パーティー、そして
【クルシス神殿助祭 カナメ・モリモト】
王国貴族の中でも、格の高い貴族たちが居を構える王都の中心部。王城へと繋がる整然とした通りに建ち並ぶのは、広大な敷地を持つ荘厳な屋敷ばかりであり、そこには一般人の入り込む余地などないように見える。
パーティーが開かれるエメロン侯爵の館は、そんな区域の一角に存在していた。
「お屋敷の一軒一軒が、全部ありえない大きさね……」
侯爵の館へと向かう馬車の窓から、外の様子を窺っていたクルネは、少し気圧されたように呟いた。彼女もここ一、二年は王都暮らしだったとはいえ、この貴族区画に足を踏み入れることは滅多になかったという。
クルネが所属していたパーティーのリーダー、アルミードは貴族出身だから、もし依頼主が貴族である場合には、彼が代表してこの区域を訪れていたようだった。
「まったくだ。掃除が大変だろうな……」
俺はクルネの言葉に同意を示した。すると、その言葉にクルネが噴き出す。
「もう、カナメはそういうことばっかり考える」
そう言いながら、彼女は楽しそうに笑った。そうしてひとしきり笑い声を上げた後、クルネは少し心配そうな声音で問いかける。
「……ねえ、本当に私の格好おかしくない?」
「大丈夫だ。みんなも褒めてたじゃないか」
「そうなんだけど……」
そう言いながら、クルネは自分の衣装を見やった。もちろん、ドレスを着ているわけではない。護衛のドレスコードについて確認したところ、専用の衣装を用意するとのことだったので、送られてきたものを着用しているのだ。
まるで式典用の礼服のように見えるそれは、動きやすさに重点を置きながらも、パーティーに出てもその雰囲気を損なわないだけの、華美な雰囲気を備えていた。なんでも、護衛はそれと分かるように、専用の服装を用意するのが習わしなのだという。
彼女のドレス姿を見てみたかった気もするが、送られてきた護衛の衣装もなかなかの仕上がりだと言えた。綺麗というよりは凛々しい印象だが、護衛としては充分だろう。
対して、俺はいつものクルシス神殿の法服を着用しているのだが、正直、クルシス神殿の法服は地味だ。上級司祭以上の位階を持つ神官は、儀式用の衣装を与えられるのだが、俺はたかだか助祭でしかない。
実は、特別司祭用の儀式衣装を作るという話も出ていたのだが、さすがに準備期間が一月しかない今回のパーティーには間に合わなかったのだ。
おかげで、どう見ても、俺より護衛のクルネの方が人目を引きそうだった。どうせだし、彼女には悪いけど、俺へ向けられる視線を幾分か吸収してもらおう。無数の視線ほど居心地の悪いものはないからなぁ。
そんなことを考えていると、俺の向かいに座っている人物が口を開く。
「……クルネ君、安心したまえ。今日のパーティーの招待客は多い。その衣装を身に着けている護衛は一人や二人ではないだろう。そして、君のその姿を見て失笑する者はいないはずだ」
なおも不安そうなクルネに声をかけたのは、同じくパーティーの参加者、プロメト神殿長だ。
「そ、そうですか? ありがとうございます!」
神殿長から答えが返ってくるとは思っていなかったのか、クルネは少し緊張した面持ちで頭を下げた。そんな中、規則的に揺れていた馬車の動きが緩やかに止まる。窓から外を見れば、立派な屋敷の正門がそびえ立っていた。
「……ふむ、どうやら到着したようだな。二人とも気を付けてくれ」
馬車を下りようと腰を浮かせながら、神殿長はそう俺たちに声をかける。俺とクルネは黙って頷くと、侯爵邸に下り立った。
◆◆◆
「おお、あなたがかの有名な『転職の神子』ですか……! まさか、こんなにお若いとは思ってもみませんでしたぞ」
「クルシス神殿の特別司祭、カナメ・モリモトと申します。今後ともよろしくお願い致します」
「こちらこそ、よしなにお願いしたいものだ。……ところで、司祭は昔からそのような奇跡の力を……?」
「いえいえ、つい最近のことです。これも、ひとえにクルシス神のお導きでしょう」
「ほほう、そうでしたか。クルシス神はよい神官を得られたものだ」
「恐縮です」
それは、いったい何十度目の会話だろうか。様々な貴族と、似たような話を延々と繰り返していた俺は、早くもパーティー会場から逃げ出したい気持ちでいっぱいだった。
リカルドの話通りだとすれば、このパーティーの目的は派閥の再確認であるはずだが、社交界では初お目見えとなる転職能力者の登場ということで、決して小さくない興味が俺へと向けられていた。
