転職事業
【クルシス神殿助祭 カナメ・モリモト】
目の前に広がるのは、どこまでも続く人の列だった。
クルシス神殿の正門から始まるそれを見ていると、まるで王都の端まで続いているような錯覚を覚える。行列には老若男女が入り混じっているが、その中でも多いのは壮年の男性であるように思えた。
「カナメ助祭、行列を見た感想はどうかな?」
クルシス神殿の最上階にある一室。その窓から、こそっと外を覗いていた俺は、神殿の最高責任者にそう声をかけられた。
「……これだけの人数です。日が暮れるどころか、夜が明けても片付かない気がします」
俺が実務的な感想を口にすると、プロメト神殿長は静かに笑った。
「この行列を見て、助祭がプレッシャーに潰されるのではないかと多少は心配していたのだが……いらぬ心配だったか」
合同神殿祭の翌日であり、そしてクルシス神殿における転職事業の開始日。昨晩の魔工巨人騒ぎの関係もあって、街中にある自室へ戻らず、神殿内の宿舎に泊めてもらっていた俺は、おかげで普段よりも余裕のある朝を過ごしていた。
「今の段階では、これだけの来殿者をちゃんと捌けるのかという、実務面での心配が先に立ちますね……」
「まあ、ここまで行列ができるのは今日くらいだ。それに、冷やかしは見料の存在を知れば引き返すことだろう」
俺のそんな不安に対して、神殿長が少し安心材料を提供してくれる。そう、転職事業をするにあたって一つ揉めたのが、固有職資質の有無の判定それ自身に対してお布施をもらうかどうかということだった。
転職屋をしていた時は、胡散臭い男が「貴方に固有職資質はありません。はい、見料十セレル頂きますね」なんてやっても荒れるだけなのが目に見えていたから、実際に転職した人にだけお金を請求していたんだけど、あの頃とはだいぶ状況が異なっている。
クルシス神殿という信頼のある組織がバックについているということもあるし、神殿内のそれなりの人数を動員しているため、人件費的な観点もある。さらに、無料にすると冷やかしや諦めの悪い人たちの存在で業務が回らなくなるかもしれない、という心配も手伝って、クルシス神殿での固有職資質判定では見料を取ることにしたのだった。見料は一律で二十セレル。店で二、三杯やりながら食事をすると、大体これぐらいになるだろうか。
そんな経緯を思い出しながら眼下の行列を見下ろしていた俺は、ふとあることに気付いた。
「神殿長、あの行列なのですが、あのまま放置していると近隣から苦情が出ませんか?」
「む……」
行列はクルシス神殿の正門からまっすぐ伸びている。そのため、行列と交わる道は、半ば通行止めの状態だった。まだ朝早いおかげで大事には至っていないが、このままあと一刻も経てば、交通渋滞のもとになるのは明らかだった。
「君と同じように、アルバート司祭も今日は神殿内宿舎に泊まっている。彼に任せるとしよう。当直の神官と共に行列を誘導するよう、彼に伝えてもらえるかね?」
「分かりました」
俺は神殿長の指示を聞くと、部屋を後にした。
◆◆◆
「ふぁぁぁ……で、行列をなんとかしろって?」
「はい、このままでは近隣に迷惑がかかる恐れがあります。クルシス神殿の外壁を囲むように行列を移動させるべきかと」
「まあ、そりゃそうだろうなぁ……。しっかし、なんで俺なんだか」
寝起きのアルバート司祭は、非常に眠そうな様子だった。昨日の魔工巨人騒動で一番大変だったのが誰かと言えば、おそらくは彼だろう。職責上、魔工巨人との戦闘時には参加しなかったアルバート司祭だが、魔工巨人が現れるなり、観客の避難誘導や不審人物の捜索の指揮を取り、魔工巨人撃破後はその残骸の回収や周辺の調査まで行っていた。
そんな彼に朝早くから行列の誘導指揮を任せるのはいささか酷だった。だが、一番の適任が彼であろうことは間違いない。
