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転職の神殿を開きました  作者: 土鍋
転職の神殿を開きました
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合同神殿祭・下

【クルシス神殿助祭 カナメ・モリモト】




 合同神殿祭の二日目。幸いなことに二日酔いを免れた俺は、いつも通りの神官服を身に着けると、演し物の準備のため中央広場へと向かった。


「……セレーネは大丈夫かな」


 昨晩、俺とセレーネで帰るミュスカを送っていった後のことだ。「美味しいお酒を飲みましょう?」と彼女に連れて行かれたのは、ある意味では合同神殿祭でもっとも有名で人気のある神殿だった。


 酒の神ヴァルドス。七大神の眷属神の一柱であり、その神官はまず、酒に強いことが求められる。神官がお酒を痛飲するなど本来ならもってのほかだが、彼らだけは特別だった。


 そのヴァルドス神殿のブースは、中央広場もかくやという混み具合だった。なんでも、この祭りの日にしか供されない貴重なお酒がたくさんあるらしく、王都中の酒好きが集まっていたのだ。

 俺は日本酒っぽい透明な酒を少し飲んだくらいだけど、セレーネは結構飲んでたからなぁ……。


 そんな昨晩のことを思い出しながら、俺は中央広場へ通じる通りを歩く。まだ朝早いため、その人影はまばらだった。

 と、やや急ぎ足で通りを歩いていた俺は、そこに見知った顔を発見した。向こうもこっちに気付いたようで、ゆっくりと手を振りながら近づいてくる。


「カナメさん、おはようございます」


 笑顔を見せる彼女の動きにつられて、青い髪がふわりと揺れる。


「おはよう、ミルティ。……今日はよろしく頼む」


 俺はそう言うと、転職ジョブチェンジイベントの主役の一人に頭を下げた。それに応えるように、ミルティも頭を下げる。


「こちらこそ、よろしくお願いします」


 ミルティの顔には、心配していたような緊張の色はなかった。もちろんいつもに比べれば表情が固いが、これなら緊張で頭の中が真っ白になるようなことはないだろう。


「お披露目で使う魔法は完成したか?」


「ええ、楽しみにしていてね。あの雷に負けないくらい、印象に残るものを用意したつもりよ」


 そう言うミルティの顔はとても楽しそうだった。彼女の得意属性は雷らしいのだが、この場であの時の雷魔法を披露するわけにもいかず、インパクトのある別の魔法を依頼していたのだった。


「ああ、楽しみにしてるよ」


 そんな会話を交わしながら歩いていると、ほどなく俺たちは中央広場へ辿り着く。転職ジョブチェンジイベントは今日の神殿の演し物の中でも一番最後に行われるため、時間にはまだまだ余裕があるのだが、打ち合わせなどをしていれば、時間があっという間に過ぎてしまうのは目に見えていた。

 俺はミルティと別れると、イベント用の簡易倉庫へと向かう。


「カナメ!」


「カナメ助祭」


 俺がイベントに使う道具をチェックしていると、後ろから聞き慣れた声が聞こえてくる。


「クルネ、アルバート司祭。おはようございます、今日はよろしくお願いします」


 俺がそう言って頭を下げると、アルバート司祭が笑い声を上げた。


「お前さん、そう肩肘を張ってちゃ疲れるだろ? もっと気楽に構えていろって」


「そうよ、カナメに頭を下げられるなんて変な気分だしね」


 なんだか息のあった様子で、クルネが口を開いた。さすがは元冒険者、アルバート司祭はクルネたちと相性がいいようだった。


「ところでカナメ、もう朝食は食べた? そろそろ早い屋台はお店を開ける頃だし、一緒に食べに行かない? アルミードたちも合流すると思うし」


「どうせお前さんのことだ、まだ何も食ってねえんだろ? 冒険者も神官も身体が資本だからな。飯食いにいくぞ」


 二人は再び、息のあった様子で口を開いた。この分なら、少なくとも警備については心配なさそうだな。俺はそんな感想を抱くと、二人と一緒に屋台へ向かうのだった。




――――――――――――――――――――




 それは、マルクがこの一年楽しみにしてきた祭りだった。十五歳の時にこの王都へ住みつき、配達人として二十年近い時を送ってきた彼だったが、未だにこの祭りの空気に飽きることはない。