彼らから、『転職の神子』とかいう、訳の分からない二つ名をつけられているのには閉口したが、転職の『聖女』と揃えようとでもしたんだろうか。いやいや、神子って。そう言われるたびに、必死に笑いを堪える俺の苦労も考えてほしい。
少なくとも、護衛として近くに控えているクルネは、一回軽く噴き出していたからな。くそぅ、後で覚えてろ。
「……ところで、もし司祭がよろしければ、もっと詳しいお話をお伺いしたいのですが、いかがですかな? 」
そんなことを考えていると、目の前の貴族――なんとか子爵だったっけ――がずいっと身体を近づけて、そんなことを小声で囁いてきた。あちらに人気の少ない、いい場所があるのですよ、なんて言われても全然嬉しくないんだけどなぁ。
俺は、接客モード全開の笑顔を浮かべて口を開く。
「私のような者にご興味を持って頂けるとは光栄です。さすがに転職者の情報や斡旋のお話をするわけには参りませんが……そうですね、クルシス神の教えについて、というようなお話であれば、喜んでお伺いしましょう」
俺がそう答えると、子爵の顔が僅かに引き攣ったようだった。内容が多少露骨なのは勘弁してもらいたいところだ。
「そ、そうかね。私もクルシス神の教えについて、非常に興味を持っているのだよ。……とはいえ、司祭は今日のパーティーの人気者だ。さすがに私が独占するわけにもいくまいな」
そう言うと、彼はわざとらしい笑い声を上げて、俺の前から去って行った。……うん、簡単に対処できるタイプの人で助かった。
人によっては、じゃあクルシス神の話をしようと乗ってきて、後で無理やり転職者の斡旋の話に持っていこうとしたりするからなぁ。
事前にプロメト神殿長から渡されていた、『ちゃんと応対すべき貴族リスト』に載っている貴族はともかく、それ以外の貴族については、できるだけ早めに切り上げたいと願う俺だった。
「――司祭さん、少しお話ししてもいいかしら?」
と、そんな俺に声がかけられる。本当に、次から次へと神経が休まらない日だなぁ。俺は声の主に目をやって……そして、ほっと息を吐いた。
「なんだ、ミルティか」
「なんだとは酷いわね。疲れていそうなカナメさんに、休憩してもらうつもりで声をかけたのに」
そう、そこに立っていたのはミルティだった。元々容姿の美しい彼女だが、その身体を包む薄黄色のドレスや、控えめながらも存在感を放つ装飾品、そして普段はしていない化粧まで施しているおかげで、知らない人間が見れば、どこかの令嬢としか思えないだろう。
彼女は、王立魔法研究所の筆頭顧問魔導師として、今日のパーティーに招かれていたのだ。
その姿を見かけた時には、俺もクルネも唖然としたものだが、魔法研究所の所長らしき人物が、実に慣れた様子で貴族に挨拶しているあたり、珍しい招待客というわけではなさそうだった。
「……王立魔法研究所の筆頭顧問魔導師を務めております、ミルティ・フォアハルトと申します。よろしくお願いします」
「クルシス神殿の特別司祭、カナメ・モリモトと申します。こちらこそよろしくお願いします」
ミルティが急によそよそしく自己紹介を始めたのは、周りの視線を意識したものだろう。俺とは違う意味で、彼女も貴族たちの注目を浴びているのだ。
なんせミルティは、魔法研究所の研究員でありながら魔導師でもあるという、稀有な人間だ。それに加えて、顔もスタイルも抜群ときては、貴族の男たちが群がらないはずがなかった。彼女を自分の家で召し抱えたいと思っているのだろう。
「……大変そうだな。遠目から見ていると、まるで求婚者の一団に囲まれてるみたいだったぞ」
そう小声で囁きかけると、彼女は控えめに微笑みながら、その表情には全くそぐわない内容を口にする。
「遠回しにだけど、側室にならないかという、ありがたいお誘いを幾つか頂いたわよ」
「うわぁ……」
予想よりも進んだ展開に、俺は思わず声を上げた。ミルティも災難だなぁ。
「カナメさんも大変そうね。なんだか笑顔に力がないわよ」
少し心配そうに、ミルティが俺の顔を覗き込んでくる。それに対して、俺は少しだけ肩をすくめた。
「そろそろ精神力が尽きそうだからな。作り笑いにも限界が来るさ」
「本当に、お互い大変ね。……クーちゃんもお疲れさま。遠くからだけど、クーちゃんが苦労していたのも見えたわ」
