遭遇
【クルシス神殿助祭 カナメ・モリモト】
「それはまた、何かときな臭い話ですね」
俺にとっても、護衛のクルネにとっても見慣れた宿屋の一室で、声の主は微妙な表情を浮かべた。彼は糸のように細い目を、隣にいる金髪の青年に向ける。
「いつぞやの、某副神殿長に繋がった依頼を思い出しますねぇ。……アルミード、どう思いますか?」
「クルシス神殿には借りがあるからな。俺たちの立場を悪くすることがないのであれば、受けてもいいと思う」
かつてクルネが所属していたパーティーのリーダー、アルミードは、あまり悩む様子もなく答えを返した。
「たしかに教会が相手になる可能性は高いと言えますが、なにも教会に乗り込むわけではありません。情報通りに、帝国と接触しようとする不審人物を捕まえるだけです。
それに、この件はクルシス神殿の正式な依頼です。矢面に立つのはクルシス神殿ですから、教会が皆さんを統督教の敵として認定するようなことはないでしょう」
そう、俺は今、彼らに仕事の依頼をしに来ていた。
事の発端は数日前に遡る。盗賊に転職したエネロープ神殿のイルハス神殿長が、とある情報を持って来たのだ。
――教会の関係者と帝国が接触する。
イルハス神殿長のその情報には、接触する際の時間と場所も含まれていた。「新しく手に入れた固有職の力を試してみたかった」と言っていたイルハス神殿長だったが、まさか本当にそんな情報を仕入れてくるとは思わず、クルシス神殿の皆が呆気にとられたものだ。
もちろん、王国にあるエネロープ神殿も助力したに違いないが、それにしても驚きの情報収集能力だった。
そして、その情報を入手した俺たちは、信頼できて腕の立つ者たちに協力を仰ぐことにした。それが、アルミードたちのパーティーだった。
「なら、いいんじゃないか」
俺の言葉を聞いて、アルミードはすぐに頷きを返した。……って、えらく返事が早いな。いつもはもっと色々考えたり確認したりしてから、依頼を受けるかどうかを決めてた記憶があるんだが……。
「久しぶりにクルネと仕事ができるからって、えらく即決したね」
そんな俺の疑問に答えるかのように、アルミードの後ろから声が聞こえる。弓使いのカーナだ。そのからかうような口ぶりに、アルミードが後ろを振り返った。
「そ、そうじゃない! ただ、クルネが持って来た依頼なら、僕らを嵌めるようなことはないと判断しただけだ!」
「依頼を持って来たのはカナメさんだけどね」
「ぐ……」
そんな二人のやり取りを眺めていると、隣のクルネが楽しそうに笑い出した。
「本当に、相変わらずなのね。アルミードとマイセンが固有職持ちになって、少しは雰囲気が変わるかもと思っていたけど」
「……僕らは、僕らだからな。固有職を得て天狗になるつもりはない。クルネ、君と同じようにね」
クルネの発言に対して、アルミードは真面目な顔で答えた。騎士の固有職を得たから、というわけではないだろうが、以前の彼と比べると、その雰囲気が落ち着いたように思えた。
「それに、私たち以外にも、固有職持ちを含むパーティーが姿を現すようになりましたからね。そう調子に乗ってもいられませんよ」
そう答えたのは、薬師たるマイセンだった。その穏やかな物言いに、クルネが少し焦った表情を浮かべる。
「あ、ごめんね。そういうつもりで言ったんじゃ……」
「分かっているよ。ただ、僕たちの気持ちを知っておいてほしかっただけだ」
クルネの言葉を遮って、アルミードはそう微笑んだ。さすが端正な顔をしているだけあって、実に様になる。
「カナメ、一つ聞きてえんだが……」
と、そんなアルミードたちのやり取りをよそに、「情報戦はロマンだ」と主張する自称盗賊、ノクトが口を開いた。彼は訝しげな表情を浮かべて首をひねる。
「その情報の精度はどれくらいだ? ちっとばかし都合が良すぎねえか?」
