細工師
【クルシス神殿侍祭 カナメ・モリモト】
「クルシス神殿の代表者は、神々の遊戯の第二演目を指定してください」
辺りに、審査官のよく通る声が響いた。神々の遊戯の第一演目、『カルデウスの剣』が終了した後。俺たちは石柱の残骸が転がっている空地を後にして、最初に集まった黒い建物の中に戻ってきていた。
もちろんそれは教会派も同じことで、なにやら体温の上昇していそうなアステリオス枢機卿を筆頭に、こちらに敵愾心を燃やしている人たちが俺たち……というか俺を見つめているのが感じられた。
「分かりました」
そう言うと、プロメト神殿長は周囲を見回した。審査官、俺たちクルシス神殿の神官、そして教会派の視線の全てが集まっていることを確認すると、彼はゆっくりと口を開く。
「神々の遊戯の第二演目は、『アリシアの賚物』とする」
神殿長の発声は、実にしっかりとしていて聞き取りやすいものだった。だが、ここにいる人間の大半はその単語に心当たりがないようで、皆がお互いの顔を見合って首を捻っているのが見えた。
「『アリシアの賚物』ですか……? 少々お待ちください」
そして、それは審査官も同じようだった。彼は少し慌てた様子で、近くに置いてあった分厚い本をめくる。そんな彼らの様子を見て、プロメト神殿長は言葉を付け加えた。
「『アリシアの賚物』とは、炎上した王宮に取り残された幼い王子を救うべく、火神ガレオンの巫女が王宮へ単身乗り込みこれを救出したという逸話からくる演目だ。
……ここで重要なのは、かの巫女は火神より火避けの宝飾品を授かっていたということであり、そこからこの演目は――」
「……見つけました。これですね」
プロメト神殿長の言葉を遮るようにして、審査官がぼそりと呟く。どうやら、審査官が持っている分厚い本は神々の遊戯のルールブックのようなものみたいだな。言葉を遮られた神殿長は気を悪くした様子もなく、そのまま審査官に発言を譲った。
「『アリシアの賚物』。神話に因んだ宝飾細工を作成し、その出来を競う演目。神話の再現度が重視される」
審査官が手に持った本の内容を読み上げる。それを聞いて、アステリオス枢機卿の口角が少し吊り上った。……なんだろう、何か思いついたんだろうか。
「つまり、細工物の出来栄えを競うという解釈でよろしいかな?」
「そう思えます」
「審査官殿が読み上げた内容の通りだ」
枢機卿の問いに、審査官とプロメト神殿長がそれぞれ答える。それに対して、枢機卿は悩むような素振りを見せながら口を開いた。
「……細工物とは芸術品だ。そして、芸術は見る者によって全く異なる評価を下されることもある。審美眼を疑うつもりは毛頭ないが、そのように価値基準が不明確なものを評価せよと言われては、審査官殿もお困りだろう」
「と、おっしゃいますと?」
「例えばだが、審査官殿が明確な差をつけ難いと感じられた時には、幾人かの芸術品に詳しい商人に値をつけさせ、その価額が高い作品を作った者を勝者とする、というのはいかがかな?」
「ほう……」
枢機卿の申し出に対して、プロメト神殿長は少し考える様子を見せた後で、無表情に頷いた。
「……たしかに。審査官が判断できないと思われた場合には、金銭的価値を斟酌することは必要でしょうな」
プロメト神殿長がそう答えると、枢機卿は浮かべていた柔和に見える笑みを一層深くした。なんだか勝利への道筋を見つけたような顔をしてるけど、何を考えついたんだろうな。値をつける商人の買収とかだろうか。
俺がそんなことを考えている間にも、審査官が話を進める。
「それでは、第二演目に出場する者を選出してください」
「クルシス神殿は、ミレニア・ノクトフォール筆頭司祭を『アリシアの賚物』の出場者とする」
まず、プロメト神殿長が出場者を発表する。それを聞いて一番驚いたのはアステリオス枢機卿だった。
「筆頭司祭が……?」
枢機卿は不思議そうに呟いた。だが、その顔をすぐに消し去ると、彼は自信の感じられる声で出場者を発表する。
「クローヴィス教会はラクノート・エルンを出場者とする」
その言葉に応えて、教会派の集団の中から一人の男が進み出る。外形的にはこれといった印象のない中年の男性だが、珍しく片眼鏡をかけていた。そのせいか、その姿は本職の細工職人のようにも見える。
「あら……? あの方はエルン宝飾店のラクノートさん……?」
その姿を見たミレニア司祭は少し驚いた様子だった。あれ。彼女の反応からすると、本当に本物の細工職人っぽいな。……それって、教会派所属の枠組みに入れていいのか?