「その代わり、行列の移動が終われば、今日は午後まで休んでいてもいいと神殿長が仰っていました」
「おお、そいつはありがたいな」
その言葉を聞いて、アルバート司祭の顔に少し笑顔が浮かんだ。彼は大きくのびをすると、その場で軽く準備体操らしきものを行う。やがて身体が出来上がったのか、彼は満足そうに頷くと口を開いた。
「それじゃまあ、行ってくるかな」
「よろしくお願いします」
正門へと向かうアルバート司祭に対して、俺は頭を下げる。と、数歩進んだところで、彼が突然振り返った。
「そうそう、カナメ助祭、一つ頼まれてくれるか? ゆうべの魔工巨人の件なんだがよ、もう少ししっかり捜査した方がよさそうでな。神殿長かミレニア司祭に、昨日警備にかり出した冒険者パーティーを引き続き雇うって言っておいてくれ。あと、専門家への依頼料の捻出もな」
「……分かりました」
その言葉に一気に緊張感が高まる。だが、そんな俺の表情を見たのか、アルバート司祭は笑い声を上げた。
「そんなに心配すんなって。お前さんは今日の主役みたいなものなんだからよ、魔工巨人の話の方は俺に任せとけ」
そう言うと、アルバート司祭は今度こそ正門へ向かったのだった。
◆◆◆
「受付でも申し上げたと思いますが、転職をご希望の方には、まず固有職資質があるかどうかの確認を行います。
なお、見料の二十セレルは、結果に関わらず頂戴しますのでご了承ください」
新しく転職部門に配属された女性職員が、所狭しと並ぶ転職希望者に対して口上を述べる。受付や掲示で散々強調していたせいか、その内容について不満顔をしている人間は見受けられなかった。
「それでは順番にご案内しますので、お一人ずつ奥にある『判定の間』へお進みくださいね」
……おっと、こうしてはいられないんだった。俺は転職部門の受付スペースを後にすると、早足で持ち場へと移動する。
転職部門の流れはこうだ。まず受付スペースで見料を徴収し、順番に奥のフロア――通称『判定の間』へ通す。判定の間の入り口は二重扉になっており、二つ目の扉は真っ暗な小部屋に繋がっている。
この小部屋には少し飾り付けがしてあって、まるで宇宙のように、暗闇に青白い光がぼんやりと灯るようになっていた。祭具もいくつか飾ってあるので、それっぽい雰囲気が出ているはずだ。
もちろん、実際に何か効果がある空間ということはなく、俺が希望者の姿を見るだけで資質は判定できるんだけど、これは神殿としての事業だしね。結果如何によらず見料を取るということもあって、それなりの形を作ることにしたのだった。目に見える実績がない現状では、演出は大事だ。
そして、その部屋を抜けると、また案内役の職員が待っており、職員は個別スペースへと希望者を案内する。そこで少し待っていると、神官が現れて固有職資質の有無を教えてくれるという訳だ。
当初は希望者が多く、その分揉める人間も多いだろうということで、今は四つの個別スペースを設けていた。そこへ適宜希望者が案内され、固有職資質の有無を伝えられるという流れだ。
もし希望者に資質がある場合には、神官が詳しい話をした後で、更に奥の転職の儀式の間へ移動する手筈になっていた。
まあ、お金の話や工面の関係もあるだろうから、その場で「じゃあ転職します!」なんて展開は少ないだろうと予想してるんだけどね。
「……来たかな?」
判定の間と個別ブースの間にある、少し大きめの廊下でひっそりと待機していると、ガチャ、という音と共に判定の間の扉が開かれた。眩しそうに目を細めた若い男性が、緊張した面持ちで辺りを見回している。
「お疲れさまでした。固有職資質の有無をお伝えしますので、向かって一番左の扉へ入ってください」
案内役にそう誘導され、彼は素直に一番左の扉へと入っていく。案内役に気を取られた男性が俺に注目した様子はなかった。雑事担当か通りすがりくらいにしか思われなかったんだろう。