「うん。ありがとう、ミルティ」
クルネは、微かに苦笑を浮かべながらそう返事をした。言葉が少ないのは、護衛としての立場を堅持するためだろう。
一度、クルネが俺から離れて、単独行動をとった時があったのだが、その時に貴族の子弟やら別の招待客の護衛やらに囲まれて、ひっきりなしに話しかけられて大変だったのだ。おそらく、ミルティもその様子を見ていたのだろう。美人はどこへ行っても大変だということか。
「それじゃ二人とも、頑張ってね」
「ミルティもな。おかげで、いい息抜きになったよ。ありがとう」
そう答えると、ミルティは微笑んで身を翻した。その後ろ姿を見送っていると、早々に彼女が貴族に話しかけられるのが見えた。
「……うん、本当に大変だな」
俺がそう呟いたのと、ほぼ同じタイミングで。
――会場の照明が、一斉に落ちた。
◆◆◆
「なんだ!?」
「どうしたの!? 何が起こったの!?」
「明かりだ! 明かりを持ってこい!」
照明が落ち、突如として暗闇に閉じ込められたことで、招待客が悲鳴を上げる。そんな彼らの声を聞き流しながら、俺とクルネは周囲に神経を張り巡らせていた。
パーティー会場には原則として武器を持ち込めないため、クルネが手にしているのは懐剣だ。彼女が愛用している長剣と違い、長さは二十センチ程度しかない。剣士としての力を十全に発揮するには、少し厳しいものがあった。ひょっとすると、襲撃者もそれを狙っていたのだろうか。
「左。斜め後ろにいるわ」
だが、剣士としての知覚までが、手にしている剣種によって制限されるわけではない。クルネは俺にだけ聞こえるような声でそう囁くと、打ち合わせ通りに、そっと俺の前に立った。
と――
「来る!」
クルネの言葉を聞いた俺は、半ば反射的に自分を転職させた。選んだ固有職は守護戦士。俺は即座に特技『金剛』を発動させると、斜め後ろを振り向いた。
「……ッ!」
固有職によって向上した知覚が、暗闇の中で迫ってくる人影を捉える。その直後、人影は俺に向かって、剣のようなものを振り下ろした。それに合わせて、俺は頭部を庇うように、左腕を掲げる。すると――
ガキン、という硬質な音を立てて、俺の腕に当たった剣が弾かれる。元々、非常に高い防御力を誇る守護戦士に、ごく短時間ながら、自身の防御力を大幅に上昇させる特技を使用したのだ。相手が戦士とはいえ、そうそう傷を負うことはない。
その事実に、襲撃者は動揺した声を上げた。
「ば、馬鹿な……素手だと!?」
だが、それに答えている暇はなかった。なぜなら、俺の横合いから火炎球が迫っていたからだ。俺は目の前の刺客を左手の裏拳で薙ぎ払いながら、特技『魔法抵抗』を発動させた。そして、炎の塊に向かって右手を突き出す。
爆発音と共に右手に激突した火炎球は、そこで一瞬燃え盛ったものの、その火勢を維持することができず、すぐに消滅する。暗闇の中とはいえ、炎の明るさでその一部始終が見えたのだろう。周囲の悲鳴がどよめきに変わった。
「光球」
次の瞬間、白い光を放つ光球が天井付近に生み出される。おそらくミルティが作り出したものだろう。その眩しさに目を細めながらも、俺はなんとか周囲を確認した。
どうやら、俺に襲いかかってきた人物は気絶しているようだった。出血どころか、盛大に凹んだり腫れ上がったりしているホラーな顔面には、何かの破片が大量に付着している。
……それにしても、顔面に裏拳が直撃した手ごたえはあったものの、まさかここまで綺麗に片がつくとは思わなかったな。防御力で選んだ守護戦士の固有職だったが、上級職ともなれば腕力も尋常ではないのだろう。
そして、俺に火炎球を放ってきた魔術師はというと、これは打ち合わせ通りクルネが取り押さえてくれていた。変な仮面を被っているのは、正体を隠すためだろうか。
それを見て、俺は近くでのびている(おそらく)戦士の男の顔に付着している破片が、仮面の成れの果てであることに気が付いた。
「くそっ! 放せ!」
そうして、俺はクルネが取り押さえている魔術師の下へと、悠然と歩いて行く。周囲の視線が突き刺さって動揺しそうになるが、俺は余裕のある表情を崩さないよう、顔の筋肉を駆使する。……さて、一芝居いくか。
やがて魔術師の前まで辿り着くと、俺は何度も練習した冷やかな笑みを浮かべて、周囲に聞こえるよう大きめの声を出した。
「……いやぁ、面白い余興でしたよ。まあ、貴方がたでは力不足ですが」