「しばらく姿を見ないと思っていたら、教会に身を寄せていたのね」
「何かご存知なんですか?」
「腕のいい細工職人なんだけど、プライベートの面で少し問題が多い人だったのよ。ちょっとした事件を起こして以来、姿を見かけなくなったから、てっきり王都を出たものと思っていたのだけれど……」
そこを教会に拾われた、と。まあ、正式に教会から位階を与えられていて、それなりに真面目に勤めに励んでいるなら、教会所属ではあるか。……アステリオス枢機卿、こういう人たちを集めてあの神々の遊戯集団を作ったのかな。だとしたらすごいエネルギーだ。
「……本職と競うのは予想外ね……」
意外な対戦相手を見て、憂鬱そうに呟くミレニア司祭だった。
◆◆◆
「……ミレニア司祭の表情に翳りがあるようだが、何か知っているかね?」
プロメト神殿長が話しかけてきたのは、神々の遊戯の第二演目出場者たる二人が、審査官に呼び出されたタイミングだった。おそらく、彼らは必要な道具や作業環境、そして制約について協議しているのだろう。
神々の遊戯におけるモノづくりの演目は、純粋な出来栄えだけを競おうとすると作業時間が膨大になってしまう。そのため、時間や作業環境に制限を加えて、その条件下でどれだけの物を作り出せるか、という観点で行われることが多いのが特徴だった。
「なんでも、相手は本職の細工職人だそうですよ」
俺がそう答えると、プロメト神殿長は少し興味を引かれたようだった。その視線がミレニア司祭たちと話している細工職人、ラクノートさんへ向けられる。
「それはまた、用意のいいことだ」
やがて細工職人の観察を終えたのか、そんな皮肉を口にすると、神殿長は肩をすくめながら言葉を続ける。
「……とはいえ、細工師の固有職を得たミレニア君が負ける要素は皆無だと思えるのだがね」
「私もそう思います」
そうなのだ。俺は教会帰りの神殿長とミレニア司祭に呼び出されたあの日に、彼女に細工師の固有職資質があることを伝え、そして転職させていたのだ。
彼女は元々、細工修業のために長期休暇をとって神殿を飛び出すほどの趣味人だ。俺にはあまり芸術は分からないが、彼女の作った細工物は充分売り物になるレベルに見えた。そのため、いくら相手が本職とはいえ、勝負に負けるとは思えなかった。
彼女が細工師に転職した時、その場で休暇を申請して、そして神殿長に却下されるという一幕を見ていた俺としては、その能力も情熱も心配はないと思っていたのだが……
「それぞれの宗派は、競技者の作業場所の設営にご協力ください」
そんなことを考えていると、それを遮るように審査官の声が聞こえてくる。第二演目の条件が定まったようだ。俺はプロメト神殿長や他の神官と共に、手を振るミレニア司祭の下へと向かった。
◆◆◆
「カナメ君、その作業机はこっちにお願い。重いから一人で持っちゃ駄目よ」
神々の遊戯第二演目の出場者たるミレニア司祭の指示に従って、俺たちは彼女の作業場の設営を行っていた。作業机や拡大鏡、いくつかの彫金工具くらいは俺にも分かったが、それ以外のものを一体何にどう使うのか、さっぱり分からない。そんな感想を抱きながら、俺は一緒に来ていた助祭と力を合わせて重い作業机を床に置いた。
「この材料は使わないわね……。カナメ君、これをそっちの隅に適当に置いてくれる?」
まさに机から手を放した瞬間に、ミレニア司祭から次の指示が来る。俺は彼女が手にしていた金属っぽい資材を受け取ろうと近づいて、ふと足を止めた。
「……ミレニア司祭、これ以上近づけそうにありませんので、こっちへ放り投げてもらえますか?」
そう、既に細工職人の要塞と化しつつあるミレニア司祭の周りには、足の踏み場がほとんどなかったのだ。俺たちの間にある距離は一メートル半ほど。幸い彼女が持っている金属は手の平サイズだし、見たところ大して重くもなさそうだから、特に投げても問題ないだろう。
俺はそう判断したのだが、ミレニア司祭はなぜか逡巡している様子だった。彼女は少し言いにくそうに口を開く。
「うーん、投げるのはちょっと……」
「ひょっとして、衝撃で爆発したりするんですか?」
彼女の言葉を聞いて、俺はついつい物騒な想像をしてしまう。だが、そうではないようだった。
