暴走
【クルシス神殿助祭 カナメ・モリモト】
「殿下、ご無沙汰をしておりました。ミハエル様をお借りしておきながら、直接お礼を申し上げることが遅れまして誠に申し訳ありません」
クローディア王国の第四王位継承者、アイゼン王子の館を訪れたのは、彼の配下たるミハエルを転職させてから数か月経ってのことだった。
転職事業の忙しさにかまけて……というかあまり偉い人に会いたくなくて顔を出していなかったのだが、「そろそろ顔の一つも出しておいてはどうだ」というプロメト神殿長の一言で、こうして彼の館を訪問することになったのだ。
「気にするな、クルシス神殿長から書面での礼状も受け取っている。むしろこちらが礼を言いたいくらいだ」
王子はそう朗らかに笑うと、傍らに控えているミハエルに視線をやった。
「ミハエルが騎士に転職した夜のことだ、幾人かの貴族が血相を変えてこの館へやって来たのだが、実に面白かったぞ」
合同神殿祭での転職と、そして襲撃してきた魔工巨人の撃破。大勢の人々が見守る中で、名を晒しながら活躍したミハエルの噂は、ものすごい勢いで王都に広がっていた。
実際には、クルシス神殿の神剣とミルティの支援魔法の効果も大きかったのだが、傍から見ている民衆にそこまで分かるはずがない。結果として残ったのは、騎士に転職したミハエルが、巨大な魔工巨人を一刀両断してのけたという事実だけだった。
「ミハエルの転職は本当かだの、クルシス神殿との繋がりがあるのかだの、いろいろ聞かれたよ」
楽しい出来事を思い出すような目で、アイゼン王子は言葉を続ける。
「中には、私の目の前でミハエルを引き抜こうとする貴族もいたくらいだ。今まで見向きもしなかったくせに、『君は必ず一廉の人物になると思っていたよ』とはよく言ったものだ」
「自分が殿下を裏切って彼らにつくなど、天地がひっくり返ってもありえません」
王子の言葉に続けて、今日初めてミハエルが口を開く。相変わらず真面目だなぁ。固有職持ちになって、多少は調子に乗るんじゃないかと危惧してたんだけど、全然そんなことはないようで、ちょっと一安心だ。
まあ、生まれた時から固有職を持っている人間と違って、転職した人間は『村人』としての下積み期間があるからなぁ。そうそう天狗にはならないのかもしれない。
「あの貴族も早まった真似をしたものだ。……まあ、かの者の領地は帝国との国境近くだからな。戦力の増強を図りたいとの気持ちは分からなくはない」
そう言ってから、王子はこちらをちらりと見る。
「そういえば、カナメ司祭は最近の帝国の動きを知っているかな?」
「帝国軍が、王国との国境付近に人を集めているという噂なら聞いたことがあります」
「……ふむ、さすがだな。それなりの情報統制は敷いているらしいが、有力な組織にはやはり筒抜けか」
険しい顔のまま感心してのけるという高度な技術を用いて、王子は自らの感情を見事に表現してみせた。
「武力衝突に発展する可能性はあるのでしょうか?」
もしそうなったら、神殿事業にも飛び火する可能性が高いからな。ここは情報を集めておくべきだろう。そう判断した俺は、もう少し詳しい情報を聞き出そうとする。もし機密事項だと言うのなら、それはそれでいいし。
「帝国次第だな」
王子の回答は曖昧なものだった。やっぱり流されたか、という思考が顔に出ていたのだろうか、彼は俺の顔を見て苦笑を浮かべた。
「別にカナメ司祭を煙に巻こうとしている訳ではない。本当に帝国次第なのだよ。残念だが、帝国と我が国では国力に差があるからな。此度の目的がどこにあるのか、それは政府高官が今頃議論していることだろうさ」
「殿下はどうお考えですか?」
俺がそう尋ねると、王子は少し沈黙した後口を開いた。
「ただの示威行動ということはあるまいよ。わざわざそんなことをしなくても、帝国の国力は十二分に知れている。我が国に対して、何かしらの理不尽な要求をしてくることは間違いない」
「なるほど……」
なんだか嫌な展開になりそうだなぁ。そんなことを考えていると、意味ありげな視線をこちらへ向けて、王子が言葉を続ける。
「きたる戦いに備えて、クルシス神殿の転職者をスカウトすべし、という献策を軍上層部に対して行ったのだがな。『そのような不確かな情報に踊らされている時ではない。必要なら殿下がお雇いになればよろしい』だとさ」
そう言う王子の表情には、珍しく自虐的な笑みが浮かんでいた。