俺はゆっくりしゃがみ込むと、逃げ出そうともがく魔術師の顔から、仮面を引きはがした。現れた顔を見て、周りの貴族たちがざわめき出す。リカルドの情報通り、こいつらは貴族ゆかりの奴らと見て間違いなさそうだな。
組み伏せられた魔術師は、俺を憎々しげに見上げると声を上げる。
「くそっ! お前は何者だ! 俺の火炎球を受けて無傷でいられるなんて、たとえ固有職持ちでもできるわけがない!」
おお、こいつ、わざわざ皆に説明してくれたぞ。ラッキーだな。丁寧に説明してくれる魔術師に内心で感謝しつつ、俺は小馬鹿にするような笑みを浮かべた。
「まあ、ささやかな火炎球でしたからね……ああ、でもこの通り、右腕部分の裾は燃えてしまいましたが」
俺はそう言うと、肘の辺りまでが炭化してしまったクルシス神殿の法服を、魔術師の目の前に突き出した。炭化した法服の裾と、そして傷一つない俺の右腕を見比べて、魔術師が顔を青くする。
「ひっ……!?」
なまじ服が悲惨な状態なだけに、傷一つない腕が不気味に見えたのだろう。まるで化け物を見るような目で、魔術師が俺を見つめる。
そんな彼を追いつめるように、見下すような薄笑いを浮かべながら、今度は左腕を彼の前へと差し出した。
「あちらでのびている方は、貴方のお仲間ですよね? 突然、剣で斬られたものですから、こっちの袖もボロボロになってしまったんですよ」
そう言って、今度は切り裂かれた左袖を見せると、魔術師の男はさらに顔色を悪くした。こちらは腕本体にも赤く剣撃の痕が残っているのだが、傷を負ったというほどのものではない。まあ、普通に考えてありえないよなぁ。
そんな俺から逃れるように、視線をそらした魔術師だったが、彼はとある一点を見て、石のように固まった。どうやら、相方の戦士の姿を目の当たりにしたようだった。
やらかした俺が言うのもなんだが、凶悪な裏拳を顔面に受けた戦士の状態は、かなりの惨状を呈している。その光景に、魔術師はもはや声も出ない様子だった。よく見れば、身体が細かく震えている。
そんな彼にとどめをさすように、俺は酷薄な表情を作り上げた。今にも泡を噴いて倒れそうな魔術師に対して、顔をずいっと近づける。
「……私自身は無傷だったとは言え、非常に不快です。どう償ってもらいましょうか……?」
そう言って、俺はゆっくりと手の平を魔術師の顔面へと伸ばした。すると、こちらを向いていた魔術師の顔が、がくんと落ちる。……あれ? ひょっとして気絶した? この魔術師、気絶耐性低すぎない?
ちょっとやりすぎたかな。
俺はそう反省しながらも、これは必要なことだと自分自身に言い聞かせる。
なんせ、俺は色々な奴らに狙われる身だ。彼らのような固有職持ちが相手のケースもあれば、ここに居並ぶ貴族たちが黒幕である可能性もある。最近では帝国もなんだか怪しい動きを見せているし、なんらかの手を打とうとは思っていた。
そんな中で手に入った情報が、俺の暗殺計画だ。暗殺計画というにはお粗末な感が否めなかったが、固有職の力に胡坐をかいている人間が首謀者であれば、それもおかしな話ではない。
そこで、どうせなら彼らには、「クルシス神殿の転職能力者を狙っても割に合わない」というイメージを広めるために、一役買ってもらおうと思ったのだった。
あえて攻撃を受ける選択をしたのも、「たとえ隙をついたとしても、固有職持ちの攻撃なんて効きませんよ」と言いたいがためだ。
最後の魔術師への台詞は、まあ、その、ダメ押しみたいなつもりだったんだけど……駄目だ、思い出したらなんだか恥ずかしくなってきた。いや、でも、それなりに効果はあったと思う。……というか思いたい。
そんなことを考えて、俺が内心じたばたしていると、俺に近寄ってくる影があった。てっきりプロメト神殿長かと思った俺は、目の前の人物が誰だか一瞬思い出せなかった。
「カナメ司祭、このたびは誠に申し訳ない」
「いえ、お気になさらないでください。大した被害は受けませんでしたから」
あ、思い出した。この人、パーティーの主催者のエメロン侯爵じゃないか。あのエレガントな髭には見覚えがある。よく考えたら、この場面で謝罪してくる人間なんてホスト役くらいなものだしなぁ。
侯爵は俺の言葉を聞いて、幾分ほっとした様子だった。そして、俺の両腕をまじまじと観察してから口を開く。