「そんなことはないわ」
ミレニア司祭にしては歯切れの悪い言葉に、俺は首を傾げた。けどまあ、彼女が躊躇っている以上、俺が無理強いすることでもないだろう。そう思った俺が別の方法を探そうとした時だった。
「……分かったわ。カナメ君、投げるからしっかり受け取ってね」
なにやら決心したような瞳で、ミレニア司祭が俺に話しかけた。……えーと、そんな一大決心をするようなことなんだろうか。そう考えていた俺に向かって、ミレニア司祭が腕を振りかぶった。その姿を見て、俺はあることに気付く。
――あ、これ駄目なやつだ。
「ストップ! やっぱり投げなくて――」
だが、俺の言葉は届かなかった。彼女の手を離れた金属塊は、まっすぐな軌道を描いて――。
……彼女自身の足に直撃した。
「……!」
鍛えられた精神力の賜物か、悲鳴を上げることこそしなかったものの、ミレニア司祭は痛そうにその場にうずくまった。あれ、指の先とか足の甲とかに当たってたら辛いだろうなぁ。
「カナメ君、ミレニア司祭に無茶をさせないように」
俺が焦りながらミレニア司祭の動向を見守っていると、後ろから声が掛けられた。プロメト神殿長だ。その声に少し笑いが混ざっていることに気付いて、俺はほっとした。
「ミレニア司祭は非常に優秀な女性だが、見ての通り運動はさっぱりでね。できるだけ我々でフォローする必要があるのだよ」
その言葉に、俺は大いに納得した。というか、さっきの投球フォームを見てしまっては納得するしかない。子供でももう少し上手く投げられるんじゃないだろうか……?
「……私はもう大丈夫ですわ。プロメト神殿長、カナメ君、心配してくださってありがとうございます」
痛みが治まったのか、ようやく立ち上がったミレニア司祭は、俺たちの生温かい視線に気付くと憮然とした表情で口を開いた。少しだけ顔が赤くなっているのは指摘しないことにしよう。
俺がふと周りを見ると、残りのクルシス神殿の神官もみんな一様に同じ表情を浮かべていたのだった。
◆◆◆
「それでは、神々の遊戯の第二演目、『アリシアの賚物』を開始します。制限時間は明日の暮れ六つの鐘までです。
本日は暮れ八つまで作業を認めますが、それ以降の作業は認められません。私に製作途中の作品を渡して、今日のところはお帰りください。
明朝、八つの鐘以降であれば私はここにいますので、適宜作品を受け取って作業を続けてもらって構いません」
両宗派の準備が終わってしばらくした頃。審査官が俺たちを集めて、今後の説明をしてくれた。どうやら、第二演目は二日がかりで行うらしい。
神々の遊戯で日をまたぐイメージはなかったけど、そんなこともあるんだなぁ。生産系の演目はあんまり行われないって聞いたけど、そこら辺も理由の一つなんだろうか。
そんなことを考えていると、審査官がさっと腕を上げた。
「それでは……始め!」
その言葉を聞いて、出場者二人が同時に動き出した。まず手を伸ばしたのは、ベースにする材料だろうか。細工やら宝飾やらに知識のない俺では、見ていてもよく分からないのが残念なところだ。
そして、そんな人間は俺だけではなかったらしい。
「……暇だな」
第二演目が始まってからどれくらい経っただろうか。いつの間にか、プロメト神殿長が隣まで来ていた。
「ミレニア司祭には言えませんが、暇ですね」
俺がそう答えると、神殿長はさりげない様子で辺りを見回し、ぼそっと告げる。
「……今のところ、計画通りだな」
「そうですね」
作業するミレニア司祭に視線をやりながら、俺たちは小声でやり取りをする。
……そう。実を言えば、この神々の遊戯は俺とプロメト神殿長が予想した通りの展開となっていた。元は、教会から神々の遊戯を申し入れられるかもしれないぞ、と心配したのが始まりだ。
だが、色々考えているうちに、ひょっとして教会に勝てるんじゃないかという結論に至った俺は「もし教会とクルシス神殿が神々の遊戯で争った場合、こちらが勝つ可能性は非常に高い」と事前に神殿長に伝えていたのだった。そうでなければ、あのプロメト神殿長があっさり神々の遊戯を受けたりするはずがない。
模擬演習で『聖騎士』の『カルデウスの剣』の最高記録を大幅に更新した俺。さらに、大陸に二人しかいない、そしてこの国には一人もいない細工師の固有職を持つミレニア司祭。演目さえちゃんと選べば、クルシス神殿が教会に負ける要素はなかった。
