開示
【クルシス神殿助祭 カナメ・モリモト】
「カムランが襲われた!?」
同期が窮地に陥っていたことを知ったのは、俺がアイゼン王子の館を訪れ、そしてルコルの蒼竜暴走騒ぎを収めて神殿へと帰り着いた時だった。
「カムランの坊主は馬鹿じゃねえ。護身用の道具を使って、うまいこと逃げ出したんだがな」
「問題なのは、今後もそういった事態が多発する可能性があるということね。統督教全体を敵に回しても構わないということなのか、それとも正体の隠蔽によっぽど自信があるのか……」
早々に会議室に呼ばれた俺に対して、警護責任者たるアルバート司祭とミレニア筆頭司祭が、それぞれ難しい顔をしながら口を開いた。
……まさか、このタイミングでカムランが襲われるとはなぁ。さっきの蒼竜騒動は、俺が首を突っ込まなければ無関係のまま終わっていた話だろうし、カムランへの襲撃とは別口だと思いたいところだ。
だが、同日にクルシス神殿の転職能力者候補二人が危険な目に遭ったとなると、さすがにそう気楽に構えてもいられなかった。
「カナメ君、どうかしたの?」
そんなことを考えているのが顔に出ていたのか、ミレニア司祭からそう問いかけられる。俺は少し悩んだ後、正直に蒼竜騒動の顛末を話すことにした。
「まさか、そんなことが……」
「同じ日に二人とはな。さすがに偶然とは言いにくいか」
その話を聞いて、二人の表情がより険しいものへと変わった。彼らに対して、俺は気になったことを口にする。
「セレーネは大丈夫なんですか?」
一部の者たちが躍起になって知ろうとしている、転職能力者の正体。その有力候補は、最近クルシス神殿に入った俺とカムラン、そしてセレーネの三人だった。他にも何人か、怪しく思われそうな人間はいるのだが、やはり俺たちが最有力なことに違いはない。
「セレーネの嬢ちゃんは大丈夫だ。当面は誰かと行動するように言ってるし、今のところ危険な目に遭ったという報告もない」
「合同神殿祭のイベント時、セレーネ侍祭は別のブースで仕事をしていたもの。もしあの時監視の目が光っていたのなら、彼女が転職能力者でないことは知れているはずよ」
ミレニア司祭の言葉は、以前にも話し合われた事柄だった。身に降りかかる危険を考慮して、彼女については遠回しに能力者ではないことを窺わせる配役をしていたのだ。男女差別と言われてしまえばそれまでだが、俺にもカムランにも異存はなかった。
「それはよかったです」
俺はそう言うと、二人のどちらかが口を開くのを待った。もし「お前も気をつけろよ」と言いたいだけであれば、わざわざ会議室へ呼び出しをかけたりはしないだろう。
「……実はな、お前さんを呼び出したのには、いくつか理由がある」
そんな俺の考えを読んだかのように、アルバート司祭が口を開いた。
「そのうちの一つが、あの時の魔工巨人の件だ。今回の襲撃と全くの無関係ということはねえだろう」
そういえば、魔工巨人の調査は概ね終わっていて、今は専門家を探しているとか聞いた気がするな。
なんせ古代魔法文明の代物だ。お隣の帝国は大陸一研究が進んでいると聞くが、このクローディア王国は残念ながらその正反対だ。詳しい人物を探すだけでも一苦労なのだという。
「専門家が見つかったんですか?」
「まあ、な。古代文明なら帝国だろうと思って、メルハイム帝国のクルシス神殿から紹介してもらったんだが……」
なんだか歯切れの悪いアルバート司祭の言葉に引っ掛かりを覚えながらも、俺は静かに言葉を待つ。
「口で説明するよりも実際に会ってもらった方が早えだろう」
「え?」
「エリザ博士! 入ってきてくれ」