「誰とは言いませんが、盗賊の固有職持ちです。ただ、ノクトさんみたいにそっち方面の経験が豊富とまではいきません。……とは言え、他にはなんの手がかりもないものですから、手を出してみるしかないかと」
ノクトの質問は、予想していたものだった。情報を入手してくれたイルハス神殿長には申し訳ないが、いくらなんでも、接触場所や時間などという重要情報をそうやすやすと手に入れられるとは思えない。
いくら盗賊の固有職を手に入れたとはいえ、イルハス神殿長は身体を張った情報収集には慣れていないだろうし、偽情報を掴まされている可能性は少なからず考えられた。
「なるほどな……」
俺の回答を聞いて、ノクトは納得したように頷いた。そんなノクトへ、アルミードが声をかける。
「ノクト、確認はもういいか?」
ノクトが頷くのを見て、アルミードは彼に頷き返した。そして、ふっと真面目な表情を取り戻すと、彼は俺へと視線を向けた。
「……その依頼、引き受けよう」
その言葉に、俺は笑顔を浮かべて頷いた。
◆◆◆
王都の一角、貴族たちが居を構えるエリアには、大きな公園がいくつか設けられていた。一般に開放されているため、誰でも利用することができるという建前だが、実際には貴族以外がその公園を使用することは少ない。
それは暗黙のルールでしかないが、一般庶民からしても、そんなお偉い貴族様が現れるようなところなんて、行きたくないのが人情というものだろう。
さらに、貴族は邸宅と共に広大な庭を所有しているのが当然であり、狩りなどを行う際には、王都近くの森へ足を伸ばすのが常だ。
そんな事情もあって、貴族エリアの公園というものは、実に人気の少ない場所となっていた。
「そろそろよね」
暮れ六つの鐘が鳴り、空が暗くなり始めた頃。公園の茂みに身を隠したクルネは、小さな声でそう囁いた。
「ああ、油断せずいこう」
そんなクルネに返事をしたのは、俺ではなくアルミードだった。今ここにいるメンバーは、俺、クルネ、アルミード、そしてキャロの三人と一匹だ。
有事に備えて、俺以外は全員固有職持ちで構成しているという豪華メンバーであり、直接戦闘に向かない薬師マイセンや、他の固有職を持たないパーティーメンバーは別行動をとっていた。
戦闘能力の面からすれば、俺は確実にいらない子なのだが、相手にマクシミリアンがいる可能性を考えると、参加しないわけにはいかなかった。いくら固有職持ち三人がかりとはいえ、上級職相手では分が悪い。
もし奴がいた場合には、早々に『村人』に転職させてやる必要があった。
「キュ……!」
と、俺が抱えているキャロが、ぴくりと耳を動かした。その反応に気付いた俺たちは、息を殺して茂みに潜む。土と緑の匂いに包まれながら、俺はキャロが気にしている方向を注視し続けた。
すると、ぼんやりとした人影が二つ、俺の視界に入ってくる。
公園を散歩するにしては異質な、妙に足音を殺した歩き方。そして、一切会話をすることなく、公園の中心を目指す異様な雰囲気。気軽な森の散歩とは到底言えない風情で、二つの人影は公園を歩いていた。
……イルハス神殿長の情報、本当に当たりだったのかな。いかにも怪しい二人組を見ながら、俺はこっそり彼に謝った。
二人は、揃ってフードをすっぽり被っており、その顔を見ることはできない。ただ、体型からすると、どちらもマクシミリアンではないようだった。俺は二人を詳細に観察する。
「……二人とも『村人』だ」
仲間にだけ聞こえるような小さな声で、俺はそう囁いた。その言葉を聞いて、二人の緊張が少しゆるむ。罠の可能性を考えていたため、ひょっとしたら固有職持ちが現れるかもしれない、と警戒していたのだ。
とはいえ、まだ現れたのは帝国側、もしくは教会側の片方のみだ。まだ来ていないほうに強者が潜んでいる可能性は充分考えられた。