俺は男性が扉を閉めたことを確認すると、個別ブースの裏側へと回る。個別ブースとはいえ、元々一つの部屋を細かく分割した造りのため、裏側へ回り込むのはすぐだった。
「カナメ助祭、いかがでしたか」
個別ブースの裏側には、既に四人の神官が待機していた。彼らの問いかけに対して、俺は首を横に振ってみせる。
「残念ですが、一人目から当たりとはいかないようです」
「そうですか……分かりました」
俺がそう答えると、奥にいる神官が頷く。彼が一番左のブースの担当になったのだろう。そんな俺の予想を裏付けるように、彼は裏側の入り口からブースへと入っていく。
転職屋時代の経験で、大体の反応は予想できるとはいえ、何が起きるか分からないのが窓口業務だ。そのことを警戒して、個別ブースには対人業務の得意な神官を選んでもらっているが、果たしてうまくいくだろうか。
そんなことを考えながらも、俺は少し急ぎ足で元の廊下へと戻る。さっき魔道具で合図を出しておいたので、そろそろ二人目が判定の間から出てくるはずだ。俺が所定の場所に戻って数秒も経たないうちに、判定の間の扉が開かれる。
「お疲れさまでした、固有職資質の有無をお伝えしますので、左から二番目の扉へお入りください」
むう、次の人も資質なしか。まあ、いきなり資質持ちがぽこぽこ現れても困るけど、できれば今日中に一人は転職してもらいたいところだよなぁ。転職能力を実証してもらわなければ。
俺はそんな不純なことを考えながら、個別ブースの裏側へ向かうのだった。
――――――――――――――――――――――
「お待たせしました、どうぞ判定の間へお進みください」
「ありがとうございます」
サフィーネに声がかけられたのは、待合スペースで半刻ほど待ってからのことだった。朝一番で行列に並んでいた時間を合わせると一刻や二刻ではすまないが、それでも彼女は待たずにすんだ方だろう。
――もしかすると固有職持ちになれるかもしれない。それは、誰もが考えていなかった福音だった。
もし固有職を得ることができれば、王国に仕官し高待遇を得ることもできるし、貴族に賓客としてもてなされ贅沢な暮らしを送ることも可能だ。固有職持ちになった者の人生は大きく変化するに違いなかった。
まあ、私には関係ないけどね。そう胸中で呟くと、サフィーネは掛けていた長椅子から立ち上がった。そして、少し緊張した面持ちで判定の間とやらに繋がる扉を開く。すると、扉の奥にもう一枚扉があることに気付いた。どうやら二重扉のようだった。
彼女は一つ目の扉を後ろ手で閉めると、二つ目の扉に手をかけ、緊張した表情で一気に押し開いた。
「わぁ……!」
そこに広がっていた光景に、サフィーネは思わず感嘆の声を上げた。扉の向こうは、まるで夜空を部屋の形に切り取ったかのようだった。星々の煌めきのような光が、暗闇をうっすら見通すだけの視力を彼女に与えてくれる。
そんなかすかな視界に映る、存在感のある品々は祭具だろうか。暗闇と光、そして祭具の存在によって、そこには神秘的な空間が形成されていた。判定の間というからには、この空間を通り抜けることによって固有職資質の有無が判定されるのだろうが、それもなんだか頷けるような気がするサフィーネだった。
やがて、神妙な面持ちでその中を歩いていたサフィーネの正面に、うっすらと青く光る扉が現れた。普通に考えれば、あの扉の向こうはクルシス神殿の内部だ。だが、扉がそれ以外の空間に繋がるような錯覚を覚えて、彼女は一瞬扉を開くことをためらった。
「……って、私、何を緊張しているのよ」
彼女はそんな自分に苦笑いを浮かべると、勢いよく眼前の扉を開いた。
「……!?」
暗闇に慣れた瞳に眩い光が降り注いだ。思わず目を手で覆った彼女だったが、近くに寄ってくる人影に気付いて、慌てて平静を装う。ようやく視力の回復してきた視線を向けると、そこには笑顔を浮かべた職員が立っていた。