固有職持ちを雇用するための相場は非常に高い。今後は下降していくことになるだろうが、少なくとも現時点では凄まじい高給取りと言える。そんな彼らを幾人も雇うなど、大きな後ろ盾や役職のないアイゼン王子には無理な話だろう。
「そなたを前にして言うのは何だが、転職を執り行う神殿が我が国の首都にあるというのは、人材獲得の面で非常に大きなアドバンテージだ。それをみすみす逃すなど、愚行と言うほかない」
「……」
返答に困り、俺は無言のまま王子の目を見る。彼の言っていることは分かるが、だからと言って「ではクルシス神殿で転職した者については、王国軍や貴族へ斡旋しましょう」などとは言えるはずがない。
統督教は各国の政治には不干渉という立場を取っているし、各宗派の本拠地だって様々な国に散らばっている。どこかの国に対して過度に便宜を図ると、それは他国にある教会や分殿に悪影響を及ぼしかねないのだ。
「……と、すまぬな。今のはただの愚痴だ。クルシス神殿が我が国に対して過度の肩入れをする訳にはいくまい」
そう言いながらも、王子の瞳には翳りがあった。
「帝国は古代魔法文明の技術の再現や運用に力を入れている半面、我が国に比べると固有職持ちの数が少ない。もし戦いになれば、古代技術と固有職持ちの対決になるだろう」
彼は手元の杯をあおると、宙を睨むようにして言葉を続ける。
「……だが、もし帝国が我が国に匹敵する程の固有職持ちを集めることに成功した場合は、我が国の優位性はなくなる。そうなれば、勝敗は火を見るより明らかだ」
王子の言葉は、最悪の可能性を想像させるに足るものだった。戦争という場は、ある意味では宗教が躍進する格好のステージのような気もするが、少なくとも個人的にはごめんだった。
「まあ、両軍の集結状況から考えると、戦端が開かれるまでに少なくとも一月や二月はかかるだろう。……なんとか、それまでに我が国の体制を立て直したいものだな」
そんなアイゼン王子の呟きは、誰が受け止めることもなく、空へ溶けていったのだった。
◆◆◆
アイゼン王子の館からの帰り道。途中まで護衛すると申し出てくれたミハエルの好意を固辞して、俺はクルシス神殿への帰路についていた。王子の館は、比較的神学校に近い位置にあったため、俺はなんとなく学生街をぶらつく。
……これ、誰かに見つかったら怒られるかな。そんなことを考えながら、俺は自分の肩に乗って周囲をきょろきょろ見回している相方に声をかける。
「なあキャロ、たまには寄り道もいいよな?」
「キュッ!」
相変わらず言葉が分かっているとしか思えないタイミングで、キャロが元気いっぱいに返事をしてくれる。それに気をよくした俺は、神学校時代にお世話になった料理屋までの道筋を頭に思い描いた。
そうしてどれくらい歩いただろうか。ふとおかしな空気を感じて、俺は周囲を見回した。見れば、顔の横にいるキャロも耳と鼻を動かしてしきりに辺りを探っている。俺の勘はともかく、キャロの野生の勘は軽視するべきじゃない。
危機感を覚えた俺は、少し腰を落とすと神経を全方位へと張り巡らせた。心当たりがない訳ではない。神々の遊戯に負けたとはいえ、あのアステリオス枢機卿や、もしくは欲深い貴族あたりが俺を狙ってくる可能性は低くなかった。
ただ、教会との神々の遊戯で俺が『聖騎士』を打ち負かした記録が残っている以上、能力者候補という段階でそう早まった真似はしないだろう、というのが俺の予想だった。それは貴族にしても同じことで、少し俺の情報収集を行えば、必ずその情報に行き当たるはずだ。
だが、今となってはその判断が甘かったと言わざるを得ない。……まあ、もちろん俺やキャロの警戒が空振りになる可能性もあるし、俺とは関係ないところで事件が発生しているケースだってあり得る。だが、一番悪い可能性に備えて悪いことはないだろう。
俺たちがそうやって周囲を警戒し始めて数十秒といったところだろうか。その異変は、少し遠くから聞こえてくる悲鳴と破壊音によって伝えられた。
「あっちか……!」
「キュッ!」
思わず悲鳴の聞こえた方角へと走り出そうとして、俺ははっと踏みとどまった。あの距離と方角からすると、どうやらこの異変は俺とは関係なしに発生しているようだ。ということは、わざわざ危険に踏み込む必要はないんじゃないだろうか。そんな逡巡が俺の足を止める。
「キュゥ?」
まるで「いかないの?」とでも聞くかのように、キャロがこちらを見てちょこんと座っている。その姿を見て、俺はうーん、と悩む。別に行く義理はないけど、これで放っておいて後で寝覚めの悪い事件になっていても嫌だよなぁ。