息を殺して、俺たちはもう一組の人影が現れるのを待つ。
――来たな。
やがて、最初の二人組とは別の方角から、一つの人影が現れた。その姿がしっかり見えるようになったところで、俺は能力を行使する。
「……あっちも『村人』だな」
どうやら、固有職持ちを揃えて、俺たちを返り討ちにするための罠、という線は消えたようだった。もちろん、固有職持ちだけが脅威なわけではないが、やはり相手が固有職持ちか否かというのは、重要な問題だ。
やがて、最初に来ていた二人組と、遅れてきた一人が、公園の中央で向かい合った。だが、その姿を見ていた俺は、なんだか違和感を感じた。そして、彼らの行動を見つめるうち、その違和感の正体に気付く。
あの三人からは、緊張感というものが感じられないのだ。
戦争寸前の敵国に潜り込んでいる帝国の人間は言うまでもないし、教義に背きかねないレベルで、そんな帝国の人間と接触する教会サイドも、ずいぶんと危険を冒している。そんな状況の割に、彼らはあまりにも普通すぎた。
これは、やはり罠だったのかもしれない。俺は二人にそう伝えようとして――
「カナメ!」
その直後、クルネに突き飛ばされた。おそらく、突き飛ばしたというよりは、俺を抱きかかえて飛び退こうとしたのだろう。咄嗟のことで、しっかり俺を抱える余裕がなかったようだが、俺は彼女に感謝した。
なぜなら、それとほぼ同時に、俺のいた空間を雷の矢が貫いたからだ。電撃特有のブレた高音を引き連れて、雷は少し遠くの木へと着弾する。意外と威力が減衰していたのか、直撃を受けた木が、燃えたり炭になったり、ということはなさそうで、俺はこっそり胸をなで下ろす。
そんな視界の片隅で、三つの人影が一目散に逃げていく。既にその姿はだいぶ小さくなっており、もの凄い速さで逃げ出していることが窺えた。だが、今はそれどころではない。
近くにいたアルミードの目の前に、突然人影が現れる。フルフェイスの兜を被っているのは防御のためか、それとも顔を隠すためか。
なんであれ、凄まじい速度で接近したらしい人影は、手にしていた得物を横に薙いだ。
「くっ!」
だが、ギィン、という硬質な音と共に、薙いだ武器は少し軌道をそらされ、アルミードはそれによって生じた安全地帯へ身体をねじこんだ。それをかろうじて認識した俺は、驚きに目を見開いた。
アルミードは騎士であり、その腕力は並大抵のものではない。その彼が剣を打ち合わせたというのに、僅かな軌道変更しか許されないとは、にわかに信じがたかった。
元々『村人』でしかなかったアルミードだからこそ、その隙間に逃げ込むことで相手の攻撃を避ける技量もあったが、腕力頼りの通常の固有職持ちであれば、おそらくやられていただろう。
と、そんなことを考えていた次の刹那。剣を構えたフルフェイスが、俺に肉薄していた。
「――!」
俺はその場を飛び退きつつ、目の前の人物に向けて転職能力を行使した。早めに手を打たなければ痛い目を見るのは、ベルゼット元副神殿長との戦いで経験済みだ。
俺は、目の前の敵を『村人』に転職させた。
「う……!?」
相手を『村人』に転職させる瞬間、俺の中から、何かの力がごっそりと持って行かれた。今まで、転職能力を行使してきた時とは桁違いの消耗だ。
……なるほど、こうなるのか。俺は一人納得すると、襲撃者の状態を確認した。
「……!?」
固有職の力を失ったフルフェイスは、なおも俺に襲いかかろうとするが、その動きは俺でも見切れる程度のものだった。その動きには精彩がなく、動くことすら辛そうに見える。
自らの剣や鎧に振り回されている彼女に対して、俺は声をかけた。
「待て、『聖騎士』」
その言葉を聞いて、目の前の人物の動きが止まった。フルフェイス越しながら、彼女が驚いたのが分かる。彼女は、俺の姿をじっと見つめると、何かに気付いた様子で身じろぎした。