そんなことを考えながら、俺は本職の細工職人たるラクノートさんに視線を移す。いかにも熟練の職人らしい面持ちで、彼が手元の金属をねじっているのが見えた。
さっき自己転職したせいで、しばらく転職の力は使えないが、教会派の集団に聖騎士と魔術師以外の固有職持ちがいないことは確認済みだ。
転職能力が失われた状態なのは落ち着かないが、あの『聖騎士』に勝つためには仕方のないことだろう。
能力を温存するために、『聖騎士』を『村人』に転職させてしまうことも考えたのだが、あんなに人の目の多いところで、神殿長にも打ち明けていない『村人』への転職を使ってしまうのは危険だと思ったのだ。
そして何より大きな問題として、『聖騎士』を『村人』へ転職させたとしても、そもそも俺の戦闘能力が『村人』レベルだという残念な事実がある。『村人』同士の争いになってしまっては、どちらが勝つかなんて分かったものじゃない。
それどころか、衝撃波や光剣などの特技を『聖騎士』が習得しているだろうことを加味すると、彼女の方が圧倒的に勝率が高かった。
結局、自己転職するしか勝つ方法はなかったのだ。……まあ、今のうちに「あの『聖騎士』に勝利した」って事実を作っておけば、転職能力者の正体がバレても暗殺は断念してくれるんじゃないか、なんて期待もしてるんだけどね。
「もし彼女が負けたとしても、既に一勝しているクルシス神殿としては困らないからな。気楽なものだ」
考えこむ俺に対して、プロメト神殿長がそんな言葉をかけてくれる。ひょっとして、俺が第二演目の勝敗の行方を心配していると思われたのかもしれないな。そうですね、と笑顔を浮かべると、俺は再び二人の作業風景に目をやるのだった。
◆◆◆
神々の遊戯二日目。朝八つの鐘が鳴り響く頃には、俺たちは既に神々の遊戯会場たる黒い建造物の前に立っていた。
「やっぱり向こうも来てるなぁ……」
俺はそう言うと、建物の入り口に陣取っている数名の人間に視線をやった。第二演目の競技者たる細工職人、ラクノートさんをはじめとして昨日見た顔ばかりだ。ただ、その人数は昨日より圧倒的に少ない。『聖騎士』の姿も見えないし、アステリオス枢機卿の顔も見当たらなかった。『聖騎士』はともかく、枢機卿がいないのは何だか違和感があった。
「納得のいくものを仕上げるために、一分でも多く時間を確保したい気持ちは同じね」
俺の呟きに対して、ミレニア司祭がうんうん、と頷きながら答えを返してくる。昨日は一切休憩することなく作業に没頭していた彼女だったが、そこに疲れの色は全く見られなかった。
「それでは、クローヴィス教会とクルシス神殿の神々の遊戯を再開します。第二演目『アリシアの賚物』出場者は、作品を取りに来てください」
そこへ、二つの箱を手に持った審査官が姿を現した。おそらく、あの箱の中に二人の作品が入っているのだろう。出場者二人はそれぞれ自分の作品をもらい受けると、即座に自分の作業場へと籠った。それを見送って、俺たちクルシス神殿の神官は何となく顔を見合わせる。
「今日も――」
暇そうですね。そう言おうと口を開いた俺だったが、別の声がそれを掻き消した。
「おや、皆さんお早い到着ですね」
聞こえてきた声に振り向けば、そこにはアステリオス枢機卿が立っていた。その手には、赤く輝く金属塊が二つ握られている。皆の視線がその金属塊に注がれた。
「おお、これが気になりますか」
すると、枢機卿は実にわざとらしい口調でそう言った後、手に持っていた金属を掲げて見せる。俺に金属の知識なんてないに等しいが、それでも一つだけ分かることがある。この赤く光る金属は……
「魔力を帯びてる……?」
俺はふと呟いた。魔力変換の特技のおかげで、その金属に魔力が籠っていることに気がついた。そんな俺の呟きを聞いて、枢機卿がニヤリと笑顔を浮かべた。
「ほう、博識な青年だ。……その通り、この金属は特殊な魔力を帯びている。その道数十年の職人でさえ、扱いには困難を伴うという癖のある金属だが、その分見返りも大きいのだよ。まあ、その効果は出来上がってからのお楽しみとさせてもらおう」