「お疲れさまでした、固有職資質の有無をお伝えしますので、向かって一番右の扉へお入りくださいね」
「分かりました」
サフィーネは簡潔にそう答えると、その指示通りに、四つ並んでいる個別ブースのうち一番右の扉に手をかける。
「だから! もう一度確認しろっつってんだろ!? 何遍も言わせんなよ!」
「――あぁ!? もう一度並べだ!? てめえ馬鹿にしてんのか!」
すると、左隣の扉の方から、激昂した男の声が聞こえてきた。対応している人間の声は聞こえないが、大体の内容は想像がつく。おおかた、自分には固有職資質があると思い込んでいた人間が、それを否定されて怒っているのだろう。
「……なんでそんなに自信があるのかしら」
サフィーネはそう呟きながら、示された扉を開いた。中は無人で、やや大振りの机が一つと、それに向かい合うような形で椅子が二脚置かれていた。机の向こうにも扉があることを考えると、おそらく神官がそこから入ってくるのだろう。
彼女は自分の側に設置されている椅子に腰かけると、奥の扉が開くのを待つ。やがてガチャリ、という音と共に、四十歳前後であろう神官が姿を現した。彼は軽く目礼すると、柔和な笑みを浮かべてから口を開いた。
「お待たせしました。早速ですが、あなたの固有職資質について、判定結果を申し上げます」
「……はい」
その言葉に、サフィーネは思わず背筋を伸ばした。だが、神官がどことなく言葉を探している様子に気付き、心の中で少しだけ落胆する。……まあ、人生がそんなに上手くいくはずないものね。あらかじめ用意しておいた慰めの言葉を胸裏で繰り返すと、彼女は判決の言葉を待った。
「……あなたには、固有職の資質があります」
「――えぇっ!?」
予想外の言葉に、サフィーネは素っ頓狂な声を上げた。てっきり駄目だと思って、こっそり自分に慰めの言葉をかけていたらこれだ。目を白黒させている彼女に向かって、神官は少しくだけた口調で言葉を続ける。
「……いやぁ、資質持ちの方は、私の担当ブースでは初めてですよ。おかげでガラにもなく緊張してしまいました」
その言葉を聞いて、サフィーネは自分が早合点していたことを悟った。彼が言葉を探している様子だったのは、初めて当たった資質持ちに対する戸惑いだったのだろう。まだ信じられない思いながらも、彼女は急かされるように口を開く。
「どんな固有職の資質があったのでしょうか?」
「魔法職の一種です。地術師という固有職をご存知ですか?」
「いえ……」
その言葉に、サフィーネは首を傾げた。おそらく土を扱う魔法職なのだろうが、聞いたことがなかった。
「私も魔法理論はとんと不勉強でして……大地魔法に特化した魔術師だとしか分からないのです」
神官の言葉は無理もなかった。神話や英雄譚に登場する固有職は数知れないが、現世に顕現しているものはそのうちの一部でしかない。それが神話の創作によるものなのか、現在確認されていないだけなのかは誰にも分からない。
だが、とサフィーネは考えた。どのような固有職の資質であれ、転職して損をする可能性は極めて低いだろう。彼女の目的を考えればそれは悪くない話だった。
それに、もし大外れを引いたなら、それが自分にお似合いな人生ということなのだろう。そう結論付けると、彼女は口を開く。
「それでも構いません。あの、転職の儀式をお願いしたいのですけれど、三万セレルでしたよね?」
「ええ、その通りです。かなりの大金ですから分割払いでも構いません。つまり、一年に一回、三千セレルを収めてもらって、十年かけて三万セレルを支払うということですね」
分割払いについて、神官が具体的に話してくれる。サフィーネは商会で働いているため、分割払いの仕組みは説明されずとも分かっている。だが、神殿がその方式を採用したことは意外だった。
「ありがとうございます、でも大丈夫です。即金でお支払いできますから」