都合よくクルネあたりが通りがかって解決してくれればいいけど、そんな都合のいい偶然はないか。
とりあえず状況だけ見て、手に負えそうになければ即逃げ出そう。俺はそう決めると、今度こそ危険な物音が聞こえてくる方向へと走り出した。
◆◆◆
――状況は、明らかに面倒なレベルだった。それも二重の意味で。
「カ、カナメお兄ちゃん!」
「カナメさん!」
俺は少し懐かしさを覚えながら、声を上げた二人の顔を確認する。ルコル・マイト・モルガン、そしてマリーベル・クラン。神学校の元預り場仲間だ。
さらさらした銀髪が似合う絶世の美少年も、薄茶色の髪をかき分けて存在する獣耳が印象的な少女も、俺の数か月前の記憶とそう変わりはない。俺は特待生だったため卒業してしまったが、彼らはまだ神学校で学問を修めているはずだ。
「久しぶりだな。ルコル、マリーベル」
だが、あまり旧交を温めている余裕はなかった。なぜなら、目の前で暴れている蒼竜もまた、俺の知己であったからだ。
「お兄ちゃん、ディンが……!」
「ああ、分かってる。一体どうしたんだ?」
その問いに対して、瞳に涙を浮かべたルコルが必死に説明してくれる。
「ぼくにも分からないんだけど、とつぜん、ディンがあばれ出して……!」
「本当に突然だったんです。いつも通り神学校から帰っていただけなのに、突然ディンが暴れ出したんです……」
相棒たる蒼竜、ディンが暴走し混乱しているルコルに代わって、マリーベルが内容を補足してくれる。だが、それでも何も見えてこない。
……困ったな。俺は内心でそう呟いた。手に負えなければすぐに引き返そうと思っていたし、まだ成竜でないとはいえ全長三メートルの蒼竜の暴走などというのは手に負えない範疇に入れても差し支えないレベルの事件だ。
だが、その蒼竜がルコルの相棒であり、俺やキャロとも馴染があるとなれば話は別だ。ここで何とかできるようならそれに越したことはない。もし被害が広がるようなことがあれば、ディンは王国軍によって殺されてしまうだろうから。
「ナフェル!」
そんなことに思考を巡らせていると、突如マリーベルの悲鳴が上がった。その素早い動きで蒼竜を翻弄して被害を抑えてくれていた彼女の黒豹が、物凄い勢いで吹き飛ばされる。
そちらへ駆けていくマリーベルから視線を外すと、俺は再び蒼竜と向き合った。
「お兄ちゃん……ディンは……どうなるの……?」
ナフェルに傷を負わせてしまったことで限界を迎えたのだろう。ルコルは涙をこぼしながら、嗚咽を交えた声で問いかける。
「……」
何と答えていいか分からず、俺はルコルの頭を撫でた。
「グウゥゥゥゥ……!」
と、自らを翻弄していた黒豹がいなくなったことで、蒼竜は再び破壊活動を開始したようだった。その太く逞しい前脚が振るわれると、石造りの建物は簡単に崩壊する。
「ディン! やめてよ!」
ルコルはそう叫ぶと、突然蒼竜の下へと走り出した。それを止めようとして伸ばした俺の手は、ぎりぎりのところで彼に届かなかった。
「ルコル!」
慌ててその名を叫ぶが、もう間に合わない。かつての相棒すら認識できない状態で、蒼竜はその顎をルコルに向かって伸ばした。
「キャロ! 頼む!」
俺がそう口にした時には、既にキャロは動いていた。久しぶりに見る白い光、すなわち特技『闘気』を発動させたキャロは、ルコルまであと少しのところへ肉薄していた蒼竜の頭部を蹴り飛ばす。
「グオォォォォォァ!」
さすがに吹き飛ばされたりはしなかったものの、蒼竜はキャロの蹴りを受けてその頭部を逆側へ傾がせた。その隙にルコルを連れ戻しに行った俺だったが、そこへ目がけて、立ち直った蒼竜の強靭な尻尾が振るわれる。
「キュァッ!」
だが、その尾の一撃もまたキャロによって阻まれる。キャロの蹴りが、数百倍の質量を持つ蒼竜の尻尾を正面から受け止めたのだ。その隙に、俺はルコルを引きずるような形で安全圏へと連れ出す。
「マリーベル! ルコルを頼む!」
自身もナフェルの看病で手一杯であろうマリーベルに対して、俺は無茶な注文をつけた。なんせ下位竜とはいえ、れっきとしたドラゴンと張り合っているのだ。キャロの体力はもうすぐ底をついてしまうはずだし、あまりルコルに構ってもいられない。
どうする。俺は自問した。蒼竜を倒すだけなら、上級職の力を宿せばなんとかなるだろう。だが、上級職の力は強大であり、そしてそれを扱う俺の技術が未熟なことを併せて考えると、うまく手加減できるとは思えなかった。
……ん?