枢機卿は機嫌よくそう言うと、その金属塊をラクノートさんに渡しに行く。金属を受け取ったラクノートさんの顔が今までにないくらい真剣な面持ちになっていた。あれかな、熟練の職人でも扱いが難しいとか言ってたし、緊張してるんだろうか。
と、彼らの行動を眺めていた俺だったが、次に枢機卿がミレニア司祭の方へ近づくのを見て、とっさに彼の後を追いかける。まさか、暴力で彼女を棄権させるつもりじゃないだろうな。
走ったおかげで、枢機卿と俺はほぼ同じタイミングでミレニア司祭の作業場へ辿り着いた。
「……ミレニア筆頭司祭。火炎銀だ。苦労して手に入れた希少な金属だが、ルールに従って君にも渡しておこう。使いこなせるのならば使ってみたまえ」
すると、枢機卿の皮肉たっぷりの台詞が聞こえてきた。その内容にイラッとする俺だったが、同時に一つ納得もする。
敵に塩を送るなんて枢機卿らしくないと思ったら、そういうことか。演目のルール上、使うかどうかは別として、同じ作業環境と、そして同じ材料を使うことができる状態を作る必要があるんだな。たしかに、そうじゃないと資金力のある派閥が一方的に勝つ展開になりかねない。
俺がそんなことを考えている間にも、枢機卿は手に持っていた火炎銀とかいう金属塊をミレニア司祭の方へ放った。その様子からすると、あの金属はだいぶ軽そうだな。
……だが。
「あ……」
ガン、と音を立てて、火炎銀が床に転がる。ミレニア司祭が受け取らなかったためだ。それを見た枢機卿がプルプルと震えだすのを見て、俺は思わず苦笑いを浮かべた。
「……なるほど、敵の施しは受けないということだな。よかろう、どんな作品が出来上がるか楽しみだ……!」
枢機卿は押し殺した声でそう言うなり、怒りを背中で表現しながら去って行った。俺はそれを見送りながら、ミレニア司祭が受け取り損ねた火炎銀を拾った。
「勝手に怒って行っちゃいましたね」
「……急に物を投げられて、反応できるとでも思っているのかしら……?」
ミレニア司祭が憮然と呟く。たしかに突然で、かつ乱暴な放り投げ方ではあったけど、たぶん普通の人ならキャッチできたんじゃないかなぁ……。内心でそんなことを考えた俺だったが、もちろんそんなことを口に出すほど命知らずではない。
俺は火炎銀をミレニア司祭に見えるように差し出すと、話題を逸らした。
「ところで、この金属どうしますか? なんだか魔力を感じますけれど」
「たしかに、細工の道を志す者としては魅力的な素材だけれど、今の私の腕前だと加工の成功率は四割といったところなのよね……。細工師の特技に役立ちそうなものがあるけれど、ぶっつけ本番はしたくないから当初の予定通り進めることにするわ」
なるほど。彼女の言い分に納得した俺は、手にした火炎銀を枢機卿に返却するべく、くるりと向きを変える。すると、後ろからミレニア司祭の呼び止める声が聞こえてきた。
「カナメ君ちょっと待って。その火炎銀をどうするつもり?」
「どうって、枢機卿にお返しするつもりですが……」
俺がそう言うと、ミレニア司祭は首を横に振った。そして作業机から身を乗り出すと、俺に手を差し出す。
「せっかくの希少な金属だもの、休憩の合間に眺めるから置いて行って」
そう言って、彼女はいい笑顔を浮かべた。……ああ、この人って本当に細工が好きなんだなぁ。そんな感想を抱きながら、俺は素手でプロメト神殿長の下へと戻ったのだった。
◆◆◆
「それまで! 競技者は作業を終えてください!」
暮れ六つの鐘が鳴るのと同時に、審査官の声が響いた。その声に反応して、競技者二人の手が止まる。
審査官は二人から作品を受け取ると、いつの間にか設置されていた金属製の机の上にコトリと置いた。俺たちの視線が、彼の手元に集中する。
「おお……!」
「綺麗……」
そんな声がどこかから聞こえてくる。だが、それも無理はなかった。審査官が最初に置いたのは、炎を象った意匠が見事な腕輪だった。細工難度の高い火炎銀を活かした腕輪は、銀色に薄紅色を少し足したような独特の色合いと、その魔力からくる赤い光を纏っており、余すところなく『火』を表現した美しい芸術品となっていた。
次いで、審査官が二つ目の作品を机に置く。こちらはペンダントのようで、机に置かれた際にしゃらり、とチェーンの部分が軽やかな音を立てた。
