帝国
「……転職は無事に完了したようですね、お疲れさまでした」
「ありがとうございました!」
自身の変化に昂揚していた男は、そう言うと勢いよく頭を下げた。先ほど神官に受けた説明が本当であれば、自分は晴れて固有職持ちの一員になったことになる。
彼は慌てて自らのステータスプレートを取り出すと、そこに記載してある固有職名を確認した。
――槍使い
黒いプレートに表示された文字を見て、思わず男の頬が緩む。その文字は、彼が今感じている身体能力の向上が単なる気のせいではないという証明だ。そして同時に、今後の自分の人生を一変させるものでもある。
「これでいい暮らしができるぞ……!」
士官するなら王国軍だろうか、いや、それともどこかの貴族にするか。王国軍は貴族に比べると給金が低めだが、その分貴族の我儘に振り回されることは少ないと聞く。だが、やはりお金は重要だ。
それに、固有職持ちであれば冒険者として魔物を狩ったりするのも悪くない。収入はだいぶ落ちるだろうが、その分自由に生きられるに違いない。
自分の未来予想図を描きながら、男は意気揚々とクルシス神殿を後にした。
◆◆◆
「――もし、そこの方」
「なんだい?」
それは、クルシス神殿を出て少し経った頃だった。不意にかけられた声に対して、男は陽気な口調で応対した。それは転職して機嫌がよかったせいでもあるし、その声が艶のある女の声だから、という理由もあった。
男が声の主に視線を向けると、そこには艶やかな声に相応しい魅力的な女性が立っていた。ヴェールや額冠を身に着けているため遠くからでは判別できないだろうが、近くで見るとその妖艶な顔立ちがはっきりと知れた。
「突然ごめんなさい。あなたから強そうな男の人の気配を感じたものだから、つい声をかけてしまったの」
「そ、そうか」
見知らぬ女性からのものとはいえ、自らを褒められて嬉しくないはずがない。まして、男は槍使いの固有職を得たばかりであったし、そして女性は非常に魅力的だった。男が有頂天になるのは、仕方のないことだったのかもしれない。
「ええ、たまに見かける固有職持ちの方と似たような雰囲気を感じるわ」
「え、いや、なるほどね、そんなこともあるのか」
男の浮かれていた表情に、図星を突かれた驚きが入り混じる。それを見た彼女の顔にかすかな笑みが浮かぶが、男がそれに気付いた様子はなかった。
「ねえ、私、あなたが気になってきちゃったわ。もしよければ、どこかでお話を聞かせてくれないかしら?」
彼女の蠱惑的な言葉に、男はその顔を盛大にニヤけさせた。転職してからまだ半刻と経っていないが、さっそく人生にツキが回ってきたようだ。男は心の中でクルシス神殿に感謝の言葉を捧げると、女性に案内されるがままに街の通りを歩いて行く。
その後、とある槍使いがメルハイム帝国へ仕官することになったのだが、そんな人材の流出に気付いた人間は誰もいなかった。
――――――――――――――――――――
【クルシス神殿助祭 カナメ・モリモト】
「カナメさん、なんだかお久しぶりね」
クルシス神殿が転職事業を始めてから、もう一か月以上が経っただろうか。ようやく仕事が落ち着いてきた俺は、ミルティに会いに王立魔法研究所へと足を運んでいた。
「ああ、久しぶりだな。合同神殿祭の時には色々助けてもらったのに、その後お礼もできなくてすまなかった」
俺はそう言うと頭を下げる。なんせ彼女は、転職のお披露目イベントを主役の一人として盛り上げてくれただけでなく、その後襲いかかってきた魔工巨人の撃破にも貢献してくれていた。
知り合いだということに甘えて後回しにしていたが、本来ならすぐにお礼を言いに行くべきところだった。
「いいのよ、カナメさんも大変だったんでしょう? それに、私も色々大変だったから、ちょうど良かったくらい」
そう語る表情から察するに、ミルティが気分を害している様子はなかった。俺はその事実にほっとしながら口を開く。
「クルネに聞いたけど、この研究所の筆頭顧問魔導師になったんだって?」
「そうなのよね……。さっきの『色々大変だった』の九割はそれ絡みかしら」
そう言うと、ミルティは小さく溜息をついた。ミルティの勤め先たるこの王立魔法研究所は、魔法を研究する機関でありながらも、魔法職の固有職持ちが一人もいない。そのため、外部の魔法職をおだててヨイショして、ようやく研究に協力してもらっていたのだ。
だが、そんな彼らに衝撃のニュースがもたらされる。合同神殿祭で行われたクルシス神殿のイベントにおいて、研究所の職員の一人が魔術師に転職したのだ。