と、その時だった。蒼竜を観察していた俺は、既視感に襲われて思わず首を傾げた。なんだろう、この感じ。俺は心中に焦りを抱えながらも、最高速で記憶を検索する。そして……
「――そうか!」
思い出した。今の蒼竜の目は、シュルト大森林で倒した地竜の目と似ているんだ。あの時はもっと目が濁っていた気がするが、少なくとも漂っている雰囲気は同一だ。突然の暴走と重ね合わせれば、蒼竜が洗脳されている可能性は高かった。
そう判断した俺は、特技『魔力変換』の力を使って、蒼竜の周囲の魔力の流れを注意深く観察する。ミレニア司祭が作った魔道具に触れて分かったことだが、魔道具は魔力を動力源としているため、魔力の流れに注意すればその存在は簡単に知覚できるのだった。
もちろん、ただの光をこめたランプ程度では分かりにくいが、竜を洗脳するような魔道具だとすれば、その消費魔力も尋常ではないだろう。
「あれだ……!」
やがて、俺は蒼竜の魔力の流れが滞っている箇所を探り当てた。それは、蒼竜の角を挟み込むような形で取り付けられている紋章だった。おそらくは洗脳系の魔道具だろう。蒼竜の角と同じ色に塗られているそれは、普通に観察していたところで気が付くようなものではない。
「ルコル! ディンの角に魔道具を取り付けた覚えはあるか!?」
万が一の考え違いに備えて問いかけると、ルコルは呆然としながらも、ゆっくりと首を横に振った。それを目にした俺は、角に取り付いている魔道具を再度見据える。
さて、どうするか。俺は再び考え込んだ。あの装置を破壊するだけですむのなら、それなりにやりようはある。最悪、角ごと粉砕するという手もあるしね。だが、洗脳系の魔道具で一つ気になるのが、魔道具を破壊した後の対象者の状態だ。
運が良ければそれだけで正気に戻るが、魔道具の性質によっては長らく狂わされたまま元に戻らないこともあるという。せっかく魔道具を壊しても、洗脳が解けなくては意味がない。
しかし、キャロの体力はもう限界だ。今から角を破壊するほどの余力があるとは思えない。かといって、俺が何らかの固有職に転職してあの魔道具を破壊したとしても、その後の洗脳を解く方まで手が回らない。
洗脳を解くためにはどうすればいいのだろうか。……と、そこまで考えてから、俺は一つの答えに至った。
――そうか。最初からそっちを前提に考えればよかったのか。あれなら、十秒以内に両方片が付く。
単純な見落としに気付いた俺は、少しだけ唇の端を吊り上げた。……そして、自分を転職させる。
「キュゥゥゥ……」
「キャロ、もう大丈夫だ! 下がってくれ!」
転職した俺は、耳がぺたんとなったキャロに対して、大声で叫ぶ。その声を耳にしたキャロは、蒼竜の前脚の一撃を大きく後ろへ跳んでかわすと、そのまま距離をとった。
よし、いいぞ。ちょうどこっちに魔道具の取り付けられた角が見えている。俺は蒼竜が未だキャロに気を取られている間に、その魔道具目がけて照準を合わせた。――よし、今だ。
「集束石弾」
俺の周囲に浮かび上がった無数の尖石が、まるでマシンガンの弾のように蒼竜の角へと殺到する。通常の石であれば大した破壊力など期待できないが、それが上級魔法職『賢者』の魔力によって強化された石弾となれば話は別だ。しかも、その弾数は実に数百発に及ぶ。多少狙いが甘くても、魔道具を破壊するには充分だろう。硬質な物体同士が激突し、凄まじい衝突音が辺りを埋め尽くす。
「グゥァァァァァッ!」
絶え間なく降り注ぐ石弾に、蒼竜が怒りとも苦悶ともつかない声を上げる。
見れば、その角はもはや原型を留めていなかった。そして肝心の魔道具はといえば、これもまた原型を留めていないのは明らかだった。……よし、これならいける。俺はそう確信した。
――あと三秒。
自己転職の残り秒数を数えていた俺は、魔道具の破壊を確認すると同時に、『多重詠唱』の特技を使って準備していた魔法を発動させた。
「全解除」