 祭りの準備はひと月前から始まるが、その時のソワソワした空気も好きだし、今の熱気に溢れる街の雰囲気も好きだった。王侯貴族なら他の楽しみもあるだろうが、一般庶民にとっては、年に一度の貴重な催しだ。それを楽しまない王都民は数えるほどだった。


 だが、それももう終わろうとしている。先程まで茜色に染まっていた空は、今ではすっかり夜空に塗り替えられていた。もうすぐ祭りも終わりか、という寂寥感を振り払って、彼はこれからの予定を考える。


「……たしか、面白い演し物があるって話だったな」


 そんな噂話を教えてくれたのは誰だったか。彼は誰にともなく独りごちると、多少酒の入った足取りで、中央広場へと足を向けた。中央広場へ近づくにつれ、どんどん人の数が増えていく。


 一人ならではの身軽さで、その人込みをひょいひょいと抜けて行ったマルクは、やがて目的地に辿り着くと、その人の多さに目をむいた。

 中央広場の一角に設けられているステージでは、各神殿や王都民の有志によって様々なイベントが行われるため、中央広場の人口密度はかなり高い。しかし、祭りも終わろうかというこの時間帯に、これだけの人が集まっているのは初めてだった。


「なあ、本当だと思うか?」


「いや、信じられないね。でもよ、わざわざ神殿がそんな嘘をついたりするか?」


「まあ、公式には何も発表されてないしな」


 マルクの近くにいる若い男性の二人組が、そんな会話をしているのが耳に入ってくる。その会話を聞いて彼は確信した。やはり、ここに集まっている人間の目的は一つだ。マルクは噂話の内容を思い出す。


 ――クルシス神殿が転職ジョブチェンジの奇跡を起こせるようになったらしい。


 人によっては一笑に付してしまうような内容であったし、マルクとて似たような噂を耳にしたことは一度や二度ではない。だが、今回の噂はずっと消える気配がなく、逆に広がっていく一方であったことや、クルシス神殿がその噂を肯定するような行動をとっていることから、「もしかして」と考える王都民は少なくなかった。


 なんとかステージ近くの場所に陣取ったマルクは、そんなことを考えながら周囲を見渡す。もし真実なら決定的な瞬間に立ち会ったことになるし、もしそうでなくても話の種にはなるだろう。そんなワクワク感が周りから感じられた。


 それからどれくらいの時間が経過しただろうか。突然、ステージを隠すように垂らされていた暗幕が取り払われた。その動きに気付いた観客がざわめき始める。


 現れたステージは、まさに儀式のための空間と化していた。床には精密な紋様を織り込んだ巨大な敷物がしかれており、その上に大小さまざまな祭具が配置されている。まるで本神殿の儀式場のような光景に、マルクは思わず息を呑んだ。


 そんなステージの威容を目にして、観客席から口々に声が上がる。「これは本物かもしれないぞ」「いやだからこそハッタリだろ」などという声がマルクの傍からも聞こえてくる。だが次の瞬間、そんな彼らの言葉がピタリと止まった。ステージ脇から、一人の男が姿を現したからだ。


 彼がステージの中央へ辿り着くまでの数十秒、沈黙が場を支配する。その中を悠然と進んだ男性は、やがて中央まで来ると、備え付けられていた拡声魔道具を手に取った。そして、ハリのある声で自己紹介を始める。


「私は、クルシス神殿で神殿長を務めているプロメト・スコラディと申す。我らクルシス神殿の演し物に、かくも大勢の方々が興味を持ち集まってくれたことについて、まずは感謝の言葉を申し上げたい」


 その言葉を聞いたマルクは驚いた。合同神殿祭において、神殿長クラスが姿を現すのは初日の開催挨拶だけだ。神殿長がステージに上がったことは、ここ二十年で一、二度しかない。


「さて、なぜこうも大勢の方々が集まったのか、その理由については私も把握しているところです。……ですので、まずは皆さんの疑問にお答えしましょう」


 その言葉を聞いて再び観客がざわめき始めるが、それは直に収まった。隣人と話をしていて、重要な言葉を聞き漏らしては勿体ないという心理だろう。それはマルクにもよく分かった。