アルバート司祭の声がするや否や、会議室の扉がガチャ、と開かれる。そこに立っていたのは、おそらく三十代半ばだろう一人の女性の姿だった。顔の造形は美人と言っていいはずなのだが、エメラルドグリーンの髪を適当に束ねてひっつめていたり、どこかよれっとした服を着込んでいたりと、あまり身なりに気を遣わない性格なのは見て取れた。
彼女は俺の方を見ると、にかっと笑って手を上げる。
「こんにちは、神官さん。あたしはエリザ・テューダー。メルハイム帝国で古代魔法文明の研究をやっていたんだけどね、ちょっと学会のお偉いさんと揉めて居場所がなくなってしまったところを、クルシス神殿に拾われたのさ」
そう言って、あははと笑う彼女に、俺は少し面食らった。いきなりそんなネガティブ情報を開示されるとは思わなかったぞ。どうやら、なかなか変わった性格をしているようだった。
「エリザ博士は、帝国の研究者の中でも将来を期待されていたお人でな。こと古代文明に関していえば、この国の誰よりも詳しいはずだ」
まるでフォローするかのように、アルバート司祭が彼女のプロフィールを説明してくれる。なるほど、たしかに帝国は古代魔法文明研究の最先端だ。そこの研究者ということであれば期待できるかもしれない。
とりあえず、学会のお偉いさんと揉めたとかいう話の詳細は……聞かない方がいいよな、うん。
俺はそんなことを考えると、笑顔を浮かべて名乗り返す。
「クルシス神殿で助祭を務めておりますカナメ・モリモトと申します。よろしくお願いします。
……ところでエリザ博士、さっそくなのですが、あの魔工巨人について何か判明したのでしょうか?」
俺は自己紹介すると、そのまま気になっていたことについて質問する。少し性急だったかな、と反省した俺だったが、彼女に気分を害した様子はなかった。
「お? 聞きたい? 本当に? さすが若い人は積極的でいいね!」
……訂正。気分を害するどころか、すごくノリノリだ。なんだか長話を聞かされそうな予感がひしひしと伝わってくる。そんな俺の予感を裏付けるかのように、彼女はその口を開いた。
「まず基本的な話だけど、そもそも魔工巨人にはいくつか種類がある。襲撃用、防衛用、偵察用のような戦闘タイプから、建設用、水中作業用、家事用、救助用などの作業タイプまで様々だね。その魔工巨人の大きさや出力、特殊機能や装備によってランク分けがなされる訳さ。そして製作された年代によっても区分されるが、黎明期、初期、中期、後期、終末期の五つに分けるカテゴライズが一般的と言える。もちろんそれだけで詳細な分類が完了するわけもなく、例えば魔法的に作成されたものか、魔道具的に製作されたものかという技術的な区分けや、その魔力にはどのような属性のものを使用しているのかといった部分を考慮する必要もあるわけだ。そして魔工巨人である以上、その自律稼働能力によるランク分けが別でなされている。人間と同じように判断できるようなものは稀だが、それなりの判断能力を備えているものはちょこちょこ見られるし、単純命令でも『あの村を襲え』というような半ば抽象的な指示をこなすものは、優秀な自律稼働能力を持つものと考えて少し上の扱いがなされるのさ。帝国学会で採用されているもっともメジャーとされている分け方を例として示すと――」
……話ながっ! まったく喋り終える気配を見せないエリザ博士を驚きの面持ちで見ていると、やがてアルバート司祭の咳ばらいが聞こえた。
「――エリザ博士。そのあたりの説明は、また個別で坊主にしてやってくれねえか?」
さすがに日が暮れると思ったのだろう、アルバート司祭が彼女の解説を遮ってくれる。……って司祭、さりげなく俺を犠牲にしなかったか?