発声と同時に、蒼竜を白い光が包み込んだ。どこか清々しい空気を漂わせたその輝きに触れると、怒りの声を上げていた蒼竜の様子が目に見えて落ち着いていく。
全解除は、ほぼ全ての状態異常を解除する万能魔法だ。治癒魔法の領域にも足を踏み込んでいる特殊な魔法だが、賢者はさすが上級職というべきか、攻撃魔法でも治癒魔法でも難なく発動できる魔法相性が強みであるため、特に問題はなかった。
まだ賢者の自己転職実験は途中だけど、たぶん付与魔術や支援魔法とも相性がいいのだろう。俺はそう予想していた。
「ディン!」
蒼竜が落ち着いたことを悟ったのか、再びルコルが相棒目がけて走って行く。一瞬手を出しかけた俺だったが、もう止める必要はないだろうと思い直すと、彼の好きにさせる。
蒼竜は、自らの前脚に縋りつくルコルに対して、謝罪するように小さく一声啼いた。まるでしゅんとしているかのような蒼竜の様子を見て、俺はなんとなく笑みを浮かべた。
「キャロ、大丈夫だったか?」
「キュッ!」
一段落着いたと判断した俺は、いつの間にか近くへやって来ていたキャロに声をかける。意外と元気そうな返事を聞いて、俺はほっと安堵の溜息をついた。
「あの……カナメさん?」
「ん?」
呼ばれた声に振り向くと、そこにはマリーベルが立っていた。彼女は信じられないものを見たような目で俺を見ていた。
「今……魔法を使いましたよね?」
あ、そういえばそうだったな。最近、職場の人やら何やらに能力を明かすことが多くなって忘れがちだったけど、神学校の面々は基本的に何も知らないんだよな。そのことを、俺は今さら思い出した。
「それも、最硬と言われる竜の角を砕くような凄い魔法を、同時に二つ……」
意外とよく見ていたようで、マリーベルのそれは問いかけというよりは念押しだった。正確には、全解除は攻撃魔法じゃないんだけど……まあ、わざわざ説明することもないかなぁ。
それにしても、これはなんと言ったものだろうか。正直なところ、俺が自分の能力を隠し通す必要性は怪しくなってきてるんだよね。ただ、自己転職が十秒しか保たないってことは知られたくないからなぁ。
「……いや、なんというか、たまに魔法が使えるんだよ」
「たまにって……」
俺の口から出てきたのは、自分でも意味の通らない言い訳だった。自己評価するなら一点といったところだ。
だが、マリーベルにそれ以上追及するつもりはないようだった。彼女は考え込むような表情を一転させると、満面の笑顔を浮かべた。
「カナメさん、助けてくれて本当にありがとうございました! カナメさんがいなかったら、みんなどうなっていたか……」
そう言いながら、マリーベルはルコルと、その傍らの蒼竜に視線を向ける。安心したようにしゃがみ込んでいるルコルと、その隣に寄り添う蒼竜を見ていて、俺はふと大事なことを思い出した。
「あ、お兄ちゃん」
近づいてくる俺の姿を見ると、ルコルが声をかけてくる。
「ルコル、大変だったな。……ちょっとディンの角を見せてもらえるか?」
そう言って、俺は隣にいる蒼竜に手を伸ばした。俺の意思が伝わったのか、竜は俺の方へ向かって頭を下げてくれる。ボロボロになった角に引っかかっている魔道具の残骸を回収すると、俺はその残骸を手でツンツンとつついてみる。
「固いな……」
もっと繊細で壊れやすい細工物だと思っていたのだが、どうやらかなり頑丈に作られた代物であるようだった。あの時、全解除が使えて攻撃魔法も使える魔法職、ということで上級魔法職たる賢者に転職したんだけど、これは下手な魔法職の火力じゃ破壊できなかったかもしれないな。
戦士職の固有職持ちなら、直接魔道具に攻撃を行えばなんとかなりそうだけど、それもかなりの危険が伴うしなぁ。
「ねえ……お兄ちゃん」
魔道具の予想以上の出来栄えのよさに顔をしかめていると、しゃがみ込んでいたルコルが声をかけてくる。視線をそちらへやると、彼がとても申し訳なさそうな表情を浮かべてこちらの様子を窺っていた。
「たすけてくれて、ありがとう……」