 そんな奇妙な沈黙の中、神殿長は口を開く。


「クルシス神殿は、明日より転職ジョブチェンジにかかる事業を取り扱います」


 それは観客が待ちに待っていた重大発言だった。だが、彼の口調があまりにも落ち着いていたためか、しばらく観客席に沈黙が続く。


「え……!?」


「本当だったのか……!」


 だが、やがてぽつり、ぽつりと口を開く人間が出始める。そんな反応を見てか見ないでか、プロメト神殿長はさらに言葉を続ける。


「クルシス神殿では、転職ジョブチェンジを希望する全ての方に対して、その機会を提供する用意があります。なお、皆さんが気にするであろうお布施については、現実的な金額を考えています。

 儀式上の事情により、頻度は三日に一度。予約制にするつもりはありませんが、状況を見て適宜対応していく予定です」


 続けて事務的な内容を淡々と発表するプロメト神殿長の姿は、ステージ上に立つ人間としてはいささか場違いなものだった。だが、そのことが逆に彼の発言に現実味を与えていた。


「ねえ、今の聞いた?」


「ひょっとして俺も転職ジョブチェンジできるのか!?」


 観客たちのざわめきが次第に大きくなっていく。だが、その流れを止めたのは意外にもプロメト神殿長だった。彼はよく通る声で言葉を紡ぐ。


「……さて、クルシス神殿としてお伝えしたいことは以上です。……ですが、本当に人を転職ジョブチェンジさせることができるのか、という疑いを持った方もいることでしょう」


 彼が口を開くと、観客席は再び静まり返った。


「そこで、この場を借りて、転職ジョブチェンジの儀式を皆さんにお見せしましょう」


 プロメト神殿長がそう口にすると同時に、ステージに一人の女性が現れた。まだ若く、二十歳に届くかどうか、といった年齢だろう。その容姿が優れていることもあって、先ほどまでとは少し質の違うざわめきが上がり始める。


 プロメト神殿長は、彼女を手で指し示すと言葉を続けた。


「……彼女には魔術師マジシャンの資質があります。ですが当然ながら、転職ジョブチェンジしない限り、その資質が固有職ジョブとして目覚めることはありません」


 神殿長がそう語るのに合わせて、女性は懐から何かを取り出した。そして、それをステージの前方にある魔道具らしき装置の上に置く。


「おお……!?」


 マルクの隣にいた初老の男性が思わず、といった体で声を上げた。それもそのはず、ステージの数か所に掛けられていた大きな白布に、何か黒っぽいものの画像が映し出されていたのだ。


「これは、彼女のステータスプレートです。氏名欄は非表示とし、固有職ジョブ名の欄のみを表示していますが、この通り、彼女が『村人』であることが確認できると思います」


 そう言われてみると、たしかにあの白布に映っているものはステータスプレートだった。そして、その固有職ジョブ欄に記載されている表示はたしかに『村人』だ。その表示を見たマルクは、これからの展開を予想してごくりと唾を飲んだ。


「……では、儀式を始めます」


 神殿長はそう言うと、ステージ奥に設けられた祭壇へと上がった。それに続いて、女性も複雑な紋様が描かれた台に立つと、祈るような姿勢で目を閉じる。

 それを確認した神殿長が頷くと、ステージの両脇から神官が四人現れた。彼らは祭事用と思われる、変わった形の額冠やベールでその顔のほとんどを隠しており、その素顔を窺い知ることはできなかった。四人は儀式場の四隅に立つと、一斉に祝詞を唱え始める。


 中央広場全体に、ただ彼らの祝詞だけが響く。その光景は一種異様なものだった。ずっと祝詞を聞いていると、なんだか時間の感覚が狂ってしまったような錯覚を覚える。そんなことを考えていたマルクは、ふとあることに気付いた。


「……光が?」


 ステージの中央で瞳を閉じている女性。その彼女の周囲がうっすらと光っているのだ。最初は気が付かない程度の光量でしかなかったが、その輝きは次第に強くなっていく。それに気付いた観客たちが騒ぎ始めるが、ステージ上にいる六人は、誰一人気にした様子はなかった。


 時刻が夜ということもあり、その光はもはや誰もが認識できるレベルの輝きを放っていた。夜の暗闇の中で光り輝く彼女の姿が、神秘的な雰囲気を作りだす。


 その光景に見とれていたマルクだったが、今度はステージから不思議な音が聞こえてくることに気付いた。その荘厳な響きは、まるで神の遣いが降臨するのではないかと思わせるような、重厚で美しいものだった。