「――ああ、すまないね。つい嬉しくて話し過ぎたようだ。カナメ助祭、申し訳ないがこの続きはまた後でさせてもらいたい」
「そ、そうですか……」
いえいえ、もう結構です……とは言えず、俺はそう答えるのが精一杯だった。ちらっとアルバート司祭の方へ視線をやると、悪いな、とばかりに苦笑を浮かべる彼の顔が目に入る。
と、俺たちがそんな無言の一幕を演じている間に、ミレニア司祭が口を開いた。
「私たちが知りたいのは、あの魔工巨人がどこから差し向けられたのか、ということですわ。特定の地域でしか手に入らないとか、そういった手掛かりになりそうな情報はあるのかしら?」
「あの魔工巨人は、古代遺跡から発掘されるものとしてはそこそこポピュラーなものだからね。それだけで何かを特定するのは難しいよ。二体ともあちこちの遺跡で出土報告があるものだ。
まあ、そうは言っても地域によって傾向があるからね。ああいった防衛用B‐Cランクの魔道具式魔工巨人となると、やっぱり多く見つかるのは帝国だろうね」
「魔工巨人を操っていたやつの特定はできねえのか?」
「難しいね。せめて自律稼働ランクがB以上なら、主人に関する情報を魔法的に読み取ることも不可能じゃないけど、あの魔工巨人はCランクだからねぇ。そもそも主人情報というものは、単純な命令をこなす場合にはほとんど不要なものであって、その存在意義は――」
「博士、存在意義はひとまず置いてくれ。他にけしかけたやつの特定に繋がりそうなモンはねえのか?」
また脇道にそれ始めたエリザ博士を、アルバート司祭がなんとか本道へと引き戻す。すると、エリザ博士は楽しそうな表情で口を開いた。
「あるさ。例えば、魔工巨人に命令を伝える方法だ。出土した魔工巨人は大昔の主人の命令しか聞かないからね。それを自分たちでいいように操るためには、専用の魔道具を取り付ける必要があるのさ。そして、この魔道具には国や学会派閥のカラーが出るから、ある程度の見当はつく」
その言葉を聞いて、俺たち神官三人は顔を見合わせた。そんな俺たちの様子に構わず、エリザ博士は自信満々に言葉を続ける。
「あの魔道具は、メルハイム帝国の魔法文明学会が用いている形式と見て間違いないね。長年付き合ってきたものだし、見間違えるはずがない」
「帝国か……」
その言葉を受けて、アルバート司祭が渋い顔で呟く。あまり嬉しくない答えであることは間違いなかった。
「例えば、クローディア王国の何らかの組織が、魔工巨人操作の魔道具を帝国の学会から買い上げるようなことは可能かしら?」
そこへミレニア司祭が問いを投げかける。それが王国教会を疑っての質問であることは明らかだった。
「帝国に限らず、魔法文明学会は魔工巨人操作に関する技術を秘匿する傾向にあるからね。他国の組織がやって来たところで門前払いがオチだよ」
「じゃあ、もし帝国の教会が依頼してきたとしたらどうですか?」
俺はエリザ博士の答えを聞いて、少し質問の角度を変えた。だが、その問いについてはミレニア司祭が首を振った。
「カナメ君、いくらあの枢機卿でも、他国の教会を通じて魔工巨人を入手するようなことはしないと思うわ。
ただでさえ目立つ魔工巨人を、あんなに目立つ場所で動かしたのですもの。それを仲立ちした教会からすれば、彼が統督教の教義に反する行為を行っているのは明らか。あの枢機卿がそんな露骨な弱みを握らせるとは思えないわ」
「なるほど……」
俺がミレニア司祭の言葉に納得していると、エリザ博士が追加で口を開く。
「それに、帝国の教会が言ってきたとしても、学会が便宜を図ることはないよ。そうだね、もし要請に応える可能性があるとしたら、帝国政府くらいなものかな」
「そうですか……」
その言葉は、魔工巨人騒動の首謀者が帝国であることを物語っていた。それを受けて、アルバート司祭が意見を口にする。
「ってことは、帝国が首謀者と結論づけてもよさそうだな。……どうだミレニア司祭、統督教として帝国を糾弾することはできそうかい?」
おお、伝家の宝刀が出たぞ。統督教に対して危害を加えられたという体になれば、一気にこっちが有利になるはずだ。だが、ミレニア司祭は否定的な調子で首を振った。
「相手が帝国であることを考えると、少し難しいところですわね。統督教幹部は、この大陸で一、二を争う大国に対して事を構えることには消極的でしょうし、確たる証拠が必要ですわ。
それに今回の魔工巨人騒ぎは、皆さんのおかげで大した被害が出ていませんから、軽く扱われてしまう可能性は否定できませんわね」