いつも素直なルコルが、珍しく歯切れの悪い口調で言葉を口にする。まあ、自分の相棒たるドラゴンが暴走した訳だし、暗くなるのも仕方ないと言えば仕方ない。
だが、そんなルコルが自分を必要以上に責めないために、一つだけ言っておかなければならないことがあった。
「ルコル、これが何か分かるか?」
そう言うと、俺は回収したばかりの魔道具の残骸を見せる。それを確認したルコルは、不思議そうな表情で首を横に振った。
「……しらない。これなに?」
「おそらく、竜の洗脳道具だ」
「えぇっ!?」
俺の言葉を聞いたルコルは、信じられないという面持ちでこちらを見る。
「昔、似たような事例に遭遇したことがあってな。……だから、ルコルがそんなに気に病む必要はない」
俺がそう伝えると、ルコルの表情に生気が少し戻ってきたようだった。そして、その表情がだんだん怒りへと変わっていく。
「じゃあ、だれがディンをせんのうしたの……!?」
「……分からない」
俺がそう答えた時だった。何か聞き覚えのある声が耳に入る。
「――コル君! マリーベル君!」
見れば、そこに声をかけてきたのは神学校時代の担任教師、マーカス先生だった。さすがはトラブル担当、事件の一報を聞いてやって来たのだろう。
慌てて走ってきた様子の彼は、こちらへ辿り着くと、膝に手をついてぜいぜいと肩で息をする。
「……マーカス先生」
「カナメ君? ……久しぶりですね、どうして君がここにいるのですか?」
俺の声を聞いてこちらを振り向いたマーカス先生が、その姿勢のまま目を見開いて驚く。そんな先生に対して、俺が答えるよりも早くルコルが返答する。
「お兄ちゃんがたすけてくれたんだよ!」
「はい?」
「ルコルの蒼竜が暴走している現場に偶然居合わせたため、原因と思われる洗脳道具らしきものを破壊し、騒動を鎮静化しました」
詳しい説明をするのも面倒だったので、俺は色々と端折って事の顛末を語った。そして、回収した魔道具の残骸を先生に差し出す。
「これは?」
「蒼竜を暴走させた魔道具の可能性があります。色々な被害が出ている以上、ルコルの監督責任を問う声が出るでしょうから、その抗弁用にと思いまして」
俺がそう言うと、マーカス先生は納得したように頷いた。
「助かります。これが本当にそういった魔道具なのかどうか分かりませんが、物証があるというならありがたい話です。後は私に任せてください。
どうやって魔道具を破壊したのかだとか、色々と疑問はあるのですが……まあ、君のことですからねぇ」
先生はそう言うと、今度はキャロに視線をやる。「キュゥ?」と返事をする妖精兎を見て、彼は苦笑を浮かべた。
「……本当に、君のことですからねぇ……」
「……どうし――」
どうして二回言った。マーカス先生にそう問いかけようとした俺だったが、その言葉はふいに止まった。その様子を不審に思ったのか、マーカス先生が何ごとかを口にしたようだったが、それも耳に入らない。
俺はひたすら、先生の向こうに見える人影を注視していた。心臓がどくん、と大きく拍動する。
――あいつだ。
忘れようにも忘れられない。俺をこの世界に召喚して、そして追い出した時空魔導師。帝国にいるはずのあの男が、なぜ戦争前のこの時期に敵国にいるのか。
疑問は山のように渦巻いていたが、そんなことはどうでもよかった。ここで見つけた以上は捕まえる。俺はそう決意すると、全力で人影目がけて走り出した。
「カナメ君?」
「キュ?」
突然の行動に驚いた声が聞こえてくるが、構っている暇はなかった。人影は街の角を曲がって、その姿を消そうとしていたからだ。向こうに警戒されるかも、ということさえ考えずに、ただ全力で走る。
「くそっ!」
だが、一歩遅かったようだった。人影が消えた街角から周囲を見回すが、もうあの魔導師らしき姿は見当たらなかったのだ。単に人込みに紛れたのか、それとも発見されたことに気付いて姿を消したのか。どちらにせよ、取り逃がしてしまったことに違いはない。
俺は拳をぎりっと握りしめると、いつまでも街角に佇んでいたのだった。