「たしかに、お怪我はなかったようですな。カナメ司祭に斬りかかった男も、火炎球を放ったこの者も、こうして顔を見てみれば、れっきとした固有職持ちだ。顔には見覚えがありますからな。
それを受けて無傷とは、司祭はまことクルシス神の加護を受けた神子なのでしょうな」
「えーと……」
いや、その神子っていうのやめてもらえないですかね。いくら信心ゼロの俺でも、なんだか罰が当たりそうな気がして仕方ないんですけど。そんな俺の心の内を知らず、侯爵が俺を褒め称える。
「固有職持ちが、傷一つつけられないなんて……」
「信じられん……」
周囲の貴族が、エメロン侯爵の言葉を聞いて再びどよめき出す。よしよし、その調子で噂を広めてほしいものだ。さもないと、俺が恥ずかしい思いをしただけで終わってしまうからな。働き損は勘弁してほしい。
そんなことを考えていると、再びエメロン侯爵が口を開く。
「せめてものお詫びに、傷んでしまった法服については、こちらで弁償させて頂こう」
「……ご厚情、ありがたくお受け致します」
別に侯爵が弁償する必要はない気もするけど、このパーティーの警備責任者は、主催者のエメロン侯爵だもんな。たぶん、貴族的にはそれが当然なんだろうなぁ。……よく分からないけど。
やがて、パーティー会場の入り口から、物々しい格好をした一団が現れた。侯爵は彼らの姿を認めると、すぐに指示を出す。
「あそこで気絶している男と、この男を捕えよ。相手は固有職持ちだ、気を抜くことのないように」
「はっ!」
よく統制のとれた声が、パーティー会場に響く。彼らは二手に分かれると、無駄のない動きで襲撃者二人を確保する。
クルネが組み伏していた魔術師を彼らに引き渡すと、エメロン侯爵は彼女に向かって軽く一礼した。
「……レディ、君も実に素晴らしい活躍だった。魔術師を取り押さえるなど、並大抵の護衛にできることではない」
「あ、ありがとうございます!」
まさか侯爵自身に話しかけられるとは思っていなかったのか、クルネが少し焦ったように言葉を返す。
「……まあ、彼女は剣士ですからね。当神殿の優秀な護衛ですよ」
そこへ口を挟んできたのは、いつの間にか近くへ来ていたプロメト神殿長だった。その言葉を聞いて、侯爵の目が驚きに見開かれる。
侯爵と同じく、会話を見守っていた周囲の貴族たちも驚きの声を上げた。どうやら、神殿長はこの機会に、転職能力者に対するちょっかいの芽を摘んでしまうつもりのようだった。
「ほう……! お一人でも無類の強さを誇るであろう司祭に、さらに固有職持ちの護衛がいらっしゃるとは。クルシス神殿の本気のほどが窺えますな」
その侯爵の言葉は、まさに神殿長が引き出したかった言葉だろう。……まあ、神殿長の目論見に気付いて、話を合わせてくれた感もあるけどね。パーティー主催者として、失敗の埋め合わせをしたつもりなのかもしれない。
「残念ながら、彼をつけ狙う人間は定期的に現れますからな。備えるに越したことはありませんよ」
神殿長がそう答えると、エメロン侯爵は何かを思い出したように、近くに控えていた執事らしき人物に話しかけた。
「トリアーニ男爵とネルロゥ男爵はまだか」
「はっ、もう到着する頃合いかと思われます」
そんなやり取りがなされるのとほぼ同時に。パーティー会場に向かって、何やら騒がしい気配が近づいてくることに気付いた。
待つこと数分、パーティー会場に姿を現したのは、侯爵の私兵と思しき集団に連行された、二人の男だった。話の流れからすると、この二人がそのなんとか男爵なのだろう。
そして、彼らこそが、俺を襲った戦士と魔術師の雇い主と考えてよさそうだった。
自分を拘束している兵たちに、散々悪態をついていた二人は、エメロン侯爵の姿を見つけると、途端にその顔を青くした。
「エ、エメロン侯爵! 違うんです!」
「私たちは奴らに脅されていたんです!」
突然どうしたのか、二人の男爵が口々に声を上げる。
「この計画に協力せねば、雇用契約を打ち切ると言うのです!」
「そうなれば、他に雇える固有職持ちのアテなどありません。我々は仕方なく……!」
……えーと、マジか。俺は二人の弁明を聞いて、つい半眼になった。脅されたって言うから何かと思ったら、予想よりもだいぶ軽い話のような……。
まあ、固有職持ちの数が戦力であり、かつステータスでもある貴族の価値観からすると、けっこう深刻な問題なのかもしれないけど、それで命を狙われる俺としてはたまったものじゃないなぁ。