「確たる証拠と言われると、あたしも辛いところだね。現実的には、あの魔工巨人操作技術は帝国の学会と帝国政府しか扱える人間がいないはずだけど、あくまでそれは学会の常識レベルの話だからね。学会規則なんかに定められている訳じゃない。
それに、あり得ないだろうけど、偶然別の研究機関が同じ原理の魔道具を作ったと強弁されてしまうと否定するのも難しいね」
えーと、つまりあれか、犯人は帝国だと見て間違いなさそうだけど、統督教として告発するには証拠が不十分だという訳か。そんな残念な結論に、自然と俺の顔が厳しくなる。
「帝国ってことは、やっぱり転職業務がらみか……?」
「放っておけば、王国の戦力がどんどん増強されかねませんもの。あまり嬉しくはないでしょうね」
それは二人の司祭も同じことのようで、俺たちは一様に難しい表情を浮かべるのだった。
◆◆◆
エリザ博士たちと別れ、自分の担当部門へ戻って業務やら何やらをこなしていた俺が呼び出しを受けたのは、もう夜近くになってのことだった。呼び出した神殿長は、どうやら襲撃事件について詳しく協議したいようだった。
そこで、まずはミレニア司祭がエリザ博士との話をかいつまんで説明する。
「――では、一連の事件の犯人は帝国だということかな?」
「今日発生した、カナメ助祭とカムラン侍祭への襲撃については、未だ不明です。ですが、少なくとも魔工巨人騒動については帝国が首謀者と見て間違いないものと思われますわ」
「なるほどな……。どこかの枢機卿にしては短慮な嫌がらせだと思ったが、別口だったか」
プロメト神殿長は静かにそう頷くと言葉を続ける。
「結局、魔工巨人を運びこんだ方法は掴めたのか?」
「……公園裏に出現した一体については、近くに大きな馬車の残骸がありましたから、おそらく荷物に偽装して運びこんだのでしょう。
もう一体の、ステージに現れた方については未だ方法が特定できていません。あんなに巨大な魔工巨人であれば、誰も気づかないはずはないのですが……」
まるで空間転移でもしたみたいだ、とアルバート司祭がぼやく。それを境に、しばらく四人の間に沈黙が下りた。
やがて、その沈黙を破ったのは神殿長だった。
「それにしても、相手が帝国となると秘密裏に交渉して収めるわけにもいかん。こうなると、教会が犯人であったほうが楽だったな」
「まったくですわ」
「警護担当者としては苦しい話ですぜ。相手が帝国となると、最低でもカナメ助祭とカムラン侍祭、ほかに転職能力者と疑われている者数名について護衛をつける必要がありますが、そもそも護衛が務まるほど腕の立つ神官はほとんどいません。自分で言うのもなんですが、俺くらいなものでしょう。
その俺にしたって、せいぜい二、三人の襲撃を防いで逃がすのがやっとだ。まして、あんな魔工巨人クラスが出てきた日にゃあ、血相変えて一緒に逃げ出すのが精一杯でしょうぜ」
「さすがに魔工巨人の襲撃はそうそうないだろうが……。アルバート司祭が言うことはよく分かる」
プロメト神殿長のその発言を最後に、再び神殿長室に沈黙が流れた。正直なところ、俺たちが警戒していたのは、統督教内部の各宗派と、そしてこのクローディア王国の政府や貴族が主だった。彼らに対してはそれなりに対処する手段を構築していたのだが、さすがに隣国が手を出してくるとは思っていなかったのだ。ちょっと甘かったなぁ、と俺は心のうちで反省する。
たしか、転職能力者候補と目されていそうな人間は十人近くいたはずだ。その全員に充分な数の護衛をつけるわけにはいかないだろう。
そんなことを考えていると、ふとアルバート司祭が真剣な表情でこちらを見ていることに気付いた。……なんだろう。彼にしては珍しく、その表情の全てが真剣だった。俺がその視線に気付いたことを悟ったのか、司祭は少し言いにくそうに口を開く。
「カナメ助祭。本当は俺だってあまり言い出したくねえが、警護責任者として一つ言わせてくれ。
……転職能力者の正体がお前さんだって、バラしちまう訳にはいかないか?」
アルバート司祭はそう切り出すと、少し弁解するように言葉を続けた。
「いやいや、もちろんお前さんがどうなってもいい、なんて思ってるわけじゃないぞ? ただ、十人に護衛のリソースを一ずつ振り分けるよりも、一人の対象に十……とは言わないが、五のリソースを集中した方が効果的だろう。
実際、教会の転職の『聖女』の護衛はごく少人数らしいが、今まで彼女が攫われたなんて話は聞いたことがねえしな」
その言葉を聞いて、神殿長とミレニア司祭がアルバート司祭へ視線を向けた。そしてその直後、二人、いや三人の視線が俺へと集まる。