こちらも炎を表現しているのか、曲線を多用した作りは優雅でありながらも、どこか力強さを感じさせる。ペンダントトップに嵌められた深紅の宝石は、まるで炎のように煌めいていた。
「……こちらの腕輪がラクノート殿、あちらのペンダントがミレニア殿の作品ですな」
作品を見守る俺たちに説明するように、審査官は手で作品を示しながら口を開いた。少し考え込むような表情を浮かべているのは、それだけ優劣の判定が難しいということだろうか。
「ふむ。それで、審査官殿はどちらが優れた芸術品だと思われるのですかな」
そんな審査官に対して、アステリオス枢機卿が探るような視線で問いかける。だが、審査官は口を開かなかった。
「……さすがはエルン宝飾店の職人ね。素晴らしい腕をなさっているわ」
そんな様子を観察していると、ふと俺に向かって横合いから声がかけられる。見れば、いつの間にかミレニア司祭が隣に立っていた。
「ミレニア司祭も充分凄いと思いますよ」
俺は彼女が作ったペンダントを見ながら、お世辞抜きの感想を口にした。たしかにラクノートさんが作った腕輪に比べれば少しシンプルな感はあるが、中心に据えられた宝石の存在感を考えれば、あまり過剰な装飾は不要に見えた。
「ふふ、ありがとう。審査官も多少は悩んでくれているみたいだし、嬉しいわね」
その言葉につられて、俺は審査官の方へ視線をやった。すると、今までにないくらい難しい顔をして、腕組みをしている彼の姿が目に入る。
まあ、そもそもが評価しにくい芸術品だからなぁ。その上、二人ともかなりの技術を持っているせいで、明らかにこちらが優れている、というほどの優劣を見い出すことができないのだろう。
そんなことを考えていると、一度は引き下がっていた枢機卿が再び審査官の下へと進み出た。
「審査官殿、この腕輪について解説してもよろしいかな」
彼はそう言うと、審査官の答えも待たずに語り始める。
「この腕輪の芸術的価値については、審査官の審美眼にお任せすると決めた身。これ以上何か言うつもりはありません。ただ一つ、この腕輪に秘められた技術的な価値についてご説明したいのですよ」
そう言うと、彼は机上の腕輪を手で指し示した。まるでその仕草に応えるかのように、腕輪から赤い光がぼうっと洩れる。
「この腕輪に使用されている金属は火炎銀と言いまして、魔力を備えた金属であるため、熟練の職人でも扱うことが難しい素材ですな。この素材を用いて、まともな作品が作れるようになれば一流の職人と見なされる。そんな地方もあるくらいなのですよ。
その素材をふんだんに使用したこの腕輪は、正に技術の結晶と言えるでしょうな」
その説明を聞いた審査官は、ほう、と感心した表情を浮かべる。その一幕を見て、俺は少しアステリオス枢機卿を見直した。
芸術品のように価値基準が曖昧なものの優劣をつけようとすると、どうしても主観的な評価要素が含まれてしまう。それは人間なら仕方のないことだ。だが、真面目な人であればあるほど、その主観的な要素を排除しようとする傾向があるのもまた事実だった。
その結果、そういった人は他者に対して合理的に説明できる優位点を持つ作品を選ぶ傾向にある。それは例えば、素材の希少性や、加工難度の高さといったものだ。主観的な審美眼での判定に悩む審査官に、枢機卿は客観的な『希少性と加工難度』という逃げ道を用意した訳だ。
「なるほど……」
どうやら、審査官の心は教会側へ動いているようだった。これは、下手に口走られる前に片を付けたほうがよさそうだな。そう思った俺は、ミレニア司祭に目で合図を送ろうとする。だが、彼女も同じことを考えていたようで、司祭は既に歩き出しているところだった。
「お待ちください。まだ『アリシアの賚物』における重要な確認が行われていませんわ」
ミレニア司祭は審査官の前に立つと、毅然とした声でそう断言した。
「……どういう意味でしょうか?」
そう問いかける審査官に対して、ミレニア司祭は机上にある自作のペンダントを手で示した。
「『アリシアの賚物』とは、火神ガレオンより授かった火避けの宝飾品を再現するものです。つまり、火に対する耐性が重要な要素となります」
「……それはまさか、この作品を燃やすということでしょうか?」