「メヌエット! 待て!」
やがて、聞き覚えのある声がフルフェイスから発せられると、時折辺りで響いていた破壊音が静かになった。そして、俺たちの横合いにある木の後ろからひょこっと顔を出したのは、変なマスクをつけた小柄な人間だった。
「ちょっと、なんで名前で呼んじゃうのさ。わざわざ仮面を被っていた意味がないじゃん」
少し呆れた口調で、メヌエットと呼ばれた人物がぶつくさ文句を言う。そんな彼女に引き続いて、さらに二人が姿を現した。いずれも似たようなマスクをつけているが、そのうちの一人が、俺を見て大きく動揺を見せた。
そんなことを知ってか知らずか、フルフェイスは俺に向き直ると、その兜を持ち上げた。白金色の艶やかな髪が背中へとこぼれ落ち、その美しい容貌が露わになる。
彼女は少し首を振って、顔にまとわりつく髪を振り払うと、俺を真っ直ぐ見据えて口を開いた。
「貴公は……クルシス神殿のカナメ殿だったな。まさか、このようなところで相見えるとは思っていなかったぞ」
俺たちを襲撃したのは、『聖騎士』メルティナ率いる『聖女』たちだった。
◆◆◆
すでに日は傾き、夜の領域へと突入した王都の公園で、俺たちは黙って対峙していた。
こちらは、俺、クルネ、アルミード、そしてキャロの三人と一匹。
俺たちの前には、聖騎士メルティナ、魔術師メヌエット、そしてマスクを外していないが、治癒師が二人。
どうやら、教会の『聖女』五人のうち、四人までもがここに集結しているようだった。どうせなら転職の『聖女』も見てみたかったのだが、能力の性質的に、こういった場面に出てこないのは当然と言えた。
……えーと。あんまり考えるとブーメランになりそうなので、この件について深く考えるのはやめておこう。
「ねえメル、なんで途中でやめちゃったのさ? たしかにあの女剣士はやりにくかったけど、二人の支援魔法があるんだし、負けるわけないじゃん。
メルがそっちの二人を倒してから合流してくれれば、絶対勝てたよ?」
沈黙を破ったのは、いかにも静かな空気の苦手そうなメヌエットだった。彼女は不満げな様子でメルティナに問いかける。
だが、その言葉を聞いたメルティナは、興味深そうに目を光らせた。
「ほう……? メヌエットが私の合流を待っていたとは珍しいな」
「だってさ、あの女、木を盾にしたり足場にしたり、ちょこまかと動くんだもん。こっちは公園を燃やしたりしないよう、気を付けてたから魔法も制限されていたし」
メヌエットは頬を軽く膨らませると、まるで拗ねたように反論した。
「……その代わり、魔法障壁やら防護魔法やら、さんざん重ね掛けされてたじゃない……」
と、俺の隣にいたクルネから、そんなぼやきが聞こえてくる。うち二人が治癒師とは言え、魔法職三人を相手にして遅れをとらなかったのだから、大したものだと思うのだが……
「この公園が、小さな森になっていたのがよかったのよ。シュルト大森林での経験が役に立ったわ」
そんな俺の視線に気付いたのか、クルネは少しだけ笑顔を見せて謙遜する。
一方メヌエットはと言えば、どうにも納得がいかないようだった。彼女は少し訝しげな表情でメルティナに迫る。
「それで、どうして戦闘を中断したの? あと、なんで正体をばらしたの?」
「ふむ、それについては私も気になっているところだ」
「……どういうこと?」
メヌエットが問いかけてくるのを無視して、メルティナは俺の方へ向き直った。
「カナメ殿。私にも不思議なのだが、貴公はなぜ私の正体を一瞬で見破ったのだ?」
その言葉に、メヌエットと、そして後ろの治癒師二人の視線が俺に集まった。……うーん。今となっては、別に隠すことでもないか。むしろ、知ってるんじゃないかと思ってたんだけど、さすがに自意識過剰だったようだ。