イベントではその名前が公開されていなかったものの、同じ研究所の人間が壇上の彼女に気付かないはずがない。そのため、研究所職員の決して少なくない人数が、炎の竜巻を生み出す彼女の姿を目にしていたのだった。
「あの次の日、研究所に行くなり所長から呼び出しがあって、そこで魔法を使ってみせたら大騒ぎだったもの。危うく新しい所長にされるところだったわ……」
なんだか遠い目をして語るミルティに、俺は苦笑を浮かべるしかなかった。
「けどそのおかげで、こうして研究所の個室で会えるようになったのはありがたいな。喫茶店みたいに場所代がかからないし、秘密の話もしやすい」
そうなのだ。以前は関係者以外立ち入り禁止だった王立研究所だが、ミルティが筆頭顧問になったおかげで、彼女が招いたお客についてはその例外が設けられたのだった。あまりその特権を行使したがるようなミルティではないが、今回は便宜を図ってくれたのだろう。まったく使わないのも勿体ないしね。
そんなことを口にすると、ミルティはくすっと笑った。
「カナメさんがクルシス神殿の神官だから、という理由もあるのよ? 私の転職の件だってあるし、この間も転職したての地術師をうちに紹介してくれたでしょう? 所長が感激してたわよ。
『今後もうちを紹介してくれるようクルシス神殿にお願いに行こう』って副所長と盛り上がってたもの」
うわ、なんか仕事が増えそうだぞ。まあ、幸いにも相手は所長だし、もし来たら司祭クラスの人に相手をしてもらおうかな。うん、そうしよう。
そんなことを考えていると、ふとミルティが手元の書類を取り出した。彼女はその書類を軽く確認すると、少し真面目な表情で口を開く。
「ところでカナメさん、『あの依頼』の件なのだけれど」
彼女の言葉を聞いて、俺の表情も自然と真面目なものに変わる。そんな俺の様子を見て、ミルティは言葉を続けた。
「調査を引き受けてから、もう二年近く経つのかしら? ……遅くなってごめんなさい」
「そんなことはないさ。ミルティ以外にあてもなかったし、本当に助かってるよ」
そう言うと、俺は彼女の言葉を促す。それは、俺にとっては極めて重要な話だった。自身の緊張を感じながら、彼女の言葉を待つ。
そして、彼女の唇が開かれた。
「――カナメさんを、この大陸に召喚した魔導師を見つけたわ」
◆◆◆
「マクシミリアン・レーエ・ギラーク。メルハイム帝国の貴族、ギラーク男爵家の四男として七十年前に生を受ける。上級職たる時空魔導師の固有職を持ち、頭脳も非常に優秀だったことから、その将来を嘱望されていた」
ミルティが手元の書類を読み上げる。俺はその言葉を一言も聞きもらすまいと静かに耳を傾けた。もし彼女の調べが正しければ、この男こそが俺をこの世界へ召喚した魔導師のはずだった。
正確に言えば「この大陸に召喚」したのではなくて「この世界に召喚」されたのだが、クルネと同じくミルティにもそのあたりの話はしていない。
「……そして、彼が四十歳の時に蜂起した民衆により殺害され、その生涯を閉じる」
「え? 死ん――」
だが、予想外の一文が読み上げられたことで、俺はつい言葉を挟んでしまった。ミルティもそれを予想していたのだろう、書類から目を離して俺を見つめている。
「彼についての、正式な記録はここまでね」
「や、その、俺が調査を依頼したのは……」
「二年前にカナメさんをこの大陸に呼び出した、マクシミリアンという名前の魔導師でしょう? 大丈夫、この調査結果には続きがあるの」
そう言うと、彼女は言葉を続ける。
「彼は時空魔導師という上級職を宿しているだけではなくて、とても優秀な魔法学者だったの。今の魔法理論の一割くらいは、彼が生み出したものと言っても過言じゃないわ。
……けど、このマクシミリアンという人はそれだけじゃ満足しなかった。彼は画期的な魔法実験を行うことで有名だったのだけれど、その実験には人体実験を始めとした、非人道的なものも多く含まれていたのね。それで――」
「蜂起した民衆に殺害された、か」
俺はそう言葉を続けると、ミルティは頷いた。
……まあ、あの爺さんならありそうだなぁ。マッドサイエンティストを地で行く感じだったし。俺はこっちへ召喚された時のことを思い出して苦笑を浮かべる。
「けど、こう言ってはなんだが、たかだか民衆が蜂起したくらいで、上級職持ちがそう簡単にやられるものかな……」
俺がそう首を傾げると、ミルティは我が意を得たり、というような顔で口を開いた。
「カナメさん、まさにそこなの」
「……え?」
「彼はまだ生きているわ。メルハイム帝国に匿われて極秘で研究を続けてるの。非人道的な魔法実験を繰り返した挙句に、領民に蜂起までされた、跡取りでもない男爵家の四男坊を庇うなんて、いくら帝国でもできないわ。