その言葉を聞いた神官は驚いたようだった。それはそうだろう、まだ二十歳にも満たない庶民の女が、三万セレルもの財産を持っているというのは考えにくい話だ。だが、ここでそんな嘘をついても仕方がない。
その言葉を証明するかのように、サフィーネは懐の奥深くに隠していた金貨袋を取り出した。まさか本当に使うことになるとは思っていなかったが、何ごとも備えてみるものだ。
彼女が差し出した三十枚の金貨を注意深く数えていた神官は、やがて数が合っていることを確認すると、紫色の布にその金貨を包んだ。
「たしかに頂戴しました。それでは、転職の儀式の準備を行いますので、少々お待ちください」
神官は金貨の入った包みを机に置いたまま、くるりと振り返って後ろの扉から出て行く。神官が再び彼女を呼びに来たのは、それから少し経ってのことだった。
「お待たせしました、こちらへどうぞ」
神官は金貨の入った包みを両手で持つと、サフィーネを儀式場へと誘導する。辿り着いた転職の儀式場は、意外と小さいものだった。
「それでは、この祭壇の中央にお立ち下さい」
ここまで案内してくれた神官は、そう言うと一礼して儀式場を出て行く。それを見送ったサフィーネは、緊張した面持ちで眼前の祭壇を眺めた。特に変わったところのない祭壇だ。周囲の祭具にしても、取り立てて特殊なものがあるようには感じられなかった。
と、そんな観察をしている彼女の耳に、足音が聞こえてくる。それは祭壇の奥から聞こえてくるようだった。祭壇のすぐ向こうは細い布や飾り紐のようなもので仕切られているためよく見えないが、その僅かな隙間から二人の神官がこちらへ向かってきていることが知れた。
「お待たせしました。サフィーネ・ファルラインさんですね。これから転職の儀式を行いますが、何かご質問はありますか?」
祭壇の向こう側に立った神官の一人から、そんな声が聞こえてきた。それなりの年齢を窺わせる落ち着いた声だ。その問いに対して、サフィーネは正直なところを口にする。
「私には地術師の資質があると聞きましたが、その固有職がどのようなものであるか、ご存知ですか?」
先ほどの神官は知らなかったようだが、ここで儀式を行うような神官であれば何か知識を持っているかもしれない。そう考えての発言だった。
だが、神官からは少し戸惑ったような雰囲気が感じられた。どうやら、彼も詳しいことは分からないようだった。
「地術師は、大地魔法に特化した魔法職です。魔術師と比べると汎用性はかなり落ちますが、その分大地魔法についてはエキスパートになれる固有職ですね」
そんな答えは、意外なところから返ってきた。祭壇奥にいる神官のうちのもう一人、今まで口を開いていなかった方の神官から、期待していたよりも詳しい回答を示され、サフィーネは思わず目を見開いた。だが、その内容を理解した彼女はこっそり溜息をつく。
「ありがとうございます……そうですか、大地魔法以外は使えないんですね」
やっぱりそういう結末がつくのね、とサフィーネは心中で呟いた。諦めという一線のこちら側からしか、物事を見なくなったのはいつの頃からだっただろうか。そんなことを思いながら、彼女は神官の言葉に耳を傾ける。
「あくまで相性ですから、全くゼロとまでは言いませんが……どうかなさいましたか?」
「いえ、大地魔法って、攻撃魔法のバリエーションが少な――」
言いかけて、サフィーネは失言だったと口をつぐんだ。せっかく転職させてくれるのに、転職前からその固有職に対する愚痴を言うなど、失礼にも程がある。自分の内心がどうであれ、それを表に出す必要はないだろう。だが、神官がそれを気にした様子はなかった。
「たしかに、大地属性の攻撃魔法ってあまり見ませんよねぇ……。ああ、石槍や地割れなんかはどうですか?」
「……それって、飛行モンスターを倒せますか?」