私たちは被害者なのです、と言い募る二人に、エメロン侯爵は冷たい目を向ける。
「固有職持ちを場外警備に派遣するなどと、珍しく殊勝なことを提案したかと思えば、まさかこんなことを企てていたとはな。
――固有職持ちとは言え、部下にいいように扱われ、あまつさえそれを言い訳にするお前たちには、貴族たる資格はない」
取りつく島のない、絶対零度の声音を聞いて、男爵二人の顔に絶望の色が浮かんだ。
エメロン侯爵からすれば、自分が主催するパーティーで賓客の暗殺を企むなど、彼の顔に泥を塗る行為に他ならない。彼の態度は当然と言えた。
「もうよい。……こやつらを下がらせろ」
侯爵の指示に応えて、男爵二人が連れていかれる。最後まで何事かを叫んでいた二人だったが、その言葉は一切、侯爵の耳に届いていないようだった。
気まずい空気を変えるため、侯爵は朗らかに参加者に声をかけて回る。どうやら、パーティーはまだお開きというわけではなさそうだ。
こうして、侯爵主催のパーティーは、ちょっとした噂を広める一助を担うことになったのだった。
◆◆◆
「本当にすみません、図々しくお邪魔させてもらって……」
「別に構わんよ。ミルティ導師には、合同神殿祭でもご協力頂いていることだしな」
帰りの馬車の中で、そんな会話をしているのは、ミルティとプロメト神殿長だった。この馬車はクルシス神殿が手配したものだが、ミルティが飛び入りで乗車することになったのだ。
もちろん、王立魔法研究所の馬車が迎えに来ていたのだが、久しぶりにクルネや俺と話したいから、という理由で、ミルティは俺たちの馬車へ同乗したいと言ってきたのだった。
ただ、彼女の頭の中からは、プロメト神殿長の存在がすっぽりと抜け落ちてしまっていたようで……。とりあえず、神殿長が心の広い人でよかった。
「しかし、いいのかね? この馬車はクルシス神殿で私とカナメ助祭を下ろした後、クルネ君の住居に寄って、そのまま戻る契約になっているが」
「ええ、もちろんです。今日は彼女の家に泊めてもらおうと思っていますから」
調子を取り戻したのか、ミルティはいつもの穏やかな笑みを浮かべて、神殿長の問いに答えた。
ちなみに、現在、俺はクルシス神殿内にある宿舎に住んでいる。……というか、警備上の理由で強制転居させられたのだ。そして、クルネが住んでいるのは、今まで俺が借りていた部屋だった。
元々、俺がクルシス神殿へ通うことを前提に選び抜いた物件なだけあって、クルシス神殿へ通勤することになったクルネにとっても、いい立地なのは間違いない。
彼女も、名実共にパーティーを抜けた身となっては、同じ宿には居辛かったらしく、まだ微妙に契約期間の残っていた俺の部屋を紹介したところ、とんとん拍子に話がまとまったのだった。
「けどミルティ、そんな綺麗な格好なのにいいの?」
クルネは、ミルティのドレスを眺めながらそう尋ねる。その顔に、どこか羨ましそうな表情が読み取れるのは気のせいだろうか。彼女が身に着けている護衛服も格好いいと思うんだけど、やっぱりドレスは別格なのかな。
そんな彼女の質問に、ミルティは首を振って答える。
「大丈夫よ。実はこのドレス、状態保存魔法の実験台でもあるの。シワもできないはずだし、汚れだって弾くはずよ」
おお、さすがは王立魔法研究所。色んな研究をしてるんだなぁ。俺がそんな感心をしていると、ふと馬車の外に視線をやったクルネが声を上げた。
「あれ? ここって、本教会があるところ?」
「……そうだな。ここが王国教会の本拠地だ」
クルネの言葉に答えたのは、プロメト神殿長だった。そう言えば、彼女はちょこちょこ教会と縁があったんだっけ。俺は、クルネが見ている馬車の窓を覗き込んだ。
さすがは王国教会の本拠地と言うだけあって、その巨大さはクルシス神殿を大きく上回っていた。夜目に見える外観は意外と質素だが、内側はどんな造りをしているのだろうか。そんなことを考えながら教会の周辺を見ていた俺は、ふと見覚えのある人影を見つけた。
「あれ……?」
暗くてよく見えないが、虚空の一点を見つめながら歩くあの姿には、確実に覚えがある。神学校で何度か注意したことはあるが、結局、矯正は不可能だと皆で匙を投げたものだ。
「エディ……?」
神学校の同級生にして、王都に名高い『天才児』。ミュスカの話では、相変わらず独自のテンションで研究に没頭しているらしいが、その彼が、なんでこんな時間帯に出歩いているんだろうか。元々、あまり出歩くのが好きな性格じゃなかったはずだが……。