 彼は思わず、その音を奏でている楽器を探そうとするが、ステージのどこにもそんなものは見当たらなかった。まさかこの音色は、奇跡が発現する時に生じるものなのだろうか。そんな考えが彼の脳裏をよぎる。


 と、その音に耳を傾けていたマルクの目を眩い光が襲った。女性の身体が今までよりも一際強く輝いたのだ。その輝きにマルクは思わず目を細める。


「お、おい、見ろよあれ……」


「本当に魔術師マジシャンだ!?」


「今の一瞬で入れ替えたんじゃないのか?」


「誰か、文字が変わる瞬間を見た奴はいないか!?」


 だが、いつまでも眩しがってはいられなかった。彼の後ろで交わされた会話を耳にしたマルクは、慌てて白布に投影されたステータスプレートを確認して、その目を見開いた。


 ――魔術師マジシャン


 先ほどまで『村人』と表示されていたはずのプレートには、紛れもない固有職ジョブ名が記載されていたのだった。


 いや、後ろの人間が言う通り、なんらかのトリックかもしれないしな。魔道具の投影装置なんて怪しさの最たるものだろう。マルクがそう自分に言い聞かせていた時だった。ステージ上の女性がゆっくりと目を開けた。


 目を開いた彼女は、驚いたような表情で自分の手の平を見つめていた。光はすでに収まっており、彼女自身に外形的な変化があったようには見えない。だが、それならば彼女の驚愕は何に由来するものなのか。


 驚きの表情を露わにしていた彼女は、いつの間にか傍らに移動していた神殿長から拡声魔道具を受け取ると、意を決したように口を開いた。


「……皆さん。私は今、魔術師マジシャン固有職ジョブを得ました。信じられないことですが、この身体を、そして世界を巡る魔力が感じられます……」


 その言葉は、演技というにはあまりにも真に迫っていて、マルクには彼女の言葉の真偽が判断できなかった。


「けれど私がいくら言葉を並べたって、この感覚は伝えようがありません。……だから、魔術師マジシャンの力を使うことで、皆さんの疑問にお答えしたいと思います」


「なんだって!?」


 彼女の言葉に驚いたのはマルクだけではない。見れば、ほどんどの観客が身を乗り出して驚いている。もしこのイベントが何かのブラフでしかないのなら、魔法を使ってみせるなどという、化けの皮がはがれる発言は決してしないだろう。

 彼女は人々の視線を受け止めると、虚空の一点を見つめ始めた。もし彼女の言葉が真実であるのなら、魔法を使うために精神を集中しているのだろう。マルクは彼女の様子を黙って見守り続けた。


「……!」


 やがて彼女が何事かを口にしたかと思うと、ごうっ、という音と共に巨大な炎が巻き起こった。オレンジ色の炎が、夜の広場を煌々と照らし出す。

 彼女から放たれたのは、直径十メートルはありそうな巨大な炎の竜巻だった。圧倒的な規模で渦巻いた炎が、火の粉をまき散らしながら夜空へ向かって昇っていく。その荒々しく、それでいて幻想的な光景は、その場にいる人間を魅了する。


「すげえ……」


 そう呟いたのはマルクではないが、その言葉には全くもって同感だった。もはや、凄いとしか言いようがない。いま中央広場を支配しているのは、熱狂的な興奮というよりは、圧倒的な力に対する畏れとでもいうようなものだった。

 A級モンスターをも軽く消し炭にしそうな凄まじい炎も、そしてそれを可能とした転職ジョブチェンジの儀式も、彼の想像の範疇を大きく超えていた。


 信じられない規模の炎魔法を行使した女性は、観客へ向かって、次いでプロメト神殿長へ向かってお辞儀をすると、そのままステージの脇へと歩いていく。すると、そんな彼女と入れ替わるように、今度は男性がステージの中央へと歩み出た。


「ん? まさか……?」


 新たにステージに現れた男性は、二十歳は超えているだろうか。なかなか鍛えられていそうな身体つきをしているが、その真面目そうな表情には緊張の色が浮かんでいた。

 身に纏っている甲冑の質の良さからすると、どこかの貴族に仕えている騎士かもしれない。そんな予想をしながら、マルクは彼と、そして彼の背後から進み出てきた神殿長の所作に注目する。