彼らの視線を浴びながら、俺は腕を組んで考え込んだ。……いや、本当はそこまで悩んではいないんだけどね。俺のせいで関係のない同僚が狙われ続けるのは申し訳ないし、能力者の特定もどうせ早いか遅いかの違いでしかないだろうしな。
やがて、俺はうつむきがちだった顔を上げると、アルバート司祭へ向かって口を開いた。
「……分かりました。転職能力者の正体を明かしましょう」
俺の言葉を聞いて、三人がどこか申し訳なさそうな、それでいてほっとしたような表情を浮かべた。おそらくアルバート司祭以外の二人も、それが一番妥当な対応だと考えていたのだろう。
「もちろん、大々的に喧伝するのではなく、関係者に対して明かす、という程度にとどめてほしいとは思いますが」
俺がそうつけ加えると、三人は分かっている、という顔で頷いた。
「……カナメ助祭、感謝するぜ」
三人のうち、最初に口を開いたのはアルバート司祭だった。警護担当としては、相当頭を悩ませる問題だったのだろう。
「いえ、どうせ時間の問題だとは思っていましたし、それなら他の人に被害が出ないうちの方がいいかと思いまして」
一見殊勝な台詞だが、もし俺のとばっちりで負傷したり攫われたりといった事件が発生すれば、クルシス神殿内部での、俺に対する風当たりがきつくなるのは目に見えている。そういう利己的な面で考えても、そろそろ限界だっただろう。
「アルバート司祭、カナメ君の護衛の人選についてはどうお考えですの? アルバート司祭自ら、毎日彼に張りつくのかしら?」
そんなことを考えていると、ミレニア司祭が具体的な話を切り出してきた。そうか、一日中アルバート司祭と一緒なの……か……。うわぁ。俺は具体的な日常を想像して、少しげんなりした。
いや、別にアルバート司祭は嫌いじゃないし、むしろ好感を持ってる方ではあるけどさ。それでも、さすがにそれは暑苦しいというかなんというか……
見れば彼も乗り気ではないようで、渋い顔で口を開く。
「護衛は警護業務の片手間にできる仕事じゃねえ。そうなると、他の人間に神殿警護の責任者を変わってもらう必要があるぞ。」
「それは厳しいものがありますわね……」
「……そもそも、護衛はあくまで護衛だ。ガレオン神殿の神官あたりならともかく、クルシス神殿の神官を護衛職に専任することは好ましくない」
司祭二人の会話に割って入ったのはプロメト神殿長だった。たしかに、神官が他の神官の護衛に明け暮れてしまうというのは、ちょっと違う気がするよなぁ。教義の理解を深めるだとか、神殿の運営だとか、そういうところから完全に切り離されてしまうからなぁ。
「けれど、カナメ君を一人にする訳にもいかないでしょう?」
思案顔でミレニア司祭が問いかけると、神殿長は視線を宙に固定して考えこむ。そんな二人の会話に、俺は横から口を挟む。
「神殿長、ミレニア司祭、私にはキャロがいますから、大抵のことは何とかなると思いますが……」
格闘家の固有職を宿した妖精兎。瞬間的な戦闘力なら、人間の固有職持ちにだって劣らない相棒の姿を思い浮かべながら、俺は三人の様子をうかがった。
「いつも神殿の庭で日向ぼっこをしているあの兎か」
「はい、その兎です」
「固有職持ちの動物など俄かには信じがたいが……」
「――いや神殿長、カナメ助祭の言葉は本当ですぜ。実は、少し前に衛兵が来てたんですがね。そいつが言うには、蒼竜と真っ向からやり合った兎がいたそうで。しかも、その兎を使役していたのがクルシス神殿の法服を着た男だと……」
アルバート司祭の言葉を聞いて、俺はああ、と声を上げた。そういえば、ちょっと前に衛兵が来て蒼竜騒動のことを幾つか聞いていったな。詳しくはまた後日とか言って帰っていったけど、アルバート司祭の所へも寄ってたのか。
マーカス先生がそう説明したのか、それとも他に目撃者がいたのかは分からないけど、キャロの存在がちょっと公になってきたなぁ。
「え……? あのキャロちゃんが、蒼竜と張り合った、ですって……?」
キャロをただのペットだと思っていたのだろう。そんなアルバート司祭の説明を聞いて、ミレニア司祭が驚きの声を上げた。
「そんな……あんなに可愛いくてモフモフなのに……!」
……いや、モフモフかどうかは関係ないんじゃないですかね。そう言いたくて仕方ない俺だったが、ミレニア司祭がなぜかショックを受けている様子だったので、とりあえず何も言わないことにする。
というか、ミレニア司祭って何気にキャロのことを気に入ってたんだな。ひょっとして、たまに神殿の庭に出かけてたのは、キャロに会いに行ってたんだろうか……?