そんな彼女の質問に、相手はすぐに答えを返してくる。
「飛行モンスターですか? 地割れはともかく、石槍なら……まあ、石は重量のある物体ですし、他のランス系ほどの飛距離や速度は難しいかもしれませんが」
どうやら、この神官は魔法にも博識であるようだった。サフィーネがそんな評価を下している間にも、神官は言葉を続ける。
「ですが、大地の壁は属性防壁の中でも非常に優れた能力を持っていますし、空から襲われたとしても命の危険はないと思いますよ」
彼の言葉には一理あった。大地の壁は火属性の炎の壁などとは違い、質量を伴った物理的な防壁となり得る。土の密度を高めれば、モンスターの突進くらいはゆうに受け止めることができるだろう。だが……
「それじゃ駄目なのよ……」
サフィーネは呟くと、自分でも気づかないうちに拳を握りしめる。その脳裏をよぎるのは、今はもう存在しない村と、そこで生きていた村人たちの顔だ。
みんなは、あのお金で自分が転職することを許してくれるだろうか。たとえ、それがこの手で仇を取ることもできない固有職だったとしても。
そんな物思いに沈む彼女の耳に、神官の言葉が聞こえてくる。
「……サフィーネさん、私には貴方がどのような苦悩を抱いているかは分かりませんし、無理に聞き出すつもりもありません。
ですので、転職の儀式を担当する一神官として提案したいのですが、転職した後、王立魔法研究所で相談なさってはいかがでしょうか? あそこなら、大地魔法についての研究も進んでいるはずです」
「そういえば……」
その言葉を聞いて、サフィーネの鬱屈した心に光が差す。突然地術師の固有職を得る機会に恵まれたとはいえ、彼女は元々魔法に関しては素人だ。そんな人間が一人で悩んだところで、ろくな答えが出るはずがなかった。やがて、彼女は決心すると口を開く。
「神官様、知恵を貸してくださって、ありがとうございます。――転職の儀式をお願いします」
サフィーネは祭壇の中央で両手を祈るように重ねると、その瞳を閉じた。
「――万物の成長を見守りし我らが神クルシスよ、彼の者の魂の在り様を今一度照覧し、その容を――」
やがて、二人の神官が祝詞を唱え始める。あまり神殿や教会に立ち寄ったことのないサフィーネにとって、その様子は非常に神秘的だった。
だが同時に、サフィーネは少し拍子抜けした気分をも味わっていた。てっきり、だんだん身体が熱くなってくるだとか、体内の蠢動を感じるのではないかと構えていたのだが、今のところ、彼女の身体には全く変化がないのだ。
もしかすると、固有職資質があるというのは間違いだったのではないだろうか。そう彼女が心配し始めた矢先だった。
「あ……!?」
変化は突然だった。自分の身体の中を何かが駆け巡ったかと思うと、一気に身体が熱くなる。いや、実際には熱など発生していないのだろうが、そう思わせるほどの何かが、彼女の身体を満たしていた。
やがてその熱が去った時、祭壇の中央に立っているのは『村人』のサフィーネではなく、地術師サフィーネだった。
「これが……魔力……」
転職したサフィーネは、思わず自分の身体を見回した。ついさっきまでは全く感じられなかった魔力が、今となっては当たり前のように感じられる。
つい先刻のことなのに、もはや魔力を感じられない状態が思い出せないほど、魔力感覚が身体にしっくり馴染んでいる。手先に意識を集中させると、そこに魔力がじんわりと集まっていくのが分かった。
「どうやら、無事に転職できたようですね」
サフィーネが魔力の制御に集中していると、ふとそんな声がかけられた。新しい感覚に集中していた彼女は、自分が我を忘れて魔力制御に熱中していたことに気付くと、恥ずかしさで少し頬を染めた。もう一人立ちした身だというのに、まるで子供のようだと自分に呆れる。
「……はい! あの、ありがとうございました!」