「さて、皆さんは転職ジョブチェンジの瞬間を目撃したわけですが、いかがでしたか?」


 穏やかな微笑みを湛えたまま、プロメト神殿長は口を開いた。すると、マルクの少し後方から声が上がる。


「やらせじゃねえのか? どうせ魔術師マジシャンを金で引っ張ってきたんだろう?」


「そうやって、ありもしない可能性で俺たちから金を巻き上げようってんだな!」


 その声は、しんと静まり返っていたステージに大きく響いた。マルクは振り返らなかったが、観客席の視線が後方に集中するのが分かった。だが、後ろの声は一歩も引くことなく声を上げ続ける。


「お前らも心の底では分かってんだろ? ありゃサクラだってな! ステータスプレートの名前を表示をオフにしていたのだって、名前が出りゃ正体がバレるからに違えねえ!」


「――なるほど、その言葉には一理ある」


 そんな野次を圧するように、プロメト神殿長は口を開いた。


「へっ、サクラを雇ったことを認めるんだな!?」


「彼女が『村人』から魔術師マジシャンへ転職したことは事実ですよ。私が一理あると言ったのは、この場にいる皆さんがサクラではないかとの疑問を持つことについてです」


 神殿長は淡々と言葉を続ける。その様子は、勢いよく言葉を吐きだす後方の男たちと対照的だった。


「私も、先ほどの一幕だけで皆さんの疑念が解消されるとは思っていません。実際に自分が転職ジョブチェンジするか、近しい方が転職ジョブチェンジしない限り納得できないという方は多いでしょう。


 ……だからという訳ではありませんが、これより、再び転職ジョブチェンジの儀式を行います。先ほど、彼女はサクラであるため、名前を公表しなかったのではないかとの指摘がありました。クルシス神殿としては、うら若き女性の氏名をみだりに触れ回るべきではないと考えた結果ですが、そう取られる可能性があることは否定しません」


 そう言うと、神殿長は横に立つ青年を指し示した。


「ご紹介しましょう。彼はミハエル・ブレンディア。このクローディア王国の第四王子、アイゼン・ラムト・クローディア殿に仕える騎士です。彼は氏名を公表しての転職ジョブチェンジ儀式を快く引き受けてくれました」


 その言葉に合わせて、ミハエルというらしい青年が慣れた様子で礼をしてみせる。その顔が緊張で引きつっているのを除けば、彼はいかにも若手の騎士といった風情だった。


 観客席はミハエルの素性を知ったことで騒然とした。アイゼン王子は優秀な人物との評判が高いが、第四王子という立場のため、固有職ジョブ持ちを抱えていないことは明らかだったからだ。


 ミハエルは、そのまま懐からステータスプレートを取り出すと、先ほどの女性と同じように、魔道具の上にそれを設置する。広げられた白布の上に拡大して投影されたプレートには、ミハエル・ブレンディアという名前と、そして『村人』という固有職ジョブ名が記されていた。


 いくら統督教の有力な一派とはいえ、王子に仕える騎士の名を騙るとは考えにくい。そのため、彼の転職ジョブチェンジは有力な証明となり得るだろう。マルクはそんなことを考えながら、儀式場の四隅にいる神官たちに視線を注いだ。


 ベールのせいで詳細は分からないが、彼らは背格好も性別もバラバラであるように思えた。共通しているのは、神殿長が話している間、微動だにせずじっとそこに立っていることくらいだった。


「……それでは、再び転職ジョブチェンジの儀式をお目に掛けましょう」


 そこからは、先ほどと同じ流れだった。ステージの中央にある台にミハエルが立つと、四隅に控えていた神官たちが一斉に祝詞を唱え始める。再び光輝が青年を覆い、荘厳な音色が――


「……なんだ?」


 マルクがそれに気付いたのは、あの荘厳な音色をもう一度聞きたいと耳を澄ませていたためだった。ズゥン、ズゥンという重い音と共に、足元に振動が伝わってくる。


 その音の、そして振動の発生源の方向は……


「おい逃げろ! 後ろからなんか来るぞ!」


 マルクがそう叫ぶのと、ステージの後ろの壁が崩壊するのはほぼ同時だった。突然の破壊劇に、観客席から悲鳴が上がる。

 マルクを含め、観客席の前面にいる人間はステージまでの距離もかなり近い。それは、ステージを破壊した元凶までの距離が近いことにほかならなかった。


「おい……嘘だろ……」


 マルクの口から出たのは、呻くような声だった。それもそのはず、崩壊した壁の向こうから現れたのは、現在の魔法技術では作り出せないとされている古代魔法文明の遺物、魔工巨人ゴーレムだった。