「……聖騎士の固有職持ちなんて一人しかいないんだから、間違えようがないだろう」
俺がそう答えると、『聖女』四人は一斉に首を傾げた。言っていることが理解できないようだ。……いや、違うか。一人だけ分かってるな。
「あの、メルティナさん……カナ――あの人は……」
治癒師の一人が、メルティナに向かってごにょごにょと話しかける。彼女の説明を聞いた『聖騎士』は、納得したようにこちらを向いた。
「……なるほどな。貴公が転職の神子だったのか。神々の遊戯の印象が強いせいで、さっぱり気付かなかったぞ。
固有職資質が視える貴公であれば、顔が見えなくとも気付くのは道理か」
「あー! 本当だ、この黒髪の男見たことある!……え!? じゃあ転職の神子ってこいつだったの?」
メルティナの言葉に反応したのは、これまたメヌエットだった。神々の遊戯の時にも思ったが、だいぶ賑やかな性格であるようだ。彼女は興味津々、といった様子で俺の方を窺い見る。
「……なるほどね。さすがのメルも、百本の石柱を一薙ぎで破壊した化け物が相手じゃ、剣を引くよね」
そう言ってメヌエットは一人頷いた。……あー、なんだろうこの居心地の悪さ。狙い通りではあるんだけど、こうもあっさり強者扱いされると、どうにも気まずいというかなんというか……。
俺の隣では、教会との神々の遊戯の詳細を知らないクルネとアルミードが、二人揃って不思議そうな表情を浮かべている。とは言え、今は説明している時じゃないか。
「そういうことだ」
実際にはそれだけではないはずなのだが、それをおくびにも出さないメルティナの精神力は大したものだった。これは、先天的な固有職持ちを甘く見ていたかもしれないな、と密かに自分を戒める。
「ところで、本題に入らないか?……君たちは、なぜ俺たちを襲撃した」
いつまでも向こうに会話の主導権を握られるのは好ましくない。そう思った俺は、一気に核心に切り込んだ。
その一言で、少し弛緩していた場の空気が一変する。殺気とまではいかないが、張りつめた空気が場を満たした。
「何言ってるの? 襲撃者はそっちじゃん」
だが、メヌエットの静寂ブレイカーぶりは健在だった。彼女の言葉に興味を引かれた俺は、わざとらしく驚いてみせる。
「俺たちが襲撃者? いったい誰を襲撃したと?」
「もう、往生際が悪いなぁ。あれだけ露骨に同胞を狙っておきながら、よくそんなことが言えるよね」
「同胞……?」
ということは、彼女たちは帝国と教会の密会を認めるのだろうか。いくらお喋りな感のあるメヌエットといえど、そんな重要な機密をうっかり話すとは思えないのだが……。
「メル、もう目的は果たしたし、いいよね?」
と、メヌエットは唐突にそう確認すると、勝ち誇ったように口を開く。
「ボクたちは、同胞が大切な宝具を受け渡すのを、こっそり護衛していたんだ。宝具を手に入れたがっている奴らが、その受け渡し時を狙って襲撃してくる、って情報が入ったからね。
もう彼らは安全なところまで逃げたことだろうし、ボクらの勝ちさ」
そう言うと、彼女は呆れたような視線を俺に向ける。
「……まさか、その賊がクルシス神殿の関係者だとは思わなかったけど。これは統督教も大荒れだろうね」
そんなメヌエットの言葉を聞き流して、俺は状況の整理に全力を注いだ。
どうにも話が噛み合わない。もしあの人影が、教会と帝国の関係者なのであれば、『聖女』がわざわざ教義違反行為に手を貸したことになる。いくら能力が秀でているとはいえ、教会の表看板たる『聖女』を、そんな任務につけるだろうか。
特に、あの『聖騎士』は生真面目な性格だ。同胞と帝国が接触するのを護衛しろ、などと命令を下されたとしても、彼女が首を縦に振るとは思えなかった。となると、彼女たちは騙されているのか? 実際には、その同胞とやらと接触した相手が帝国だと気付いていない?