だから、その才能を惜しんだ国の上層部が、秘密裏に彼を匿って表向きは死亡したと発表した。……推論も混ざっているけど、それが研究所の見解よ」
……なるほど。たしかにそっちの方が納得はいくな。あの爺さんの残念な人格からすれば、それは大いにあり得る話だった。
「とっくに死んでいると思っていたから、そもそも調査対象にすらしていなかったのよね。私だって、筆頭顧問になって情報閲覧権限が強くなったおかげで、ようやく彼に辿り着けたくらいだもの。普通の研究者はほとんど知らないでしょうね」
そこまで言い切ると、ミルティはほうっと一息ついた。そんな彼女に、俺は心から感謝する。
「そうだったのか……。ありがとうミルティ、本当に助かったよ」
「まさか、そんな大物に辿り着くなんてね……。あの国、この大陸でも一、二を争う魔法技術を誇っている割に、有名な研究者が出てこないと思ったら、そういう事情があったようね」
聞いたところでは、帝国はこの大陸でも一、二を争う有力な国家だそうだが、その理由の一つに魔法技術の先進性が上げられる。俺の探し人が、その理由の一端どころか主翼を担っている人物だとは思っていなかったが、たしかにそれくらいの人物じゃなければ、異世界召喚なんて謎技術を扱えるわけもないか。
「それで、尋ね人の正体は分かったとして、カナメさんはこの後どうするの?」
俺がそんなことを考えていると、ミルティが興味深そうな表情で尋ねてくる。
「それなんだよなぁ……。そんな特殊な事情持ちだと、実際に会うのは難しそうだな」
「そうでしょうね……。うちの研究所でも接触を試みたことがあるみたいだけれど、歯牙にもかけられなかったそうよ。帝国の魔法研究所は『彼は死んでいる』としか言わないし、実際に彼がいると思われる街へ調査に行った職員も、手ぶらで帰ってくるしかなかったみたい」
「やっぱりか……」
ミルティの言葉を聞いて、俺はがっくりと肩を落とす。まあ、普通に考えてそうだろうなぁ。あの爺さんのマッドな人間性から考えると、帝国だってやつの手綱を握ることは困難だろうし、何か彼の興味を引くようなものや人がいればいいんだが……。
いっそのこと俺の能力を餌にしてみようかな。けど、魔法理論や技術の研究に直接的に役立つわけじゃなさそうだし、釣れるかどうか微妙だよなぁ。
「カナメさんはマクシミリアン先生に会いたいのよね? 私ももう少し調べてみるから、時間をもらってもいいかしら?」
そう考え込んでいた俺に対して、ミルティがそう提案してくれる。それは願ってもない話だった。
「ミルティ、本当にありがとう。引き続き頼む」
俺は即座に頷くと感謝の言葉を口にした。あの爺さんは魔法分野の人間だ。調査を依頼するのに彼女以上の適任者はそうそういないだろう。
「ええ、任せて。……ねえカナメさん、もしマクシミリアン先生と会えたら――」
「うん?」
なんだか言いにくそうな様子で、ミルティが問いかけてくる。だが、彼女がその内容を口にすることはなかった。
「……ううん、なんでもない。まずは先生に会う方法を考えないとね」
そう言って微笑みを浮かべるミルティの表情は、どこか曇っているように見えた。
◆◆◆
「マイセンさん、何だかお久しぶりですね。固有職の調子はいかがですか?」
「お陰様で、毎日が楽しくて仕方ありませんよ。カナメさんたちと知り合えたことは、本当に幸運でしたね」
少し前に転職し、薬師の固有職を持つに至ったクルネのパーティーメンバー、マイセンはそう答えると朗らかに笑い声を上げた。
少し前までは、魔工巨人の調査の関係で毎日顔を合わせていた彼らだが、その調査も一段落し、後は専門家に任せるだけとなっている。そのため、ちょくちょく顔を見せてくれるクルネを除けば、彼らとは半月ぶりの再会だった。
「ところで、ここへいらっしゃったということは……」
「ええ、カナメさんが考えている通りです」
そんなマイセンの答えを聞いて、俺はパーティー内のとある人物に視線を向けた。いつも爽やかな笑顔と、そして僅かな敵意を俺に向けてくるこのパーティーのリーダー、アルミードは、その視線に気づくと、敵意の欠片も感じられない純粋な表情で口を開く
「……僕は騎士に転職しようと思う」
「騎士ですね、分かりました」
その言葉に対して、俺もできるだけ真剣な表情で応対する。すると、アルミードはさらに言葉を続けた。
「クルネのような戦闘スタイルにも憧れるが、やっぱり僕は僕だ。僕の戦い方と、そしてこのパーティーでの役割を考えれば、剣士より騎士の方が向いているように思う」
……そう、アルミードは剣士と騎士、両方の素質を備えていたのだった。