―――――――――――――――――――




【クルシス神殿助祭 カナメ・モリモト】




 なんだか変な振動が伝わってくるな、とは思っていた。だが、この展開を予想しろというのはさすがに無理な話だろう。

 儀式場の四隅の一角に陣取って祝詞を唱えていた俺が、ちらっとステージ後ろの壁へ視線を向けた瞬間、轟音と共に壁が砕け散ったのだ。


「……これって、魔工巨人ゴーレムか?」


 崩壊した壁の向こうから姿を現した三メートル近い巨体を見て、俺はそう呟いた。祝詞を中断してしまったが、さすがにそれどころではないだろう。

 反対側に目をやれば、観客席の人間が慌てふためいて逃げようとしているのが見えた。……まずいな。あの混乱ぶりでは、後ろの人間に押し潰されて負傷する人も出るはずだ。最悪、死者が出る可能性も否定はできなかった。


「クルネはどうしたんだ?」


 俺はとっさに、この場で一番の戦闘能力を持つクルネの姿を探した。だが、彼女の姿を見つけた俺は、暗澹たる気分に陥った。崩壊した壁の向こう。そこでは、もう一体の魔工巨人ゴーレムとクルネが既に戦闘に入っていたのだった。


「援軍は期待できないか……」


 実際に見るのは初めてだが、魔工巨人ゴーレムは物理攻撃に強い耐性を有しているものが多いと聞く。クルネのようなスピードタイプの固有職ジョブは、少し相性が悪そうだった。

 彼女が負けることはないだろうが、迅速な援軍は期待できそうになかった。ならば、やることは一つだ。


「ミハエル!」


 俺はそう言うと、説明もなしにミハエルを転職ジョブチェンジさせた。せっかく用意した光や音の魔道具を使えなかったのは残念だが、この事態で演出もへったくれもないだろう。


「これは……!」


 突然、固有職ジョブの力を宿したミハエルは目を見開いた。だが、その余韻に浸ってもらう暇はない。


「この魔工巨人ゴーレムを頼む! クルネはもう一体を相手取っていて余裕がない!」


 その言葉に頷いたミハエルは、即座に頭を切り替えたようだった。彼は背中に吊っていた大剣を引き抜くと、魔工巨人ゴーレムの前へ躍り出た。


「ゥゥゥゥゥ……」


 唸り声というよりは動作音に近い音を発しながら、魔工巨人ゴーレムは目の前に立ちはだかったミハエルに殴りかかった。その凶悪な質量を伴った一撃は、いくら固有職ジョブ持ちといえども直撃すれば無事ではすまないだろう。


「む……!」


 ミハエルは魔工巨人ゴーレムの攻撃を回避すると、手に持った大剣をカウンター気味に振り下した。狙ったのは右肩部だ。おそらく腕の切断を狙ったものだろう。


 しかし、ミハエルの大剣は魔工巨人ゴーレムの肩口に三分の一ほどめり込むと、そこで動きを止めてしまった。魔工巨人ゴーレムの肩口にくわえ込まれた大剣は、ミハエルが引っ張っても外れそうな様子はない。あの魔工巨人ゴーレムの防御を貫いたことは称賛に値するが、今回はそれがマイナスに作用してしまったようだった。


 そんなミハエルに向かって、魔工巨人ゴーレムは無事な左肩を振るう。彼は一瞬躊躇った後、剣から手を放して後ろへ跳んだ。彼が先程までいた空間を、魔工巨人ゴーレムの巨大な腕が薙いでいく。


 まずいな、剣を失ったか。攻撃だけでなく防御の観点からも、剣を失ったデメリットは大きいはずだ。何か代わりになるものはないか。そう考えてとっさに辺りを見回すと、丁度いいものが目に入ってくる。


「ミハエル! 受け取れ!」


 俺はそう叫ぶと、丸腰で魔工巨人ゴーレムの攻撃を凌いでいるミハエルに得物を放り投げた。幸いにも見当違いの方向へ飛んでいくことは避けられたようで、その武器は彼の手にしっかりと収まる。手にした剣を目にしたミハエルから、少し動揺した気配が伝わってくる。