……いや、と俺は首を振った。そう言えば、あの人影の様子はおかしかった。お互い、相手に対してまったく警戒心を抱いていないあの態度。もし彼女の言う通り、教会秘蔵の宝具を受け渡ししようとしていたなら、どこかしら緊張感が漂うはずだ。
それに、俺たちと『聖女』の戦いが始まってからの、彼らの行動も不自然だった。あまりにも見事な速度で、彼らは足並みを揃えて逃げて行った。あり得ないとは言わないが、突然近くで戦闘音が聞こえてくれば、多少は戸惑ったり、状況確認を行ったりするのが普通じゃないだろうか。
まるで、こういうことが起きるのを事前に知っていたような――。
「……メルティナ、一つ聞きたい。君たちは、あの人影の正体を知っているのか?」
「何を……彼らは、私たちが守護すべき同胞だ」
俺の質問を受け流そうとしたメルティナだったが、何ごとかを思い直したようで、素直に問いに答えてくれる。だが、俺が訊きたいのはそこではなかった。
「そうじゃなくて、例えば彼らがなんという名前で、どこに住んでいるのか、というようなことを知っているか?」
「……知らぬ。彼らを護衛して宝具を守り、害をなさんとする不逞の輩を打ち倒せと、そう命を受けただけだ」
メルティナは思い出したようにそう口にすると、少しだけ不機嫌そうに眉を顰めた。その態度で、俺はこの命令がバルナーク大司教の下したものではないと直感する。
彼女は、なぜかバルナーク大司教一筋だ。彼の下した命令であれば、もっと目にハートマークを浮かべて……は言いすぎにしても、あんな不愉快そうな顔にはならないはずだ。
そして、バルナーク大司教以外に、『聖女』四人を動かせる権力者なんて、ほとんどいないはずだった。
「アステリオス枢機卿か」
俺がそう断言すると、『聖女』のうち二人が、ぴくりと反応する。メヌエットと、治癒師の一人だ。その様子を見て、俺は確信を深める。どうやらあの男は、未だに企みが好きなようだった。
「……! 何者だ!」
と、不意にメルティナが誰何の声を上げた。つられてそっちを振り返った俺は、その姿を見てにやりと顔を綻ばせる。
「カナメ、面白えのを捕まえたぜ。ちょっと話を聞こうとしたら、問答無用で斬りかかってきた血の気の多い奴らだ。……ま、一人には逃げられちまったんだがな」
そんな声と共に近づいて来たのは、数名の男女だった。俺は彼らに向かって声をかける。
「ノクトさん、みなさん、ありがとうございます」
そんな俺の声に応えて、みんなが頷きを返してくる。
そして、彼らの中には、二人見慣れない男が混ざっていた。怪しげなフード付きマントを羽織った男たち。後ろ手で縛られてはいるが、その姿は、カナメたちが公園で見張っていた男で間違いなかった。
その姿を見て、メヌエットが驚いた声を上げる。
「え!? 捕まっちゃったの!?」
声こそ上げないが、メルティナたちも同じ気持ちだったようで、少し落胆している様子が見て取れた。……まあ、本来なら任務失敗だもんな。まさか、俺たちが二パーティーに分かれているとは思っていなかったんだろう。
だが、問題はそこではなかった。俺は捕まえたフードの男に向かって問いかける。
「お前たちは何者だ? 誰の指示で公園にいた?……ちなみに、彼女たちは教会の『聖女』だ。下手な言い逃れは通用しない」
俺はそう言って、メルティナを指し示した。月と星々の輝きを受けて、うっすらと輝いている白金の髪が、彼女の美貌と相まって神々しい雰囲気を醸し出す。
そんな彼女に呑まれたのか、男は慌てたように口を開いた。
「お、俺たちはただの何でも屋だ! 公園で物を受け渡す芝居をしてくれって、そう頼まれたんだよ!」
「誰に?」