そう言うとサフィーネは勢いよく頭を下げる。心中では、まだ自分の身に起こったことが信じられないくらいだ。転職といえば、詩の世界などでは叶わない願いの代名詞とされるくらいにあり得ないものとされていた。
「まさか本当に、こんな奇跡が起きるなんて思ってもみませんでした。……本当に、ありがとう……」
サフィーネは祭壇の向こう側にいる、姿の見えない神官に向かって笑いかける。現金なもので、今までずっと心の中に巣くっていた諦めという感情が、久しぶりに影を潜めているようだった。
「地術師の資質は貴方の中に眠っていたものです。私たちはそれを引き出しただけですよ」
そんな答えを聞いて、サフィーネは聞こえないようにくすっと笑った。真面目ぶった声だったが、どこか照れたような響きが感じられたのだ。気のせいかもしれないが、そう考えたほうが楽しいだろう。彼女は照れる神官を想像して、一人可笑しそうに笑いを堪えていた。
サフィーネはもう一度入念にお礼を言うと、たしかな足取りで転職の儀式の間を退出する。
――もし目的を果たすことができたら、その時はまたお礼に来よう。そんなことを考えながら、彼女はクルシス神殿を後にしたのだった。
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【クルシス神殿助祭 カナメ・モリモト】
「カナメ君、お疲れさま。……予想はしていたけれど、本当に夜になっちゃったわね」
ミレニア司祭がそう声をかけてきた頃には、日はとっくに暮れていた。本日最後の転職希望者を送り出したのは、つい先ほどのことだった。俺は全身を蝕む疲労感と戦いながら口を開く。
「お疲れさまです。初日に閑古鳥が鳴くよりはマシですけど、さすがに疲れました……」
実際にはほとんど立ち仕事だったし、固有職資質を確認するのだって、大量の人間を覗き見てるとさすがにしんどくなってくるんだよね。魔力の枯渇というよりは、いちいち目の前の人に意識を集中することによる精神的な疲労だ。
「結局、今日転職したのは全部で四人だったかしら?」
「そのはずです。資質持ちは他にもいましたが、すぐにお金の工面ができる方ばかりではありませんしね。分割払いするにしても、大きな買い物であることに違いはありませんし。こう言ってはなんですが、即金で三万セレルを支払った四名の方々にはびっくりしました」
「中には、若い女の子もいたらしいじゃない。……教会にスカウトされて『聖女』になっちゃったりしてね」
ミレニア司祭はそう言うと悪戯っぽく笑った。さすがに、クルシス神殿で転職した人間を教会が『聖女』として認定することはないだろう。教会の面子丸潰れだもんな。
「――いや、スカウトの線はあるぜ。もちろん教会じゃねえけどな」
唐突に俺とミレニア司祭の会話に入ってきたのは、クルシス神殿の警備担当、アルバート司祭だった。そちらを振り向けば、彼の後ろに見慣れた顔が二つ見える。
「クルシス神殿から出てくる人に向かって、『転職希望者ですか?』とか、『転職に成功したならいい勤め先がありますよ』なんて勧誘を繰り返している人がいたわよ。……それも複数」
見慣れた顔のうちの一人、クルネが肩をすくめながらそう説明してくれる。昨晩の魔工巨人騒動の調査のために、契約を延長されたクルネたちだったが、どうやら日中はアルバート司祭と一緒に行列を捌いたり、しつこい勧誘を追い払ったりしていたらしい。
まあ、調査はノクトやマイセンの方が向いてそうだしなぁ。適材適所というやつか。
そんな、ある意味失礼なことを考えていると、もう一人の同伴者が口を開く。
「勧誘者の質からすると、奴らの依頼主は権勢の弱い貴族たちだろう。大貴族や王国政府はまだ様子を見ているから、その間に一発逆転を狙いたいんだろうね」