そう語る彼の表情には、まだ迷いの色があった。こうして選択理由を俺に説明しているのも、その迷いを振り払うためなのだろう。
クルネのパーティーメンバーのうち、現時点で固有職資質を持っているのはアルミードとマイセンの二人だった。もし二人が転職したとすれば、六人中三人が固有職持ちという、驚異的な戦闘力を持つパーティーができ上がる。それは、大陸随一の冒険者パーティーであることと同義だった。
もちろん、今後転職者が増えればその図式も変わっていくだろうが、現時点での戦闘力は疑うべくもない。そのため、俺はプロメト神殿長に対して「彼らに恩を売っておきたい」と無料での転職を提案したのだった。
結果、元々薬の調合に情熱を燃やしているマイセンは、躊躇うことなく薬師へ転職したのだが、アルミードはなまじ資質が二つあっただけに迷っていたのだ。
ちなみに、彼らのうちマイセンとノクト、それにおそらくグラムの三人は、転職能力者の正体に気付いている様子だった。まあ、振り返ってみれば色々と不審な点があったもんなぁ。仕方ないといえば仕方ない。これまでの縁もあるし、よっぽどのことがない限り他者に触れ回ったりはしないはずだから、あまり心配はしていないけどね。
一応、マイセンの転職時には儀式とかもやったけど、あの人、色々と察したような顔で祭壇に立っていたからな。なんかやりにくかった。
「けど、本当にいいの? あたしたちだけ特別扱いをしてもらって」
そう尋ねてきたのは弓使いのカーナだ。固有職資質のなかった彼女だが、それを知っても本人に落ち込んだ様子はなく、「あたしは貫通って特技を持っていたから弓を得物に選んだだけで、あまり弓使いとしての自負がないからね」とあっさりしたものだった。
そんな彼女に対して、俺はにこやかに答えを返す。
「皆さんには何かとお世話になっていますからね。その代わり、くれぐれも秘密でお願いしますよ?」
「そういうのが一番怖えんだよな。……なあマイセン、お前さん薬を盛大に売り捌いてるだろ? ぱーっと稼いで、きっちり六万セレル支払っちまったほうがいいんじゃねえか?」
そう口を挟んできたのはノクトだ。そんな彼に対して、マイセンは苦笑を浮かべた。
「まあ、この情勢ですからね。たしかに薬は飛ぶように売れていますが……。けれど、薬師の力を使った薬はほとんど販売していませんから、今までとそんなに利益率は変わりませんよ」
「水薬一つ売るだけで、けっこうな金になりそうなのにな……」
「手持ちの材料に不足がありますからね。通常の薬に魔力をのせて、効果を高めるのが精いっぱいですよ。それともノクト、今から辺境へ行ってシュルト大森林にしか生えていない薬草を採ってきてくれますか?」
「げ、勘弁してくれよ。あん時死にかけたじゃねえか……」
そんな彼らのやり取りに笑い声が上がる。だが、その会話の内容に引っ掛かりを覚えた俺は、彼らに対して疑問を口にする。
「すみません、薬が飛ぶように売れる情勢って、何かあったんですか?」
俺がそう問いかけると、ノクトが少し驚いた後、納得したような表情を浮かべる。
「ああ、こっちにはあんまり情報が来てねえのか。……というより、王国が意図的に隠してるのか? カナメ、世話になってるよしみで教えといてやるが、近々この国とメルハイム帝国の間で戦争が起きるかもしれねえ。気ぃつけろよ」
「戦争!?」
突然の物騒な言葉に、俺は目を見開いた。そんな俺の様子を満足そうに眺めると、ノクトは詳しい説明をしてくれる。
「帝国がここんとこ物騒な動きをしてるってのは、その筋じゃ有名な話だったんだがな。ただ、その矛先がどこに向くかの予想がつかないせいで、あまり大きく取り沙汰されてなかったんだろう。
だが最近、帝国軍の少なくない数がこの国との国境に集まり始めているって情報が入ってな。示威目的なのか、本気なのかは分からんが、国境周辺は大わらわだろうぜ」
「そんなことが……!」
統督教の基本方針の一つに、各宗派はあまり政治と関わらないこと、というものがある。終末戦争の反省から策定されたというこの規則のせいか、クルシス神殿でそんな話を聞いたことはなかった。まあ、単に俺たち下っ端が知らないだけで、上層部は知ってそうな気はするけどね。
「人種族同士で争いか……」
今まで一言も発していなかったグラムが、そうぽつりと呟いた。勢力圏をどんどんモンスターに奪われている昨今において、わざわざ人種族同士で争うとは何事だろうか。そんなグラムの考えが伝わってくる。
何事もなく終わればいいんだけどな……。俺はそう願いながら、アルミードの転職準備に取りかかるのだった。