「その通りです」
ミレニア司祭の提案はよほど予想外だったのだろう。自らの作品を火にかけるという彼女の発言に、審査官は目を白黒させていた。
そして、アステリオス枢機卿の方はと言うと……
「面白い、協力させてもらおうか。……メヌエット!」
彼は乗り気のようだった。枢機卿の言葉に応えて、一人の少女が前に進み出る。
年齢は十五歳くらいだろうか。銀髪をショートカットにしており、その手には宝石の嵌めこまれた小さな杖が握られている。身体は小さい部類に入るだろうが、勝気な表情が魅力的な少女だ。
そして同時に、彼女は魔術師の固有職を宿す『聖女』でもあった。そんな『聖女』メヌエットは、どこか面白がっているような様子で口を開いた。
「このアクセサリーに火炎球を打ち込めばいいんだね?」
「加減を考えろ。耐火能力を証明するだけでよいのだからな」
「えー……。ま、いっか」
『聖女』のイメージにしては砕けた口調の『聖女』メヌエットは、杖の先に手のひら大の火の玉を発生させると、その火の玉をラクノートさんが作った腕輪の方へと投げつけた。
ゴウンッという音がして、火の玉が腕輪に直撃する。……うわ、遠慮なしに真正面から当てたなぁ。俺がそんな的外れな感想を抱いていると、誰かの声が聞こえてきた。
「全く傷ついていない……?」
どうやら、声の主は審査官のようだった。彼は火の玉が直撃した腕輪を間近で観察して、驚きの声を上げていた。……まあ、素材が火炎銀だもんな。その名前からして、火に強い性質であることは予想できた。だが、審査官からすれば衝撃の事実だったのだろう。
そんな審査官の様子を見て、アステリオス枢機卿がニヤリと笑うのが目に入った。
「火炎銀は炎の魔力を帯びていますからな。あの程度の炎であれば焦げ目一つつきませんぞ」
まるで自分の手柄であるかのように、枢機卿が鼻を高くして解説する。まあ、火炎銀を用意したのはこの人のツテっぽいし、手柄と言えなくもないかな。
「それでは、次は私の作品の番ですわね。……『聖女』さん、こちらにもお願いしますわ」
すると、今度はミレニア司祭が『聖女』に火の玉を要求する。『聖女』は少し驚いたようだったが、すぐに楽しそうな表情を浮かべると、再び火の玉を杖の先に浮かべる。
「お姉さん、意外とノリが良さそうだね! いくよっ」
だが、そうして『聖女』から放たれた火の玉が、ミレニア司祭のペンダントに届くことはなかった。ボシュッという音を立てて、ペンダントの手前一メートルほどのところで炎が消えてしまったのだ。
「な……!」
その様子を見て、アステリオス枢機卿が声を上げる。そして、いらただしげに『聖女』メヌエットに問いかける。
「メヌエット、何をしている。なぜ魔法を中断した?」
「ボクは何にもしてないよ。勝手に火が消えただけ」
枢機卿の機嫌などどこ吹く風といった様子で、メヌエットはそう答えた。その言葉を受けて枢機卿の眉根が顰められる。
「なんだと……!?」
「もしよろしければ、もう一度試してごらんになります? ……『聖女』さん、今度は私がペンダントを身につけますから、私目がけて先ほどの火の玉を飛ばしてくださいな」
と、その会話へミレニア司祭が口をはさむ。
「え……お姉さんごと?」
その言葉には、さすがの『聖女』も驚いたようだった。周囲の人間も一斉にざわめき始める。そんな中、『聖女』はミレニア司祭をじっと見つめた。
「ホントにいいんだね?」
「ええ。でも、さっきの火の玉くらいのサイズにしてね? 貴女が全力で撃った火炎球なんて、さすがに防げる気がしないもの」
その答えを聞いて『聖女』は静かに頷いた。彼女は再び杖の先に火の玉を発生させると、ミレニア司祭が下げているペンダント目がけて、火の玉を飛ばす。
だが、やはり火の玉はミレニア司祭の手前一メートルくらいのところで、呆気ない音を立てて消滅した。その火の玉が消える瞬間、降りかかる火の粉が球状の防護壁に阻まれている様子がおぼろげに見える。
「今の、見えたか?」
「けど、あれって……」
どうやら、それに気付いたのは俺だけではなかったらしい。何人かの人たちが口々に騒ぎ始める。……まあ、魔道具が誕生するのを目の当たりにした訳だしなぁ。驚くのは当然かな。
