ってもらって、他の固有職持ちにはモンスターを倒しに行ってもらったんだ。それが功を奏したのか、この辺りに大きな被害は出ていないはずだ」
その言葉を聞いて俺はほっと胸をなで下ろした。クルシス神殿の倉庫には、細工師たるミレニア司祭が、実験半分趣味半分で作った戦闘用の魔道具も転がっている。
そのため他の神殿よりも防衛能力は高いはずだが、心配であることに変わりはなかった。
「この神殿に逃げ込んできた人間も多かったから、昨日はなかなかの熱気だったぜ。おかげで信徒も増えたんじゃねえか?」
「……アルバート司祭、それは思っていても口に出さないでくださる?」
そんなアルバート司祭に対して、ミレニア司祭が釘を刺す。まさに俺もそう思った瞬間だったんだけど、口に出さなくてよかったな。
「おっと、悪かった」
そう答えるとアルバート司祭は立ち上がった。そろそろこの話はお開き、ということだろう。
「それじゃ、後の手配は頼むぜ。アルミードたちには俺から話してもいいが、昨日一緒に行動してたんだし、お前さんからの方がいいだろ?」
「そうですね、私から話をしようと思います」
俺がそう答えると、司祭は満足そうに頷いて部屋から出て行った。なんだかフラフラした動きだけど、ひょっとして一晩中寝てないのかな。
その後ろ姿を見送っていると、次いでミレニア司祭も腰を浮かせる。それを見て、俺は慌てて立ち上がった。
「そうね、今回の件はカナメ君に任せるから、報告だけよろしくね?」
「はい、分かりました」
そう答えると、ミレニア司祭に続いて神殿長室を後にする。
さて、まずはどっちから行こうかな。そんなことを考えながら、俺は神殿の廊下を歩くのだった。
◆◆◆
王立魔法研究所は、古くから存在している由緒正しい研究機関だ。クローディア王国で魔法研究を志す者にとって憧れの場所であり、その研究所に籍を置くことができるのはほんの一握りの優秀な人物だけだった。……のだが。
「いやいやいや、転職の神子様が直々にお出でになるとは、なんと畏れ多い!」
「まったくです! 我ら王立魔法研究所の職員一同、神子様には深く感謝しておりますぞ!」
そんな王立魔法研究所のトップ2である所長と副所長は、こっちが引くほどに低姿勢だった。
「神子様のおかげで、転職した魔法職の方々とご縁を結ぶことが叶いましたし、中には顧問魔導師の契約をしてくださった方まで……!」
「我ら一同、クルシス神殿には足を向けて寝られません!」
「そ、それはよかったですね……」
所長と副所長は、実に息の合った様子で口々に感謝の意を口にする。……ずっと高慢ちきな魔導師を相手にしてきて、こういうスタイルが身についているんだろうなぁ。それも立派な技術だとは思うんだけど、なんだか魔法研究所のイメージが……
「ふふっ、カナメさんがそんな顔をするなんて珍しいわね。……気持ちは分からなくもないけれど」
と、俺の心を読んだかのような発言をしたのは、同席しているミルティだ。元々、俺は彼女に宝珠の解析依頼をしておしまい、と軽く考えていたのだが、そう簡単にはいかなかったのだ。
今回の依頼は、教会の横槍を考慮してクルシス神殿長からの公式な依頼という形をとっている。そのため、ちゃんと研究所の所長に正式文書を渡して依頼する必要があったのだ。
ミルティだって、王立魔法研究所筆頭顧問魔導師という実に長くて凄そうな肩書きを持ってるのだが、それでも組織のトップではない。おかげで、俺は謎の歓迎ムードを一身に受けているのだった。
「それで、この度の依頼なのですが……」
この空気を変えようと、俺は二人に本題を切り出した。
「はい! もちろんお引き受けさせて頂きますとも!」
すると、所長が即座に了承の意を示してきた。……って即答すぎるだろ!