アルミードは、さも当慣れた口ぶりで見解を披露した。そういえば、彼は貴族の三男か何かだってクルネに聞いたな。貴族の習性については俺なんかよりよっぽど詳しいだろう。
「だな。……ただ、一人だけ気になるやつがいてな」
そう口を挟んだのはアルバート司祭だ。
「気になるやつ……ですか」
「一人だけ勧誘や潜入工作に慣れていそうな、妙に動きのいいやつがいた。意識していても、ふとした拍子に視界から消えやがる。ありゃ、それなりに力のある奴の子飼いか何かだぜ」
「となると、軍か大物貴族か、といったところですか」
俺の言葉に、アルバート司祭は頷いた。その場に緊張した空気が流れる。
「……ま、別に転職者のスカウト自体は違法でもなんでもないからな。現時点ではそこまで深く考えなくてもいいだろ」
だが、その緊張した空気を壊したのも、これまたアルバート司祭だった。彼は気楽な様子で言葉を続ける。
「とりあえずは、昨晩の魔工巨人の方がよっぽど問題だからな。専門家も探さなきゃならんし、こりゃ調査費用を上積みしてもらいたいところだな」
「アルバート司祭、認めるのは必要経費だけですわよ」
アルバート司祭の軽口を、ミレニア司祭がすかさず牽制する。それに対して、アルバート司祭は俺の方に視線を寄越しながら口を開いた。
「けど、今日はカナメ助祭がたんまり稼いだんだろ? 少しくらいはいいじゃねえか」
「貴方に任せると、お金が湯水のように消費されますもの」
どうやら、アルバート司祭はお金の面ではあまり信用がないようだった。それとも、ミレニア司祭が細かいのかな。
そんな彼らの会話を聞いていると、アルバート司祭の傍にいたクルネが近寄ってきた。
「……ねえカナメ、この二人は仲がいいの? 悪いの?」
「さあ……少なくとも息は合ってそうだな」
なんだか漫才のようなやり取りになってきた年上の二人を、俺たちは生温かい眼差しで見守る。二人が本当に険悪な雰囲気になるなら止めもするけど、どちらかというと掛け合いを楽しんでいるだけに見えるし、放っておいてもいいだろう。
「そうだ、ねえカナメ」
と、そんなことを考えていると、クルネがふと思い出したように口を開いた。
「ん? どうかしたか?」
「ミルティが、手が空いたら寄ってほしいって言ってたわよ。たしか、頼まれてた調べものがどうとか……」
「調べもの?」
クルネの言葉にしばらく首を捻っていた俺だったが、はたとその内容に思い当たる。
「そうか……。ありがとう、近いうちに訪ねてみる」
そう答えると、クルネが不思議そうに小首をかしげた。彼女はその表情のまま口を開く。
「……カナメ、なんだか変な顔してるけど大丈夫?」
「昨日今日と色々あって疲れたからな」
そんなクルネの問いかけに対して、俺は曖昧に返事をする。考え違いだったら申し訳ないからな。俺は後ろめたさを振り払うために、そう自分に言い聞かせた。
「そう? ……たしか、明日と明後日は転職業務はお休みよね? ちゃんと休んでね」
「それ以外にも仕事はあるが……そうだな、ちゃんと休むよ」
俺がそう答えると、クルネは満足そうに頷いた。
当面、転職業務は三日に一度ということになっている。これは、俺が転職業務に張りついてしまうと、クルシス神殿の神官としての成長が阻害されてしまうだろうという神殿長の配慮だった。
まあ、それでもその三日に一度の業務のための準備もあるし、他の業務やクルシス神についての理解を深めるために設けられている時間もあるので、別に暇を持て余すようなことにはならないんだけどね。
「……なあカナメ助祭、お前さんからも何か言ってやってくれよ」
「それは私の台詞ですわ。カナメ君、貴方からもしっかり言ってあげて」
と、そこへすっかり忘れ去っていた年長者たちが声をかけてきた。しばらく何の話か思い出せなかった俺は、二人の顔をまじまじと見る。
「あ、まだ続いてたんだ……」
俺とクルネは顔を見合わせると、軽く噴き出したのだった。