やがて、俺の乗っている馬車がエディらしき人影を追い越す。窓越しに視線をやれば、その姿は間違いなくエディ・レミングソン当人だった。
と、俺が彼を観察している間に、一人の不審な男が彼に近づいていくのが見えた。
別段、格好が不審だとか、そういうわけではない。ただ、周囲を警戒して、自分を印象付けないように振舞っている雰囲気が感じられただけだ。俺が気付ける程度なのだから、そう大した隠密技術は持っていないようだが……
――帝国と王国教会が接近している。警戒してほしい。
少し前に聞いた、リカルドの言葉が頭をかけ巡る。俺は少し悩んだ後、御者に向かって声を上げた。
「すみません、次の角を曲がったところで、馬車を止めてください」
「カナメ?」
突然のことに、クルネが戸惑ったような声を上げる。俺はそれに答えることなく、神殿長に向き直った。
「神殿長。申し訳ありませんが、ここで下ります」
「急にどうした?」
「確認しなければならないことがあります」
俺はそう言うと、馬車の扉に手をかけた。馬車の速度はだいぶ落ちている。飛び降りても問題ないだろう。
「クルネ、悪いが付き合ってくれないか」
俺は振り向かずにそう言うと、馬車から飛び下りた。
◆◆◆
「もう、カナメ、急にどうしたのよ?」
馬車から飛び降りた俺に続いて、クルネが俺の近くに降り立った。
「カナメさん、本当にどうしたの?」
続けて、外套を羽織ったミルティが馬車から飛び降りてくる。……あれ?
「ミルティも来てくれたのか?」
俺がそう訊くと、彼女は軽く苦笑を浮かべた。
「さすがに、ほぼ初対面の神殿長さんと二人きりは辛いもの。それに、クーちゃんの家に泊めてもらうつもりなんだから、一緒に行くしかないでしょ?」
あ、そう言えばそうだったな。考えが足りなかったと、俺は素直にミルティに謝る。
「ところで、俺が馬車を下りた理由なんだが……」
そう言いかけたところで、俺は薄手のコートの襟を立てた。足音が聞こえてきたのだ。おそらくは、エディたちのものだろう。その様子で察してくれたのか、二人も足音に対して背を向ける形で、あえて他愛無い会話をしてくれる。
「――ねえ、今度はどこのお店に行こうかしら?」
「そんなこと言っても、もう開いてるお店は酒場くらいじゃない? 大人しく帰った方がいいわよ」
そんな会話に紛れるように、足音が近づいてきて……そして離れていく。エディに気付かれなかったことにほっとしながら、俺はクルネたちに向き直った。
「今、傍を通った二人組のうち、一人は神学校の同期生だ。俺の考え過ぎならいいんだが……」
「一人はちょっと変な感じだったね。なんだか人目を忍ぶ感じというか……」
クルネの言葉を聞いて俺の背中に嫌な汗が流れる。彼女は冒険者として、怪しい気配に敏感になっている。そのクルネがそう評する以上、やはり確認はしておくべきだろう。
「帝国と王国教会が接近している、ってリカルドから聞いたろ? 正直なところ、あいつは一番そういう陰謀から縁遠い奴なんだが……」
「それで、尾行するつもりなのね」
ミルティの言葉に俺は頷いた。大した尾行技術はないが、夜とは言え、ここは人通りの多い区域だ。相手もあまり鋭敏ではなさそうだし、気をつければなんとかなるだろう。
俺はそう判断すると、そっと彼らの跡を尾行するのだった。
◆◆◆
「出てこないな……」
一刻ほど前にエディが入って行った民家を見ながら、俺は何度目かの呟きをもらした。すでに民家に明かりが灯っていたことからすると、相手は家の中にいたのだろう。
そんなことをぼやいていると、クルネが俺の方を向いて、念のために言っておくね、と口を開いた。
「今のカナメは、自己転職して能力が使えない状態なんだから、無理しないでね?」
「ああ、気を付けるよ」
その言葉に俺は頷く。今はキャロもいないし、傍にいる二人が頼りだった。まあ、たぶん俺の取り越し苦労だろうし、そう心配するようなことはないだろうが。
俺がそう考えた矢先だった。民家の扉が、ゆっくりと開かれる。
「出てきたぞ……!」
俺は相手に気取られないよう、陣取っている建物の陰からそっと様子を窺う。出てきた相手は二人組のようだった。どちらもエディではない。一人は中年の男性で、もう一人は老人と言っていい年齢に差し掛かって――