「……あの、せめて依頼文書を読んでから返事したほうがいいのでは……」
「なんと寛大な! さすが神子様は人間ができていらっしゃる!」
「ですが、ご心配には及びません。すでにミルティ研究員……もとい、筆頭顧問魔導師からおおよそのお話は伺っております。……なんでも、魔力を帯びた宝珠をお持ちだとか?」
またもや、副所長、所長の順で見事な言葉のコンビネーションが決まった。この人たち、なんというか芸達者だな……。
そんな感想を抱きながら、俺は机の上に話題の宝珠をゴトリと置いた。黒光りする直径十五センチほどの宝珠は半透明であり、その中で怪しげな光が渦巻いていた。おそらくこれが魔力なのだろう。拾った時にはあまり魔力を感じなかったが、時間の経過と共に、その魔力は大きくなっているようだった。
「ほう……これが……」
「なるほど、実に興味深いですな」
俺が宝珠を机に置いた瞬間、二人の顔つきが変わった。宝珠を食い入るように見つめる彼らからは、先ほどまでと同一人物とは思えない落ち着きと思慮深さが窺えた。……うん、ようやく魔法研究所の所長と会ってるって実感が湧いてきたぞ。
二人は、魔術師たるミルティに協力してもらって、なにやら魔力に対する反応を調べているようだった。ミルティが魔力をこめると、宝珠の内部にある光が激しく動き出す。
「……神子様も薄々お気付きでしょうが、この宝珠は魔力を貯蔵する性質を持っているようですな。しかも、魔力を吸い上げる力といい、魔力貯蔵時の変換効率といい、驚異的なレベルです」
しばらく確認を繰り返していた所長は、やがて宝珠から顔を上げると、彼らを見守っていた俺と視線を合わせた。
「やはりそうでしたか」
その言葉は俺の予想通りのものだった。だが、それに続けて告げられた副所長の一言を聞いて、俺の顔が固まる。
「しかしこの宝珠、見れば見るほど教会の至宝とそっくりですなぁ。『深淵の黒水晶』でしたか? 詳しく解析したことはありませんが、非常に似通った形状と性質です」
「『深淵の黒水晶』……ですか?」
俺はそう聞き返しながら、机上の黒球を見つめる。ネーミングが教会らしからぬ響きなのは……まあ置いておこう。怪しい球体であることは間違いないし、これで『聖水晶』みたいな名前がついてたら、そっちの方がツッコミを入れたくなったはずだしな。
「左様です。王国教会が所有している宝具の一つで、凄まじい魔力を使用者に与えると言われています。ですが、近くの魔力を勝手に吸い上げてしまう特性もあり、扱いが困難であるため、事実上封印されていると聞いたのですが……」
若い頃に一度見たっきりですから確証はありませんがね、と付け加えて、副所長は説明を終えた。……なるほど、これは当たりかもしれないな。キャロ、ありがとうな。
教会の至宝(仮)を蹴って遊んでいた相棒に、俺は心の中でお礼を言った。今度、キャロの好きな草が生えている野原に遊びに行くことにしようか。
そんなことを考えながらも、俺は顔に真面目な表情を浮かべて口を開いた。
「……あくまで可能性ですが、教会がこの宝珠を手に入れようとする可能性があります。もし教会が手を出してくるようなことがあれば――」
「もちろん、シラを切り通しますとも。この魔法研究所は、ただ歴史が古いだけではありません。それに見合った魔法や魔道具が揃っておりますからな。たとえ教会の手練れといえど、この宝珠を盗み出すことは困難でしょう」
俺が言いたいことを理解してくれたのだろう、所長は頼もしい言葉と共にそう確約してくれた。教会と正面切って事を構えるのは、いくら王立魔法研究所でも辛いものがあるだろうが、そのための公式文書だ。
クルシス神殿の正式な依頼となれば、教会が所有権を主張して宝珠を没収する、などという正攻法を使うわけにはいかない。研究所はクルシス神殿に掛け合ってくれ、と言い張ればすむわけだ。
気になるのは実力行使に出るかどうかだが、所長が言う通り、魔法研究所のセキュリティは高いようで、ミルティも太鼓判を押していたくらいだ。なら、そこは信じるしかない。
「そうですか。……それでは、改めてよろしくお願いします」
あの宝珠の詳細が分かれば、色々なことが一歩前進するような気がする。そんな思いで俺は真摯に頭を下げる。
「ああ、神子様、頭をお上げください! そのように頭を下げて頂かずとも、我らは神子様のため粉骨砕身する覚悟です!」
「そうですとも! 今後もお困りの際には、遠慮なく私共を頼ってください! いつでも総力を上げてお手伝いさせて頂きますとも!」
……あ、元に戻っちゃった。いや、違うか。研究者の顔の方が素だろうな。ヨイショが所長クラスの必須技能だったとはいえ、これだけキャラを変えることができるなんて、やっぱりこの人たちは有能なんだろうなぁ。
そんなことを考えながら、俺は辞去するタイミングを窺うのだった。
◆◆◆
「おう、昨日はお疲れさん。その様子だと上手くいったみてえだな」
アルミードたちの冒険者パーティーと顔を合わせたのは、もう夕暮れに差し掛かった頃だった。相変わらず繁盛していない冒険者ギルドの片隅で、俺たちは言葉を交わす。
「ええ、おかげさまで。……まあ、死にそうな目にも遭いましたけどね」
「へっ、綺麗どころを全員連れて行ったんだ、それくらいの目には遭ってもらわねえとな」
そう言って笑い声を上げながら、ノクトは俺の肩にぽんと手を置いた。
「ところで、どこぞのパーティーがS級モンスターを討伐したって聞いたんだが、お前らか?」
おお、さすがは「情報戦は男のロマン」と言って憚らないノクトだけのことはあるな。昨日の今日で疲れ切っているだろうに、もうそんなに情報を集めてるのか。密かにそう感心しながら、俺は口を開く。
「それが三頭獣のことを言っているなら、たしかに私たちですよ」
俺がそう答えると、ノクトはなぜか悔しそうな顔を見せた。どうしたのかと問いかける暇もなく、彼はその理由を説明してくれる。
「くそっ、カナメの方に賭けとくべきだったぜ……! つい守りに入っちまって、本命の『聖女』パーティーに張りこんじまった……くそぅ、俺の馬鹿野郎……!」
……ああ、そういうことか。ノクトの事情を理解した俺は、彼に対して生温かい視線を向けた。まあ、普通に考えたら『聖騎士』が一番人気だろうからなぁ。その気持ちはよく分かる。
「カナメさん、相手は三頭獣だったのですか!?」
床に手をついて悔しがるノクトを眺めていると、薬師のマイセンが勢い込んだ様子で俺に迫ってきた。いつも飄々としているのに、彼らしからぬこの熱気はなんだろう。
マイセンは手の平を上にして、俺の方へ差し出してくる。……ん? なんだ?