「ご覧の通り、このペンダントは炎に対する防護壁を展開する魔道具です。火避けの宝飾品を授かったという演目、『アリシアの賚物』の再現としては悪くないと思いますわ」
「防護壁を展開する魔道具? ……ねえお姉さん、ひょっとして固有職持ちなの?」
誰もが沈黙する中、そう聞いてきたのは『聖女』メヌエットだった。彼女に対して、ミレニア司祭は静かに頷くと口を開いた。
「ええ、私は細工師の固有職を授かりました」
その言葉に、今度こそ周囲のざわめきが大きくなった。なんせ、今まで大陸に二人しかいなかった細工師だ。それがこんなところでお目見えするなんて、誰も思ってなかったことだろう。
そして、「授かりました」という言葉の意味に気付いた人間は、はたしてどれくらいいたのだろうか。
そんなことを考えていると、少し離れたところから一際大きな声が上がった。
「馬鹿な! 魔道具だと!? そんなはずはない! ……そうだ、そもそも優劣の判定は商人の見積もり価額で決定することになっていたはずだ。まずは商人を手配するべきだ!」
それは、やっぱりアステリオス枢機卿だった。おお、この期に及んでなかなか粘るなぁ。なおも大声を上げる枢機卿に向かって、プロメト神殿長が口を開く。
「アステリオス枢機卿。魔道具に途方もない高値がつくことは、あなたもよくご存知でしょう。商人に値をつけさせても同じ結果が待っていると思いますが。
そして何より、正真正銘の『火避け』能力を持つミレニア司祭の作品は、今回の演目に相応しい品であると思いませんか?」
「だが……!」
なおも認めない枢機卿に対して、とどめを刺したのは審査官の一言だった。
「アステリオス枢機卿、勝負は時の運です。……あなたが選出した二人の競技者は、いずれも非常に素晴らしい活躍を見せてくれました。ただ、彼らの方が今回は一枚上を行っただけです」
「……」
枢機卿は答えない。だがその様子を気にすることなく、審査官はよく通る声で宣言した。
「神々の遊戯の第二演目『アリシアの賚物』の勝者はミレニア・ノクトフォールとする!
よって、神々の遊戯の勝者はクルシス神殿であることを、ここに認めるものである!」
その宣言に、しん、と場が静まり返った。
「……私たちの勝利……?」
やがて、その沈黙を破ったのはクルシス神殿の助祭の一人だった。それを皮切りに俺たちクルシス神殿の神官たちが喜びの声を上げる。
「ミレニア司祭、おめでとうございます!」
「やりましたね!」
「みんな、ありがとう」
だが、そう答えるミレニア司祭はなぜか複雑な表情を浮かべていた。どうしたんだろう。それが気になった俺は、その理由を彼女に問いかけることにした。
「ミレニア司祭、どうかしましたか?」
そう俺に声をかけられたミレニア司祭は、はっと我に返ったようだった。
「……職人としての技術が未熟なのに、魔道具だからと評価されて勝つのは複雑な気分ね……」
彼女は少し憂鬱そうな表情で呟いた。……ああ、そういうことか。彼女の気持ちも分からないではないな。ずっと腕を磨いていたミレニア司祭だからこそ、そんな感慨を覚えてしまうのだろう。
「そんなものですか……」
そんな彼女に対してかけるべき言葉が思い浮かばず、俺は適当な相槌を打ってお茶を濁す。
そんなやり取りの一方で、ついにアステリオス枢機卿の膝が崩れ落ちた。まさか、自分が負けるなんて思っていなかったのだろう。そんな彼を見下ろして、プロメト神殿長が口を開く。
「アステリオス枢機卿。王国政府や貴族に対して大きな影響力を持つ教会が後ろ楯になってくださるとは、非常に心強い話です。
彼らへの説得工作は骨が折れそうでしたからね。……期待しております」
その言葉を聞いても枢機卿は動かない。どうやら放心状態のようだった。そんな彼の様子を確認すると、プロメト神殿長は肩をすくめる。
「さて、枢機卿はしばらく動きそうにないが、我々は一足先に帰らせてもらうとしようか。……ああ、ミレニア司祭の作ったペンダントを返してもらわねばな」
神殿長は、俺たちに向かってそう宣言する。そこから、俺たちが審査官たちに挨拶をして神々の遊戯会場を去るまでには、実に十分とかからなかった。
こうして、人生二度目の神々の遊戯は、その幕を下ろしたのだった。