そんなことを考えていると、ミレニア司祭に生温かい視線を向けていたアルバート司祭が、軽く咳払いをしてから口を開いた。
「カナメ助祭、お前さんの言いたいことは分かった。蒼竜と張り合えるようなペットとくりゃ、たしかにその能力はお墨付きだ」
「じゃあ――」
「だが、駄目だ」
「え?」
思いがけない返答に、俺は目を瞬かせた。あり得ない戦闘力を持った全長三十センチの兎。見た目もかわいいし、コンパクトだし、経費もかからない。適材だと思うんだけどなぁ……
「いいか、護衛ってのは抑止力なんだよ。たしかに……えーと、キャロだったか? その兎には尋常じゃない戦闘力があるだろうよ。だが、お前さんを襲おうする輩が、兎が傍らにいるからって誘拐やら襲撃を断念するか?」
「あー……」
たしかに、それはその通りだった。キャロを気にして悪事を断念するようなやつは、そもそもそんな汚れ仕事に就かないだろう。
「ということは、護衛を雇うわけですよね? ……経費がかかってしまうのではありませんか?」
俺はそうアルバート司祭に問いかけた。守銭奴と言われるとそこまでだが、俺のために安くない金銭を消費させるとなると、どうしても気になってしまう。
「……カナメ君、転職部門は大きな収益を上げているのよ? それに、転職業務を始めてから、他の部門のお布施や寄付の金額も上昇しているし。その柱である貴方に対する護衛経費くらい、簡単に捻出できるわ」
すると、いつの間にか復活していたミレニア司祭が、そんな心強い言葉をくれる。その言葉を聞いてアルバート司祭が羨ましそうな表情を浮かべたのは、警護部門への予算配分の関係なんだろうか。
そんなことを考えていると、プロメト神殿長が口を開いた。
「……今は帝国が不穏な動きを見せている。魔工巨人の件もあることだ、護衛の層を厚くする必要があるな」
「かといって、大勢でぞろぞろ囲むわけにもいかないでしょう。特に神殿内では悪目立ちしすぎる」
神殿長の言葉に対して、アルバート司祭が反対する。たしかに、転職業務をしてる時にぞろぞろ護衛がいるのは困るよなぁ。特に儀式の時とか「誰だよこいつら」状態になるのが目に見えてるし。
「そうは言っても、魔工巨人や蒼竜レベルの脅威に対抗するには、せめて数の力が必要ではないか?」
「いやぁ、そこについてはちっとばかしアテがあるんですよ。……単独でも強い護衛のアテがね」
神殿長の問いかけにそう返すと、アルバート司祭は俺の方を見てニヤリと笑った。その視線の意味が分からず、俺は思わず首を捻る。
「……最近知り合った冒険者パーティーの一人なんですがね、剣士の固有職を持っている癖に冒険者をやっているという、なかなか変わった人物でして」
「……え?」
アルバート司祭の説明を聞いて、俺は思わず声を上げた。だが、司祭はそれに構わず言葉を続ける。
「聞けば、以前には転職屋なるところで、護衛兼店員として働いていたとか」
その言葉を聞いて、神殿長とミレニア司祭の視線が俺へと向けられた。二人とも、俺が辺境で転職屋を営んでいた経緯は知っている。そして、他に転職屋を営むような人間なんてまずいないだろう。
「カナメ君、心当たりはあるかしら?」
「それは、まあ……」
あるに決まっている。しかしアルバート司祭、この短期間でよくそこまで聞き出したもんだなぁ。やっぱり、冒険者同士だと打ち解けやすいんだろうか。
「たしかに、固有職持ちがカナメ君の護衛につくなら安心だけれど……。アルバート司祭、固有職持ちの護衛って、相場は幾らくらいかしら?」
少し困った表情で、ミレニア司祭が問いかける。いくら転職業務で利益が上がっているとはいえ、貴族並の暮らしをする固有職持ちの給金なんて、普通に考えて払えるわけがないものな。
「その辺はカナメ助祭の交渉次第ってところだな。現実的な金額まで持っていけると俺はふんでる。……なあ、カナメ助祭?」
「ええ、まあ……」
そう声をかけてくるアルバート司祭に対して、俺は歯切れの悪い答えを返した。それが気になったのか、彼は少し身を乗り出して口を開く。