「気にするな! 命の方が大事だ!」


 ミハエルが手にしていたのは、祭具として儀式場に設置されていた神剣の類だった。儀式用の剣が実用に向くとは思えないが、ないよりはマシだろう。

 俺の言葉に頷くと、彼は装飾の見事な鞘から剣を引き抜いた。てっきり刃引きしてあると思ったのだが、ミハエルの表情に落胆がなかったことからすると、今も使用可能な状態なのだろうか。


「カナメさん、大丈夫?」


 ミハエルと魔工巨人ゴーレムの戦いを見つめていた俺に、傍らから声がかけられた。ミルティだ。彼女は心配そうな表情を浮かべながら、俺とミハエルを交互に見る。


「ミルティ、あの魔工巨人ゴーレムを破壊することはできるか?」


 そうだ、よく考えたらこっちには魔術師マジシャンもいるじゃないか。さっきの炎の竜巻クラスの魔法を直撃させれば、いくら巨大な魔工巨人ゴーレムでも耐えられないだろう。

 だが、ミルティは悔しそうに首を振った。


「駄目なの。さっきの焦炎の竜巻(フレア・トルネード)で魔力をごっそり使っちゃったのよ。まさか、こんなことになるなんて思わなかったから……」


 まあ、それはそうだよなぁ。ミルティは俺の依頼に応えて、大量の魔力を消費して魔法を行使してくれたわけで、そこに非はない。俺は、残った魔力で何ができるかを考えた。


「ミルティ、ミハエルが持っている剣に付与魔術エンチャントをかけることはできるか?」


「やってみるわ。付与魔術エンチャントはあまり得意じゃないけど、そうも言ってられないものね」


 言うなり、ミルティは虚空の一点を見つめると魔力を練り始める。その間に俺がミハエルを確認すると、彼は魔工巨人ゴーレムを攻めあぐねているようだった。うかつに攻撃して、先ほどの二の舞になってしまうことを警戒しているのか、あまり積極的に剣を振るう様子はない。


雷の加護ライトニング・ウェポン


 ミハエルが魔工巨人ゴーレムの攻撃を捌いている間に、ミルティの魔法が完成する。彼の持つ儀式用の剣が青白く輝き、そして目に見えるレベルで帯電する。


「その剣に付与魔術エンチャントをかけました! 多少のことでは欠けたり折れたりしないはずです!」


 ミルティが大声で説明をする。突然手にしている武器が輝き始めたことに驚いていたミハエルだったが、彼女の声を聞くと納得したように頷いた。


「感謝する!」


 ミハエルは輝く剣を構えると、襲いかかろうと腕を振り上げた魔工巨人ゴーレムに対して突進する。


重撃ヘヴィ・ブレイク!」


 剣というよりは、槌を振るうようなモーションで繰り出された特技スキルは、重い音を立てて魔工巨人ゴーレムの腹部を上下に両断した。それは切断というよりは、粉砕と表現した方が正しかったかもしれない。


 三メートルの巨体は、大量の破片をまき散らしながら崩れ落ちた。


「よし……やったぞ!」


 警戒心を解かず、そのまま両断された魔工巨人ゴーレムを注視していたミハエルは、もうそれが動かないことを確信したのか、拳を握りしめると快哉の声を上げた。


「やったな! お疲れさま、ミハエル」


「ありがとうございました、ミハエルさん」


 俺とミルティは、ミハエルの下まで駆け寄ると声をかける。それに対して、ミハエルは嬉しそうに頭をかいた。


「即座に自分を転職ジョブチェンジさせてくれたクルシス神殿の皆さんの判断と、あなたの付与魔術エンチャントのおかげです。こちらこそ、本当にありがとうございました」


 そう言うと、彼は手にしていた剣を両手で恭しく俺に差し出した。


「この剣をお返しします。さすがはクルシス神殿の宝具、素晴らしい神剣でした。この神剣の力とあの付与魔術エンチャントの両方が揃っていなければ、魔工巨人ゴーレムをあんなにあっさりと両断することはできなかったでしょう。魔法の武具を快く貸し出してくださり、本当にありがとうございました」


「え……?」


 ミハエルがさらっと口にした言葉を聞いて、俺の目が点になった。魔法の武具? 何それ。誰だよ、そんな凄いものを祭具にして死蔵してたやつ。……いや、それとも魔法の武具だからこそ祭具として使われたんだろうか。