「わ、分からねえ。ただ、前払いで気前よく依頼料を払ってくれたんだ……」
そんな男の返答に、俺はふむ、と考えこむ。
「そうか……ところで、あんたは教会の信徒か?……正直に答えてくれ」
「ち、違う!……いや違わない! 俺は今日からオルファス神を信仰する! 教会にも通う! だから許してくれ!」
男は必死な形相で答えた。ここまで焦っているあたり、今回の依頼がどこか怪しいものだとは気付いていたのだろう。報酬も妙によかったんだろうな。
だからこそ、教会の人間を前にして落ち着かなくなるわけだ。冷静に考えれば、公園で仲間と一芝居うっただけなのだから、なんの罪にも問われようはずがない。けど、宗教組織が相手となれば、色々と別の要素を考えざるを得ない。焦るのも道理だった。
「頼む! なんなら今から教会に祈りを捧げに行く! そうだ、洗礼を受けさせてくれ!」
信徒になれば見逃してもらえるとふんだのか、男は必死で入信したいと主張し始める。そんな男の様子に、メルティナは少し面食らっているようだった。
……それにしても、意外なほどぺらぺらと喋ってくれたな。虎の威を借る狐のようでアレだが、『聖騎士』効果はなかなかのものがあるようだった。「自分は教会関係者だ」という嘘をつきにくくするために彼女を利用してみたのだが、思ったよりも効果があったらしい。さすが、『聖女』たちの中で不動の一番人気を誇るだけはある。
「同胞じゃない……? 頼まれた……?」
一方、メヌエットは目を丸くして驚いていた。それはそうだろう。彼女としては、教会の同胞を護っているつもりでいたのだから。その言葉をゆっくり繰り返すと、彼女は俺を見る。
「どういうこと?」
「……俺たちは、王国教会が帝国と接触するという話を聞いて、その真偽を確かめるべく、この接触場所に来たんだ。この戦時に、教会が帝国と手を組むようなことがあれば重大な教義違反だからな」
「はぁ!? 何それ」
その答えが気に入らなかったのか、メヌエットは露骨に顔を顰めた。そんな彼女に対して、俺は言い含めるように説明する。
「教会と帝国の関係を嗅ぎ回っている俺たちが邪魔だったんだろうな。まんまと嵌められたよ。……まさか、名高い『聖女』たちとやり合う羽目になるとは思わなかった」
「カナメ殿。その言い方では、まるで我ら教会が帝国と内通しているように聞こえるが」
と、そこへ割って入ってきたのはメルティナだった。彼女の言い分を認めて、俺はあっさり前言を撤回する。
「すまない、言い方が悪かったな。少なくとも、俺たちのことを邪魔に思う連中がいて、君たちを差し向けた奴がいると、そう言いたかったんだ」
そんな俺の言葉に、メルティナたちが沈黙する。結局のところ、彼女たちを差し向けたのは誰か、という話になるからだ。そして、それは誰よりも彼女たち自身がよく知っている。
ふと気配を感じて横を見れば、ノクトがにやにや笑いながらこちらを見ていた。嫌な物言いをするねぇ、とでも言いたげなその視線を無視して、俺は『聖女』たちに向き直る。
「ねえ、メル……?」
「だが、私たちは……」
どうやら彼女たちは、俺の言葉をそれなりに受け止めてくれたようだった。そんな、動揺している彼女たちを見ているうち、俺は一つ疑問を抱いた。
なぜ彼女たちを派遣したのだろう。教会ほどの組織であれば、彼女たちしか固有職持ちがいない、ということはないだろう。
アステリオス枢機卿には色々手駒がいるだろうし、もっと目立たない人選を行うことだってできたように思えるのだが……。
そう考えるうち、俺は一つの可能性に思い至った。
――ひょっとして、彼女たちもまた、嵌められたのではないだろうか。そう考えた瞬間だった。
覚えのある不気味な魔力が、王都の貴族街を覆った。