「三頭獣の肝は、薬の材料として超一級品なんですよ! 言い値で買い取りますから、ぜひ売ってください!」
ああ、そういうことか。ギラギラした目で迫ってくるマイセンに、俺は一歩後ずさった。この人、薬のことになるとマッドサイエンティスト系だよなぁ……。
「マイセン、三頭獣は爆散して木端微塵になっていたから、肝なんて残ってないわよ」
そんな俺に代わって、クルネが慣れた様子でマイセンにそう説明してくれる。さすがは元パーティーメンバー、彼らの扱いに慣れていらっしゃる。
一方、衝撃の事実を突きつけられたマイセンは、ショックのあまり床に崩れ落ちていた。……えーと、そんなにショックだったのか……?
「ねえマイセン、爪や牙の破片なら持ってるけど、いる?」
「ぜひ! 肝ほどではありませんが、素晴らしい材料になりますよ!」
なんという変わり身の早さか、突如として復活したマイセンは、立ち上がるとクルネに向き直った。クルネは袋から三頭獣の欠片を取り出す。
「いつの間に……」
「マイセンと一緒に行動することが多かったから、ついこういうのを拾っちゃうのよね。……本当は牙を一本持って帰っているんだけど、そっちは使い道をカナメと相談しようと思って」
俺の呟きが聞こえたのか、クルネがそう説明してくれる。後半部分が耳打ちレベルの囁き声だったのは、マイセンに聞こえないように配慮したのだろう。……いやぁ、ほんとこのパーティーってキャラが濃いよなぁ。
そんなことを考えていると、彼らの後ろのほうからクスリと笑い声が聞こえてきた。そちらへ目をやれば、栗色の髪を肩で切り揃えた、理知的な雰囲気の漂う女性が立っている。あまり冒険者らしく見えないが、なぜ冒険者ギルドにいるのか、と俺は疑問を抱いた。
「クルネ、カナメ、紹介するよ。彼女はサフィーネ。昨日のモンスター騒ぎの時に一緒に戦ったのが縁で、しばらくの間パーティーを組むことになったんだ」
「初めまして、サフィーネ・ファルラインと申します」
するとその視線に気付いたのか、アルミードが彼女を紹介してくれる。それに合わせて、サフィーネと呼ばれた女性が微笑みを浮かべて挨拶する。その物腰はとても丁寧で、正直に言えばあまり冒険者らしく見えなかった。
「クルシス神殿で助祭を務めております、カナメ・モリモトと申します」
彼女に返礼するべく、俺はいつも通りに自己紹介を行う。だが、彼女は俺の言葉を聞いて、どこか不思議そうな表情を浮かべた。
「クルネ・ロゼスタールです。以前はこのパーティーの一員でしたが、今は彼の護衛を務めています」
そう言って、クルネが俺を手で指し示す。だが、サフィーネの不思議そうな表情はクルネの自己紹介を聞いていっそう強まったように見えた。
「クルネさんのお名前は、アルミードさんからお伺いしたことがあります。剣士の固有職をお持ちなんですよね? そして、今はカナメ助祭の護衛をなさっている……」
思考の海に沈みこんでいたサフィーネは、突然はっとしたように顔を上げると、俺をじっと見つめる。
「……ひょっとして、あなたが転職の神子様ですか?」
「え――」
突然の言葉に、俺は思わず口籠った。いったいどこで気付いたのだろうか。アルミードあたりが口走った……ということはないか。それなら疑問形で聞いてくる必要がない。
「こう言っては失礼ですけれど、神殿長クラスならいざ知らず、助祭級の方に固有職持ちの護衛をつけるなんて、通常はあり得ませんもの。
でも、もしあなたが転職の神子様であれば、固有職持ちの護衛がつくのは当然だと思ったんです」
そんな俺の疑念に気付いたのだろう。サフィーネはそう種明かしをした。それに何より、と彼女は続ける。
「私は王都の商会に勤めていましたから、人の声を覚えるのは得意なんです。
……あの時は、相談に乗ってくださってありがとうございました。いつか改めてお礼をしたいと思っていたのですけど、思わぬお導きですね」
「そうでしたか、お気遣いありがとうございます」