 と、そこまで考えた時、俺は重要な事を忘れていたことに気付いた。


「そうだ、クルネたちは……!」


 俺の言葉を聞いて、ミハエルがはっとした表情を浮かべる。しまった、こんな和やかに戦勝ムードやってる場合じゃなかったよ。そう反省しながら、俺は破壊されたステージの大穴から外を覗いた。


「……よかった、向こうも無事に倒せたみたいだ」


 場合によっては、この神剣とやらをクルネに届けに行こうと思っていた俺だったが、どうやらその必要はなさそうだった。

 こちらの魔工巨人ゴーレムに負けず劣らずの破壊っぷりで、魔工巨人ゴーレムが崩れている様子が見える。その周囲で動いている小さな人影はクルネだろう。あんなに大きな魔工巨人ゴーレムの一部を、一人で軽々と担げる人間なんてそうそういない。


「どうやら、無事……ではないが、少なくとも人的被害が出ることは免れたようだな。皆、よくやってくれた」


 クルネの無事を知ってほっとしていると、背後からそんな声がかけられる。見れば、プロメト神殿長が少しだけ表情を弛ませて立っていた。


「ただ、転職ジョブチェンジイベントは台無しになってしまいましたけどね……」


 俺はそう言うと苦笑を浮かべた。まあ、ミルティの転職ジョブチェンジはちゃんとお披露目できた訳だし、宣伝としてはそう悪くないはずだ。

 だが、観客があの魔工巨人ゴーレムに対する恐怖で記憶を塗りつぶしてしまう可能性は低くない。祭りが終わり、人の口の端に上る話題が転職ジョブチェンジ事業のことではなく、魔工巨人ゴーレムの話であることは、あまり嬉しいことではなかった。


「カナメ助祭、君はあれを見てもそう思うかね?」


「はい?」


 プロメト神殿長の言葉を聞いた俺は、つい間の抜けた返事をしてしまった。そして神殿長が示すものを見て、俺は目を見開いた。


 観客が我先にと逃げ出していった観客席。その席に座している者はいないが、そのすぐ後ろの立ち見スペースでは、大勢の人が所狭しと立ち並んでこちらを見つめていたのだ。その人垣はかなり後ろの方まで続いており、中央広場を埋め尽くすかのようだった。


「あれは……?」


魔工巨人ゴーレムが出現して避難した観客たちだろう。彼らの顔を見る限りでは、このはた迷惑な乱入者はいい仕事をしたようにも思えるな」


 そう言うと、プロメト神殿長はミハエルの肩をぽんと叩き、半壊したステージの中央へ共に進み出た。そんな二人に、観客たちの視線が集中する。


「皆さん、お怪我はありませんね? 魔工巨人ゴーレムをけしかけた犯人の目的は分かりませんが、皆さんに被害が及ばなくてよかった」


 まあ、こけて怪我したりした人はいるだろうけどね。少なくとも、魔工巨人ゴーレムに直接危害を加えられた人はいないはずだ。神殿長は、隣のミハエルを一歩前に進ませると、朗々たる声を広場に響かせた。


「……改めてご紹介しましょう。彼こそが、現れた魔工巨人ゴーレムに立ちはだかり、そして撃破してのけた『新しき』騎士ナイト。ミハエル・ブレンディア殿です!」


 それは、小さなざわめきから始まった。人々は口々に隣の人間と何かを言い合い、そしてこちらを窺う。その視線の先にあるのは、ミハエルや神殿長の姿であり、そして生き残った投影装置により映し出された、ミハエルのステータスプレートの映像でもあった。


「あの兄ちゃん、強かったな!」


「今度は騎士ナイトだと……!」


「あの魔工巨人ゴーレムを一閃だぜ?」


「なんて凄いのかしら……!」


 そんな彼らの声は次第に大きくなり、気が付けば彼らのざわめきと熱気は、中央広場を覆い尽くさんばかりとなっていた。それがミハエルが魔工巨人ゴーレムを倒したことによる賞賛の声なのか、それとも彼を転職ジョブチェンジさせたクルシス神殿に対する期待によるものなのかは、もはや区別がつかない。


 だが、今日のイベントが、明日からの転職ジョブチェンジ事業にとって追い風になるだろうということを、俺は疑っていなかった。

 明日は忙しくなりそうだな。そんなことを考えながら、俺は半壊したステージに立ち続けたのだった。



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