「……!」
俺はその姿を見て、思わず目を疑った。また、心臓の鼓動が激しさを増す。蒼竜騒動時に引き続き、二度目の遭遇とは、もはや奇跡と言ってもいいかもしれない。この間は見失ったが、今度は絶対に逃がさない。俺は拳を握りしめた。
「カナメ? どうしたの? すごく怖い顔をしてるわよ」
民家から現れた老人を凝視している俺を心配したのか、クルネがそう声をかけてくる。俺は、視線を奴に合わせたまま、彼女の問いに答えた。
「……マクシミリアンがいる」
「まさか……!?」
そう答えたのは、クルネではなくミルティだった。ミルティにはマクシミリアンについての調べものを色々頼んでいたから、すぐにピンと来たのだろう。
「帝国が極秘で囲っている魔導師が、なんでこんなところに……?」
「分からないが、あの顔に間違いはない」
「……あ。マクシミリアンって、カナメをこの大陸に転移させた――」
俺とミルティがそんな会話をしている間に、クルネもその名前に思い当たったらしい。その瞳に理解の色を浮かべるのと同時に、彼女の表情がさっと引き締まる。
どうやら、マクシミリアンともう一人の男は、何か口論をしているようだった。さすがにその内容は聞こえてこないが、中年の男のほうが、特に感情的になっているように見えた。
俺たちが息を潜めて様子を窺っていると、やがてマクシミリアンが、中年男を無視して歩き始める。無視された男は、マクシミリアンに対して、何事かを叫んでいるが、彼を追いかけるつもりはないようだった。
「……二人とも、すまない。俺はマクシミリアンを追いかける。ミルティは――」
「あら、ひょっとして、私を置いて行くつもりなの?」
「すまないが、奴を見失うわけにはいかないんだ」
いくら固有職持ちとはいえ、ミルティは体力補正をあまり受けない『魔術師』だ。しかも、仕事は研究職だし、今日はドレスという動きにくい服装をしている。そのため、彼女が俺たちについてこれない可能性は高かった。
「身体能力強化」
だが、ミルティはそんな俺の懸念に気付いていたようだった。彼女は自分の身体を魔法で強化すると、にっこりと微笑む。
「これなら大丈夫でしょう?」
「……ああ、よろしく頼む」
俺はそう答えると、マクシミリアンの追跡を始めた。
◆◆◆
人通りがほとんどない裏路地。夜が近づくほど治安が悪くなっていくその道を、マクシミリアンは臆することなく歩いていた。
まあ、あれでも時空魔導師だからなぁ。チンピラの一人や二人、というか闇組織の一つや二つなら、あっさりと壊滅させかねない。恐れる必要はないか。
彼の目的地がどこかは分からないが、話しかけるなら今だ。俺が目で合図すると、クルネは理解したように頷いた。彼女はしばらく周囲の気配を探っていたが、やがて俺の方を見て軽く頷いた。誰も近くにはいないということだろう。
跳ね上がる心臓を抑えて、俺は建物の陰から姿を現すと、数メートル遠くにいるマクシミリアン目がけて声をかけた。
「……マクシミリアン・レーエ・ギラーク男爵」
それは、決して大きな声ではなかった。だが、先を歩いていた時空魔導師は、俺の言葉を聞くと、ピタっと足を止めてこちらを向いた。
「その名を知っておるとは……貴様、内通者か?」
たしか今年で七十歳になるはずだが、そう問いかけるマクシミリアンの瞳には、一切衰えが感じられなかった。俺はぐっと身構える。
だが、そんな俺に興味を失った様子で、マクシミリアンは口を開いた。
「……まあ、どうでもよいことじゃがな。魔工巨人やら竜やら、此度の出国に見合った働きはしてやった。これ以上研究の邪魔はさせんぞ」
ん? こいつ、重要なことをさらっと言わなかったか?……だが、今の俺にとっては、そんなことは二の次だった。
「俺は内通者じゃない」
俺は自分でもよく分からない激情を押し殺して、端的にそう答えた。内通者のフリをすることも考えたが、結局、例の話題を口に出してしまえば、帝国の人間でないことはすぐにバレるだろうしな。俺はどう切り出したものか、と頭を悩ませる。
「ふむ……? じゃが、貴様の顔はどこかで……その生意気そうな黒目黒髪……おお!」
だが、その心配は不要だった。しばらくの間、ブツブツと呟きながら考え込んでいたマクシミリアンは、閃いたかのようにカッと目を見開くと、自信をみなぎらせた声で断言した。
「――貴様……儂が異世界から召喚した若造じゃな」