その言葉を聞いて、そして彼女の固有職資質を覗いて、俺はようやく彼女のことを思い出した。そういえば、転職業務を開始した日に、地術師に転職した女の人がいたな。
上級職ではないものの、地術師は一般的な固有職より希少なのか、その後地術師の資質を持っている人間に出会うことはなかった。おかげで、俺は彼女のことをはっきり思い出すことができた。
たしか、大地魔法じゃ飛行モンスターを倒せない、と悩んでいた人だったな。訳ありだと思って、何も聞かずに魔法研究所を紹介した記憶があるが……
「魔法研究所では、何か有用なお話を聞くことができましたか?」
そう尋ねると、彼女は嬉しそうに答える。
「覚えていてくださったんですね。……あの後、魔法研究所の方が親身になって考えてくれたんです。おかげで、道が開けたような気がします」
「カナメ、彼女の魔法は凄いよ。重力を操る魔法なんて初めて見た」
サフィーネの言葉に続けて、アルミードが珍しく友好的に話しかけてくる。
「なるほど、重力か……」
それなら飛行モンスターにも充分通用するだろう。重力魔法というと、大地属性というよりは質量操作っぽい気がするが……けど、たしかに他の属性よりは性質が近そうだな。
「彼女がいなければ、あの巨大怪鳥を仕留めるのにもっと苦戦していたはずだ。なんせ、奴はいつでも空へ逃げられるからね」
その言葉を聞いた俺は驚いた。俺が倒した三頭獣を除けば、今回確認された一番強力な個体は、B級モンスターの巨大怪鳥だったはずだ。
なるほど、アルミードたちが倒していたのか。よく考えれば、騎士、薬師、地術師の固有職持ち三人に加えて、固有職こそないものの、貫通の特技を持っている弓使いのカーナがいるのだ。巨大怪鳥の討伐にはもってこいと言えた。
「巨大怪鳥を倒したのか……。それは凄いな。さすがの王国政府も、褒賞を出さないわけにはいかないだろう」
「S級モンスターを倒した人間にそう言われるのは複雑な気分だが……まあ、礼を言っておく。ありがとう」
そう謙遜しながらも、アルミードは嬉しさと照れくささが入り混じった表情で頷いた。彼の後ろを見れば、みんな似たような顔をしているのが目に入る。
B級モンスターといえば、複数の固有職持ちを含んだ軍が差し向けられることもある強敵だ。そんなモンスターを討伐したとなれば、彼らが誇らしく思うのも無理はなかった。
「ちなみに、もう政府から話があってね。褒賞はもちろんのこと、表彰までしてくれるそうだ」
「へえ……」
あまり地位の高くない冒険者を表彰するなんて、王国もなかなか思い切ったことをするな。それだけ今回は切羽詰まっていたということだろうか。たしかに、普段王都を守るはずの固有職持ちは、みんな国境付近で帝国と睨み合っているもんな。
と、そこまで考えたところで、俺の頭にある考えが浮かんだ。
「ひょっとして、今回の戦争に参加するよう求められるんじゃないか?」
戦争直前の王国政府からすれば、アルミードたちのパーティーは喉から手が出るほど欲しい人材のはず。冒険者に対して、国が表彰まで行うのは珍しいと思ったが、そういう目論見があるのかもしれない。
そう心配した俺だったが、アルミードは笑って首を横に振った。
「もしそうだとしても、どちらかの国に与する気はないよ。それは僕の考える冒険者じゃない」
そう語るアルミードの顔には確固たる意志が浮かんでいた。それを見て、俺はほっと胸をなで下ろす。この様子なら、たとえ表彰式の場で従軍を求められたとしても、彼はきっぱり断ることだろう。
そんなことを考えていると、それに、とアルミードは言葉を続けた。
「もはや、いつ両軍が激突してもおかしくない状況だ。今から国境へ向かっても間に合わないさ。僕らにできることは、できるだけ無駄な犠牲が出ないように祈ることぐらいだ」
「そうだな……」
俺はアルミードの言葉に頷くと、なんとはなしに窓から外を眺めた。俺みたいな不心得者が祈ったところで効果は薄いだろうが、たまには真面目に祈ってみようか。
柄にもなくそう考えると、俺は静かに聖印を切るのだった。