「……ん? ひょっとして、あんま気が進まない話だったか?」
「いえ、そんなことはないのですが、彼女は固有職を得て、冒険者として新しい生活を始めたばかりです。それを破壊してしまうのはあまり……」
俺から大きな恩義を受けたと思っている彼女のことだから、たぶん断られることはないだろうけど、なんだか申し訳ないよなぁ。今の冒険者の生活だってけっこう実入りがいいはずだし。
だが、俺がそう答えると、アルバート司祭はぽかん、とした表情を浮かべて溜息をついた。
「お前……いや、別にいいか。とにかくカナメ助祭、近いうちに嬢ちゃんに護衛の依頼をしに行くからな。お前も一緒に来るんだぞ」
「分かりました……」
彼女のパーティーメンバーに後ろめたさを感じながらも、俺は司祭の言葉に頷いたのだった。
◆◆◆
「ほ、本当に?」
俺の護衛を引き受けてくれそうな唯一の固有職持ちは、少し上ずった声でそう聞き返した。
「俺が嘘を言うような人間に見えるか?」
そう言ったのは俺ではない。彼女に答えを返したのは、一緒に来たアルバート司祭だった。そんな司祭に対して、クルネはためらいなく頷く。
「うん」
「嬢ちゃん、かわいい顔して相変わらず容赦ねえな……」
即座に肯定されて悲しそうな、それでいてどこか嬉しそうな表情を浮かべてアルバート司祭は苦笑を浮かべた。
「変なことを言う人には、ちゃんと応対しないと」
そう言いながらも、クルネの顔に嫌悪感はなく、むしろ楽しそうな表情が浮かんでいた。そんな彼女に対して、俺は少し真面目な顔で念を押す。
「クルネ、本当にいいのか?」
価値観は人それぞれだが、冒険者と護衛ではその自由度が大きく違う。転職屋の時も安い給料で拘束して働いてもらっていたのに、それをまた繰り返すとなると、さすがに心苦しいものがあるのは事実だった。
「もちろ――ねえ、カナメ?」
「うん?」
と、笑顔を浮かべていたクルネの表情が少し曇った。彼女は俺の顔を覗き込むように少し身を乗り出すと口を開く。
「ひょっとして……あんまり気乗りしてない?」
「え?」
「だって、ずっと変な顔してるもの。……無理しなくてもいいよ?」
予想外の言葉に驚いた俺は、思わずクルネの顔を見つめる。視界の片隅でアルバート司祭が何事かをぼそっと呟いたようだが、よく聞き取れなかった。
「いや、そうじゃなくてさ。……クルネはここ二年近く、ずっと冒険者をやってただろ? せっかくルノール村を出てまで冒険者になったのに、それを俺の都合で縛るのは何だか申し訳ないというか……」
「本当にそれだけ?」
さらに念を押すクルネに対して、俺は頷きを返す。彼女はしばらく思案した後、再び機嫌の良さそうな表情を浮かべると同時に、その居住まいを正した。
「私、クルネ・ロゼスタールは、クルシス神殿の神官カナメ・モリモト特別司祭の護衛として雇用されることを承諾します」
なんだか様になっている風情で、クルネはきっぱり言い切った。さすがに二年近く冒険者をやっていると、こういったことにも慣れてくるのだろうか。
なんだか申し訳ない気もするが、他の誰でもないクルネが俺の護衛についてくれるというのは、色々な意味でありがたい話だった。俺は笑顔を浮かべると口を開く。
「ありがとう、クルネ。またよろしくな」
「うん、またよろしくね」
そう答えてクルネは微笑む。一瞬、なんだかここが転職屋であるかのような錯覚を覚えて、俺は周りを見回した。それはクルネも同じなのか、彼女も周りをきょろきょろと見回している。
そんなお互いに気付くと、俺たちはどちらからともなく笑い出した。
「……あー、クルネの嬢ちゃんよ、楽しそうなところ悪いんだが、一つまだ決めてないことがあるんだ。それを先にやっちまってもいいか?」
と、そんな俺たち……じゃなかった、クルネに対してアルバート司祭が遠慮がちに声をかける。その言葉を聞いて、クルネは不思議そうに首を傾げた。
「まだ給金の話をしてねえんだが……」
「あ……」
俺は、クルネの今後が少しだけ心配になるのだった。